Mother (介護日記)
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2003年12月05日(金) 喪中

今年初めて喪中はがきを書いた。
30年前の父の時のことは覚えていない。



去年は、突然の退職で迷惑や心配を掛けたお詫び的な意味もあって、
元の支店のみんなに年賀状を出したけれど、
喪中となると『親しい人』に限定されるようなので、誰に出せば良いのか随分と迷った。

元の支店を退職してから1年8ヶ月が経ち、異動も著しく、
今回の私の職場復帰は別の支店であることからお付き合いも薄くなり、
枚数はかなり減らした。

喪中はがきについてネットでは『職場の人には出さない』と書いてあるものもあったので、
それほどこだわらなくても良いのかも知れないが・・・

お付き合いを始めたばかりの人に、
最初に出すのが『喪中はがき』というのも気が引ける。

結局、友人を中心に120枚ほど投函した。




私が出した喪中はがきを受け取って初めて母の死を知った人が、電話をくれた。

遠く離れたところに住む高校の同級生の“うたこちゃん”からの着信記録が残っていた。
しかし夕方からはどこの家庭でも多忙になるため、話すとつい長くなる私はかけ直していない。

“おねえちゃん”というニックネームの中学時代の同級生とは、
お互いに実母の喪中とあって慰め合った。

一緒にフォークバンドを組んでいた高校の同級生の“カテュー”は、
数年前、私が彼のお母さんの葬儀に参列したことを気に掛けて線香代を送ってくれた。

私が現役時代に一緒に仕事をした“頑固なお父さん”は、ご丁寧にお悔やみ状をくださった。

町内だけどなかなか会えない元近所のお友達の“ともちゃん”からはメールが来た。
去年、ともちゃんの新築のおうちにお邪魔したのはまだ母がいる3月だった。



私は、これまで喪中はがきと言うものは「もらったら年賀状を出さない」程度にしか考えていなかった。
本来はこうして連絡するものだったのかと、この歳になってわかった。

これまでいただいたものが、祖父母の喪中が多かったからかも知れない。
私には『祖父母の死』に対して共感できる体験というものがなかったのだ。

歳を経て親を失う年齢となり、
母の死を経験してやっと、その気持ちがわかるようになった。
しかし、兄弟や配偶者や子供を亡くした友人の気持ちは計り知れない。


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