Mother (介護日記)
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2003年04月02日(水) |
入院10日目 ( 病室の他の患者さん ) |
今日も担当医には会えなかった。 MRIの結果はどうだったんだろうか・・・
母は今日も落ち着いていた。 病院での生活に慣れてきたということか。
今日は同じ病室に新しい患者さんが入っていた。
ナースステーションのすぐ隣のこの病室は、元々は6人部屋らしいが、 2人分のスペースには機材等が置かれているので実際のベッドは4つである。
母の隣の人はほとんど白髪で、80後半だろうか・・・ 上品な言葉遣いからすると、それなりのお育ちなのだろう。 病院にいて、歩くこともできず、楽しみは食事だけだと言うのだが、 塩分制限を受けているので、大好きな梅干も許可されているのは1日1個だけで おせんべいもダメ。 食事には塩・しょうゆの味付けができないので「何も味がしない」と寂しそうだ。
その向こうの窓際に、新しい患者さん。 しかし、カーテンで仕切られているので年齢もわからない。 ライフスコープのアラームが常にピンポンピンポンと鳴っていてうるさく感じた。 きっと母がライフスコープをつないでいた時には、 母が動くたびにアラームが鳴っていたので他の患者さんはうるさかったことだろう。 看護婦や医師が何度か出入りして話しをしている声を聞く限りは、5〜60代か?
その向かいには、銀行のお客さんのお母さん、体の大きな推定70台。 東北っぽいなまりがあり、言葉も少なく単語なので、聞き取りが難しい。 「骨折を放置していたのが原因で歩くと痛むので、もう3〜5年歩いていない」と 息子(おそらく50代)が看護婦に説明していた。 毎日の夕飯時、上体を起こしているのも大変そうで片側にもたれかかり、食事も進まない。 看護婦が食べさせてくれるわけでもなく、寝たいのにベッドは立てられたままで・・・ 食事の介助をすべきか、ベッドを倒してあげるべきか・・・ しかし、私はこの数日間、迷いながらも何もせずにいた。
でも、今日は食べるのを手伝うことにした。 先日、息子さんが帰ったすぐ後で食事を運んできた人が、 「あら、帰っちゃったの? これから食事だって言うのに・・・」と 漏らしていたのを聞いたのも引っかかっていた。 いつもちょっとだけしか食べていなかったが、 食べるのが大変なので、疲れて辞めちゃっているんじゃないかとも思えた。
まず、スプーンを取るのでさえ、置かれた食器の向こう側にあって、 手前の食器を倒しかねない状況にあった。 食事を運ぶ人は、せめてスプーンぐらい、手渡してあげれば良いのにと思った。
見ると重湯に、豆腐のあんかけ、ホットミルクに、オレンジゼリーだった。 野菜は、なかった。 噛むものがなかった。
スプーンで、豆腐を少しづつすくってあげたが、あの淵の浅い食器では、 最初は良いが、その後、片手ですくうのは困難だと思った。 こういう場合私たちは、左手で食器を持って傾けている。
重湯にしても、スプーンですくって口まで運ぶにはベッドテーブルが遠い。 やはり、両手が使えなくては食事は無理だ。
スープ用のカップに入ったホットミルクにしても1人では飲めそうにない。
私が食事の手伝いをしているところに看護婦が来て交代したが、 結局は1分もしないうちに放置されてしまい、私が再び介助した。
お豆腐全部と、重湯を5口くらいと、ゼリーを全部。 ホットミルクは「いらない、まずい」と言った。
それにしても、私がそういう状況になった時、 食べたいのに人の手を借りないと食べられない・・・となると、 「食べさせてくれ〜」とも言いにくく、結局は諦めてしまいそうだ。 なんだか切なかった。 病院側も『完全看護』と言うのなら、動けない人にはちゃんと食べさせて欲しい。 人手が足りないのなら、食事介助要員を募るとか、家族に来てくれと言うとか。
前の入院の時にもそうだったな・・・ 忙しいし、何十人も抱えているって言うのはわかるんだけど、 一口食べさせると他に行ってしまう。 もしくは急かす。 あるいは、キレる・・・
1日3時間程度、母の付き添いをしていると、いろいろ見えてきます・・・
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