馨絵詞〜かおるのえことば
楽しいことも、そうではないことも。

2001年09月29日(土) イナバ・ノスタルジー

水曜日の昼間、勝美荘邸にて目覚めてより金曜日の夜までノンストップでした。
後期の授業、ローハイの諸事務、3実撮影、2度の松屋…眠れない。
授業、もういくつサボった事だろう。
ああ、3年連続フル単計画は大丈夫?

その間ずっと外食でした。
眠れないとなれば食事が唯一の楽しみ。
ただ、お金がガンガン出て行く。

松屋の前に目黒のマクドナルドで夕食をとりました。
こんなことを思い出しました。

小学生の頃、仲の良かった3人と日能研という進学塾に通っていました。
毎週日曜日にテストがあり、みんなで受けに行っていました。
いつも昼にテストが終わって解散になるのですが、
たまに、2、3ヶ月にいちどマクドナルドで昼食をしていました。
あらかじめ親に了承をもらったうえでのこと。
かわいいもんです。

小学生のお小遣いでは210円(当時)のハンバーガー1個で精一杯。
ポテトなんて4人でSサイズを1個。
バリューセットなんてまだありませんでした。

財布の状況は厳しかったけど、テストが終わったという開放感も手伝ってとても楽しいひと時でした。

マクドナルドが今は身近になりすぎました。
あの時のハンバーガーの味が今も忘れなれない稲葉です。

金曜日の会議後、皆と松屋に行きました。
帰宅したのち、久しぶりに家の食事をとりました。
あったかくって、いいですね。



2001年09月26日(水) 稲葉、はやくも欠席す

総会後、中村橋勝美荘邸に行きました。
もう電車賃は要りません。
自転車最高。

『東京第24区』の撮影です。
深夜の練馬駅周辺で怖めのお兄さんたちの視線を気にしつつ撮りました。
すっかり寒くなりましたね。
2人で松屋のキムカル丼を食べました。

勝美荘に戻って着替えたらあっという間に眠りに落ちました。
くまが添い寝してくれました…。

……………。

ローハイ本番の夢を見ました。

……………。

久しぶりによく寝ました。
でもちょっと寝すぎました。
午後1時過ぎでした。
『ごきげんよう』やってる。
1限から3限まで授業あったのに。
はやくもサボってしまいました。
昨日の日舞はちゃんと出ているのでそこは偉いと思います。

みなさん、授業はちゃんと出ましょうね。

勝美荘殿と福しんラーメンで生姜焼き定食を食べました。
接客の店員さんは名札に「松原」ってあるのにカタコトでした。

やっぱりね、睡眠と食事は大切ですよ。
これが欠けてると回る頭も回らない。
あらためて、そんな基本をしみじみと噛みしめました。



2001年09月24日(月) 稲葉、走駆す

江古田の自転車屋さんで自転車かいました。
防犯登録含めて16,000円。
これで江古田は稲葉のもの。

買ったばっかりの自転車に乗ってローハイコースをサイクリングしてきました。
もちろん下見という目的あってのことですけど。
たった1人の寂しいけど気ままな小旅行。

正午きっかしに江古田出発。
特別企画長ローハイガイド。

まずは第1チェックポイントの中落合公園まで。
基本的にここまでは何も無い。目白通りをひたすらまっっっすぐ。
途中にすかいらーくガーデンやCASAや牛角とかあるけど寄れません。
目白通りからちょっと小道入ったところに中落合公園があります。
ちっこい公園です。
でもローハイ経験者には懐かしいの第1歩。

さあ第2CP(チェックポイント)に向かいます。
西武新宿線下落合駅を通過、せせらぎの里に入ります。
神田川に沿って歩き途中で小さな橋を渡ります。
ここでプロトシアターという小劇場の脇を通過します。
ここは去年の前期に上映会をしたところ。
稲葉の顔がにやけてしまう地点です。
つづいて序盤のストレイポイント(迷いやすいとこ)の小滝橋5叉路。
以前に車で下見に行った時はみごとに違うルートに入っちゃいました。
みんな、特に班長となる物井殿、迷うなよ。
第2CPの戸山公園着。
ここでちょうど1時間くらいでした。
自転車で、たまに止めて地図に書き込みをしての時間です。

戸山公園を出てしばらくするといよいよ新宿に入ります。
明治通りをぐあぁーっと南下。
新宿2丁目、ローハイのデンジャラスゾーンに突入。
第3CPの新宿公園だけは自転車を止めませんでした。
止めるとさ、この日記に悲しいこと書かなくちゃいけなくなっちゃうから。
いましたよ。こいつは…ってのが何人か。
ここで地図を広げてたら女性に道を尋ねられました。
女性、ってだけで妙に安心して必要以上に丁寧に教えてあげました。

前に1度だけ訪れた芸能事務所のある通りがありました。
見たことあるなーって思って、気付いたら嬉しくなりました。
覚えてた自分が、思い出した自分がかわいい。
自転車にはしゃいで今日の稲葉は無邪気でした。

新宿御苑に沿って外苑西通りへ。
これをずっと道なりに行くと第4CPの明治公園。
フリマの屋台で大賑わいでした。

明治公園をでてすぐにトンネルがあります。
なんでも「出る」らしいですが昼間だったので全然…あんまり怖くなかったです。
トンネルを出た後は上り坂。
大休憩を前にしてそろそろ足が本気で辛くなってくる頃かも。

原宿は竹下通りを突っ切る。
自転車を降りて人の流れにのってゆっくりゆっくり。
でも実際に歩くのは深夜。
そのときにはどの店も閉まっていてゴーストタウンみたいになっています。

第5CP、大休憩の代々木公園。
なんかの団体がアメリカの報復戦争を非難するスピーチをしてました。
当日はここで勝美荘殿たちが暖かくて美味しい炊き出しを用意しておいてくれます。
楽しみにネ。
ここまででちょうど2時間。

第6CP新宿中央公園の前にそびえ立つは東京都庁。
でっかいです。
せっかくなので展望室(南)に上ってみました。
エレベーターの中は耳が痛かったです。
45階だそうですよ。
総会、いや爽快です。
なのに周りの人の話題はみんな同じ。
「これの2倍以上なんだよな」
貿易センタービルですね。
そうだけどさ、稲葉はこの高さで充分です。
充分感動できますから。都庁最高。
そんな中、ビル群を見下ろしながら貴乃花の話題をしていた老夫妻の姿が忘れられない。

さあ行軍再開。
都庁を出てしばらく行くといつしか閑静な住宅街に入っています。
道1本隔てるとこうも変わるものなんですね。
昼間でも静か。
昼寝やサイクリングに適してます。
でもこの辺がもっとも迷子になりやすいところ。
去年、稲葉は違うルートに入ってそのまま迂回して正規ルートに入ったりしました。
誘導員も立たせますが、気をつけてね。

山手通りから東中野ギンザ通り…つっても普通の商店街なんすけどね。
昼間はすごいエネルギーある通りですがここも深夜は静まり返ってます。
第7CP上高田公園。
妙正寺川というドブ川の脇を行くと哲学堂公園通りに出ます。
ここのバス停ではじめて「江古田」の文字が見えます。
疲れきった一同が奮い立つ瞬間。
でもね、甘い。もうちょっとあるのよ。

そこから最終CP江原町公園までの直線が長く感じるんだよ。
自転車だとあっという間ですけど。
いい加減疲れてきてますからね、ここまでくると。

江原町公園を出てしばらく行くと大江戸線の新江古田駅。
ちなみに「江古田」はふつうは「えこだ」と読みますが中野の方になると「えごた」になるそうです。
西武池袋線の江古田駅は「えこだ」。
大江戸線の新江古田駅は「えごた」。
稲葉のパソコンではどちらで打っても江古田と変換されます。

新江古田駅の手前のロイヤルホストで遅めの昼食。
贅沢にアメリカンハンバーグ、1,200円。
疲れててお腹すいてたのであっという間に平らげました。
そっから10分もいくともう見慣れた南口。
お疲れ様ね。
足がね、だるいよ。
29日には稲葉も歩くのね。
皆も歩くのね。
頑張ってね。



2001年09月23日(日) 稲葉、追われる

稲葉は今ローハイに追われてます。
心も体も忙殺されています。
わー。

約270人の名前と学番を名簿に書いたりしました。
腕がぷるぷるします。

にしても会議で提出される「罫紙」って面白いですね。
各部会、各芸責個々人によって書き方、随分違うもんですね。
すごく見やすく書かれていると嬉しくなりますね。
物井殿も
「ここに書面にて報告いたします」とか
「なにとぞよろしくお願い致します」とか書いてます。
読むのは稲葉なのに。
なんかこそばゆい。

ローハイまであと13日。



2001年09月21日(金) 稲葉と勝美荘、涙雨に頬を濡らす

なんかホームページに異常があるようで。
犬飯管理人、一刻も早い復旧を頼む。
でもそのどさくさのなか
『会長音頭』が『コムギコ祭』の上に来てました。

芸責会議、芸プロ員会議を終えて部室でのんびり。
ま、そのころ物井殿や小麦粉殿はコーヒー研究会の部室で頭捻ってたんですがね。

でも大問題が浮上。
プロジェクターが無い!
学校追い出されたあとにべディックルームも探しに行きました。
やっぱり無い。
連絡用にも書きましたが心当りあらば即座に一報あるべし。

そのことで状況を整理するため、みんなでマックに行きました。
前回の会議のお詫びってことで奢ってもらっちゃいました。
でも物井殿、けあま殿、犬飯殿、AR殿、☆殿、井上殿の6人で500円のバリューセット。
1人100円もしないじゃない。

ううん、いいの。
稲葉はじゅうぶん嬉しかったから。

久しぶりにみんなでマック行きました。
会議後のマックはなんかほっとします。
稲葉の大好きなひととき。
もっとも、今日はプロジェクター問題でそれどころじゃなかったのですが。

中村橋勝美荘へ。
勝美荘殿の撮影です。
でも雨。ちっとも止みそうにない。
しょうがないから2人で『ぐるナイ』とか『踊る大ソウル線』(←なんなんだろう)とか見てました。

勝美荘殿も疲れが出てきています。
撮影に関わる人はいたわってあげてね。



2001年09月20日(木) 稲葉、自分探しに出る

哲学的なタイトルですね。
でも全然哲学しません。

忙しいけど、たまに暇になる。
そんなときインターネットで自分の名前を検索したりします。
その結果報告。

なお、ここでの検索にはヤフー使ってます。

【検索1】大野仁志
登録件数30。
◆大野仏壇総本店の代表取締役
◆中学サッカー部の監督
◆何かの12期試験合格者(何の試験かは知らん)
◆キリン1番搾りの「飲んで食って笑おう会」参加者
◆大野屋旅館代表

こんなところですねー。
やっぱりべディックのページと劇団プルのページで引っかかったのがほとんどでした。
前に書いた「劇団こぎと」のページもこうして見つけました。
思わぬ発見があって楽しいですね。
『ぶらり途中下車の旅』みたいですね。

こんなのもあった。
「広島の先発は大野。仁志をゴロに…」
わかる?
言葉を付け足すと
「広島の先発は大野。(巨人の)仁志をゴロに…」
野球の記事なんですねー。
2人で1つのあわせ技。
ちゃんと真ん中にマル(句点)あるのに。
律儀に引っかかってくれました。

【検索2】稲葉 馨
登録件数44。
◆東北大学教授(法政大学にも顔を出しているが同一人物と思われる)
◆行政法学者(著書に関するページが多い。法学者番付なんてページでは前頭6枚目だった)
◆ドイツの選挙の研究家
◆東京都の懇談会の出席者
◆身体障害者の水泳大会の2冠王
◆水俣病と国家賠償に携わっている(行政法学者と同一人物か)

「稲葉 馨」にはいわゆるエリートさんが多いようですね。
かく言う稲葉もまた然り…ですか。
一方の「大野仁志」は地域密着型といえますね。

なんてゆーか、おなじ「稲葉 馨」でも人生いろいろなんですね。
でもきっと、私は一番幸せな「稲葉 馨」なんだろうな。
そうだといいな。
きっとそうだね。



2001年09月16日(日) 稲葉、幾度も寝過す

ローハイコースの下見に行ってきました。
車に乗ってゆらゆら。5人だけの気ままな下見。
午前10時に江古田発。
大休憩地の代々木公園でちょっと休んでたまに迷って午後2時に江古田着。
ポイントのチェックというより懐かしさが先に立ってしまいました。
5人のうち4人が3年生。
「この直線が気持ちいいんだよね」とか
「ここでジュース配ってた」とか
「ここいらになるとハイになってくるんだよね」とか。
通る道のことごとくが懐かしい。
こういう感慨を抱くまでになってくるとローハイも楽しい物ですよ。

車だから楽なんだけど、ずっと助手席で地図みてたから酔った。
代々木で休んで以降はテンションが上がってきたこともあって楽になったけど。

あと体力的にもきつかった。
江古田を出発する2時間前まで松屋やってました。
松屋の前には池袋駅構内で勝美荘殿と2人でゲリラ撮影してました。

今日は午後2時に江古田で解散したのに家に着いたのは午後8時。
寄り道してないのに6時間かかった。
泣きたくなった。

明日は部室清掃ですね。
稲葉は途中会計会議。



2001年09月15日(土) 稲葉、回顧す

こないだ何気なくホームページいろいろ見てたら「劇団こぎと」のページを見つけてしまいました。

劇団こぎと、っていうのは浅野中学校・高等学校にある演劇部です。
稲葉が高校1年生のときに旗揚げされ、翌年には同好会(日芸で言うところの準公認部会)になり、稲葉の卒業後に正式に「部」として認められました。
稲葉は高校2年生のときに所属してました。
ちなみに劇団こぎと、の「こぎと」は
コムギコ祭でも出てきた「cogito ergo sum」によります。
すなわち「我思う、ゆえに我あり」
デカルトですね。

本格的に芝居に触れた最初の場です。
まさに稲葉の原点。

顧問は当時で20代半ばのまだ若い先生。
心から恩師と思っている先生のうちの1人。

受験真っ最中で先生方も忙しい中、
日芸の面接実技の練習に時間を割いて付き合ってくれました。

影響を与えてくれた人。

稲葉はこぎとでは1作品にしか関われませんでした。
稲葉が引退した後もこぎとは活動を続け、何度か作品を観させてもらいました。
そのたびにね
「あと5年遅く生まれていれば…」
って思ってしまったのです。
先生や後輩達はじつに楽しそうに活動していました。
それを客席から見るしかない自分が居たたまれなかったっす。

そんな気持ちもあって日芸にはいってからの稲葉は頑張ってみた。
自分なりの「新しいこぎと」を求めてみた。

劇団こぎとのホームページを見るとさらに大きく成長していてやっぱり
「楽しそうでいいなあ」
と感じてしまうのですが、前のような切なさは今はあまりありません。

たまになら、後を振り返るのもいいですね。



2001年09月12日(水) 稲葉、はやくもローハイに泣く

ここ最近、ローハイの下準備で胃が痛いです。
ただ歩くだけでこんなに書類が要るんですねえ。
もう書類の段階でローハイ分くらい歩いたと思う。まじで。

道路使用許可申請の書類をもらうために練馬警察署にいきました。
交通係りのおぢさんはとっても気さくでした。
悪さしてないのに怒鳴られるかも…って気持ちで行ってたからちょっとした肩透かし。

もうわからん。
頭いたいっす。

でね、稲葉はとんでもない誤解に気がついた。
今年は歩かせる側だから体力的には楽できるって思ってたらさ、
ははは、とんでもねぇ。
下見で歩くんだよ。
しかも2回も歩くんだよ。
やー、すっかり忘れてた。
いやだ…。
小麦粉殿もAR殿も☆殿も井上殿も芸プロだから歩かなくていいなんて思うな。
29日に最終下見として夜通し歩くぞ。
覚悟しとけ。

ローハイ関係のことでだいぶ追い詰められてますけど
ひとついい話があってさ。

松屋の給料が上がりました。
うちのエリアの深夜帯だけ。
基本時給が1,030円。
これに深夜手当てが加わって22時から翌朝5時までは時給なんと1,300円。
人不足ですからね。
露骨な「逃げるな」ですね。
もうちょっとがんばってみよう。

だからみんなもローハイ当日(10月6日)頑張って歩いてね。



2001年09月09日(日) 稲葉、奮起す

合宿から戻ってちょっとした虚脱感に陥ってます。
うん、いつものこと。
稲葉はけっこう精神的にもろい部分があります。
何かが進行中のときは頑張ってるんだけど
それが終わるとね。切なくてなんか泣きたくなるんです。

引退とか卒業とかが視野に入ってくるとよけいに。

さて、センチメンタルになんかなってられないようです。
課題をやっつけにゃならんしローハイの準備もあるし。

久しぶりにメールチェックをしたら、特別企画長補佐をしてくれてるミュージカル研究会の会長さんからメールがありました。
なんかそろそろ警察行って道路の許可を申請しなきゃなんだって。
きゃー。
どーろのきょかのしんせー
具体的にどこの警察に行って何言ったらいいの?
もう警察はたくさんです。
ああ、がんばろう。
頑張って皆を夜通し歩かせてやろう。

ってことだから10月6日の夜は一晩中空けといてね。

さてまもなく1週間強ぶりの松屋。
夕方の6時から翌朝まで。
こっちも大変だけど、ローハイと違ってやることはわかってるから気は楽。
でもまた新メニュー。
キムカル丼(出戻り)と和風ハンバーグ、いちどお試しあれ。



2001年09月08日(土) 稲葉、驚愕した

合宿のお話は次にでも…。
とりあえず小麦粉殿の「変なおじ(い)さん」に関して。

稲葉もそんなじいさん見たことあります。
じいさんというよりはまだおっさん。
でも浮浪者っぽくてきちゃないの。

稲葉が1年生のとき。
芝居の稽古の帰り、2人の芝居仲間と西武池袋線に乗ってました。
目の前にみすぼらしい、浮浪者然としたおっさんが1人。

別に気にも留めなかったのですが、そのおっさん、おもむろに胸元から札束をごそぉっとだしたのです。
すげえ!
かなりの額でした。格好が格好だけにかなりのインパクト。
もう思うことは1つ。
強盗、やっちゃったかぁ。

でもおっさんはさらに上を行く。
終点池袋に近づいたとき、急におっさんの足元にひろがる水たまり…。
だしちゃったよ、とうとう。
でてるのに顔色1つ変えずに札束をいじってました。

電車っていろんな人がいますけど
未だにこのおっさんを超える人は見たこと無い。

ああ、たまーにこんなくだらないこと書きたくなる。



2001年09月05日(水) 稲葉、走る・斬る

なんか『会長音頭』の目次の下の方がはしょられはじめました。
随分いっぱい書いてきたなあ。
おかげさまで900ヒット。
いつか『コムギコ祭』を抜く。
こんごとも稲葉個人ともどもよろしく。

3実も大詰め。
スタッフや他の役者さんはともかく、稲葉的には大詰め。
この日は新座の競技場を借り切っての撮影。
朝の4時30分起き。

陸上の本番の格好です。
すっごい短いランパン。
下半身がすっごい無防備感がしてイヤ。
そのうえこの日はメチャメチャ寒かった。
さらに1時間おきに豪雨がやってきて中断の嵐。
テンション落ちるしびしょ濡れで風邪引きそうだし。
環境としては最悪です。

監督は何度もゴメンネって言ってきた。
いやいや1番辛いのはあなたでしょ。
謝らんでくださいね。
岸塚殿はやさしい監督さんです。

本物の陸上部員と競争しました。
勝てねって。ぜったい。
手や足の振りが違うもの。
真似しても嘘くさくなるだけだし。

結局撮りきらず再撮です。

びしょ濡れの衣装を脱いで私服に着替え。
私服って気ん持ちいいなあ。

そのあと勝美荘殿宅直行。
怒涛の撮影強行軍です。
泣き言は言ってらんねえ!
疲れたよう。

日本刀を使ってのアクションシーン。
前の撮影の筋肉痛が始まってきたところなので辛かった。
大ぶりを何度もやったから右肩が特に痛い。
でも映像チェックすると我ながらなかなかカッコイイのでヤル気でてきます。
カメラマンの腕かしらね。

お腹から下半身が血糊まみれになりました。
ひさしぶりにおねしょしたみたいでした。
ねちょねちょして気持ち悪い。
オチ○チンにまで血糊が侵出してきました。
今朝お風呂で裸になったらうっとり…じゃなかった、びっくり。
体がひたすら赤かった。お風呂場も赤くなった。
『白雪姫と七人の侍』の時は緑色になりました。
岡山作品に出るとお風呂場が染まります。

朝方、空が白みはじめたころ、最後のカット。
でも弾着は失敗。
露っぽかった環境にずっと置いといたままだったからね。
そりゃ火薬も湿気る。
勇気振り絞ったのにぃ。

徹夜の撮影は久しぶりでした。
疲れるけどいい充実感。
いい作品になりそうよ。

さて、帰って合宿の宿に連絡とって寝ました。
ぐーぐー。
もっと寝ていたいのに淑子に起こされました。

今日はNHKが淑子の取材に来ました。
淑子はバンドをやっているのです。
稲葉が小学校の頃はしょっちゅうテレビの取材が来てワイドショーには一通り出ています。
日本初めての主婦(子持ち)バンドなんだとか。

疲れてたけどちゃんと着替えて受け答え。
なかなか受けてなによりでした。
笑かすのか目的じゃないんだけどね。
稲葉は携帯のストラップもらいました。

さて明日から合宿。



2001年09月01日(土) 稲葉、羨む

小麦粉殿の日記、熱いですね。
うん、去年のあなたは頑張ってました。
夏合宿に行けなかったのが今でも悔まれます。

一昨年は稲葉も頑張ってました。
劇団を創って最初の公演に向けて一喜一憂一進一退。
笑いもした。泣きそうにもなった。泣かしたこともあったっけ。

去年の夏はその劇団の第5回公演の稽古中。
アドルフヒトラーなんて役に挑んでたっけ。

稲葉の熱いは2年前より現在に至るまで継続中。

でもね、稲葉はたまーに小麦粉殿が羨ましくなる。
物井殿が、勝美荘殿が羨ましくなる。

稲葉はべディックの中で誰よりも多くの作品に関わっていると思ってます。
勝美荘殿も映画で大活躍してるけど、芝居も含めたら稲葉の方が数では多いと思います。

ですが「稲葉の作品」と言えるものは『誰かの3日間』所収の『星合の頃』のみ。

2年生になってすぐ、勝美荘殿や総務殿(彼女は当時の時点で監督として2作品を創っていました)を差し置いて企画長になりました。
小麦粉殿の日記にあるような苦労をしました。
役者一筋で監督なんてやれる筈もなかった稲葉ですが、監督経験者の勝美荘殿・総務殿に助けられ、演技コースの同輩・先輩に演技の面で助けられ、新たに入ってきた1年生に発奮させられて。

何とかしようと思ってれば、何とかなるもんなんですね。
助けられてばっかりなのに、そんな自分がなんかカッコイイ。

それを1番感じるのはやっぱり企画長じゃないかしらね。
素敵な感覚です。
勿論、一役者として参加しているときも充実感は得られますけど、周りをリードしているとそれにプラスαが加わるんです。

だから勝美荘殿たちが羨ましい。
ビギナーズの監督連が羨ましい。

大変なのはわかるけど、今あなたがやっているのはすんごくカッコイイことなんよ。
締め切り間近。
さあ奮励努力せよ。
泣き言を言うにはまだまだ早い。
合宿でともに笑おう。

稲葉は1年越しの夏合宿を心待ちにしています。

来年、会長職を離れたときに監督をやってみないかと勝美荘殿に誘われています。
監督・稲葉。撮影・勝美荘殿。
まだなんとも言えませんけど、やってみたいなー。
最後にもう1つ、「稲葉の作品」を残してべディックを去りたい。

最近なんか説教クサイ話が続いてますね。


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稲葉 馨

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