おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
■天地鳴る
大木がなぎ倒されたのは、根が弱かったからで、いくら見た目が立派でも根っこがしっかりしていなかったらいざというときに倒れてしまう。というのは、つまり死んでしまう。 「人は心組み」という言葉を思い出したりもした。 学校の体育館の屋根が吹き飛んでしまった。いざというときに、行政に言われるがまま、決められた避難地――その多くは学校だったりするけれども、そこが本当に安全なのかどうか、自分では何も分からないのに、人が言うからとそこに避難し、たくさん人が集まった場所で、その建物が崩れたりしたら? 雷が落ちたら? 水が押し寄せてきたら? 自分の命がかかっているときに、頭脳でこういうときはそうするもの、と決めてかかって行動するのは危険だと分かります。 自分の家が安全だと感じられれば、そこにいればいいのだし、ここはヤバイと感じたなら、自分の自然な感覚に従って行動すればいい。もちろん、そのためには普段から感覚を磨いておかなくてはものの役に立たないでしょうけどね。 強風が吹き荒れている中を、行政の見回りが、「危ないですから外に出ないでください」と言ってまわっていた。 そんなことをいわれなくたって、普通の感覚の持ち主なら、よほどせっぱ詰まった理由でもない限り、あの強風の中わざわざ外に出たいと思う人はいない。なぜ、行政がそんな余計なお世話をするのかといえば、用もないのに外に出てケガをしたり、間違って死んでしまった場合、行政のせいにする人がいるからだろう、と分かる。 「行政が、外に出ると危ないといわないから、ケガをしたんだ!」などと、言い出すんですね。人間として基本的なこと――己が招いたのである、という基本的な理解がなく、都合の悪いことは全部人のせいにするという、(人間について)無知で、不遜な人が多いから、行政も余計だと分かりつつ、やらざるを得ない。 訴えられても、注意を促しましたよ、と言い訳が立つからだ。 面倒な社会ですねぇ。 自然のことであるから、これは神様がやっているのですね。単なる偶然として片づけるのか、それともこれは我々をはぐくんでいる地球が、私に何を申し示されているのかと理解していくのとではまったく違う。 たとえば、自分の経営する会社の看板が落ちてバラバラになったり、吹き飛んだ屋根が自分の車に突き刺さったりしたのも、偶然ではない。そこが分かれば人間は謙虚になるというものだ。 今年は九州と四国と中国地方の人は大変だねぇ、などと他人事として済ましてはいられない事態が、これからますます起こります。 何を断言しているのだ、といわれそうですが、だってそういう時なんですもの。この程度のことで終わることではない、と感じている人はいると思うのだけどねぇ。
おおみち礼治
|MAIL
|