「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日は心友の家からマンスリーマンションへ引っ越しをしました。 彼らと居る間私は本当に楽しく安心して暮らせたので、家を出るときは、まるで“故郷を離れるときの気持ち”になりました。 私達は別れるときHUGをしました。基本的に、日本人はHUGをしませんが、私たちにとってはとても自然なことなのです。そして、私は再び彼らに会える日を楽しみにしています。
引っ越してきたこの部屋は1か月の契約ですが、短縮してキャンセル料を少し払って出ることも可能な場所です。便利だと思うでしょう? 私は部屋を片付ける間、独り言を言いました。又、私は自分がなぜ日本へ帰ってきたのかを考えました。その答えは、「あちらで暮らすことを決心してまた行くために帰ってきた」です。私にはこの時間が必要だったのです。
次に行くときには、私はいくつかの練習材料を持って行きます。そのひとつは、自分の感じたことを素直に他者に伝えるということです。なぜなら、私はそのことを子ども時代に経験していなかったので、大人になった今もそのことが苦手だからです。 私は、これは日本の特徴的だと思います。しかし、私は全ての日本人がそうであるとは思いません。幾人の大人はそうすることが出来ます。そして幾人かの大人はそれが出来ません。私も苦手です。だから練習したいのです。しかも英語でそれをするのです! そして、私は一緒に暮らす人にその私を手伝ってもらえたら嬉しいのです。
私はきっと成長するでしょう。そして、これまでと同じように、彼らに「ありがとう」と言いたくなるでしょう。だって、本当にうれしいのだから…。私は英語でそれが出来る日を楽しみにしています。 これは、誰かと暮らすときにできることの一つですよね♪
2012年01月24日(火) |
Mochi mochi, long life. |
今日は朝早くバスに乗り、名古屋市まで出かけました。マンスリーマンションの契約のためです。そして、名古屋市西区にある洋室6.9帖のマンションを契約しました。
皆さんは、マンスリーマンションの仕組みを知っていますか? 生活に必要なものはほとんど揃っていて、買うのは食材と消耗品くらいです。敷金は要らず、一泊の値段はホテルに宿泊する値段の半分です。私のように、1ヶ月や2ヶ月暮らすのには便利ですョ。 不動産からの帰りに、お米を買いました。マンションには炊飯器もあるのでごはんを炊くことも出来ます。ちなみに、買ったお米は“あきたこまち”です。日本のお米の名前を読むなんて、懐かしい気持ちになりましたョ〜。お釜を開けると湯気が立ちあげ、水分たっぷりの白い粒粒が「こんにちは!」と言うかしら?(このご時世、お釜じゃなくて、ジャーの蓋ですが…)。 ちなみに、USAではカリフォルニア米を食べていましたョ。日本のお米よりも細長くて、炊くと水分が少ないです。私はそのお米も好きでした。毎日健康に楽しく暮らしていると何を食べてもおいしいですネ。そして健康も長続きしますネ。
日本の米を食べて“ふっくらもちもち気分?” カリフォルニアの米を食べて“細く長く健康に?”。どちらもいいですネ。
今私は日本に一時帰国しています。
4か月国外に居てようやく現地で暮らせるよう切り替わったばかりの思考回路を元に戻すとき、おかしな感覚でした。しかし、私は日本人。(なんか変な感じ…)と思っていても日本語は自然にわいて出てくるのです。おもしろいですね。
ちなみに、私は日本人として生まれたことを嬉しく思っています。そして、仮に他の国に生まれていたとしてもきっと今と同じように喜んでいるのだと思います。とは言っても、これまで知った国の中には、(暮らすのには大変だな…)と感じる場所もあったので、地球上のすべての国が、人々が生きやすいように変わればいいと思います。 そして、私のすることは、私が楽に楽しく生きることなのですよね。変えられるのは自分自身。やさしい社会は私から…。プラスの社会は私から…。
夕食後、滞在している心友とクレープを食べました。それから、“楽しみの延長で生きる”ということに関連した話をしました。毎日楽しいですョ。こんなことをもっと多くの人々と語り合えたらいいなぁと心から思います。
今日は車を運転してドライブに出かけました。どれくらい走ったかな? 友人の家のそばにある山を一周する形で半日くらいです。途中で、リス、シカ、ヤギに会いました。シカは角を曲がったすぐそばの家の前に立っていたのですが、“目が合った!”…と思いました。 山の頂上付近の公園で一休みしたとき、小さな丘の上に枯草がたくさん落ちていて、ひらめきで滑り台のように滑って遊びました。一人で遊びましたョ。相変わらず一人でも遊べる私です。
運転はどうだったでしょうか? カフェの前で縦列駐車をしました。あまりスペースのないパーキングでしたが「できるだろう」と思いました。本当に上手に出来たので、助手席に乗っていた友人は「Amezing!」と驚いていました。実は昔から、狭いところに車を入れる(縦列駐車)が好きだったのです…。
来週、日本へ一時帰国するかもしれません。するかな? 未定の予定です。もしも帰ったら、何をしようかな?
新しい年になって13日経ちました。年の初め、心の父に「今年の目標は何?」と尋ねたら「去年の続きをすること」と返事が返ってきました。“去年の続きをする”って軽くてよい響きだなぁと思いました。 私も去年の続きをしよう。去年は英語の勉強からスタートして9月から今日までアメリカとオーストラリアを経験しました。 考えてみると、私も去年の続きをして13日経っています。そして、私の今年の目標は「一つずつ丁寧にする」です。英語に嵌って度々大切なことを忘れましたから…。
今年も去年の続き…、楽しみの延長で生きましょう♪
今週の宿題のひとつに、<2年前に何をし終えていたか>を書く作文があるので、2年前にしていたことを思い返しました。当時私は、日本と外国の間に心の架け橋を作りたいと思って生きていました。英語の勉強はその入り口でした。私は2年経った今も、英語を得るという位置に居ます。英語は当時よりも少しよくなっていると思います。そして、他国との間に橋も幾つか出来ています。それが心の架け橋であるかどうか、決めるのは私自身だと思います。そして、私はまだそのように言えるまでには育っていないと思います。アメリカという社会に入って情報収集しているうちに、巻き込まれて生きていたことが多々あったからだと思います、これからも、同じように時間を使うことがあると思いますが今年は、心の面をもっと広げていけたらいいな。そのために、もっと心を大切にして生きようと改めた感じた夜でした。
新しい年になりました! 私は昨日から Sydony に居るのですが、街中には日本のように年の終わりを象徴するようなものを見かけませんでした。昨日は、友人に誘われて Rocks というところへ行ってみるとNew year celebrationの花火を待つ人々が場所取りをして時間を過ごしていました。 私は基本的に、新年に伴うイベントには興味がありません。それよりも公園で運動をしているほうが楽しい大人です。しかし今年は私もそこで花火を見ることにしました。 花火は、港の四方から上がって本当にきれいでした。しかし、その音に耳を澄ました時には日本の花火のほうが音が大きくて迫力があるなぁと思いました。Rocksは辺り一面が海でしたので、音が散ったのかもしれません。 花火が終わると人々は一斉に帰路に着き、私もその波に乗りました。アルコールは禁止になっていましたが路上ではまだ人々がダンスをしたり歌を歌ったりして、新しい年を迎えたことを喜んでいました。 この光景は、日本では見かけないと思います。違いを知るのは面白いです。
写真を二つ載せます。それと、花火の様子をU-TubeにUproadしたので、あまり美しくないですがよかったら見てください。(なぜだかLinkを貼れないのでご面倒をおかけしますが、アドレスをコピーして移動していただければ嬉しいです)
Here is U-Tube http://www.youtube.com/watch?v=Cd31Mab84p4&feature=share
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