ニャンでも日記



内田康夫先生の新刊

2001年08月31日(金)

今日、クリムゾン・リバーのDVDを買いに行ったら、久しぶりに内田康夫先生のハードカバーが出ていた。 タイトルは、箸墓幻想、、、。 はしはかげんそう、、と読むらしい。 舞台が奈良県で始まる。卑弥呼伝説が絡みそうなので古代史が好きな僕にとっては嬉しい書物だ。 例によって浅見光彦が登場してくるが、期待できそうな筋と思う。 


ああ、睡眠不足

2001年08月28日(火)

いつも早く寝ないと、、、と思いながら結局、午前1時半過ぎ。 猫が必ず、4時半から5時半の間に起こしに来るから、睡眠時間がどうしても短くなる。 早く寝ない自分も悪いのだが、目覚ましよりも早く起こしに来る猫を何とかならないものかあ。


人生の長さ

2001年08月27日(月)

表裏一体という言葉がありますが、幸と不幸はまさにそれです。 この頃、猫を飼い出すようになってから、猫は結局、飼い主より先に死んでしまうのかと考えるようになって人生そのものを少しは真面目に生きてやろうと思い始めたんです。 と言っても決して不真面目に生きてきたのではなく、そういう意味合いではなく、たとえば嫌な仕事がもうすぐ始まるとしたら、そう思ってはいけないのです。その思いの裏側を見てみるんです。 嫌な仕事を大好きな仕事と捉え、思い込み、積極的にやろうとする姿勢を持つんです。 そうすれば時が、人生が倍になる勘定です。
要するに前向き思考なんですが、人生が倍になるといってもそれは時間ではなく気持なんです。 夜を寝なければ一日がフルに24時間になると考えても、結局は不可能な話ですが、気持となると時間に関与されずにおれます。 要は如何なることも前向き思考でやり遂げようとする思い込みが成功につながると思うんです。 


生きることの、、、

2001年08月20日(月)

同床異夢ということばがあります
どんなに愛しあっていても、一つのベッドで抱き合って寝ても
二人で一つの夢を見ることはできないということです。
互いに別々の夢を見て、相手の夢の中には入っていけません。
それくらい人は孤独な存在ですーーーー瀬戸内寂聴(いきることば あなたへ)より抜粋

確かに人は孤独なので、それをカモフラージュするために結婚するとも言える。 その夫婦もすぐに離婚したり死別したりして、結局は孤独になってしまう。 自分が死ぬときは既に親がいないのが普通だから、愛され慕われる子供たちがいない人は尚更、孤独の道を歩むことになる。 だからこそ、人は余計に他人の愛を求めるし語り合いたがるし、尚、肌を温める人を求めるのかもしれない。 自分がHPをせっせと更新する作業も結局は他人を求めているからに他ならないのか、、今日は瀬戸内寂聴の書物を読んで、人の孤独の様を考えて身震いをした。 作者も孤独なのかもしれないが、それを読んでいる自分もまた同じ孤独な人間であると思っているが、、、。


高校野球

2001年08月19日(日)

兵庫県代表の東洋大姫路高校が日南学園に敗れたのが残念だ。 僕が姫路の出身だからではない。 以前、滝川学園高校在学時代に兵庫県代表として春夏に甲子園に何回か出場している。 夏休みに学校から応援要請があったし球場で汗まみれになって応援したこともある。そのことが契機からかも知れないが大学に進学してからも何となく応援団に入ってしまった。 高校野球を観戦するたびに応援時代のことを思う。 人は思い出を恐らくは忘れることなく暮らしているものだが、僕の場合はいい意味で思い出を引きずっていると思う。


裁判

2001年08月18日(土)

夏樹静子作品の量刑をやっと読み終えた。 総ページ数713頁は読み応えがあった。 交通事故をやむを得ない仕儀で隠蔽するために殺人を犯してしまった女性とその本人を死刑判決から護ろうとする愛人の物語だが単純ではない。 判決を言い渡す判事の苦悩を判事側から、つぶさにうかがい知ることが出来る意味に於いて大作であった。 


一人暮らし

2001年08月16日(木)

一人暮らしを始めて2年経過した。 当初は戸惑ったがこれが結構楽しい。 なぜかと言えば束縛がないからだと思う。 人は所詮、一人で生きてはいけないが所詮、一人である。 逆説的な言い方だが一人でありながら他人を抜きにして生活できないということであろう。 


どっちもどっちならば、、、

2001年08月15日(水)

人はどっちに傾いてもだめな場合がある。 今回の総理の靖国神社訪問が顕著な例だ。 もともとA級戦犯者と戦争に殉じた方々の霊が一緒に靖国神社にあること自体、事の発端となっていると思うが、僕個人的に言うならば行かない方が良かったのではないかと考える。 近隣諸国との友好が日本にとって第一優先にすべきだと思っている。 ただ、外国がわが国の内政にいろいろ言ってくるのは、あの戦争がいかに大きな禍根を残したかということであろう。 50年以上も経過してもである。時が解決するだろうが、この調子だと100年以上かかるのではないかと考える。


根競べ

2001年08月14日(火)

猫ちゃんと暮らし始めてちょうど2年経ちましたが、やっと猫の性格が分かりかけてきたような、こないような妙な感じを抱いています。 たとえば、いつもドライフードを買っていたのに偶々、缶詰をやったんです。 そうすると、そればかり食べます。 ドライフードに缶詰の魚肉を混ぜるんですが器用にドライフードのみを残して缶詰だけを完全に片付けるんです。 よし、それならば缶詰をあげないで腹が空いて何でも食べれるまで缶詰をあげないでおこうと、、勝負したんです。 でも根負けしました。 ドライフードは山盛りのまま食器に残っています。 茶子もリトもそうするんです。 茶子は僕の足の周りにまとわりついて体を擦り付けて缶詰の魚肉を催促するんです。 駄目だよ、、その手にのらないよ、、ドライフードを食べてしまったら缶詰をあげるからね、、。 会社から帰ってきて真っ先に猫ちゃんの茶碗を見ると、、、。 ああ、やはり、、、ドライフードが減っていないんです、、。 2日間、、根競べしました。 流石に3日目になって、、お腹をさぞかし空かせているにゃんこちゃんたちのことを思うと、、ああ根負けしました。
分かったよ、、あげるから。 缶詰の蓋を開け始める音に二匹とも飛んできました。 明日、会社の帰り、、、缶詰を買ってこなきゃね。


読書の速度について

2001年08月13日(月)

書物を1月に何冊読めるかという質問は愚問である。 たとえば、今、夏樹静子の量刑を読み始めているが総ページ・713はかなりきつい。 一日のわずかな時間をたとえば10ページづつだと71日かかる訳だ。 70ページづつ読んでも10日以上かかる計算になる。勿論、内容にもよるのだが、この内容は裁判関係が多く記述されているので速くは読めない。 通常の推理小説を読むのと訳が違うのだ。 結局、何冊読めるかというのは適当でない。質の高い本を何冊読んだかに尽きよう。 そういう意味において僕は質の高い本を読むように努力している。 映画と違って当たり外れが偶にあるが、致し方ない仕儀であろう。


小京都

2001年08月12日(日)

但馬の小京都と称される(出石城下町)へ行って来た。 日本には小京都と呼称される地域は数多いが、今まで、訪れた小京都の中では出石町が郡を抜いている気がした。 可愛いく復元された出石城をはじめ辰鼓楼(しんころう)の奥ゆかしさ、碁盤の目のような町並みと土塀、綺麗な疎水、数多い皿蕎麦屋、人情味あふれる町民の応対、古風な武家屋敷、古寺、酒造、酒蔵、、どれをとっても古都の気品に満ちていた。 いつか、機会があったら再び訪問したいと思っている。


人の本質

2001年08月08日(水)

人は所詮、生まれる時も死ぬときも孤独の中で処理される。 その事から考えると孤独でも生きていけそうだが、なかなかうまくいかない。 猫などは孤独でも生きていけるらしいが人はたとえば、ものの1週間、誰とも接しないで(喋らないで)いたら気が変になるらしい。 知性もあるし、感情も動物より一段と豊かなだけに人は孤独には耐えられない。 だが、それに究極のところ、耐えられなくても時として耐えようとする気持がでてくるという矛盾点を持ち合わせているのも人の本質なんだろう。


禁煙

2001年08月06日(月)

また、挑戦する気になった。 タバコを止めるということの難しさは少し、止めていてもすぐに復活すると言うことに尽きる。 何度も禁煙しては結局、また喫煙してきた。 流石に、そろそろ真に止めたいと言う気になってきた。 今度は本物かな、、、やってみるしかあるまい。


あふれんばかりの、、、

2001年08月05日(日)

書店に行く理由は二つある。 先ず、涼しいからだ。暑がり人間にとってこんな良い場所はない。 本が只読みできておまけに体調が良くなる。 もうひとつの理由はいろんな情報が得られるからだ。
でも、毎日溢れんばかりの本が出版され、その大部分が捨て去られている。読まれる本はほんの一握りとは逆説的な意味合いである。 僕も只読みでは申し訳ないので大概、一、二冊買ってくるのだが、そうするために家の中にあふれんばかりの本の山が出来ている。 少しずつ、読んでいるのだが遅々として進まない。 そういう訳で目下は夏樹静子の量刑を読み始めた。


ホームページ

2001年08月04日(土)

ホームページのソフトが数多く売られていて、最初はどれを使用したらいいか戸惑うことが多い。 一応、ホームページビルダーを利用していたがドリームウイーバーもなかなかいいソフトなので、研究してみようと思い立った。


デジタルカメラ

2001年08月03日(金)

かつては、一眼レフやビデオカメラを持っていたが、今ではデジタルカメラ2台のみ所有していることになった。 何故かと言えば、デジカメがあらゆる面で便利なものだからである。 撮影した直後に映像の具合を点検できるのが大きい魅力だし嫌いな映像は切り捨てることが出来るからだ。 また、前者に比べパソコンとの連携が圧倒的にいい。 ホームページ等の資料作りにもいい訳だ。 デジカメの画質がここ数年で飛躍的に向上し一眼レフに遜色のないものになった。 こうなると恐らくは一眼レフの存在は著しくなくなってきて、その内に無くなってしまう危惧が出てきている。 その点、ビデオカメラは動画ということで、静止画とはまた、違った趣があり生き残れるだろう。 ただ、ビデオカメラが本質は動画であるが、静止画も撮影できるようになっていて、この画質も今や155万画素のものが販売されてきている。 もしもだ、、。 この画質が所謂、高画質のデジカメに近づくようになり、しかも小型軽量化が進んだら、デジカメがビデオカメラにその地位を取って代わられることもあろうと思うが、、。 この先、どうなることやら。 興味深々にならざるを得ない。


空蝉

2001年08月02日(木)

テラスにたまたま迷い込んできたアブラゼミが茶子に見つかった。 見知らぬ侵入者への攻撃は相当なもの。 ばたばたと羽を広げて飛び逃げようとする寸隙を逃さず執拗な攻撃に蝉も飛びたてなくなった。 可愛そうだから逃がしてやろうと立ち上がったら蝉をくわえて一目散に家の中に、、、。 台所の板の間に蝉を寝かせてじっと見張っている感じ、、。 リトの方は攻撃こそしないが、茶子がすることを一部始終観察をしている。 それにしても性格の違う猫だ。 驚いた。



2001年08月01日(水)

めっきり雀を見なくなった。 1年を通じて考えてみると身の回りにいるのは鳩やカラスやツバメの類で雀を見る機会がほとんどない。 なぜだろう? 田舎に行けば数多くいるのだろうけれど、それでも以前は近所の木々に雀を見かけたものだ。今日はふと、こんなことに疑問が湧いてきてしまった。

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