「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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「死にたかった自分」 のまとめ。 文章が纏まるように整理しようとするけれどうまくいかない。当時のことを整理出来ていない自分を知る。今こそ蓋を開けたばかりだから、仕方がない。 纏めることにこだわると時間が足りなくなる予感。残っている文章を纏めるということを意識した。この時、私はきっと優先順位を選ぶことをしたのだろう。 過去の記録の中に、当時の自分が書いたと思える遺書の一部を見つけた。と言っても本当かどうか分からない。けれど私の感性が 「そうだよ」 と教えてくれた。整理を続けよう。 夜、少し早めにパソコンを閉じた。ベッドに寝転がって天井を見上げ、「自分は今、やさしい生き方をしているかな」と問う。 ここはベトナム。ベトナムにもひとつの社会がある。 周りの人と歩調を合わせて生きることならいくらも出来る。日本語や心のことなど自分の能力を利用して豊かに暮らすことも出来る。 そして私は、それらのものよりも貴重な私自身の心を一番大切にしよう。 独りで生きるということは、どこに居ても自分の信じるものを大切にしていることだと思う。心を基準にしたら、日本語もベトナム語も、道具の一つになる。私は今、自分を信頼して生きている。
新しい家が決まった。場所は12区。今の家の近くのバス停から40分くらいの距離にある。 今日は、前回家主さんと交わした言葉を文章にして確認するという丁寧の積み重ねをしてきた。 ベトナムの家庭に入る私。コミニュケーション手段は99 パーセントベトナム語だから、まるでホームステイをする気分。 引越しは約2週間後。本書きとベトナムの家庭の暮らしを楽しみにしている。
心友に案内されて1区の船乗り場から船に乗った。乗っている時間はわずか3分くらい。着いた先は4区。自転車で行くと15分位の距離を3分くらいで行ける。ここで貴重な体験をした。
昨日の夕方、出掛けようと玄関に降りたら心の父が立っていた。びっくりして言葉が浮かばない。久しぶりの再開。嬉しさよりも、日本に居ると思っていた人がすぐそばに居ることの不思議さのほうが大きい。しばらくは、時差ぼけならず土地ボケになっているような気分だった。 私は行きたいところがあったから、二人で出掛けて夕食を食べた。誰かと食事するのも久しぶりだけれど、それが心の父だとは…。 ひょっこり現れてくれた 心友 and 父 のおかげで、私にとって日本とベトナムはドアの向こうの距離になった。
朝6時、所用を兼ねて散歩に出た。曇り空で日差しは弱いけれど蒸し暑い。きっと今日は雨が降る。 歩いているうちに上着を脱ぎたくなった。この頃、着るもので暑さをしのげることを知ったから、上着の下はピンク色のスリップみたいなもの。日焼け前の白い肌と下着の紐とスリップの紐が重なった。自由になった肌にそよ風が触れて、思いのほか気持ちいい。 男の人の視線を気にしていた頃、肌を出して歩くなんて出来なかった。 でも、今の私は少し違う。服装や外見が人の視線を引くこともあるだろう。けれど、道を歩く自分に興味を持っていれば、それは小さな問題になる。
ちょうど昨日、性の傷をまとめている中でこんなことを思った。 日常は楽しく過ぎている。そして、傷ついた自分の時間はそこで止まっている。だから時々、トラウマ目線で判断しようとしている自分がいる。トラウマは長く持つほど呪縛になるという証明のようだ。そして私は、自分が何をすればいいか知っている。毎日、自分を解放してあげよう。自分に楽な方法を探してあげよう。愛する自分に、よりやさしい環境を提供してあげよう。 私は、傷を癒やしたぶんだけ自由になっている。昨日より自由な自分を感じている。
今日は壁と仲良し。タイルに足伸ばしてせっせとまとめ。小さい箇所を入れ替えると全体が纏まる面白さ、いつの間にか「読みやすさ」につながっていた。 夜、HPのタイトルが改めて視界に入った。自分は心の傷を癒やして独りの人として生きられるように時間を使ってきたんだと、自分のために生きた満足感が心に浸透した。 数日前にも、自分の中に似たような気持ちを聞いた。 「満足したョ」。それは「優合」について気付きを書き出し後だった。声の主はN1のチャイルド。彼女は心の叫びが声になるのを待っていた。 その時私は、「よかったね」と答え、それから安堵した。
今はきっと、半分来たところ。本のタイトルはHPのタイトルと同じにしたくなった。
今日は、人格のつながりを発見。満足感ひとしお。
正午過ぎから、歩き40 分バス40 分で、少し遠出。 バスはセンターから端っこに向かい、広くて車の少ない道を快速で走った。自転車だと1時間半くらいかな。お散歩には遠いけど、引っ越すときは自転車で走る。新居になるかもしれない場所。
昨晩ベッドの上で独り言を ICレコーダーに録音した。以前もしたことがあるけれど、当時は苦しみばかりを語った。今は違うことを語っている。自分の言葉に口元が緩んで、暗闇で何度も聞きなおした。朝になり、ICレコーダーの自分の声のテキスト化をパソコンに手伝ってもらおうとしたけれど、音声認識がうまくいかないのであきらめた。 日中は一日中まとめ。感じたことを大切にして一行一行丁寧に切ったり張ったりする中で、昨日より纏まった文章が出来ていくのが嬉しい。 首をかしげる文章も、何度も読み返していると、「こっちだよ。あっちだよ」 と感性が知らせてくれる。現実が少ないN1文章は全体の3割くらいになるのかな。 今月いっぱいはこの作業になりそうな予感。目は疲れるけど楽しい。それから、纏まったページの上と下に、今の気持ちを書いたらつなぎになった。初めてのことだから、あくまで “感” だけど、きっとそうだと思う。 夕方、一昨日の市場に買い物に行った。着いたら大雨が降ってきて、狭い路地が雨を避ける人でいっぱいになった。そのうえ、テントの屋根にたまった雨水が私の左半身にバシャン!と落ちてきて、左半身がびしょぬれになった。でも、雨は自然の水だから、気にはならない。 サンダルとパンツ3枚と上着とTシャツを買って全部で750 円くらい。こられをスーパーで買うと、全部で2500 円くらいだから、安く済んでよかったな。
目が疲れ気味。目の休養を兼ねてサイゴン駅へ行ってみた。駅はバータンハイ通りを歩いて20分くらいのところにある。 観覧用の時刻表には何種類かの列車の値段がある。ガラスの向こうには発車を待つ列車が止まっている。やっぱり乗りたいな。行きたい町がある。引越しすると駅から遠くなるから、今のうちがいいな。そんなことを思いながら構内を一周した。 それから、聞きたいことがあって案内カウンターに向かった。ところがこの時、私の中でハプニングが起きる。 持ち帰り用パンフレットの中の出発時刻が構内で聞いたものと違っている。カウンターの女性に声を掛けると、女性は顔を上げた。女性は私が全部言い終わる前に、「どこにいつ行きたいの?」と尋ねてきた。「明日ここに行きたい」。私は例えを使って答えた。始めて聞く単語なのか頭の中が日本語モードなのか、何度か聞きなおしてやっと理解する私。やはりパンフレットの記載と女性の話は違っている。パンフレットが古いのなら持ち帰れない。再び尋ね始めると、女性は私が言い終わらないうちに、彼女の持っているペンで私の持っているパンフレットをはじき、パンフレットは床に落ちた。それから「明日、○時。○ドン」。そう言って、用は終わったというように、椅子に座った。私は彼女の声を聞きとるのに一生懸命で弾かれたパンフレットを追いかけられない。ただ、「解りました。」と答えた。 他にも聞きたいことがあるけれど、この女性に聞く気持ちになれない。隣に座る別の女性に、今度は同じことが起きないよう、「私のベトナム語、解りますか?」と一言ずつ確認しながら聞いた。女性は私が言い終わるのを待って、それから答えてくれた。「ありがとう。よくわかりました」。伝える自分は、最初の女性を気にしながらの精一杯の反論だった。
床に落ちたパンフレットをまたいで駅を出た。けれど、数歩進んだところで今の光景が浮かんできた。そういえば、パンフレットをまたぐ瞬間に弾かれた時の戸惑いが心に触れた。私は乱暴にされたのではないかな。悪いことはしていないのに。 怒りが沸いてきた。と同時に自分の戸惑いを却下した自分も思い出した。このままではいけない。私はノートをちぎって自分の気持ちを書いた。
「あなたの説明はひとつもわかりませんでした。」 いいか悪いか解らない。大人気ないかもしれない。でも、たぶん言っても丁寧に聞いては貰えないから、紙に書いて渡した。それから、もう隣の女性にもう一度同じことを聞いた。 出口に向かいカウンターを背にして、心臓が高鳴る。悪いことをしたかな。でも、私は悪くない。いつもの3倍くらい大股歩きの気持ちで駅から出た。
帰り道に考える。怒りの原因。私が怒りを感じたのは、女性の行動が、子どもの頃母にされたことと似ていたからだった。 このあと考えたのは 「女性が私にそうしたのは何故だろう?」。けれど、しばらくすると、考える方法が違っているのに気付いた。 子どもの頃、痛い思いをするとき、いつも 「母はどうしてそうするのだろう。どうしてだろう」 と考えた。そして 「自分が生きているからいけないんだ」 と言い聞かせた。おかげで今も、腑に落ちないことがあると、他者がそうする理由を探そうとすることがある。だけど、やっぱりこれは違う。
他者は他者の行動をした。それに対して自分が何かを感じる。今回は怒りを感じた。“ムッ!” そうそう。これでいいはず。 “ムッ!”を瞬間にキャッチできたら、たとえば乱暴だけど、弾かれたパンフレットを投げ返すことだって出来る。または、男の人に体を触られた時、反射的に返すことが出来る。私はもっと自分の感覚を大切に出来ると、もっと自分を守れるようになる。
この国には、私の心を語れる人も居る。日本で経験しなかったような乱暴な人も居る。旅行に来ているときには、旅行者として大切にされる。それは、この国の貯金のお手伝いをする外国人だからだろう。長く生活すると違ってくる。マスクの中で 「どうして!」 と叫ぶこともある。だけど、旅行に来ている時にはない経験が出来るから、人生という旅のエピソードになる。 これからも、日々のきっかけを利用してチャイルドを癒やしているうちに、抑制することも切り替えも、もっと上手になるだろう。
こんなことを書いていて、一昨日のことを思い出す。一昨日のメモ書きにこの一節がある。
「怒り」 髪の毛をいじる癖。それは子どもの頃、怒りを感じまいとする自分が始めたことだった。 意地悪をされ、自己を否定されることへの正当な怒り。その怒りを、子どもの頃の私は、髪の毛をくるくるいじるという行為に変えて、感じまいとした。癖は大人になっても続いた。 こぶしを握り締めてみた。たしか、昔、このこぶしを壁にぶつけた。指の付け根はいつも赤くなった。 すぐそこに壁がある。握ったこぶしで壁を叩くように、軽くなでてみる。 その時、「ゆかり」が浮かんだ。 男の人は、私に乱暴をした。「ゆかり」はいつも怒ってたんだ。「ゆかり」、ごめんね。
その時、声がした。「Naokoさん、怒ってもよかったんだよ」。私の感じるものを肯定する人。ありのままを肯定してくれる大人。Mamo。 「私は怒ってもよかったんだ」。「私は今、怒ってるんだ」。始めて感じる感情。怒り。 泣いてばかりの自分は知っていた。けれど、怒りを感じる自分は始めて。きっと、子どもの頃最初に感じていたのは、ありのままを否定されたことに対する純粋な怒りだろう。 体から力が抜けた。それから、こんなことを思う。 「いろんなとき、怒りをそのまま感じていたら、私はきっと、人を殺した」。 私の変わりに、母への怒りを感じ続けてくれた人。「Alari」。「Akari」は母を殺そうとした。 それに、怒りは抑圧されると歪みにもなる。歪んだ自分は歪められた自分だったんだ。「あなたは悪くなかったよ。誰も悪くなかったよ。」
メモを読んだ後、あることが閃いた。 現実にメモを残したN1さんをチャイルドと捉えたらどうかな。チャイルドに怒りを許可出来た私。それは私の出来たこと。そして、今日の気付きにつながったのかもしれない。私はもっと自分を肯定して、いつも自分を見つめる大人に育とう。
サイゴン駅
夕ご飯を食べた後、外の空気を吸いたくなって散歩に出た。バータンハイ通りを10分歩くと、夜中まで開いている市場がある。前に一度行ったことがあるけれど、その時は開店前で、人は少なかった。今日は前回とは比較にならないくらいの混雑。 商品はどれも、ベンタイン市場とは比べ物にならないくらい安い。Tシャツは約 70円。靴は 650円くらい。食べ物と飲み物も売っている。私にとっては、ベンタイン市場よりもお勧めの場所になった。 今日は何も買わない計画。でも長袖のウェアに穴が開いたから、今度は買い物をしに来てみようと、ウォッチングを楽しんで家に帰った。
2008年09月17日(水) |
思わぬことが起きたら |
出かけた先で豆乳を買う。よく行くお店でおなじみさん。ところが今日は、お店の男の子は私に高い値段を表示し、私は値上がりしたという言葉の通りお金を渡した。傍にいたお母さんからお金が戻ってきたので、高値を言われたとすぐに気が付いた。 嘘を付いたの? 男の子と目が合った。男の子は苦笑いした。 事情を知らないお母さんが、「これはこの値段だよ」 とさらに私に説明してくれる。私が「あの子は私にこの値段だと言ったよ」 と言うと、男の子は又苦笑い。お母さんも苦笑い。こんな時のベトナム語は準備していない。 「君は、よくないことを言ったよ」 と言って、その場を離れた。 男の子は小学校低学年くらい。その子が人をだまそうとすることを知っている。大人をだませることを知っている。怒りよりも、気の毒な気持ちになった。私は、子どもは大人のすることを見ていると思う。子どもが嘘を付くのは、親のせいだと思う。 もしも、私の子どもが人に嘘を付いたとしたら、私はどうするだろうか。私は私の責任としてその人に謝るだろう。これはいい方法だろうか。他にはどんな方法があるのだろう。経験したことがないからわからない。あのお母さんもどうしたらいいかわからなかったのかもしれないな。 いろんなことは、自分を見つめるきっかけになると実感した本日。
夕ご飯は、春巻きの皮を買ってきて、野菜たっぷり春巻きを作って食べた。体にやさしい夕ご飯。ライスペーパーって便利だったのだなぁ。
“解離”と“乖離”の違いを調べると、必らず解離性同一障害という項目がいくつも出てくる。その病名を付けられた人々のHPをめくっているうちに心臓がドキドキしてきた。 ドキドキの理由は二つ。社会には、私の体験していたものと同じ経験を繰り返している人が居るということ。つまり自分は複数の人格を持たされていたという実感再び。ふたつめは、自分は、その事実を受け入れ、理由を探して心の傷を癒やしてきたという実感。N1と出会ったその後も、時に離れ離れになるけれど、過去より独りとして楽に生きている。だから、プラスの鼓動だった。
誘われるように、2004年頃の日記を開いた。「生きる」 ということを勉強し、よく生きる練習しながら生きている私が居た。「死ぬこと」を目標にしていた過去からの脱出作戦のようだった。 してきたことを全身に感じたくて、右手に刷り込んだ。ところがその後、いつもと違う感覚が沸いてくる。私はいすから立ち上がって部屋の中を往復した。こんな言葉が沸いてくる。「生きてるんだ、生きてるんだ」。生きている自分を実感しているようだけれど、いつもとは感覚が違っている。 そのうちに、言葉は口から出てきた。 ようく心を澄ませると、自分は 「“まだ” 生きてるんだ」 と言っている。そして私は、生きていることの驚きより安堵のほうが大きいことを感じてる。 つぶやいているのは 私ではなかった。死にたかった自分。 「生きてるよ。生きてるんだよ、尚子さん」。 「いいんだ。いいんだ」 「いいんだよ。いいんだよ」 私が安堵を感じたのと同じくらいに、 “まだ” は “また” になって、その後に “苦しくない” が続いた。「又、苦しくない」 知らなかった。約6年前に出てきたとき、過去よりも苦しみが少ないことを感じていたなんて。 そう。「生きていても苦しくないんだよ。そうなんだよ」。 やっと、「ごめんね」が言えた。
今夜の私、心地よさの中にいたのに、FBしちゃったの? 一瞬にして違う人になっちゃったの? 真実はどうか、わからない。 でも、解らないこともいい。わかっていることは、私はありのままの自分に寄り添ってあげると一番楽だということ。私に一番大切なこと。
テレビで自民党総裁選の街頭演説の様子を見た。それぞれの人の言葉と私の生活がリンクしない。見ているうちに、「私も国会議員になろうかな」という思いが沸いてきた。 昨年、若い人々が選挙に臨んだとき、当選して議員になった後にいろいろと勉強している様子を見たことがある。これこそ、全く新しい分野に違いない。難しいかもしれないしつまらないかもしれないけれど、CityBankのカウンターでベトナム語で話しかけられたときよりは簡単だと思う。 先日、「いつか、絶縁にしてきた実家に帰る日があるだろう」と思ったけれど、きっと私は、選挙運動を兼ねて帰るんだ。 でも…日本の国会議員になったらインドに行けなくなるのかな。いや大丈夫。それに、インドに行く為にはそのための資金が居るから。本を書いた次は、議員になろう…と本気でイメージしている Mamo ちゃんでした。
昨日より、ちょっと遠出。
帰りのバスの中から見た景色。 ガラス窓いっぱいに、永遠に広がる田畑。まるで、時間が止まっているかのように見える。しかし、木も草もその命を生きている。静かに息をして、明日の朝には違う形になる。 人々は、ハンモックの上で目をつぶる。その様子は時に、枝のひとつにさえ見える。 木の枝に揺られ、自然に寄り添い生きる。自然な喜び。 死ぬときに、ハンモックに揺られる自分が浮かんでいたら、その人は死を恐れてはいないだろう。きっと今、死の瞬間、人生の終わりを受け入れていることだろう。
私は今、どのように生きているだろう。 都会にはハンモックはないけれど、私は心にゆりかごを作ることが出来る。 宇宙の世界から見たら、人が一人死ぬということは、地球上の生物がひとつ少なくなるということになる。 生きた証を残したい。本を書くということは、私の生きた証をひとつ残すことになるだろう。
都会に戻ってきた。バスは停止することを知らず、人々はバスを追いかけて乗り込む。都会の人は急ぎ、急がされている。
バーデン山からの風景
午前中、Nグループの整理をしなおした。午後からはあるきっかけに巻き込まれて、まとめ気分から脱線した。それでも、Nグループは、引き出しの中に小引き出し7個。 Nグループと関わるとき、彼との会話が出てくる。家を出た日から今回まで、6年間閉じておいた箱を今開けた。そこにいるのは彼の言葉に傷ついた自分。その私は子ども達の母で、彼は子ども達の父親。私達はパートナーだった。 当時、防波堤という言葉を使った。 自分は、不登校していた子ども達の防波堤になろう。それが出来るよう、まず自分の防波堤になれるようになろうと、自分育てをした。あの頃は、自分の防波堤になることで精一杯だったけれど、出来た部分はあった。 今回、日本に帰れば、たぶんすぐに、似たような状況がやってくる。なぜなら、彼女達は家庭という箱から始まる一般常識の社会に生きているから。一般常識の世界に生きている人はみんな囚われているから。 今浮かんでいるのは、その自分をどのように書くかということ。私は元パートナーの言葉に疲れたけれど、彼は子ども達の父親。だから、言葉を間違えると、子ども達を混乱させることになる。しかし、私が今、彼は子ども達の親だからという理由で再び箱に収めるのは違うような気がする。閉じた箱を後で開くことは出来るけれど、それには少し制約がある。なぜなら、残した箱を開く前に、日本に帰るという現実があるから。 私が、当時のことを残したまま子ども達と関わるなら、再び自分の感情に巻かれ、過去に似たことを繰り返すことになるだろう。 私は自分が一番楽になる言葉を使いたい。傷ついた自分を書くだけでは、自分の発展にはならない。傷を癒やした部分では、言葉を選べる大人として、自分を表現できる。こうして書いている間に、当時の、家を出るという選択は、あの頃一番弱っていた自分に心を傾けることが出来たからだと実感する。そして今は、これからも、自分の未来につながる自分を育てたいと思っている。 そんな私は、この2日間、「Mamoって何だろう?」を思考の一部に置いて自分を観察している。Mamoとは、プラスをするということをする自分。そんな自分を見ているのは楽しい。Mamoとは、自分がACだと知っていて、古い習慣から離れ、心の傷を癒やし新しい心で情報を…と続いていく。形を残してきたのは、プラスをしてきた私だから。 新しい情報と言えば、一昨日日本のテレビ番組 『プロフェッショナル』 を見た。薬害エイズ訴訟の弁護士の一人がインタビューに応じていた。 「ひとつの裁判に勝つだけでは医療訴訟の根本にあるものは変わらない。国が変わらなければ…」。 その人の言葉は、自分の根底を知り、大人社会に違和感を感じる私と Link した。 私の本も、大人社会に何かを注ぐきっかけになればいいと思う。私は、人々の心に響く本を書きたい。 そして、その本書きは、「ぼちぼちしていけばいいかな…」という気分になっている。6年間の全てを書かなければならないのではない。ぼちぼち進めて出来た分を本にしようという気持ち。今を楽しんでいれば、私の心も満足する。そうか。厳しい文章に載らなければと自分を頑張らせていたんだ。やっぱり心の傷を癒やすのが先なんだなぁ。
私は今、今よりももっと楽な自分を育てている。いつも自分育てをしているw
考えが纏まった後は、動くこと。動くことをすると形になる。間に、用事をかねて2回散歩に出た。本のことを考えながら買い物をしたら、おつりの200ドンを貰えなかったことに気付くのが遅れた。しかし、本のことの方が大切だった。 丁寧に書くには、正しい情報を持っておいたほうがいい。ご飯を食べながら Web の中を散歩した。新しい情報をつかもうとする自分が面白かった。 1966 年私が生まれた丙午の前年には、つまり 1965 年には、「丙午追放運動」を起こした町があることを始めて知った。 私は、次の丙午の年に、新しい命が出来るのを制限する人が居なくなるか疑問を持っている。今も因習で苦しむ人はたくさん居て、信じる大人が居るから。「間違いだよ」と次の人々に伝えていけることは、作業の中の、ひとつの喜びになっている。 夜、パソコンで1時間くらい遊んだ。 したかったのは、夜中のひらめきをパソコンの中のボイスレコーダーで気軽に録音できるかということ。ボイストレーニングをして自分の文章を読み上げてもらった時には、いつもと違う感覚がした。声がそのまま文字になるのけれど、思わぬ読み取りをしてくれるから笑える。 しかし、つぶやく前にパソコンを開く準備は書くときと同じだから、ICレコーダーに入れたほうが楽だとつぶやいて、パソコンを閉じた。
ねえねえ、あのね、私は 「Mamo」だよ。でも、昔は、「N1」だったの。 今は自分にやさしく生きてるよ。触ってみて。ふわふわだよ。
今朝、向かいのパン屋さんでパンを買った時、「Binh mi khong、ある?」 と聞いてしまった。「ある?」 だけ日本語の声が自分の耳に届いて笑えた。でも、お店のおじさんはわかったみたい。 ベトナム語って面白い。Binh mi に卵をサンドしたら 「バインミー卵」。パンだけを買う時は 「バインミーない」。何も挟まないからだと思う。だから、上の言葉を全部日本語にすると、「パンない、ある?」 になる。ちなみに、何種類かある大豆の呼び方は「大豆黄色」「大豆黒色」「大豆青色」。簡略化されていて、外国人にやさしい。 今日は、終日書きモード。こんなに集中していたのは初めてだろう。文章というのは、読めば読むほど味が出るみたい。
「やさしい社会が出来るとき」 プラスの自分は感じたままに、自由に動く。だから、自由な自分は自由に遊ばせておいても大丈夫。その、自由な自分の足を引っ張るのは、心に傷を抱えたままの自分。傷ついた自分に寄り添い耳を傾けてあげると、自由な自分の足を引っ張ることが少なくなり、自由が広がる。 学校の教室で、社会で、一番ゆっくりな人に合わせることができたら、やさしい社会が出来る。私にも、自分の中の一番傷ついた自分に心を向けられる自分がいたら、やさしい自分が広がる。足を引っ張られる回数が減る分、プラスをしようと頑張らなくてもすむ。 そういえば、「これ以上無理だ」と思うことがあった。あの時自分は頑張っていたんだね。そして今はそんな自分を肯定している。真に肯定するとは、こういうことだと思う。 社会が傷ついた大人でいっぱいになっているのは、大人は大人同士で、今を否定するから。自分の今と他者の今を否定する。 「ない・でも・逆説」。少し出来ると、「もっと」。世の中には、マイナスの思考が溢れている。大人は、自分を肯定する方法を知らないことが多いから、仕方がない。 でも、大人社会でも大人どうしが、肯定しあえる社会があると、自分に心を向けられる。そして、自身に傷ついた自分も居ることに気付くきっかけになる。自分を変えるということを、楽に出来る。 そうは言っても、私もマイナスに巻き込まれることがある。それは、私自身の傷ついた部分が反応するから。こんなときは、そのものから目を剃らそうとしたり、逆に近寄りすぎたりする。自分に気が付けないまま他者を見ている間は投影だから、自分の解決にはならない。 私の中の傷ついた自分は、私自身を徹底的に否定した。この頃感じているのは、マイナスの自分に寄り添うには、より大きな、そしてより自然な能力が必要だったということ。それから、当然傷ついたままの自分を肯定できた分だけ楽だということ。 8月半ば、「メッキ」や「上辺の世界」を吟味していた頃、N1の人格を見ながら、「日本で勉強した6年間は、マイナスの自分と向き合う能力をためる時期だった」という見方もした。「時期が熟して今がある」という言葉も浮かんだ。しかしそれは、プラスの見方を探した結果で、同時に自分への言い訳ではなかろうかという思いも浮かぶ。プラスの見方が出来た自分を喜びつつ、自分観察した。 私が今の私をありのまま肯定できたら、他の何もかもをありのまま肯定できる。プラスの私が広がる。ありのままの自分を肯定するやさしい大人が集まれば、やさしい社会が出来る。私は今、そう感じている。
朝から外出。ネットで見つけたオフィスへ Viza を届けに行き、帰りに7区へ出張。昨日バスの中から見た景色をもう一度見たかったのです。 7区は、4区を過ぎてサイゴン川につながる、Kinh Te という川を越えた場所にある。記憶を頼りに自転車を走らせて、大きな橋の真ん中まで来ると、向こうのほうにショベルカーの先っちょが顔を出し、橋を降りて50メートルもすると、中央分離帯付きのきれいな道路が広がった。 道の向こうには空き地と、南国特有の大きな木が見える。この辺りは都会と自然が適度に共存している。昨日の感は当たった。今は7区が面白い。 きれいで走りやすい道を散策して、友人の家の近くまで来た。そろそろ引き返そうと辺りを見た時、分離帯のあるところは反対車線に渡れないことに気が付いた。道は永遠に続いている予感。まっすぐ行っても、たぶん帰る方向には行かない。仕方がないので、自転車を担いで、花を植えている分離帯を乗り越えて、来た道を戻った。 ふと見ると、来るときに通った橋が上にある。今度は、このまま行っても着きそうだけど、初めての場所は来た道を帰ったほうが無難に思える。もう一度、自転車をひっくり返して橋に上がる大きな段を飛び越えた。 目の前にサイゴン川の水の流れがある。夜は、橋のライトアップが水に反射してきれいなことも知っている。この町に住みたい衝動が沸いてきた。 再び橋の上まで来たら、橋の下に貸し家の看板が見えた。藍色をした外壁。一番上の部屋が開いてるように思える。私は7区に住みたい。三度、自転車をひっくり返した。 敷地に入ると、中からおじさんが出てきた。家賃は私の基準の5倍で、今は満室。外国人も住めると言ったけれど、残念ながら、お値が高い。 おじさんは私の相場を聞いてきた。「100万ドン」と言ったら、「とてもとても」というように首を振った。商談は成立しなかったけれど、見に行った自分が楽しかった。 私はこの場所が好きになった。広い空き地が10区にはない開放感を感じさせる。家探しに来たい。100万ドンという金額は、友人の家の家賃を基準にしている。今度はもう少し基準をあげてみようと思う。 しかし、住んでいる場所からは自転車で約 50 分かかる。半日仕事になりそうだから、友人の家に居候して捜し歩こうかなぁという案も浮かんでいる。
夜、外出から帰ると、私の部屋の階だけ水が出なくなっていた。フロアでは管理人さん達が集まって修理の話をしている。しかし、水は一晩出そうにない。お手伝いの女の子が部屋のシャワーを借してくれると言うので、お言葉に甘えることにした。 ところが、栓をひねって1分も経たないうちに水が出なくなった。あるのは 10 リットルのタライの水だけ。頭にはシャンプーの泡が…。「これはまずい」と、とっさに顔にも泡を伸ばした。水を流すときには体を縮めて、泡が一度に落ちるように工夫した。ベトナムの子達の水を汲む様子を思い出す。頭に流れる冷たい水が、気持ちよかった。 これで、バケツの水でも体を洗えるようになった。いろんなことが面白い。ほんとに面白い。
今日は外出モードだったから、まとめは3時間くらい。二種類の引き出しがつながらなかったのは、つなぎが二つあったからだと、昨日分かった。 違う角度から見た文章のどちらを使うかは、私の心と相談するのだよね。
川の先は1区 7区 4区 ショベルカーがいっぱい。開発の様子が面白い。 この先は7区です。
朝6時。ベッドの上で、上半身が「動きたい」と言った。 Ky Hoa 公園で壁投げ。帰りに、甘い豆腐やさんに寄ると、何時もと違う女性。一袋が何時もより大きい。値段も少し大きい3000ドン。 N1の文章のことが頭にある。過去の思考と今をはっきりさせて、まとめに入った。と言ってもパソコンが動かない日曜日。しかし、今日はいいことに気が付いた。つまり、パソコンも日曜日なのだ。「たまには休みたいよね」。パソコンに話しかけ、片手間に仕事をしながらまとめをした。
午後は約束があった。預けた Viza を受け取りがてら、先日すれ違った友人の家へ行くこと。家を出てすぐに、友人から 「もう駅に着いたよ」 と連絡が来た。一瞬、急ぎ足になったけれど、時間は約束の1時間前。私は散歩を楽しむつもりで早めに出て道を歩いている。天気もいいし、散歩は楽しい。自分の予定をそのまま進めた。 友人の家は、4帖とロフト3帖くらい。クチの生活を見たせいか、家の中にトイレがあるだけで、いい家だと思える。同居のベトナムの子は、トイレの傍にある水道水で食器を洗っている。こんな光景も違和感はなくなった。いろんな場所を見て歩いていることは大きい。それに、友人の家のトイレがきれいだったことも関係しているだろう。 私の場合は、食べ物や食器を洗う時、廊下の共同洗面所を使う。日本の男の子は、「よくあそこで料理出来るなぁ。すごいよ」 と言う。別の子は 「生野菜は食べないほうがいいよ」 と言う。そうは言っても、私は私の体ちゃんが食べたいものを食べさせてあげたい。体にやさしい生き方をする時、きれいな水があれば、洗う場所はどこも大丈夫になる。私は、行った先の国で、その国にあるものを利用して生きるほうが楽に生きられる。こんなとき、私の頭にはインドが浮かぶ。外で食べる野菜よりも自分の洗ったものの方がきれいなこともある。今では、廊下の洗面は私の台所になっている。だから、時々掃除もする。 この国の野菜、特にトマトには、白い粉が付いている。たぶん農薬だと思う。市場によっては、売り場に薬の臭いがしたり、洗っても薬臭さが残るものもある。食べるときに臭いがすると食べられないけれど、それ以外は、たいてい生で食べる。 いつも思うことがある。この国の野菜の農薬が、本当に人々が言うくらいに多いとしたら、この国の人はみんな死んでいる。きっと、新しい命も生まれていない。でも、この国の人は生きている。 健康寿命が低いことに食生活が関係あるだろう。けれど、健康を意識して生きることと被害を恐れて食事をすることは意味が違う。 生きた年齢とその人の人生の充実度も違う。行きたい国の飛行機の中で人生が終わるのなら、その人は喜びの中で死んでいくことになるだろう。 こう書いて、私は書いた本を持って乗った日本行きの飛行機の中で死んでも大丈夫かとイメージしてみた。しかし今は、せっかく出来たのだから、 せめて東京のとある駅で手売りしてからにしたいと思っている。でも、実際に書き終えて飛行機に乗ったときには、それもいいと思っているかもしれない。
友人の家では、ベトナムの女の子が水道水を使って、料理をしていた。水道水が料理に使えたらなぁと思っていたから、現地の人が使っているのを見て嬉しくなった。 そういえば、先日、日本に住む友人から 「氷は食べれる?」と聞かれた。こちらに住み始めた日本の人からも同じ事を聞かれたことがある。 私は越南してすぐの頃、暑さのあまり水道水を飲んでしまった経験があるせいか、氷のことは気にしたことがなかった。 結婚していた頃は、中国産の野菜は大丈夫かと気にしていたのに、人間は、経験した分だけ変化するのだな。
5月ごろ、文章遊びを楽しむ中で、自分の日記を、自分のためというよりは他者に向けた文章のように感じたことがあった。丁寧な表現や文体を意識するということは、つまりそういうことだと思う。 その時私は、自分のためにあるはずのものが、他者の存在が視野に入っているというのはどうかと疑問を持った。その日の自分を整理するだけなら、ノートやメモ用紙に書くだけでも十分だから。
この頃、自分の本は誰に何を言いたいのかを探しているうちに、5月の思いとリンクした。私は日記を UP する時には、人に向けて書いているという意識がある。書くときに頭の片隅で、毎回そのことを意識している。 本というものは、読む人が居るということが前提にある。本を書く人は皆同じだと思う。私の本も、自分の書いたものを読む人が居るという前提がある。5月の疑問は、これはこれでいいのだということになった。 どんな人に呼んでもらいたいかと浮かべてみると、最初は傷ついた心を持った人々が浮かんだ。それから、「大人」になった。 私は、社会の大人に自分の本を読んでもらいたい。 と、獲らぬ狸の…。狸を飼っている身で、つぶやく。
今日はいい日。いや、今日もいい日。でもやっぱり、今日はいい日。
この頃、蒸し暑い。まるで南国に居るみたい。クーラーと扇風機が競争する。暑いと、お腹に汗疹のような湿疹が出来る。頭髪の中も痒くなる。 湿疹は食べ物のせいかと生活を観察したけれど、やはり暑さと関係がありそう。痒いと汗疹だと分かって安心するけれど、痒みもないからちょっと不気味。関節の内側は痒いぶつぶつが出来る。これは痒いから汗疹に違いない。「海に行けたらなあ」が浮かぶ。でも本書きをしたいから。 時々、塩水で洗ってみようかと思うのに、シャワーの時間になると忘れる。ベトナムの人達はどうして汗疹ができないのかなあ。 頭髪の中が痒いのは、毛じらみじゃないかと気にしたけれど、これも暑さと関係がありそう。シャワーをまめに浴びるから、長い髪の毛がジャマくさい。短く切ろうかとも思ったけれど結べるほうが涼しいから、据え置き中。 でも、最近いいことを思いついた。シャワーのとき、髪の毛をUPに結んで地肌だけ濡らす。地肌が洗えればいいのだから、なかなかの名案。面白がって濡らしすぎて、ついに全部濡れることもある。 時々、暑さを忘れて、まとめに集中する。体がもぞもぞしてきてお知らせマークになる。そのあと、「あつい!限界!」という言葉が飛び出る。それなのに、足元はタイルで冷たいから靴下を履いている。ベトナムの人は不思議がる。 この間、寝る前にエアコンをつけた。寒くて目が覚めたら朝の4時。電気料金が100倍になった気分だった。「えーっ、ずっと付いてたの??」と自分に言う。全部、独り言。その声は、隣の人に聞こえないくらい、大きい。 大きいと言えば、ベトナムの歯ブラシは毛の部分が大きい。あんまり大きいから長さを測ってみたら長さ3センチ、高さ1.8センチ、幅が1.4センチもあった。初めて使ったとき、「まるでカバみたい」だと思った。それ以来「カバの歯ブラシ」と呼んでいる。大きくて使い辛いから子どもサイズを買ったら、今度は小さすぎた。初めて使ったとき、まるでリスになったみたいだった。いつもの3倍ブラシを回転させた気分だった。二つともシャワーのところに置いてあるけれど、最近はカバの歯ブラシを使ってる。だんだん大きさに慣れてきたなあ。どんなことも3ヶ月すると慣れるんだ。
今は、前髪を切りすぎて、ちょんちょんカット。最近はめがねで過ごすことが多いから、めがねをかけたわかめちゃんみたいになっている。 お腹は、一時期、珍しいものを食べ過ぎて、鏡で見ると愕然とした時期もあったけど、たぶん戻った。体重コントロールが出来るのは能力のひとつ。 今日は朝からジョギングした。昼は自転車で30分全力疾走した。全力疾走は、必要があってそうしたのだけど、いい運動になった。そういえば、足で羽を打つバトミントンがある。若い人も年配の人も上手で、ついつい見とれる。いつかはしてみたいスポーツ。 毎日楽しい。今日もいい日。今日は昨日よりいい日。私は少し大人になったのかな。身長154センチ。体重は生まれた時より多い。
なーんて、海で泳ぎながら書いたような本日のDiary。
朝ごはんを買いに市場へ。「お姉さん、何欲しい?」「お姉さん、朝ごはん食べた?」毎日の生活の為にある市場にウィンドーショッピングならぬ市場ショッピングはない。ウィンドーショッピングとは、時間のある人の楽しみの一つだと改めて知った。 最近は買い物に行くとき、買うものを決めていくことが定着しつつある。私の中の成長した部分。嬉しい。いつものようにマンゴを手にしたらそこに立っていたのは、もと研修生さんのご家族の一人だった。本当に、お知り合いが増えてきちゃった。 お昼になる頃、最初の章の一つが出来て、満足感を味わった。楽しみの延長でお昼を食べつつ、頭の中に次を広げて喜んだ。しかし午後からの作業は停滞。どうしても、種類の違う文章の繋げ方がわからない。思いつくことを書いているうちに行が増えていく。手を止めて読み返すと、だらだら書きになっていることがわかった。何かが違うのだ。 ここで、自分の全体を見ることを意識して、「起承転結」を勉強した。すると今度は、ある疑問が沸いてきた。私の「結」は何? 私はまだ途中…。ノンフィクションに「結」はあるの? 頭をシャッフルする気分で、もう一度、「振り出しに戻り」。 私の持っているものは何だろう。自分は何を言いたいのか。過去の思考になったら言いたいことはいくらでも浮かんでくる。しかしそれは、すでに引き出しに収められている。そのことを自分に言い聞かせて、そして何が言いたいのかを自分に問う。 文章にはメリハリも必要。自分のしてきたことを書くだけのものも違う。いや、それより、私は本当に、誰に何を言いたいのだろう。あ〜。 あっという間に夕方になった。もう終わり。買い物に出た。今宵は、昨日のように意図的にならなくても、心が「本書きモード」を求めていた。 家に帰りつく頃、私の「結」は「起」につながって、まーるい円になった。ベトナムで本を書こうと決めた自分と本当に書いている自分。でも、これ…いいのかな。今は、分からない。まぁいいか。
子ども達の手紙を出した。昨日は一人ずつ封筒を分けようかという案も浮かんだ。その思いを持っている自分を検証してみると、子どもの頃、一人の人として扱ってもらいたかった自分が居た。ということは、傷の中で考えていたことになる。届いた形で返すのがいい。ひとつの封筒にA4用紙約6枚。27,500ドン。 手紙は今回で2往復した。
家賃を払う。この2ヶ月、レートが安定している。 午後、Visaを持って、昨日の友人を尋ねて大学へ行く。 キャンパスで、スコールが去るのを待つながらご飯を食べたが、雨は止まない。手持ち無沙汰になって、ノートを開き午前中のまとめの続きを意識してみた。すると、今日は自分の世界に入れる。隣では友人が日本語の授業をしている。ベトナム語の雑談も笑い声も聞こえる。そして私は私の世界に居た。 実はこれは、最近意識し始めたことだ。作家の生活とはどういうものかと知りたいから。 「入り込む」という言葉があるけれど、入り込むとは、何をしているときも頭にそれがあるということか確かめたい。自分を作家に想定する。道を歩きながら、お風呂に入りながら、回想モードを意図的に引き出すことをする。すると出来るから面白い。今回は、道で出来るのだから大学でも出来るはずだと、笑える。
友人は、相変わらず「うちの家においで」と言う。彼女はベトナムの女の子と二人で一軒家に住んでいる。日中は二人とも出かける。冷蔵庫のない生活は出来ると分かった。台所があるから、お風呂のときはお湯が沸かせる。道上でも回想モードになれる。今日は、家賃を払ったせいか、気持ちが少し傾いた。
長い間放っておいた自分が居る。 「今までほうっておいてごめんね。気が付かなくてごめんね。」 チャイルドに会えたとき、いつも自然に出てくる言葉だ。今夜もそれはごく自然に、心から沸いてきた。 やっと出会えた。やっと、N1のチャイルドに出会えた。自分の変化が興味深い。楽しい。それに付随して、ここまで来ても分からなかった20代前半。一人目の結婚のこと。その出来事を持っていたのは、N1さん。…だったなんて。自分のことだけど、驚いた。まだ確信は少しだけれど、浮かんできたからきっと、そう。 まるで、土の中からつるに付いた芋が出てきたみたい。
Viza の更新を頼んだ日本人の友人が引越しをしたので、頼みごとついでに遊びに行くことにした。「せまいけどおいで」と言う友人宅への興味もある。 ベンタインのバスターミナルで11 時に待ち合わせ。時間より早く着いて辺りを眺めながら友人が来るのを待つ。約束の時間より少し前に、「ちょっと送れる」のメール。この国の“ちょっと”は私にとっては長い。それでも、マンウォッチングや回想を楽しんでいるうちに、あっという間に30分経った。 日本の友人は、「ベトナムの待ち時間は、1時間は4時間だ」と言う。時間に縛られて生きていた自分を思えば、その捉え方は楽だ。しかし待つ側の場合、それでは相手が主体ではなかろうか。今の自分は誰が主体かと自分に問うた。 さらに30 分。しかし待ち人は訪れず。流れはどっちに向いているかと自分に問う。いつも自分が主体のほうがいい。私も、本を書きたくなり、連絡を入れて家に戻った。 途中でガムを買おうとして、物売りの女性に値段を尋ねた。しかし高いから買うのをやめて、商品を置く。立ち去る後から女性の大きな声がした。振り向くと物売りの女性はガムを持って何か言っている。人々は私を見た。物売りさんは、「買わないのなら触らないで」と言っていた。 商売は面白いと思う。先日、バスに乗ったとき、「ここで降りたい」と言うと、若い女の車掌さんは舌打ちして、「次で降りて」と言う。私は嫌な気分がするうえに降りたい場所で降ろしてもらえない。こんな時は言葉の分からない私のトラウマになる。買い物をしてもご飯を食べても、気持ちよさや安心を味わった場所にはもう一度行きたくなる。丁寧や心地よさにお金を払うのはいい方法だ。 昨日クチでご馳走になった友人の料理は、又食べたいと思う。友人の丁寧な下ごしらえを見たからだ。丁寧さをお金で買ってもいいだろう。 自分も商売が出来るかと想像してみる。丁寧さが仕事になるのなら、丁寧にすることで自分も食べていけるのなら、よく生きることをする私にとっては一石二鳥だろう。私の丁寧を買ってくれるお客さんが居るのなら見てみたい。丁寧を仕事にする自分もいい感じだ。
2008年09月01日(月) |
クチの暮らし・私の暮らし |
昨日からホーチミンの端っこ「クチ」の友人の家に遊びに行った。 迎えに来てくれた友人のバイクに乗って、国道22号線を走った。家を出てから2時間後、すでに日は落ち周囲の景色は見えないが、中心地にはない静けさと虫の声が、広がる農地を想像させた。 今朝6時。家族の朝自宅で目が覚める。原っぱで草を食べる牛も家族で散歩する鳥も、私の中では当前の景色になった。その私に、お姉さんが声をかける。「豚を知っていますか?」 お姉さんの手の平には、調理中の豚肉が載っている。「豚?豚肉は知っています。でも、生きものの豚は、ベトナムでは見たことがありません」。 後半は冗談のつもりだが、お姉さんは豚肉を置いて、私をある場所へ案内した。「鼻をつまんで」。一晩を経過し慣れた香りに、改めて鼻をつまむ。 私達は四角いセメントの建物の前に立っている。この中に何か居るんだ。え?もしかして…。 扉が開くと、そこに豚さんが3匹重なるように横たわっている。大きさは、私の体の4人分。上に乗っかられたら起きれない。大きい!一瞬の想像に声が上がった。 お姉さんは少し離れた建物に行き、「これは私の豚です」と説明した。もうすぐ赤ちゃんが生まれる。お肉として売る為に飼っているそうだが、私が4人分の豚はいくらで売れるのだろうか。 たまたま家を建築中の家では、近所の若い男性と友人のお父さんがレンガをひとつずつ積んで外壁を作る作業をしていた。女の人達は、朝ごはんが終わると、お昼ご飯の準備を始めた。庭の草をとり、たらいの水で3回洗う。大きな豚の耳の毛をかみそりの刃で丁寧にとり、荒塩を刷り込んで揉み洗いする。ご飯自宅が整った頃、男の人達は高い塀の上から降りてきた。 役割だ。男の人は力仕事を、女の人はご飯自宅を。日本で昔から続いている役割が、この国にもある。 食事に、豚の耳をご馳走になった。ついさっき見た豚の耳とお皿に乗った豚の耳がLinkする。ここで暮らす人々は、生きるために生きている。 豚の耳はコリコリしておいしい。時間をかけて毛を剃る友人の丁寧さを思い出し、おいしさが増した。 食事の後はお昼寝タイムだ。ハンモックに揺られて空を見あげると文明社会が浮かんだ。昨晩はベトナムで始めての夜空に広がる星空を見て感動した。友人は 「いつもはもっと見える」 と言う。そう言われると、「もっとたくさん」 を見たい気持ちもわいてくる。しかし、私のしたいことは何か。 星空はきれいだ。木に揺られ花の香りも心地いい。だが、自然と戯れて喜ぶ時代は過ぎたのではないか。私は自然があることを知っている。そして、次を求めている。頭に、今こそ広げようとしている新しい世界が浮かんだ。 帰りはバスで帰る予定だったが、バスステーションの下調べを忘れた。家族の誰も知らない。中心に行けば分かるはずだが、「町の中心」の意味が伝わらず、最後は苦笑い。 家から2時間で来れる距離だ。バスで来ることもできる。国道22号線を友人のバイクで戻った。
ザクロ 「割る」と言われて、割ってみる。黄色い薄皮に囲まれた中に淡いピンクと透明の粒が並んでる。一粒の真ん中に薄ピンク色の種。まるで宝石が並んでいるみたい。その一粒をつぶれないように摘み取る。 かじると、しゃりっと音がして、甘酸っぱい水分が、口の中にこぼれた。
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