2002年02月28日(木)
一睡もしてないハイテンションでいっそ月まで
終了.
ずっと続くんじゃないかと思っていた日々だった.終わるとは思わなかった.
………修論が.
2002年02月27日(水)
現状報告
微妙に切羽詰まっています. 明日は異なる2つの提出物の〆切日なのでございます.作業は微妙に終わっておりません.どうしてこう直前に慌ただしいのか,いつもいつも同じ事を繰り返しているのか,自分に問うているのに進歩がありません.
なんて反省していても無駄に時間が経つばかり.
とりあえず夕飯を仕入れてきます.空腹. (現在23時)
2002年02月26日(火)
断片
時間の使い方が下手すぎる.頭悪い. エンジンをかけて助走する,その距離が長すぎる.集中し始めればできるのに,と言い訳したところで意味はない.大事なのは結果だけれど,その無駄な時間を削ればその分を別の作業に充てられるのだから,同じレベルの結果を出すならやはり無駄のない方がいい. ばかだよー.ばかばか.
助ボスさんから頂いた紅茶のクッキーがおいしい.葉っぱが入っていて,かりかりしてる.
夜中,10cmくらいの長さなのに根本まで裂けている髪の毛を発見.感触が妙だなと思って抜いてみたらびっくりだった.きれーにフタマタ.髪の毛の構造からしても,こんなにきれいに裂かれるモノなのだろうか. でもまあ,それだけ痛んでいるってことかい.
昨日,大学へ向かう車内で夢枕獏の『空気枕ぶく先生太平記』を読んでいて電車を降り損ねかけた.危険きけん.今夜の帰りも読む本がある.雑誌も昨日のうちに買ってある. まだまだ読みたい本がある.ちょっとシアワセ.
別に. 今の生活に色恋は必要ないけれど,ただ,朧月を見上げた時に思い浮かんだコトを話せるような相手がほしい. そんなことを,ふと思ってみたりする.
2002年02月25日(月)
泡
ここに書けばいいというものではないが,他人に3Dでお聞かせすることでもないので,他人に文章でお読み頂くために仕方なくここに書く.申し訳ございませんお読み下さる方々. さて(息を吸う). しゃきしゃき作業を進めようぜ俺! 時間がないのに!わかっているのに!どうしてこうなんだか!ああああ逃げているんだよ畜生わかってるよ!逃避だよ逃避しているのさ全力疾走で逃げているんだよ逃げられないことを知っているのに踞っていれば大丈夫なような気がしてしまうのさ! ………と. 叫んでも仕方ないのだがちょっとそんな気分.
こんなときには具体的な人や抽象的な何かに対する黒々とした感情が,メタンガスのようにぶくぶくとあぶくになって表面に浮かんできてしまう.ぷわんと現れ,ぽわんと割れて. あなたになにがわかる,という言葉とともに. その度に,ああワタシは立ち止まったままだったんだなと思い知らされる.
苛立つようなワタシのメールに対する,やっぱり苛立つようなメールが返ってくる.研究に関しての議論……に近いやりとり.それだけ.ええそれだけ. これから学術誌に投稿したいと考えていることについての話だから,どうしても打ち切るわけにはいかないのだけれど,ちょっと弱々になっていると感情の方がついていかない.別に感情は必要ないメールなので自分の感情などは放っておくのだが,放置されてさすがにちょっと泡立っている. 打ち切りたかったんだけどなあ,と溜息一つ.
2002年02月24日(日)
あくまで独り言
昨日の日付の日記をさっさと過去に追いやりたくて書いている.
ごめんなさい.無意味な更新かしら.でも私にとっては意味があるのよ.書き直すのも違うかなとも感じられるけれど,それでもその言葉はあまりに被害妄想というか被害者意識が鼻について胸くそ悪くて我慢ならなかったのよ.あら言葉使いがナニだけど. 「自分の扱いが軽い」だなんてよく恥ずかしげもなく書いていると思ってしまうわ.数時間前の自分だけど.なんという自意識過剰.誇大広告.誇張された自我.なんかずれてきてるわね.まあいいわ.
ここ数日,波に乗れなくて停滞している自分を感じている.作業に気持ちが入らない,進まない.〆切があるのにも関わらずネット徘徊・妄想徘徊・現実徘徊. この気分のムラをなんとかしないと,正常な社会生活が営めないのではないだろうか.そんなことまで考えてみる.実際には,社会人になったことなどないのだから今から考えるだけ無駄,ただの杞憂,自己満足の悩みなのだ. このような自己否定とその公開によって己を理解しているような気分に浸れてしまう.これは客観的な視点で己を観察し理解するよう努力するという姿勢に対して非常に危険であるように思う.
どうしてこうなのかしら.よくわからない. 精神的な問題を高尚と思い,その問題を解決する方向と180度逆方向を突っ走り,ただ自己憐憫に浸っているような気がするわ.単に疲れているだけじゃないの.よく寝て沢山食べて運動をすればすっきりするように思うけれど. まあ元気がちょっとないのは確かだけれど,だからといって作業がなくなるわけでも締め切りが延びるわけでもないのだから.ああそうやって自分に言いきかせているのにね. 単に周囲に誰もいないのが寂しいのよ.わかってるわ.
ここまで.0:45.さて,作業の続きをしよう.
さて. 現在の時刻は14:37である.かなり長い間,寝ていた(今起きたわけではないが). 作業の量と〆切までの時間を考えて,さすがに焦る.
ええ,確かに自分でも気づいてはいるのよ.どうしてかしら,なかなか動こうとしないのよ.それを甘えと解釈するのは容易いわ.そして多分,正解. 何に甘えているのかさえ分かればどうにかなるのかしら.今の私にはその判断力さえないようね. 今,自分が抱えている作業から目を逸らすために色々な感情を呼び起こしているのかしら.ただの逃避なのかしら.それならば,作業さえ終わってしまえば,これらの厄介な感情も霧が晴れるように消え失せてくれるのかしら. それを期待してただ作業を進める.期待するの.霧をはらす自分に.
二時間経ったわ. 作業は少し進んできた……っていうところかしら.もう少し頑張らないといけないのよね.やりましょう.自分の為なのにどうしてさっさとできないのか不思議でならないけど,今更それを言っても仕方ないもの. 単に怠けているだけじゃないの.責任が生じるシゴトになっても,このままでいないかどうか不安だわ.一社会人としてやっていきたかったら,もっと自覚をしましょ. ああでも,本を読みたい.部屋で転がって本の世界に溺れたいわ.
更に時間が経過. もう少しで,どうにか最低限の作業が終わる.気力は萎えたままだが,これで明日の作業は少し楽になるだろう.ただ,遅れていることにはかわりない. 今夜はよく眠ろう. それにしてもやはり口調……は違うか,文体はこの方が合っているように感じる.別に「〜だわ」等の言葉でも構わないようにも思うが,普段の口調があまりにも「〜だわ」等からかけ離れているために,自ら違和感が拭えない. 以前,「〜だわ」等の文体で色気のある文章を読んだことがある.単にふと思いついて試してみただけのなのだが,まあ結果は得られた. 私には無理.
2002年02月23日(土)
身の程知らず
他者との比較に敏感だ. 過敏と言ってもいいかもしれない.自意識過剰であることは自覚済み.とにかく気になる.身近な人間と比較されるのは本当に苦痛.容姿でも能力でも愛され方でも. 原因も分かっているけれど,わかっているのとその原因をどうにかできるのは別. 今はうずくまっている時期らしい.ああさっさと立ち上がればいいのに.
特に自分を軽く扱っている人間xが身近の人を高く評価して大事に扱っているのを見ていると,思わず何も悪くない他人を恨みそうになる.恨みたくはないからその度に呑み込む.その場面を時間を感情を. 人間xがどれだけ自分を心配した言葉を吐いても底から信用はできない.だって行動が伴っていないじゃないか.アノトキの言葉はなに?行動はなに? 人は時間と共に変化するから? ソンナコトを言ってたら,誰もが言葉に無責任になるじゃないか.
それとも普通はそんなもんなのだろうか.ああ多分そんなものなんだろうな.
誰もいらない.欲しがらない. そんなにいらない人なのかな.
ああ.あさましい.自分のあさましさがイヤになる.
2002年02月21日(木)
彼の自信を喪失させる1の方法
友人ムとお疲れ会. 彼女との話の多くは思想やモラルや美意識や,それらに基づいた悪口なのだが(意味不明?).
自己顕示欲が強く,人を卑下して自分のプライドを守ろうとする嫌いな彼は実は自分に自信がないのだろうね,という話をしていた.どの方面に自信がないのかまではわからないけれど,そうまでしないと保てないのだろう,と分析. そのときに,彼の自信を喪失させるやり方として
******以下削除.御想像下さい******
やらないよー.だいたいこういうやり方で本当に自信喪失するかわからないし(実行したことはないから).他の点できちんと自分を認めている人なら,ショックは受けても自信喪失にはならないかもしれないし. 薄々わかっているけどね. やらないですよーホントですよー.人の一生を左右するかもしれないことはしたくないですよー.身体的に気にしているコトを無神経に指摘されること程,ざっくりと人を斬るコトはないと思っていますもの.腹の中では人を斬る言葉を思うけど.ええ性格最悪だけど.
ただね,人を卑下しないと保てないような自信なんて棄ててしまえ,と思ってしまうのでございますよ.嫌いなの.そういう行為. 人の自信やプライドをざくざくに斬って踏みにじって自分を保とうとしているのを見ると,たとえその人に深い深い事情があるのだとしても,それでも許せないの嫌いなの. 特に,踏みにじられている人が大事な人なら.
うん,だからって,その人を斬り返さないようにはするけどさ.人を傷つけていい理由にはならないからね.でも.でもさあ.
辛い状況の時に人の本質は表面に出てきやすいと思ってしまった今日この頃.あーあ.
2002年02月20日(水)
感情の記号化で何を望むのか
別に日記を書きたくないとかそんなことではなくて. (いや,別に心配のメールを頂いたとかいうワケでもないんですけど) 家で倒れていたりバイトに行っていたりして数日.卒業はできそうだけれどヤケに作業が多い.今月中は必死こいてイロイロ.卒業旅行の予定などなく,なんとはなしに寂しい気分.ちぇ. とにかく今月中にしなけりゃならんことを書き出す.一つは卒業関連だから当然.もう一つは未来のシゴトのためだから当然.残りの一つは住居関連なので当然.…できるのか?
マックのトレイにある広告をみてちょっと驚く. 携帯で,顔文字をオリジナルで作れて使えるようになったらしい(パーツを選べて「顔」を作れるとか).まあそれ自体はどうでもいい.ただ,広告文の「気持ちをよりリアル(だか細かくだか)に伝えられる」というのに驚いただけ. より記号化しているだけなんじゃないのか. そんなに気持ちを伝えたいものなのか.そんな事態,ワタシにはそう滅多にないのだけれど. だいたいその広告にあったような「ナントカ君と旅行に行けるの(だったか?)嬉しい」という内容で別に気持ちをよりリアルに詳細に正確に伝えようとは思わないので何とも言えない. 気持ちを正確に詳細に伝えたい場面など,本当に「ここ一番」というときしかない.そんな時は滅多にない.そして,どんなに心砕いても「正確に」なんて伝わるはずがない.
……まあ,そういうことから考えると,その記号化された「記号」の認識が共通していれば,それなりに正確に伝わりはするのかな.そういう意味では確かに使えるモノなのか. でも,そんなに気持ちを伝えたいのかな.伝えることによって何を期待しているのだろう.ワタシは確かに寂しがっているけれど,それについては望んでいるのかよくわからない.
追記: 顔文字があることによって表現の補足・強調はできるなあとちょっと思いましたよそういえば. 顔文字のメールを受け取るたびにそう感じておりましたわそういえば. そっかアクセントか.確かにそう考えると有効だよな.使ってないけど.
2002年02月16日(土)
自問自答
別に日常を赤裸々に書いてはいない. 何かの思想を殊更に書いたりはしていない(つもり).
どうして日記を書いているのでしょう.
web上で日記を書いていることを知っている唯一の人が,電波系のハナシをしていたときに「君も同じでしょうが」と言う.過剰な自己表現.web上なら何を書いても,と言わんばかりの空気.そのことについて. 話せないことを書いているから.ここなら大丈夫ということで.
そうなのか. 確かに,言えないことを書いている.最初はそうだった.今もその傾向はある.でも,安全とは思っていない.ログである程度の個人情報はばれるしさ. でもどうなんだろう.どうしてなんだろう.
結構,自分でノートに書く日記と近い感覚でいるのだけれど,公開している時点で似て非なるものではある.それはわかってる.
私の場合は,寂しいのだろうな.結局. そう思う.
2002年02月15日(金)
審査終了
終わる.
もうとにかく終わる.もうあとは結果を待つしかない.いやはや. 疲れ切っているのに何故かなかなか帰らない.ああ,家がここから歩いて五分とかだったらよかったのに.怠々.
ちょっと質疑応答で失敗したのが心に痛い.
各方面に御礼参り(拳の語らいではなく).
ボスと助ボスさんが下さる評価が一番嬉しい.いや,失敗は失敗なんだけれども,それでも.
眠い,というより倒れたい. でも明日は銀座でちょっと買い物.
2002年02月14日(木)
現状
2002年02月13日(水)
わかれみち・まがりかど
返信,来る. どうなるかはわからない.さあ,どうなる.
準備はほぼできあがる.明日,ボスや助ボスさん以外の人々に発表練習に付き合って頂く.もう,手直しの段階ではなく練習の段階(の予定).時間や順序,質問に対してどう答えるか,など. 本番は絶対に予想もしなかった質問がくるに違いない.どんな質問がくるのか,それなりに対策をたててはいるのだが,はてさて,どうなることやら. 帰りの車内でボスに「ここは直した方がいいよ」と言われたアブストの日本語を考える予定.
なんとなく,メールを棄ててしまったことは寂しく感じている.過去なんてアタマの中にあればいいじゃんと思わなくはないけれど,一応,あれらは私にくれた言葉だったからだろう.ちょっとした寂しさ. 仕方ないとも思っているけれど.
2002年02月12日(火)
賽は投げられた
つか,ワタシが投げた. もう遅いのかもしれない.遅いと思っている.ワタシはなかなか諦めなかったから,その分,他方面には本来の対応でいたからだ.本来とは,筆不精で無関心.こんなだから,普通ならもう遅いはず. さあ,どうなる.音沙汰なしに傾いているワタシの判断.
これで仰る通り,とりあえず前に一歩を進めてみましたわ.後はもう流れのままに.
それにしても生活が乱れた. 今は朝の5時半だ.これから眠ることになる.昨夜,やはり興奮しすぎたよう.あれでひどく崩れた.まあ眠たいことは確かなので,横になったらどうにかなるだろう.
そうして,今は22:59である. 今日も泊まることにした.明日までに全ての準備をしておかないと,ボスや助ボスさんにチェックをしてもらえない.明後日はお二人とも一日中外出だ. 3泊4日.少しイヤになってくる程度.
まだ返事はこない.来るだろうか.少し,疑問. 今のワタシの状態は特定の対象を求めているワケでは特になく(敢えて言うならば言えるけれどソレについてはもう拘ることはしなくなったから),ただ優しいこととか柔らかいことをほんのりと求めているだけだ.そのような状態で一歩踏み込んでよかったものか,未だわからない. しかし,ワタシの中では既に「済んだだろう」と考えていたことであるので,今更どうこうしたコトになるとも思えない.その「ならない」という確認のために踏み込んだ気がする.我ながら. ただ,それでも踏み込んだことにかわりはない. もしも終わっていなかったら,そこで引き返せるとは思わない. 賽は投げられた.ソノコトはよくわかっている.
…つーか. 本音を言えば,発表審査に集中していてそれどころではないんだって. とりあえずもう仰った通りにやったからな.これ以上アナタの手を煩わせることはしないから,この件についてはこれ以上何も言うなよ.
2002年02月11日(月)
吐露
3:30 深夜. ものすっごく霧が晴れたよ.いやマジで本気で.多分これからも少しは哀しく思う時もあるんだろうけど,もういい,と本気で思った.感じられた.心の底からもういい. 君が私をいらないことが本当によくわかった.もう私にとっても君はいい.
怒りなんてない.驚いてしまったよ.そこまで言葉に無責任な君に.
うっわ.ホントにすごいすっきりした.少なくとも今は哀しんでいる余裕はないね.驚きすぎて.
14:23 昼間. あの後,やりとりしていたメールも持っていた画像も全て棄てた.さくさくっとできる自分にも驚いた.多少,寂しさを感じていたりとか,あそこまで棄てなくてもいいかなと思ったりもするのだけれど,その方がいいと瞬発力で行動していた.多分,間違ってはいないと思う. 夜が明けるまで何故だか眠たくならなくて,アルコールが入っていたのに珍しいなと思いつつ,作業やら遊びやらしていた.結局数時間眠っただけで起きることになる.自力で起きたんだが. 久しぶりにクリアなアタマ.寂しくても哀しくても重苦しくないのが本当に久しぶり.
まあ今はこの爽快感を楽しもう.寂しさなんて,これまでの重さに比べればなんてことないさ.
ただ. 嫌いになったわけでは決してない.本当にそれはない.我ながら不思議に感じるが,奴のシアワセを願う感情は確実にある. ただ,ワタシはもう関係しないのだ.できないし,自分からその感情が消え失せた.諦めた,という言葉が近いかもしれない.奴のシアワセにワタシは無関係だ.ただシアワセであればいいねと思うだけ.それだけ.関与しようと思わない,思えない.そして向こうも望んじゃいない. それが本当によくわかった.納得した.理屈ではなく身体的に納得がいった. そういうことだ.それならば,もうワタシは構わない.そこまで行けたのならもういいのだ.
2002年02月10日(日)
戯言.
酔っぱらっていると自分の持つ寂しさの輪郭が際立ってイヤになる. 確信を持たせて.御願いだから存在の確かさをちょうだい.ここにいる自信がないよ.ホントにいる?ホントにいる?私はマジでホントにちゃんといる? あのときに死んでしまった気がするよ.でもそのままいなくなっていた方がよかったのかもしれない.そんな腐ったことをつい,考えてしまう夜は大嫌い.アルコールなんて,素敵な酩酊はくれない. 明るい昼間を生きていこうよ.どうしてソンナコト考えるのかよくわかんない. 抱きしめて.恋じゃないけど,好きなことは好きだよ.ねえ. アナタの腕は誰かの専用だろうけどさあ.
2002年02月09日(土)
もう君のてのひらの感触はおぼろげだ
何故か眠くならなかったのでそのまま徹夜で作業していたら今頃(21:45)になって恐ろしく強力な睡魔がやってきた.先程までボスと助ボスさんと発表練習だったから,そのために気が張っていたのだろうけれど. 練習は散々で,もう自分のバカさ加減に涙すら枯れ果てた状況下だった.なんて能力がないのだろう.けれどそうやって卑下したって何の特にもならないのだ. お二人の指摘・手直し・注意等をせこせこメモする.ああがんばらなきゃがんばらなきゃ.
昼. 二ヶ月ぶりに奴と電話で話をした.私の方が訊いて,かけなおしてくれた. けれど研究に集中してきたモードで,加えて多分もう私の役割はないらしくて,なんて言葉にしたらいいのかわからないけれどなんとなく会話の中にしっとりとした湿度が感じられない. そういうもんだよな,と思う.
どうして徹夜するとアタマの周囲が麻痺している感覚に陥るのだろう. 眉毛のすぐ上あたりからくるっとアタマ周りを一周して麻痺しているように感じる.じわじわ,というより「しわしわ」する.もう眠いというより意識を失いそう,が近い.気を抜くと,飛んでいる. 家まで辿り着けるのかなと思ったが,友人ムが「絶対家の方がいい」と背中を押す.そうだよな.風呂と布団のある場所の方がいいに決まっているんだけどさ. 面倒らしい.帰るけど.
2002年02月08日(金)
自分の存在理由と与えられた役割
自分の存在理由を他人に求めることは,詰まるところ「甘え」で以外ないのだろうか.
などと,ちょっとだけ考えてみたりする夜.
今朝は髪型が「本日のワタクシ」の気分によく合い,自分の映る影を窓などで見るたびに憂鬱にならずにすんだ.すばらしい一日.コシのありまくる頑丈な髪質なので,帽子で抑えるなどしないと落ち着かない.ブラボー!ニット帽.今日はなんだかストレートな感じ(意味不明). 問題はニット帽をかぶれるのが寒い季節だけってことさ.春になったらどうするんだい?キャップだと髪の毛に段々の癖がついてしまうんだ.
誰に話しかけているのかよくわからなくなってきた.何故ハイテンション?
自分のコトを「いらないヒト」だと感じてしまう日はどうしようもなく沈み込む.別に,人々はそこまで極端なことを考えているわけではないのに,自分勝手にそう思いこむ. 被害妄想に近いトコロがあったり.危険キケンー. ある場において,人々にはそれぞれ役割がどこからか与えられていて,ヒトは無意識にその役を忠実に演じている.ただその役割において,自分が少し不満を覚えるだけのハナシ. あるヒトとの関係において,自分の役割がそれ程重要性を持たなかっただけのハナシ.
そんなモノ,どこにでも転がっているじゃないか.
違う?
2002年02月07日(木)
いまだ花火は打ち上がり
熱は出ていないようだけれど,カラダが怠々なのはやっぱり風邪のせいなのだろう.普段の体温よりは高めになっているのだから,仕方ないか. それでもそこそこ作業が進む.明日で一段落させなければならないのだから進まないと困るのだけれども.準備は終わるのだろうか.うまくまとまらないからとにかく必要な図を揃える.できることをしておかないと,何も進んではくれない.
ぼんやりと,終わったことを寂しく思っているけれど,これはいい加減にしつこいだけなのだろうか.花火はまだ打ち上がっているのか.火薬の匂いが微かに漂う程. 振り返り,そんなこともあったと思い出すようになるには,あとどれくらいの時間がかかるのだろう.遠く遠く離れるには,どれくらいの日々を過ごせばいいのだろう.そのように感傷的になってみる自分を嘲笑.今はただ,疲れているだけ.センチメンタルに浸ってみるのが楽なだけ. 時間と労力の無駄.逃げても何も変わらないし進まない.
今,助ボスさんが発表練習のことで来て下さった.執筆終了後,(理由はあるが)なんとなく「呆れられてもう厭われているんじゃないか」と勝手に思い詰め,少し近づけなくなっていた. よかった.気にかけて下さったのが嬉しい.たとえ呆れられて厭われていても.
こうやって他人の顔色にびくびくしている自分がどうかとも思うけれども.
2002年02月06日(水)
『すぐそこの遠い場所』
昨日は友人達と母になった友人に会いに行った.彼女の息子は非常に可愛らしく,彼女は見事に母親であり,時間の流れというか自分達の年齢を強く自覚した. その頃から既に調子が悪かったのだが,今朝になったら風邪は悪化していた.赤ん坊にうつっていなければよいのだが.
昨夜購入した本に満足する.まだ全て読んではいないが,少しずつ読み進めるつもりだ. 『すぐそこの遠い場所』 クラフト・エヴィング商會 晶文社 これ関係には前々から興味があって,何よりワタシの好きな空気を纏っていて,ゆっくりできる時期になったらゆっくり読もうと待ちかまえていた.今がその時期だ,というわけでもないのだが,まあいいじゃないか.のんびり読もう.
最近,本に目を通してはいるが書き記してはいない.心に残らないというわけでもないのだが,多分,自分の感じたことを書いているほど余裕があるわけではないのだろう.そのうちに,ええ,そのうちに. 読書欲は高まっている.いい感じ.
しかし風邪はホントに悪化.多分熱が出てきたなこりゃ.
週末に発表練習.そのための準備をあと数日で.
2002年02月04日(月)
待機中
苛々していたのはホルモンバランスの崩れのせい.普段はなんとなく分かっているのだけれど,今回はちょっと早まったモノだから把握していなかったのだ. もう今は怠いだけ.少なくとも苛ついてはいられない(怠くて痛くて貧血気味だから).
久々のバイトはちょっと疲れた.お昼御飯を食べた後は鎮痛剤も効いてきて痛みが和らぎ眠気が増す.作業中に何度となく意識を失う.周囲にばれていただろうなと思いつつ.
来るはずのないメールを待っている. 待っている自分に気づいている.そして気づかないふりをする.
もうワタシは,いらないヒトなのに.
2002年02月03日(日)
白黒・蛇足
昨日,休んでしまったのはどうも熱があったあったから,らしい. 今朝にはもう微熱も下がり,ただ耳の奥でがさごそと鬱陶しい音がするくらいになった.音の他にも少しだけ膨張するような感覚がある.中耳炎の症状に似ている気がして,ちょっとイヤだ.耳鼻科に行っている時間がない. 風邪だとは思うのだけれど.一応,薬を飲んでおく.
君からのメールを読んでいて,もう,君にメールを送りたいとは思えない,と思ってみたりする.どうせくるくると回転していく感情.けれど,なんとなく,こうやって音信不通になっていくような気もしている. 「0か1か」「白か黒か」 この性格をどうにかしないといけないのかもしれないが,今更すぐにはどうしようもできない.ただ,感情だけをぶつけた子供じみたメールを送ることだけは控える.ただ消えていけばいいじゃないか.わざわざアッピールしなくたって.そんな叫ぶようなコトをしなくたって.
で.蛇足. 別に前回の日記は発端の方にぶつけたわけではないんですけどね.まあ,どう受け取られようと発信した以上,その解釈には関与できません.文章力不足は自覚しているし,なにより流行りは終わったらしいのでこれ以上なにかを書くつもりはありません. ということで,そのように(問い詰めのこと)受け取られていたら申し訳ありません.問い詰める気はさらさらございません.ただの個人的な自分勝手な感情の発露であり,そもそも流行った題目(癒し)については語っておりません. ま,そんなところで.
更に. なんだかもうすぐカウンターが10000になりそうです.うわーびっくりー. 自分でそれなりの数を回してそうですけど,それでも,やはり来て下さった方々のおかげでございます.ありがとうございました. キリ番制度はないので,感謝の言葉だけですが.ここが同人系なら「リクエスト画像プレゼント」などあるのですが……活動しておりませんしねえ.あ,5ケタになったのを見たら,パソコンの前で感謝の舞を致しますです.はい.そんなところで一つ. 感謝を込めて.
2002年02月01日(金)
言葉の重みについて・補足説明
風聞帳に書き込みをしました.それはそれで何か思うところがある人もいらっしゃるかもしれないので,一応,何かしらを書いておきます.書いたことが余りにも断片的というか,何をコメントしているのか不明瞭なので.
予め断っておきますが,ワタシは院生でありながら文章能力に著しく欠けていて(ボスのお墨付き),論理的な文章は非常に不得手です.読みにくいことこの上ない,はず.くどい文章です. そして,テキスト庵に無関係にこちらに来て下さっている方々に多少の説明を致します.風聞帳というのは,テキスト庵内の「最新テキストの評判を読んだり書き込んだりできる場」なのですが,そこで最近「癒し」について書かれた日記に色々な方々が反応を示していらっしゃるのです.それにワタシが加わったものの,自分のコメントの意味不明さに呆れかえり,少し補足的に書いておこうと思った次第です.
まず,「癒し」の風潮に関して言えば,必要な人が求めればいいし不必要ならまあいいじゃんという曖昧かつ適当な感想.ただ,自分にとっての「癒し」は自分で把握しておきたい,とも思います.これが癒しですーと提供される程のことでもありません.癒しなど,非常に個人的なものであって然るべきだと考えているので. それくらい.ああ,ただ昔から(高校生くらいから)お香が好きだったのに,それを人前で言うと「癒されるよね」と返答されるのには違和感.そうじゃねえよ好きなだけだよ.
さて,本題. 最初に,どうしてコメントを書き込もうかと思った理由.「癒し」に対して特に強い感情を持っていないのに何故に反応したのかといいますと,言いたいんですが,本当は反応してはいけない場所に反応してしまっています.日記という「公開された」モノではない部分に反応したので,ちょっと書くのは控えておきます.コメントは既に書いてしまったので,もしその方がここを御覧になっていたらごめんなさい. と,くどい文章を書き連ねていますが.
よく,「あんたに何がわかるっていうのよ」というセリフがあります.アナタは経験していないんだからわからないでしょ何がわかるのえらそうなこと言わないでよ,という意味でしょう. それに通ずるモノを感じてしまったのです.瞬間的に. 確かに,ものすごい経験の前では人は言葉を失わざるを得ません.経験から出た言葉の重みはワタシも知っているつもりです.けれど,「ワタシはこれほどの経験をしています.そしてこの経験からこのようなことを思います」と言うのは. 一歩間違えるとパワーゲームになってしまいます.
だって,そんな経験をしてきた人の前では何も言えなくなってしまいます. 反論しても「何がわかるの?」と言われたらそこで話は終わってしまいます.
もちろん,今ここでワタシが取り上げているのは,「重みのある言葉を持っている人」のコトではありませんね.本当に重みのあるコトを言えるようになった人はコミュニケーションを拒んだりはしないでしょう. ぼろぼろになって潰れてしまう人がいます.「こんな経験があったの」という言葉を武器にしてしか生きていかれない人がいます.それこそ「生命力」を問われてしまう.残酷に.哀しいくらいに残酷に. それを否定しません.決してしません.ただ,ぼろぼろになったからって「えらそうなこと」を言えるわけでは決してない,とも思っています.
言葉に重みがあるのは,どんな経験からでもそこから何かを,生きるための何かを掴み取ってきたからではないでしょうか.逃げたり目を背けたり血を吐くような夜を過ごしたりして,それでも何か,生きていくための何かを掴み取れたその時に,その言葉に重みが出てくるのではないでしょうか. そのことに「経験の重さ」はかなり関わるでしょう.けれど,何より大事なのは,思考を止めてしまわないことだと思っています.ええ,個人的に.
注意を申し上げれば,耐えきれない時には思考の停止は大事です.耐えきれない時に考え続けると,壊れるか,死を選んでしまいかねませんから.まあ,勝手に脳味噌が思考停止を選んでくれたりする場合もあるので,そんなときには上手くできているなあと思いますけど.
閑話休題.
「経験」など,擬似的で距離のあることであれば世界中で色々なことが起きています.ある意味,そういった事実を知るだけでも「経験」になるでしょう. 世界は哀しみで満ちている.どんなに残酷なことも起こりうる.そして起きている. ソノコトについて哀しみ怒り,そして考える.考えて考えて得た結論は,十分に血の通ったモノだと思うのです.たとえそれが経験によって覆されてしまうようなモノであっても.それでも.
つうか. 何よりも. 本当の本当に反応してしまったことは.
人に対して,どうしてソンナコトを訊けるの?
ということなのです.今まで長々と鬱陶しく書いていたことも本当に思っていることですけれど,何よりも反応したのはそこなのです.ああ書いてしまいましたよ,ええ書きましたとも.
普通,訊けますか?過去なんてなかなか語れるモノではないでしょう.語れるの?そんなものですか? だって相当の覚悟が必要ですよ.相手に重みをかけてしまいかねないんですよ.重ければ重い程,相手への負担も相当のものなのですよ. どうしてそう訊けるのでしょうか.
更に疑問なのは. そうやって相手の過去を訊いて,「ああワタシにはこんな過去がありますよ」と過去の重さを知ったら,そうしたらその人の意見にも納得するのですか?ああ重みのある意見ですねと思うのでしょうか?
まあ,納得はするかもしれません.こういう経験からこの言葉が出てくるのか,と.はいそれは納得.そうでしょう.でもそれと「言葉の重みがありますね」は別でしょう.別ではないのか?
だいたい,言葉に重みが出てくるような過去って何ですか.決まってます?人によってどこで言葉に重みが増すかなんて,それこそ千差万別ではないんですか? で,訊いてみて相手がマジで超ド級のヘヴィな過去を持っていて,でも言いたくはないようだったらどうするんです?どうなんです? 傷の言葉で傷を刺すのは,それもまた無神経なパワーゲームではないでしょうか.
はい,書いてしまいましたね.反論御意見ありましたらどうぞ. 取り上げてしまった方に対しては,始めの方にもありますが心からお詫び申し上げます.そのことについて本当に謝罪致します.申し訳ありません. おそらく,どこかに何かをお持ちで反応なさったのだと思っております.カチンと.ワタシもまた「強者と弱者」という捉え方をしがちな人間なので何とも申し上げられません. ただ,コミュニケーションだけは失ってはいけないと思うのです.それを言ってしまっては全てがお終いになってしまいます. 人と人は理解し合えない.それでも少しでも近づくために言葉と想像力と時間を使って,人は人と向かい合うのだと思うのです.
そして. コミュニケーションを取りようもないくらいに深く深く傷ついて,回復に時間のかかる場合があることも知っているつもりです.「アナタに何が分かるの?」という言葉を使う時があることも知っているつもりです.そうやって回復していく場合があることも,知っています. ある程度まで回復しないと,他人とのコミュニケーションなんてやりようがありません.その余地が残されていないくらいに傷が深い場合. そしてその深さは他人にも,おそらく自分にもわからないのです.決められないです.測れませんもの. ですから. 今回のワタシの書いたコトで,傷を抉られたり,もしくは「コミュニケーションできていないワタシって」などと思われた方がいらしたら,心からお詫び申し上げます.
………それにしても. ほんっとに長くてくどくてうざい文章ですね.もうやっていられないのでこのままいきますが.最後まで読んで下さった方,ありがとうございました. 今日くらいです.こうなるのは. 穏やかに書くつもりだったのですけれどね,性格が性格なもので,こうなりましたよ.ああ.
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