潔 ノ 森

2006年04月21日(金)


椿 ‘羽衣’
普通の羽衣よりも色の濃い花(特に外側の花弁)が咲きました





覚書 (自分自身への審問 辺見 庸 著より)

 こうした今日的世界では、前述の笑いとチープなシニシズムこそが悪い種子のようにあちらこちらに伝播していきます。含み笑い、冷笑、譏笑、嗤笑、憫笑……。くっくっくっ。ふっふっふっ……。そう笑っている者は人間ですが、腹話術師のように笑わせているのは人間ではなく、資本ではないかとぼくは思います。人間がいまほど資本の幻想に操られている時代はないし、資本の魔手から逃れる出口あるいはそのヒントは現在の視圏のどこにも見当たりません。先鋭なエコロジストたちも、エコロジーをもほぼ完全に商品化しえた資本の無限大の胃袋を前にしては顔色なしです。前世紀の後半にフーコーら先鋭な思想家、哲学者たちは「人間」という概念は時代遅れだとか「内面の時代」は終ったとかいいだしましたが、ひょっとしたら現在を予感していたのかもしれません。たしかに人類史上これほど内面の貧弱な時代はかつてなかったし、資本万能の時代もありませんでした。ハイデガーが言った「神性の輝き」を放っているのはいまやキャピタル(資本)と市場だけではないですか。人間がその意思の力で資本の暴走を阻止しようとする運動も逆に資本に蚕食されて、いまや瀕死の状態です。これが破局の源であり、世界規模の失意のわけなのです。


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