「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2009年12月31日(木) 一年の終わりに

 2009年最後の朝、ご注文いただいた本を郵送しに行きました。それから、今月分のサラリーを受け取るための書類をポストに入れました。今年の仕事が終わったと思いました。
 この一年は新しいことに取り組んだ特別の年でしたので、そのことを題材にした文章を朝日新聞の「声」の欄に投稿し本日の朝刊に載せて頂けました。文章は事前に新聞社の方と相談し合いましたが伝え忘れの部分もあって前回と同様に少しずれがありました。けれども、これもコツコツしてきたことの1つかなぁと思える部分もありますので(それから新聞の世界も数ある点の中の一つなのだなぁ、という捉え方が私の中で定着しつつありますし…)準備が出来たらホームページにも載せようと思っています。
 夕方には雪が降り始めました。その中を、灯油を買いに近くのスタンドへ向かいました。当たり前の事ですが、自分で灯油を買いに行けるということを嬉しく思いました。私は生活に必要なことが自分で出来ているのです。独りを楽しめて初めて他者との時間も楽しめる。こんな言葉をすぐに浮かべられる事も嬉しいのです。
 夜、雪が本降りになりました。ネットでお友達になった各国の方々からは「よいお年を」と連絡が届きました。そのメールに目を通しながら、私は英語の勉強をしました。英語で自分を伝えるためには伝えられる分だけのボキャブラリーが必要と分かったので書く練習もしています。勉強するということは楽しいです。
 いつもと同じように食事をした後、お風呂にのんびり浸かってこれからの事を思いました。今の優先順位を大切に出来ていたら、もっと先には今の事が土台になって新しい何かが出来るようになる。一般に「夢」とか「目標」とか言うのだと思いますが、その事を指針にして動けることも嬉しく思いました。2009年最後の夜、私の心は喜びでいっぱいでした。



2009年12月30日(水) よかったこと

 仕事。職場に入るとすぐに「新聞を見たよ」と伝えられました。他に「あなたにすごく似た人が新聞に載っていたんだけど、あなたなの?」と不思議そうに尋ねる人も居ました。
昼休みに本の事を尋ねられました。一人の人が「今はそういう人(複数の人格を持っていること)、多いと言うもんね」と言いました。
子どもや子育ての話になりました。私が「子どもは親が楽しく生きているのを見て、子どもも楽しく生きられるようになると思う」と言うと、一人の人が「なんか納得する…」と言いました。本を読みたいと言う方も居ました。それもいいなぁと思いました。
 家へ戻ってから、自分は新しい環境に居ると思いました。というのは、私は職場においても心に壁がある事をオープンに出来たからです。本を出版する以前よりもっと、ありのままの自分をオープンにして生きているのだと思います。
それに過去は辛さから逃れつつ生き延びてきたけれど、今は人格が残っていても現実を楽しむことが出来ている。いいことです。もっと、ありのままの私を生きよう。


2009年12月29日(火) 視点

 「楽だなぁ〜」と感じているところに子どもが旅行先から電話をしてきました。受話器の向こうで男の人の大きな声が聞こえてきて、私が「私は今まで、大きな声の人が怖かったよ」と言いました。子どもは「私もだめかも…」と言いました。子どもがそうであるのは大人の責任なのです。今日のところは「そうなんだね」と伝えて終わりましたが、感じたままを受け入れていると自然な形で表現する事が出来ますし、心の会話へつなげることが出来ると思いました。
 ところで、私は最近英語の勉強をしています。インターネットで世界中の人々とチャットメールをします。今日はバージニア州の女の子や17歳の女の子とお友達になりました。
聞いたこともない国の方が遊びに来るので、私はその国の事を訪ねます。まるで世界旅行をしているような気分になります。世界は広いです。


2009年12月28日(月) 1歩ずつ

 昨日数人の方から「ホームページを見たけれど振込先が解らない」と連絡を頂いたので、分かりやすいように修正し、取材記事をページに載せました。
 最近、日記に載せる文章が変わってきたと感じます。その変化は、より楽にありのまま表現するようになった、という感じ。他者に見える私は私が語ったことのみ。ありのままを語るとありのままの私が伝わって楽です。と分かって久しいのですが心の壁がある間は行動につながりませんでしたから、心の整理が出来た部分から自然に語れるようになっていると思います。毎日少しずつ成長しています。いつも1歩ずつです。


2009年12月27日(日) 心地よさ

 本日27日付けの中日新聞に、取材内容の記事が載りました。
振り返れば、まとめ作業をした1年10ヶ月間は人格の引き出しの蓋がオープンになった状態となり、してきた事をまとめているはずなのに今までよりも大変だと何度も感じました。そして本日の記事。
行動したことが形になって新聞というひとつの世界を通じて社会に伝わって感無量です…。
嬉しい理由はもう一つ。それは、新聞に載せて頂いたので、遠い昔に新聞の幼児虐待記事を読んで我が身を不安に思っていた私にプラスの精神史を作ることが出来たこと。さらにその日を振り返ると、これまで取り組んできて本当によかったと思います。それに、プラスを書いて伝えるということの1つにもなっている事を思うと、色々な情報をプラスに利用できる私がいた事を心から嬉しく思います。
そして、今日は昨日と同じように次に向かったスタート地点。私はこれからも1歩ずつ進みます。その私を、私がニコニコ顔で見守ります。
 夜、「お湯の中でのんびりしたい」と思いました。ホッとしたのかな…。「よかったぁ〜」の心地よさの中でお風呂に入りました。


2009年12月26日(土) 責任の取り方

 派遣会社に違う仕事の依頼の手続きをしました。人々が年末休みと語るのを聞いて、そういえばもうすぐ年が変わるのだなぁと思いますが、私の日常はいつもと同じです。
暖かい時間にぶらり散歩に出ました。この季節、太陽が当たる場所は本当に気持ちいい。陽だまりに座ったネコも同じような気持ちかなぁ、なんて独り言を言いながら仕事中心の生活から抜け出すと、心の底にある気持ちに気付きます。
私はまだ、子ども達が暮らす東京から帰ってきた自分を置いたままです。
東京滞在中に、子ども達が父親とも離れて彼の両親と一緒に暮らしていた頃の出来事を少し知りました。遠い場所から父親に宛てた文の内容は切実で、私が家を出たことが原因の一つだと思うと本当に心が痛みました。
東京を離れて時間が流れた今では、離れていた間に起きたことは私の問題とは違うと言えるように思います。けれども、子ども達は私と離れる以前の赤ちゃん時代に受けた影響の方が大きいですし、私は子ども達の心が健康になるのを手伝う責任があると思うのです。私がマイナスの社会に巻き込まれず反対にプラスを引き出せるくらいに能力を持っていれば子ども達を手伝う機会が多くあって、子ども達が大人になって子どもを生むまでにより多くの過去の補いが出来るでしょう。早くそうなりたいと思うのです。でも今はまだ成長途中。時々もどかしくなるのです。その自分に入り込んでいかないように、子どもの母である私を再び横に置いておいて出来る何かを探しているようにも思います。
幸いにも、根底の原因は社会や元パートナーの前に両親から受けた心の傷を抱えている事にあると知っています。再び離れた時間を使って過去の整理を丁寧に続けて、母をするという仕事のやり直しをさせてあげることにします。この捉え方を私の全体に沁み渡らせて、心の作業をしながらその機会が訪れる日を待っています。プラスに生きていたら、その日はきっと訪れるのでしょう。


2009年12月25日(金) 至福の時空

 今日は子どもの頃、かまってもらえず一人ぼっちにされた孤立感を抱えたチャイルドを癒やしました。そのあと視界に入る全てのものが暖かく感じました。
私はチャイルドを擁護する事が出来ますし癒やしの作業を経て自分を愛する事が出来ます。愛は私の心にあるのですよねぇ。こんなことを自身で気付く瞬間は「至福の時空」を感じます。
自分をプラスに捉える時、私は自分をファシリテイトする事が出来ます。私はこれからも日々の気付きを大切にします。


2009年12月24日(木) プラスの方向

 一昨日面接を受けました。当日夜、その医院で働きたいと思いました。昨夕の仕事帰り、その医院へ連絡をしようとしましたが他の選択肢もあり気持ちが揺らいでいたのでもう一晩置くことにしました。そして本日、仕事の合間に電話を入れました。ところが、私の名前を伝えたとたんに「うわ〜。今別の人から電話がかかったばかり。タッチの差だったよ〜」と言われました。私の心もうわ〜ん。
ショックが大きかった…。適度な仕事と休憩時間、適度な収入という好条件だったのに、昨夕のうちに電話をしておけばよかったと思っても後悔先に立たず。
自宅に戻って自分と対話しました。いつの間にか、出版費用の為にお借りした金銭を返せるようにならなくちゃという気持ちが基準になっていて、それが出来る方法を探して入り込んでいました。でも、私にお金を貸して下さった方は世の中にある高利貸しとは違うのです。私は自分の心と体を大切にして人生を楽しみながらお返しできるように生きているうちに、お借りした金銭はいつの間にか返済し終わっていたということになるものだと思います。1ヶ月に1万円返そうという気持ちでいればいつかは返済が終わります。途中で死んでしまって返せなくなったらごめんなさいと前もって謝罪させていただいて、それから本当にそうなってはいけないのでもう少し早く返すように動きます。
心に丁寧に耳を傾けると、普段無意識にやり過ごしていると思われる気持ちに気付くことが出来て安心します。
 働くことの疲れは心地よく仕事は楽しい。派遣業務でも貯金が出来るくらいに働く事が出来るので、しばらく仕事探しはお休みにしようかなぁ。私は私の心に楽に働ける方法を選ぶのがいいです。プラス思考を使って生きていると、物事も自然にプラスの方向へ向かうと思えています。


2009年12月23日(水) 出来ていたこと

 今朝「私がながく続けてこれた事は何だろうと」と考えていたら、心の作業を約7年間続けてこれたことに気付きました。この作業は仕事が変わっても風邪をひいても、台風や地震が来た時も続けることが出来ていたのです。私は物事を持続させる力が少ないと思っていたので、気付いた時は頬が緩みました。
 迷いがある時、自分に耳を澄ませると迷っている理由が解ります。原因が解るとその事について自分と語り合い方向を決めることが出来て安心します。その後、楽しい時間を過ごせます。明日の仕事が終わったらその後5日間も仕事がありません。ないものは仕方がないので出来ることを探して楽しみます。そして、出来た事を心に沁み込ませます。


2009年12月22日(火) 意図

 今日は約2年ぶりに採血針を触りました。私は以前から、注射や採血で針を刺される方の痛みが少ないように細い血管にも入るような工夫を楽しめる思考を持っていました。今日は2年ぶりでしたので少し緊張しましたし、刺された方にはご迷惑をおかけしたと思いますが、針を刺すという行為については、体に沁み込んだ能力は日にちが開いても大丈夫なようです。古い細胞の記憶力に感心し、まだ看護師の仕事が出来るなぁと思いました。
けれど、私は今「何をしたいかな?」を探しています。子どもが「将来何になりたいかなぁ?」と未来を夢見るのと同じ感じがするので、過去にしたかった事をしていると言えるかもしれないのですが、したいことがいろいろあるせいか時々その選択肢が整理できなくなります。
昼休み、同僚達に「どうして看護師になったの?」と聞いてみました。数人の人が「親に勧められたから」とか「おじいちゃんが死んだから」とか言いました。「違う仕事をしてみたいと思う?」と問うと「出来ないもん」と言いました。
私は大学にも通ってみたいですし外国で暮らせるくらいに英語が話せるようにもなりたいですし正看護師の免許を取ることも視野に入れています。他に、あれもこれも、時間と労力さえあれば浮かんだことが全部出来そうな気がしています。
その中で、看護師という仕事は今最も身近にあり広げやすいところなのです。働きがいのある仕事だと思いますし丁寧にした分だけ知識を知恵に変えることも出来ます。(人は誰も皆、その事を丁寧にしていけばその事に関するエキスパートになれると思います)。昨日面接を受けた場所はその知識を得るには最適だと思うのですが…。
 今日も仕事帰りに面接へ行きました。内視鏡の検査をする設備が整っていました。先方さんから「いい方向に考えてみてください」という返事を頂きました。それから「素直な方ですね。ぜひうちで勉強して下さい」と伝えられました。面接の場所では素通りしましたが、後で思い出して、素直という言葉に心が温まりました。就職するかどうかを私の方から伝えることが出来ます。3ヶ月くらい働くと貯金が十分できるくらいの収入になります。
そして、私は何をしたいの?ともう一度自分に問います。医療の勉強をするのなら昨日の病院。通信制の大学へ行く道を選ぶのなら今日の医院。看護学校へ行くのなら国立の看護大学へ行けるくらいに丁寧に勉強すると安い学費で勉強出来るのですが…。幾つかの選択肢のどれかを選んで今週中には就職場所が決まるかな?
 こんな私。以前からそうなのですが環境が変わるとそれまで取り組んでいたことがすっぽり抜けてしまう思考。私の糸をたどることもしています。人格の事を本に残した私はその後の私を伝える必要があるでしょう。いつか一人になれるまで、その取り組みを文字に残しておきたいですし、そうする必要がある。このように意識して生きると、いつか一人になれます。


2009年12月21日(月) 就職活動

 病院へ面接。募集要項を確かめて決めたのですが「准看護師の正社員は募集していないの。でも、パートで働いてみますか?」。他に、2次救急指定ですが整形外科では最先端の医療を取り入れていますと説明を受けました。私は救急病院で働ける能力は持たないのですが手術をして歩けるようになったり傷口を洗ってきれいに変化していく様子には興味があります。院内を見学し人々が働く様子を見て「働いてみたい」と思いました。でも、パート勤務なのでサラリーが少し少ないのです。何年働いても正社員になれることはないそうなので迷っています。
 夕方職安へ行ってみました。気のせいか、正看護師の名前が目立って見えました。実際に、准看護師の募集は以前よりも大分少なくなりました。医療行為の少ない介護施設も大手のところは正看護師のみです。四角い免許証を重視しているのかな?きっと、質の良さや中身の濃さを求めているのですよね。
もうすぐ年が変わります。私はせっせと就職活動。来年には新しい職場で働き始めたいなぁ。


2009年12月20日(日) 私に

 最近仕事優先で食事づくりが後回しなっているので食材の作り置きをしました。出来たての鳥唐揚げはおいしい。カリカリの皮をかじって東京の生活を思い出しました。家族の食事を作るという仕事を楽しみましたし、またそんな機会があるといいなぁと思います。今は子ども達と離れて暮らしているけれど、以前よりは近い位置に居ますし離れていても出来ることがある。丁寧に手伝うことも意識できるようになっていますから大丈夫です。
 元パートナーの事も思い出します。最近分かってきたことは、私が家を出なければならなかった理由の一つにパートナーとの心の不一致が大きかったということです。けれどこの事に関して最もいけないのは私の両親です。父も私を愛さなかったのだなぁとしみじみ思います。そしてチャイルドを癒やしています。そのせいかな。私はこの頃、結婚する前後の事を思い出せるようになってきました。出来ていることが増えているのでしょう。
出来た事と言えば、雪が降った作朝は仕事に行けるすがすがしさの中で出勤し社会の言葉を適当にいなして仕事を終え、私の日常は以前よりも軽くさわやかに通り過ぎているように思えました。私は、私がどうするかを自身で決めることが出来ます。成長の証が日常生活の中にもあることを心から嬉しく思います。
そして、もしも私が24時間いつもどんな時も自由であるならば、私が自分が感じているよりももっと自由な人生を満喫しているのでしょう。自由を自由と感じないくらいに自然に添って生きているのでしょう。出来た事は自然に私に浸透し次を描いているのでしょう。私はそんな自分を探したい。このように意識して生きることは私をもっと自由な人生に導くでしょう。


2009年12月18日(金) 優先

 仕事の合間の休み時間に、次の仕事の予約の電話を入れました。仕事が入ったことにホッとしつつ、これでいいのかな?と疑問も持ちます。
その中身は、今私は世間の人々と同じように仕事をしてサラリーがもらえるようになることを目標にしているということです。家に帰るとご飯を食べてお風呂に入ってのんびり。次の仕事の為に22時前に寝て、本の事などをする余力は仕事の為に先送りにしています。
そして、今は生活を安定させることが第一優先なのでこれでいいよという結論になります。今している事は、子ども達の手伝いをしやすいようになることにもつながっていると思います。


2009年12月17日(木) 辛抱

 昨日の仕事は寒空の中、寒いも暑いも後回しにしてこなしました。以前なら「寒い自分を後回しにするなんて心身ともに悪い」という理由で続けられなかったけれど、今は経済的な事情もあるせいか辛抱の時と思えるようになりました。以前辛抱と我慢の違いを聞いたことがありますが、最近やっと、「辛抱」は心から納得して前向きに捉えてその事をしているときの状態と分かりましたョ。辛抱の時を過ごした後の休憩タイムは快適なのです。
 そして休日の今日。朝一番に、採用される方向だと思っていた面接先から不採用の連絡をもらい、ため息が出ました。けれど以前は不採用になると、まるで世界中の人から見捨てられたかのように落ち込んでいましたが、今回は残念ではありましたが間もなく「次を探そう」と思えました。別の一か所はこちらからお断りしたのでもう一度スタートラインに立ったのと同じです。お財布ギリギリの生活を不安に思う時がありますが、楽しんでいる部分もあります。
 昼前には先日電話を頂いたへ本を一冊郵送しました。その後、メールで頂いた本の感想を読んでいるうちに「掲示板」を設けようと浮かびました。これまでにお聞きしたどなたの言葉も本来もっと語り合う必要がある内容だと思うのです。
それと、先日ある公的施設の前でチラシを配った時、その施設内ではNPOや何かの肩書きがなくても語り合える場所があり、その場所を利用するという条件付きですが、チラシを掲載して頂けるという事もわかったので、来年の始まりを目標に会場を取ることが出来るといいなぁと思っています。そのことをイメージしていると又新しいアイデアが広がって楽しい。本来、仕事もこのような感じで出来たらいいのですよね。そして、色々なことは心が楽になったところから自然に、行動も言葉も変わってくるということでもあると思います。プラスは私から。というわけで辛抱生活の中に、さらなる楽しみを探している Mamo でした。


2009年12月16日(水) 楽しみ

 訪問入浴の仕事。伺ったお宅で入浴のお手伝いをした後、お家の方が氷の入ったお茶を出して下さいました。一口頂いたら酸っぱくて飲めませんでした。気付かないうちに痛んでいたのだと思います。それに今日は北風が吹く寒空。私はお腹の具合を案じて「トイレが近いので…。飲めなくてごめんなさい」と伝えて遠慮させてもらいました。後でお茶を全部ごちそうになったメンバーさんが「お腹が心配」と言いました。度々あるとおっしゃるので「会社の上の人から伝えてもらえたらいいねぇ」と話をしました。私は派遣なので楽だなぁと思いましたが、私がNoを伝えることで正社員の方に悪い影響がある事もあるとも思いました。仕事が終わった帰り道に、このような時に私を伝えることが出来て周囲にも良い影響になるにはどんな伝え方がいいかなぁと考えていたら、これで大丈夫かも…と思える言葉が浮かび、それを派遣社員の私ではなく正社員の方が言われたらいいなぁと思いました。又お手伝いに行く機会があるので職場でこんな話が出来る機会があればいいなぁと、楽しみにしています。


2009年12月15日(火) 日々

 老健施設へアルバイト。仕事をする時の勘が少しもどってきたみたい。5年くらい前に、同じような施設で働いた事があるので懐かしくもありました。夕方暗くなってから家の近くの訪問看護ステーションへ面接に行きました。こちらはすぐにでも雇って下さる感じでしたが、1ヶ月に平均13回くらい、24時間体制の緊急ポケベル当番が回ってくるそうです。だいたい3日に一度の計算になると思うのですが、私にそれが出来るかなぁ?心身が休まるかなぁ?と。休憩がないよりも休まらないような気がしました。けれども、就職活動にもお金がかかりますので(どこまでできるかしてみようかなぁ?)という考えも浮かんでいます。ということで就職活動と仕事の日々なのです。


2009年12月14日(月) 利用

 二つの場所へ面接に行きました。一つは重度心身障害者と言われる方が通っていらっしゃる通所施設。もう一つは町の中心にあるクリニック。
1つ目は、通っておられる方々の様子に共感を持ち働いてみたいと思いましたが、昼休憩が10分で残りの休憩時間は時間外手当として換算されるという仕組みがあるそうです。以前は、休憩がないなんて考えられませんでしたが、仕事の内容に興味が湧いたので(収入を得ることが目的なので手当に換算されるのならそれもいいかしら)と考え中です。もう一つは以前パワハラで辞めたクリニックの院長とお知り合いのDr.でした。私はあったことをそのまま語りました。それからあの頃気付かなかったけれど、こんなところが原因だったのかもしれない…という事も。
私の他に応募された方もいらっしゃるようなので、私を利用して下さるならどこもいいかなぁという気持ちになっています。丁寧に働きますから利用してもらいたいなぁ…。
 面接の合間に、中区でチラシを配りました。近くの公的機関で心に関する講演会があったこともあると思いますが、チラシ100枚が20分位でなくなりました。こちらも利用してもらえたら嬉しいなぁ。


2009年12月13日(日) 日常

  Mamo本を利用して下さっている女性と話をしました。
「私は行きつ戻りつなのですよ」と言うと、女性は「みんなそうですよね」とおっしゃいました。
他者と語り合う時、以前は何とかして自分を伝えようと躍起になったり社会の価値観に巻き込まれて自分を忘れることがありましたが、最近は過去と同じような状況があっても落ち着いてそこに居るような気がします。この落ち着きがどこからやってきたのか分かりません。チャイルドを癒やす時「こんな時に落ち着くように」と意識していたのでもなく…本当に、本当に、不思議なのです。
 不思議なことがもう一つあります。それは、感じた事を基準にして動いている自分を客観視出来ている事です。
あのことはちょっとこうだなぁ…。それならこういうようにしようかしら?あれはこういうふうだったからこうすればいいかしら?あの事はちょっといやだなぁ。でも、まぁこういうようにすればいいかな…。これが終わったらあれをして、次にこれをして…。
明日の準備が出来ている安心感の中で布団に入り「あ〜明日はあれが出来そう」と明日を楽しみにして眠りに入ります。これはきっと、生きている感覚です。


2009年12月12日(土) 発展

  “Mamo本”のチラシを見て下さった一人の方から連絡を頂きました。その方は「子どもの心の傷を癒やしたい」とおっしゃいました。私は(心の傷の事をお知りになったならば多くのご両親が感じることかもしれない)と思いました。それから、傷ついたご本人のみがその心の傷を癒やすことが出来ます、周りの方はそのご本人を手伝うことが出来ますと浮かびましたが、始めて電話を下さった方との僅かな時間にその事を伝えることが出来ませんでした。
 本は出版日から約2か月経ちました。この期間、私を知る方からのご協力を得られることもあり一人また一人と利用して頂ける機会に恵まれています。手にとって頂ける事を喜んでいる時期が過ぎて最近は「売れるだけでいいのかな?」と思うようになりました。
私は、本を利用して頂けるその先にもう一つ私に出来る仕事があるような気がしています。この気持ちは本が出来た時に「この本を元にこんな事が出来たら…」と浮かんでいたアイデアがもう少し濃くなって現実味を帯びてきたような感覚です。私に何が出来るかなぁ?と毎日を楽しみながら探しています。


2009年12月11日(金) 素直に

 今日も仕事がありませんでしたので、一日中家の中。本を送る時の封筒を作りました。今は、ホームページを新しくしようとブログの開設にTryしています。
 そんな中、先日子どもから名古屋へ来たいと連絡がありました。私もそう出来たらどんなにいいかと思いましたが、私の側の経済的な理由と心の疲れが残っている事を伝え、延期になりました。
後で気付いたのですが、私は子どもにその理由を伝えるまでの間、実行出来たらという気持ちとそれが無理な現実の中で揺れていました。それから(私の事をどこまで語っていいのだろう?)とか(こんなことは言っちゃいけない)とか考えて肝心なところを伝えられずにいました。でも伝えてみると…それらはいつかはできるようになることで、いつかは語れるようになることかもしれないと分かったのです。以前、心友の一人が「私は今まで、今の苦しみが一生続くように感じていたけれど…」と語っているのを聞いたことがありますが、今出来ない事はいつかは出来るようになる可能性を持っていることなのですよね。私は自分に出来るところからしていくことにしました。
 それと、今回は子どもから返ってきた素直な文面から、力を入れている自分に気付かされました。私は私のままでいいのですよねぇ。子どもに事実を伝えてよかったですし、これからもそうしていきます。
子どもが持つ素直さは何かなぁと改めて思いますし、それは私の中にもあるものです。親は子どもから心育ちのきっかけを掴むことが出来ます。私は子ども達が持って生まれたものを壊さずに済むように、私を生きたい。私はもっと自己が確立し子どもを手伝える母になれるよう勉強します。


2009年12月10日(木) 現在未来

 今日は休みですが、就職が決まるまでのつなぎに派遣会社へ登録をしているので家に居ても派遣会社から仕事依頼の電話がかかってきます。仕事が決まるとホッとしますが食べつないでいる感覚です。
(派遣の仕事は明日の保証がないような気がする)と思っているところへそれを確信付ける連絡が来ました。「来週の仕事は先方さんから取り消しがあったので…」。その一言は別の用事と一緒にさらりと伝えられ、私の方は聞き流すところを「えっ?なくなっちゃったの?」と聞き返しました。聞きなおしてよかったと安堵しましたが、本当に明日の保証がありませんでした…。違う事をしてみると違う世界を知ることが出来て、社会や自分自身を考える材料になります。
 最近、感情と思考を切り離すという事を意識できるようになりました。感じたものを心からOKにしてあげられたら、たいていは「そして、どうする?」が見えてくる。本当に面白いです。と書いても出来ていない時があると自覚しています。子ども達の事です。思い出したり声を聞いたりすると「もっと傍で手伝えたらなぁ」と思い、先送りになっている現実を「今出来ることをする」という事で切り替えています。今出来ることは、子ども達が私の所へ来たい時に来れるように生活を安定させる事。まずは本のまとめを中心にしてきた生活から働いて収入を得る生活に切り替えることだと思っています。
働いて収入を得ることは心のことと同時進行ぐらいなのかな?けれど私はお金があっても心が不安定では子ども達を手伝うことが…。心が安定して初めて子ども達のしたいことを心から手伝うことが出来るからです。私は私に出来ることをしていくのがいいです。
 私にはしたい事もあります。実は、16年も前から大学へ行って卒論というのを書いてみたいと思っています。大学に行かれた方数人のお話を聞くと「考える材料が増えるよ」と仰います。私もそんな経験をしてみたいなぁと思います。
私の次の目標は大学へ通うことにしようかなぁ。借金もあるので働く事でそれを返せるようになる日が近づくことも楽しみにしています。
と、いつも私をプラスに導いていこう。なりたい私を持っていたら、そうする以前よりは近づける。


2009年12月09日(水) 探求

 私は子ども達に逐語式でメールの返事をさせてもらっているのですが、今回そのうちの一つのメールに逐語式で返事が届き、面白いなぁと思いました。私は子ども達からメールが来ると、この子達ともっと語り合いたいなぁと思います。それは彼女達の素朴さ・純粋さに触れることの喜びのように思います。
 2回目の子ども宅滞在中のことですが、2人の娘と私の3人で布団に寝転がっていた時、上の娘が急にケラケラ笑いだしました。理由は友人との面白い出来事の思い出し笑いだったのですが、その笑い声がいかにも軽く爽やかなのに加えて、娘から聞くその出来事の中に、友人達と一緒になってケラケラ笑っている娘の様子が浮かびました。
その娘はいつまでも何度も思い出して面白そうに笑っていました。私は「あれっ?」と思いました。私は、長女はいつも静かにしている子というイメージを持っていたからです。その後ある事を思いました。私は子どもの頃、家の中や家族の前では声を出すことが出来ませんでしたが、外では笑いあう友人が居て、家の中の私と外の私が違っていたのです。(家の中はつまらなかったので、そうなるのは自然なことでした)
私の経験と娘のそれは別なのですが、私はこの事を思い出した時、長い間娘を偏った視線で見ていたと感じました。
 話が前後しますが、2回目の旅に行くバスの中で、娘が小さい頃、人から離れて静かに遊ぶ娘を私の子ども時代と重ねて「もっとこうであってほしい」と望み娘と自分を苦しめていたと気付く出来事がありました。その後その娘の日常に触れながら「私は私で、この子はこの子なのだなぁ。そうだったのだなぁ」と何度か感じさせられました。娘が赤ちゃんの頃に私がその小さな泣き声におびえていたことの原因の一つに触れたと思いました。いろんな気付きはそれ以前の気づきの延長としてあるようです。何かな?どうかな?と物事を探求して歩くのは面白いと思います。


2009年12月08日(火) 基準

 午前中に、中日新聞の方が私を取材して下さいました。幾つか質問して下さったので(どんなふうに伝えればいいのかなぁ?)を意識しつつ返答しました。私の事を伝えるのにはそれなりの時間が必要なのだなぁと思いました。新聞に載せて頂けるかどうか、まだ分かりません。
私は(私のすることが、将来子ども達が子どもを生んだ時、その子どもの育ちを手伝いやすい社会に変わっていることの小さなきっかけになればいい)と思っています。けれどもそのようになることがメインではありません。私の行動の全ては私の人生の為にあります。ヒトとして生きたい気持ちの延長でもあります。それは、動物が当たり前に自分を生きるのと同じような感覚です。私は私を大切にする時、他者や社会を大切にする事が出来ます。こんな私を、どのように伝えることが出来るのかなぁとアイデアを湧かせてワクワクしています。自然の感覚を大切にして生きているとアイデアもワクワク♪


2009年12月07日(月) アンテナ

 アルバイト一日目。少し緊張する自分に気付いて「大丈夫。ゆっくりやればいいよ」と声をかけると、それでもうOKでした。
准看護師の仕事は2年ぶりのこと。その感覚も思い出し切っていませんので全て会社の方に伝えられた事のみをして、余計なことをしないように意識しました。それから、利用者の方の動きと言葉は大切にしました。
 訪問入浴はヘルパー・オペレーター・ナースの3人のペアで働きます。移動の車内で話をしました。「今の人は感情を表に出さないよね」「私はすぐに感情的になるの」「本来は子どもの頃に悲しいとか嬉しいとかその都度表現して、親からそうかそうかと共感されて、どうしたらいいか考えられるようになって、そうして大人になるはずなのにね」「そうかぁ、それが出来なかったんだ」
「私は子どもの頃からずっと親に、長男なんやからと言われ続けて。だから家を出た。すごく楽になったしいろいろ勉強出来た。家に居る時はほんとに重たかった。今でもまだ重たい」「ランドセルみたいやな」「大人はみんなまだランドセルを背負ってるんだね」「降ろしたい」「是非降ろしてあげて下さい…」。
心の話をしながらも利用者の方のお宅へ着いたら切り替えて丁寧に仕事をしました。反応ゆっくりの私。皆さんに待ってもらえて助かりました。仕事復帰の一日目は楽に心地よい時間が過ぎました。
 自宅へ戻ると、語り合った中のお一人からメールが届いていました。「子どもの頃の忘れもの。悩みの糸口が見つかった気が…」。私は(あの方はご自分に気付かれてよかったなぁ)と思いました。
 別に、心友からもメールが届いていました。いつも心のことにアンテナを張ってありのままに生きているとありのままを語り合える関係が広がると実感します。そして私ももっと自分に気付きたい。気付けるように、私を大切にして動こう。


2009年12月06日(日) 未来予想図

 午前中にある方から紹介して頂いた講演会会場へチラシを届けに行きました。多くの方に手に取ってほしいなぁと思いました。
夕方は久しぶりにベトナム研修生さんのお宅へお邪魔しました。二つの素朴なお目目。その瞳に惹かれた当初の頃を思い出して、そのように感じられて自分を嬉しく思いました。「いつベトナムへ来ますか?」と尋ねられて(又行けたらいいなぁ)と思いました。それから次の世界を見ている事も感じました。プラスの好奇心はさらなる次の好奇心へ移るということだと思います。
 私はもっと心の自立した女性になりたい。過去「手が届かない」と思っていた事はその意識さえあればすぐに手が届く所にありました。私の世界は私が知っているよりも計り知れないものと思います。小さな世界に巻き込まれていたら、新しい世界が小さくなると分かります。私は広い世界を泳ぐように生き、まだ見ぬ世界を知りたいです。
私はいつもこんなことを言っています。一般の女性の考え方と違います。そしてそれでいいです。夢みたいなことかもしれないけれど、(それが出来たらどんなかな?)と、未来をプラスに思い描いて生きることが健康な心で長く生きるコツだと思っています。
 子どもの一人からは名古屋へ来る場合の交通費を尋ねられました。私は、私の世界に子ども達が遊びに来るのは歓迎ですし、母の行く先々をあちこち探検してもらってもいいと思っています。
もしも一人以上の子どもが一度に来ることになったら?アルバイトを始めたので布団も買えるかもしれません。でも布団を保管するところが…。やっぱり引越しをした方がいいのかな?ホームステイ先を探す?安く泊まれるところがあるかも?
プラスのアイデアが浮かんで選択範囲が増えるように行動しておきましょう。その状況になった時に練りましょう。


2009年12月05日(土) なりたい私

 心を語り合う空間「有志会」に参加しました。
私はこの数日思考が飛んで大変な自分を生き延びている毎日。会では、その自分を言葉に出来なくて動けているところを語りました。 よく考えてみると、まとまっていないところは語りたくても語れないのですが、語れた部分は動けているし出来ているということなのですよね。そしてその部分を日記に書いている。反対にまだ動けないところがある。そこはこれから動けるようになるところです。
語り合い練りあうという作業は新しい気付きを得たり考えを深めたりすることが出来るので好きです。会の中では「自分をそのまま伝えると楽だよ」という声も聞きました。私はもっとありのままを語れる女性になりたい。どなたと語り合う時も言葉を大切にし私メッセージを使って語れるようになりたい。なろう。


2009年12月04日(金) 原動力

 ある女性に本をお届けに行きました。その方の子どもさんは中学生活の終わり頃「私服でなら学校に行きたい」と言い母である女性はその子どもさんを手伝い、子どもさんは私服で通学されたそうです。女性は「子どもが必要とする時に手伝えればそれでいいかなあと思ってる」と仰いました。私は共感を覚え、子どもがしたい事を手伝えるのは素敵なことだと思いました。
人は子どもを生んだら親になります。しばらく楽しんでいると、それは子どものころに夢見たもの以上に価値のある仕事だと知ることが出来ると思います。私は一度その仕事から離れましたが、今回再び恵まれたこの機会を利用して成長出来るようでありたいです。
 そんな私は先日興味深い経験をしました。前置きとして過去の話からさせて下さい。
私は悲しみを感じた時にはその悲しみが終わるまで悲しんでいいと知らなかった頃、子どもが転ぶと最初はやさしく「大丈夫だった?」と語りかけているけれど、子どもは私の思うように立ち上がらないと分かると怒りが湧いてきて「いつまで泣いてるの?」とか「まだ泣いてるの?」と言い、さっさと起きなさいと子ども達を頑張らせました。
今では、当時子どもの方は私に、ある時はやさしい言葉をかけられ、ある時は感情をぶつけられ、子どもの悲しみを増やされていたと分かります。今、私の子どもがいろいろなことを頑張らなければいけないと思っているのは私のせいなのです。
 ところが先日、悲しんでいる私自身に「まだ悲しいんだねぇ」と自分で声をかけた時、心からホッとして(あ〜これでいいんだ)と分かりました。体から力が抜けて行くのが解りました。(泣きやまなくちゃ)とか(そんなんじゃダメ)と急がせず、そのままを肯定しているうちに(悲しいよ。だからどうする?)と次のアイデアを探すことが、ごく自然に出来ていました。大人は、そして私はいつも、私を見守っていると私の成長の瞬間を見ることが出来ると思いました。子どもを親の意に添わせようとする事は子どもの成長を見せてもらえるせっかくの機会を逃すことになっていたのですね。私は自分の成長を見ることが出来てよかったです。
私は私のありのままを大切にし自分の成長を見て楽しみながら生きます。感じたままを感じることは次の行動への原動力です。
と書いても、私はまだ不安定。心は行きつ戻りつしますが、エネルギーのたまったところから動きます。


2009年12月03日(木) 優先

 就職活動。求人募集の中に医療関係の仕事を探します。でも、本当にしたい事は何かなぁ?と問うと書くことを仕事にしたい私がいるのが分かります。世の中に仕事はいろいろあるというのに准看護師という免許がある為にその範囲で選ぼうとして選択範囲が小さくなっているような気までしてきます。でも今日は不思議なことが起きました。書くことをしたい自分に「もう少し待っててね」と伝えた少し後、その事を感じていたのは「書くことを止められたチャイルド」という感覚になったのです。それから、広い視野を持った大人のような気持ちになりました。私はしたいことはたくさんありますし、これからもいくつも浮かんでくるのでしょう。そして、目先の事にとらわれず優先順位を大切にしていると、したい事も少しずつ出来るようになると思えています。
 帰りにチラシを置かせてもらっている本屋さんへ寄ってみました。自分で作ったものだけど、本屋に来たお客さんが手に取るような気分で新鮮に映りました。チラシは10枚なくなっていました。それを見たらしき方からの連絡はまだありません。でもどなたか持ち帰って下さる方が居るということが嬉しかった。
 夜、働き方をもう一度練りました。やはり生活費を得るために仕事をしつつ、したいことが出来るように動きたい。その為に今することを大切にして、将来その事が出来ていくように動きます。


2009年12月02日(水) 知恵

 仕事を始めた方がいいかなぁ〜ということで午前中は就職活動。そういえば、ベトナムへ行く前の最後の職場はパワーハラスメントを受けて3カ月弱で辞めたのでした。職安の記入欄にその理由を書きながら(採用率が下がるかな?)と思いました。けれど、これは私の事実。私は私をありのまま雇用してもらえる場所で働けばいいと思っています。もう一つ感じた事は、以前よりも楽に職場探しをしているという事です。過去よりも心に余裕を持って生きているみたい。うれしいです。
 夜、 Mamo本を利用して下さっている方から電話を頂きました。その方は本の感想として「これからも人格が優合していくんだね」。それからご自身の事として「人生を楽しまなくちゃ。仕事も嫌々しているならつまらないけど、楽しんでるからいつも楽しいよ」とおっしゃいました。
私も自分の人生を自由に楽しもう。全ては楽しみの延長で私を生きる知恵になります。


2009年12月01日(火)

 名古屋に戻って2日経ちましたが、時々子ども達の事を思い出して話をしたくなります。そんな時、私は過去から目標にしていた事、つまり本を作りそれを持って謝罪しに行った。今のところ、私に出来ることは出来たのだョ。そして今、ひとつの区切りが付いて次の段階に入ったのだョ…と伝えて切り替えます。朝よりも昼より切り替えが出来るようになっているから大丈夫なのです。これからも、どこに居ても子ども達を手伝えるように生きよう。私に必要なことは傷ついた心を癒やす作業を続けること。これが出来て初めて楽な私が広がるのです。
 それにしても、子ども達のことを思う時の気持ちは何でしょう?こんな好奇心を持ち始めたのは今年2009年2月にベトナムから帰国して間もなくのことでした。人が自分よりも小さな生き物にやさしさを引き出されるのは自然なことだと思うけれど、赤ちゃんはそこに居るだけ愛らしいのだけれど、我が子はその中でも特別な感覚になる。それはなぜ?現代にあるものでは説明できないような温かい感覚になるのです。
こんなことを考え始めて半年目くらいに「子どもは私自身の遺伝子の一部を持っているから、私の遺伝子が同じ遺伝子を持つ者に惹かれるのかな?」というところまでたどり着きました。このことは自己満足の推論なのですが、どこかのホームページでも同じようなことが書かれてありましたので既に科学の世界で何かしらの証明がされていることなのかもしれないのですが、その自然な反応のようなものは社会では「親子の愛情」と呼ばれていると思います。
 午後は寒さ対策を兼ねて模様替え。と言っても1畳幅もないキッチンと6畳一間の小さな我が家。玄関から部屋の奥まで直行で歩いても9歩の我が家。チョチョイのチョイで移動する事が出来るので簡単です。
部屋は日照時間が少なくて冬は寒いのですが今のところ大丈夫ですし、この小ささと古さが気に入っています。仮に、子ども達が私の家に来る時は、見た目の問題上で引っ越さなくてはいけないのかな?
4人の子ども達の母は過去、お金がたくさんなければ生きていけないと思っていましたが、今では少しのお金と小さな部屋を楽しんで暮らす生活が出来るくらいに自由な心で生き、そんな私に自信を持っています。私は私の暮らしのありのままを子ども達に見てもらえたら…と思っています。それに自由に生きる母を見てもらえることは私の喜びにもなります。
人は雨風をしのぎ体温調節が出来れば星空の下で眠ることが出来ます。私もいつか、寝袋で外で寝てみたい。


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