2004年02月18日(水) |
天才の通信簿(2)「ダーウィン」 |
2月7日に天才の通信簿と題して、アインシュタイン・ワグナー(ドイツの作曲家)・チャーチル・ヘッセ(ドイツの詩人、小説家)・ダーウィン・ガンジー・ドストエフスキー(ロシアの作家)など歴史にその名を残す天才達の若い時代の概要を引用した。専門学校の美術の先生から、天才の通信簿を続けてくれないかとの要望を受ける。今回は2月7日に書いたが、ダーウィンのことを追加したい。 「進化論のチャールズ・ダーウィンは、外国語を習得することが出来なかった。学校を卒業したとき、彼はただの凡庸な生徒だと思われていた。ダーウィンは、彼の息子のフランシスが編集した自伝の中で『私はすべての教師と私の父親からまるで平凡な、むしろ知的には劣っている子供と思われていた』と告白している。ケンブリッジ大学での生活は退屈で、数学の成績は悪かった。彼の情熱的な収集癖が慰めになってくれた。それがあの有名なビーグル号での旅に出る動機をもたらし、進化論を最初に系統だてるところとなった」(学習研究社、テンプル・グランディン署、自閉症の才能開発から) それは1835年のことだ。イギリスの軍艦ビーグル号は、一人の青年を乗せていた。26歳のチャールズ・ダーウィンである。彼は後に種の起源・生物進化論を展開し、生物学だけでなく思想界にも大きな波紋を投げたのである。 ・ダーウィンの 夢を乗せつつ 世界旅 歴史に残る 帆船ビーグル
|