Mother (介護日記)
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昨夜、U氏の通夜に行くことになり、私はY氏夫婦の車に乗せてもらうことになった。
出かける直前になって黒のストッキングの爪先に穴が開き、 アッと言う間に伝線してしまった。 白い足の指が目立つ。 途中のコンビニに寄ってもらい、走行中のワゴン車の最後部座席で履き替える(^_^;)
駐車場に車を止めて歩き出してから、 先ほど買ったばかりの香典袋に、まだ名前を書いていなかったのを思い出し、 車のライトを頼りにあわてて記入していたらY氏に叱られた(T_T)
読経の流れる中、ホールには多くの人が集まっていた。 仕事関係と思われる人、町内の人、お兄さんの友達、そしてU氏の友達。
いつもの飲み仲間とこうして会うなんて・・・
読経の流れる中、コートを脱いで受付をし焼香に進む。
写真立てのお父さんは、私が知ってるままのお父さんだった。 笑顔が切ない。 焼香台の近くにお兄さんがいたので挨拶をした。 お兄さんは同じ高校の二つ上で、通学路で見かけると、 いつも、ねじったタオルを頭に巻いてゴム草履を履いている人だった(^_^;)
後で聞くと、U氏は親族とともに、祭壇前の椅子に座っていたらしい。
読経が終わって出てきたU氏が、私たちのところに歩み寄って来たと思ったら、 ほんの数秒だけ、下を向いた。 同級生の顔を見て緊張が解けたのか・・・
「遠くからありがとね」
いや、車で20分程度だし・・・ さすがに今は、いつもの毒舌で返す場面ではなかった。 私は、黙って頭を下げただけだった。
お父さんは10年ほど前からアルツハイマーが始まり、このところは寝たきりであり、 U氏も“こんな状態ならいつ死んでも仕方ないや”と思うこともあったようだが、 いざ死んでしまったら、そう簡単に割り切れるものではない。 彼自身、感情のギャップに戸惑っていた。
親を失くした誰もが「どんな状態でも良いから生きていて欲しかった」と口を揃える。
U氏は現実を受け止め悲しみに暮れる暇もなく、 葬儀の準備に追われて寝る時間もないとのことであった。
「やはり、ある程度の準備は必要だよ」
お母さんは、気丈にもいつもの明るさを保っていた。
「いつまでもキレイでいてくださいね」
「わざわざありがとうね」
「モツ煮が食べたかったな」
「また来てね」
「それじゃ、梅酒をたっぷり造っておいてね」
「去年漬けたのがあるから」
「色もキレイに出たころですかね」
ちっとも、なぐさめになっていない会話になってしまった。 私はこんなにおしゃべりなのに、どうして気の利くことが言えないのだろう。
弔問客も減り、友達6人が最後まで残った。 料理をつまみ、お酒を少し飲み、 会話の内容も次第に砕けて、毒舌の飛ばし合いもできるようにもなったが、 昼間はとても暖かいのに、やはり夜は空気が冷たい。
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