Mother (介護日記)
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2003年01月24日(金) 受け入れるということ

最近の我が家はとてもいい感じだと思う。

老人介護の模範的家族かも知れない(^^ゞ



家族の誰もが、母の機能低下を受け入れて優しくなってきたと思う。

今まで母ができていなかったことができなくなると、
「どうしてちゃんとできないの?」
「どうして自分からやろうとしないの?」 と責めてばかりいた。

だけど、いくら言ってもできないものはできない。
できない項目が次第に増えてくる。
私たちが先回りして準備するか、手を貸してやらせるかしかないのだ。



みんなで寄って集ってガミガミ言うことはない。
大抵は誰か1人がキレているのを、他の2人が何気なく聴いていることが多い。

しかし、そのことが「人の振り見て私が振り直せ」につながる。

レフティーにしても、私や絹江が激しくキレているのを見て
“ オレが倒れたら、あんな風に言われるのか ” と恐れ、

絹江にしても、
“ ママ(パパ)、将来、アタシにそんな風に言われたらどう思うの? ”と言い、

私も私で、
“ レフティーったら、なにもそんな言い方しなくたって ” と思い、
“ 絹江、おばあちゃんに対して、その口の利き方は何? ” と叱る。


介護の中で疲れたりイライラしたりがあって、母に優しくできないこともあるが
家族のみんなが同じ体験をしているからこそ、お互いの気持ちもわかり、
『こういうことはいけない。 だからこうした方が良い。』という解決策を
生んでいくのだと思う。



最近は、食事を毎回共にし、その後、テレビを見たり話したり。

母は相変わらず毎日幸せだと言い、
薬ひとつ、お箸一膳渡しても「ありがとう」と必ず頭を下げる。
何かを頼む時には「よろしく〜」と言う。

手をつなげば、子供のように喜びギュッと握り返し、
レフティーがおんぶすると照れながら「レフティーさん、優しいのね〜」と言う。


注意されても、
「あら、ホント? やだぁ、私、ボケちゃってるのかしら? あはは〜♪
 みんな片っ端から忘れちゃって。悪かったわね〜 ごめんね〜」と笑って
小首を傾げる母に、それ以上、何が言えるだろうか・・・

「歳をとってボケても、こんなふうに明るく過ごせたらいいね」とは、
最近のレフティーとの会話である。


そう言えば少し前までは、レフティーが帰宅すると私は、
まずはその日1日、どれだけ母の世話が大変であったかを報告していた。

近頃はレフティーも、
「今日は調子いいみたいだね」とか、「こういうことができるっていいよね」と、
自主的に母の様子をチェックするようになり、
残った機能についてありがたく思うことができるようになってきた。

 “ 失われた機能を嘆いたり否定しても何も始まらない ”

このことは、きっと、どの分野にも共通することだと思う。


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