Mother (介護日記)
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2003年04月17日(木) 入院25日目 ( 薬も飲めない )

今日はアイスクリームとゼリー系のデザートを買って行った。



病棟に上がる前に、内科に寄った。

既に外来は診療を終えてガランとしており、薬屋の営業マンが数人座っているだけだった。
処置室で婦長と看護婦が話しをしていたので話し掛けた。

「K先生(主治医) はいらっしゃいますか?」

「あぁ、もう帰っちゃった・・・3時でね。
 さっきもK先生に会いたいって人が来たんだけど、3時半にはもういなかった」

「そうですか・・・今日は木曜だから、お会いできるかな?って。
 母が、あの通りK先生の熱烈なファンなものですから・・・」

まったく勝手なお願いである。 会えなくても仕方ない。
今は担当外の患者に『病棟まで会いに来てくれ』 と言う方が無理な話だ。



昨日、危篤状態になった男性は今日も機材に囲まれていたが、
家族らしき人が誰も来ていないことが気になった。



母は、左目が充血していた。
いや、あれは充血を通り越して、血があふれかけているのだ。
鏡を見ていない母は、自分の目がそのようになっていることに気付いていない。
訴えないところをみると視界に影響はなく、痛みもないらしい。
看護婦に聞いたが、原因はわからないようだった。


また、今日は尿道カテーテルをつけていた。
とうとう動けなくなったのか・・・

「本人は理解していますか?
 前みたいにはずしてしまうことはないでしょうか?」 と聞くと、

「ううん、もうそこまでの元気はないみたい・・・
 それに今日、朝のお薬も飲めなかったし。 
 朝は夕方よりも数が多いのよ。
 それで先生に言って最低限の数だけにしてもらったんだけどね」

薬も飲めないって・・・

ステロイドパルス療法は始まったらしいが、そちらは点滴か・・・


せっかくの良いお天気なので、車椅子で屋上に連れて行きたかったが無理そうだ。

母は廊下側のベッドで、
この病室に無造作に置かれたいくつかの機材と、廊下を通る人だけしか見ることができない。
動けないのであれば、せめて外の景色を見ることができれば・・・

幸い、今日は窓側のベッドが空いていたので、看護婦に聞いてみた。

「ベッドを窓側に変えて欲しいのですが。
 できれば、補聴器を左に付けているので、私が母の左側に座りたいのですが」

無理なら無理でもいい。
希望を言ってみて、かなうならラッキーだ。

「明日でもいい?」

「別に急ぎません」



「そうそう、今日はK先生が来てくれたのよ、ねぇ、○○さん」

え? 来てくれたんだ、うれしい♪ さすがはK先生。 感謝、感謝。
そういう心遣いがうれしいんだよ〜 
母の喜んだ顔が見たかったなぁ。
今日はどんなリアクションをしたのだろう?
いつもの愛の告白、したのかな?

それに比べて担当医のN先生は・・・ 毎日様子を見てくれているのだろうか?
スキンシップを大切にする母の手を握って励ましの言葉を掛けてくれているのだろうか?



お隣の患者さんには申し訳ないと思いながらも、
私は買って来たアイスクリームとデザートを出した。

母はもう、どんな食べ物に対しても興味を持たないようだった。

「あまり食べられない・・・」 と言ったが、スプーンで口元まで運んだ。

今日はとても気温が上がって、病室は西日が入って暑かった。
母は額にじんわりと汗をかいているぐらいだったので、
アイスクリームを食べるには最適な日だった。

ゼリーと交互に、二口、三口を食べた。



学校帰りの絹江が、お友達のMちゃんと一緒にやって来た。
長い坂道を上ってきたため、暑い、暑いと言って、上着を脱ぎ捨てて大騒ぎをしている。
そこで、Mちゃんを含めて3人での写真をパチリ。
電車の時間の都合で、わずか7,8分で帰って行った。



汗ばんだパジャマを脱がせて蒸しタオルで拭き、
乾いたタオルでぬぐってから、新しいパジャマに着替えさせた。

少し前、シャンプーをしても良いかと看護婦に打診したが、
それも、答えをもらう前に無理な状況になって来た。
ドライシャンプーと言う手もあるが、今の母には何をしても負担になりそうだ。



夕飯は杏仁豆腐、ジャガイモと人参の煮物、おかゆを少しづつ食べただけ。

食後の薬について看護婦から
「飲めなかったら飲まなくてもいいそうです、朝だけで」 と言われたが、
朝の薬も減らしていると聞いていたので気になり、何とか飲ませた。



母はまだ尿カテーテルに慣れず、理解できず、
「ありゅちゃん、トイレ」 と、私に介助を頼んできたが、
「これがあるから大丈夫だよ」 とその度に説明した。



ベッドの隅には杖が置いてあったが、リハビリに使うつもりだったのだろうか?



それにしても『自宅に連れて帰りたい』 とは言ったものの、
こんな状態の母を、果たして私が看れるのだろうか、と心配になって来た。

私は、母を連れて帰ったら、車椅子で外に連れ出して散歩させようと考えていたが、
今日の様子を見たら、とてもそんなことはできそうにない。
もうこれからは寝たきりになるだろう。

いや、それでも、家族と一緒にいられるだけで安心するだろうな。



昨日も今日もネットを回っていて終末医療について考えていた。
栄養剤の打ち切りは尊厳死なのか? それとも殺人行為なのか?
どこからが延命治療なのか、定義がはっきりしない。
安楽死や尊厳死と認められるには、4つの基準を満たす必要がある。 しかし。

『耐え難い肉体的苦痛』 とは、どの程度を言うのか。
『死期が迫っている』 とは、余命どのくらいをさすのか。
『ほかに苦痛の除去や緩和の方法がない』 とは、どこまでやれば良いのか。
そして 『患者の意思表示』。

『尊厳死協会』 なる団体があるが、なぜにそんなに会費がかかるのか?
年会費、夫婦で4千円。 終身会員の登録には夫婦で15万円だとか。
要は、本人の意志を書面に残しておけば良い訳で。



母はベッドに横たわっているだけで息切れをしていて、その苦しさと不安に、
「もう死んでもいいよね?」 と聞いてきた。

泣くわけにもいかない。

「絹江がおうちで待ってるからね。 ご飯をしっかり食べて、早く治そう」

そう言うのが精一杯だった。



今日はいつものパイプ椅子には座らずにベッドの淵に腰掛けて、
すっかり痩せて細くなった母の脚をさすっていた。


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