Mother (介護日記)
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2003年04月22日(火) |
入院30日目 ( 質問事項 ) |
今日はメロンを忘れずに持って行った。 どうかな、と思ったけど、小さくしてあげたらそのまま食べることができた。
夕食は、魚のステーキコーンソース=黄色、ほうれん草の炒め物=緑、ゆかり和え=無色透明。 ペーストじゃ、メニューを見なければ何を食べてるのかわからない。 フルーツ=透明な薄い緑色のゼリーだったがメロンだろうか? なぜか毎回この色。 3分の1程度、食べただろうか。
母が喜ぶことは何だろうと考えた結果、 古いアルバムの中から父とのツーショットを見つけた。 二人だけで映っている写真はもしかしてこれ1枚かも知れない。 結婚式も挙げなかったし、記念写真もない。
アルバムは四隅を三角のシールで固定してあるだけなので、 既にかなりの枚数が紛失してしまっている。 これを持ち出すのは良くないと思って、写真をデジカメで撮り直してプリントしてみた。 かなりいい感じに仕上がった。 ツーショットの他、母の二十歳頃の写真と、母が毛糸で編んで作ったお人形も追加した。
母はもう声も出ない状態なのである。 必要があって無理に話す時でも、かすれて途切れ途切れになる。
それでもこの写真を指さしては微笑み、頬を指しては自分だと示し、 親指と人差し指で丸を作って“キレイでしょ?”と言わんばかり・・・ そして空間に指で う・れ・し・い と書いて微笑むのだった。 「もう食べられない」 「おむつを交換して」 などを含めて、 自己流の手話で示すようになった。
今日は母を退院させることについて、担当医に聞きたいことを整理して書き出してみた。
◎ 終末期に向かってどのような症状がでると予想されるか? 疼痛・誤嚥・不眠・褥瘡・意識混濁・便秘・悪心・嘔吐・幻覚・吐血 など
◎ 自宅ですべきことは何か? またそれに伴い専門的な知識や技術が必要かどうか。 痰の吸引・摘便 など
◎ 死の直前まで意識はあるか?
◎ 今後の治療について 静注輸液・経管栄養 など
◎ 使用する薬とその目的について ・肉体的 ・・・ 鎮痛剤・水分補給・栄養補給 ・精神的
◎ 総合的に判断して自宅介護は可能か?
このメモを看護婦に預けて、 担当医に会えないならコメントを書いてもらえるようにと頼んで来た。
看護婦は、 本人が希望しているなら家に帰った方が後悔しなくて良いだろう、と言う。 ただ、「それを家族が受け入れられるかなのよね」 と付け加えた。
どれだけの期間になるのか、どういうことが起こりえるのかは、 おそらく担当医でも予測しきれないだろうから、 どんなことがあっても、私や家族がそれを乗り越える覚悟がないといけない。 私はネットで臨死患者について調べたが、 それでも何事も書いてある通りには行かないものだ。
昼間、義姉から電話があった時にも相談してみたが、 ガンだった父親を自宅で看取った義姉は、その負担の大きさを知っているので、 心配をしてくれているが・・・
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