Mother (介護日記)
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2003年04月24日(木) |
入院32日目 ( 余命宣告 ) |
最近の私は病院で泣いてばかりだ。
母の前で泣けないので、院内をウロウロしていることが多い。
それにしても、いつも死と向き合っているはずの病院で、 なぜ私だけが泣いているのだ? 階段の踊り場で、玄関ロビーで、病棟の廊下で・・・ なぜ私のように泣いている人がひとりもいないのだ? なぜ私だけがこんなに悲しいのだ?
車椅子の人、腕に包帯を巻いた人、マスクをした人・・・ それぞれの患者さんには、それぞれ背負っているものがあるはずだが、 みんなはそれほどに肝が据わっているのか?
大泣きをしたら目元が腫れて病室に戻れなくなるので、 いつも声を殺して息を止めて・・・
最上階にはタバコを吸いたい患者さんが集まっているが、屋上はいつも貸切である。
ここはかなりの広さがあって300度近い景観が楽しめる。 しかも、山の中腹にあり、街や海を見下ろせるとても良い場所だ。 ここを見つけた私は、非常に得をした気分で満足している。
かつて何度か、車椅子に乗せた母を連れ出してここへ来た。 そしてその様子をビデオや写真に撮っていた。
今は1人でここへ来て、やり場のない悲しみに大声で叫びたくなるのを必死に抑えている。
それにしても、この景色。 母にももう一度見せてあげたいが。
桜はいつの間にか散って緑の葉となり、 もうどこに桜の木があるのかは、他に紛れてわからなくなってしまった。
私は季節感もなくいつも同じニットを着ていて、 やけに暑いな、と思うと季節が動いている。 カレンダーが替わっている。
* * * * *
看護婦に呼ばれて談話室に行くと、担当医がレントゲンの画像を1枚持って立っていた。
ステロイドパルス療法が終わったところで、今後を考えるということになっていたが、 もうすでに木曜日じゃないか・・・ 私にとっては病院にいる間の1日1日がとても長いのだ。 毎日、母の“帰りたい”を無視して、後ろ髪引かれる思いで置いて帰って来るのだ。
「これは昨日のレントゲンですが、もうずいぶん肺が縮小していますので、 以前のように歩けるようになるというのは無理でしょう。 ・・・どうしますか?」
「このまま入院していたら、どのような治療をするのですか?」 と聞いたはずだったが、
「もう、1ヶ月持たんでしょう」 とはっきりとした余命宣告がされた。
これまでは、入院を続けた場合と自宅に帰った場合の余命について私は、
『6ヶ月が3ヶ月になるのでしょうか? 3ヶ月が1ヶ月になるのでしょうか? それとも1ヶ月が1週間になるのでしょうか?』 と質問してきた。
家に連れて帰ることで、どれだけ母の寿命を縮めることになるのか、 その割合が知りたかったのだ。
しかしそれについてこれまでは、 『自宅に連れて帰ったら1週間』 という答えしかもらっていなかった・・・と思う。
それが今日、『病院にいても1ヶ月持たないだろう』 との診断がされたのである。 このままでも、たったの1ヶ月・・・
「一時外泊とか、外出ということもできますが・・・ これからは、どんどん悪くなるばかりなので、 もし自宅に連れて帰ると言うのであれば、この1週間です。
連れて帰れば急速に悪化しますから・・・ 退院の前にもう一度パルスをすることもできます。 そうすれば、2,3日は持ちますが・・・」
『持ちます』 って、 『延長できます』 ってことだよね?
「1度返却してしまった介護ベッドの準備などがありますので、 1週間以内に日を決めてご連絡いたします」
ここで担当医のケータイが鳴ったために、会話は中断。 代わりに看護婦が続けた。
「お母さんが家に帰ることを望んでいるなら、 それを叶えてあげるのも親孝行なんじゃないですか? 帰りたいって言っていたのに、してあげられなかったって後悔すると思うし」
昨日、母を2年間診てきた主治医とも話したことも合わせて、 私たちにとってこれからの1週間はとても重要な意味を持つことになる。
母のかすれた声が言った。
「そんなに悲しい顔をしないで・・・」
もう、母の前で涙を隠すこともできない。
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