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店長のガラクタ部屋
つかちゃん

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1998年08月30日(日)
効果絶大

そうそう!前にダウンロードしたにも関わらずインストしてなかったCPUを冷やすという謎のソフト、インストしました。
そしたらこれがまたすごい効果で、熱くて触れなかったほどのCPUの放熱版が!ひえひえ〜〜・・・。
しかも心配していたトラブルもなく快調なのです。
どうしたことだ!おもわず、もび夫にもインストしてしまった。
もう一度ソフトのありかを・・・
http://cpu.simplenet.com/leading_wintech
↑ここです。



1998年09月13日(日)
竹の子オーケストラ

<竹の子オーケストラ>
 習志野文化ホール(千葉県)まで、「こども音楽コンクール」というのを見に行ってきました。千葉県内の小学校の吹奏楽部や弦楽部が集まって日頃の練習の成果を競い合うのです。
しかし、驚きましたねぇ〜!
その音の厚さといい、広がりといい!まぁ、クラシックは普段あまり聞いたことのない私ですが、みんなとても小学生の演奏とは思えないすばらしい演奏でありました。
夏休み中も毎日のように遊ぶ時間を削って一生懸命練習したであろう子供たちももちろんですが、それを教える先生方の情熱にも本当に頭が下がります。


練習風景

 こんなところで家族のことを書くのはホントはちょっと気が引けるんですが、ウチの息子1号も出たんです。彼はバイオリンをやったわけですが、いつも仲間の足を引っ張り気味の彼もさすがにコンクール前には毎日遅くまで練習をしていました。
とても完璧とはいえない演奏ですが、非常に彼らしい音が出ていて、生き生きと弾けたんじゃないかと思います。
全体的にみて技術的には他校に及ばない面があるのかもしれません。でも、非常にスリリングな音で、なんて言うか・・・カッコイイ音なのです。心にぐんぐん入り込んでくるような、そんな気がしました。
ウチの学校のオーケストラは20名の少人数の弦楽器のみの編成で、「竹の子オーケストラ」という名前で地元では昔から有名な伝統あるオーケストラなのです。
 このコンクールで「優秀賞」を見事獲得した「竹の子オーケストラ」の次の目標は「東日本大会」です。

なんだか、子供の自慢みたいな文になってしまいました。
でも、親として、素直にうれしかった一日でありました。



1998年10月18日(日)
レコードプレーヤー復活!

<月記?>
 なんか最近全然更新できてないですね。これじゃ、日記じゃなくて月記?
ま、タイトルが「最近あったこと」というわけでアバウトなタイトルだから、まいいか。
このページの更新は全然出来てないけど、本体の(店の)ページはバンバン更新しました。いま、展示会中だというのに!お客さん、あんまり来ないんだもーん。

<レコードプレーヤー復活!>
 先日、ここ数年CDに追われてすっかり出番のなくなっていたレコードプレーヤーを掃除しました。プレーヤーの上にはいろいろな物がのっかり、埃が地層を作りそうな勢いで積もっていました。ピカピカになったプレーヤーはスイッチを入れるとうれしそうに廻りだしました。回転は全く正常。針圧調整をして針先をクリーニング。そういえば針を取り替えたのはいつのことだろう。
 考えてみれば以前は結構オーディオ好きで、お金が無いなりに結構つぎ込んでシステムを構築していたモノでした。結婚して子供が産まれてからすっかり見向きもされなくなったオーディオはそれでもたまにBGMのCDをまわしていたのでした。
あと、車用のカセットテープ作りくらいしか使われてなかったのです。実はプレーヤーを掃除したのにはきっかけがありました。約10年使い続けたSONYのCDプレーヤーがとうとう壊れてしまったのです。何回CDを入れてもすぐに吐き出してしまうのです。ついでにいうとカセットデッキも壊れています。
・・・で、レコードプレーヤーが一躍脚光を浴びるという事態になったわけです。
 掃除したてのプレーヤーにキースジャレットの”バイヤブルー”と言うレコードをのっけてみました。しまいっぱなしのレコード盤にはカビがっ!
カビを掃除し、サンスイ製アンプの電源を入れボリュームが完全に絞れていることを確認してからレコード盤に針を静かに落とします。アンプのボリュームを上げるとプチプチと妙に懐かしいスクラッチノイズが・・・。次の瞬間想像していたのを遙かに越える素晴らしい音がJBLのスタジオモニター(でも、12〜3年前中古で2本で9万円だった。安い!)からこぼれだしたのでありました。
ああ、俺のステレオこんなにいい音だったの?
どうもうちのシステムの場合SONYの当時一番安いCDプレーヤーを買ったわけですが、それがいまいちショボイ音だったことが判明。あらめてデンオンのプレーヤーとシュアのカートリッジの実力がわかったのでした。
 久々に音に感動して夜も更けたので寝ようと電源を落とし、プレーヤーのふたを閉じると、すかさず、猫の”ギガ”がふたに飛び乗り、そのまま丸くなって寝てしまいました。
今度聞くときは猫の毛を掃除してからだな。



1998年11月02日(月)
バンジージャンプ

<バンジージャンプ>

 昨日は店を休んで、バンジージャンプしてきました。
千葉県には「マザー牧場」というところがあって、そこにバンジージャンプ台があるのです。なんでバンジージャンプかというと、ちょっと長い話になっちゃうんですが・・・。
 私が所属している団体に青年会議所(JC)という団体があり、私は今年うちの町のJCの理事長をさせてもらっているのですが、私のイメージから言って「威厳」とか「立派」とか「誠実」とかまるで無縁って感じなんです。JCの理事長らしくないっていうか。・・・で、「なんちゃって理事長」と呼ばれるようになったのです。ところがJCのパソコン通信で知り合った埼玉県の蕨JCの来年の理事長になる人とネットワーク上で意気投合しているうちに「なんちゃって理事長」の称号を来年襲名させてほしいとの申し出があり、「いいよー。でもバンジー飛んだらねー。」と私は冗談混じりに答えたのでありました。
 そうしたら、関東地区各地のJCメンバーが「なんちゃって理事長襲名バンジー大会実行委員会」というのを結成してしまい、着々と計画を練ってくれたもんで、店を休んでまでもバンジージャンプに行かなければならない羽目になってしまったのでした。
 昨日は天気も良くバンジー日より。なんと遠くは秋田県から1番の「こまち」に乗って来たメンバーまでいました。総勢30名以上の参加者でわれもわれもと15名(ダッタカナ?)がバンジーを飛んだのでした。
 閉園時間までたっぷり楽しみ、出口に向かうとそこは東京湾が一望でき、対岸の横浜・川崎の夜景に素晴らしい夕焼け、おまけにその向こうには富士山の頂がシルエットとなって浮かんでいたのでした。



1998年11月03日(火)
ゴマメばーさん

<ゴマメばーさん>

 今日、八日市場市名誉市民顕彰式に出席しました。受彰者の一人は大川逞一さん(故人)。私は(社)八日市場青年会議所の理事長として出席したわけでありますが、大川先生は仏師で、晩年の作品「釈迦苦行像」は奈良の薬師寺に納入されるとい
う大変な方でありました。
 その「釈迦苦行像」を作成中の頃のことです。その日、いつものようにウィンドウ・ディスプレイをどうするか考えていた私は仕入れたばかりの八寸帯をディスプレイすることとしました。その帯は薄いアイボリーの地色に色褪せたジーンズのようなブルーの濃淡の幾何学模様の織りの帯でした。竹と細い紐でちょっと凝ったディスプレイが出来ました。
 その日の午後、ふと気づくとじーさんが一人ウィンドウに張り付いていました。どうもあの帯を見ているようです。
やがて、店内に入ってきてじーさんは言いました。
「あの帯いいね、買うよ。」
伝票を書いて、お届けできる日にちを伝えると、じーさんは肯き、「うちのゴマメばーさんに似合うかな?」とちょっと照れたように笑いました。その人が大川逞一先生だったのです。
 数日後、かがり仕立ての終わった八寸帯を市内の大川先生の自宅までお届けに伺いました。そのお宅はどこが入り口かわからないほど草木が茂っており、門があったのか無かったのかそれもわからないほどでした。中はかなり広い敷地のように見えました。手前の古そうな建物の引き戸をあけ、声をかけるとしばらくして、痩せたおばあさんが出てきました。なるほど、”ゴマメばーさん”という表現が絶妙だったことにこの時初めて気づき、笑いそうになるのをこらえながら用件を告げると「あちらの建物に主人が居ますのでそちらにお願いします。」と丁寧にそして嬉しそうに”ゴマメばーさん”は言ったのでした。
 離れはアトリエになっていて、大川先生は一体の仏像を制作中でした。声をかけると「おう、ご苦労様。そこからお上がんなさい。」とおっしゃいました。そのとき制作中の仏像が遺作となった「釈迦苦行像」だったのです。先生が仏像をさしてこんな事を話してくれました。「これはねぇ、モデルがいるんだよ。ウチのばーさん、痩せこけてるからモデルにちょうどいいんだよ。」
夜、裸電球の光の中で上半身裸であぐらをかいて座っている年老いて痩せこけた自分の妻をモデルに大川先生は釈迦苦行像を削り出していたのです。
 やがて、奥様(ゴマメばーさん)がお茶を入れてくれて、しばらくいろいろなお話をお聞きすることが出来ました。また、お届けした帯も大変気に入って頂けたようで、ちょっとはにかんだように笑った表情が、痩せこけたばーさんなのに妙に可愛らしく見えたのでした。おそらく大川先生はいつも単なるモデルとしてと言うよりも少しでも夫の手助けになりたいという気持ちで制作に協力してくれる妻にお礼の気持ちで帯を買ってあげたのではないでしょうか?
 今、「釈迦苦行像」は奈良の薬師寺東塔に収められているということです。やがて何百年も時が過ぎても釈迦苦行像は大切に残されていることでしょう。でもそれを作った仏師の痩せこけた妻がモデルだったこと、言わば一組の老夫婦の合作であったことは誰も知らないままに違いありません。
八日市場の「市民ふれあいセンター」に行くと「釈迦苦行像」のパネルが展示してあります。それを見るたび私はゴマメばーさんの、はにかんだような幸せそうな笑顔を思い出すのです。



1998年12月13日(日)
たまにはクラッシックなど

 何となく忙しい。そんな年の瀬ではありますが、やっぱり暇ですね。
不景気だからと言い訳にするのはやめにして、せめて気持ちは優雅にクラッシックなんぞ聞こうかな?というワケでもないんですが、最近お気に入りの1枚。(正確には2枚組なので、2枚なんですが・・・。)



 たまたま買い物に出かけたら中古CDのセールをやっていました。あらゆるジャンルのCDが段ボール箱に入ったまま陳列してありました。
結構ブラック系とか充実していて、ゆっくり見たかったのですが、あまり時間がなかったので、ボブマーレー2枚とこれを買ったのでした。

 グリーグ作曲「ボルベアの時代」。実は私はクラッシックはほとんど知らないのだ。ではなぜこれを選んだか?このCDの1曲目の「ホルベルク組曲前奏曲」、息子が小学校のオーケストラでやってる曲なのでした。チャンチャン。
実は前に県大会で最優秀賞を取り、今度は東日本大会だという話を書いたことがありましたが東日本大会でも見事重奏部門最優秀賞を取ったのでした。今度はいよいよ全国大会!

 しかし、そんなきっかけで買ったCDですが、仕事をしながらパソコンのCDドライブに入れ、聞いているとなかなか良いモノです。特に冬に聞くにはもってこいという感じで、良い雰囲気の曲が多いです。やっぱりノルウェーの作曲家だからでしょうか?

 2枚組で1000円。良い買い物です。満足満足・・・。



1999年01月01日(金)
謹賀新年



今年1年、天晴れな年でありますように・・・。

 初詣は百円玉1個で「世界中の人々が幸せな1年でありますように。」という金額の割に合わないお願いをしてきました。それにしてもノストラダムスが気になる今日この頃。
誰か私と賭けをしませんか?私は地球が滅亡しない方に10万円賭けます!
もしも地球が滅亡したら10万円お支払いします。ただし、地球上に私が生きていたらですけど・・・。誰も引っかかる人いないよね・・・。
 でも、たぶん大丈夫でしょうね。そう信じることにしましょう。