「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2017年01月09日(月) 原因と対策

自信がないとか難しいとか、大変だと思っていることがある時、その原因を探してみると、気持ちがニュートラルに戻ることがあります。例えば、私は先日、2日後に控えたヨガクラスの構成をしていたときのこと、(うまく出来るかなぁ)と少し不安を感じていたのです。その原因は、クラスを開くのが久しぶりだったこともありますが、もっと根本にあったのは、昨年末から暫くの間、他のことに時間を使いヨガから遠のいていた為にその感覚がなかなか取り戻せなかったのです。「そうか!」ということで、原因がわかれば解決策が浮かびます。出来るだけ練習すればいいのだと思いました。それから、出来たことリストを忘れずに。(出来たことリストとは、インナーチャイルド 本当の貴方を取り戻す方法 ジョンブラッドショー著書 の中で言われている ”能力のリスト” のことです)

ということで、ヨガを続けている自分の能力を意識して沁み込ませ、練習に時間を使い、楽しくクラスを終えました。


2017年01月06日(金) 長女との時間

昨日の朝、長女が約一ヶ月のホリデー滞在を終えて彼女の暮らす街、ウィノナへ戻っていきました。この一ヶ月、普段なかなか機会のない、親としての経験をさせてもらえたことに深い喜びを感じています。料理を作ったり一緒に買物に行ったりはもちろんですが、何より、日々の生活の中で彼女が持つプラスの面を垣間見ることが出来たことを嬉しく思っています。思えば、長女の中にあるプラスはきっと彼女が生まれたときから持ち合わせていたもので、過去の私は単にそのことに気がつけなかッタということなのでしょう。そう思うと、私も少し成長したのかな、と思います。

時間を共有する中で何度か、大好きだよ、という言葉を使いました。娘のことが大好きだという意味です。自分の子どもなのだから当たり前ですし、他の子ども達には接する機会が多かった分だけ何度となく使っている言葉です。しかし、長女にこの気持ちを彼女の前で言葉にしたのは今回が始めてでしたので、伝えることが出来てよかったと思います。

それから、もっと大切なことも語りました。それは、私の中にはいつでも、子ども達に何か聞かれた時には、自分をオープンにして真実を語る準備があるということです。今後の、長女と私の時間の中でそんな機会があるのかどうかわからないけれど、私の気持ちとして伝えられたことも良かったと思っています。

さて、次の娘に会う時間まで、心育てを続けながら又のんびり暮らしましょう。娘ちゃん、楽しい時をありがとう。


2017年01月01日(日) 今年の抱負 大地

新しい年になりましたね! 毎年のことですが、年の数が1つ増える時、私はワクワクします。どうしてかな。うーん。わかりませんが、あたらしいことがふえるのはいいことなのです。

そして、新年を迎える時にいつも考えるのは、俗に言う、今年の抱負です。年の始に、今年の抱負を考え始めて早10年以上、小さなことですが、続けることが出来ていることに喜びを感じます。

さて、そんな私の今年の抱負。それは、のんびり暮らすこと、です。そんなこと誰でもしたいわ、と思いますか?
きっとそうでしょうね。そして、その、誰もが望むことが、多くの人にとって難しい世の中なのです。

大きく目標を掲げてそれに向かって邁進することはいいことです。そして、目標をいつでもどこでも叶うようなものにしておいて、毎日をより、気負うことなく力むことなく楽しめることのほうがプラスなのではないでしょうか。

そんなわけで、もう一度。今年の目標は、のんびり暮らすこと。ほら、今こうしてここに下記自分の目で読んでいるだけで、腰のあたりがどっしりとしてきました。のんびり暮らすということは、この広く果てしなく大きい地球の大地にしかと根付き、地球の一部として生きるということなのかもしれません。


2016年12月28日(水) 心を軽くする一つの方法

最近、物事をプラスに取るということの利点を実感しています。例えば私は約2週間前、介護ファシリティーで薬の管理をする仕事を始めたのですが(米国ではこの職種の人をメディカルテクニシャンと呼ぶそうです)、新しいことを習うに付き戸惑うことも多々ですし時には失敗もあるのです。

そして、それらを全部含めてプラスに取るということをしています。どんな効果があるのでしょうか。それはとても単純。一日が楽しいということです。とても単純でしょう?きっと日記に書くほどのことでもないのかもしれませんが、この違いは大きいと思うのです。

これは、どんなつらいことにも目をつぶってプラスに受け取るということではないのです。私は、何かあれば自分のために立ち上がる勇気を持っていますし、時にはNoを伝えることも知っています。そして、そのような、いざという時には自分を守れる大人の私が、自分の周りにプラスを探していると意識しています。

職場でのプラス探しはプライベートにも続きます。<続きます>と書いた理由は、仕事を終えてプラスの気持ちで自宅に戻り、楽しいの延長で家族と会話している自分に度々気づくからなのです。時には人々の表情から想像を巡らせたり自分や余分な心配りをすることもありますが、気付いたところで切り替えて、いつも軽い心でひょいひょいと楽しく生きる。そうして過ごした一日は、明日のプラスに繋がります。プラスの連鎖です^^


2016年12月12日(月) 自分忘れのお返しに

 本日、カレッジの秋季講習が終わりました。実は、今学期は反省することがありますので、その1つを書きたいと思います。それは、自分を伝えるチャンスを何度か見過ごした、ということです。
 例えば、クラスで先生からあることを尋ねられた時、答えについて考えている間に先生が私の結論を先に出してしまいました。先生の結論は私の思うものと違っていたのですが、私はそのことを、すぐに答えなかったから仕方がないとしてそのままにしたのです。それから別の場面では、グループプレゼンテーションの時に、プレゼンテーションをどのような展開にするかという話し合いの過程で自分の意見を積極的に伝えるということをしなかったために、私の思う方法とは違う方法が取られ、その結果が思わしくなかったことです。準備段階で充分に時間と労力を費やした場合はどんな結果もオーライですが、今回のように自分を伝えることを忘れた結果は残念でした。
 このようになった原因はすぐにわかりました。私の中に、諦めがあったのです。他者との関わりの中で、まだ、自分を生きるということを躊躇する私がいることを実感しました。過去のことなので再現することでもないですが、仮にクラスの場面で私が自分を生きていたとしたら、私はきっと「あ、それは違います」とやんわりと伝えられたことでしょう。グループプレゼンテーションの準備段階でも、「こんな方法もあると思う」「私はこうしてみたいな」ということを伝えられたと思うのです。
 ということで、成長途中の場面を書きましたが、気付きは次のステップ。来年も又人々との関わりを通して成長するであろう自分を見守ります。


2016年12月10日(土) 次女のアイデアに思うこと

先日次女と会話していたときのこと、日本という国の話になりました。私たちの結論は<日本、このままでは危ないよ>
です。経済主義の日本は今、物で溢れ、あふれる物の代わりに人口はますます減り、そんな日本に落胆しきった人たちは海外へ進出し、うーんと将来には、一人が一人を介護するという時代がやってくるのです。日本は、このままでは本当に危ないのです。

そこで娘が自分のアイデアを語ってくれたのです。それは何かというと、「総理大臣が皆を洗脳して、皆がもっと仲良くしていれば、もうそれだけで皆が幸せになれると、人々が思うようになる」ということだそうです。

次女は今年22歳になり就職が内定している大人です。そんな彼女の発言。もう子どもではないのに、何を言ってるの。。。と思う方もいらっしゃるでしょうか。しかし私は彼女の言葉の中にある素朴さに、体の内側からこみ上げてくる熱いものを感じました。私の脳裏には、10年以上も前に、ダンゴムシを手の平いっぱいに集めて家に戻ってきた頃の小さな彼女が蘇ってきました。子どもは素朴で純粋です。疑うことを知りません。虫も人も他の生き物も、ただそこにいて、地球という1つの島で仲良く暮らしているのです。

娘の言葉の中には、彼女自身が生活の中で感じる自分には手の届かないところにある大きな力に対する結論も入っているのでしょうか。きっと、これまでに折に触れて、社会がもう少し良くなるようにと、大人の思考でたくさんのことを考えきたのでしょう。しかし、それらはたいてい、若くして国会議員になった青年たちがいつの間にか姿を消すように、古くからの習慣や社会のルールや何かの理由で小さくなって自分の奥の方へしまい込まされてしまったのでしょうか。そうして、最終的に、このアイデアにたどり着いているのでしょうか。

などと、思いつく範囲で私の思うことを書きましたが本当のところはわかりません。しかし私は、次女の中に今もある、人としての素朴さを手伝える大人でいようと思いました。


2016年11月15日(火) 長い糸の先

少し前に娘の一人から、離婚後から米国に来るまでの経緯を聞かせて〜〜とお尋ねが来ていたので、今その作業をしています。作業と言っても、してきたことを思い出しつつ書き並べているだけなのですが、書いているうちに当時の考えや心の状態が蘇り、いつも自分に正直に生きてきた自分を改めて確認しています。

実は、アメリカ生活も5年目に入っているのです。米国での夢はまだまだ遠い先にありますが、日一日の行動が未来に繋がるように生きています。

大切なことは、今ある健康をできるだけ長く維持することでしょう。50年間使ってきた、この体と心、50年間のうちの幾年かは方法を知らずに乱暴に生きてきた時期もあり、身体に現れたその影響を感じることがありますし、普通に暮らしていても順調に衰えていく部分もあるのですから、それも全て受け入れて、そして、そんな自分の心と体を大切にして毎日生活しています。

私の記憶では、このようなことを確か、離婚してすぐの頃にも毎日のように意識して過ごし事あるごとに、その出来事と思いを書き綴っていたのです。これからもこの取り組みを続けて、又数年後に同じことを、又は今より少し広い世界のことを語っていられる自分で居たいな、と娘に手紙を書きながら思いました。まるで、糸が細く長くつながっていくように。

最後に、このようなことを再確認するきっかけを掴めた娘の好奇心に、ありがとう。


2016年10月20日(木) ユニークさ

先日、英語がよく出来るベトナム人の男の子と話しをしていた時のこと。「ネイティブのクラスで早口の英語を聞いているので、ついつい自分も早く話そうとしてしまう」という私を見て、彼はアメリカの人々が他者や社会に求めているものについて語りました。その内容が興味深かったのでここに記しておこうと思います。

「米国という国は色んな国から来た人々が集まって出来ており、多種多様な国だ。米国そのものの色が何色か、アメリカ人は何が好きなのか、本当に語れる人は居ない。この多種多様な国で、人々が求めていることは、他の人と同じようにできることではない。彼らが求めているもの,興味をそそられるものはユニークさだ」

この言葉を上記した私の言葉に当てはめると、私の場合は、私の目的は彼らと同じように話せるようになるのではない、ということなのです。私はもちろん彼らと同じようになろうと思うことはありませんが、少なくとも相手につられるように早口になっている自分が居たのです。時には、彼らと違う自分を無意識のうちに小さく見せようとしたことが合ったかもしれないのですから、本当に素敵な言葉を聞いたと思いました。

彼はまた、成長途中の私の英語について、2つの単語をリンクさせずに、一つ一つの発音やアクセントを丁寧に練習して少しずつ習得することだとアドバイスをしてくれました。彼いわく、それは遠回りのようであるけれど実は確実な方法なのだと。私からすると、それはまったく遠回りではなく、通って然るべき道なのだと思いました。

多くの人が何かの目的に向かって走り続ける社会では、<一つ一つ> を意識するだけで既に、ユニークさが出ているような気がします。これからもそんな私を大切にして生きていきましょう。


2016年10月12日(水) 秋を感じて秋の準備

いよいよカリフォルニアにも秋がやってきました。私は暑い気候のほうが過ごしやすい体質ですが、この時期移り変わっていく木々の色や雲の変化を観察するのがとても好きです。ところで、秋は空や森の中だけにあるのではないのです。秋は時に、車を止めたアスファルトの上にも感じられるのです。そう、落ち葉さん。。。。

この時期、オレンジや赤に衣替えした落ち葉はその色合いから暖かさを醸しだしています。また、地面の落ち葉は夏の面影を残した太陽によってすっかり乾かされています。そうした落ち葉たちに足を降ろした時の靴底から伝わってくる感覚と、靴の重みで枯れ葉が否応なしに縮んでいく時のクシャッという音は私の五感に鋭く届くのです。

夜になるとまた別の楽しみがやってきます。そう、済んだ夜空に輝く星たち。夜風はいくらか冷たいけれど、まだまだ身が凍えるほどではなく、外に出て空を眺めるには快適な季節なのです。

そんなわけで私は秋の景色が大好きなのです。このようにして秋の景色を満喫しながら、身体も少しずつ冬支度をしているのでしょう。


2016年09月29日(木) 未来を語り合おう

未来を語り合える友人を探すことは意味のあることだと思います。理由は、私達が自分の未来を語り合うことはその未来を作ることでもあると思うからです。語り合う未来は出来れば不安やネガティブな想像ではなく、今とは違う何かがあるという可能性を持っているものがいいと思います。そしてもちろん、何か困っていることや辛いことがあるときにはそれらを傾聴し出口を探すきっかけを掴むことが出来ると思います。

私は先日、日本人女性の友人とそれぞれの未来話に花を咲かせて気がつけば6時間もの時間が経過していました。その間に夕食を食べたり場所を移動したりしたので時間は少し短縮されますが、時間を忘れて語り合える材料がお互いにあった、ということに変わりはありません。

私達の話題は健康面、仕事や学校の話、少ないものの中でシンプルに暮らすこと、知識をどのように得て知恵に変えるか、さらにはお互いのパートナーとの関係や、他者と暮らす中で自分の気分がすぐれないときの対処法などなど。最後はこのカリフォルニアでどのように楽しみつつ生計を立てて将来を安らかに迎えるか。そして、誰にも訪れる死。どのサブジェクトもまるで話し相手を待っていたかのように後から後から繋がり広がっていきました。

理想の死に方を語り合うことは会話の終わりではありませんでした。その、いつかは訪れる死を自分の思う形で迎えられるように今からできることは何だろうかと、そのようなことに思いを巡らせつつ会話は尽きませんでした。

私は、このようなことを気軽に話し合えることはよいことだと思っているのです。なぜなら私達は普段、目の前に見えることや気になること、または今日や明日などの近い将来に必要なことを進んで言葉にすることが多く、少し遠い未来のことやもっと深い心の奥のことを言葉にするタイミングを掴みにくい環境に居るからです。

私達の普段の生活の中には10年後の私達が居ます。その自分達になれるよう、明日も又また今を生きようと、友人との会話を振り返りつつ思うのです。そうなるぞ!と頑張りすぎる必要はなくて、ソフトに、そうなれたらいいな、という気持ちで柔らかく。。。




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