「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2015年10月24日(土) 脳細胞を育てよう

 今日また新しいことを学びました。それはダイエットによって脳細胞を育てることができるということです。人間の体はいつも生まれ変わっているけれど、役目が終わったり事故にあったりして死んでしまった脳細胞は二度と再生されないと聞いていたので、出来ることが他にもあったのだと思い嬉しくなりました。方法はもちろん、脳の細胞に良い食べ物を取り入れることです。その内訳は、ポリフェノール、亜鉛、フラボノイド、クルクミン、カフェインを食事に取り入れること。カロリー制限と断食も役立つそうです。
 これらの中で、断食をしようと思ったことがなかったので改めて調べているうちに以下のサイトを見つけました。http://ameblo.jp/englishsongs/entry-11653021920.html 読んでみると、なるほど、断食で感じる心地よさは起床時の空っぽになった胃袋を感じる時の心地よさに似ていると思いました。もう50代なので育ちは緩やかかもしれないけれど、緩やかさを楽しむ私の細胞がたった一つでも新しく育ったら嬉しいな。


2015年10月21日(水) 成長のきっかけ

 なんとなく初めから「第三者に相談することではなくて自分で決めること」とどこかで決めていたことがあったのですが、今日あることがきっかけで友人にそのことを語りました。すると友人からはこちらが安心を感じる返答が来て少し驚き。言葉にした後に安心している自分も見て、抱えていたのだな、すっと伝えたかったのだなと気付きました。
 そんな自分をよく掘り下げてみると、言葉にしたいのにそうしないように自分をコントロールしていたようです。この行動は、子ども時代に困ったことがあっても自分で解決するしかなかったという経験から得た習慣で、大人になった今では自分に頑固になっているということになるのだと思います。素直に生きていると思っていても今回のように気付かないうちに幼少期の経験や心の傷に囚われた自分になっていることがあるところが、何歳になっても成長できる証拠です。


2015年10月19日(月) 1920年代の画家たちの思い

最近、'Surrealism'という言葉を使って欧米の背景を少し勉強しています。’Surrealism’は日本語では、オーレックス和英英和辞典によると、超現実主義と書かれています。そして昨日は、この言葉を基本にして1920年代前後に書かれた絵画を見ました。画家は絵画に詳しくない私でさえも幼少期の記憶の引き出しから持ち出せるくらいに人々に知れ渡っているダリやブレトンなどです。当時の私には彼らの絵画の意図はわかりませんでしたが、今回、それらが実はその年代の複数の画家たちが、第一次世界大戦の中で政治という空気の中に閉じ込められた人々に嘘偽りの世界から脱して感じることを表現して生きるようにと絵画を通して運動を起こしていたものだと知りました。彼らの多くは共産党に所属していたそうで共産党の仕組みに詳しくないのでその件については何も書けないのですが、超現実主義という言葉から、彼らは、現実から逃避させられている、または逃避している生き方は間違いであるという考え方を持って活動していたのだと思います。そして、もっと柔らかい表現をすると、心を大切にして生きたいと訴えていたのだと思います。真相は定かではありませんが、私なりの解釈の中、その方法は違っていても、ありのままに生きることを求めていた人が過去にもいたと思い小さな喜びを感じました。


2015年10月13日(火) 輝きの時

 昨日「自分は何をしている時最も輝いているか?」を書き出す宿題がありました。いろいろと楽しいことが普段の生活から何を持ってこようと考えた結果「心のファシリテイターとして育つ会」の事を書きました。その理由を三つあげましたがそれらは、その会が “心の傷を癒す作業ができる会”を前提にしている事。心を基準に語り合える仲間がいる事。そして、この会が自分の成長を手伝い、自分の成長が社会の成長の一端として繋がっていると感じられる事です。いつものように、書いているうちに楽しくなってきて文章はあっという間に出来上がりました。その文章を英語に直すのが大変でしたが、でき上がった後は、大切にしている事を英語で書く機会があってよかったなと思いました。


2015年10月12日(月) フロイド

 最近、“人間性”のクラスで講義の内容に深く興味を覚え楽しんでいます。例えば先日初めて知ったのですが、著書『インナーチャイルド』に出てくるフランスの心理学者フロイドは、メンタル疾患に興味を持ち自分の夢分析を始め、やがて、世界で初めてメンタルな疾患がトラウマから発生することを断定した人なのだそうです。フロイトについては賛否両論あるようですが、私は個人的に読んでいる本が関係していることと彼の興味が私の興味に似ていたことの2点から彼に大いに親近感が湧きました。


2015年10月02日(金) アブノーマルさ

先日「人間性」のクラスで「普通と言われる人と普通でないと言われる人」について講義がありました。クラスでは、多様性のあるこのアメリカでも、普通である事の条件の殆どはあるデーターの平均値によって決められている事を知りました。それから、多くの人々は普通であるよりも普通でないと言われる方を好むけれど、普通でないその範囲はあくまで普通から少し超えている程度であり、普通から大きく逸脱しているような状態を人々は好まないということでした。
私は自分の事を思いました。私は折に触れて「普通でない」と言われます。その事に違和感はありませんし、普通でない事はいい事だとさえ感じています。しかしそれでも時々、「こんな風にするとあまりにおかしい」と世間でいう普通の程度と比較している事が稀にあると気付きました。どんな時も基準にするのは私の気持ちなのですからそんな時の私は少し本来の生き方から少しずれているのです。そして、気づいたところから修正していくのが私が自分にしてあげられる仕事の一つです。

ところで、授業の一環として、自分の思うアブノーマル(普通ではない)と言われている人を二人挙げるというグループディスカッションがありました。私は一人目に日本人の乙武さんをあげました。彼は手足のない状態で生まれた自分を丸ごと楽しんでおり、そんな彼の生き方を綴った彼の著書は日本に古くからある、乙武君のような体の構造を持った人々を障害者と呼び特別視していた日本の固定観念を変えたと思います。(私も心の事を勉強する以前には、彼のような人々を特別視していた時期がありました)

二人目には私自身の名前を挙げました。理由は、私自身の物事の捉え方と現在暮らしている状況は、通常日本やアメリカで暮らす同年代の女性の状況や考え方とは異なる、と思うからです。ちなみに、一般に人々が思う50代の女性は家庭を持ち家族を手伝っている。仕事を持っているということです。話の話題としては主に家族の事、両親の事、仕事の話、健康障害や加齢に伴う体の変化などだと思います。ところが私の場合は、家族ではなく友人と外国で暮らし、語る話題は自然の事や心の事、健康の事。将来何をしたいかなどなどが基本になっています。将来できれば英語で本を書きたいという夢も持っていますし、そのために今外国で英語を勉強しています。それから、自給自足の生活がしたいとか心を語れる友達をもっと作りたいとか、これからしてみたい事を挙げると後を尽きません。

クラスメイトの殆どは、アブノーマルな人として、功績をあげたりや何かで世界で有名になっている人を挙げました。私は功績はありませんし、有名でもありません。しかし私は、アブノーマルである事と優秀さや有名度は無関係であっていいはず、と自分の名前とともに付け加えました。そして基本は、世間から見てアブノーマルであるかどうかという事よりも、私は自分のために何を求めているか、自分にどうしてあげたいか、によると思います。


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