「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日は Nhatrang に田舎がある女性の友と会う約束があったので、いつもより早起きしてまとめをして、それから彼女と会いました。ベトナムに来てすぐの頃に2度会ったきりでネットを通じて話はしていましたがお顔を見たのはほぼ8ヶ月ぶりです。 彼女は日本語が少し話せるので私も楽に話が出来ました。彼女は私の日本語を一生懸命聞き取ろうとしていました。私も彼女の目を見て言葉を選びながら語りつつ、自分よりも力の小さな人に合わせようと意識することが出来ている自分を見て安心していました。安心の理由は、そうしている自分は 「人としてやさしい」 ように感じたからです。 そのうちに 「対」 という言葉が浮かびました。私は自分よりも力の小さい人と会話をするとき、私がその人の語ることに合わせることが出来て、その人が自分を語ることでご自身の言葉の面や心の面を深め、それらが彼女の心の満足につながるとき、私達は育ちあっているような気がしました。そして私はその人と私との年齢や性別や持っているものの違いを降ろした世界で「対」を感じることが出来ると思いました。 うまく言えないのですが生きるのに不必要なものを全部降ろして 「人として対である」という意味でいいのでしょうか。それはもちろん私の中にこの上ない心の満足として浸透するのです そういえばいつ頃のことか忘れましたが、あるとき 「力の小さい人が生きやすい社会が広がるとやさしい社会が出来る」 と感じたことがありました。 今、たまたま日本で生まれた私と外国の人との心を通した橋は、私の中で4つになりました。それらは心を基準にして生きる私の 「楽」の中で自然に出来た橋だと思っています。 本 『インナーチャイルド』 に 「人と人とを結ぶ橋は母親との関係の中で作られる」 というようなことが書かれているのですが、心の勉強を始めて間もない頃は「私にはこの橋がない」と悲しい気持ちになりました。でも今は、私の心を大切にしている分だけ、橋が出来ていると思えています。これからも増えていくといいなぁと思っています。
明日はサイゴンに帰ります。耳を澄ませば波の音が聞こえてくるこのホテル。寝付けない夜は、子宮の中で眠ろうとする私を手伝っててくれました。
今朝は雨の音で目が覚めました。 朝食を済ませファイルを開いて「こんなこと出来たら便利だなぁ」の思いで Word の勉強をし始めたら、あっという間にお昼になってしまいました。 お昼は運動と食事を兼ねて1時間くらい歩きました。でも料理が出来るのを待っている間に本のことを考えていたら早く帰りたくなって、帰りは急ぎ足で帰りました。 午後、再びパソコンを開いて言葉探しに辞書を開いたら、又あっという間に夕方になりました。 夜は、連絡を絶っていた姉に家を出てから初めて出した手紙を読み直しました。 家族の関係を絶つということをした自分を「そうしたのは何故だろう」とか「そのあと何をしてきただろう」とかの答えを改めて探すように、姉と居た頃の様子を思い起こしました。 パソコンを閉じたとき、時計は23時を回っていました。今日もまた一日があっという間に過ぎました。 布団の中で(日々の景色は通り過ぎる風のようだと思いました。それから(ベトナムで暮らした10ヵ月も、心のことをしてきた6年間もあっという間だったのだ)と思いました。それから、その中で日々新たな発見を重ねてきた自分に満足して部屋の電気を消しました。
「自分に一番やさしく生きる方法」とは、自分を他の人と比べたり自分のことを社会の基準に当てはめて判断したりしないことだろう。自分を飾らずあるがままをそのまま認めることだろう。 例えば外国の人に話しかけられて緊張することがある自分。英語で会話するということに慣れていないのだよ。そんな自分も大丈夫。そのままを語ればいい。 「外国の人と話をするのは慣れていないから緊張するの」って。
会話するのに緊張した自分と数日の出来事を振り返って思う。 私はまだ受身で生きているのではないかなぁ。「自分は今こう思っている」とか「自分は今こうしたい」とかを上手に表現できない大人なのではないかなぁ。 海や空と会話するときにはいつも私が主体なのに、人々と会話するときには少し違ってくる。 傷ついた自分が残っていることは理解しているけれど、具体的に何が私を受身にさせているのだろう。 もっと素直に心の声を言葉に出来たら、どんなにステキなことだろう。いつも誰にも心のままを語れたらどんなに自由なことだろう。 私はもっと人々との関わり方を勉強したい。いろんな人と自分を主体にした会話が出来る大人になりたい。 それなら、なりたい自分になれるようなアイデアを探そう。なりたい自分になれるように勉強しよう。 そうだ。これは私の成長途中なところのひとつだったんだね。そしてこれから出来るところの一つだったんだね。 こんな気付き嬉しくて「気付かせてくれてありがとう」と自分に語った夜。こんな取り組みも自分に一番やさしい自分を生きるための技術の一つになる。
2008年12月28日(日) |
Mamõ ちゃんにいいこと |
今朝は6時前に1度目が覚めて、隣の人の声で2度目に目が覚めて、3度目に目が覚めたとき9時でした。こんな時は頭の回転もいつもよりゆっくりです。 まとめの最中には、日々の出来事で感じていることが浮かびました。気になることがあるとまとめに集中でないことに気が付いたので一つ用事をして、それから再び自分のすることを意識しました。 今の私が感じる「私のいい状態」とは、「自分の中からつなぎの文章につながる発想が自然に湧いてくる状態の私」なのです。
帰国が2ヶ月を切って、日本に帰ったときのことが浮ぶようになり、先日ある人と「人生の色」という話をしました。 私がもし本を出す前に子ども達に会ったら。 それは、今ではすぐにも出来そうなことですが、それでは私の人生の色濃さが変わってくるということです。
日本を離れる前子ども達からの手紙が来たとき、その喜びは階段を踏み外すほどでしたが、「本を書いてから会う」という選択肢は変わらずありました。その後、出発までに感情の中での幾度もの迷いを経て、最終的には私の心の声に添って動きました。 このようにすることがいいのかどうか分かりません。でも私の心がそうしたいと言っていますから、私は私の心の声に添うのが一番いいのです。
11時ごろから外出。今日は、ニャチャンの観光地の一つになっているダム市場まで散歩する計画を持っていた。 行くとき (シクロに乗ろうか) と思ったけれど歩いてみたら近いもの。街中を歩いて40 分で着いた。 市場の入り口あたりは両サイドから円を描くように小さい商店が並び、その真ん中に市場本体があって一見 「ドーム」 のよう。店先に腰掛けている売り子さんたちはベンタイン市場のように声をかけてこない。ドームの中は2階建てになっていて上に上がると全体を見渡すことも出来た。品物の値段は、私のガイドブックには通常の3倍と書かれていたけれど、私の見たところではそのような印象は受けなかった。 帰りは雨に打たれながら海岸を歩いた。雨粒は大きくて強かったけれど雨も海も同じ水だと思うと気にならない。いつもより茶色い波をざぶざぶけって歩いた。 昨日人々が掘っていた1メートルの穴は、今日はもう50 センチくらいに縮まって、大きなヤシの木が一本、私の通り道を塞ぐように横たわっている。 砂浜はいつも、前の日とは違う形になる。ううん、砂浜だけではない。自然はいつも前の日と違う形になる。私達もいつも前の日とは違う形になる。 1秒先は、1秒後には今になり、もう1秒後には過去になる。
家に帰り着くとすぐにパソコンを開いた。それからこんな言葉を打った。
自分にていねいに出来るっていいなぁ。自分を守れるっていいなぁ。 自分を守れるということは、今以上自分を傷つけずに済むし、人をも傷つけないことになるんだ。 危険な目にあっても、自分を守るということをしていたらそれ以上傷つくことはないんだ。 そればかりか、自分を守ることが出来ているという能力が全身に染み渡るんだ。 なんてステキなことだろう。なんてステキな私だろう。 私は自分を守ることが出来ているんだ。すてきなMamõ ちゃんだ。 貝になってみてよかった。
2008年12月26日(金) |
もっと Mamõ ちゃん |
傷口を掘り起こして落ち込み。相手の方から出てきた単語に反応して、まるで小さな赤ちゃんのようになってしまったから仕方がありません。捉え方にずれがあることを伝えることすら出来ませんでした。 落ち込みの直接の理由は、「今度はこうしよう」と決めていたことがあったのに、それが出来なかったからです。自分よりも他者を肯定しようとした自分も歯がゆくなりました。そして過去にいつも抱えていた衝動的な思考が浮かび上がってきました。 でも、今日はそんな自分を自然に受け入れたからでしょうか。「これではいけない」とか「これは変だ」ということが分かり、まもなく自分が安心する言葉を捜せるようになりました。 「伝わらないんだ」という言葉を見つけたときホッとしました。そののち意図的に「伝わらないこともあるんだ」という言葉に切り替えました。人は私と同じようにいろいろな面がありますし決め付けてはいけないからです。 言葉探しの発想は、きっと数日前の経験が生きたのでしょう。
安心したら次の方法を見つけました。伝えるということに疲れたときは何も言わないということをすればいいのです。
よしっ! Mamõ ちゃんはもっと能力を意識して決めたことが出来る自分になりましょう。出来るかどうか分からないけど、どこまで出来るかしてみればいいのです。考えてみれば、仕事をしていた頃はたびたび社会の言葉に巻き込まれてトラウマを癒やすのに忙しい日々でした。毎日のゼロの状態に戻るのに急がしくて自分を楽しむという時限まで到達するのが大変でした。比較してみると、今はあの頃よりも成長しています。 Mamõ ちゃんはやっぱり成長しているのです。だからこれからも出来るでしょう。
午後から空が明るくなってきたので、散歩しました。夕方も散歩して昨日の分歩きました。 ここは海があって静かで適度に都会で外国の人がたくさん居て本を書くにもいい環境です。だから本当は帰国までをここで過ごしてもいい気持ちになりました。でも…それにはコンタクトレンズが足りないのです。それに Cuchi の様子も中途半端なので、荷物の整理をしに帰ろうかなぁということです。 夜、サイゴンまでのデイリーバスチケットを買いました。 来るときは寝台バスで夜の景色を眺めましたから(夢の中で…)今回はデイリーバスで昼の景色を眺めたいのです。帰る日は新年1月1日ですが値段はいつもと同じでした。 ちなみに、ダラットにも住んでみる計画でしたが、先週そちらへ行ったベトナムの人の話によると激寒らしいので、止めにしました。
目が覚めたら8時でした。今日は一日中雨模様で、時には雨粒が部屋の窓を激しく打ちました。 数日前に長袖のシャツを買って2日間着たのですが、両脇と袖口がほつれてきました。 着てすぐにほつれてくるのは2着目です。安いからいいですし、ズボンの真ん中じゃなくてよかったなぁと、着るときも脱ぐときもそおーっと動いて、ほつれが広がらないように気にしています。
2008年12月23日(火) |
Mamõ ちゃんにできること |
昨日あることを試みました。それは他者の言葉に傷ついた自分を私に傷つくことを言った当人に伝えるということをしたのです。 相手の方は最初「ごめんね」と言ってくださり私は安心しました。私の心はトラウマを受けとることになった当人に肯定され、トラウマは消えました。けれどそのあと最初の言葉とは反対の意味に当たることを言われたので、「ごめんね」の効果はなくなりました。 残ったモヤモヤは1日経ってようやく、「その人はそのようなことを言うことがある人なのだな」と捉えられるまでになりました。この言葉は私を含めた誰にも当てはまると思いますが、このように思えたときスーッと楽になりました。それと同時に、今まで私は自分を傷つけた人の言葉を肯定しようと努力していたと解りました。こんなときは少しでも相手を肯定すると自分を否定することになって、自分が辛くなるのです。 今日のことは、心のことを勉強し始めてからのち、自分が傷ついたときどのように相手に伝えるかを試行錯誤してきた私にできたことの一つです。
いつ頃からでしょうか。私はこのような経験をした時に、私が自分よりも若い人にこのような告白をされたらどうするだろうとイメージするようになりました。誰かが私に「あなたの言葉に傷ついた」と伝えてくれるのです。私の答えは一年くらい前からだいたい一定するようになりました。 私の場合は「そんなことを言ったかもしれないねぇ」です。理由は、私は自分の語った言葉とその時の気持ちを100%覚えている確立は少ないからです。そのことが済んだことで私の動きを直接左右するものでなければ、それでいいのです。 それよりもその方が私に訴えているそのままを肯定されることで私とその方に広がるプラスを想像すると…。 目の前にいる方の純粋さに私のそれも引き出されるでしょう。肯定されることの楽は次の発展をも生むでしょう。私の心には、人を傷つけることもある自分を素直に受け入れた末の素直な自分が広がるでしょう。…このように、プラスのイメージは広がって最後はいつもワクワクしてくるのです。 もしかしたら、私にそれを訴える人は私を責めているかもしれないのに、その私はワクワクしているなんて、おもしろいなぁと思います。
肯定の先に見える心の財産が計り知れないことは、私が私を肯定することで保障済みなのです。と今日もまた、自分に出来ることを発見して、「いい感じだなぁ」と思うのです。そしてこのイメージは素直で Wonder な Mamo ちゃんにこそ出来ることなのです。もちろん、言葉を選んでていねいに語る私を育てることも私に出来ることの一つです。
お昼ご飯に、昨日目に付いたレストランに入ってみました。ところが食べ物をオーダーしてしばらくして左右の足がかゆくなりました。それから両手もかゆくなりました。よく見ると私右にも左にも蚊が4.5匹。「ひゃ〜」ということでお店の人に知らせて席を移動しようとしたらそちらにも蚊が舞っていました。 お店の人が蚊取り線香を炊いてかゆみ止めのスプレーを持ってきてくれたので元の位置に座りました。お客さんは8人居たのに刺されているのは私だけのようでした。不思議に思って観察してみると、皆さんは白い服と白い肌で窓際に座っていました。私も肌は白いですが黒と紺色の服を着て竹やぶの傍に座っていたのです。全部で10ヶ所。薬を塗ってお線香に守られてご飯を食べ始めましたが、あちこちかゆいうえに蚊はまだ私の視界に入ります。又刺されないかしらいう思いもあって落ち着かない自分に気がつきました。「食事をするということをする」ことで得られる心の満足が小さくなるのはいやだったので食べかけのまま持ち帰りにしてもらいました。 一部始終を他のお客さんが見ていたので、私は皆さんと目が合いました。 「かゆいよぉ」「いやだよぉ」「こんなに刺されたよぉ」をそのまま表現した出来事でした。
2008年12月21日(日) |
ニャチャン で カット |
今日は計画がありました。それは髪の毛を切るということです。 お店の若い女の子に 「これくらい切ってください」 と言うと女の子は 「どうして?それはきれいじゃない」と言いました。短くなればいいことですが 「どういうのがきれいなの?」 と聞いてみると手で説明してくれました。私は形にこだわりがないので「どれもいいです」 と伝えました。 切り始めてわかったのは、女の子のはさみを持つ手つきがおぼつかないことでした。切る前に髪の毛を濡らしませんし、はさみの切れが悪いのでしょうか、(あいたたた。大丈夫かなぁ??) です。 でも、私よりも上手なことは確かです。心の中で (私を練習台にしてください) と言いました。切り終わってから、右左の長さを二人で一緒に確かめました。 短くなった髪の毛を結んで海に行きました。波は今日も浜の砂を混ぜて高くしぶきを上げました。天気がいいせいか、景色が澄んでみえました。 向こうの島は今日も美しいです。でも今日は、(あっちに行ってみたい)と思いませんでした。なぜなら、島を見に行くよりも楽しみなことを見つけたからです。それに、ツアー会社を何軒か歩いているうちにすっかりその島を見てきたような気持ちになって満足してしまったのです。きっと 「遊んでいいよ」 と自分に言ってあげられたからだと思います。
2008年12月20日(土) |
Mamõ ちゃんと、おかあさん |
ご飯を持ち帰りにしてもらって帰り道のスーパーで買い物をしました。 私は今日、昨日このスーパーで買った短パンを履いていました。半パンはもしかしたら男の人のトランクスかもしれないのです。いや、きっとそうなのです。でも男の人のトランクスを女の人が短パンにするのは Mamõ ちゃんの家では Good Idea です。 買い物のあと海岸に行ってご飯を食べました。それから海岸を歩きました。今日は半パンを履いているから、いつもより海側を歩きました。耳にはIC レコーダーにつながったイヤホンが付いていました。 砂浜の上下が激しいところに来ると、押し寄せた波が隣の波とぶつかるようにして、その度にもっと大きな波しぶきが上がりました。しぶきはついに私の上半身にも飛んできて、「ひゃぁ〜」と声が上がりました。耳にかかっているイヤホンが無事だったか確認して、それから(おもしろいなぁ)と思いました。 少し歩いているうちに、本を書くより遊びたがっている自分を発見しました。あちらに見える島とかバスに書かれた行き先とか、やはりいろいろと思うのです。それで今は 「遊びたいけど本を書かなくちゃ」 になっているのです。 それがわかったら 「自分を遊ばせてあげよう」 という気持ちになりました。ちょうど丸い石を見つけたので、上に高く上げて左手で捕まえました。 右手に荷物を持っているという理由で左手なのですが外れることがありません。(利き腕と反対なのに) と不思議に思い、しばらくしてからグローブをはめていたのを思い出しました。投げる高さがだんだん高くなっておもしろくなって…。
私と空との間でくるくる舞う石を見ながらこんなことも思いました。 「今までこんなに自由に、自分を遊ばせてあげたことがあったかな・・・」 次にはこう思いました。 「もっと遊ばせてあげてもいいんじゃないかな」。 「飽きるまで遊ぼう」 このように思う私は何かに守られている気持ちになりました。意識してみるとその何かは 「おかあさん」 でした。広い海を見渡して「ふぅーん」と納得しました。でもそれは、自然に守られている感覚とは少し違いました。 それなら「おかあさんって、だれ?」海?空?山? まもなく答えがわかりました。それは私自身でした。私が自分を自由に遊ばせてあげられるようになっていたのです。私の思いは再び 「今までこんなに自由に自分を遊ばせてあげたことがあったかな」 に戻り、今度は深い満足を味わいました。
しばらくして、海岸の木の下から1メートルくらいのところまで登って座りました。(経験談ですが、高いところまで登るといつも、どこからが人がやってきて止められるのです) 木の上から遠くに見えるいくつかの島を見ながら「気になるところには行ってこよう」と思いました。私は今、あちらに見える4つの島に何があるのか知りたいのです。 10分くらい木を背もたれにしていたでしょうか。急ぎ足で家に戻りシャワーを浴びてパソコンを開きました。 思いついたことをする。浮んだことを打つ。方向が決まったら「するということ」をすることです。
夕方、海の向こうの島巡りのツアーを探しに行きました。
6時半、目が覚めたらお空が快晴でした。こんな日は目の前の海に遊びに行きたくなっても仕方がないと思います。でも、私には海に行くよりも仕上げたいことがあるので、起きてすぐにご飯を食べました。7時過ぎにはパソコンを開いて…。 そうです。「早くに作業を始めて、気温が上がったお昼ごろに海で遊ぼう」という計画です。12時すぎ、丁度いい頃飽きてきたので海岸に出ました。 天気がいいので写真を撮りました。砂浜に座って遠くの島を眺めました。それから砂のトンネルを作りました。トンネルの道は下に向かって掘っていくと壊れにくいことを発見しました。向こうの出口は過去で、こちらは未来。私は今未来に向かう道に座っています。トンネルの中に居たのはいつの時代かしらと小さななぞなぞも浮びました。
出来上がったトンネルの傍に座って波を眺めました。頭の隅に汚れ物の洗濯をホテルで頼むかどうかがあったせいでしょうか。高く上がる波しぶきを見ているうちに洗剤の泡が浮んできました。アブクの中の足を見ているうちに、足がきれいになっていくようでした。 家に帰ってから、お風呂のバスタブに石鹸を入れてジーパンをジャブジャブ洗いました。
朝6時起床。8時ごろからまとめ。 昨日は日中テレビを付けていたけれど、今日はその音を消した。 静かな空間で、「本」の未来に思いをはせると新しい考えが浮んでくる。 私は雑踏の中にいたのかな。
食事の前には海岸へ散歩。波を見ているのが好き。 外は今日もうす曇。海岸に人はまばら。 茎ワカメ色を薄めた海の色はオフシーズンの証だと、今日知った。 でもシーズン中に来ていたらホテル代はもっと高いし外もにぎやかなことだろう。 本を書きに来た私にはちょうどいい環境。
寝る前にも少しまとめの文章を読む。 「してきたことがここにあるんだな」 そんなことを思ってパソコンを閉じる。
夕方停電になったので、PC の中の電気がなくなるまでまとめをして、それから海岸に出ました。 海岸は永遠に続き、海の向こうには山がいくつか重なって見えます。こちらの岸からその山までロープウェイでつながっているようです。きっと、ロープウェイの先にはガイドブックで読んだ某ホテルのプライベートビーチがあるのでしょう。 海の色は私の乗っていた車の茎わかめ色を薄めたような色で、砂浜からでは水の中が見えません。 波は向こうのほうからすーっと寄ってきて浮かび上がって丸く盛り上がり縄跳びの縄が上から回ってくるようにして降りてきて、最後は白いあぶくになります。これは自然に起こっていて、サーフィンをする人はその輪の中に入ってて…。波と一体化したときには何が聞こえてくるのでしょう。 そんなことを考えているうちに、波の中に入っている自分が浮んで、それから不思議な気持ちがしてきました。 何と言いましょうか。自分がその波に守られているような気がしてきたのです。やがてその思いは花に草に山に空に、地球から宇宙全体に広がりました。私は無限の宇宙に生きる一つの命です。自然と共に生きています。 日が暮れて風が冷たくなっていましたが、波に包まれたあたたかさを感じました。
朝6時半 NhaTrang に到着しました。 昨日の出発のときからいろいろと楽しみましたが、一番楽しかったのは本日夕飯を買いに行った帰り道の出来事です。 ホテル傍の曲がり角に来たとき、耳元で「*****!」と大きな声がして、本当にびっくりしました。私のびっくりはそのまま、いつもよりも大きな声の言葉になりました。それから、驚いたとき思わずするしぐさのように手を胸元に当てました。 声の主はベトナムの男の人で、その人も 「お〜びっくり〜」 ともちろんベトナム語で、けれどその人は “〜” のマークのとおり、遊んでいるように笑って通り過ぎました。私も続けて歩きながら 「びっくりの時はやっぱり日本語だ」と思わず出た自分の日本語に納得しました。 話はここまでですが何が面白かったのかというと、過去の自分と比較して今日の自分の反応がおもしろかったのです。
HCM 市に初めて一人で来たとき、今日と同じように目的の場所を探して道路を行き来しました。実はそのときも今日と同じようなことがあったのです。 でも過去の私は「男の人が私を驚かした」とか「私は男の人にからかわれやすい」とか思って「からかわれないように、ちゃんと歩こう」と自分に力を入れたのです。それなのに今日の私は、びっくりをそのまま言葉にした自分を笑ってその場を通り過ぎたのです。それから付け加えになりますが 「あの人もびっくりして言葉が泳いだんだ!」 と今度は自分にふざけて言ったのです。 ですから、過去から比べて楽になっているその変化がおもしろかったのです。そして今日楽しめた自分のおかげで過去のトラウマも取れたのです。
つまり、いつも楽しんでいいということですよね〜。
朝ご飯のあと外に出たら、生まれて一ヶ月と少し立った子犬の赤ちゃんが外に出て遊んでいました。少し前から、子犬たちのお母さんはもう、一日中子ども達の前にいることをしなくなっているのですが、子犬達は皆自分達で遊んでいます。犬の赤ちゃんも愛で満たされたら、辺りを冒険することができるようになるのかしら。 私が近寄ると私の手を噛みに来ます。「遊びたいのだねぇ」と彼らのするままにしていますが、まだ歯が生えていないので人間の赤ちゃんと同じように「歯の生え始めで、かゆいのかしら。 と子犬の成長も楽しんでいる Mamõ ちゃんですが、今日からしばらく Cuchi を離れるので、今度帰ってきたときにこの子犬たちがどのようになっているのか楽しみにしているのです。
午前中は荷物の整理をしました。再びバックパッカーに変身でパソコン持参は前回と同じですが、今回はパソコンを入れる手提げを買いましたから荷物は前と後ろに二つです。
又、気の向くままの旅。私はいつも「自由に生きる私を全身に感じられる旅」を重ねます。
午後、家の庭で友人のお姉さん夫婦と野球ごっこをして遊びました。二人とも始めての遊びだと言っていましたが、私のバットをブン!と振りました。お姉さんの夫は(二人とも私より年下ですが)途中から真剣な顔になって田んぼのずーっと向こうまでボールを飛ばしました。田んぼは草が生えていて泥になっているところもあって履いているのはスリッパで、おかげですぐそこに来たボールにも手が届きません。1回だけ山なりで飛んできたボールがグローブに飛び込んでくれましたが、ボールを追いかける私の姿はきっと「ドジョウすくい」だったことでしょう。
田んぼの中に直径1メートルくらいの穴が開いています。これは大きな木を切り抜いたために開いた穴です。残った根っこはその3メートルくらいを地上に顔を出して八方に広がっていますから、手が回らないくらいに大きな木だったことでしょう。 今日、その穴をぴょんと飛び越えて遊ぶ私にお姉さんが木を切った理由を教えてくれました。木が切り抜かれたのは私の使わせていただいている部屋を作るとき。つまり切り抜いた木を板にして、私が毎日寝ている床に使ったと言うのです。毎日上り下りする階段も手に触れる壁も全てそうだったのです。自分が寝ている木の板が少し前まで庭の木として生きていたなんて想像も出来ませんでしたから、本当に驚いて歓声を上げました。改めてこの部屋に自然のあたたかさを感じました。私が9時過ぎると眠たくなるのは、きっと自然の木の眠りに導かれているのでしょう。 日が暮れかけた頃、3姉妹と私で散歩に行きました。赤土の道で手をつないだり、ベトナムの人の歩き方・アメリカの人の歩き方・日本の人の歩き方などなど、面白いことをしました。最後は友人が犬の歩き方をして大笑いになりました。 日本の歌を歌ってと言われましたが、ベトナムの歌は浮んでくるのに日本の歌が浮んできません。ベトナム語が話せるわけでもないのに、頭が歌に切り替わらなかったのです。 まもなく日が暮れて辺り一面真っ暗になりました。通り過ぎるバイクと少し離れた民家以外は電気がありません。道幅が ところが小さい道に入ったとたん、黒い闇に舞う小さな光が視界に入りました。蛍です。田んぼの中に数え切れないくらいの蛍が飛んでいたのです。その可憐さに又、歓声を上げずにはいられませんでした。
こんな一日を通して、私はそうしている自分を見ることを意識しようとしていました。「意識しようとしていました」なので「意識していた」とはすこし違うのです。 田んぼの中でボールを追いかけた自分、姉妹のような女性に囲まれて冗談を言いあったりふざけて触れあって遊んだ自分。実は、今の自分がどこまで自由に楽しめるのかを知りたくて意図的にその環境に自分をおいてみたのですが、「意識しようとしていました」になったのは時々チャイルドが顔を出していたからです。そしてそれが解ったのは夜になってのことでした。ついでに、ここ数日「意識するということ」が「お行儀よくする」という感覚になっていたことも知りました。ですから今夜は、「お行儀よくしなくていいよ」と自分に語ってあげました。そうしたら、心がぬくぬくしてきました。 もうすぐこの環境ともお別れですから、私は今、ここに居るから出来ることを探しているます。いつもプラスを残していくのです。
今日は NhaTrang へ行く寝台バスの予約をしに HCM 市に行きました。 月曜日の夜8時半のバスに乗ると火曜日の朝6時に NhaTrang に着きます。 夜の道を走るので外の景色は見えませんが、私が寝ている間に行きたいところまで運んでくれますし、夜のうちにバスに乗れば早朝のバスに乗るために市内のホテルで一泊する必要もありませんから時間も値段も合理的なのです。それに、寝台バスなんて生まれて初めて乗る乗り物なのです。 HCM の町は、クリスマス模様に変わりつつありました。ベンタイン市場前の広場には白い世界を形作ったモニュメントのようなものを準備して、お店のマネキン達はサンタクロースの服を着ていました。 でも、雨季が終わって蒸し暑くなってきたせいでしょうか。私には暑い国ベトナムと雪国の世界を合わせるには無理があるように思えるのです。世界共通の「新しい年」を喜ぶのとは違っているようにも思えます。額の汗を拭く視界に入ったマネキンさんも三角の帽子をかぶって暑そうに見えるのです。ここは、雪とは無縁の国ですから、きっと商戦に載せられているのでしょう。 それを知っている私は、南国の白い世界に嵌らない大人を生きているのだなぁと、汗を拭き拭き心の満足を感じました。
今朝は、布団の中でうつらうつらしていたら8時になってしまいました。こんな時間まで寝ていたのは初めてですが、こんな時間までゆっくり出来るようになったという見方もしました。なぜなら、今週に入ってから毎朝4時頃のニワトリの泣き声に気が付かなくなっていたからです。そんなことを回想したのも起きたての布団の中ですから、「ゆったり」とか「のんびり」とかそんな言葉も浮びました。心が成長した分だけ「ゆったり生きる」を楽しむことができるようになる、と自分の経験を通して感じています。
夕方、Cuchi の郵便局のポストから、日本に居る子ども達に向けて手紙を出しました。これで私が暮らした場所から一度ずつ手紙を出したことになりました。 最近、夜9時を過ぎるとまぶたが重くなります。朝は自然の目覚ましで6時半ごろには起きますが、この頃は自転車にも乗らず、素振り以外運動とは無縁の生活を送っているのに、どうしたことでしょう。 一日中頭を使っているから、体よりも頭の方が休みたがっているのでしょうか。不思議なことですが、眠くなったら寝るということをするのがいいのです。
夕方、停電が来ました。Cuchi に来て初めての停電は 30分くらいですが、電気がない間も家のお母さんは月灯りの下でココナッツの実を割っていました。私は光のない夜空に浮ぶつきを指差して、「あそこに電気がある」と言いました。 都心に居た頃より回数が少ないのは人口密度が関係しているのでしょうか。 帰国が近くなって時の流れを実感するようになり、これから2ヵ月半の計画を立てました。それに伴って子ども達にもベトナム最終便になるかもしれない返事を出すことにしました。 浮んだ未来と未来を浮かべられる自分にワクワクしています。
夕方、大きな引き出しが一つ完成しました。そのページ数は約 200ページ。もう一度目を通す予定ですが 200ページを家で印刷することは出来ませんし消したり貼ったりの作業もありますので、明日も又、お目目と相談しながらコツコツ作業の続きです。 でも、今日はどういうことでしょう。一つのまとまりが出来たということが今迄で一番嬉しいのです。 きっと、このような気持ちを達成感と言うのでしょう。
家の中では、私はこの頃殆ど話をしません。ベトナム語の思考が働かないのです。でも、今はこれでいいと思っています。ちなみに、休み時間には豚さんや他の生き物達に会いに行きますが、彼らとお話しするときは日本語なのですョ。
今日は昨日から始めたアイディアを進めましたが、思っていたよりも大変だったのです。 午前の終わりにはベランダに立って、「出来ることをする」というところをもう一度確認しました。それから「この章では何を言いたいのかな?」と自分の意図を捜しました。 すると、自分は何をしたかより何を感じてどう動いたかが大切だということになり、まずはそれが伝わる方法ならどれもOKというところへ辿り着きました。 それで、午後からは今日のこと以前にしていた方法を再開しました。あっちをしつつ、こっちをしつつですが、「出来ることをする」ことが盲進を避けるための方法です。楽しんで出来ることが一番いいのです。 夜、自分は何を伝えたいのかをもう一度整理しました。書き出しているうちに、ワクワクしてきました。
夕べは早い時間に横になりました。 Cuchi という場所はホーチミン市のベンタイン市場からバスで70 分位です。私は一気に帰りたかったのでダラットからホーチミンを経由して直帰しましたが、遠出するには途中で休憩をしたほうが体にやさしいです。でも、おかげで朝までぐっすり眠ることが出来ました。 今日は、朝7時からまとめを始めました。 私の部屋はドアがないので、時々人が入ってきます。集中したいときには人々の動きに思考を遮られることがあります。でも今日は、人々は床に座ってキーボードを打つ私の前をつま先足で静かに通り過ぎていってくれました。 まとめは又少し方法を変更しました。「やっと変更できた」という表現のほうが正しいです。そうすることができたのは、私が私自身の人生の流れに乗れているからでしょうか。 その中で新しく決めたこともあります。でもそのことはもう少し整理してから書くつもりですが、自分がすることの理由を確認して歩くと今まで気付かなかった自分が見えて、次の Step になります。自分を知るたびに楽になるので面白いです。
2日間、ダラットで過ごしました。 到着当日は Hotel を決めて一息ついた後、ダラット市場周辺を散策しました。この土地はイチゴとお花と果物の砂糖漬けが特産品だったのですね。市場の中には砂糖漬けのお店が並んでいました。 2日目は、午前中スワンフォン湖を眺めながらミニホテルを数件見せてもらって、この町にも私が滞在できる安価なお宿があるのを確認して安心し、最後にホーチミンに向かうバスを予約しました。 午後はホテルでまとめをしました。 ホテルは今まで宿泊した中で一番高い値段です。小さなミスですが、長旅に背中のパソコンが重いのと日暮れが近いのとで Hotel めぐりを省略しなければならなかったのです。9カ月辛抱して過ごしたお財布からドル紙幣を出しました。当然設備もよく従業員さんも私を大切なお客様として丁寧に扱ってくれました。 ダラットの中心はバイクや人の数がホーチミン市より少なく、町の象徴のような湖の周囲はきれいに整備され、ごみも殆ど落ちていません。市場の中の売り子さんはベンタイン市場よりも静かで私のベトナム語がクチの人達よりも楽に伝わるので楽しめました。町の殆どは坂道ですが、適度な気候が手伝って、いい運動になります。
帰りのバスは、値段や乗り心地を比較するために日本の旅行会社を利用しました。車窓から見える景色はさえぎるものがなく、遠くに重なる山々やバナナ畑コーヒー畑など珍しいものばかり。殆どの民家の庭にコーヒー豆が一面に広がっていました。それから、日本のように三角屋根の家の集落もありました。 景色に飽きてきたら長旅に備えて昨晩録音した、本『インナーチャイルド』の一説を聞きながら過ごしました。「いつも本読みを…」の方法を探して浮かんだアイデアの一つです。Mamoちゃんのアイデアはなかなか好評だと、Mamoちゃん自身が思いました。 ちなみにバス旅行のとき、行きに乗った座席の列に帰りも座ると両サイドの景色を楽しむことが出来るのです。 私は、ダラットはホーチミン市より過ごしやすい場所だと思います。もしも私の子どもを招待するのなら、一番最初はホーチミン市よりダラットがいいとも思いました。 ただ、今は寒い時期なのです。Hotel で机に向かっていると暖房器具がほしくなります。夜になると町の人は皮のジャケットと毛糸の帽子と手袋をして歩いています。私も上着を一枚買いました。これからもう少し寒くなるようです。 3日目の今日は朝8時のバスに乗り、16時前にホーチミン市に着きました。 バスを乗り換え見慣れた景色を眺めていたら、「世界を旅することが出来る自分」が浮かんできました。いろいろとしたいことみたい場所があるのです。好奇心を持ってワクワクしながら、懐かしのCuchiへ戻ってきました。
行きの車窓風景 Hotelからの景色 中心の町並み 1本奥の道に並んだ民家 スワンフォン湖 帰りの車窓(バナナ畑)帰りの車窓 タイニン省の友人の家の前の道(ダラットではありません・・・) チョウチョ(黒いお目目が印象的でした)
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