Mother (介護日記)
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2003年02月08日(土) 放置。

今日はレフティーが仕事行く前に声を掛けてくれたのは覚えてるが、
学校が休みなのをいい事に、そのまま寝てしまった。

目覚めたのはお昼近かったが、
不快な音によって目覚めた時は、当然ながら機嫌が悪い。

母はトイレに入って咳き込み、
吐き気のようなうなり声をあげながら、時折、唾を吐いている。

夜中だろうが早朝だろうが関係なく、
動くたび、または何もすることがない時に、こうした症状が出る。

寝ている時、遠く夢の中からセキが聞こえてきて、
長く続くうちに次第に意識がハッキリしてきて、
「あぁ、また始まった」 と思う。

トイレは、私たちが寝ている部屋の正面にあり、
圧迫骨折をして動けなくなった時、介助することを考えてドアをはずし、
その後はカーテンをかけている。
音は容赦なく、この部屋に飛び込んでくる。

動作が鈍いのは仕方がないので、しばらくはこちらも我慢しているが
次第に「早くトイレから出てベッドに戻れよ」 と思ってイライラしてくる。

それでも構わずに延々とうなっているので、
「酸素のチューブ、はずしているんだろ?」 と起き上がって見に行くと、
案の定、首飾りのように、チューブを頭にかぶってしまっていた。

「鼻!」
「鼻?」
「鼻!」
「鼻?」
「鼻!」
「鼻? なんだかわからない・・・ あぁ、これをこうやるの?」




以前、酸素屋さんに
「母は、チューブのことをすぐに忘れちゃうんですけど」 と言ったら、
「慣れてくれば、
 チューブをはずすと苦しいってことがわかってくるので大丈夫ですよ」と言っていたが
母は一向に覚えることができない。

面倒なので、注意書きを書いてベッドに貼ったが、
それでも、「ありゅちゃん、これ、何だかわかんない・・・」 と聞いてくる。
落ち着いているときの母は、
発作を起こして苦しい思いをしていたことなどすっかり忘れているのだ。
それは、病気に対する恐怖から逃れることができて幸せなことなのかも知れないが。



トイレから出た母は、いつのまにかまた寝てしまっている。
それを見るだけでも腹が立ってくる。

着替えるように言うと、ズボンは履いていたが、肌着シャツの上にガウンを羽織っていた。
目の前に服がないと、どれを着るのかわからなくなっているようだった。

その後、また布団に入ってしまっていた。
迎えに行ったものの、もう面倒になってしまったので放っておいた。

おなかは空いていないのだろうか?
空いた時には、空いたと言うのだから、別にいいんだろ。放置。

私が食事の仕度をする様子をチラチラと見てはいるものの、
こちらに来ようともしないので、私のイライラは一層募って行った。

こういう時は、
優しく介護をしている自分と、悪魔のような自分とが向き合って苦しい。

それでも、起こして居間に連れて来る気にはなれなかった。
せっかく静かになっているのに、また咳き込みとうなり声を聞かなくてはならない。

4時過ぎ、絹江がおなかが空いたと言うのでホットケーキを焼くことにした。
母はまだ寝ていたが、起こして食べさせることにした。


 * * * * *


その後も、今日は延々と声を上げているので、キレそうになった。

夜に入って、
「ありゅちゃん、お漏らししたわけじゃないのに、ズボンが濡れてる」と言って私を呼んだ。
おむつは濡れていない。ズボンとズロースのおしり部分が濡れていた。
おそらくは、先ほどトイレに入った際、ズボンを履いたまま便座に座り、
ウォシュレットの操作盤に手をついたためにスイッチが入ったものと思われる。



最近、介護に関する事件をいろいろ聞くが、
私がもし、ひとりだったら、乗り越えるのは難しかしいかも知れない。
家族の協力と、お友達と介護保険に支えられてなんとかやっているが。

日記に書いていることは、その日によってバラバラだし、
自分の試行錯誤、紆余曲折の有様がよくわかるのだが・・・



今日は本当に、デイサービスを利用したかった。
“お願いだから誰かしばらく預かって”と思った。


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