Mother (介護日記)
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2003年04月20日(日) |
入院28日目 ( ビデオ撮影 ) |
母は私を見つけるなり、声を絞り出して言った。
「は・・・は・・・は・・・は・い・や・で・か・え・ろ」
ハイヤー(タクシー)で帰ろう、か。
「うん、それじゃ、先生に聞いてみるからね。 黙って帰るわけにはいかないからね。 今日は先生がいないから、明日聞いてみるね」
とても無理だとは知りながらも、こうして毎日懇願されると、家に連れて帰ることを考える。 たとえ、その影響で数日の命になったとしても、 母にとっては、『うちに帰る』 ことが今の一番の希望なのだから。 万が一、移動の負担によって途中で急変したとしても、 『帰る』 が実行された満足感は得られることだろう。 私の心の準備ができないので待ってくれ、と言うのではやはり申し訳ないような気がする。
今日は昨日よりは起きている時間も長かったし、音や気配に対する反応も良かった。
今日はビデオカメラを持ち込んだ。 3脚を忘れてしまったが、 ベッドテーブルの高さを調節してその上に置くとちょうど母の顔が映った。
母にはビデオとカメラの区別がつかないので、 ビデオに向かってにこやかに静止していることがある。
私は自己満足だと思いながらも、 昨日作って冷蔵庫に保管してあった抹茶の葛餅をビデオを回しながら食べさせた。
「私は幸せ。 死ぬまで幸せ。 ありゅちゃんがいるから幸せ。 最高。」
「早くおうちに帰りたい。 もう78(正確には79歳)まで生きたんだから、いつ死んだっていいんだぁ・・・」
母のいくつかの言葉に涙があふれたが、 私は母の死角にいたので母には見えないだろうと思っていた。
ところが、「ありゅちゃん、涙なんか、ダメよ」 と言われてビックリした。
「え? 涙? 出てる? あらホント」 などととぼけてみても、 母にはおそらく聞こえていないだろう。 花粉症のせいにして鼻をかんでみたりして、私なりにごまかしていたが、 母は何を思っただろう?
入院以来ずっとお風呂に入れない母は、 最近汗ばむ日もあったりして髪の毛がにおい出したが仕方がない。 毎日、梳かしてあげるたびにかなり抜けるのが気になる。
母は自分が動けなくなったことで、 やっとトイレを『寝たままで良い』 ということを理解するようになってきた。 今日は2回おむつを取り替えた。 母は「お世話を掛けて悪いね。 ごめんね」 と言った。
使えなくなったポータブルトイレは、私にとって非常に邪魔な存在なので、 看護婦に言って下げてもらうことにした。
パジャマを着替えた。 昨日は調子が悪かったので、ズボンしか取り替えることができなかったのだ。 ジャストサイズのパジャマはピンク地の小花柄で明るくかわいいのだが、 今の母には着替えが困難だ。 病院の中は暑いくらいなので、 今日はランニングのシャツは着ないで、パジャマ一枚にすることにした。 パイル地のマジックテープで、Lサイズだから身幅が広く楽に着ることができた。
ビデオを回しながらの夕飯。
運ばれてきたのは、重湯のほかに白と黒と、薄茶色に一部黄色のソース?のペースト。 今日は隣のお嫁さんが来なかったので、食事の介助を母と交互にした。 ご飯を置いて行くだけでベッドも上げてくれないのでは、痴呆患者は食事できない。
母は結局、二口づつしか食べられなかった。
食後に薬を飲ませようとしたが、 二つ目でむせてしまい、大きな錠剤がどうしても喉を通らない。 その旨、看護婦に報告して飲ませるのを諦めた。
昨日K先生が処方してくれた口内の荒れ止めの薬は『うがい薬』であったので、 誤って飲み込んでしまったら困るな、と思い、落ち着いてから看護婦にお願いすることにした。
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