「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2009年08月31日(月) 少しずつ

 印刷会社へ行きました。紙質と色を決めて、見本を作る段階になりました。文字の配置などに関する私に出来ない微調整は印刷屋さんの方でして下さるそうです。文章の方に集中できるので助かると思いました。
それで、私の方で原稿の最終チェックをしてメールで送ったら見本を作って下さるという相談をして、印刷代の半額を支払いました。大金を持って、最初は緊張しましたが(このお金で本が出来るのだ)と思うと嬉しくなりました。お金は心の父に借りました。私はこの1年半でたくさん借金をしています。私は毎日プラスの生活を続けて、心を基準にして借りたお金を心を基準にしてお返ししようとしています。このようにして、いろんなことが少しずつ進んでいます。


2009年08月30日(日) メッセージ

 人のメッセージには私を主体にしたものと他者を主体にしたものがあります。私は以前『親業』という本の中で「あなたメッセージ・私メッセージ」という呼び方を学んだので、今でもその呼び名で使い分けています。日本の社会で他者を主体にした「あなたメッセージ」が広まっているのは、私を含めた人々がその事を学ぶ機会がなかったからだと思います。その詳細は上位下達の社会に生かされ自分を伝えると罰を受けてきたことで、そうすることをあきらめさせられてきたということです。 
 私は「人はよくても悪くてもお互いに何かを引き出しあう」と日々感じています。特に言葉はいつもライブですので、聞いた瞬間にダイレクトに心に届き、私の場合はよく巻き込まれます。よいことに巻き込まれた時は嬉しいです。反対に悪いことに巻き込まれた時は嫌な気持ちがします。私は自分の体験を踏まえて、人々と語り合う時「私を語ること」をいつも意識します。忘れることがありますが、思い出した時にはもう一度意識しなおして練習をしています。
 又、私はこれまでに、自分よりもお若い方の言葉に感心させられる事が多々あります。若い方の言葉には柔軟性があるのです。私はその柔らかさに触れた時(若い人は私よりも赤ちゃんの年齢に近く心が柔らかいからだわ)と思いました。ご自身を心から素直に語る青年に会ったこともあるので性別は関係ないと思います。
それに、言葉は心から発せられるものですので、生まれたままの心を大切にしつつ若い方の考え方を取り入れるともっとやさしく語れるようになれると思っていますし、そんな機会がある時にはよく利用します。
女性と男性の場合も会社の上司と部下の場合も同じことが言えると思います。「上意下達」が「下意上達」になると社会が柔らかくなるという発想も持っています。
そして、この社会の始まりは私からなのです。私が私にやさしい環境を整えてあげること。私は私自身からやわらかさを引き出せるように、私メッセージを使います。


2009年08月27日(木) やさしさ

 午後、印刷屋さんへ2回目の打ち合わせに行きました。今日は表紙の紙質や原稿の出し方などを勉強しました。時々専門用語が入るので分からない事は質問させて頂きました。お尋ねするとそれが何か分かるので「質疑応答」というのは面白いなあと思いました。
 家では本の編集をしました。私は過去から、何かあっても動くということは出来る人なのです。でも過去は心を離したまま動きました。
私はこれから、いつも心も一緒に連れて歩きたいな。いいえ、心を先頭にして・心を通してするということをしたい。私の心の目に私自身が映っていれば、それでいいのです。私は私に楽なもののみを取り入れます。
私が私自身の心の目で私を見ると、心でするということが出来るように思います。今動いている指先も、私の心を通過して動いています。私の体は私の心で包まれているのです。
 夜、部屋にある「赤ちゃんが発する言葉」の貼り紙を見ていたら、心が安心してきました。
私は私にやさしい言葉を使い私に一番やさしく生きたい。この事は、きっと近い将来語り合えるであろう子ども達のプラスの母を持続させるための条件のようなものです。私が私にやさしくなって安心して過ごせるなんて、私はこの条件を大切にします。
 


2009年08月26日(水) 安全

 見積もりをお願いしていた印刷会社から見積もり書が届きました。
値段は私が周囲で調べた値段よりも安く、素人の私にも入りやすい値段でした。さて、お金の工面をどこでしようかという話になります。
私はこのことを練っていてあることが浮かびました。というのは、私はお金を借りるということに関しても心の安心の延長でそうしたいと思っているのです。何故なら、この事も心の傷を癒やす作業に利用したいからです。私は特に、お金に関するトラウマをたくさん抱えているので、出来るだけそうして、癒やしの作業に利用したいのです。その為に、私は私自身を一般社会とは違った、愛のある環境にいつも置いておいてあげたいのです。
 私の中の不思議も発見しました。私は他者にお金をお貸しする時、その事を軽く捉えているのです。お貸ししたことを忘れている時もあります。その程度の金額だったのでしょうし、実際に戻ってこなかったとしても、そんなこともあるよね…という程度で終わるのです。収入源があって生活していけるからです。
ところが、お借りする時は「これをまず返さなくては…」という気持ちが入ってくるのです。これは「自分で収入を得て当たり前」の考え方の中に居たからだと思います。
 でも、私は私の未来がプラスに広がることをイメージして動きます。いつも今より良くなるのですから、借りたものはおそらくお返しできるのです。この考え方を持続できるよう意識して、安心の環境を整えて生活します。そして、働いてお金を作ってから印刷してもいいと思っています。


2009年08月25日(火) エコライフ

 この頃「エコライフ」を楽しんでいます。
納豆やヨーグルトの空容器は便利な小物入れに変わります。
先日はペットボトルをシャンプーとリンスの入れ物にしました。100円のペットボトル水を飲んだその入れ物で、通常100円(100円ショップで)のシャンプー入れに代用したということは、100円を使わずにすんだのだから、100円ショップよりも安いどころか再利用して100円得している。リンスのボトルも入れたら200円も得していると感動しました。
ちょっと面白いこともありました。ペットボトルのシャンプー入れは、使う時ふたを開けるのが面倒なのです。
そこでもう一工夫。100円ショップでキリを買ってきてキャップの所に穴を数個あけて片手でプシュッと出るようにしました。ところが今度は、ちょっと違った結果になったのです。
というのは、私はキャップの穴をあける時「塩コショウの入れ物にあいている穴」をイメージして、穴を6個開けました。使ってみると、とろ〜り粘っこいシャンプー液が6個の穴からムニュ〜ッと出てきて…何とも言えなかったのです。私はムニュ〜ッとしばらくお付き合いです。今度は大きめの穴を一つだけ開けようと思いました。(キリさえあれば何でも出来そうな気分ですョ)。
 エコライフを通して人は考えたり工夫したりできる生き物だなぁと改めて感じる日々。それに、私はこの頃「人はただ生きて日々を過ごして死ぬだけでは違う」と思うようにもなったのです。私は人として充実した生き方をしたいのです。「形を残す」ということは、その一つの方法かなあと感じる今日この頃の私です。
私の作った小さな足跡も人という生き物のエコライフにつながるといいな。


2009年08月24日(月) 心の成長

 少し余裕があったので、子ども達からの手紙やメールの返事を書きました。
書いていて思うのは、今私がしていることは過去の不足を補う行為だということです。
子どもが私に「会いたい」と書いているのは、今会えない状況だから書くのだなあと改めて思います。そして、この事を子ども達に直接会うより前に実感することが出来てよかったと思っています。
私は今は何が正しいか吟味することが出来るようになりました。正しさを自分の内に持つよう意識できる大人になる練習もしています。自分に丁寧に動くと、その事を持続できます。そして子ども達にも丁寧に接することが出来ます。私はこれから、一般的な「やさしいだけの親」とは違って、「心を大切にして生きると社会とは違う世界があるよ」ということを語っていけたらいいなぁと思っています。
 そして、それでも間違ってしまうことがあると思っています。その理由は、私と子ども達の心は別だからです。仮に、私がよいと思ってしたことが子どもにとって心の傷になった時は、私の方法は違っていたのです。そして、次へのステップにつなげる機会を得たのです。
このようなことをイメージしていると、変な言い方ですが、自分の事情はどっちでもよくなり自然に「間違えちゃった。ごめんね」が出てきます。私が私をありのまま語る時、子ども達はその私に安心し自分達もありのまま語っていいことを感じ取る。私はそう思っています。心と心で語り合う原点のようなに感じています。
私はこのようなイメージを浮かべられることがうれしいです。子ども達がいつ私に謝罪の機会を与えてくれるかしらとワクワクしています。そして、それはあってもなくても、今でも50年後でも、何もかもいいのです。
 文章の方は、今日はある引き出しの校正に時間がかかりました。まだ出来上がりません。
けれども、新しい考えが浮かんでいる自分に気付いて楽しみました。それに、この頃は「考えて文章を作る」ということをしなくなって、感じたように湧いてきたようにキーを叩いているように思います。きっと私の文章力は心に比例して成長しているのでしょう。


2009年08月23日(日) うれしい偶然

 今日はグランドで野球をしました。
というのは、私が壁投げをしていたらボールがグランドの中に入ってしまいボールを取りに行ったその時ちょうど、あるチームが人数が足りなくて試合が始められずに困っていたのです、ボールを取りに入った私に審判さんが「彼女が出たいと言ってるよ」と冗談のように言いました。私は最初、本当に冗談だと思ったので笑って通り過ぎました。でも、すぐ後で(もしかしたら本当だったのかもしれない)と思い、グランドへ戻って「人数が足りないのですか?」と聞きました。
すると、審判さんがもう一度「彼女は朝から壁投げをしていたから、どう?」とメンバーに聞いたのです。何とうれしいことでしょう。私も「私を使って下さい」とお願いしました。そして私は、メンバー代理ということで試合に出させていただいたのです。
 ライトを守りました。球は来ませんでしたが、守る体制は「打たれたボールは全部私のボール」を意識していました。懐かしい気持ちもしました。
 チームの方は私に打席も与えて下さいました。私は3ボールまで見極めました。そのあとストライクを見送ったので次は振ろうと構えていたら次もボールだったのです。私は塁に出ることが出来ました。そして、相手チームのエラーで2塁まで盗塁もしました。最近私の運動時間はうんと少なくなって体力は駅の階段に息切れする時があるほど落ちているのに、私は2塁という目的地点に到達出来たのです。セカンドを守っている方が「来たなあ」と言ってニコニコし、私もニコニコして(私が2塁まで届くようにエラーをしてくれたんだ)と思いました。そのあと遅れていた選手がいらしたので交代してベンチに戻り、試合出場は終わりました。あっという間でしたが、本当に楽しかったです。
 たまたま壁投げをしていて、コントロールが悪いせいでボールが飛び込んで…。まさか試合に出れることがあるなんて…。これからもこんなチャンスがあるかもしれないのなら、もっと走れるように、土を蹴って走ったり壁投げをしたりして遊んでおこうと思いました。私を使って下さったチームの方、ありがとうございました〜。


2009年08月22日(土) 出版する時

 昨日は印刷代のことが気になりました。私は借金をお願いできる方がまだ浮かびませんし、知っている方に借りることが出来たとしても、状況によって急に返してと言われた場合にびっくりしちゃうと思い、そのアイデアは足がすくみました。それでも本は作りたかったので、無料出版をうたっている某社にファイルを送っておきました。
と言っても、私の文章は出版会社が「無料でいい」と感じる文章とはまず違うでしょうし、きっと「いくら払えますか?」「全て無料で」「それでは無理です」で終わると予想していました。
でも、今日はその会社に断りの電話を入れました。ネットを見ると、出版会社に原稿を送る方の中には数軒の会社を利用している方もいるようですが、私は「1こずつ」が大切だと思ったからです。
電話では断る理由を聞かれることもなく、あっさり終わりました。オーダーする人がたくさん居るからお客が一人減るくらいはなんでもないという感じでした。セキュリティーパスワードで固めて送ったファイルが人質になって金銭を要求される事もなく安心しました。インターネットって便利です。


2009年08月21日(金) 出版数

 本を何冊作るかという視点でこれからのことを浮かべました。まず最初に、実際に出来た本の映像をイメージ。50冊というのは10冊が5束で100冊はその2倍。100冊が5束集まると500冊になって、10束集まると1000冊になりました。
「何冊作るか」は「何冊売りたいか?」によるのですが、何冊かというと「売れた分だけ」ということになります。それでは何冊作るか決められないなぁと思っているうちに「1年間行商の生活をしよう」という案が浮かびました。そして本は「1年間で売りたい分だけ作る」ということになりました。1か所の行商で10冊買っていただけるとしたら100冊は最低7か所あるので70冊は買っていただけるという計算。あとの30冊はいつかどこかで売れるでしょう。本が出来たら新聞社や待ちこみチラシにも行商して歩く予定です。それで実際に何冊作るの?は印刷屋さんから届く1冊の値段によるのでした。


2009年08月20日(木) 未来

 今日は印刷屋さんへ行きました。
担当の方にはまず予算を尋ねられました。ところが私には出版に使える予算と言えるお金がないのです。ですから「現在無職で投資金で生活していること・印刷は1冊の値段を聞いて何冊作れるかを考えようと思ってきたこと」を伝えました。担当の方はより安く出来るように考えてくださるそうです。
 家に帰って、ある考えが浮かびました。それは「借金」というものです。
私は今まで借金というものに対して「してはいけないもの」のイメージがあったのですが「私も借金というのをしてみようかな?」と浮かんだのです。本は作れる分だけ作るというのが私の基本でしたが、売りたい分だけ作るの考え方を持ったのです。この考え方はいいかどうか分かりません。でも「売りたい分だけ…」の方が自分の本に積極的に関わっていて発展性があるような気がしますし、行商に出る目的が濃くなる気もしています。私は借りたお金を全額返すことが出来たら、自分のしたことに責任を取れたことにもなるのでしょう。
「誰に借りようかなぁ?」と私の知っている方の顔を浮かべているうちに元夫が浮かんできました。そんな私をほほえましく思いつつ(でも、おそらくこの案は却下するでしょう…)次には先日数年ぶりに携帯メールで連絡が取れた姉が浮かんだり…。
いくら借りてみようかしら?とか、お金を借りる時というのは返せる金額を計算して借りるものかしら?それとも「これだけ借りたから…こんなふうにして返せばいいわ」と返すことを楽しむものかしら?とかいろいろと想像して楽しんでいます。プラスを生きていると借金を楽しむことも出来るのですねぇ。私は嬉しいです。
 それで今夜は姉に手紙を書きました。本当にお金を借りるかどうかは別にして、もしも私が借金をしたら、私はその借金を本を売るということで返せたらいいなぁと、今夜もまたプラスの地図が広がっています。
 と、本が出来て一つ階段を上ることが出来そうな私なのですが、私は行きつ戻りつで成長しています。私は本が出来た後、もう一度癒やしの作業に集中する予定なのです。(私はこの頃、自分の事実をありのまま書いていくことで、私から見た私と他者から見た私が一致するといいなぁと思っています)
あ〜一日も早く「何を言われても大丈夫よ」と言えるようになりたい。そうなれるように生きていきましょう。


2009年08月18日(火) プラスの地図

 今朝目覚めた私は昨朝までの気分と違っていました。昨朝までは「ご飯を食べたらこれをして…」があったのに今日は「さて、何をしようかなぁ?」。
約20日ぶりにネットがつながって私のHPを久しぶりに見ました。本が出来たらブログを変える予定があるせいか、すでに今のHPが過去のものになっていて「懐かしい」という感情すら湧きました。(でも、もう少し続きます…)そして、ファイルを開けば文章が目についてやはり校正の繰り返しになりました。
 午後名古屋市の中心に向かって自転車をこぎました。私の家は中村区ですが、名古屋駅は庭の範囲だったと初めて知りました。駅前のビッグカメラまでいくのに地下鉄に乗らなくても自転車で10分くらいで行けるのです。県外への行商に出やすいよう新幹線に近づいたみたい。でも新幹線は高いですから、行商には自転車で行けたらいいなぁなんて、頭に地図を浮かべて少し先の未来を思ってにこにこしています。全部プラスの地図なのです。



2009年08月17日(月) 信じること

 本が、本当に完成しました。明日からは印刷の作業を進める予定です。と言ってもまだ微調整は残っていますが、印刷屋さんとの調整を待っている時間を利用して再々チェックを進めます。
この1年半はそれ以前とは比較にならないくらいにいろいろなことがあった気がしています。そしてその体験はそれ以前にも私の生活の中にあって1年間日本を離れて生きてこれたから気付けるようになったと言えるかなぁ…とも思っています。文章のこともWordの使い方がわからなくて頭をひねったことも「あんなことがあったなあ」に変わりつつあります。
 今日は「自分を信じると自信になる」という話もしました。行きつ戻りつですが7年半の足跡を見てみるとしてきたことは私のこの胸の奥に確かなものとしてあり、本作りはその確信を原動力にしてここまで続けてきた部分がありますから、自分を信じると自信になるというのは本当にそうなのです。
 それから、今日は新しい楽しみを見つけました。それは「楽しいことをして、もっと楽しみたい。そして他にも楽しいことがあるよ」の自分を育てる楽しみです。いつものように私って面白いなあとお目目が三日月になりました。


2009年08月14日(金) Mamo印刷

 今日は本をMamo印刷さんで印刷しました。表紙にビニールのカバーをかぶせて「本」にしました。
でも、中を開くと誤字などがあるので、もう一度チェックをするのです。


2009年08月13日(木) プレ

 本が印刷屋さんに行くだけの状態になりました。明日は試しで一冊作ってみます。そしてそれをじっくり読むのです。
そんな私の中は今にぎやかになっているのです。そして、自分自身に対しても流れに乗るのが楽だと気付いたのでそうしています。全ての事はなるようにしてなっているのだから。


2009年08月11日(火) 未来予想図

 朝5時過ぎに地震で目が覚めました。おさまったベットの上で考えました。
「もしも今大地震が来たら…」。未来のことはわからないのだから災害が起きて本を完成させられなくなる可能性もあるのです。やはり今は時間のすべてをこの作業に使おうと気持ちを新たにしました。
 この頃08年から届き始めた子ども達の手紙をよく読み返します。この手紙が届いたから本が出来た後の予想がすぐに立てられていると思うと、いろいろな思いが湧いてきます。そして、子ども達に待ってもらっている時間が少しでも短くなるように、今日も朝から作業作業。明日も朝から作業作業。


2009年08月09日(日) 奥深さ

 散歩と食事とトイレ以外はファイルを眺めていました。
きっと、もう私はグランドの最終のコーナーを曲がった辺りの位置に居ると思います。
印刷した表紙にファイルを挟んで広げると、まるで本を読んでいるみたい。中の一説を読んで心新たになる事もあります。今日は「アイデンティティ」というものが浮かんでいました。一人になるということ=…。
私は奥が深い事をしていたのだなぁともう一度心新たになる私です。


2009年08月08日(土) 表紙

 午前中に表紙の中のもう一つの表紙を作りました。昨日は目次を整理して表紙の寸法合わせをしましたから、これで本の外側(中身以外ということ)が出来上がったのです。
午後は「序」にあたる部分と「あとがき」を書きかえました。校正や意見を伝えてくださった方、ありがとうございました)「あとがき」を書いている時に面白かったのは文章を練っている私が「本の一番最後に伝えたいことは何かなぁ〜」のテーマを持っていることでした。必然的に今の私に対する見方…のようなものが浮かんできて…。文章も「今」だなぁと改めて思いました。


2009年08月04日(火) 心の教育

 先日育成会で[教育]ということについて少し語り合いました。私達は学校を卒業して社会に出た時に自分のことが自分で出来る大人になっているといいと思います。
私は学校時代のことをあまり覚えていませんが、親元を離れて働き始めた時、仕事は何とか出来ていたようですが道の方角もわからない大人でした。それに他者とのプラスの関わり方も知りませんでしたから、ただ周囲に迎合するだけの大人でした。
今でも時々、その名残で周囲に惑わされる事があります。でも今はその自分に気付いて次を見る事が出来るように育っています。何も知らずに過ごしていたら今でも社会に迎合したまま生きる大人をしていたのだから、成長しているのですよねぇ。
これから大人になる子どもさんは小学校から始まって高校を出るまでの12年間に、大人になってから心を大切にして自立して生きていけるだけの知恵を学ぶことが出来るような学校が出来ればいいと思います。


2009年08月03日(月) 時間

 今日も文章校正。浮かんでくるものを書き足しているときりがないのですが、でも湧いてくるので書き足しています。
 話は変わりますが私の部屋は2階です。夕方洗濯物を1階に落としたので下の部屋の方を訪ねました。女性が「今から友達と食事に行くから一緒にどう?」と言いました。私の方はすることがたくさんあるので遠慮させて頂きました。私は食事やおしゃべりよりも自分を掘り下げて心の傷を癒やし成長する時間を作ることを大切にしたい。そのスタンスはこれからも同じなのです。


2009年08月02日(日) 全部OK

 「生きているそれだけでいい」という言葉を聞いて今の自分を思いました。
 私は生きているそれだけでいいはずなのに、帰国してから後今日まで「本という形がなければマイナス」をひしひしと自分に感じさせてきた気がします。
するということをすることが出来ている時には自然にそこにあったものが、少し立ち止まるとプレッシャーになることもありました。立ち止まるということがマイナスだとしたら私はマイナスが多いです。「こんな私はいけませんか?」と誰にともなくと尋ねたくなるのは「休んだり立ち止まったりしている時はマイナス」という捉え方の中で命というものの原点に立ってハテナマークが浮かぶからです。
でも私は生きているだけでいいはずなのです。約7年間心のことを勉強してきた私はこの言葉は使えないのかもしれません。けれど「全部OK・どっちもいい」を基本にすると本があってもなくても私は私で、例えば今の状態で印刷しても本は本で、これからの私もあるはずで…。ベトナムへ行く前の「どんな本もOK」を視野に入れるとなおさら。ということで「本作りを止めたらマイナス」という言葉に縛られていた私を解放してあげることにしました。
 本は出来るかどうかわかりません。途中でやめてしまうかもしれません。投資して頂いたお金は全額お返し出来るかどうか分かりません。でも私は子ども達とした約束は守りたいのです。私は親に傷付けられた自分を知ってからずっと「私と同じ苦しみを自分の子どもに負わせずにすむようにすること」を望んでいましたし虐待という悲惨なものを私の所で終わりにしたいと、まだその方法を知らないうちから切望していました。つまり、私が子ども達との約束を守るのは私自身が過去から望んでいたこと「プラスの親」を自分にさせてあげる為なのです。そして私は私の本を楽しみにしていると言って下さった方の心を原動力として利用させて頂いたこともあるので、その方には心でお返ししたいのです。これは私の未来の為に、なのです。
ですから、出来るかどうかわからないのだけれど出来るところまでは楽しんでみます。ということをここに書いたことで、私は私を解放させてあげました。


2009年08月01日(土) 最終チェック

 今日はまとめ。いよいよすべてのファイルが最終チェックの段階に入りました。あ〜あと少しで本当に本が出来る…と何回書いた事でしょう…。それでも又書きたいのです。


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