あらすじ:ある日、正夫の部屋の壁には<ジリリリリリリ>という文字が現れた。それは、目覚し時計のベル音が擬音化されたものらしい。すると今度は<私たち>という存在の声が彼の頭上から聞こえてきた。やがて文字もその声も消え、彼はそれらの出来事を幻だと決め付けるのだが・・・・・・・
「出現」 ある日、正夫は起きると、部屋の西側の白い壁に、<ジリリリリリリリ>というまさに原色の黒であると言えそうな色の文字があるのを目にした。それらの文字は、一文字がおよそ10センチ四方ほどの大きさであった。正夫は、もし壁の色がベージュ色であったら、いまよりもその黒い文字は目立たなかっただろうと何故か思った。彼は「誰かのいたずらだろうか」と推測したが、家人にそのようなことをしそうな人間がいないことを考えると、その不可解な壁の文字にじんわりと薄気味の悪さを覚えた。
その文字にいくらかの衝撃を覚えたものの、それはまだ自分の頭がぼうっとしているからだろうと思った正夫はコーヒーを飲みに、誰もいないキッチンに向かい、インスタントのコーヒーを適当に用意して飲んだ。
多少コーヒーの効き目を感じたが、正夫は頻繁にコーヒーを飲むので、劇的なほどの効果を感じることはない。「あの文字はまだあの壁にあるのだろうか」と思いながら実際に壁を見ると、やはりそれは、彼の目には依然として存在しているらしく見えた。
そう言えば<ジリリリリリリ>というのは、今朝目覚まし時計が機能しなかったことからも、それのベル音が擬音化されたものであることが正夫には想像できた。やはり家人の仕業だろうか?と思い始めた時、その<ジリリリリリリ>という文字が次第に薄くなっていき、ついにはそれらは消えてしまった。まるでファンタジーの世界で起こるようなことだと正夫は思った。
しばらく先ほどまで<ジリリリリリリ>とあった壁をぼーっと眺めていた正夫は、次に同じ壁に、<ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ>と突然現れたのに腰を抜かした。<ジリリリリリリ>よりも一回り大きな文字のように政夫は感じた。その際、彼は悲鳴などはあげなかったし、鼻水なども垂らすことなかったが、その分精神的なダメージを大きく受けた。
その次に、どこからともなく、強いて言えば頭の真上の方から、透き通るような幻想的な声で『ああ、私たちっていっつもいっつも秩序正しく整列させられて堅苦しいったりゃありゃしない』というため息のようなものが政夫には聞こえてきた。その声はこう続けた。『あいつらって何様のつもりかしら。私たちを必死でかき集めて並べて。そのくせ何の脈略もなくばらばらの文字を並びたてるのかしら。不可解なことこの上ないわ。どうせ並ばせられるならこういう風にやればいいのよ』。こういう風というのは<ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ>のことだろうかと正夫は思った。『本当に同じ種類の私たちが並ぶのは気持ちがいいことね。あいつらは例えば<ぴルシタイ化ック郎戸なんほろージ氏う羽yう←Bチョでれぇの画§※たIもド競るの位土か?>とか何とか違う文字を並べ立てるわけなのかしら。気持ちが悪いったりゃありゃしない。美的感覚ゼロね』
<あいつら>というのは、つまり人間のことだろうか?とぼんやり正夫は考えた。それにしても<私たち>というのは何なのか。やはり文字のことだろうか。はっきりと透き通るような幻想的な声が聞こえてくる以上、誰かが喋っているのだろう。たとえ<私たち>とやらが喋っていると意識していなくとも、誰かが喋っているように聞こえる音が聞こえてくるのは確かだ。ちなみに<ぴルシタイ化ック郎戸なんほろージ氏う羽yう←Bチョでれぇの画§※たIもド競るの位土か?>と<私たち>が喋っている時、正夫にはそれが何のことやらわからず、急に喋っている主の気が狂ったのかと思っていた。<私たち>からの視点では、例えば<正夫は部活を終えて家に帰ると、必ず物凄い勢いで近所で買ったヨーグルトを食べるようにしている>という言葉の並びと<ぴルシタイ化ック郎戸なんほろージ氏う羽yう←Bチョでれぇの画§※たIもド競るの位土か?>という言葉の並びは同じ様に感じるのだろう。それにしても<ぴルシタイ化ック郎戸なんほろージ氏う羽yう←Bチョでれぇの画§※たIもド競るの位土か?>というのは言葉の意味が通じないどころか種類や形がばらばら過ぎるのではないかと正夫は思った。
正夫は朝起きてからの一連の不可解な出来事を忘れようとした。それらの一切を、幻だと決め付けた。そうでないとこのことを人に話したって狂ったのだろうかという奇異の目で見られるだけだし、幻でなければ説明がつかないと考えたからだ。そんなことを彼が壁から目を逸らして考えているうちに、壁の<ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ>という文字らは姿を消した。その日、それ以降に壁に文字が現れたり声が頭上から聞こえてくるようなことはなかった。
次の日の朝、正夫はいつも通り、いつもの自分の部屋で目覚めた。と同時に反射的に例の白い壁を見た。何もそこにはなかった。
正夫がキッチンでコーヒーを飲もうとしていると、玄関から数人の、彼と同年代らしき男らが入ってきた。彼らは正夫に「よろしく」と言った。政夫は「はい」としか言えない気分になっていた。
数時間後、彼は知ることになった。今日からは自分の住む町には、自分と同じ年齢の、それも男しか住んでいないことを。休日である今日、正夫は、自分のうちにいる時も近所を散歩する時も自分を先頭に真南の方向へ向かって列をつくる同じ歳の男たちを鬱陶しく思った。一体どういう共通点が自分のうちに来た人間と自分にはあるのだろうと彼は思った。家から出てしばらくしてからも見かけられたが、いつもの散歩コースの途中にある公園では、正夫らの南北に真っ直ぐな線を成す集団と同じような集団が、あちらこちらで線在していた。お互い集団同士が見据えていたかと思うと、次第に公園の北東の隅から順に、集団同士が寄り添い合い、縦20人横20人の固まりがいくつも出来上がっていった。しばらくして、公園の四方のスピーカーからは、ラジオ体操の音楽とナレーションが聞こえてきた。
正夫は後日知ることになるのだが、正夫らは400人で1チームが形成され、1チームのメンバーが揃ってラジオ体操に参加すると、1日毎に、無作為に選ばれた班長の持つ専用カードにハンコ1つが押されることになった。それが一定の数だけ集まると、400人が1人に変身するという。正夫は日にちが経つに連れ、はやく400人が1人にならないかなと待ち遠しい気分であった。
―END―
ついしん ミスチルの「掌」の<一つにならなくていいよ>というフレーズと次のフレーズの隙間に、僕は<和樹>と心の中で念じる。 <いいよ>がどうしても<飯尾>と聞こえるからである。 さて、幾人が<飯尾和樹>を知っているのでしょうか?
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