ゆうべの酒日記

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2010年03月31日(水) 途中から4/2記録

昨日は、暇だったので、届いてない書類の確認のため江別市役所に電話した。
そしたら16日に発送してますって言われた。
増田さんに、言わないほうがいいかなと思いつつもメールしたら家捜ししてくれたみたいだけど
やっぱりないようだった。
郵便事故か。
一ヶ月経ったら法務局に行っちゃうアレはもう北海道の窓口に行かないと取れない。
めんどくさくてかなりブルーになる。
しかもヒマなのに残業だったし。

帰宅して、ちょっと私も家捜し。
でも考えても考えても、たぶん届いてない。

不機嫌をひきずりながら晩酌。
飲んだのは彩旨と日本酒。
肴:ハンバーグと千切りキャベツ、鮪の山掛け、けんちょ、白菜の和え物

美味しかったんだけど如何せん憂鬱だった。
でも作成者に評価を与えなくてどうする?
と思うので、美味しい!と何度か言った。

テレビは何見たんだったかなあ。
もう20時過ぎてたから。

寝たのは22時半になった。

夢はいろいろ見た。

マンション前の駐輪場。
契約者の名前は本人の希望で「ルーシー」とか変名されててそれがプレートになってる。
お兄ちゃんが自分の駐輪場を探してる。
ずーっと向こうの右奥だ。
お兄ちゃんを追って行く。
いつのまにか雪道に出てる。
歩道に高く積もった雪の上で子供たちが遊んでる。
雪を支えてる形になってる歩道側の塀が倒れそう。
そこの家に住んでる焼山のおばあちゃんが、怒りながら玄関のカーテン開けて家に入り、子供たちの手当てをしていた。

会社
クサノさんたちが机くっつけて
トルティヤチップをかをパーティーみたいに並べてる
ヤマガタさんが制服の上にジャケット着て退職の挨拶するようだった

起きたのは5時半とか。


2010年03月30日(火) よく寝た

昨日は、暇な一日だろうなと思ってサーフィンしてたら
売り上げ消去のリトリーブがエラーになってるっていう連絡が2拠点?から来てるのでどうにかしてくれって。
送られてきたそれはTさんしか扱い方を知らない物体だった。
一応VBAかなんかなのでデバッグはしてみた。
しかしそれはそれを作った業者しか全貌を追えない感じの物体だった。
それで計数管理の人がテンパって電話してきたりして。
今日が締め切りだから今日中に締まらないとオレ24時までどうのこうの!って。
(ていうけど思えば全拠点からデータ集まってないんじゃないのかな)

結局風邪で休んでたTさんが午後から3時間くらい赤い顔して出社して
Notes設定漏れと業者のロジックミステリーによる何かをどうにかして帰った。

作業の属人化はシステム運用上一番やっちゃいけないことだとは言うけれど、
ここの場合はコミュニケーションが円滑じゃないせいか解決できないでいる様子をウォッチングして早三年。
それももうすぐ終わるのか。

とりあえず、激しい残業になるかなあと思ったけど、その後エラーがあった拠点からデータが届いて、それを計数の人がなんかして、
公開依頼が来たのが16時過ぎだったので、それ公開して17時半過ぎに帰れた。
トラブルに巻き込まれた以外は実に暇な一日だった。

帰宅したら増田さんが絶賛餃子包み中だった。
私はししゃもを焼いたけど生焼け気味だったかもしれない。

飲んだのは彩旨4本くらいと日本酒。
肴:餃子、麻婆豆腐、ほうれん草のおひたし、ししゃも

テレビは芸能人を人間ドックに行かせて残り寿命を医師チームが推定するやつ。
上原美優?が糖尿病って言われてて、増田さんが熱心に見てた。

クリームチーズ食べながらグレープフルーツチューハイ飲んで、寝たのはたぶん22時前後。

夢は、小学生くらいのコドモがステージで銀色の衣装来てポーズしながら座ってる。
でもステージの脇下にいる私の目を意識してるみたいだったので
私は見えないところに隠れた。

お母さんと私が住んでるアパート。
朝起きて、玄関のところに行ったらドアが半開きだった。
外は内通路で、大家さんが何かストーブとかを分解したりなんだりしかけたものが放置されてる。
私とは別に、お母さんも玄関のところに行った。
鍵ささりっぱなしだったわ、と鍵持って戻って来た。

ピンクの服来た気取った小さい女の子。
勝手気ままに走り回るもんだから、公園の池に落ちちゃった。
その子のおばあちゃんが慌てて飛び込んだ。池は緑で底が見えない。
その子のお母さんも飛び込んだ。
とりあえずその池は深さが160センチくらいだったみたいで
立って浮かべるくらいなのでみんな無事だった。
向こう側のブランコがあるほうにみんなあがった。
私は飛び込みかけたのを引っ込めて飛び石にいる。

細くて踊りのうまい小学生くらいの女の子がお母さん同伴でオーディション。
でもなんかで失敗してた。
私とコドモもそこにいて、それを見てた。

時計見たら4時42分だったので起き上がった。


2010年03月29日(月) 月曜かー

昨日は、増田さんが昼にカレーを作ってくれた。
タイカレーでもなくインドカレーでもなく日本の家カレー。
自分以外の人が作ってくれると日本の家カレーはなんか美味しい感じがする。

増田さんは寒いのに見た目にこだわって作務衣着て出かけた。
セルDVD?の撮影だから。

私はコドモにメールして元我が家へ。
コドモの赤ちゃん時代の動画のテープを回収しに。

コドモは風呂入ってたみたいだった。
友達と約束してたんだけど、その友達の彼氏に嫉妬されて流れたとかなんとか。
要するに間がよかった。

中学の卒業アルバムとか寄せ書きとか成績表を出してきて見せてくれた。
中学がすごく楽しくて良かったみたいで、高校で友達できないんじゃないかとかイジメがあったらどうしようとか言っていた。
実際に、テニミュのイベントに行ったら高校のオリエンテーションかなんかで顔覚えてた子がいたらしく
話したら粘着タイプだったみたいなので引いていた。
でも馬場でも別の顔覚えてた子に話しかけられて、普通に話せる子だったらしい。

成績表とかは別に見なくて良かったんだけど、案の定音楽だけが5で保健体育が4であとは232323て感じだった。
16時くらいにおいとました。

帰宅したら増田さんはまだいなかった。
動画見てみようと思ってテレビに接続したけど
なんか音声端子のほうが合わない。
新しいテレビなせいか、「PC用」とかって書いてある。
でも端子の見た目的に一緒っぽく見えるんだけど、どうも合わない。
映像端子のほうはちゃんと挿さったんだけど、映像も見えない。
たぶん古いテレビなら大丈夫だったんだと思う。
よくわかんないけどガッカリ。

夕飯を、ここは一応作らなきゃいけないよなと思い、力なく台所に立つ。
冷蔵庫から取り出したもやしが凍ってて、温度調節ツマミを見てみたら「最強」になってたので「中」にする。

増田さん帰宅。
なんか「あれとこれとそれを作ろうと思ってたんだけど。じゃあ今日は鶏もあなたにお任せしようかな」とかって投げられる。
やろうと思ってた予定が狂ってイラっとした可能性も捨てきれない対応。
やらないほうが良かったんだろうか。

飲んだのは彩旨とグレープフルーツハイ。
肴:グッチ雄三の「もや酢」のうろおぼえ、レンチン白菜おひたし、枝豆、増田さんが下味つけた鶏胸肉の焼いたのとトマトと大葉、カマンベールチーズとクラッカー

増田さんの撮影は、これ売れるのかなあ、っていう感じだったそうだ。
テレビはバンキシャ見た。

増田さんは竜馬伝を見ようと頑張って起きていたけど
始まって途中から、鼾をかいていたようだった。

私は22時までなんだかんだして寝た。

夢では、ヤチくんか、コドモが苦手だったあの子か、誰かが大麻の家の二階の部屋で私のお兄ちゃんと一緒に泊まってた。
朝起きて、勧められてお兄ちゃんと一緒にしぶしぶ風呂入りに行く。
ビール冷やしといてもらえれば、ってお願いされたんだけど、中学生なんだよなあと思いつつ、しょうがないから冷やしとく私。

起きる前に見てた夢は、ゲイの人(アイドル歌謡の好きな、ヘキサゴンに出てる人に似てる)が店の厨房で料理してる。
その映像を隠し撮りしたんだけど、やっぱり料理がうまい。
そしてその動きが、「ほんとにオネエだよね〜」と増田さんと話す。

暑いのと後ろモレが気になったのとでハッと時計見たら5時半過ぎてた。


2010年03月28日(日) まだ酔ってる

昨日は、髪の毛切ったりビジュエルドブリッツやったりしてたかな。
髪の毛、いつもあんまり短くする気が湧かないんだけど
なんだかバッサリいける気がした昨日だった。
後から気が変わるといけないので、そんなにバッサリしなかったけども。

昼は増田さんが作った焼き蕎麦食べて、またビジュエルドしたら自分的に過去最高得点記録した。
増田さんの点もコドモの点も抜いてほくそ笑んだ。

目黒の花見宴会に向かうため17時に家を出たけど
増田さんが携帯忘れて一回戻った。

山手線が混んでて一本見送って次のに乗ったら空いてて座れた。

目黒駅から下目黒まで川沿いを散歩。
オールアバウトの記事書くために写真を撮る増田さん。

そのうちだんだん夜になり、遠くで演歌みたいな女の人の歌声が聞こえる
と思ったら、近づくにつれて演歌じゃなくて西洋音楽になった。
結局ジャズだった。

宴会の店には17時到着。
30人の宴会だったけど、喋ったのは5人くらいだったな。
飲み放題なので瓶ビールをどんどん飲んでたら気管が冷えたみたいで
咳がぶり返しはじめた。

この咳、3月頭くらいからはじまったんだっけ?と思うと結構長い。
感染症だったら増田さんに伝染してそうなもんだけどそんなこともなく
どっか病んでるのかしらと少し心配になり、焼酎お湯割り(梅入り)に変えた。

2時間制なので終わったのは21時のはず。
地下鉄で帰宅。たぶんすぐ寝た。
と思ったんだけど、5時にトイレに起きたとき、私の机の上に彩旨の缶が置いてあったしPCつけっぱなしだった。
夢は見てない。


2010年03月27日(土) 今夜は花見

昨日は暇だったな。
でも定時15分前に、会社が合併したから給与体系が統合されるっていうんで
新しい「給与通知書」っていうのを部長に渡されて、年収が100万下がることが発覚したので
お世話になりました6月末でやめます、とメールた。
ただしボーナスに影響するなら時期調整させてくれって付け足した。
(部長が金出してるわけじゃなく、部長も上層部に不満があるリーマンなので
あの規模の会社の場合はそれも通用する)

帰宅して、飲んだのはドラフトワンとチューハイ数本。
肴:柳田の刺盛と白身盛、さしみこんにゃく、茄子肉味噌炒め、肉じゃが

最近なんか一品忘れる。前日忘れてたのはカレイの煮付けか?

テレビは、増田さんが前日録画した「みなさんのおかげSP」みた。
正直面白くはなかった。
嵐を出せば何でもいいってもんじゃないだろう。

寝たのは22時かな。きっちり時間見て寝たと思う。

夢はいくつか見たけどかなり忘れた。
増田さんに、食べ物を勧められてて、あんまり乗り気じゃない、みたいな夢がひとつ。
あとは、部屋(洋室)のタイル床に美容院みたいに切った髪の毛が散らばってて
片付けなきゃと思って動き出すみたいな夢。テーブルの下が特に気になった。
あとは、お兄ちゃんが出て来て、いつもの、冷たくはない無表情。
三つ○が入る長四角の中に左二つ○○となってる何か昔のスピーカーくらいの大きさのもの。
○は●●のもいくつかあった。
それが二列三段くらい並んでて、それを解釈しようとお兄ちゃんは見つめてる。
私もなにか解釈間際だった。

起きたの何時かな、7時半くらいだったかな。


2010年03月26日(金) 今日は雨降ってないな

昨日は、WEB公開が二度あったのと、メニュー登録確認と
あとプログラムのなおしなんだけど、おかしいなおかしいなと思ってたらバグ発見。
私の勘違いじゃなければサカタさんのバグ。
それなおしたら正常動作したからたぶんバグ。
やっぱりサカタさんのプログラムなおすのはブルーだ。
私がおかしいのかサカタさんがおかしいのかわからなくて悩む時間が長い。

定時に退社して、雨降りだったのでお迎えは断り、帰宅したら増田さんがいつものように台所に立ってた。

飲んだのは彩旨とドラフトワンと日本酒。
肴:かれいの煮付け、さつま揚げと小松菜煮、一風堂風ナムル、ポテトサラダ、あとなんかもうひとつくらいあったような

テレビは、ゴチになりますトリュフ尽くし。
トリュフってどんな味なんだろう。
みじん切りとか何か混ざってるペーストとかしか食べたことない。

増田さんは早々に寝た。と思う。
私は増田さんにビジュエルドブリッツで抜かされてるのを発見して、10分くらいやったけど疲れて寝た。

夢では、和田アキコが番組のリハーサルかなにかしてて、「私はなんて言えばいいの?」って誰かに聞いてた。
「美容に造詣の深い○○とでも言っておけばいいです」という返事がかえってきてた。

次の夢では、コドモがいる家で、押入れに渡された伸縮つっぱり棒を
横ではなく縦に渡したほうが強度が上がるかなあなどと検討していた。
押入れの内部を見て、この柱(?)みたいなところにこういうふうに、みたいな。
でもつっぱり棒(金属製)の留めネジがなかった。
工具入れの中にある適当なネジから選んで使えばいいかと思った。
工具入れをあさってみた。なんか合うのがなさそうだった。

他にもいろいろ見たと思ったんだけど、4時半頃、増田さんが二度寝できなくてゴソゴソしてて
私の手をひっぱったので忘れた。(私の体温を利用してあたたまったら増田さんは寝た)
起き上がりは4時43分。


2010年03月25日(木) やっぱり睡眠時間が普通だと夢おぼえてないんだな

昨日は、とりあえず大嫌いな組織変更作業は一段落、と思いきや
一覧の更新がまたきた。
思えば、まとめてワンセットで注文されたことが一度もなく
忘れてましたがこれもお願いします的な展開ばかりだ。
それがTさんクオリティー。

そういえば向かいの席のTさんが営業部に異動になるので送別会が金曜日に行われるのだけど
行くとか行かないとか曖昧にしてたら、当然のように欠席扱いになってて、記念品代の徴収だけがまわってきた。
まあ3000円が浮いたので良かったんだけども。

向かいの席のTさんは、「医者言ったら、かかとにヒビ入ってるって言われた」と秋田のヤンキー訛りで
その隣の席のYさんに話していた。
前の前の年は親指骨折してなかったか?
たった三年間の観察の中でも、Tさんは3ヶ月に一度以上携帯を紛失した。
金の入ったポーチを失くしたこともあった。
たぶん注意欠陥障害に違いない。
あと5分で出るから、って宣言して30分以内に出たところを見たことがないし。

そんなことを考えてるうちに、美少女からメールでユーザー登録依頼が来て
若手さんからはプログラム改修以来が口頭説明で来ていた。
しかも朝の日次作業の途中だったのでパニくりかけたけど、簡単なのからちゃちゃっとやった。

昼は雨降ってたから出かけないで仕事してた。
増田さんから謎の無言電話があったりしたので、もしや携帯落として拾われたとかかなと心配したりしたけど杞憂だった。

WEB更新依頼が来て、定時までに終わった。
しかしサカタさんのプログラムがやっぱり最悪だった。
会社で新人にRPGの研修やってた人だったと思うんだけど、どういうことなんだろう?
忙しくてしょうがなかったのか?

退社して傘さして帰宅。
増田さんが元気に「おかえりっ!」と顔を出す。
飲んだのは彩旨3とチューハイ2とモンフレール白を二人で。
肴:ヤムウンセン、トムヤムクン、香菜挽肉レタス包み、コープの刺盛、スモークチーズとクラッカー

トムヤムクンは材料をきっちり揃えて作っているのでかなり本格的だった。
ヤムウンセンは甘辛い調味料が若干使われてる感じで風変わりだった。
総合的にはどれもおいしかったといえる。
「スモークサーモン切ってこようか」と増田さんが言ったので
かたまりでスモークサーモンなんて珍しいなあと思ったら
スモークチーズのことだった。

テレビは世界仰天ニュース見た。
就寝は、なんか宇宙飛行士の不倫襲撃事件にはまって23時半。

夢は記憶にない感じがする。
もしかしたら、現実を引きずった内容だったかもしれない。
時計見たら4時27分とかで、しばらくエネルギーチャージして30分後に起き上がり。


2010年03月24日(水) 曇り空だな

昨日は、レスポンスの遅いアプリの登録作業を
イライラするので携帯でmixiとか見ながらやっていたら
リトリーブの修正を明日の昼じゃなくて今日中にやってほしいんだけど
ってTさんが。
ガガっとやったけど、送りつけられたファイル9つのうち5つは意味不明だったので
送り返した。
そしてやったやつも、見直しとか念入りにしてないけどシラネーよ。

定時に退社して、昼休みが郵便局で小為替より普通為替のほうが手数料安いですよとかアドバイスされて終わったので買い物荷物がないのに増田さんに迎えに来てもらっちゃって、えらいすんません。

帰宅して、飲んだのは彩旨3本と日本酒。
肴:高野豆腐と小松菜煮物、かれい揚げ焼き、からし菜ツナ炒め、しらすおろし

テレビは、さんま御殿が早い時間からやってて、ミヤネと坂東エイジが出てた。
終わったら確か増田さんは寝て、私は日本酒残ってたのでもずく食べて飲み干した。

たぶん22時くらいに就寝。

見た夢は、140万円づつくらいの微妙な相続でめんどくさい感じの夢。

あとは、お父さんがいて、買ってきた食べ物とかがあって、コドモもいて
「おじいちゃんもチョコレートケーキ(ホール)食べたい?」ってきいたりしてて
私はなにかで忙しくて気がついたらお父さんは出かけてて、買ってきた食べ物は食べられてて
ああお父さんこれ食べて出かけたんだなあと当たり前のことを思った夢。

あとは、元ダンナさんとコドモと一緒に郊外の遊園地みたいなところに来てるっぽかったけど
私は一人でジェットコースターのぬるいのみたいなのに乗って、なにかアタリが出たとかクイズに正解したとかで
高いところにジョイントしてすがすがしい景色をぐるっと見てまわって降りてきた、みたいな。

増田さんがゴソゴソゴソゴソしてて、米研いでる音とかもして
戻って来て布団に入っても寝返り打ったりゴロゴロしてて
私が動いたら腕枕用の手が伸びてきたけど、そっちは五十肩が痛いってのに、と思って乗らなかったりしつつ
4時半になったかな、そろそろ、と思って戦線離脱。


2010年03月23日(火) 連休明けだった

昨日は、10時くらいまでビジュエルドブリッツやってた。
増田さんもよくやってるけど、私以上に名前が覚えられなくてフィッツジェラルドとかビジュアルエンドとか言ってる。

それからコドモのとこに卒業式のDVDと増田さんからのお祝い金と間違って私のとこに来たパパ宛お手紙を持ってった。
コドモは、「ありがとう!またゴハン食べに行こうねー」って言ってくれた。

それから月曜100円市のまるえいに行った。戦場のようだった。
あとワンダフルで50円の白菜とか3個100円のなめことか色々買った。

帰宅したら増田さんが固焼き蕎麦作ってくれた。
いいとも!見ながらお昼ごはん。

午後もビジュエルドブリッツやってた。
それから掃除して入浴。
17時に二人で家出て紙-1グランプリに行った。

店が思いのほか狭かった。
ごはんが美味しいという噂だったけど、立ち食いしてると事故が起こりそうなほど人いっぱい。
不快要素に不安になりつつ、でも始まってみれば、さすがに予選があっただけのことはあり
面白かったのでなんとか最後までもった。

しかし、投票のとき、とっさに思い出せるネタがほとんどなかった。
それは他の人も同じだったかもしれない。
私も増田さんも思い出したネタが一緒だった。
(そしてそのネタの人が優勝した)

合間に、杉作J太郎バンドの演奏があった。
三本くんもベースで参加してた。
開票中には情念が8曲くらい演奏した。
初めて聴いた。
終わってから増田さんに質問したけど、ボーカルの人は長年一定のロークオリティを維持してるんだそうで
それはそれですごいと思った。何事も、10年続けば「スタイル」になる感動。

終わったら、龍門でジャージャー麺とちゃんぽんのハーフ&ハーフを食べた。
餃子とビールも。他もおいしかったけど久しぶりに餃子が美味しかった。

増田さんはそんなに酔ってなくて、でも鼻声だったので心配しながら帰宅。
布団敷いてすぐ寝たけど22時ちょい過ぎだったか。

夢は、どっぷりいっぱい見た。
打つのがしんどいくらいだ。
帰宅後にしよう。

ここから24日朝入力。
忘れてるから箇条書き

はるたんのうち
子供の目がクリクリ
ひとみしりの幼児
保育園に行く
散歩の時間
仲良しの子と好奇心いっぱい
ホオバの葉は昔このへんに自生してた
でもいまはないと言われてる
しかし保育園の先生は知っていた
民家の敷地に一本だけそれが生えてる

広末涼子
変わった作りの階段
段のない急なスロープ
灯りは消えてる
よっこいしょと乗り越え上がると右手に部屋
肢体不自由の男2人が知的作業してる
何か計画してる
夜中の動物園から定期的に一種類づつ動物を逃がす
最終的には全部逃がす計画
最初は池に土嚢をガンガン放り込む
池に棲む動物を追い出す作戦
警備の人が来る気配
あだ名のある男が一人溺れかかる
とりあえず無事

裏の料理屋
3人で行って2人は帰った
私が会計
7800円
意外と安い
おかみさん会計の椅子に座って出前した蕎麦食べてる
プチ接待リーマンみたいな客がどんどん来る繁盛店

起きたの何時だったかな、4時半かな。


2010年03月22日(月) 今日こそ有意義に過ごさないと

昨日は、特にこれといってなかったかなあ。
歌志内と江別の役所に送る請求書類を100円ショップで買ってきた大きめの封筒に入れたりとか。
100円ショップに行ったのは、夕方で、増田さんが図書館と夕飯の買出しに行くのに誘ってきたので一緒に。

まるえいで、立花マリさんを初めて見たけど私に似てなかった。(細面だった)
カルチャーカルチャーのイベント見に行ったとき、横山シンスケっていう人に、間違われたんだけど。
センスのない目してんなあ、と新宿の片隅で私が思った事実には、横山さんは一生気付かない。

そういえば休みに入って、掃除も洗濯も入浴もしてないなあ。
貴重な三連休の過ごし方としては悔いが残る感じ。
その前日、コドモを夕飯に誘うメールしといたけど、そのリアクションが来たのが17時ちょっと前、買出し中だったので
もう増田さんが夕飯の算段しちゃってるから、と思って「今日はムリ」と。
コドモはいま春休みというか中学高校間のモラトリアム期なので夜だったらいつでも空いてるとのことだった。
特に何も決めずに電話を切って、急激にもやもやし始めた。

よくよくよーく考えると、ものすご〜〜く寂しいという感じだった。
その朝、乳幼児時代のコドモをあやすような夢を見たせいだろうか。
なんかやっぱり、耐え難いんだよなあ。
おばあちゃんやお母さんも、こんな気持ちになったのか?
それとも私の粘着質的な気質のせいかな?
うーん、よくわからない。

増田さんは私の変化にもしかしたら、気付いたかもしれない。
いつもは嬉々として夕飯の準備するんだけど、笑点が終わってるのも気付かないでいた。
いや、ただ本に夢中になってただけかな。

飲んだのは彩旨とチューハイ。
肴:鉄板焼き、セロリぬか漬け、クラッカーと唐辛子入りチーズ

テレビはバンキシャとスーパーからくりTV。
警視庁の偉い人狙撃事件がもうすぐ時効とか、芸能人からくり替え歌コンテストとか。
にしきのあきらが、あまりにも連日ドッキリに引っかかりすぎたので
心配になって脳のCT?かなんか撮って、医者から「前頭葉がスカスカでチンパンジー並み」と言われたという歌が衝撃的だった。
(やっぱり芸能人て多かれ少なかれそうなんだろうなあという私の中での決め付けが根強くなった)

寝たのは何時かなあ。
いつも夜があいまいだなあ。

夢は、たくさんみたけど色々忘れて
終わりの方で見たのは、大麻の家にいて、お兄ちゃんの礼服をクリーニングするのに困ってた。
(お兄ちゃんは礼服で、ミユキさんはウエディングドレスだったようだ)
お父さんにクリーニング屋のありかを聞いたら、なにかキレはじめたので
やっぱりこれってお兄ちゃんが茨城で出したほうが、送ったりなんだりって手間がなくていいんじゃないかなあと思った。
台所ではお母さんが料理してて、あれ正子さんは?と思ったけど姿が見えず、たぶん和室で伏せってるんだなあと思った。
私は東京に帰る飛行機を一本見送ろうと思っていた。
でも時計見たらもうキャンセルも間に合わない時間かもしれないことに気付いた。
しかも携帯で後続の便を確認したら、もう当日はどの便も取れないことが発覚。
とりあえず空港行って全部の窓口で聞いてみよう。
深夜でも帰りたいやと思った。

もうかなり長いこと明るくなってて、起きて時計見たら7時ジャストだった。


2010年03月21日(日) コドモが青春で忙しいらしくメールの返事が来ない

昨日は、お兄ちゃんに送る書類とかまとめて、大和証券の口座開設申込書作ったり。
正子さんが第三号被保険者期間があったことに気付いて行き先が役所じゃないってことで社会保険事務所の地図をプリントしたり。
あとそうなると結構遠出なので委任状も一応ダウンロードして添えたり。
一つづつでも片付いてくれないと白髪がますます増えてしまいそうな今日この頃。

でもビジュエルドプリッツも一生懸命やった。
なぜならコドモに点数抜かされてたからだった。
おかげで逆転した。(でも今朝見たらまた抜かされてた)

夕方、増田さんのポット出版用WEB原稿をなおして、終わったらお出かけ。
まず図書館行って予約本を回収。
それから番番行って、5分くらい待って入った。

飲んだのは、キリンラガー大瓶とチューハイ3杯くらい。
肴:タンハツカシラレバ塩、つくね椎茸タレ、カルビ焼き、山うど、煮込み、きゅうりぬか漬け、お通しの菜花おひたし

どちらも美味しかった。
次の人たちのためにそこそこで席を空ける。
そして場所がわからなくてグルグルしながらOTOっていうクラブへ。
私はてっきり宴会だと思ってたんだけど、データハウス社だったかの誘われた人しか入れないイベント。

踊るフロアでは誰一人踊ってなかった。
客層的にもアラフォー女子と秋葉系しか目に入らなかったので無理もない。

入場券についてるワンドリンクチケットでジントニックをゲットし
なんだかよくわからないけど座った場所の加減で、ライター半分エンジニア半分みたいな人と話始める。

私の職業は説明すると言い訳みたいに長くなるので、てきとうにプログラマーと言ってみたら
「プログラマーって今食っていけます?」と言われたので、レガシーシステムだから意外とニッチなところで食っていけるのだという説明を長々としているうちに
増田さんが限界を迎えたので出た。
(システム話にも飽きたところだったので、私も「そそくさ」って感じだった)

ヨレヨレの増田さんとコンビニに寄って牛乳買ったりしながら帰宅。
増田さんは布団敷いたら歯磨きしてすぐ寝た。
私はつぶやいたりボイスしたりしてた。
アヤさんの動向が気になって、携帯を抱いて寝た。

深夜暴風の音で不安になって目が覚めた。
直前に見てた夢は、うつぶせ寝してたコドモ(紙おむつ)が風の音で目を覚まして不安げにしてるので、
抱き寄せておしりをトントンしながらまた眠らせるというものだった。

見れば携帯のメール受信ランプが青く光ってる。
増田さんも起きてたので光がまぶしかったのかもしれないと思って裏返しに伏せた。

次に見た夢は、誰もいない母方のおばあちゃんちから、一人でぶらぶら歩き出した。
そこはすごく山奥というか自然がいっぱいの田舎なんだけど、なんだか小学生がわらわら歩いてて、
ああそうかここらへん切り開かれて新興住宅街ができてるんだね、などと納得しながら歩く。
石造りの短い橋を渡ったりした。川では何か魚が泳いでるのが見えた。
そうこうしてるうちに、完全に知らない道に出てしまい、とりあえず駅っぽいとこ目指して舗装された坂道を下る。
すると駅があった。有馬(ありうま)という駅だった。
どうもそこは、おばあちゃんちがある雨竜駅の隣駅とかではないようだった。
どうやって帰ろうかな?と一瞬困ったけど、焼山方面どうのこうのという表示を見て
そうか焼山までタクシーでって言えば見たことあるところに着くだろう、と思った。

やっぱり暴風の音で、再び起きたら5時くらいだったのかな。


2010年03月20日(土) 三連休なのに実感がない(やらなきゃならないことが片付いてないせいか)

昨日は目を皿のようにして、大嫌いな管理会計アプリの組織変更作業をしたんだけど
最後にアプリを圧縮してサーバーにコピーするのに1時間くらい要してしまい、思わぬ残業に。
しかもTさんに、入れときました、ってメールしたら、もう一つ頼んどいたあっちは?みたいな。
確認したら確かに朝来たメールにチラっとそんなこと書いてあったし。
痛恨のミス。
でもTさんが、いいですいいですとりあえずあっちは終わってるんですよね?って言うので帰って来た。
あっちもこっちも1日で残業しないでやれなんて、自分ができやしないのに、まあ当たり前だよね??
と、スッキリするためにやって帰ろうかという後ろ髪引かれている自分に言い聞かせ、半分モヤモヤで帰宅。

帰宅して、飲んだのは彩旨6本を二人で。
肴:タコかつお叩き刺、まぐろの山掛け、厚揚げといんげんの煮たの、大葉焼き豚か納豆が入ってる油揚げ巾着煮

テレビは何見たんだったかなあ、前々日に「ツレうつ」のドラマ再放送を見たのは思い出したんだけど
昨日の夜のことが思い出せない。

そうだ、増田さんに撮影してきて貰ったコドモの卒業式の映像を見てたんだ。
最初から最後までの式の様子を撮ってきてくれてて、コドモが写ってる時間は合計5分くらいなので
卒業式ってこういうふうに退屈なもんだったよなあ、と思い出すことができた。
今の時代なのに何ゆえ中学生にああいう喋り方をさせるんだろう?と送辞みたいなのに疑問を感じたりとかも。

終わったら会社にVPNでなんかの申請したり牧場したりメールさばいたりして寝た。

夢は、またいくつか没頭したんだけどほぼ忘れて、最後の夢で
「運用資産をこっちの為替に移したほうがいいのは明白だけど、これが広まると実体のないものだからバブルになるだろう」
と思っていたことだけ残った。

起きたらまだ7時数分前だった。


2010年03月19日(金) 今日は私はいけないけど卒業式

昨日は、マニュアルに面倒な要望がついたので時間をかけてそれをやって終わったと思ったら
Tさんから私の一番嫌いな作業の予告が来た。
すぐに仕上げなきゃならないけど間違うとえらい影響があるというアレだ。
ブルーだ。今日の午後に要件が確定するってらしい。

お兄ちゃんと相続のことでメールのやりとりしながら帰宅して、
飲んだのはホッピーとチューハイと彩旨。
肴:しらすおろし、茗荷奴、さつま揚げ煮、コールスロー、もりそば、チーズとクラッカー

なんかもう一つあったような気がする。
テレビは、黄金伝説モスバーガー食べつくしとかドリフとかニュースとか。
でも増田さんは意外とドリフをじっと見ていられないっぽい。

寝たのは22時くらいかな。
夢はまたいろいろ見た。

誰か女の子と一緒に町を歩いていて、一軒のまあまあ立派な家の前を通った。
ここんちパンダ飼うらしいよ、って言われた。
家のドアが開いて、巨泉がガウン姿で出てきた。
そしてそこは実は辻中結ちゃんの家でもあった。
中に入れてもらうと、結ちゃんがも出て来てパンダ可愛がってた。

まだ小さいコドモがやせ細って寝ていた。
服を着た白鼠がコロコロとコドモのほうに横転がりして寄って行きなついてた。

職場のビルだった。
Tさんと会議室みたいなとこで残業してたんだけど、Tさんがどこかにいなくなった。
もう帰っていいのかなと思ってトイレに行きがてら様子をうかがうと、フロアは真っ暗。
ぐるっと一周してどこかわからない部屋に入ると、Tさんとか協力会社の人たちとかがいた。
明日も11時までに日本語アプリ仕上げなきゃならないから私はもう帰らなきゃならないけど、ってTさん。
私が集めて来た書類は4つ折りにしてあって、それを見たTさんは、
これ大事な契約書だから折っちゃいけないんだけどなあってイライラして言う
でもこれ、送付されてきたときすでに3つ折りでしたよ、って私は言う。
なんだったら大事なことだから今回の海外出張は私には荷が重いから辞退させてもらったほうがいいかもしれません。
とさらに私。
なんだか海外のソフトの契約書みたいなのにサイン貰う用事で出張に行かされるとこだった。

起きたら4時27分。


2010年03月18日(木) 増田さんも早く起きてきて朝風呂してた

昨日はすることなかったなあ。
日次のバックアップとかサーバー監視とかメールのやりとりとかしただけだったな。

定時に退社して帰宅。
飲んだのはオーケーで350円で買った輸入白ワイン。(おいしかった)
肴:柳田の刺盛り+えんがわ、ほうれん草納豆プロセスチーズ和え、一風堂風ナムル、さしみこんにゃく、クリームチーズ奴

テレビは何見たんだったかなあ。

ビジュエルドプリッツやって寝たのは22時前だろうな。

夢は、かじむらくんくどうくんふじむらくんらと、札幌の中心部のはずれの中国人とかが商売やってるエリアにいた。
美味しい店がいくつかあって、今回は看板が出てる「豆苗豆豉」っていう店に入った。
そこはトムヤムクン的なスープが20円くらいで提供されるので頼んだら、かじむらくんが「あんまりうまくないんだよな」って言った。
そうだっけ?と思っていたら、スープが出てきて、たしかにちょっと思ったのとは違った。
「これ肉がちょっとアレなんだよな」ってかじむらくんが言う。
そういえば、残り物を適当に加えて作ってるスープなので、から揚げみたいなのとかが入ってて正体不明料理になっていた。

タモさんとホテルに宿泊していた。
テレビ見てた。韓国の番組だった。
タモさんが暇なのでカラオケでもやるかな、ってテレビをカラオケに切り替えた。それも韓国語だった。
私は風呂を使うことにした。生理なのでめんどくさかった。

V6と精進落とし?の折り詰めみたいなのを見ていた。食べかけだった。
残ってるのを寄せてコンパクトにしようとしていた。
おかもちみたいな中に入ってて、八角形みたいなお重だった。
仕切りをはずして工夫してみるんだけど、どうも収まるはずのものがおさまらない。
長四角の箱に入った黒豆みたいなのがかなりネック。
でもそれをよけて炊き込みご飯を寄せても、なぜだか収まりそうなものが収まらない。

時計見たら4時半前だったから起きた。


2010年03月17日(水) よく寝るなあ

昨日はユーザーマニュアル作って提出。
定時に退社してお迎え断って帰宅。
大和証券から電話。相続移管のために口座作れって。

飲んだのは彩旨とチューハイ。
肴:高野豆腐挽き肉挟み煮、マカロニサラダ、つくね?、イカゲソ揚げ

テレビはビューコロ。
介護のために娶られた不幸なバツ2肥満母(元美人)
キツネ目で面接に落ちるバツ1母
顔が大きいことを自虐ネタにしつつも恋がしたい若い子
太ってて目がきついので怖いと言われる介護師
顔が四角いけど身嗜みに疎いだけの人
原人男顔の大手術(今回のメイン)

終わったら寝た。
夢は見た。
どこか身内の用事がやっと終わり、コドモと一緒に母の住まいに行ったら、母は仕事に出たらしく留守だったけど、私たち用と思われるのり巻きやらサンドイッチやらが置いてあって、やはり待っていたんだなと悔やまれてきたけど、やることやらなきなゃ仕様がなかったので…
とか考えているところに母が戻り、案の定軽い文句的なことを言われてブルーに。
母は黄色っぼいオフィスレディー的な服装でパーマだった。

次の夢では、キムタクと若夫婦だった。
ぎくしゃくした関係で、気持ちがあるのに反発しあってドツボだった。
私がどこかにアパート借りたかなんかして一人でいるところに
ブザーが鳴ったかなんかで出てみると、キムタクが青服緑タイツの若い女の人と並んでる。
なんか私に文句言ったあと、キムタクは女の人とキスしてみせた。

すんごいブルーで不毛な気分で時計見たら五時半くらいだったのかな。


2010年03月16日(火) あと4分で新月

昨日は、ユーザー向けのマニュアルを更新してって依頼されて、それをやっていた。
あとは特に何事もなく。
何か忘れてるような気がしないでもないけど、とこのごろ常に心配なので、よく考えて
大和証券には質問メール投げた。あと検体の会にも問い合わせした。

定時に退社して、自宅最寄り駅で増田さんと合流。
荷物持ってもらったら、重そうで申し訳なかった。

帰宅したら、大和証券からの手紙が転送されてきてた。
担当の人が退職するとかで、証券の数量と口座の残高はこれで間違いないかっていう問い合わせみたいなのが所定のフォームで。
実際なにか不審なことがあったのか、それとも証券会社の退職ではつきものなのか?

飲んだのは彩旨3本とグレープフルーツチューハイ2本。
肴:厚揚げといんげんの煮物に茗荷、焼き豚ニラもやししめじ炒め、けんちょ、前日の残りのサラダ、ししゃも

テレビはどこのチャンネルに替えてもスペシャル番組だった。
フジテレビのNG大賞的なやつと、ものまね紅白みたいなやつと、千葉テレビの浅草演芸なんとかを交互に見た。
増田さんは日本酒飲んで、私は後片付け。
寝たのは22時過ぎてたかもしれないなあ。

夢では、住友銀行に100円玉を二枚入金しなきゃならなくて
自転車で飯田橋に行ってた。
でも銀行は定休日だったみたいで、しかしそこには道銀のATMがあった。
しまった、通帳とカード持ってくれば良かった、と思った。
でも一回帰って持ってくればいいんじゃないの?時間あるし、と考え直した。
道はだんだん上り坂になってきた。
左は高速道路が走ってる。町並みは下町っぽい古い感じ。
見たことがある景色になってきて、ここは前に元ダンナさんと車で通ったんじゃなかったかなと思った。
あそこの店はごはんがウマイんだよとか言ってたなと思い出した。
そのまま行くと後楽園に出るんだっけなと考えた。
左に曲がると渋滞を避けて帰れるかもしれないけど詳細が定かでなかった。

時計見たら4時52分とかだったので起きた。


2010年03月15日(月) 彷徨ってるんだろうか

昨日は家にいた。
ほとんどタラタラ遊んでただけ。
夕方、増田さんとコープに買い物に行き、帰って来てから掃除して
お父さん正子さん関係の医療費領収書の整理したくらいか。

飲んだのは蓋がえらく開け難くてずっと残ってたロゼワインと彩旨4本を二人で。
肴:チキンソテーとレタス、ペンネトマトウインナーレタスサラダ、焼き豚きゅうりの中華風冷奴、チーズとか

テレビは笑点見てたらムーディーそっくりな男が猿回ししてた。
実際ムーディーだった。
なにかのバラエティ番組の企画で太郎次郎に教わっていたらしい。
そして司会が歌丸さんじゃなくて好楽さんだった。入院か?

そのあとバンキシャ見てスーパーからくりTV見てネットして竜馬伝見た。
ツイッターで勝間和代が高知の竜馬像の下で林真理子と西原理恵子と誰かタレントっぽい美人と4人で写真撮ってたな。
屯田兵の壮大な話とかあれば、北海道も大河で観光地になれるのに、歴史が浅いって損だな。

寝たのは22時前だろうな。

夢は、ビジュエルドプリッツでキューブが6個くらい並んで落ちる場面とか。
あとは実家でたぶん私は一人で、外にいる家族から連絡が入ったりなんだりするっていう。
最後にお父さんから「ズボンもシャツもないのさ、だからいま俺」って二回目の電話が。
「裸なのさ」って続くのかなと思ったところで終わった。

時計見たら5時26分とかだったので起きた。


2010年03月14日(日) すっかり喉が痛くて声が出なくなってた朝

昨日は、正子さんの相続と正子さんの年金のための証明書取りの封筒作って
掃除とかはしてなくて入浴はしてビジュエルドプリッツで自己最高得点たたき出してほくそえんで
増田さんがフランスパンでサンドイッチ作って水筒にコーヒー詰めて
17時15分に家を出ようって行ってたけどアレがないコレを忘れたっていう恒例の流れで実際出た時間は定かではなく
でも18時15分開演の落語会には余裕で間に合って
開演までの時間にロビーでサンドイッチ食べて酒屋で買った小さいビール(本物)飲んみながら
立川なんとかさん(増田さんが睦月カゲロウさんの出版200冊?パーティーだったかで知り合った人)の息子ウォッチしてた。

ウーウー言いながらひたすら走り回ってる可愛い元気な男の子なんだけど
とりあえずまだ喋れないみたいなので意外と走れる1歳半くらいの子なのかなと思っていたら
3歳とのことで、そういえば最近読んだ本の中に自閉症の要件として
「3歳までに二語文が喋れるようになってない」っていうのがあったのを思い出した。
3歳くらいまでだと手がかかるけど普通の小さい子として育つわけか。
でもまあ走ったり回ったりしてるうちに感覚統合が進んでかなり普通に近くなるという可能性はある。
しかしブランコ酔いする子だったりグルテンカゼイン系の分解酵素がない子だったりするとなかなか脳機能が普通に追いつかないかもしれない。

私と増田さんの子ができたとして、たぶんああいう子みたいな系だと思いますよ。
って増田さんに言ったら、元気で楽しくていいじゃない、って。
強がりなのかわかってないのかどっちもなのか、でも私も若干興味ある。
でも医者でも学者でもないのに人間を実験みたいに観察対象にするのって、バチあたりな話だよな。

落語は、なんだろう、波長なんだろうか、その増田さんの知り合いの声の調子はどうも私の首筋を硬くさせる感じだった。
他の若手の人のときはそんなことなかった。
夫婦楽器漫談みたいなののときは、かなりコリがほぐれた。
(おでこでピアニカ演奏するのがすごかった)

終わったら新中野のソフトオンデマンドの下の自炊居酒屋まで歩いた。
満席だったけど会員登録したり炊事場見学したりしてるうちに席を作ってくれた。

店の名前が「清貧」なので、なんとなく角打ちのサービスが進化したみたいな店かと思っていたんだけど
ちゃんと狙ってる若者向けの店だった。
「オヤジ」と強制的に呼ばせてる店のマスターは長髪を結んだアゴヒゲのカッコいい人だった。(以前の私のどストライク圏)
店員二名もオレンジ茶系ボブカットの麻生久美子に刺繍白ブラウス着せたような美少女と肌のきれいなチェックシャツニット帽の森系イケメン。

増田さんは最初、席がないことに不満そうだったけど
自分で厨房使って焼き蕎麦作ったらゴキゲンになってた。
(麻生久美子に「おいしそうですね!」って言われたのもポイントアップにつながった)

丸の内線の上りは終電が早いからということで、23時過ぎに会計。
(お皿は自分で下げてゴミも自分で捨てる)

新宿御苑から家に向かう途中、まだ飲みたいようなことを増田さんが言ったのでたしなめつつ帰宅。
増田さんはハミガキしてすぐ就寝。私はちょっとネットにつないでから就寝。

夢では、会社の靴箱みたいなところに私が靴や着替えを置いてて、なんか靴一個多くない?と思っていた。
そういえば買った靴があるからか、と納得。
三井さんが怪我したとかで何人かの人とガヤガヤ入ってきた。
階段のところに直径12センチくらいのリング状のものが据付られててそこに足をひっかけて倒れたかなんかしたらしかった。

次の夢では深田恭子がゴチで江角マキ子を負かして、江角の私物放出品をゲットしていた。
青いシュッとしたドレス(胸がとんがったスパンコールのカップ)とハイウエスト用ベルトとなんかだった。
これ私狙ってたんですよ〜と試着して喜ぶ深田恭子に対して鼻白む江角。

次の夢では、何かを役所に届け出たんだけど現住所を11-3-33とかって間違って登録してしまって
しまった、やりなおさなきゃと思っていた。

次の夢ではコドモ(一桁歳)と元ダンナさんが風邪ひいたんだかで顔色悪くて
でも元ダンナさんは消化の悪そうなカロリーの高げなものを、風邪をなおすためと言ってコドモと食べようとしていたので
そういうときは逆に食べないほうがいいんだよと、言っても通じないのをわかってて一応言ってみている私がいた。

起きたのは7時半くらいかな。


2010年03月13日(土) 今だ!っていうときにまたがってキャッチするダイレクト方式だが流れ出る

昨日は、まあまあボヤボヤしてた。
プログラムと仕様書は納めた。あとWEB更新と。
死亡届の内容証明書取らなきゃいけないから定額小為替買いに行ったり。

定時に退社して、荷物もないのに増田さんが駅まで来てくれていて申し訳ない。
帰宅して、飲んだのは彩旨とモンフレール白と神戸ナントカロゼワイン。
肴:チーズフォンデュ

テレビはペケポンとかいうのを見た。ぐるナイっぽい中途半端な番組で何故か石田衣良が出てる。
なぞかけクイズで意外と察しが悪いことが発覚して素に戻ってへこんでた。
なんとか純ていうカリスマギャルモが同情して自分もわざと答えられないふりをしていたような。
ワインをたくさん飲んだので、増田さんはバタっと寝てしまった。

冷凍玄米をチンして昆布の佃煮と木の芽をのっけてお湯かけて食べた。
うまかった。
ビジュエルドプリッツして冴えずオナニーして納得いかず、寝た。
23時近かったから私にしては夜遊び満喫って感じだろう。

夢は葬式みたいなことをチャンチャン仕切り終わって
人がワイワイいる二階の気配を感じながら一階のトイレに入ると
床にたくさん髪の毛が落ちてるのが目に付いてトイレットペーパーでかき集めてだいたいきれいにした。
そのトイレの中で、壁にある便座の温度かなんかをつかさどるパネルみたいなのを見ていたら
増田さんが知り合いたくさんと街で遊んでる映像が見えてきた。
カシハラさんとかがいて、その人がまた他の人もガンガン呼んで、なんだかワイワイしてた。
なんか腹立つから文句を言いたいと思った私。

増田さんが足にちょっかい出してきて、休日朝のチャレンジしてから起床。


2010年03月12日(金) 眠りすぎなかった

昨日は、郵貯銀行の相続の手続き詳細と国民年金未支給分の請求の詳細が来てたので
会社に着いてからそれ開封して大わらわだった。
郵便局方面のは、保険の手続きに関してスルーされてたので
あれこれ調べると、死亡保険金は相続じゃないっぽいことが発覚し
それに必要なモロモロをゲットするために昼休みは郵便局の窓口で過ごした。
月次のジョブで残業して19時半前に帰宅。

飲んだのは彩旨3本くらいとチューハイ2缶を増田さんと。
肴:しめさばとサーモン刺、けんちょ、焼き豚焼いてたけど出たんだったかな?

ちょっと色々忘れた。
テレビはぐるナイ見た。
そのあと秘密の県民ショー見た。
スタミナ納豆が美味しそうだねという話になった。

寝たのは22時半くらい。

夢は、西原理恵子の漫画だった。
夫が行方不明になり1年半、小言を言い過ぎたせいなのかなどとあれこれ落ち込みつつ
営業用眉毛をはりつけて今日も仕事をする、というような内容だった。

起きたら4時27分。


2010年03月11日(木) 風邪気味は二日でなおったな

昨日は、プログラムのテストするつもりでほとんど調べ物してた。
正子さんの遺族年金の請求書と必要書類リストが届いたから。
課税証明と所得証明はどっちでもいいのかとか。
とりあえず両方とも二部請求することにして江別市に封書で依頼。

定時に退社して、自宅最寄り駅で増田さんと合流し、荷物持ってもらって帰宅。
なんか増田さんが下痢してるのは知ってたけど、その朝実は、かなり辛かったということをカミングアウトされる。
いつもいつも、なんで意味なく我慢するのが癖になってるのか本当に謎でめんどくさく、
言えばいいじゃないですか!と、もう何度目なのか言うのも飽き飽きな台詞を心の眉間に皺寄せながら。

飲んだのは金麦ロングとチューハイレモンとグレープフルーツ。
肴:柳田の刺盛と〆鯖、春菊ツナ和え、けんちょ、ポテサラ、納豆汁

増田さんはお酒飲まないでカレーライス食べてた。
なんかご馳走なのに浮かない様子で、食後は壁にもたれてつくづく「この体勢ラクだわ」と言った。

テレビは大阪どっとこむ、だったかサプライズ枠の。
私がメールチェックしてる間、増田さんは本読んでた。
22時前には明かり消して静かに寝た。

夢では、仕事か手続きのような何かに失敗してあちゃ〜ってなったけど、夢でよかった〜とも思ってるやつ。
あとは寝坊したことに気づいてほぼ忘れた。
ただ「キタラー皇太子」って言葉が。

起きたのは5時50分。


2010年03月10日(水) 水曜かー

昨日はTさんがひるんで自分でできないサーバー上でのスクリプト実行のテストをしたら
管理者権限がないとできなくて結局Tさんが実機でやって何事もなく終わったり
プログラムの改修やったり仕様書なおしたりWEBの公開やったり
美少女がネットワークドライブ接続のエラーメッセージにひるんで質問してきたり
というような感じだったかな。

定時に退社して、自宅最寄り駅まで増田さんが傘持って迎えに来てくれて
帰宅して飲んだのは金麦ロング2と黒ホッピーと彩旨かな。
肴:ポテトサラダ、がんもと絹さやの煮たの、ゆでたもやしにレッドカレー味の豚肉炒め、こまい一夜干し

テレビは、火曜サプライズでミヤネとウエンツが大阪でごはん食べてた。
あと都バスで飛ばすぜい。
それから踊るさんま御殿は兄弟特集で、朝方夢に見たDAIGOが出てきた。
DAIGOの姉さんは3日に一度しか風呂に入らないそうで、やっぱり風呂って毎日入るの負担だよね効果もわからないし、って心の中で同意した。
あとDAIGOの姉さんは痛みにも強いらしくて、それも同じ同じ、と思った。
自分が痛いのに強いと、他人が痛がっててもヘタレなだけと思ってしまうんだよなあ。

それが終わったら寝てしまいそうになったけど、メールチェックして22時近くまでは起きてた。
あとテレビも見た。JOYくんとかが出てて、イケダン(イケてるダンナ候補?)を選ぶみたいなやつ。
どうも睡眠に時間取りすぎなんだよな。

夢では、考え事なんだか夢なんだかわかんない感じでリアルな相続の問題だった。殺伐でもないけど面倒だった。
ほかには、明日の10時45分までに新青山事務所まで来てってIさんに電話で頼まれた。
たぶん、複数で出張ホステスみたいなことをするんだと思った。
しかし新青山事務所っていうのがわからない。
電話を切る前、それを言ってみたけどIさんはもう受話器を手放していたみたいで
常連さんらしき男の人が出て説明してくれた。
エリアは変わってないみたいだった。
でもまだよくわからないのでグーグルマップでも見てみた。
ちょっと駅から離れた小高いところにアイコンがあった。
最近あんまりホステスみたいなことはしてないので不安があった。
二階に行って、化粧品を探した。
誰か親戚のおじさんにもらったのがあるはずだった。
とりあえず半練ファンデーションのコンパクト(水色)がビニール袋に入ってるのを発見。
あとは一番最近もらった薄いピンクの口紅を探そうと思った。
ちょっと地味だけどもまあいいよねと。
窓が開いてて表で雨が降っていた。
他の女の子3人が衣装に着替えてIさんをたしなめ始めてた。
こういうのはもう、Iさんはこの間こう言ってサヨナラしてたじゃないですか、とかって。

時計見たら4時47分とかだった。でもなんか起きれなくて結局5時10分まで寝てた。


2010年03月09日(火) 寝坊

昨日はまあまあ普通に。
お土産足りなかった分も配った。
土田さんに保守のデザイン?のことで相談された。
プログラムは適当にやってたらなんとか動いた。
WEB更新一回やった。あとメニュー登録確認とかユーザー登録。

帰宅して、飲んだのはゴールドブリュー。
肴:肉じゃが、焼き豚小松菜香菜、一風堂風ナムル、ちしゃもみ



夢は、DAIGOの嫁だった。でもまだ結婚前だった。
最初は良かったんだけど、一緒にゲーセンみたいなところに行ったら
DAIGOが地元の不良中学生みたいなのに怯えててガッカリした。
DAIGOの家は地元の総合病院で、DAIGOが敷地の隅で地元の平民女性に住所聞かれて
柿木町何丁目、みたく答えたんだけどそんな住所あったっけ?知らない、と言われていた。
その町全体がDAIGOのうちの病院の敷地だからだった。
私とDAIGOがとりあえず住んでるところは共同玄関のアパートで、そこに義姉とか義母とかがやってきて
なんだかんだと意見していた。

増田さんの携帯の起動音で気がついて、時計見たらもう5時49分とかだった。


2010年03月08日(月) 仕事か…

昨日は午前中にコドモに土産届けた以外は家にいた。
朝昼晩と増田さんがゴハン作ってくれた。
ビジュエルドプリッツを何度もやった。
あれは30分だか1時間以上だったかやると、「あれれ時間はどこへ行っちゃったんでしょう…」とかって言ってくる。
罪悪感を煽られる。

飲んだのは午前中についでに三徳で買ってきたゴールドブリューとモンフレール白。
肴:寄せ鍋、刻みセロリチーズマヨ塩コショウ、きゅうりをキムチの素に漬けたやつ

テレビはバンキシャとスーパーからくりTVと竜馬伝見た。
スーパーからくりTVは例のアスペルガーみたいな男の子の回で、北の乙女も登場してた。
竜馬伝では広末涼子と福山マサハルが引き離される回で、増田さんが「可哀想」って言ってメソメソしてた。
それが終わったら私は寝たけど、増田さんはまた中途半端に何度か起きてたみたい。
(スタートが早すぎでエンドが遅いと思われ)

夢は、実家で夜だったので私はお父さんの部屋で寝ようとしてて
お父さんはお兄ちゃんらとフウガや小さい男の子らと家の前で何かして遊んでるようだった。
お父さんはそんなに私に執着ないみたいで、ちょうどいい塩梅って感じで落ち着いた。
私はどこかの町で時間をつぶした。
16時になったら習い事に行かなきゃならなかった。
太り気味の若い男の先生から、その日だけ時間を変えられたのだった。
角に高い喫茶店みたいなのがあって、高いから入りはしなかったんだけど
そこでタモさんが誰かに話してるのを聞いた。
超高い金を出して、昔の文豪みたいな人が住んでた屋敷を使っているフィットネスクラブみたいなのに行ってみた話しとか。
そういう無駄金使うために稼いでるんだというようなことだった。爽やかだった。
私はそこの店の前に、なにかをたくさんはさんだ緑のクリアファイルを4つくらい仮置きさせてもらっていたので
それを回収して、角を手前に曲がったところのシャッターしまってる店の前で時間をつぶした。
賃貸マンション空いてますみたいな張り紙がしてあった。
銀座コープなんとかマンションとかいう物件で、貸主はカナダ人かなんかで、
カナダ人歓迎!って書いてあった。銀座コープだけど場所は鶴巻町にあるみたいだった。
天井がサンルームみたいにガラス張りになってる家に入った。
キムタクと松村が上を見て、なんだあの墨付きカッコは?とか言っているので
私もそっちを見てみたら、どうも天井上の上空に、なにか長四角の黒いものが浮いている。
よく見ると、どうもそれはボーダーのボードの裏側のようだった。
パラグライダーみたいなのもいた。複数で遊んでる最中のようだった。
遊んでる彼らは人間とは違う生き物だった。中には女もいて、降りてきてキムタクに馴れ馴れしく振舞っていた。

気がついて時計見たら5時19分で慌てて起きた。


2010年03月07日(日) 振込みしなきゃな

昨日は、いつもの週末だった。
でも午後から芝居を見に行った。前にパイ投げに出てくれた多摩美の女の子たちの。
学生の劇団なので、自己満足みたいなやつかなと思っていたら、意外とよくできてて面白かった。
前半は困っちゃったけど。
将来は本谷ユキコ?だったかみたいになるんですかねえって増田さんと話した。

終わったのが16時半前だったので少し時間をつぶして、17時の開店を待って番番へ。
飲んだのは瓶ビールとチューハイ数杯。
肴:レバタンハツカシラ塩、身欠き鰊と大根炊き合わせ、鶏たたき

番番はあっという間に満員になってた。
悪いので1時間ほどで出た。

オリジンで惣菜買って帰宅して、クリアアサヒ(モニターでもらった)飲んだ。
テレビも少し見たかなあ。
まだ満天星空レストランとかの時間だった。
福島だったかでメープルシロップ作ってるおじさんのとこで体験みたいな。
あの木は北海道にも植えまくったほうがいいと思う。
あと志村どうぶつ園とか見たかな。

私はアプリで遊んだりメールチェックしたりしてたけど
増田さんは志村どうぶつ園の途中で寝てた。
そして2時間後くらいに尿意で起きちゃってた。
そのとき私は(このごろのバタバタで便秘傾向なので)なんとなくトイレで座ってた。
増田さんは待ったなしなので、あーあって感じで立ち上がる私。

そのあと、まだ早かったけど寝た。
でも1時半くらいに気がついたら隣に増田さんがいない。
私が気がついたのは、昨年末からマンション内にネズミがいるらしいというのが問題になってて
その問題の音がすごく近くに迫ってきたからだった。
思わず明かりをつけて隅々チェックしたけど、とりあえず姿はなかった。

増田さんは隣の部屋で携帯いじってた。
信販系のカードの申し込みをしていたらしい。

再び布団にもぐり、足をあたためたりしてる間に増田さんは鼾をかきはじめた。

夢は、増田さんの夜のイベントみたいなのに同伴したんだけど
増田さんが女の子の手のひらに爪でタテ線をつけることに熱中したりしてて
なんかイヤな気分になったりした。
女の子の一人が、合間に食べる食事かなにかについて「このへんにしじみの味噌汁売ってないですか?」とか言ったので
この建物を降りたところにコンビニがあったかもしれないと教えたりする。
緑の皮コインケースの縫い目が切れてる。
面白くないので一番近いセブンイレブンに行ってみたら、そこは商品ラインナップが貧弱で、本物のビールしか売ってない。
少し先には普通の品揃えのセブンがあるはずですよと長めの茶ショートカットの色白娘が教えてくれる。

もうひとつ見たと思う。
ビル建設関係の仕事場みたいなところで、チョイ悪的な医者だか取引先の人だかがいて
私は予約の変更みたいなものを入れといたはずなんだけど、それが通ってなかった。
でもまあそうかなと半分納得いく私。
そしてなにかどこかに過去に肉体関係があった男が関係してきてる。
それがなんかイヤでどうにかしようと思っていた。

起きたら7時半過ぎてた。


2010年03月06日(土) もう昼

昨日は久々に仕事に行ったけど、二つのミスを犯した。
まず持参する土産(カリカリまだある?)の個数を誤って、4人ほど配れなかった人がいた。
(家にはまだあるので月曜日の朝に持って行ってそっと机の上に置いとく予定)
あとせっかく修正しおわったドキュメントを送信しないで置いてきてしまった。
あの会社の人たちは週末も仕事してるときがあるので、土日にそれを使おうと考えていた場合、非常にロスだ。
でも期限が指定されてなかったし、私が来週から出勤するものだと思って依頼してきてたっぽいし
たぶん大丈夫だと思いたい。

とりあえずプログラムにもイヤイヤ手をつけた。
デキる人だと思っていたサカタさんのプログラムが意外に非効率な中身になっていたので苦戦が続く。

サーバーが重くWEB更新がコピー待ちで遅れ、30分残業。

帰宅したら増田さんが、葬式にもはいてきていた黒っぽいジーンズ姿でお料理してた。
飲んだのは彩旨4本と合成清酒。
肴:ほうれんそう胡麻和え、まぐろの山掛け、蓮根と絹さやと油揚げの煮物、納豆チーズ春巻き、一風堂風ナムル

テレビは大田総理のナントカに鬼奴が出てたのでそれを。
でも鬼奴は意見がないみたいで「どっちでもいいですね」の一言しか放映されなかった。
爽やかだった。

寝たのはメールチェックとかしてから(増田さんは仕事がたまってるらしくて原稿打ってた)22時くらいだろうか。

夢では、コドモとどこか知らない都会で買い物してた。
コドモは小学校低学年くらいの大きさで、たぶん学校関係の旅行かなにかの間だった。
町の中はバスで移動してた。降りるのこのへんでいいんだっけ?とか思いつつ。
コドモはその町で買い揃えたお姫様服みたいなのをゴキゲンで着ていた。
さっちゃんとヤヨイちゃん一家が町の一角の休憩所みたいなところで何か飲食しながら雑談してた。
雑貨屋みたいなところに行った。私は銀行の口座解約届けをそこに取りに行っただけだった。
キヨシローが何か関係ある店だったようだ。
先生がたに何か期待を含んだことを言われて、「いやむしろ繁華街をぐるぐるしてきただけなので…」と私は答えた。

起きたのは8時くらいだっただろうか。


2010年03月05日(金) 今日から仕事

昨日は、朝昼晩と増田さんがゴハン作ってくれた。
朝はライ麦パンと春菊胡麻マヨ和えとウインナー。

まずは証券会社に電話かけた。
やはり手続き用の書類を送って来るという展開だった。
あとメインじゃない謎の通帳を記帳しに出た。増田さんも一緒。
しかし10年以上使ってないので、別管理?になってて機械で記帳できなくなってた。
窓口のある支店に行って、残高があるかどうかだけ知りたいとゴネたんだけど
それだけでも除籍謄本取ったりなんだりしないとダメってことだった。
通帳上では残高20万になってたけど、お父さんがその存在を忘れるってことは考え難いので、たぶんカードで引き出したんだろうと考えることにする。

記帳に行く前に、郵便局で相続の手続きの書類を送ってもらうための申込書みたいなのを提出。あと定額小為替を念のため750円×10買った。
それから図書館に本の返却がてら、出張所で私の印鑑登録。
印鑑証明の発行は登録したカードを使って機械でやるシステムだった。
まるえいとワンダフルと100円ローソンで買い物して帰宅したのが12時50分。

昼は掻き揚げうどん。思いっきりDON!だったかを見た。
佐野四郎の誕生日ということで、その生い立ちを振り返りつつ、左目探偵EYEの番宣だった。
佐野四郎の生い立ちは増田さんがわりと食いつく内容だった。

午後も正子さんの年金請求書を作成したり、遺族年金の手続きのことで社会保険庁の相談ダイヤルに電話かけたり。
あとは私の免許証とかの写真を増田さんのカメラで撮ってもらってプリントして、除籍謄本発行依頼作成。

合間に200通くらいたまってたポイントメールとかアンケートとかを片付ける。
(やらなくてもいいのに)

あと増田さんから頭が線香くさいと指摘され、風呂に入ることを勧められていたので、入ったのが17時過ぎくらい。
増田さんはボツになったどっかの社内報の原稿をやりなおしたりしてたと思う。
でもひと段落させて夕飯にとりかかっていた。
(どう使ったらいいかわからなくて手をつけられなかったという砂肝)

19時頃、飲んだのは金麦ロング2と焼酎お茶割り。
肴:豚肉と白菜とえのきとニラと春菊の塩鍋、砂肝マヨ炒め、砂肝ニンニクナンプラー炒め

テレビはミリオンダイスの日だった。イモトがオホーツクの流氷の下でクリオネを探していた。
いつか仕事で死んでしまうのではないかと心配になる。
ベッキーは静岡で顔出しパネルを探していた。

寝たのは何時かなあ。21時台のような。

夢は、ブラマヨの吉田が和希沙耶?と付き合えることになっていた。わりとサプライズだった。

スーパーで考えながら買い物してた。戸田エリカ?だった。

ピアノの習い事の時間が迫っていた。パートの仕事帰りでもあった。
でもシックで豪華なワンルームマンションの室内にアヤさんといた。
そこは副業の雇い主の部屋かなにかで、アヤさんは子連れだった。
ピアノの習い事は、キャンセルしようかなと思った。
男の先生が冷たくて好きじゃないのでいっそやめることにしようと決めた。
副業の雇い主が来て、それも嫌な感じの男だった。
折り紙を折れって言われたけど紙がないのでそのへんにあるの何かを四角く切る。でも布だから、これで折れるか?とちょっと疑問。
握り寿司も握らなきゃいけなかった。ウニ軍艦は海苔が湿ったやつしかない。
納豆の握りは手がべたつく。納豆のも軍艦だから握らなくていいということをキタザワさんが身をもって示してくれた。
でも雇い主からは、私たちがやることにほぼ必ず文句がついた。
一角で小さなイベントやってるみたいで、音楽が流れた。
HIPHOPみたいな感じだった。アヤさんがそれにあわせて上手にちょっとだけ踊った。
オシャレなインテリア売り場だった。

時計見たら4時35分だったけど、すぐには起きられなかった。


2010年03月04日(木)

いつからだろう。
とりあえずイヤだイヤだと思いつつ迎えた2月27日の札幌行きは8時40分くらいに家を出たような気がする。
増田さんに徒歩で送ってもらって新宿駅東口改札だったかで「無事に帰って来てください」とかって見送られつつ小走りでホームへ。

羽田に着いて、日帰りだし町内の人には特にいいかと判断。
でも正子さんのゴハンはたまには変化つけて食に対する興味を向上させないとならないなということで
小さい和幸のカツサンドと、小さい美味しそうな押し寿司を購入。

スカイマーク名物の遅れもなく、順調に千歳着。
そのまま正子さんとこへ。

そしたらものすごくキッチリきれいに予告しておいた領収書をかき集めておいてくれていた。
それをうけて、正子さんはミッションがあるほうが状態がいいタイプなんだろうなという気がした。
なんか工夫できないこともないんじゃなかろうかという明るいきざし。

季節柄、暖かい日が増えてきているので、雪深い大麻の家の前もちょっと雪解け水が凍っていたりした。
なのでお父さんの病院に行く前にツルハシで割ったりとかなんだりとか。

そのとき、正子さんから「朝の5時くらいにお父さんが痙攣発作起こしてどうのこうの」っていう話は聞いてた。
でもそれ私が聞くだけでも3回目くらいのことで、毎回とくに命に触れるようなことはないというか
やたら呼び出されるけど大げさなんじゃないの?くらいの感覚で、正子さんも私もいたので
そんなに焦ることなく病院へは15時過ぎくらいに向かった。

お父さんは鼻管入ってて口がパカーっと開いてて目は閉じてるような薄目開いてるような感じで寝ていた。
パラマウントベッドが少し上体を起こし気味の傾斜にしてあった。
婦長さんぽい人に何か深刻な感じのことを言われた。
土曜日なのに内科の医者もやってきた。前日で退職したはずの精神科の担当医まで揃って、別室に案内された。

ナントカ確認書、みたいなタイトルがついてる複写式の紙に内科医が青いペンでなんか書いてる。
入院からこれまでの経緯とかが簡単にずらずらと。
「もしもなにかあったとき、呼吸の機械に繋いだり心臓マッサージをしたりすることを希望されますか?」
というようなことを聞かれた。
「心臓マッサージって、要するに助骨をボキボキ折ったりしながらやるんですけどね」
とか言ってたので要するに、あんまりオススメしてないわけだった。
呼吸の機械に繋ぐとかどうのとかは、脳死してても生きさせますかみたいな話なのかなと勝手に解釈。

「それとも天寿ということで受け止められますか?」という言葉もあったので
うーん、お兄ちゃんはまだ治ると思ってるみたいなのでアレですが
私個人としては以前のように自宅で生活するとかは現状では想像しにくいですし
どっちかっていうと天寿のほうで、
と答えた。

たぶん、お父さんは脳の機能がだんだんいっちゃってて、そこはもう、内臓みたいに手を加えることもできないのだから
無理な延命は苦しい時間が延びるだけという判断なんだけども。

問題なのは私が日帰りするかどうかだった。
意識レベルも低下し、血圧が上80くらい(その後30分で70台に下がったので昇圧剤点滴はじめた)で、
前夜の担当看護士さんが「あのままいっちゃったらどうしようかと思った」と言っていたとかだった。

ただ、おばあちゃんのときもそうだったけど、いつ心臓が止まるとかそういうのは
誰にもわからない。意識もないのに何ヶ月も止まらない人もいるわけで。
心肺機能とか脳機能とか自律神経とか内分泌とかいろんな働きがあって
あっちもこっちも終わってても心臓が止まらない限り死んでるという判断にならないのだから。

すんごい帰りたい欲望があったけど、帰ってまたトンボ返りした前回のことを思い、とりあえず飛行機キャンセルすることにした。
でも携帯の充電器持って来てないから充電切れたら連絡はどうする?ってことだ。

正子さんのとこに泊まるのはちょっと憂鬱だった。
ショックで口をあんぐり開けた正子さんの顔が思い浮かんだ。
病院の徒歩圏内の宿に泊まろうかなと一瞬考えたけど
なんかあったとき正子さんも連行しなきゃならないことを思い
とりあえず大麻に泊まりますので連絡はそこにと宣言して病院を出た。

1時間に2本しかないバスがすぐ来た。
病院から連絡が行ったみたいで正子さんは玄関の明かりをつけて待っててくれた。
荷物置いてホクレン行って発泡性リキュール類とかタラの芽天ぷらとかワカサギフライとか生春巻きとか買って夕飯にした。
正子さんは意外と冷静にというか覚悟を決めた感じだったのか、パジャマに着替えていつもどおりの時間に床に入った。

何時に電話がくるか(こないか)わからないので、困っちゃったけど
とりあえずテレビとか見ながら22時半くらいまでは起きてた。
それで床に就いて、2時間後なのかな、電話が鳴った。
タクシー呼んで、正子さんも緩慢ながらも)オロオロせず自分で首尾よく支度してたと思う。

病院に着いたら、昇圧剤を追加したんだかなんだかで、血圧は74とかだった。
60台まで下がってたらしかった。
そこから正子さんと私でお父さんのベッドの両側の丸椅子に座って見てた。

若くて可愛い看護士さんがしょっちゅう来ては真剣な顔でいろいろ調節して行く。
チューブでタンを吸い取るのも、おばあちゃんがいた老人病院とは扱いが違う。「ドイさんごめんね痛いね」と若い子が囁いてる。
おばあちゃんより幸せだなとチラっと思いつつ、痛いはずのタン取り作業でもお父さんの顔はもう無反応なのを確認。

まだ聞こえはするのかなあと思い、ありがとうとかごめんねとか話しかけてみると、
呼吸に伴い規則的に動いている顎下の動きが早くなる。
正子さんが「おとうさん。ひとりでいかないでねって言ったっしょ」って言ったときが特にそうだったような。

合間に、昔のアルバムの写真が脳裏に浮かんで思わず嗚咽したり。
でも看護士さんが勤務中だし声は殺した。

昇圧剤は限界量まで投与していたけど
そんなの時間を引き延ばす意味しかないよね、って内心気付いた。
お兄ちゃんは連絡入れてあるけど当然飛行機が飛ぶ時間まで来られないし。

だんだん顎下が動く間隔も長くなり、血圧も50を切ったら測定器がピーピー鳴り出した。
太くてクッキリした頚動脈がときどき動いてるだけの状態になった。
血圧も機械測定不能になり、シュコシュコってやるやつで測られだした。

6時近くなって、内科医が起きてきたんだか出勤してきたんだかで様子を見て
もう虫の息だなってところを確認したところでまた出て行った。
じーっと見ててもしょうがないから。

また正子さんと3人になってしばらくして、モニターの波形(血圧と心拍?)がだんだんまっすぐに。
心拍が0になったらピーーーって音に変わって、でも正子さんは上の波形がギザギザしてるからまだ死んでないと思ってたらしい。

鼻をふきふき嗚咽をこらえて詰め所に行って、雑談してた内科医と婦長さんに声をかけると
わかってましたという感じで慌てるでもなく気の毒そうに頷く内科医。

先に戻るとしばらくして、例のあれをやるという感じで人が揃い
何時何十分ご臨終ですとかってやった。
死んだのたぶんそれより十分くらい前なんだけどな。

そのあとはいろいろ段取りが始まる。
どちらで待たれますか?とかってまず聞かれた。
病室なのか霊安室なのかってことだった。
病室はニーズがあるから早く開けたいに決まってるんだから
霊安室で待ってくれって言えばいいのになんで選択させるんだろう。
そこって死ぬような病気の人はたぶん少ないっぽいから、慣れてないのかな、と思った。

管とか外して体拭いて患者着から浴衣に着替えさせる間、例の若い看護師さんが窓口で葬儀社のリストもらってくれて
とりあえず前回も利用したベルコに電話して、病院と安置場所を告げると「1時間くらいで向います」と。

霊安室がわからないのでまた看護師さんに案内してもらうと、
ほどなく病室にあったお父さんの荷物がワゴンにまとめられて運ばれてきた。
細々した物を持ち運びやすくまとめるようにと透明の大型ビニール袋も数枚用意されている。
車への積み込みも手伝ってくれて、意外と周到だった。
(おばあちゃんの老人病院のときは後日取りに行った)

正子さんは、お父さんの顔に触れたとき、「冷たい」と言って私の顔を見た。
なにか衝撃が走ったらしく、目が見開いていた。
私も触って「あ、ほんとだ〜、冷た〜い」と言った。

ベルコのワゴンに荷物と遺体と正子さんと私が乗り込み、並んでお辞儀をしている病院のスタッフを後に自宅へ。

一方、正子さんはロビーにいたときから、前回と全く同じ心配を一番からやりなおしていた。
「部屋に入らないしょ、どこに置こう」(遺体のこと)
「お金のこと」(ボーっとしてたので私が「いま何を心配してるんですか?」ときいた)
しかしすべて杞憂だった。(鬱病中の人の考えが的を射てることはあんまりない)

遺体はおばあちゃんのときと同じ場所に置かれた。
ベルコの人が線香と蝋燭とおりん?を置く台もセットして行く。
いろいろ雑感を語り合いつつ、とりあえず9時くらいになったので、正子さん薬飲まなきゃならないからゴハン食べましょうということに。

食べながら、お父さんは正子さんがお父さんと結婚したことで、しなかった場合より幸せになってることを望んでると思う
というような話とか。疲れ果ててるのもあって、正子さんはパニクってなかった。

言われたことを時間かけて噛み砕いて納得する性質の人なので、そのへん正子さんの底力に期待をかけている。
正子さんには、「今までそういうふうに考えてみたこともなかった」ということがいっぱいある。
もともと思考の範囲が狭いタイプだったけど、病気になったから特にそうだろう。
でも、言われるとジワジワ考えるというか、外部からの影響力が強いところがあるので、これからだと思う。

ベルコの人が通夜の日程決めとか見積もりとかで出たり入ったりする。
お兄ちゃんにも連絡ついたら寝起きのようだった。
お坊さんに都合聞いて翌日お通夜をやることにした。
前回のリスト?をもとに、親戚4軒に電話した。(そのうち1軒がネットワーク持ってて、バーっとその他の親戚に連絡が行く)
あとはお父さんの健在の友人はたったの1名なので、そこに連絡。
(「ご愁傷様です」と言われて思わず「いえ、ありがとうございます、すみません」と言ってしまう)
今回は正子さんの身内にも声をかけて、それは正子さんがやった。

私は会社の人数人の携帯に何度か電話したけど繋がらず。
増田さんにもしばらく帰れない旨連絡。(増田さんは電話の声だけかっこいい)
合間にソファで30分とか目を閉じてみるものの、私も正子さんも床に入らないと寝れないタイプだった。

お兄ちゃんは津波の影響で飛行機が遅れてて到着が夜になるというので、正子さんとまた夕飯。
正子さんは薬飲まなきゃいけない(軽く強迫観念)から三食絶対食べる。
お兄ちゃんの分も念のためあったほうがいいよねということで、多めにホクレンで買って来た
ヤリイカ握りとトロサーモン巻きと前日私が残したタラの芽とわかさぎフライ。

正子さんは以前と比べて食欲が本当に戻ってる。
お父さんの思い出を一緒に語りながら、無意識にパクパク食べてた。
私は発泡性リキュール類のロング缶の二本目に手をつけたはいいけど、ほとんど残してしまった。
なんかその後の段取りとかが片付くまで胸いっぱいっていうか、みぞおちに力が入って胃が縮まってる感じだった。

正子さんは20時頃寝た。
私はお兄ちゃんが22時半くらいに来る予定だったので、布団の準備だけしといて居間でテレビ見ながらウトウトしてたかなあ。

お兄ちゃんが着いたら、一緒の部屋でそれぞれ床に入ったけど、ひとしきり事情説明大会。
結構ショックを受けてるみたいだったので、それなりに眠かったけど、明日にしてよとは言えまい。
葬式用の現金どうする?っていうのもあって、それは保険があるから大丈夫って言った。
結局24時手前くらいだったかなあ、おやすみって言ったのは。

当然夢なんて見てない。北海道にいる間は一度も見なかった。
起きたのは何時だったかなあ。6時台だろうなあ。

玄関前で誰かが何かザクザクガサガサやってるので、あ、と思って開けてみたら
並びの高橋さんのおばさんだった。(顔おぼえの悪い私だけどギリギリ判別できた)

正子さんが自力でできなくなってから、雪かきは結構近所の人々に世話になっている。
前回そのことで、向かいの佐藤さんと横の佐藤さんと裏の町内会長には挨拶に行ったんだけども
高橋さんとこには行ってない。次回は行っておこう。
隣の佐々木さんとかもやって来て、本日密葬ということでご近所のかたがたには失礼してしまうんですがということを告げる。
皆さん協力的で本当に助かる。
しかし、今度はもうちょっと細かい土産を複数用意して来ないとならないなと思ったり。

そうこうしているうちに、横の佐藤さんと裏の町内会長さんが、きちんとした格好で香典持ってやって来た。
事情はわかってるので玄関先で、という感じで帰って行ったけど、お返しどうしよう?とお兄ちゃんと顔を見合わせる。

竹村さんが漬物持って来てくれて、正子さんが呼び出されたんだけど
正子さんが涙目で鼻たらしながら居間に戻って来た。
ずっといろんな人が助けてくれてることに対して、有難いし済まないし、という気持ちが決壊したんだろうと思う。
ティッシュを渡したら緩慢な動きで鼻かんでた。

私は職場に電話した。
所属会社のほうには、この人なら出勤してるかなという人に充電寿命の残り少ない携帯からメールしといた。

そうこうしてるうちにお兄ちゃんの一家が来たり、正子さんの親戚が来て帰ったり、出棺の準備の人(いわゆる送りびと)が来たり。
出棺の準備というか着替えみたいなのは見学しなきゃならない。
裸が見えないようにうまく着物に着せ替えるやつ。
そのあいだ、おりん?を絶やさず鳴らしてなきゃならないということだったけど
なんだかんだで二回くらい途切れた。

終わったら私たちも準備しなきゃならない。
セブンに行って私とお兄ちゃんがATMの引き出し限度額いっぱいまでそれぞれ金を下ろす。
一応それで病院の精算と葬儀一式の支払いができる計算。

喪服は正子さんに借りた。今は正子さんが痩せてしまったので着られないとかいう13号の喪服。
痩せてても着られるタイプだったので、正子さんに勧めてみたけど、腰が曲がってるからどうのこうのと言って
自分は黒いスラックスとブラウスみたいなのを着ていた。

ついでに会館の近くの郵便局で正子さんの通帳のカードを発行してもらおうと思ったけど
ハンコを忘れたのでできなかった。
なので結構時間持て余した。

そのうち続々と人が集まって来たので、茶を出したり雑談したりなんだり。
正子さんは前回と違って自分の兄弟姉妹がいたので前回より落ち着いてたかも。

お坊さんが来て読経。増田さんも来た。親族全員で写真撮影。
そのあとオードブル一式が出て来てお酒飲んだり。
お兄ちゃんの嫁さんが若くて天然で朗らかなので結構良かった気がする。
増田さんがお姉さんて呼んだり弟よって言われたり。

ミユキさんていうんだけど、来いとも言ってないのに「今度遊びに行きますね!」とかっていうので
皮肉じゃなく、否定されずに生きて来た人は本当に気持ちいいなと思った。
お兄ちゃんがそこに落ち着くのもわかる気がする。
(思えば私の元ダンナさんもそうだった)

しかし今回は親戚の皆さんも前回ほど盛り上がらなかった。
前回は皆さん久しぶりの再会だったので話が尽きなかったんだけど
今回はそれからたったの8ヵ月後だからだと思う。

女性陣を中心に、結構皆さん早く寝た。
でも増田さんが一番早かったかな。
(鼾がすごいのでお坊さんの控え室に隔離した)

カッチャンと呼ばれるガタイのいいおじさんが、寝ないでお線香上げててくれたみたいだった。
私もかなり寝たのでちゃんと把握してないけども。
前回起きててくれた川村さんという学会員のおばさんは今回は寝たようだった。

なんとなく朝になり、朝食の7時半までめいめい散歩したり身支度したり。
私も増田さん起こして携帯借りて病院に診断書のことで問い合わせしたりなんだり。
あと便秘で別の階のトイレにこもったり。

朝食の後もまた時間があった。
葬儀は10時からなのでニュース見たりなんだり。
女っぽい愛嬌のあるおばさんが前回同様コーヒー入れてくれたので飲んだり。
増田さんの黒服に積もった剥がれ角質を払ったり。
そうこうするうちまた人が集まって来たり。
わざわざ茨城からおにいちゃんの友達が一人来ていた。
連絡してなかったのに、茨城大学ネットワークもすごい。

正子さんは前夜、兄弟に自宅に送ってもらい、そのまま一緒に泊まってももらい
また車で送られてくる途中、冷え込みやら降雪やらの影響なのか
車がエンストしてスリップかなんかして前の車に追突したとかで
また目と口がパカっと開いた廃人顔で登場した。
(増田さんによると「喪主なのに来るのが遅い」と文句を言っている正子さんの兄弟の美人嫁がいたらしい)

葬儀は通夜より派手な法衣?だった。
読経が終わったら棺にお花入れたりして、前回はここで悲しさを誘うような音楽が流れて
思わずつられ泣きした人が多かったけど、今回は価格的に抑えたプランにしてもらったせいかそういうのはなく
ただお兄ちゃんあたりが一番グスグスいっていた。
私と正子さんは病院でのお別れタイムが長かったのでそこで燃え尽きていたようで、涙はちょっとしか出なかった。

マイクロバスで火葬場へ。
着いたら増田さんが物珍しげに建物内の写真を撮り始めた。
一族を入れ込んだ写真とか。

この場面で悲しくなることが過去にはしばしばあった気がするんだけど
お父さんのときはそういうのは特になかった。
正子さんも同じだったみたい。
増田さんがまだ写真撮ってたので目でたしなめた。

おばあちゃんのときと同じように休憩室みたいな座敷でお弁当を食べた。
たぶん全く同じ内容。
米が北海道銘柄だとかで、そういうような話やお父さんの話、白髪の話で盛り上がる。
ベルコの人の焼き上がり予想時間が過ぎたので、お父さん案外骨太だった気がするしね、なんて言いながら。