Mother (介護日記)
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2003年04月18日(金) |
入院26日目 ( 添い寝 ) |
今日のように初夏を思わせる気持ちの良い昼間に読むと、 この日記はまるで他人事のようで、私は小説を読んでいるような気持ちになる。
毎晩の付き添いで現実を突きつけられても、 一晩寝てしまうとのどかな時間の経過の中でケロッと忘れてしまうのだ。
* * * * *
今日はプリンを作った・・・とは言ってもハウスのプリンだけど。
前に幼馴染のSちゃんが持って来てくれたかぼちゃのプリンを食べながら、 「おまえも作ってみ〜」 と言っていたのを思い出したから。 こんな時ぐらい、最初から全部自分で作ればいいのにね。
一緒に、抹茶の葛餅も作って(これも簡単にできる)冷蔵庫で冷やしておいた。 それなのに、出かける時に持って行くのを忘れてしまった。
タクシーで少し行ったところで気が付いたが、 「いいや、また明日で」 と取りに戻るのを辞めたのだが、 『もし今夜急変して食べさせることができなかったらどうしよう』 と不安にもなった。
大丈夫、きっと明日でも。
今日は病院の売店で「黒ゴマプリン」 を買った。 そこで担当医に会ったので、 「今日はどんな様子ですか?」 と聞いてみたのだが、 「あんまり変わりはない」 としか言わなかった。 ┐(  ̄〜 ̄)┌
今日も母は寝ていた。 補聴器をしていないので、周りの音に邪魔されずに眠れるのだろう。
ベッドの場所は変わっていなかった。
しばらくして目を開いた。 「ありゅちゃんがいると、安心する。 いつもありがとうね」 と言って笑った。
尿カテーテルははずされていた。 やっぱり母には無理なのか? 大きなおむつと尿取りパッドの併用をしていた。 母が立てなくなったので、これまでのパンツタイプのおむつでは、 看護婦も交換が大変なのだろう。 見ると“おむつ代、200円をお願いします” と言う貼り紙があった。 明日、そのタイプを買って来なくては・・・
「起こして。 横になっていると、すぐに寝ちゃうから。」 との希望でベッドを起こしたが、 吸い飲みのお茶を飲ませたところ、むせて噴出してしまった。
パジャマの襟の部分が濡れてしまったので、着替えさせようと思ったのだが、 むせたことですでに疲れてしまい、 そばにいた看護婦も 「もう少し落ち着いてからの方がいいかもね」 と言ったので やむなく、濡れた部分が肌に当たらないようにタオルを差し込んでおいた。
今はもう、座っていることも辛そうなので、ベッドを倒した。
少し落ち着いたのを見計らって、先ほど買った黒ゴマプリンを取り出した。
どうかなと思ったが一口差し出すと「美味しい」 と言って、半分ぐらいまで食べた。 「美味しい」 かぁ・・・ 久し振りに聞いたかも。
夕飯では・・・
入れ歯がやけに大きく感じるというのか、口に入れるのも大変な様子。 痩せたので歯肉も落ちてしまったらしく、すぐに外れてしまうらしい。
煮物のニンジンを口に入れてあげたが一向に噛めない。 仕方がないので入れ歯ははずしてしまった。
結局、おかゆを二口と、グレープフルーツだけしか食べられなかった。
看護婦に、「どのくらい食べられましたか?」 と聞かれたが、そんなわけなので、 明日から流動食にしてもらうことになった。
「トイレはどうですか?」 と聞かれた。 点滴を辞めてからお小水の量が非常に少ないのが気になっていた。
「最近は飲む量も減って来ているので、 先生も『これ以上減ったら点滴』 とも考えているようなんですけども、 点滴をあまり増やすのも体に負担がかかるので・・・
ステロイドパルス療法は今日が2日目なんですが、 点滴をしている時は落ち着いていていいんですけど、 ちょっと動くとすぐに苦しくなってしまって・・・パルスの効果があまり・・・」
もう、手の施しようがないというわけで。
点滴か注射なのか、母の手の甲には青アザができている。 パジャマの袖をめくると腕にもあった。 もう痛い思いはしなくていいんだけど・・・
パジャマを着替えさせようとしたのだが、これもまた大変だった。
ほとんどお人形状態なのである。 ベッドを立てただけで息切れが始まる。
私はベッドの上に乗りあがって奮闘していたが、パジャマの袖が通せなくて困った。 するとカーテンの向こうでお隣のお嫁さんが様子を察知して手伝いに来てくれた。 私は座った状態の母を支えているだけで汗をかいていた。
これからは今まで通り、Lサイズのパジャマの方が良いだろう。 身頃が広いので、袖が通しやすいと思う。
お隣さんは、「浴衣の方がいいですよ」 と言っていたが看護婦は、 「浴衣で前がはだけるとカテーテルを入れた時などには目に付くので はずしてしまいやすいからパジャマで良い」 と言った。 確かに、浴衣を着ている人は皆、前がはだけて胸も丸見え状態だ(^_^;)
母はすぐにウトウトと眠り始める。 私はアザになった青く細い手を握っていた。
私にできることが、とても限られて来た。 いつもの温泉も、どこかの街も、たくさんのアルバムも、美味しい食べ物も、 もう今の母のチカラにはなれない。
それなら、せめてスキンシップを。
幼少のうちに母親を亡くした母は、きっと甘えられる胸が欲しかったに違いない。 今は私が母親となってベッドに添い寝をし、髪をなで、頬にキスをしてあげるのだ。
私は母のベッドにもぐりこみ、添い寝をしていた。 検温に来た看護婦も、それをとがめることはなかった。
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