2003年12月17日(水) |
映画 ラスト・サムライ(2) |
武士道は新渡戸稲造(1862‐1933)が英文で書いたものが有名だ。1984年発行の「武士道」ではその淵源・特質、民衆への感化を考察し、武士道がいかにして日本の精神的土壌に開花結実したかを説き明かしている。 武士道は特別な存在でなく、多少薄められたとはいえ日本の精神文化に一つになって、今日も生きているように思う。武士道の支柱は「義」である。現代の言葉で言えば、正義、忠義、恩義、信義、道義などの意味を含む概念である。義とは、「人間が踏み行うべき正道、人間と人間社会が成り立っていくうえで欠かすことの出来ない秩序感覚の基であることが理解できます」(潮出版社「旭日の世紀を求めて)から引用」とある。 義とは、武士道を知っているかどうかに関係なく、上記の通り社会が成り立つ秩序感覚の根幹なのである。イラクにはこの「義」という秩序感覚がないに等しいので、これから展開されるのは、勢力対勢力の殺し合いが延々と続くのである。 現役のころ多くの企業倒産を見て来た。振り返ってみるとバラバラと崩壊していく企業は、「義」に代表される秩序感覚が弱い集合体であったように思う。日本はサムライがいなくなっても、武士道の「義」の精神は静かに流れていると思う。その一例をあげれば、日本の指導者の多くが、吉川英治の「三国志」を読んでいる。この小説全編に「義」の精神が波打っている。
・サムライが 残せし文化は 少なくも 今も息づく 義の精神
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