「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2016年09月21日(水) アンテナの行方

少し前の話なのですが、10年後どんな生き方をしていたいかなーと思いながらなんとなくネットサーフィンをしていたら、韓国の若い御夫婦さんが、福島原発事故をきっかけに、これからの生き方について考え、それまで当たり前のように楽しんでいた都会ぐらしを止めて自然の中で自給自足の生活をするようになった、という記事にたどり着きました。大自然の中で自給自足の生活。カリフォルニアのやや都会で英語での学力を積み上げつつキャリアになるものを探している私の今の生活からは少し遠い距離にありますが、それでも、10年後20年後を考える時、このような情報は私の未来をさらに明るくする材料になります。10年後の人生を思い描いていた私のアンテナが行き着くところにたどり着いたような気持ちになりました。
やはり、<なりたい自分になるために>編んて花いつも貼っておくのがいいですね。

彼らの生活に興味をおもちでしたらリンク先をご覧ください^^

http://m.huffpost.com/jp/entry/11970186?ncid=engmodushpmg00000003


2016年09月15日(木) 今を生きる

今を生きる、という言葉がありますね。読んで字のごとく、過去でも未来でもなく、今を生きるのですよね。このことを考えるときに浮かぶのは、いろんなことは結果よりもその過程を楽しむことに意味があるな、という考え方なのです。

このような考えが浮かぶのは何故かと言いますと、結果を意識しすぎると先のことに目が行って、或いは意識が未来へばかり行ってしまい、本来、今することを忘れがちになると思うからです。もう一つ、結果を意識しすぎることの弊害は、結果にこだわる自分になる可能性があるということですね。何処かで、<適度に掴み適度に放す>をみなさんと語り合ったことがありますが、良いことでも過度に掴むと弊害になる可能性があるのです。

話を戻して、本来、<今することをする>ことが結果オーライの自分になる一つの方法だと思うのですが、その、今<すること>は何かというと、<今を楽しむこと>ではないかと思うのです。

このようなこと、実は、言ってみるのは簡単なのですよね。人生はいつもじぶんのおもうようにいくものではないのですから、<言うは易し行うは難し>という言葉は当たっていると思います。

そして、それでもなお、<今を楽しむこと>を意識していること。ここに大きな価値があるのだと私は思っています。<今を楽しむこと>こそ、<今を生きる自分>に繋がっているのではないでしょうか。つまり、<今日を楽しんだ自分>は<明日の自分へと続いている>からですね。


2016年08月25日(木) 呼吸は鏡

呼吸って不思議ですね。呼吸は人の心を映し出すと思います。びっくりした時 人は自分がそうしようと思うより早い勢いで呼吸を止めます。足取り早く歩く時、人は足取りに合わせるように浅くて早く息をします。しなければならないと思っていることが次から次へと頭のなかを駆け巡るとき、人は吐く息よりも吸う息のほうが深くて長いです。耳を済ませる時、人は息を止めて、その微かな音に聞き入ろうとします。呼吸は私達の動きに合わせているんですね。小さな針の穴に意図を通すときにも人は息を止めます。ムムム?呼吸についてなんとなくわかってきたことがありませんか? そうですね。呼吸は私達の意志でコントロール出来る機能だということが出来ますね。

ちなみに、呼吸は自律神経と深い関係がありますね。吸う息では体を活動的にし、吐く息ではリラックスさせるのです。
人は活動的になるといろいろなことが出来ますね。しかしそれは長く続けられません。身体には休息が必要だからです。人はリラックスすると、身も心もゆーったりして本当に居心地がいいですね。この最終地点は睡眠だと思いますが、人はなにか理由がない限り眠り続けることが出来ません。身体は活動することも必要だからです。ムムム。ここでもう一つわかってきたことがありませんか? そうなのです。体を活動的にする効果のある吸う息とリラックスさせる働きのある吐く息はどちら日に偏らないことが大切なのです。

しかし、なんだか嬉しくなってきました。なぜなら、呼吸をコントロールすることで身体の機能を司る自律神経をコントロールすることができる、つまり、健康な体を作ることが出来るとわかるからです。ちょっとご自身の動きを観察してみて、足早に歩いている自分を見つけたら、心の鏡を見ていると思っていいかもしれないのです。一度深呼吸をして、その呼吸の長さを続けるような気持ちで次の一歩を踏み出してみると新たな発見があるかもしれないと思いました。


2016年08月09日(火) 50代の始まりに

 50歳になりました。素直に気持ちを表現すると、自分が50年も生きてきたなんてとびっくりしています。何故かと言うと、50年は100年の半分で、私にとって100年という年月はとても長い期間だったからです。100年の半分生きてきた自分に感動すらしています。

思えば去年は1年間、折に触れて、これからの生き方について考えていました。中年期という言葉も見つけて、なるほどーと関心もしたのもその延長です。ちなみにいろいろなところで言われているように、中年期は (子が居れば) 子の自立と (両親が居れば) 両親の介護、体力の衰えと、叶わない夢や現実があることを実感する、怒涛のごとくいろいろなことが巻き起こる、思春期の次に大変な時期と言われている時期なのですよね。

確かにそのとおりだと思います。私の両親は見る度に小さくなっており、子ども達は声を聞く度に自分の世界を広げており、そして私は、今でも夢を持って生きているけれど、その夢はまだまだ遠いところにある。叶うめどがまだ立っていないのです。つまり、この時期私は、自分には限界があるということも我が身の体験を通して学んでいるのです。

この一般に言われる怒涛の時期を良い形で通過するためにはとかくプラス思考が望まれると、言われていますね。そうですよね。プラス思考はどんな場合にも役に立つアイデアなのです。

というようなことを昨年一年間考えつつ学びつつしながら向かえた50歳の私は現在アメリカにいます。

もう何度も思いましたが、どこに行ってもそうであるように、アメリカで暮らすのと外国に行くのとで随分異なるものです。これ又どこの国でも同じように、全てのものにはブラストマイナスが存在するので、よいところは見習って、自分になじまないところは適当にいなして、つまりプラスを見て生きていこうとやはり思うのです。

大切な事はいつも自分を見失わないことです。私のする事は、これからも、アメリカ社会に馴染んでまるでアメリカ人のように生きられるようになることではなく、日本人の自分に、誇示執着して生きることでもなく、水の流れに乗ってゆったりふんわり生きる自分を生き続けることなのです。50歳になってもまだまだ、というより、50年生きているからこそ改善するべきところは沢山あるのですから成長のしがいが有るというものです。50歳の自分も楽しくさせるためには、知らないことを知らないと言える、疑問に思うことを尋ねられる勇気を持ち続けることも見逃ません。

ということでまたまた、なりたい自分になれるように、今年の目標を決めたのでここにかいておこうと思います。

日本以外の国の料理がもっと作れるようになろう。
三日坊主を四日坊主まで伸ばそう。
真の自分と一番仲良くしよう。

こうして私のアラフィフライフが始まりました。


2016年07月22日(金) 発達段階

発達段階という言葉がありますね。発達課題とも言うと思います。人という生き物がどのように発達を繰り返していくか、昔々の精神科や心理療法家によって基準の1つとして定められたものだと思います。それが全てであるという見方は危険だと思いますが、例えば『インナーチャイルド 本当の貴方を取り戻す方法』に載せられているグラフで見る人生初期の発達の程度(P110〜)は私にとって興味深いです。 

例えば、三つ子の魂百までと言われるように、子ども達がどのタイミングでどのように彼らの発達段階を通過していくかは全て周囲の大人の手にかかっているという事実は既に多くの人が語っていることだけれど、その、幼少時に築いた、あるいは植え付けられた価値観はその後の長い人生でいつも何かを判断するときの基準になるということを意識するとき、必要な時期に健康に発達出来なかった部分については、機会を見つけて健康な状態へ持っていけるようにしたいと折に触れて思います。

自分にどの部分ができていて、どの部分が未発達のままなのかを知るためには、毎日自分の内側に意識を向けることが大切ですよね。私はその時間を毎日ほんの5分でも作ってあげられるような、自分へのやさしさを保つようにしています。

自分のことをそんなふうに言い切っていいものかな、という疑問が沸かないでもないですが、私は、自分達に対するやさしさはいつも私達の中にあると思っています。

人間は本来、自分を守れるように、自分を生かせるように生まれているんですよね。そう思うと、自分にやさしくあるのも自然なことだと思います。つまり、このやさしさをキープしていられるならば、少々未発達の自分もありのまま愛して、不足な部分を丁寧に満たしてあげる毎日を送れるのだと思っています。そうして、過去に健康に通過できなかったテーマも少しずつ、乗り越えていける。

このように捉えることが、昨日より又少し大人へ成長するための一つの方法かな。


2016年07月07日(木) 国際交流

人が国際交流をする上で弊害になることがいくつかありますね。まずは、言語。ちなみに、言語の中には、言葉を使った方法と身振り手振りや顔の表情などで行える方法がありますね。言葉を使った方法は自分の言葉が耳に入ってきますし、言葉というのは伝えた分だけ伝わるんだという事を思えば、自分が交流を持ちたい国の言葉を学べば意外とスムーズにいきそうです。でも、非言語的、ジェスチャーや表情で行われるコミュニケーションは言葉を使うより誤解が生じやすいですね。その理由は、私達は見たものを私達の基準で判断するからでしょう。例えば、多くの欧米人は道で会う知らない人にも笑顔を送って、私はフレンドリーよ、とアピールします。しない人のほうが変な感じにさえなります。しかし多くのアジアの国では知らない人には笑いかけませんし、そんなことをしたらなにか怪しい人と思われることもあるでしょう。特に男の人が道端で女性や少女に笑いかけたりしたら、性的な目的でもあるのかしら、と思う人さえ居ると思います。

次に弊害になりそうなのはその国独自の文化や習慣でしょう。前に書いた、見知らぬ人に笑いかけるかどうか、ということも昔からある習慣の違いだと思いますが、更には、食事や挨拶の仕方、なにか断るときの方法、他者と自分との間にどのように距離を置くか、友達を持つ目的は。。。などなど言いだすときりがありませんね。例えば、インドでは指を使って食事をしますし、ベトナムでは今でも床に座って食事をします。アメリカではパーティーの時に、多くの人は立っています。どうやらその理由は、歩きまわってより多くの人と交流を持つためのようです。日本のように、招かれた部屋の座布団や椅子に座って、用事がない限りは動かないでいる、ということがないんです。招かれた家といえば、アメリカでは、ホストは初めての訪問者にはまず家の中全体を見せて歩きます。壁に飾っている家族写真や置いてある鉢植えの花の名前、ベッドルーム。ベッドルームに関しては、ちらりと見せてくれる人もいれば、部屋の中まで招かれてあれこれと説明してくれる人もいます。日本では、先ほど書きましたが、招かれた部屋から出ることなどトイレにいくとき意外にないのではないですか?私はもともと他の人の所有物にそんなに興味が無いのですが、それはもしかすると、小さいころ両親から「人のことをジロジロ見てはいけない」と言われていたからかもしれないとも思っています。訪問した先の家の中を見回すことが失礼な行動のような気がするのです。もう5年近く住んでしまったのでアメリカのいろいろな習慣にもだいぶ慣れてきたけれど、以前はアメリカの人の家に招かれ家の中をあちこち見て回っていることに<これはなにのためにしているのだろう〜〜?>と疑問を持ったものでした。このように、普段の何気ない行動は全て、全く役に立たないものから役立って仕方がないもの、それから、そこそこいいものも含めて私達の文化や習慣から来ているんですよね。その異文化を真っ向から否定したり恐ろしい何かだと感じないように広い視野で居ることが国際交流を楽しく進めていく方法の1つですね。

もっと長く書きたかったんだけど、今から出かけなくちゃいけません。ということでこの続きはまた後ほど!


2016年07月05日(火) 生きるために大切なこと

 この日記のタイトルについていつもより少し深く思いを巡らせました。タイトルは<生きていくのに大切なこと>です。本当に、<生きていくのに大切なこと>って何なのだろう。

身体、知識、知恵、雨風凌ぐ家とか何か、夜のために火の気がいるのではないかな。保温のために衣服も少し。それからそれから?この時代、ある程度便利な場所に住んでいたら全てを自給自足で暮らすことは難しいので、お金も多少要るでしょう。

と、一通りサバイバルのためのものが出尽くした後、胸のストンと落ちてきたのがあるんです。それは、素直な心の自分です。

人間とは不思議なもので、いろいろと欲を持って叶えることばかりを意識して生きていると、自分の外にばかり目が行って自分の内側に気持ちを向けることが出来ないではないでしょうか? あまりに欲深いと、一つの欲が叶ったらその次そしてその次と、まるで大きくて黒いドラム缶に思いつくものをひたすら押し込んで、気がつけば下の方は全く見えなくなっている、というような時間も労力も無駄にしてしまう生き方になってしまうこともあるかもしれません。そんな状況の中では、見えるものだけが大切に思えて見えないモノには目が行かなくなって、いつしかその存在すら忘れてしまうこともあるでしょうか。そして例えば、見えるものというのは身体の外側にある物理的なもの、見えないものというのは自分の内側と言ってもいいのかな。

もう一つ不思議なのは、こんな風にして自分の内側のことを思い巡らせているだけでやさしく穏やかな気持ちになってくることです。それから急に、自分の周りだけ時間がゆっくり流れているような気持ちになるんです。ここまで来たらハッピッピ。「(カレッジに通っているので)良い成績取りたいな−とか(ヨガインストラクターもしているので)もっとたくさんの人にレッスンに来てもらえたらなーとか、自分に少し無理をさせてしまう思考を発見し、そこからも開放されるんです。

そんなことを思ってつつうらうら、最後は、自分の心が見えるように、もっともっと身軽な生き方をしていこうという再びの思いに終わりました。必ずしもそうだと言い切ることは出来ないけれど、私の場合、周りにモノが少ないほど、自分の内側を見ることが出来ます。

みなさんはどうですか?あなたが、生きるために大切にしていることは何ですか?


2016年07月01日(金) いつも楽しいのが人間

 先日どこかで、<いつも楽しいのが人間>という一文を読み、非常に共感しました。そう。いつも楽しいのが人間なのです。私はこのことを、心の傷を癒やすようになってからのち徐々に実感するようになりました。その実感する時間の長さは、傷を癒やして楽になってきた自分に比例しています。

その文章を見た後、思い出した経験もありました。以前職場で夜勤をしていた時、一人の同僚に「一晩楽しく仕事しましょう」と言った時のこと。彼女は「楽しい仕事なんてどこにもありません!」と言って怒ってしまったんです。その同僚はいつもとても頑張って働いている人でした。

その後私はあることを思いました。それは、人は自分が苦しい時には楽しい物を見ても楽しいと感じられない、ということです。私のその他の経験を含めてそう思ったのです。(この部分はきっと、同じものを見てプラスに捉える人とネガティブに捉える人の違いにつながるのでしょう)そして、いつもプラスの視点を持っていたいという思いからますます、癒やしの作業を進んでするようになりました。実際に、楽しく生きる時間が増えていく自分を見ているのは楽しくて、そんな自分をもっともっと好きになりました。

追記。癒やしの作業について少し触れましたが、私の場合はそのような経過を辿ったということのみで、心の傷を癒やさなければいけないと説得しているのではありません。何というか、いつも楽しいのが人間、という捉え方って良いな、というお話でした。


2016年06月29日(水) <役割依存症>について語り合う日を設けました

本日は、毎月第一土曜日に開催している<心のファシリテイターとして育つ会>の7月号予告を書いておくことにしました。

日本時間2016年7月2日(土)午後12時より14時まで 
Skypeにて

今月の育つ会は <持たされた役割> について語り合ってみたいと思っています。

例えば。。
"あなたは子どもとして大事にされる技をどのようにして学んだでしょうか?”

家族の中の役割とは、
ヒーロー、スター、いい子、お母さん子、お父さん子、スケープゴート、被害者、問題児など、落第者や交通事故に頻繁に遭うケースさえも、役割の1つとして捉えられています。

これらは、子どもが育つ家庭/過程で家族の和を保つためにひたすら、無意識の中で続けられてきた役割です。

それぞれの役割を担うことで、自分は家族にとって大切な存在なのだと感じ、自分を落ち着かせてきたのです。

この延長は、<役割依存症>です。

本来の自分は意識の下の方へ押しやられ、役割として演じてきた自分をあたかも自分自身であるかのように感じ続け、演じ続けます。
無意識の世界へ押しやられて、自分を感じることがないばかりか、役割を持った自分が本来の自分であると錯覚してしまうことがあります。

役割依存症は自分と他者・家族との自分との間に共依存の関係を作り出します。

共依存:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E4%BE%9D%E5%AD%98



この "役割から抜け出す” ためには以下のようなことが出来ます。

1.どんな役割を持って生きていたか、又は生きているか確認する

2.その役割のおかげであなたや家族が過去に永久的な安定を得ることが出来たか、または現在も出来ているか確認する

3.その役割のために、あなたはどんな感情を抑圧しなければならなかったか、又は現在も抑圧しているか確認する

*これらのことを確認する段階で当時の感情に圧倒される場合があります。例えば。。。

”今更こんなことしても意味が無い” と否定的になったり "別にどうとも思わない” と、この確認に対して急に無関心になった場合などは、当時の感情に圧倒され巻き込まれていると捉えることが出来ます。

過去の感情への圧倒感を避けるために出来ることは、例えば。。。
現在持っている能力をしっかり意識して(注1)できるだけ静かな場所で、過去の自分(注2)とおとなの自分(注3)との間に明確な線を引いて、確認を行います。

注1)今のあなた/大人のあなたにできること/プラス面を意識し、そのことを心や自分の意識一杯に満たしておくことはとても大切なことだと思います。これをアメリカの精神学者ジョン・ブラッドショーは <能力のリスト> と呼んでいます。

注2)過去の自分とは、この場合、役割を演じ始めた子どもの頃の自分です。ジョン・ブラッドショーや多くの精神学者、セラピストは家族システムの中で役割を演じさせられたり、何らかの形で他者に傷つけられた子どもの頃の自分のことを<インナーチャイルド> と呼んでいます。

注3)おとなの自分とは、現在の自分、しかし、周囲や社会の状況にとらわれず、いつも自分を大切にして、自分の世話が自分でできる、自分にやさしい自分のことです。

などなど。。。。

このような題材に興味のある方が増えるといいなぁと思っています。

参考文献『インナーチャイルド 本当の貴方を取り戻す方法』 ジョン・ブラッドショーP294より


2016年06月17日(金) 自信は後から付いてくる

試験中なので、少し勉強に時間を使っています。ちなみに、私が勉強って楽しいんだなと思ったのは高校生の時の寮でルームメイトと一緒になって勉強した時からです。現れた点数の数字に手応えを感じたからです。いや、それ以前に、テスト中に悩まず問題が溶けている自分を見てからでしょうか。

どんな小さな事でも自分の行動の結果がプラスとなって現れると嬉しいですね。そして、その喜びは自身につながるんですよね。そう。自信は後から付いてくるんです。

ということで、今日もまた、自信が無いからと言ってしたいことを諦めるのはやめよう、という話でした。


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