「生きていくのに大切なこと」こころの日記 DiaryINDEX|past|will
今朝は近くの公園へジョギング30分のみ。日曜日のレース感想に向けて、無理をしないという考えのもと。相変わらず『Body Never Lies』を聴きながら走りあるき。聞き入って走る事を忘れるか、走るのに集中して聴くのを忘れるかなので、どちらかにしたほうがいいのかもしれない。
最近足が内股になっていることに気づいたので、自分で矯正できないかと思って色々と試しています。体のゆがんでいる部分を自分で発見して、そのゆがみを自分で治すことができるなんて、素敵なことだなぁと思います。少しずつでもいいから自力で治そうと言う考えのもとなので思いついたことを全部試すことができますし、そうする時の自分は本当に慎重に体に耳を傾けているのです。体と会話する、ということですよね。いつも心と体と対話していたら自分の心に沿って生きる生き方を続けていけると思えます。
今日も朝からジョギング。朝起きると同時に体が「運動したい」と言ってくれるので、そのまま従って外に出ていく感じ。最近は坂道も走るようにしている。写真で人々にお見せできないのが残念なのだけど、近くの公園に本当に急な坂道がある。その坂を出来るだけ無理のないようにゆっくりのんびり走っている。それで今日初めて、頂上まで登りきれた。どれくらいの日にちがかかったのかな?途中登らない日も入れて一ヶ月だろう。いいえ、昨年の夏から度々登ろうとしていたので、約一年半越しといったほうがいいだろう。頂点に着いた時にはもちろん息が上がっていた。しかし、思った程の感動がなかったのは、継続は力なりを知っている私がいるからだろう。その坂を下り始めてまもなくすると、もう一度登りたい気持ちになった。面白いね。しかし今日はジョギングの締めとして登ったこともありそのまま公園を後にした。
人は体の怪我にはすぐに気が付き、5歳になっているならお気に入りの絆創膏を貼ることを知っています。しかし、大人は心の怪我にはなかなか気付かないか、気付いても何でもないと思ったり思わされたりして手当てを怠ったり忘れたりします。その、手当てを忘れたり/忘れさせられてしまったりして充分に回復出来ていない怪我が残ったままの心は憎しみや悲しみを持ち私達を否定的にさせたり臆病にさせたりして人生の足を引っ張ります。足の傷が治るまでは走れないように、心の傷が治るまでは心から笑えないのです。私も以前は、傷ついた心に足を引っ張られ臆病で周りに合わせてばかりの自分を生きていましたが、傷ついた自分を少しずつ癒やし続け、癒やしの作業に伴い少しずつ成長しています。作業を始めてから12年になろうとしています。現在の人生は過去のものとは比較にならないくらいにプラスに変化しています。心の作業はこれからも続けていくつもりです。私の日記を読んで下さっているあなたがもし、心にけがをしているまま生きていると感じていらっしゃるのなら、今持っているものを全て一旦横に置いて、本気で傷の癒やしの作業をしてみませんか? <癒やし>という表現を使うと何か違う種類のものに変わってしまうような感覚になるかもしれませんが、心の傷の治療は体の傷と同じように、いいえ、それ以上に大切なのです。なぜなら、私達人間(動物)の心の状態は、ホルモンや免疫機能などの働きに大きく影響しているからです。
今日も朝からジョギング。朝起きると同時に体が「運動したい」と言ってくれるので、そのまま従って外に出ていく感じです。最近は坂道も走るようにしています。写真でお見せできないのが残念なのですが、近くの公園に、本当に急な坂道があって…。その坂を出来るだけ無理のないようにゆっくりのんびり走っています。それで今日初めて、頂上まで登りきれたのです。どれくらいの日にちがかかったのかな?途中登らない日も入れて一ヶ月でしょうか。いいえ、昨年の夏から度々登ろうとしていたので、約一年半越しといったほうがいいでしょうか。頂点に着いた時にはもちろん息が上がっていました。でも、思った程の感動がなかったのは、継続は力なりを知っている私がいるからでしょう。その坂を下り始めてまもなくすると、もう一度登りたい気持ちになりました。面白いですね。しかし今日はジョギングの締めとして登ったこともありそのまま公園を後にしました。
|