Mother (介護日記)
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2003年05月24日(土) |
納骨と四十九日の法要 |
行って来ます。
* * * * * *
ここ数日の天気予報では、今日の降水確率は20〜30%。 法要を墓前で行うことや脚の悪い高齢の叔母のことを考えると、お天気が心配だったが、 雨も降らず気温も比較的暖かだったので良かった。
義姉と何度か話をしていて、車で行くとは言え、母のお骨は抱いているものだと知った。 それなりに重さがあるが、なぁに、運転手のレフティー以外の3人で交代すれば。
え?3人・・・って。 私と絹江とば〜ちゃんと? ば〜ちゃんのお骨じゃん・・・(^_^;)
母が乗っていない車は、やっぱり何かが足りない。 段差の激しいワゴン車への乗り降りには補助が必要だった。
母が亡くなった後、いつだったか家族で買い物に出かけた時、 私は自分が降りてから無意識に後ろのドアを開けて踏み台を用意し、 絹江の脇の下を肩で抱いて降ろそうとしていた。 「ママ、私は大丈夫(^_^;)」と言われて気付き、自分でビックリしたのだった。
義兄夫婦と叔母と10時に霊園で合流。
義兄たちは少し早めに着いて、義姉のお父さんの墓所のお参りをし、 また、うちの墓所の花立が壊れているのを思い出して、新しいものを買っておいてくれた。
私たちはそろって霊園事務所に向かった。
その際、お骨を車に置いて行くのは母がひとりになってかわいそうだからと義姉が言い、 絹江が持って行くことにした。 お骨になってしまった母は、だけどまだ、物ではないのだと教わった瞬間だった。 なんのかんの言っても、結局言われなくちゃわからない。 私の気持ちなんてこの程度なのか、と落ち込んだ。
納骨の手続きは簡単に終了。
墓所の権利譲渡は、書類不備でできなかった。 必要書類は電話で確認したのだが、 墓所の相続人が義理の息子であることまでは言わなかったので、 二人のつながりを示すものが足りないとのことだった。 さらには法定相続人である私の、承諾書と戸籍抄本と印鑑証明と実印が必要とのこと。
それならば “一旦、実の娘である私が相続してから、改めて義兄に名義変更をしてはどうか”と考えて 聞いてみたところ、死亡というやむを得ない事情ではないため、 提出書類もまた別であり、手数料が4万円もかかるのだと言う。 死亡による相続では8千円なので、やはり、一度で済ませたほうが良さそうだ。 相続は思った以上に面倒くさい(-_-;)
墓石彫刻の申し込み手続きは終了。 俗名と歿年月日と満年齢で19文字。それに墓石運搬料で35000円なり。 先日の電話では、墓石運搬料なんて聞いてなかったけど。
墓石の損傷がひどいので、この際、新しい石にしてはどうかと勧められたが、 それだってアナタ、20万円だの30万円だの・・・(-_-;)
墓石の傷みは、 酒飲みだった父が生前に『オレが死んだら墓に酒をかけてくれ』 と言っていたので 半年に一度の墓参の度に一升瓶だのワンカップだのを持参して、たんまりかけてあげて、 そんなことをもう30年もやってきたのだから、それが原因だと充分に承知している。
霊園のおたよりには、 いつからか『お酒をかけるのは墓石が傷むので辞めてください』 と注意書きが入るようになったが、 こればかりは遺言なのだから、傷もうがどうしようが私たちは構わない、と。
今回は、私はすっかり母のことに気を取られていて、父のことを忘れていたが、 そこはしっかり者のお嫁さん、義姉がワンカップを用意してくれてあって、 それを義兄が、墓石をわずかにはずして、そのまわりの土にかけて来た。
お昼は、予約してあった貸切の6畳の和室で会席弁当を食べた。 お刺身や煮物などが重箱に丁寧に詰めてあって、美味しかった。
今日の昼食風景の写真を追加しました。
帰りには叔母を家まで送ってから、ドラッグストアに寄ったのだけど、 店に一歩入ったところで絹江が、 「私、ファイブミニのゼリーを飲んでみたい♪」 と言ったので、 「いいよ〜買えば」 と言いながら、私も自分用にアセロラゼリーを手に取り、 続いて棚に目をやり、無意識のうちに“ば〜ちゃんには・・・” と選んでいた。 ハッとして、絹江と目を合わせて苦笑いをした。
帰宅後、めずらしく早い時間にお風呂に入っていたら、その間に、 ゆきっちからお花のアレジメントが届いた。ヾ(≧∇≦)ノ~~ 白とピンクのカーネーションとオフホワイトのトルコ桔梗にブルーが加わって、 私の好きな清楚な感じのバスケットだった。 さっそく仏前に飾った。ありがとう、ゆきっち。
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