「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2009年09月30日(水) 転回

 校正の途中で興味深いことがありました。原稿の中に「2、3歳の頃バギーに乗っていて…」と始まる10行くらいの文章があるのですが、後に続く内容はバギーとは別のことなのです。読んでいた心の父が「バギーがどうなったのか気になる」と言いました。私は「なるほど!」と思いました。読者の皆さんは書いていることを元に皆さんの頭の中で内容を展開させて下さっているのですから、余計なことを書いたらそのことが気になるということなのです。確かに私も、文章の中の一つが気になって別の方向へ向かうことがあります。文章というのは本当に必要なことをシンプルに書くのがいいのだなぁと。
そして私はこの小さな指摘が興味深く、そんなふうに書いていた自分が愉快でもありました。なぜかな?分かりません。とにかく楽しかったのです。それは道でつまずいて転んだ自分に笑ってしまうような感覚でした。


2009年09月29日(火) Mamo る

 自分の本を読むと、過去に気付いたことの中で、今でもそのようにしていることがあります。
と、気付いた所から変えていけばいいですよねぇ。
間違いは出来るだけ少なく済むように、そして間違えた時には、私はその自分をすっかり認めるのが好きです。私の親は事実をうやむやにしたりごまかしたりしたので、私は親に自分を語ろうと思わなくなりましたし、どこかで冷めた視線で親と距離を置いていました。それは 「私の感じたこと」を大切に出来ていた証だったのだなぁと今気付きました。それに、私は私を守っていたのですよねぇ。
そして私も親。この私も間違えることがあるのです。間違えた時にはそのまま全部認めるのが好きです。私には「次」があるからです。


2009年09月28日(月) 育ち

 私は私を守るということをすればいいのだなぁ…と。このように捉えると、例えば不快なことがあった時にも「私を守ること」をするだけでいいのだから楽だなぁと思います。
そんなことを思いつつ、先日から数日間「私を守る」を意識して動いてみました。「私に寄り添う」とか「私を大切に」とかいう言葉も浮かんできて楽ちん。この事を意識する前よりも少しやさしい私に育ったと思いました。


2009年09月27日(日)

 今日は運動の日。
公園の木に向かって空手のけりの練習をしました。私は回し蹴りが出来るようになりたい。でも下半身に力がないので足を回してけりを入れると足元がフラフラします。
今は本のことを優先しているけれど一段落ついたら又運動をたくさん取り入れる予定です。
そんな私の視界に「やさしい瞳」が映りました。それは、未来のずっと向こうが透き通って見えると言わんばかりの澄んだ目でした。その向こうにはマシュマロの形をした丸くて白いベッドの上に寝転んで体をフワフワさせて遊んでいる私が居ました。ベッドに口を近づけてみると甘い香りがして、唇をペロンとなめてみたら本当に甘かった…。なんちゃって。


2009年09月25日(金) つま先散歩

 夕方、つま先歩きの散歩をしました。ちなみに、つま先歩きでは「ふくらはぎ」の筋肉を使います。私の足は30分も歩くと、つま先歩きになれて、踵を付けて歩こうとするとつま先が「もっと使って」と言います。足の持ち主としては大腿筋も使って上と下を公平にしてあげたいので、少し立ち止まって体に言い聞かせてから再び歩き始めます。しばらくすると、つま先が「あ〜気持ちいい」と言います。


2009年09月24日(木) 視界

 今日は誤字脱字の理由で破棄することになった印刷物を目で確かめに行きました。
工場には印刷途中の私の文章が積まれていました。紙とインク代がもったいない。環境にも悪い事をしたなあと反省。もっと丁寧を意識します。
 その後原稿の打ち合わせをしました。話し合いには代表取締役専務と担当の男性と窓口になって下さっている女性とが出席して下さいました。
先日から「何かなあ?これ…」と不思議に思っていたことが今日明らかになりました。それは、皆さんが私の「これを印刷して下さい」という言葉を待っているということで、「私を中心に回っている」ということになるのです。私はこれまで他者の指示に従って動いたことはありますが、印刷をお願いしているのですから当然なのですが、他者が私の指示を待っているということが不思議だったのです。それに私を待っている人々は私よりも大きな体格の男性と、私よりも年を重ねた女性と、体は同じくらいかもしれないけれど私よりも若い男性。それが過去の夫や母親や弟に重なっていて、その3人の方が一度に「我々は菅野さんの決めた日に本が出来るように動きます」と言って下さる様子に不思議な感覚を覚えるのです。実際には、私はお客さんなのでお店の人が私の言葉を待って下さるのは自然なことだ思うのです。私は「お客さんになるのは面白い」と思いました。癒やしの作業にも利用できそうです。そして私は「これを印刷して下さい」とお願いするのです。私のできないことをして下さってありがとう…。


2009年09月23日(水) All

 本日も校正が楽しくていい感じ。今日はその中で新しい発見をしました。内容を書くのは先送りになるのですが、2冊目が楽しく書けそうだな〜と先の楽しみが増すような発見だったのです。
 休憩時間には家の中がもっと快適になるようにあれこれ工夫を楽しんで、時々「私って天才かも…」と独り言を言います。何をしても楽しいということは何をしていても楽しいということなのです。


2009年09月22日(火) アイデア

 この数日、校正作業がいつもに増して楽しいのです。既に作ってしまった20冊誤字脱字バージョンをうまく校正して読めるようにする方法が見つかりそうな予感までしています。
体が疲れたら部屋の中で何かしたり外に出たりします。時々ベットに寝転んでボーっとします。ボーっとの時間に2冊目のアイデアが浮かんだりして、結構貴重な時間になっています。つまり、私の心に耳を澄ませる時間を持つこと、なのですよねぇ。


2009年09月20日(日) 優雅

 今日は運動の日。一日中屋外で体を動かしました。長崎アゲハを3回も見ることが出来ました。生まれてから後に見たアゲハの中で最も大きく優雅に見えます。私もアゲハのように空を舞いながら自分の人生を生きよう。


2009年09月19日(土) 視線

 本日受け取り予定の20冊を頂きに印刷屋さんへ行きました。20冊分の重さが両手に乗っかりました。けれどもこの20冊の中には誤字脱字がたくさんなのです。それで印刷をストップしてもう一度校正をし直すことにしました。今までのものは破棄になりますし一からやり直しと同じなので新たに料金がかかるのですが長い目で見て選んだ選択肢だと思っています。
ちなみに、1ページ目から100ページの中の誤字脱字は変換ミスやカギカッコ記号の抜け落ちが9.5割なのです。(あとの5割は文章の出来具合・納得具合です)。最後の一週間は4つの目と二つの思考で画面を見て読みあげながら作業をしたのに、それでも見落としがあるなんて、校正という作業は私が意識している以上に集中力が必要な仕事なのだと心に染みました。
 それに今日気付いたのは、同じ文章を何回も読むうちに内容を覚えてしまい「次はこうなる」の先入観を持って読んでいたことです。読む時に先入観のないニュートラルな視点が何より大切なのでした。
その他いくつかのことを勉強しましたし、アクシデントをプラスに広げようとしている私も確認しました。丁寧に校正を続けることにします。
 印刷屋からの帰りに出来あがった本(誤字脱字バージョン)を持って育成会へ行きました。本を材料に「心のファシリテイター」について語り合いました。自分を一番大切にする人が、他者が自分を一番大切にすることを手伝うことが出来る。一般社会とは違ったことをしている私や他の方々を感じた時間でした。他に、複数の人格について尋ねて下さったので私の中のことを語る機会を得て私自身を整理することも出来ました。テーブルをはさんだお向かいの席から好奇心の目が私を見つめているようでした。未来を描いて心を語り合う私達は心のファシリテイターなのデス。


2009年09月18日(金) 勉強したこと

 サンプル本を読み始めたら60ページの内に誤字脱字が10もありました。これではいけないと印刷屋さんに連絡しましたが、文章は既に印刷機にかけているので校正は無理と伝えられました。世界にたった一つの本に誤字脱字が点在するなんて…。それに、値段を安くして売ることは出来るけれど、値段が下がるということは投資して下さった方への配当にも影響するのでしょうから、その方達にも申し訳ないと思いました。でも、落ち込んだり謝ったりしても状況は同じなので、出来ることを探してこの状況を楽しもうと切り替えました。何が出来るかなあと探していくつかの案が出て、そのことをしてみることにしました。
私は印刷屋さんに断られてからここまでの間の私の動きを私自身の後ろから眺めていました。私は最初に慌てて、それから落ち込んで、その後「誤字脱字の数は心の安定に比例している」と思い、そして「もっと丁寧にする必要があった」と反省しました。不思議なのはその後の事でした。その後、私の頭には、まだ決まっていない何かの方法でその事をクリアしプラスの世界に居る私が浮かんだのです。そして「こんな時は次に何が出来るか探すこと。今回勉強したことが次に広がる」とまだ見ぬ未来に確信のようなものを感じていました。ミスやアクシデントはきっと未来につながる、と私の全身がそう言っていたのです。
「成長したのだなあ」と思いました。そして、これからもっと集中して取り組めるようになりたい。そんな練習をしつつ毎日楽しむことにしました。いい勉強になりました。


2009年09月17日(木) サンプル本

  夕方、印刷屋さんへサンプル本を受け取りに行きました。本はさくら色とレモン色の2種類の色で作っていただきました。その感動を実感するよりもまず、中身を点検する必要がありました。少しの話し合いの後、再度調整して頂く箇所をお伝えして2日後には完成本が一部受け取れることになりました。家に帰ってすぐに、汚れ防止にビニールカバーをかけました。色はレモン色に決めたので私が持っているのは唯一のさくら色なのです。何より第1冊目のスタート本。大切にしたいです。
 夜は昨晩に続き『インナーチャイルド』を久しぶりに開いて新しいルールを心に沁み込ませました。
「やっと心の傷を癒やす作業を再開できる」と思うと…心から嬉しいです。


2009年09月16日(水) ゆったり

 今朝は夢を見ました。夢の中では、出来あがった試し刷りの行が一行ずつずれているという映像の中で私が「えーっ」と声を挙げていました。目が開いたとき「もしかしたらそのようになっているかもしれない」と思いました。けれども2,3日前からの記憶をたどっていくと「行のずれもていねいに見たこと」を思い出し、してきたことの確かさを感じました。だから、きっと大丈夫でしょう。
 朝食のあと台所の片づけをしている時、のんびりしている自分に気付きホッとしました。本の完成というよりはそれにまつわる行きつ戻りつがやっと安定に向かったことを感じたことによる小さな安堵感のような気がしました。昨日まではまだ気持ちが張っていたのです。その心を置いたまま違うことをしようとして無理も起きていたと思います。文章を書くということは買い物に行ったり運動したりなど普段する事とは違った部分の思考を使っていると、安堵の中で解りました。
 今日から今月中は印刷が仕上がるまでの待ちの時間なのです。先延ばしにしてきたことに手を付けながら、あいかわらずのゆったり感の中で「何がしたいかなあ?」と自分に問いました。そんな私にやさしさを感じました。それから「この時間はしてきたことを心に沁み込ませるために必要な時間だ」と思いました。
 夜、布団に寝転んで天井を眺めました。そして「こんなふうにしたのは何日振りだろう」と…。そう思う私の中は、まるでこの1年半使っていた細胞とその部分とは違う細胞がバトンタッチをして入れ替わっているよう。心が安心して全身の細胞がゆるみました。私はもう一度「この時間がもう少しほしい」と思いました。このひとときが「やさしい2冊目」につながり2冊目を書くことの始まりになると思います。大切なことは何をする時にもゆったりの心ですることなのです。私はのんびりした私がさらに広がるよう、私を大切にします。


2009年09月15日(火) 新しい未来

 印刷屋さんから連絡があり、17日には試し刷り完成し、それがOKであるなら19日午前には本刷りした本が受け取れることになりました。
と、こんなことを書いていても実はまだ実感がわかないのです。何故かなあと?自分に問うて「心から感動するのは完成した本を手の平に載せた時」と思ったり「してきたことが形になった当然の流れだから」と思ったり…。そして私は今までと違った形の未来が待っている事の方が嬉しい。私の視線はもう「2冊目を視野にした未来」を見ています。


2009年09月14日(月) 本の完成

 夕方5時。原稿を印刷屋さんに依頼しました。試し刷りをして紙面での具合をみる作業がありますが、最後のチェックを丁寧にしたのでこれで完成になると思います。
 原稿を送ったあと涙が出ました。「やっと出来た」の思いと、してきたことが形になることの喜びその他いろいろ。涙が出たわりには実感は半分くらいなのですが、とにかく成し遂げることが出来たのです。よかったよかった…。
 夜、子ども達の顔が浮かび過去のことが走馬灯のように流れました。6年半前の、家を出てくる時の身を切られるような思いが今夜私の心に響きました。見通しがついたから感じることが出来たのだと思います。
その私の未来は明日へ続きます。しばらく少し辛抱していたことの中から何をしようかなあ?と思いをはせています。この1年半私を手伝って下さった方、ありがとうございました。


2009年09月13日(日) 肯定

 私は否定の空気に弱い。すぐに気力をなくす。
社会がいつも365日肯定の環境だったらいいのになあ。でもそれは社会に求めることとは違う。求めているうちは同じ私が続く。私は私の経験していることを大切にしよう。そしていつも肯定がある環境を私から広げていこう。それが私にできることだと思う。私は私を肯定します。
 夜、子ども達に手紙を出す準備をした。内容は本の中身の説明と「本を持ってみんなの暮らす街を訪ねたいと思っています」と。文章は一番下の子どもに合わせて作ったものを原本にして上の子に向かって単語を変えた。やさしい言葉を使いながら必要な時にそれよりも少し上の言葉を探す。楽に書くことが出来るし、してみると知識を知恵にして利用する1つの方法のように感じた。明日には文章が出来上がればいいな。そうしたらこの手紙をポストに入れられる…。


2009年09月12日(土) 空間

 もうあと数日で印刷に回せる状態になりました。文章は見るたびに動かしたくなるので、文章がどうとかというよりは心の満足度なのだと思います。
「印刷を待っている間は何をしようかなあ?」の思いも浮かびます。その空間は燃え尽き症候群の気持ちとは違っています。私は「今度は何が浮かぶのだろう?」と少し先の未来を楽しんでいます。


2009年09月11日(金) モラル

 この数日「モラル」という言葉を吟味しています。
私は自分を知る前に規則に従ってきた大人達にその規則を教えられましたので、今まで当然と思ってきたモラルの殆どは私自身の為ではなく社会をうまく渡っていくためにありました。けれど、私のモラルは私が決めてもいいのです。私は心を基準にして私のモラルを決めます。それは一般社会にあるものから離れて、ただ私の好奇心とプラスの心に添ったシンプルなものです。
 この捉え方の原点は、子ども達を残して家を出てきたことにありました。私はあの時から、社会になじむことよりも私を大切にすることを選んでいました。私が自分の好奇心をOKにして楽しませてあげていたら、私は子ども達を自然に肯定することが出来ると思っています。
私は今の社会に設置されたモラルは社会になじむことを原点に広まっているものが多いと思います。
心を大切にして生きていたら、道徳や規則はヒトとして自然に出来ることなので決まりごとはうんと少なくなると思います。


2009年09月10日(木)

 今日もまた校正と編集をしました。文章作りの最後の時間を〈今が旬〉のように楽しんでいます。文章はまとまってくると同時にその意味もわかりやすくなったせいか、そこに書いてあることは実際にして感じてきたのだなあ・書いて残しておいてよかったなあと実感しています。


2009年09月09日(水) 好奇心

 興味深いことに気付いた夜。題材は「好奇心」。
好奇心の中で動いていると次の好奇心が浮かびます。その好奇心の中で楽しんでいるとその次の好奇心が浮かびます。これまでのことを思い返してみると、私の好奇心は次から次へと移動していたのです。
「固執」という言葉があります。その事にいつまでもしがみついていることだと思いますが、好奇心がつぶされていた時期、心が満たされない私はいつも小さなことにこだわり、あるいは出来たことにしがみつきました。人が1つのことを楽しんで違う楽しみを探し楽しみたくなるのは自然なことだったのです。私はいろんなことを楽しんだ分だけ新しい世界を知ります。

 固執:自分の意見を頑なに主張して曲げないこと・過去の印象や特定の行動などが心に中に残っていてそれが反復出現する事(広辞苑)


2009年09月08日(火)

 ジャコウアゲハが交尾をしている写真を見て思いました。
「2匹の体がくっついている部分は命の元になる者同士が出会ってキスをする場所。二つの命の元が一つになって新しい命が出来る場所。だから、きっと体の中で最も柔らかいだろう」。
映画の中できれいな男女が愛を楽しむシーンは性の自由を感じることが出来ますが、2匹のアゲハの交尾のシーンは命そのものの素朴さや生きもとしての原点を感じることが出来ます。
アゲハのカップルに偶然にも新しい命が出来たとしたら、このアゲハ達は命をつなげるという仕事をしたことになるでしょう。そして反対に新しい命にならなかったとしても、その美しさで人を楽しませるという仕事をしたことになるでしょう。
 私の命がアゲハのように柔らかい体の中で誕生したのだとしたら…。そんなことを思っているうちに、その瞬間に帰りたくなりました。けれど私はもう生きて43年を過ごしました。37歳からはいのちというものを何度も実感してきました。その私がすることは、これまでとは違った形のことだと感じました。このように思う私の命は既に柔らかさの中で誕生しているのだから。
私の仕事は、人は柔らかさの中で誕生しそのまま生きていけるということを伝えることのような気がします。それは私を語ることから始まるのだと思います。私は物事を素朴に伝えられるよう、全身を自然に柔らかくして生きましょう。アゲハの自然な写真を見て、命の在り方を思った夜でした。


2009年09月07日(月) 価値

 私は今日、初めての体験をしてみました。それは過去にも私の人生の中にあったものですが、私にとっては初めてのことでした。思い返して感じることは、私は心を通してその体験をしたということ。それからその事は私が望んでそうした、ということ。「一般常識の全ては感覚で掴むと私を楽にしてあげることが出来る」と改めて思いました。いろいろなことを感覚で掴む事が出来ると、仮に私の感じたものが過去に躾けられた常識の一部と一致したとしても、それまでとは違う価値あるもののように思えるのです。不思議です。


2009年09月06日(日)

 自分のしたいことがある時、それが人生にとって大切なものである時、その事に集中するとした分だけ中身の濃いものになります。このことは人々とおしゃべりして過ごすことやのんびり散歩をしたりプールでゆったりすることとは違っています。これが「する・動く」ということにつながっているようです。
こんなことを体感して、又私の中で新しい感覚が目覚める予感がしています。体がムズムズするのです。まるで土の中から新芽が出るように新しい細胞が芽を出そうとしています。体の芯から沸き起こる〈くすぐったさ〉は土を掘り起こす感覚だと思います。


2009年09月05日(土) 偶然の喜び

 心友達に文章の校正を手伝っていただきました。校正は流れの中で偶然に出来たことでしたが、私はいろいろな方に校正を手伝っていただくことが出来てうれしいです。それに「私は」を控えた文章を肯定される指摘を受けました。このことも嬉しいのです。


2009年09月02日(水) 存在

 夕方の散歩。冷たい風に秋の到来を思いました。夏祭りや花火大会など、時の催しはその時期、まるでそれがあるからこそ夏を体感できるかのように人々を魅了していたのに、過ぎてしまった今は日々の生活の奥に押し込まれるように跡形もなくなくなりました。私は本作りに時間を使っているせいか、一時のにぎわいが例年よりもさらに小さな存在に感じられました。
 その本のことを思いました。今は最終のチェックをしています(と、何回書いたかしら…)。どんな方が読んで下さるのかな?どんな方に読んでもらいたいだろう?と浮かびました。。
私は私の本を心のある方に読んで頂けたらいいなあと思っています。ですから、そのような存在として人々の心に残るよう、私は心を通してキーボードの上の指を遊ばせています。


2009年09月01日(火) 動く楽しさ

 今日は住民票を中村区に写しました。(私は今日まで千種区民だったのです)。してみると安心しました。そしてこんなことを思いました。
私は動くということをするとその事が動いたように変わるのです。「するということをする」という発想と同じで、そのことを体感したようです。
変化するという現象に興味が湧いたので、動くということを意識して動いてみました。
区役所を出て警察まで足を延ばしたら、免許所の住所も変わりました。そこに「臓器提供のカード」が置いてあったので、新しく更新しようと思い付いてカードを持ち帰りました。動いた場所で違う発想が浮かんでその事も出来るようになりました。ということは、今まで何気なくしていたことは全部「動いたから出来た」ことだったのですねぇ。
私のことが私が動いた分だけ変わるなんて、なんて楽しいのでしょう。私はますます動いてみたくなりました。「動く」ということは愉快なことです。
(愉快:楽しく心地よいこと 広辞苑)


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