おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
■ニュースを見るな
食事中に、誰が殺されただとか、詐欺にあったとか、悪いことをしたとか、聞きたいか? テレビをつけなければいいのだが、テレビをつけてニュースを見るという生活習慣が染みついているので、そうするのが当たり前になってしまい、他の生活パターン、生き方というものがあることに気が付きもしない。自分に目が向いていない以上、人生が千年あったとしても、一万年あったとしても、気が付かないだろう。そして出口のない迷路に迷い込む。 真面目というか、神経が細かい人ほどそういう、自分と何の関係もない、まったくどうでもいいニュースにとらわれ、どうすることもできない現実に苛立ち……そして、頭がおかしくなる。 善があるなら悪というものもある。 ただそれだけのことなのだが、悪は存在してはいけない、と思い込んでいると、どうにかしなくてはいけない、と考えてしまう。考えたところでどうにもならないし、ひとりで行動を起こしたところでそれは同じだ。人を巻き込んで大きな運動になればいいかもしれないが、そこには業を持って――つまり金とか地位とか名誉とか、そういう現世的なこだわりを持った人々が、本来の目的とは違う、裏の意図を持って近づいてきて、そのうちそういう輩に骨抜きにされてしまうのは、世間を観ていれば分かるから――少なくとも感じられるし、また、いまの生活をすべて捨ててまでやるのは守るものがある人には難しい。さらには、そうするエネルギーが自分にあるのか、才能はあるのか、といったことから、世間体や資金やその他諸々の現実が、悪の廃絶という理想を寸断する。 出来ない理由は理想の追求に比べたらつまらないことだ、ということも分かっている。しかし、そのつまらないものを捨て去ることが出来ない自分にまたもや苛立つのである。 真面目な人を絶望させ、追い込む効果しかもたらさない、くっだらないニュースを観る価値があるとすれば、自分自身を中心としたシミュレーションにより、自分と法則――こうすればこうなるという当たり前のこと、を理解するつてとすることが出来るかどうかであろう。 それ以外のことをしてはいけない。自分を汚す。大切な人をも傷つけてしまう。これは、ニュースだけでない。「理想」も人を汚す。勝ち組とか負け組とかね。勝ち組が理想とすれば、そういうものにこだわればこだわるほど苦しくなる。本当は、人生に良いも悪いもない。当たり前だが、勝ちも負けもない。そのような低次元な既成概念に自分を合わせるべきではない。 成功も失敗も、生まれた環境も、仕事も人間関係も、そうなったことも、その人――その魂にとってはそれでベストなのだ。これを理解するには、まず、宇宙を肯定しなくてはならない。原因はすべて自分にあり、責任もすべて自分にある。そこが分からなくては話しにならない。変えてやろうと足掻いてはいけない。問題を大きくするだけだ。人間は、なぜ、それでベストなのかを理解するだけでいい。それで人生は一変する。 現象は変わらないけどね。起きるものは起きるし、起きないものは起きない。善も悪も含めて、それでいいのである。 自分が快適にやっているかどうか。つらいのと快適なのとどっちがいいのかといえば、それはもういうまでもない。関係のないことに、いちいち苛立つのはやめて、自分を充実させることです。
おおみち礼治
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