トラウマone

トラウマについて 友達と 喋っていた
彼女にも トラウマはある 彼にもトラウマはあった

どうして そんな事が気になるのか?みたいなことが
気になる 他人から見たら たいした事ではなく 
流せることが 流せない
コントロール不可能になり はまり 抜け出せなくなる
自覚していれば 良いのだが してない場合がある
それは 人から見たら ただの我侭 自己中 理解不能
な行為 感情にうつる

watasiのトラウマ・・あるのだろうか?
しいて言えば 感情に 問題があるのかもしれない

冷たいとゆうのか 何で、そんな事が気になったり
其処まで 感情的になれるのかが 解らないのである

たまに 狂いもするが 基本的に 客観視しかできないのである
小学校の頃から 離れた家に 夜歩いて通った
雨でも 雪でも 台風でも ランドセルを背負って
ひたすら 一人で夜道を歩いた たどり着いた家には
誰か居ることはなく 一人で電気をつけ
誰かが来るのを 待った
そんな生活も 長く続くと 一人で居るのが当然のような
感覚に逆に陥り 家族の気配が だめになってしまった
邪魔されるわけでもないが 人が同じ空間に居るのが 嫌だった

そんな生活のせいだろうか いつも何処か覚めている
これは トラウマなのだろうか?
もしかしたら これが 防御なのか
 自己防衛?なんだろうか

泣けるはずの事に 泣けず 
多分人が気にすることに
気に ならず 何故其処が きになるのかさえ
解らない
人と何処か 違うと 言うのだけは 最近(笑)
ふと
思い始めた−−−(チャットしていると 客観視して 自分を分析できる)


言葉には出来ないが 説明しがたい
心に留まる事が 少なく
いつも ジャージャーと 音をたてて
流れつづけている 流れているのが当然のように



性格といえばそれまでだろうが・・・
一人で 物を考え 他人に求めることの無い生活の
結果なのかもしれない――

自分が何に トラウマなのか知るのも良いのかもしれない
watasiは きっと 感情であろう
これは きっと それを受け入れてくれる人が居ない限り
治ることはないであろう−-

彼の場合 とある事情から 人を愛する事が 苦手で
愛されなさ過ぎた結果 表現ができないのであろう
そして 愛をくれない人に対して(思うようにならない人)
防御は 暴力であった−−

トラウマなんだと watasiは知っていたが
受け入れる気持ちには なれなかった
努力はしたが 表面的なものしか 見えてない彼には
watasiの 行為は 無駄であった

watasiが 居なくなれば それは同じ事の繰り返しで
トラウマから 何処かへ 行くことは 出来ない
彼は 自分が何を求めているのかを 知りはしていたが
それを 表現するべき 手段を 持ち得ていなかった
そして それに きずいていたwatasiは
手を 差し伸べることは 最後までなかった

そう言えば・・・女友達が言っていた
トラウマとなる 時点から 心の一部分が
ストップしたままなのだと−−

その部分だけ 少女のままであったり 少年のままだったりするのだと
其処だけが 動いていない時間なんだと

誰かが それに 与えて それを超えるだけの
物を 与え続ければ 超えられるのだろうか?

それが 与えつづけられているとも 知らない 誰かは
いつも 違う視点で watasiを見てる

しかし 誰か。。。 誰でも良いわけではないであろう

自分のもっとも 愛する人でなければ ならないから
そこで 止まってる人は 多いのかもしれない

もしかしたら 一生超えられない 点になってしまうのかもしれない

watasiは watasi自身を 心底理解してくれる人を
そして 共有してくれる人を 探しさ迷い 歩く

それは 側に居なくても−−−

そう 側にいなくても

続く〜〜(笑) 






2002年07月29日(月)

感情

文字にしてしまったり すると

随分と 大人で 物分りが良くて

客観視できていて 最高の文章で

最高の自分?

けれど 物事は そんなに 文のようにはいかない

判り切っていたり その一瞬に客観視して 文を書いている

のかもしれない

確かに その瞬間は そう思った きっと誰もが

口に出しても そうなのかもしれない

その瞬間は そう思った

けれど 厄介なことに その言葉を 打ち消すような

感情がある ふと 穴にはまる

理屈や 文では どうしても 埋めることのできない感情

心を 文や 言葉で 裁くこと自体 間違っているのかもしれない

心は いつも 別の生き物

自分でも どうしていいのか わからなくなり

途方に暮れて しまう

音楽に身を 携えて見る

それも いろんな物を 超えて watasiの

心に入り込んでくる

言葉よりも 文字よりも

理屈でもない 少し ほっとしながら

静かに優しく

心を撫でていく

理屈で 片付けようとしても どうしても 超えられない

感情

香水と 音楽

少しほっとした watasiは 静かに眠る

BLVを 買った・・・


あの瞬間は そう思った 確かに 

けれど 持続はしない

それの全てを否定はしないが

すこしづつ 変わっていく・・・

自分につけた 香水のように

自分だけの 物になる−−

それに どんな言葉も 似合うはずも無い

どんな 理屈も 通用しない
2002年07月26日(金)

友達

友達が どちらも良く知っている 友達同士が

決裂していると聞いた 凄く寂しい 悲しい

その二人は 仲がとても良く なんでも話し合っていたはず

良い時間を過ごしていたはず−−

最高の友達だったはずなにの 何故狂い始めてしまう?

彼との時間が 好きで 彼が好きで 一緒に時を共にしたようなきがしてたし

二人は本当に 楽しそうだった。

けれど 狂い始めたら 狂いっぱなし

翻弄されて 本当に 本当に 大切な部分が見えなくなって

無くしてしまうのかな? 彼が彼を・・・

もしや それは錯覚で ただの表面上の出来事だったと

そんな 風になってしまうのだろうか?

何が 一体 何が 大切なんだろう?

友達を無くしてまで 守る物なんだろうか? それは・・・

解らない  watasiには 解らない


今まで 費やした時間を どうして 信じて 

視点をかえて物をみられないのだろう

怒りは 一面しか 捉える事になってしまう

そして 其処には 何も無い

それだけの 時間だったとでも

思えば楽なのかもしれないが・・・・・

そうは 思って欲しく無い

どうか 元の二人に戻って 何が狂っているのか

見て欲しいきもするのは

私の 単純な気持ち−−客観視な気持ち

時間は何も解決はしてくれない

今を逃れるだけの 手段に過ぎないから・・・・。

・・・・・・これまた 私の 思い・・・・・・・・

今は 二人を静かに見守っていよう。。

二人とも 大切な 友達だから

2002年07月22日(月)

文字の無い恋文ーone

文字の無い 言葉でもない 恋文を

anataに 毎日 書き続る

目には見えず 聞こえる事も無い

感じられず 見ることをしなかったら

永遠に 

届く事の無い 恋文

watasiの 気持ち その 行動だけが

   恋文

人として anataへの恋文

けして 終わる事の無い

  恋文

    大切な人へ

いつか かならず 届くと 信じて

watasiは あたえ 続け

書き続ける



今の watasiの 在りかたこそが

恋文

そのもの・・・
2002年07月16日(火)

言葉―2

文字に囚われて 魅せられているのは 違いないと 思う

本を読むと あの文の中から 沢山の物を 感じる

ただの文字の組み合わせなのだが・・・。魅せられ

想像力をかきたてられ 自己陶酔世界へ 入りこむ

素晴らしい 表現力だと――思う。

チャットの バーチャルの世界でも 顔文字に心奪われた事など

一度も無い 魅力がないのである―

飾りの無いものこそ 本質が見えると思っている

顔文字で 伝わッてこないのは そのせいかもしれない

イメージしようにも 先にイメージを作られてるので

先に脳が 進まないのである。

チャットから イメージを抜かしたら 面白い所は少ない

顔文字の役割もあるとは 当然思うし 否定はしない。

どう チャットで遊ぼうと自由だと思う

これは watasiのこだわりで エゴであるが

これだは どうしても 譲りたくない。

顔文字に watasiは 本当を感じないのである 皆無である

やはり どんなに きついと 言われようが 其処を超えていきたい

時間とゆう 戦いがあるが・・・@ちゃっと 笑。。

文字の魔力を知り そうで ある人が 周りにいてくれたら

それで・・・文句なしなのかもしれない

ある人が 顔文字を使う人をみて 女子高生と喋ってるみたいだな!と言った

逆に 顔文字のおかげで ほんわ〜り イメージもかもし出せる

watasiは 既に 長いにもかかわらず

細字で 黒文字の 即落ち男をみると

賢くて 良い男にみえてしまう・・・。(笑)

こんな固定観念に 縛られてるwatasiもいるぐらいだから

色んな人がいるだろうな・・・。

人がどんな風に してるのかは 自由であるが

watasiは やはりその部分を捨てられず

文字遊びの世界を 常に求めている

最近狂い気味なので 修整に入りたい・・・笑。

文字の魅了

イメージ出きることの 凄さ

これに尽きる―――


頭は 回しておいて方が 良いに決まってる。

求めるものは 何処にあるんだろう?・・・謎

しかし あくまでも これは watasiの イメージ好きの言い分で

何処に 魅了されるかは それぞれである・・・。
2002年07月12日(金)

言葉 主観

既に ワールドカップも終わり 初夏の気配のこの頃である。

前から 主観について 良く 友達と議論した事があった

最近 また 考えるチャンスがあったので

少し 疲れた様に 主観について 言い出してしまった。

友達は ”言葉は自分の 手から 離れたとたん 自分の物では

     無くなってしまい 相手の 思う様に 動き始める”と

確かに その通りである。 相手の心の力量 物事の捕らえ方 関係

精神状態で どうにでも 動き出す。watasiは 顔文字は使わない主義である

安易に思えるからだ―― しかし それで きつい! といわれた事が多々ある

そんな つもりは全く無いのであるが そう取れるらしい

それを ある意味和らげてくれるのが 顔文字なのかもしれない

しかし そう聞くと 尚更 使いたくないものである

言葉を発したとたん 相手のものになるのなら

顔文字などで 表現してる場合ではない― 実生活でのコンタクトの取り方が

解らなくなって来り 表現のし方を 忘れてしまう怖さがある。

何度となく きついと 言われ もしかしたら 傷つけながら

少しづつ 成長していきたい。

物事は 多面で捕らえるべきだと思う――平面的な部分で物を捕らえると

一面しか見る事が出来ず おのずと 偏りがちな 考えになり 結果的に

相手を責めたりする事になる。

どの位置で物を考えるかも とても大切で 全ての面で 物を考え

其処から 感じたものを 自分のものにすれば良いと 思う

そう考えると 普通で 当然で などど ゆうことは 何処にも存在しない

相手を 責める必要もなくなる・・・。

絶対こうでなくてはならないなどど ゆうことも きっとありえないのかもしれない

時に 自分も狂いだし 一面しか見えてこない時がある――

出来れば 何時も どんな時も 色んな方向から 物事を 見 考えるようで

ありたい・・・。

高校の時に 友達と 建設的な物の考えを しよう・・と

何時も 言い合ってた。

過程があり 結果があり 主観があるーーーーーー。
2002年07月08日(月)

EGOISTE-やはりエゴーー / EGOISTE