「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2009年01月31日(土) |
Mamõ ちゃんの選択 |
1区のミニホテル街に引越しをしました。引越しをした最大の理由は、「帰る場所を間違えた」と気付いたからです。 面白かったのは、間違えたと気付いたとき、どうすればいいかがすぐにわかったことです。ですから、一連の動きは全て私の心の声に添ったもので、1区に落ち着くまでは「一目散」にという感じでした。それに、間違えたことで新たな気付きがあって、そちらにも興味が湧きました。自分の動きの全ては成長のきっかけになりますね。
今日で1月が終わります。私はあと26日で日本に帰ります。 今日、久しぶりに日本の NHK テレビを見ました。日本は大不況なのですね。それに、相撲部屋の人が大麻所持で捕まっていたり、沖縄のアメリカ軍基地に世界最強の戦闘機が並んでいたり。 一年前に見ていたものと同じことが、私がベトナムを楽しんでいた一年の間も続いていたということのようです。 その日本に、私はもうすぐ帰ります。帰国した後はベトナムを楽しんだように日本も楽しむことにしています。外国で一人を楽しむことが出来たのだから、日本でもそうできると信じています。 ただ、時々傷ついた心の自分が邪魔をしますから、出国前とは違う自分として、その生活を始める為の方法が必要です。 そのためにすることは一つ。なりたい自分になれるよう、自分を選択することです。
今日は「物を書くということ」 について、興味深い感覚を持ちました。 それは、「文章を書く」ということは 「朝が来たら起きる」 くらいのことだったということです。 つまり、人というものは浮かんだことを文字にすることが出来る生き物で、私がしていることは特別でもなんでもないということです。それを特別視していたのは自分で、特別に思うから 「書く自分」 に巻き込まれていたのですねぇ。 こんなことを思っていたら面白いところに辿り着きました。それは、子どもの頃にトラウマを受けた 「書く自分」 のことです。 これまで私にとってそのトラウマは、とてつもなく大きな壁のように感じていたのに、今日は、例えばあのとき振り落とされたノートだって「その程度のことだったんだ…」と思ったのです。このことに関するトラウマも、その他のトラウマと同じ、数多くあるトラウマの中の一つだと感じられるのです。このように思うと同時に、あの頃、子どもの私に対して感情のままに動いていた過去の母の姿こそ 「子ども」 に思えました。 心に感じたことを書いて文字にしていた私のほうがよほど、大人だったのだ、なんて書いてみようと思えるくらいに成長したみたいです。 こんな私の脳裏に浮かぶのはグレイのスチールの机に座っているあの頃の私。そう、Mamõ ゃんの瞳の奥に、あの頃の私が浮かぶのです。 やっぱり、自分を眺めることは他のどんなことよりも面白いです。
近所のお店が開き始めました。でもまだ、食べ物屋さんが3割くらいで、それ以外のお店は閉まっています。 今日は食事以外はどこにも行かず、ずーっと日記をまとめていました。今はベトナムに来てからのことを読み返しているのですが、1年未満のことでも既に懐かしさがあって面白いです。でも、ここに書いていないことでも楽しいことがたくさんありました。楽しいことの大半は私の心の成長に関することです。
この家は去年の10 月に12 区へ引っ越す以前に住んでいた家ですが、蚊が一日に7回くらい現れます。蚊を見つけたときは追いかけて運動します。蚊というのは体が黒いから黒いものが好きなのだと思っていたら、赤いものや原色にもくっつくのですねぇ。初めて知りました。それに、こちらの蚊は「ブーン」と音がしません。一年間暮らして、蚊が飛んでいる音を聞いたのはこの家で1回とCuchi で1回の合計2回だけです。 ついでに書くと、Cuchiや田舎は、蚊が多いですが、あまり刺しに来ません。こちらの蚊は私を追いかけてくることもあります。田舎には他の生き物もいますから、蚊のお腹も満たされているのかしら。 …などと書いていると、いかにも楽しんでいるように感じられますが、部屋の中で叫んでいることもあります。しかし昨日の時点で安いホテル街はまだ満室。だから、あと数日の辛抱なのです。 それに、今はバイクが少ない分散歩が楽しいです。前回住んでいたときには行かなかった道路を歩いて楽しんでいます。
2009年01月28日(水) |
Mamõ ちゃんのしていること |
過去に新聞に投稿された文章を Mamõ の引き出しに保存しようとしたら、「それは投稿の引き出しに入れるんだ」 と抵抗する自分が出てきました。投稿するということに価値を置いてきたマイナスの自分です。 ボードの上の手が止まり、どうしようかと考えたそのとき、昨日気づいたことを思い出しました。 それは 「投稿するということも、子どもの頃に心を書いた私を切り捨てられたままの傷を抱えている私が、過去のトラウマの中でしてきたことだ」 ということです。 私は思い出したことをマイナスの自分に伝えようと意識しました。ところが今日は、これまでの方法のように言葉で伝えるということにはなりませんでした。それは私の中でそのことを強く意識するというような、マイナス面を持つ自分に沁み込ませたとか浸透させたという感じです。マイナスの自分は何も言いませんでした。そして私は自分の中の変化に安心しました。
しばらくのち、私は休めた指を再び浮かして、投稿の文章を Mamõ の引き出しに運びました。
お正月2日目。近所のお店は今日も休みです。昼食を兼ねて近くの市場に行ってみると、お店は休みですが、あちこちで大人も子どももトランプゲームをしていました。それぞれ足元にお金を置いていました。 バータンハイ通りに出ると中心地に行くバスが走っていたので、1区に出てみました。 1区のベンタイン市場も休みで観光客もまばら。開いている食べ物やさんも数件です。 市場のすぐ前の屋台が開いていたのでブンボーフエを頼んだら、違う色のものが出てきました。私は外国人ですが、最近毎日のようにブンボーフエを食べているので、その食べ物のことを知っているのです。「これ、ブンボーフエ?」。お店のおばさんはうなずきました。(色が違うけど、まぁいいか)と食べてみたら、塩が濃すぎて食べられません。出てきた野菜も半分くらい傷んでいました。どうにも怪しくて食べる気持ちがしなくなったので、数口で残しました。そのようにしたのは、自分のために「この食べ物はブンボーフエじゃなくて、お客さんは食べる気持ちがしなくなったから残したよ」の小さな表現をしてあげたのです。お勘定をしましたがおつりをくれません。「おつりください」と言うと、ニヤッと笑っておつりを渡してくれました。私が「これはブンボーフエじゃない。そうでしょう?」と言ったら、おばさんはもう一度ニヤッと笑いました。 花市場を歩いてサイゴン川を見に行きました。サイゴン川に着いたら川岸の船着場からブンタウに向かう船に乗り込むところでした。でも人はうんと少ないです。 帰りもバスに乗りました。すると、若い女性の車掌さんが、小さいお金をたくさん持っているのに又おつりをくれません。「都会は生き辛いなぁ」と長期滞在の外国人のMamõ ちゃんが思うのは、都会に住む超長期滞在のベトナムの人々が生き辛いからだと思いました。 夕ご飯は、一昨日食べたお店にブンボーフエを食べに行きました。これは、昼ごはんのアクシデントのとき、自分に約束してあげたことなのです。ちなみに今日で3日間、ご飯のお店に行き当たらないので、ずっと麺類を食べています。だから、ブンボーフエにも詳しかったのですョ。 食事の後、1時間くらい散歩しました。お店が休みの分だけ歩道が広くて歩きやすいのです。
2009年01月26日(月) |
Mamõちゃんの百科事典 |
つなぎに入ろうと決めてから、何か落ち着きません。「つなぎって何?」 を知らないままそれを作ろうとするから落ち着かなくなるのだと思います。そこで、相変わらず思いつくことをしているばかりです。 そうしているうちにこんな疑問が浮かんできました。それは 「つなぎって必ず必要なのかな?」 です。 本にもいろんなタイプがあって、私の本は私独自のものだと捉えると、私の本につなぎがあってもなくてもどちらもいいのではないかなぁ、なんて、落ち着かない私の溜め息代わりの言葉かしら。
落ち着かなくなったときには 「出来た分でいいよねぇ」を思い出して自分に沁み込ませています。こうすると落ち着くので、この技法は大活躍しているのですが、今日はこのことに関連して面白い自分を発見をしました。それは、私は今まで「出来た分がどれくらいか」をその日が来る前にイメージしようとしていたということです。例えば今日から1ヵ月後の出来た分がどれくらいかを今想像して、想像したものを見てOKにしようとしていたのです。無理ですよねぇ。1ヵ月先の出来た分が分かるのは1ヶ月先のその日なのですから…。 相変わらず気付かないところで過去の物差しを使っている Mamõちゃんを発見して嬉しくなりました。マイナスを発見して嬉しくなるなんて不思議でしょうか。 でも、発見したから変えていける。そう思うと、やっぱり嬉しいのです。
こんな私のプラスの言葉の引き出しを探したら、日記の中だということになりました。それで、1年前の日記を読んでいたらいろいろな思いが浮かんできて、夕方には(この日記をそのまま本にしてもいいんだ)という気持ちにもなりました。例えば6年前と今が○○ページと○○ページで比較出来るなんて、Mamõ ちゃんという人の百科事典みたいです。
今朝、昨日約束した貸し家に着いたら、先日聞いた部屋とは違って3畳半くらいの狭い部屋。そこにベッドがあって窮屈に思えた。ところが、1ヶ月暮らすかどうかを悩んでる私には丁度良い状況。1週間だけ契約した。 テトのため、明日は近所の食堂が休みになるらしい。今日開いているお店も数件。私も食料を買っておこうとスーパーへ行った。 入り口で、持っていたヘルメットを駐輪所に預けてと言われた。ところが預ける場所に行ってみると人がいない。お店のカウンターに戻って「人がいない」と伝えてもここではだめと言われるばかり。頭にかぶって入ろうとしてみるけれど、ガードマンに止められては入れない。駐輪所に戻ってもカウンターも同じ状況だった。そこへベトナムの人が来て怒っている。「ヘルメットを預けるのにお金を払うなんて…」と言っている。その人は怒ったまま帰ってしまった。 (なぁんだ、私もお金を払わないと思われているんだ)と納得。でも私は買い物をしなければ明日困るだろう。カウンターの人に「あっちに人がいないよ」ともう一度言ってみた。最後は英語になったら、英語を話せる人がやってきて、私のヘルメットを預かってくれた。 夕方、ご飯を兼ねて散歩に出た。お米が食べたかったので数件の麺類食堂を通過した。でも向こうに見える道も暗い。やっぱりどこも開いていない様子。通り過ぎたお店に戻ってブンボーフエを食べた。値段はいつもの倍額だった。 散歩から帰ってきたら隣の部屋が大音量。「音を下げてください」とお願いすると、その人はうつむいたままドアを閉めた。私もうつむいてドアを閉めた。環境は自分で整えてあげること。場所を変えたほうがよさそうだから、どこへ行こうかと考える。けれどこの時期はホテルも食べ物も高い。ベッドに寝転がって(都会に出てくる時期を間違えたんだなぁ)と反省。でも、これも動いてみて分かったことだから、旅の収穫にしようと切り替えた。
夜9時半、歯磨きをするのに廊下に出た。用を済ませて部屋に入ろうとしたら…ドアが開かない…。きっと、無意識に鍵を閉めてしまったのだろう。手に持っているのは1本の歯ブラシ。服は寝る直前のスタイル。3階から階段を駆け下りて、1階に住むお手伝いさんから大家さんに連絡してもらった。 大家さんが来るまで階段に座って物思いにふけった。待っている間、部屋の中で携帯が鳴る。電話はしばらく鳴り続け、切れてももう一度鳴る。きっと大家さんだ。でも私は電話に手が届かない。 どれくらい経ったのか、大家さんが来た。時間は夜10時半。「ごめんなさい!」と謝って鍵が開くのを待った。しかし、大矢さんが鍵をまわしてもドアが開かない。 ムムム?? 二人で顔を見合わせた。 あれこれと試した結果ドアノブを壊してドアを開け、部屋に入れたのは11時半だった。でも、入れてよかった。 ベッドに寝転んだとき、この上なく安心した。
いろいろとある都会。これも旅のエピソードになる。
朝起きたらのどが痛い。風邪を引きました。 朝から引越しのための片づけをしたので、9時ごろ、朝食を取りに家族と外出しました。帰りは友人と妹さんは遊びに行く様子なので、私はお母さんのバイクに乗りました。ところが、お母さんは市場に寄って正月用の買出しをして家に着いたらお昼になっていました。 午後は引越しの荷物の整理などをして、夕方サイゴンに家がある友人のバイクで中心に向かいました。今回は友人のバイクの前にスポーツバックとトランクを積んで私と友人の間にリュックとパソコンを載せて、二人ともバイクの上で足を開いた状態。少ない信号で止まったときには足の体操をしました。
今日はテトの始まりの日で、ングゥィン・フェ通りは人民委員会の建物の前からサイゴン川に突き当たるまで花市場が設置されています。今夜は友人と市場を見に行ってきました。人とバイクが道を塞ぎ、人の頭を見にきたみたいでしたが、合間を塗って見る花はきれいだったので写真をたくさん撮りました。時間があれば載せられるのですが…。
2009年01月23日(金) |
いつか一人になれたなら |
ついつい自分とけんかしちゃう。だって、私の邪魔をするんだもの。 どうすれば自分と仲良くできるのかな。 そっか、どんな自分もそのまま受け入れればいいんだね。 自分のことを嫌っていたら、「もっと好いて」と自分が言うよ。
出来ればいいなぁと思うより、きっと出来ると思っていたほうがいい。 私の目標は「いつか一人になれたなら」。 どこまで出来るかやってみよう。
今日も一日裁判のところのまとめ。ノートに書いたものを拾い出して時間が過ぎました。 ところが夕方になって(何か変だ)と思いました。今日は人々と話をする心の余裕がなかったのです。気がついたときには夕方。今日も早めにパソコンを閉じて散歩に出ました。
あぜ道を歩きながら考えました。 自分は今、つなぎのためにすればいいことを思いつかないから裁判のことをまとめている。しかし、一生懸命になってしまった。ということは何かが間違っているということ。 裁判の時の心の傷が残っているかなと自分に問うと、そうではないよと感覚が知らせてくれました。単なる完ぺき主義だったのです。 ですが、私はもう、出来た分で本を作ればいいことを知っているのにどうして完璧にしようとするのかと思いました。すると、その理由は数日前に 「このような構成の本にしよう」と決めたことから始まっていました。つまり「そうするためには、あれとこれが必要で」、その必要なものを作ることが、本を作るための条件になっていたのです。 それなら何をすればいいかなぁと案を練って、明日からは今ある引き出しを見直す作業をすることにしました。
私はすることを間違えたのでしょうか?! いいえ、してみて分かったことだから、これでいいのです。自分の体験に基づいて感じたことは、人生を生きるための術として細く長く私の中で生き続けるのです。
夕食の後、友人の家族に Cuchi 市場近くのロータリーに遊びに行こうと誘われました。 ここでの生活もあと3日なので、行ってみることにしました。 ロータリーでは、お正月用の電気の飾り付けがされて、迎春花や植木鉢の出店が並んでいました。飾りも売り物もきれいです。人々はみんな楽しそうです。 けれど私はすぐに飽きてしまって、(私の求めているものは人々とは違うなぁ)と思いました。 帰りのバイクの上で空を見上げたら空一面に星の世界が広がっていました。走るバイクの上から見ているせいか、星空が回転しているように見えて、まるで一人で違うところへ遊びに行ったような気持ちになりました。(自然はいつ見てもいつまで見ても楽しいなぁ)と思いました。
テーマに分けて振り分けをしていたら面白くなってきて、あっという間に夕方になりました。 何も出来てないとかまだまだ成長していないとか思っていたけど、出来ていることはたくさんあって、出向いたそれぞれの社会でプラスの足跡を残してきた私がいたのだね。それが分かって安心した。
今日の夕ご飯は「おかゆ」でした。さらさらのお粥の汁の中に、小さいけど生き物の足の骨のようなお肉が入っていました。これは牛や豚や羊ではありません。尋ねてみると、それは「ウサギのお肉」でした。歯ごたえも味も牛や豚と同じでした。 ちなみに先日、犬の肉が出てきましたが、こちらは食べられませんでした。食べてみればたべられるのかもしれませんが、食べてみたくなってから口に入れるのが一番おいしいと思います。食べ物も振り分けです。
夕方庭に出たら、友人のお母さんがバイクで何処かへ行くところでした。 「どこに行くの?」 「あっち。Mamo、行く?」 「行く行く」
行き先は分かりませんでしたが、面白そうなのでバイクの後ろに乗りました。
バイクは家から10メートルくらい走ったところであぜ道の中に入り、そこでお母さんが「着いたよ」と言いました。 乗り物に乗るにはあまりの近さに不思議に思っていると、お母さんがあぜ道の奥にある田んぼを指差しました。見ると、薪木が束になっておいてありました。 お母さんは薪を運ぶためにバイクを使ったのです。
私も薪を積むのを手伝いました。(力仕事を手伝うと運動しなくていいなぁ)と思いました。 帰りは、私はバイクに乗れないので家まで走りました。 3回往復した頃、日が暮れて仕事も終わりになり、お母さんと二人で「楽しかったぁ・疲れたぁ」と歌いました。 普段と違うことをして、本当に楽しかったです。
今日は日記に「ベトナムの梅の花のこと」を書く。どんなふうに書こうかと考えながら散歩に出た。 Cuchi の道は、舗装がしてあるところはだいたいまっすぐ続いてあまり曲がらない。弊害物のない道の両側に田んぼが、やっぱり永遠に続く。 大通りに面した店では、あちこちのお店で正月用の飾り菓子が並び、それは豪華に見える。片側2車線の道路は、買い物する家族を待つバイクで埋まり1車線仕様になる。 大通りから1本奥に入ると民家が並ぶ。大きな通りの賑わいとは対照的にしんと静まり返っている。その民家ではこの時期、庭の木の葉を付き始めた芽をつぶさないように避けて、むしっている人をよく見かける。 その木の名前は「ホアマイ」。日本語にすると「梅」になるけれど、もともとは「オクナ科」という種類の花だそう。 この木が「ホアマイ」と名づけられたのには次のような理由があった。 中国の文化が色濃いベトナムの国の人が、中国の旧正月の頃に咲く花を探したところがこの花に辿り着き、ベトナムに迎春花としてある桃の花のように飾ることを思いついた。 けれど、その木は茂った葉の中に小さな花を付けるため、そのままでは梅のように見えない。そこで人々は人為で葉をちぎり、梅の花のように見せているそう。つまり、中国の文化を真似ているということらしい。 民家の人々は葉をちぎる作業に忙しそう。その道を散歩する私は、(私なら散歩に行きたくなるなぁ)と思いつつ、民家を通り過ぎた。
家に着いて、思いつくままキーを打った。指が止まったときは、予告したことを反省した。 書き終わって考える。(二つの日記を一つのテーマでつなげてみたかった。昨日の日記の続きになっているかな)。 それからこんなふうに思った。(日記の文章で遊べてよかったな)。
今日はホーチミン市の銀行へ行きました。市内は旧正月の花市場のための準備が進められていました。街中は通常より人も多く、みなさん準備中の花飾りの前で写真を撮っていました。 数日前に知ったのですが、ベトナムでは旧正月に「梅」の花を飾るそうです。こちらの梅の花は黄色です。
昨日の続きで「野球の引き出し」が完成しました。テーマが限定されているので、たんたんとまとめることができました。 夜、友人のご家族に「来週引越しをします」と伝えました。これから少し、引越しの為の動きをします。 本を書くという仕事があっても、先にしたほうがいいことがあるときはそちらを先にします。 優先順位に添って動くとはこういうことですね。必要度の高い順にしていくと、その後の動きが楽ですから、あとの動きをしやすくするための優先順位で動いているようです。つまり、いつもするということをしていると楽に動けるのです。
今日は「野球」の引き出しをまとめました。 と書いて気付いたのですが、私は今日、まとめをしていたのですね…。 でも、いいのです。本のスタイルについて「このようにしよう」という全体像が出来たせいか、「つなぎ」も流れで出来そうな気がしてきたのです。
夕方は、自転車で散歩しました。 家の近くの川の流れは適度に速くて途切れることがありません。澄んだ水が周りの田畑を潤して、あちこちに「ため池」のような池があって魚の飼育をしています。 いつかその川の行き着く先を見たいと思っていましたが、今はもう私のイメージは市内の道を散歩している自分。川上とは反対方向なのです。 でも、どちらに向かう私も、流れの中で感じるままに歩いているのです。
今日は、まだ別の人格が居るということを改めて認識した日です。そしてそのままを受け入れた日です。 私はいつも何処かで、他の人格がいるということをイヤだなぁと思っていたのです。 「もう大丈夫だ」と思いたかったのです。だけど違っていたということです。
ところが、しばしの時間を経てある思いが浮かんだのです。そしてこの思い付きで、私の心に一つの変化が起きたのです。 それは、人格に関する私の思いが一山超えた感じなのです。「これでいいのなら…例えば子ども達にも人格の話が出来るような気がする。うん、出来そう」の感じなのです。 ただ、その思いは、本の引き出しに収めることにしたので先送りです。つまり、まだここに書くほど纏まっていないということなのです。そして、発見した感覚を満足するまで感じたいのです。
まとめ方をもう一度吟味しているうちに、(これが適切かな) と思える一つの方法が見つかりました。ところが、日にちを経て、その方法にするであろう確立が高まってくるにつれ、ある理由から、(どうして?) とか (どういうこと?) とか、驚きに似た感情が湧いてきました。その理由は、私が最近見つけた方法は、まとめを始めた頃に(この作り方が作りやすいな)と感じた方法だったからです。 でも、そのときは自分の感じたことに確信がなかったので、違う方法も試しました。 そして今回又同じことを感じたのです。この感覚は最初に感じた感覚よりも確かなものになっています。きっと、10カ月経験した分だけ確信を深めることができたのだと思います。
なんと、1月5日から「考える思考」が大きくなっていたことに、今日気が付きました。 原因は一つのメール文。大人はあなたメッセージを使います。私はよく巻き込まれます。 けれど、「おかげ」という言い方は変ですが、おかげで私も危険な場所から離れることが出来るようになりました。 プラスのMamoちゃんでも、きつい言葉は傷つくのです。これが人として生きる私なのです。そう考えると、本来もっと以前から自分を守る必要があったのにね。でも、それが出来なかったのにはそれなりの理由があるのです。だから、いいのです。 たまたま今日も同じようなことが起きました。つまりあなたメッセージというのは日常にあるということで、言葉というのはよく吟味して口から放つ必要があるということです。
そして今はこんなことを考えています。 もしも世界中の人々の口から私メッセージが放たれたら、空気中にどれだけの愛が放たれることでしょう。人々は愛のこもった空気を吸ってどれだけ健康になることでしょう。誰かと会話するということをしてどれだけ自分を満たすことが出来るでしょう。 過去の私のように 「社会はマイナスだから誰とも話が出来ない」 とか「誰にも話しかけられたくない」とか思って、内にこもる必要がなくなるのです。
よしっ! Mamoちゃんはもっと自分を守れるようになりましょう。もっと遊べるようになりましょう。
それにしても、考える思考の中に居ても「する」ということをしていられた自分だったことは興味深い結果です。このようにしていられたのは、自分を責めなくなったからでしょうか。 それとも自分と他者と社会の全体を見れるようになったということでしょうか。はたまた地球の全体を見れるようになったということでしょうか。 いえいえ、このように言う私は今、地球の外から地球を眺めていますから、もっと大きなスケールで宇宙目線で見れるようになったということでしょう。 あららぁ…。またまたワクワクしすぎて、どこかへ行ってしまいそうです。
昨晩から思っていたことは、書くときのアイデアは読むときのアイデアに比例するのではないかということです。 私は、多くの書物を読んだ人は読んだ分だけの種類の書き方を知っていると言えると思います。 私も本はいくらか読みましたが、今思えば私の読み方は「読み解く」ではありませんでした。このことは、私の語彙の少なさや単語の意味の知らなさが証明してくれています。それなら今からたくさん本を読めばいいと解っても出版は約2,3ヶ月後に控えていますから、優先順位が違います。私が今したいのは「書く」ことです。
そんな中、「書く」をテーマにした読み応えのあるHPに出会いました。HPの内容は、主に論文の書き方です。内容は省略しますが、私の知りたいことそのものが書かれてあって面白かったので一気に、けれど丁寧に読みました。 「丁寧に」はそのように意識したときもありますが、だいたい (ここでは何を言おうとしているのかな?) の好奇心でした。このように出来るようになってみて、今まで読み解く力が小さかったことに太鼓判を押せました。
力不足の詳細は一行を読む間の集中力に欠けていることと、すぐに気がそれることです。 ですが、これらのことは今この時からでも変えていけそうです。 その方法は二つあります。一つ目は集中する自分を意識すること。二つ目は自分の周りの気が剃れる要因を出来るだけ少なくすることです。 こうして考えると、騒音の少ない場所を探して移り住んだことは本を書きに来た私の良案だったのです。
それから、こんな見方もしました。 それは、「今までは感覚で書いてきた、これからは大人の知識を勉強しながら書く」です。 これを言い換えると、今までは子どものように思いつくことを羅列して書いた。これからは「・・・・」 (←まだ勉強前なので何とは思いつきません) を入れて読み手に伝わりやすい文章が書けるようになる、です。 夕方には、具体的につなぎのために何をしたらいいかを決められました。明日は全ての引き出しを書き出すかプリントアウトして全体を目で確認することにしました。
今日からつなぎに入ることにしました。 まず始めに、つなぎに使える文章を探すために、ベトナムへ来る直前からの日記を読み返しました。そうしているうちに (作ったつなぎと引き出しをどうやってつなぐのかなぁ?) と疑問が湧きました。このままでは、つなぎも一つの引き出しになってしまいそうです。本を書いている人を参考にしようとネットを検索してみました。 ネットの中で検索エンジンに進められるまま行き来し始めると、惚れ惚れする文章に出会ったり感心する解説に出会ったりして、しばらくは楽しめました。 でも、そのうちに退屈してきました。退屈した理由は、私の読んだものはうまく書けるための方法だったからです。私が知りたかったはその方法ですから、それでいいのですが、私はその時こんなことを思ったのです。 (文章を書く前に方法を知ろうとすることは、数学の問題を解こうとするより先に公式を暗記するようなものだ。学校に勉強しに行って校則を大切にすることにも似ている。それではつまらないし味がない。やっぱり今の自分に出来る書き方で書いていこう)。 その後、今の自分に書ける書き方を最大限使うために必要なものを探してみました。すると、より良いつなぎを作るために必要なものはプラスの心と体で、その2つは今ここにあることを確認しました。最後は「軽くキーを打てるように、10 本の指を大切にしよう」と小さな、けれど大切なことを思いました。 私の文章力は今スタートしたばかりですから、このような方法でいいのかどうか分かりません。でもきっと、明日には又新しい発見をするでしょう。昨日の続きで今日の発見があったように。
帰国してからの動きをイメージしてみました。そうすると、やっぱり今はもうつなぎに入っておいたほうがいいということになるのです。 でも、そうは言っても整理未のものがあると気になって、そちらを開いてみたくなるのです。 どうしよかなぁと自分と相談したのち、開いてみたいものは開いてみたいのだから開いてみればいいということにしました。 そうそう。本を作るという作業を楽しめばいいのですよ。きっと楽しんだ分だけ結果も付いてくるのでしょう。だから今は、つなぎに行くための「つなぎ」なのデス・・・。
この頃、自分の文章の校正や編集のことを考えています。 過去の日記を読んでみると、書いた当時はOKだと思っていたのに今は「もっとこうしたら…」と感じる箇所がいくつもあるのです。ということは、私には手伝ってもらう必要があるということです。 校正や添削や編集はたぶん技術の一つで、その技術を持っている人は世の中に一人以上居るのでしょう。 そこで、どんな人に手伝ってもらいたいかなぁを考えてみたら「私の文章に心から興味を持った人」とか「心を大切にして文章を書いている私に心から興味を持った人」いう答えが浮かんできました。世の中に、心を指先に変えて書いた文章に興味を持って「面白そうだから手伝ってみたい」と言って下さる人が居たらそのやり取りはどんなに楽しいことでしょう。もしもその方がその技術を知らないとしてもそれは私も同じですから、新しいことを二人で探す空間はどのようになるでしょう。技術を心でカバーすることもできそうですし興味の中から出てくるものは何かなあと考えるとクワクしてきます。もしもそれが子どもさんだとしたらどのような発想が出てくるのかなぁと考えると、私はまたまた無限の可能性を秘めた宇宙の世界に行ってしまいそうです。 もしも私がイメージしているように心の満足の中で本が出来上がったら、技術とは別のところで、いつ読んでもどのページを開いてもその一行に心満たされる本が出来そうです。
なんて、理想論かなぁと思ったり願えば出来ると思ったり…。一番大切にしたいのは「私は本を作るということを楽しみたいということ」です。
でーきたできた。ひとつできた。 でーきたできた。ふたつできた。 でーきたできた。みっつできた。 ほんとは ひとつだけ。でも いいのだよ。 ひとつできたら いいのだよーん。
6時起床。 布団の中で「タイプを打ちたいと感じている自分」を面白がりました。 この感覚は、理屈ではなくただ私が「そのようにしたい」。小さな衝動のような、私の中に眠っている本を書くための思考が今こそあふれ出てきそうな感覚です。 土の中から小さな新芽が出てきた感覚でもあります。私は今、自分の中から湧き出した感覚に添って動きたくて仕方がありません。
ところが昼間に2005年10月の日記を読んでみたら・・。
「書く」という作業をするときは「話す」ときとは違う部分を使っているようですし、私は今(集中したい)とか(この思考を維持したい)とか思っていて、独自の世界に入りたくなっているのです。けれど、2005年の文章を読むと当時のほうが今の私よりも心に余裕があるように思えたのです。それで、(今は大丈夫かな。ゆったりになっているかな)と自分に問いました。 今感じていることは、たとえば私が一つ目の本を書くためのある一定期間のために集中するということなら、この思考を維持し続けることは出来るでしょう。でももしも私が物を書く人として生きる自分を育てているのなら、今の意識では長く続きません。これは今の感覚から感じ取った小さな確信です。嬉しい気付きを経て、心はそれまで以上に自由になりワクワクが広がりました。
ワクワクの中で散歩に出ながらこんなことを思いました。
(頑張っても頑張った分だけだという気がする。つまり自分の力量以上のものは書けない。私に書けるのは私が体験して解った私のことだけ。 それに、背伸びをしたり頑張って集中して書いた文章で本を仕上げたら、私はその本を開くたびに背伸びをして頑張らなくてはいけなくなる。だからやっぱり、今感じたままのことを書けばいいんだね)
気になっていた田んぼの小道を歩いていくと公道に出ました。その公道がいつも通っている道だと気付いたときには「フフッ」と声が上がりました。 傍に用水路のようになった川があって流れる水が透き通ってきれいです。川沿いにも小道が、今通ってきた道と同じようにずーっと向こうまで続いています。 (明日はこの先を行ってみよう)と、昨日の夕方と同じことを思って今来た道を戻りました。
最近日記を更新していないから、何か書いておいたほうがいいかなぁと思いつつ、書かずに日にちが過ぎました。 実は、2009 年になってからの心の様子は、もうすぐ開かれる本の中身に移行したくなっているのです。
夕方の散歩道。 Cuchi の夕焼けは、大きなヤシの木の間を縫うように見えるオレンジ色の空に背高の大きなヤシの木をさらに大きく浮き立たせ、NyaTrang の海岸で見る夕焼けとは違った世界を演出します。どこかまで歩けばあの夕焼けに手が届くかしらと、子どものような発想も浮かびます。 そういえば数ヶ月前まで、感銘を受けたものはすぐに写真に収めていましたが、今日は時間を追って色濃くなる景色をただ眺めて満足している自分に気が付きました。それで、いろんなものを写真に収めた自分は何故かなぁと問いました。その理由は、私は美しいものや心に響くものはすぐに、私の前から消えてしまう気がしていたからでした。 自然はいつもそこにあるのですよね。そして今日の私になれたのは、過去6年間ある日は青い空を見ながら又ある日はオレンジ色の夕焼けを見ながら、「今はもう私から私を奪っていく人は居ないよ」と心にしみこませていたからだと思います。私の感覚がそのようにすることを望んだのです。 家に着いた頃、辺りは真っ暗になりました。空には半月と金星が輝いていました。
帰宅日の朝は豪雨の音で目が覚めました。カーテンを開けると、外は前の民家が倒れるのではないかと思うくらいのすごい風です。けれど幸いにも雨は小降り。7時にホテルを出て乗り場まで歩きました。 新年の朝、バス乗り場に集まった人はみなさん旅の人。旅人は1年の始まりも普段と同じことをするようです。私も人生の旅人として普段と同じことをしています。 バスが走り始めて出入りした何軒かのレストランが見えると、いくつかのエピソードを思い出しました。 (蚊に刺されたなぁ。あのお店ではスープを持ち帰ると言ったらビニール袋に入れてくれたなぁ。あのお店のお兄さんは道端ですれ違ったとき私の名前を呼んでくれたんだ)。思い出すのはどれも楽しいことばかりでした。 バスは宿泊したホテルの前も通り過ぎました。ホテルでは小さなハプニングがいくつかありました。言いたいことが伝わらなくて泣きそうになったこともありました。 昨晩ホテル経営者の女性が「人々がいろいろ言って悲しかったでしょ?」と私に言いました。私は「だいじょうぶです。どんなことも私の人生の勉強です」と答えました。 ありのままの自分を生きることが出来たからでしょうか。ニャチャンはもう、私の新しい故郷のようなのです。窓の中からベトナムに出来た新しい故郷に(又ね…)とあいさつしました。
バスがニャチャンから離れた頃、心は「対」ということを考えていました。 昨日は自分と他者を並べて「対」を考えました。今日はそれとは違う形が浮かんできました。違うのは対象が自分になっていることと、私は自分と「対」であればそれでいいのかもしれないということです。 自分と「対」であるということは、心の中の自分と外の自分が同じであるということで、つまり 「ありのままの自分」 ということだと思います。このような発見は昨日よりもしっくり私の心に馴染みました。
「ありのままの自分」を探求しているうちにこんなことにも辿り着きました。 それは“私はこの頃誰と話をしていても同じ自分のような気がする”です。 「42歳日本人。今ベトナムで心の本を書いている。離婚した。子どもが4人日本に居るよ。もうすぐ日本に帰るの。滞在?1年。又来るかどうか?分からない。理由? いろんな国を見てみたいから」 私は少なくともベトナムに来た 2008 年の2月から誰に聞かれても同じことを語っているのです。そして、私はそんな自分を知っているのです。もしかすると、このようなことを自分が一定していると言うのでしょうか。
浮かんでくる思考と相談しているうちにバスは休憩地点に着きバスの外に出ました。足元には珊瑚礁のかけら。私は「ファンティェット」という町の砂浜に、生まれて初めて足を下ろしたのです。 視界には透き通る青い海 「カーナ海」 が広がりました。 心には 「アイデンティティー」 という言葉が広がりました。
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