「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年08月31日(日) 自分を信じるということ

 「心をつなぐ」
 まとめの文章の大半は、Nグループの一人が、日本に居る間に「本を書くようになったら…」と書き溜めてきたものだ。8月半ばの数日間、私はそれを整理しようとして巻き込まれ、N1が現実を生き始め、しばらくの間、流れが変わった。
 N1は、毎朝能力のリストを紙に書いて取り込んだ。能力が全身にみなぎる感覚に感動し、もっと感じたいと人にも語った。否定された時には怒りを顕にした。
 これまでと同じ方法をとるのなら、こんな時はマイナスで「切り替え」をする。でも、私は今回、N1を、マイナスとひとくくりにすることが出来なかった。6年間してきた結果の今。これまでと同じにしていていいのかという疑問も沸き、ベトナムへ来てから後、いくつかの疑問を持っていたからだ。
 疑問のひとつは、「マイナスは本当にマイナスか」ということ。多重人格と言われているビリーミリガンの中には、「好ましくないものグループ」がある。ビリーの別人格が自ら分けたものだ。そのグループの人格達は、別人格に押さえ込まれたままビリーの中に埋もれたとされている。
 私の中にも「好ましくないもの」が居た。自分を傷つけることをしていたからだ。マイナスに足を引っ張られる時、私は立ち止まる。マイナスはマイナスになる。でも、その人格達はもともと、過去の虐待の中を生き延びるために存在した。過去ほど辛いことは起きない今もまだ、その自分が生きようとするのは何故か。私は、私を生き延びる為に居た人格達の行動・言葉の意味を探したかった。
 6年間の記録では、最初の2年間で、すべての人格はそれぞれの状態からそれぞれのレベルで成長している。そこには「あるがままを肯定する」がある。それから4年。N1は今までと少し違う。好奇心で動いている。そんなN1に好奇心も沸く。
 二つ目の疑問は、Akariの言葉にある。「現実に出ている時だけ成長できる。」。私自身も実感してきたことだった。
 私の経験では、他の人格の持っているものを知るのは、その人格が出ているときだけだった。6年間の後半は、プラスを生きていても他の人格のしたことが分かる方法を探した。能力も足りなかった。自分で思い出すことが出来ていれば壁は要らなかったという事も浮かんだ。それでも、私は今、自分の中に、自分を傷つけることをする「好ましくないもの」が居るとは思えない。
 私は、否定されて怒るN1にさえ寄り添うことを選んだ。

 N1は淡々と引き出しを開けた。白いメモ帳にはするどい感覚の言葉が並んだ。
 私はN1を見ながら、今までの自分は何だったのかと問うた。メッキとか上辺のことという言葉も浮かんでくる。今の自分を、二つの言葉でくくるには、してきた自分も嘘のようで、あんまりではなかろうか。
自分に否定されて埋もれたものは、過去の傷を疼かせて埋もれさせられたまま、そこにあったのではなかろうか。
 Akariの言葉の意味は、その自分も肯定してこそ、事実を知り癒やすことができるということではなかろうか。
自分は今、「肯定する」ということそのものをしようとしているのではなかろうか。私のしてきたことは社会の言葉とは違うはず。メッキやうわべとは違うことをしてきたはず。感性が訴え、私は信じた。

 数日を得た昨日、あることに気がついた。「命」だ。
N1の「自分探し」は、古く遡ると、母が自殺しようとしたときから始まっている。マイナスとくくってきたもう一人の私N1は、過去のその時から自分の「生」の意味を探している。それは、N1の打つ言葉の行間に、したためられている。私の足を引っ張ってきた人格の一人は、生きる意味を探している。「生」への執着はここから来ているのかと納得もした。ただし傷を抱えた分だけ間違った見方になりやすい。「生」は執着するものではないことを思い浮かべれば、はっきりする。
 けれど、切り替えて埋もれさせるだけでは同じことが起こる。子どもをいじめた自分は肯定の中で自分を見つめた。人を傷つけた人にさえ、そんな自分をも受け入れられる環境があれば、自分を見つめられると思うのは、誤った見方だろうか。
 私は今、迷っているようだが、迷いから脱している。私の感性がそれでいいよと言い、私はそれを信じているから。
 私は今、自分を信じるということをしている。


2008年08月30日(土) Simple

 昼過ぎに市場へ。家から一番近い市場では、この頃、私は日本人だと知る人が増えて、スーパーよりも高いことがある。 先日、日本の人達と3人で大衆食堂に行ったが、この辺りでいつもの 1.5倍 の値段になった。3人で話をしながら歩けば人々は振り向く。私達は日本人だとすぐに分かる。町の中心なら外国の人は多いが、この辺りでは珍しい。細い路地の市場にも外国人値段が広がる。一人で歩くほうが安いというのが感想だ。
 私は市場に行くと、値段が分かるまではマスクをしたまま黙っている。そうすると現地値段に出会える。面白い知恵だ。
 市場では、マンゴは1キロ7,000ドン。スーパーや知っている市場の中でも一番安い場所だから、私は今日も、うなぎのベッドを散歩する。
 
 子ども達の手紙に返事を書く。そのまま受け取りそのまま答える。その人の語った言葉の中で話をする。この練習が面白い。Simple が身に付けば、これからの私の財産になりそうだ。
 人間は時々、言い過ぎたり間違えたりする。そんなとき、大人は別の言葉をかぶせる。「大人は間違ってはいけない」と教え込まれたからだ。子どもは「あれ?」と自分を見る。子どもは、ありのままだからだ。どちらが楽かは、顕著だ。
 私も時々間違える。私は、今は、言い過ぎも言い間違いも認められる自分を、興味を持って眺めている。私はもっと自分を認められる大人になろう。それが自分に楽な生き方だ。自分も他者も大切にすることにつながる。


2008年08月29日(金) 全体

 種類の異なる引き出しが大きく二つに分かれる。どちらの引き出しを頭に持ってくるのか。

 全体の構成を考えていてあることに気がつく。
今まで、Mamo という人格は、自分の中の、孤立した自分だった。他の人格とは違う存在だ。だから、「別の人格になったときは FB したときだ」と言われても、ぴんと来ない。「何が?」という感じだ。
 しかし、どうやらそうでもなさそうだ。複数の引き出しの延長に私が居る。私は、全体だ。
 そうすると、「N」の引き出しも、他の引き出しの中のひとつに過ぎないのか。しかし傷ついた自分に気がついた原点は、あの引き出しの中にある。ゆえに、「N」の引き出しは、他の引き出しとは違う感がある。
 ひたすら書く時がある。「過去のことを書いているけれど、過去の思考で書いてはいけない。プラスの思考で書くこと」。この言葉を意識できる自分の存在は大きい。半年前とは雲泥の差の自分だ。この本は、私の本か「N」の本かと泣いた自分が懐かしい。
 Mamo の引き出しもそれらと同等なのか。いや、それは違うはずだ。
違うことを勉強してきた。6年間宇宙に居た形跡がある。

 最近、毎日が楽しい。日常はいつもと同じだが、自分の変化を楽しんでいる感がある。それゆえか、家探しも遠のくくらい、今の環境が好きになった。「ルームシェアしよう」とか「狭いけど家においで」と言葉をくれる友人達に、「今は書きものに集中したい」と伝えた。2月までに完成させて帰る。本を持った自分がそこに居る。ベッドに寝転ぶと、「こんなに楽しくていいの?」と、独り言が出る。
 
 夜、ある景色が浮かんだ。
それは、出来上がった本を、東京のとある駅で手売りしている自分だ。
足元に本が数十冊ある。立っている私の傍には、私が一番言いたいことを大きな字で書いた紙が貼ってある。本の厚みは…まだわからない。
しかし私はその駅で、ある場所に電話をする。


2008年08月27日(水) 感覚

 人々は毎回、市場に行ってその時食べるものだけを買う。冷蔵庫を使わない人々を見て、自分を見る。
 食事は何のためにするのだろう。改めて、別人格だったタケシの事が浮かんだ。
 子どもの頃、お腹が空いても食べ物をもらえなかった。
しかし、空腹の辛さにばかり心が行っていたが、お腹が空いていることの苦しみより、愛を注いでもらえないことの苦しみのほうが大きかったのだ。
タケシは、辛かった。そしてそれは私だ。
 こんな私に、新たな感覚がよみがえったのは午後のことだ。タケシのことがわかってから、私の中に沸いた新たな感覚。
体が欲しているよと言う。その感覚に添って取り入れる。辛いものや濃すぎるものは、体が嫌だと知らせてくれる。
 食事とは、食べたいものを食べたいときに食べるものだ。
栄養のある食べ物探しは、感じることの次にすることだ。
しかしそれすら、体の欲求に添っているうちは、おのずとバランスの取れた食事になっている。自分は今まで、なんと脅迫的に食事をしていたことだろう。
 私の中に新たな感覚が目覚める。この感動をどうやって表せばいいのか。
気付きとは、なんてステキなことだろう。
感覚で生きるとは、なんてステキなことだろう。
私はこんな自分のことを頼もしく思う。
体の真ん中からワクワクが溢れる。
この喜びを、どのように表現すればいいだろう。


2008年08月26日(火) 今日学んだこと

 朝7時半、食器を洗い終わった直後、町の電気が消えた。停電ではインターネットも使えない。公園に向かって自転車をこいだ。
 2時間ほど外出して帰宅する。しかし、家の前のホテルではまだ自家発電機が回っている。長丁場になりそうだ。公園には電気がない。カフェに行けばパソコンは使えるが、飲み物代がかかるうえに、クーラーで体が冷えるから長居は出来ない。電気も Wifi もある大学へ行ってみることにした。
 キャンパスに、環境は揃っている。しかし、まとめを開いてまもなく、人の動きが気になって考えが浅くなるのを実感した。切り替えて、子ども達への返事を書いた。前回は二人分だったが、4人分で封筒も膨らむ。送る方法を思案する。その後は、友人と話をして時間が流れた。
 3時ごろ帰宅したが、町の様子は同じだ。アパートの中は、冷凍庫の氷が水になって足元を濡らした。手を洗おうと水道栓をひねると、蛇口はカラカラ音を立てて水が1滴も出てこない。
 ベトナムの人の多くは、自宅にドラム缶のようなタライを置き水を貯めている。ここで生きる人の生活の知恵を実感した。
 私の部屋の飲み水は、樽の底から10cm。少ない水をやかんに移して買いに走った。しかし水屋さんにも水がない。このまま夜が来るのかと少し不安になった。すると、ベトナムの女の子が、「夕方4時か5時頃には戻るよ」と言った。
 部屋の窓から外の景色を眺めた。電気や水が止まっても、町や人々は動いている。小さな不思議が沸いた。女の子は電気が戻ってくる時間をなぜ知っているのだろう。私の頭には、昼間見た工事の様子が浮かんでいた。
 夕方5時。彼女の言う通り電気が戻ってきた。散歩に出ると、大通りの工事は終わっている。まるで、工事のために止まっていたような気分だ。
 アパートの前まで来ると部屋に明かりが見える。電気と水のある部屋にホッとした。
 もう一日が終わる。今日は一日つぶれた。こんなこともあると分かった。今日もいい一日だ。


2008年08月24日(日) 今日の続きの明日

 8時からまとめを始めた。昨日に引き続き、私は没頭している。
つなぎの文章が浮かばない。お手上げ気分で過去の文章を読んでいるうちに、使えそうなものをいくつか見つけた。
 私は自分に何を言いたくて本を作るのだろう。過去の状況をつらつら書くだけでは無意味だ。過去の怒りや悲しみを表すだけのものはマイナス効果とも言える。世の中は情の世界だからだ。
 私は自分に何を言ってあげたいのか。「あなたは悪くなかったよ。自由でいいんだよ」
何をまとめるのか。「文章をまとめるのではなくて、心をまとめるんだよ」
 そうしているうちに、もうひとつ引き出しが浮かんだ。
今度は「自分に言葉をかけてきた自分の引き出し」を作るんだ。

 お昼前、ベトナムの友人が「10区にあるおばあちゃんの家に遊びに行こう」と誘いに来た。私は本書きモードだ。世間があったことすら忘れている。断ろうかと思ったが、ただいま家を探し中。情報があれば嬉しいこと。遊びモードに切り替えた。
 彼女のおばあちゃんの家は、私の家からバイクで10分くらいの近距離だ。
家族がたくさんの家。ビールで会食。ひとつのコップでビールを回し飲み。私は途中から断り続けた。それでもコップは回ってくる。「ベトナムの習慣です」 と言うお兄さんのお友達。どうしてもコップをまわしたいお兄さん。お兄さんをたしなめる仕草の友人。
友人の妹さんが「口をつけるだけでいいよ」と言うので、してみた。しかしこれでは飲んでいるのと同じだと実感。私は日本人です。その前に、その習慣には参加出来ません。心で言いながら断り続けた。
 若い人が帰り、おばあちゃん夫婦と私達数人だけになった。おじいさんが話し始めると皆はしんとした。お酒を飲んで話す大人。うつむく家族。ベトナムにも日本と同じ光景があったのだ。
 時計が気になり始めた頃、カラオケに誘われた。私はもう、本書きモードになっていた。
 
 夜、一つの引き出しを開いた。2004年作った当時のタイトルは「命ふんわり」。心の傷を癒やした私がプラスの感覚で書き溜めたものだ。過去を書く自分も居て、プラスを書く私も居る。読み返しているうちに、やさしい気持ちになってきた。
 つなぎに入れてみる。最初のうちはいいけれど、人格が分かれるところにつなげられずに手が止まる。
明日は、「心の傷を癒やして心の壁を薄くした」ところをまとめよう。


2008年08月22日(金) イミグレのひと時

 1区にあるイミグレにビザの延長をしに行った。しかし個人では出来ないと言われる。自分のことが自分で出来ないのは不思議だ。係りの人に聞いてみた。
「私は今ベトナムに住んでいます。これは私の Visa です。それなのに、何故出来ないのかわからない」。
係りの方は、英語とベトナム語がごちゃ混ぜの私に怒った表情になりながら紙とペンを出して説明してくれた。自分で本を書いているとも話してみるが、「会社に所属しないで本を書くこと出来ない」と返事をもらう。
 どうやら身元不明な人は取り扱ってくれないらしい。会社か学校か観光会社か、つまり私の身元を証明する他者が必要なのだ。
 確かに犯罪を防ぐひとつの方法である。そして中間マージンでお金が動くのだろう。納得はしたが、すぐに帰る気持ちになれず、デスクに座ってしばらく休んだ。
 こんなことを言ってみた。
「本が出来上がったらベトナムで売るかもしれない。それでも駄目ですか?」。「駄目駄目。もう帰りなさい」。
係りの人は笑っている。私も笑えた。
 在住暦の長い日本の人に「個人では無理だよ」と聞いていた。本当かどうか、出来ない理由も知りたかった。楽しいひと時だった。動いてみて正解だ。好奇心が、鵜呑みにしない自分を手伝った。


2008年08月21日(木) 展望台

 午後、帰国した研修生さんに会いに空港へ。
市バスを使おうと思ったが、今日は暑くて歩く気がしない。バイクタクシーに乗り20分。早めに着いた時間を利用して空港内を散策だ。
 空港を訪れる回数も数え切れないくらいになったが、空港内に市バスが入っているのを見たことがない。国際線の雰囲気に市バスは似合わない感もあるが、ベトナムの方も使うはずだから市バスが来ないのも妙だ。
 目を凝らして道の向こうを眺めていたら、緑色のバスが見えてきたではないか。バスは敷地内の道をぐるりと回って、国内線駐車場の一番奥に停まった。初めて空港行き市バスを使った時のことが思い出された。あのとき降りた場所は、「降ろされた場所」だったのだ。
 帰りは市バスを使い、途中で降りて30分歩いた。時間的にバイクのお兄さんの呼び込みが多いが、最近は歩くことも楽しめる私だ。
 途中でパソコンやさんに入ってみた。お店の中は平日にも関わらず、買い物客でいっぱいだ。通りの靴屋も洋服やも人ごみになっている。
そういえば、空港ではきれいなワンピースを着た少女が父の帰りを待っていた。この国の人も、高級な生活にステイタスを求めている。家を買い庭を整え、きれいな服を着て歩く。人々は商業ベースに乗せられている。
 

 夜、こんな思考が浮かんだ。子ども達は母の私を待っている。私はまだ成長途中だ。子どもの名前を知らない自分が残っていると感じるうちは会ってはいけないのではないか。同じ間違いを繰り返すのは避けたいからだ。
 しかし、どうだろう。私は何もしなかったのだろうか。いや、してきたはずだ。虐待した自分も居たけれど、初めての赤ちゃんをこわごわ抱きお乳をあげる喜びを感じ、何年か後には子ども達の心を知ろうとした自分が居た。当時は別の私だったとしても、それでも、してきた私は私だ。何とかしようとしてきた自分だったのだ。あの頃の私にも先を見る自分がいたのだ。そうだ、きっとそうなんだ。
 そう思えたら、勇気がわいてきた。6年前までの自分が何をしてきたのか、もっとページをまとめてみたい。展望台に乗って人生を眺める。明日の自分が楽しみだ。


2008年08月19日(火)

 朝、少し遠い市場まで行こうと外に出たら、3分の2くらい歩いたところで空模様が怪しくなった。2日前に天然シャワーを浴びたから、雨はしばらく遠慮したい。引き返して近くの市場に向かった。市場に行くのはドクダミを買うためだ。日本では視界に入らなかった食べ物は、今では毎食並ぶ野菜になった。
 市場を出ると、晴れている。今日もまた面白い天気だ。行こうとしていた市場が浮かんだが、早く机に座りたい。「まあいいか」と家路に向かった。
 日中は、一日まとめだ。お昼は外に出ようかと思ったが、また空模様が怪しい。夜まで書くことにして、再び机に向かった。
 今日の作業は、精神科の門をくぐった私のことだ。病気はある日突然なるものではない。子どもの頃、心に乗せられた負の爆弾は、大人として社会に出た時に、否が応でもそれを使って生きなければならない苦しみに負われる。すべては、子どもの頃から蓄積させられたものが弾けてあふれ出たものだ。しかし、その後の人生を考えれば、体が信号を発してくれたことは幸いだ。
 こんなことを書いて残せたらと過去の文章から言葉を捜すが、今沸いてくる気持ちが一番新鮮だと感じたりもする。しかしそれでは過去に書いたものがもったいないと、もう一度過去のページを開いてもみる。
 ちょっと休んでいる間に浮かんだことを、後で書こうしても思い出せず、書き留めなかった自分を反省する。プチライターにとっては、頭に浮かぶ小さな一言も新鮮だったのだ。
 あっという間に夕方になった。パソコンを閉じたら、体がマッタリしているのに気が付いた。頭も疲れている。初めてあの引き出しを開いたからかな。
 生活にはリズムが必要だ。今日の作業は終了!散歩に出た。

 夜は子ども達への返事を書こうかと、息子の手紙を改めて読み直す。別れる時に保育園だった彼は、今、小学生の高学年になっている。やはり、時は流れたのだ。紙の上で、「○○君」と言うより「あなた・君」と呼ぶほうが、「息子」と言うより「彼」と呼ぶほうが相応しい気さえする。
 そして私の中には時の流れに混乱する自分が居る。私は私に、自分が生きてきた道を実感させてあげることが先だ。「自分に一番丁寧にしていこうね」と声をかけて、手紙を閉じた。


2008年08月18日(月) 感性の発掘

 自殺未遂を繰り返していたときの自分をまとめた。今までで一番冷静な私。すべては過去のことだ。出来てしまえば、多くの引き出しの中のひとつに過ぎなかったことを実感する。やっと切り替え上手になれたのかもしれない。
引き出しの中で順番を待っている自分もこれから、引き出しの中の小引き出しに収まっていくだろう。
 一つ出来て、そのまま次に移ろうとしたが、何かしらの直感が働いた。「ちょっと待て」だ。パソコンを閉じて立ち上がったら子ども達からの手紙が視界に入り、手にとって開いた。しかし、これも今は違う。手紙を戻してまとめた自分を思い返した。
 「そうだ。出来たんだ」。今日自分がしたことは、今まで一番したかったことなのかもしれない。そう思うと、満足感が広がった。

 そういえば昨晩、「私に何を求めてる?」という言葉を元に、「自分は人に何を求めているのだろう」を探した。すると、ある一定の場所において、「どんな自分も肯定されようとして苦労している自分」がいるのに気がついた。「なぁーんだ、そうだったのか」と心底納得した。過去に作った神話を求めた自分だ。自分以外に 「どんな私も肯定される場所」は、「自然」という場所以外にあるだろうか。
 大人には子どもの頃に掴まされた要素がいっぱい詰まってる。大人は子どもの頃からの歴史を持って一人の大人になる。
 そして、大人には大人としての役割がある。大人だから出来ることがあり、大人だからこそ求められるものもある。大人は、子どもとは違うのだ。
 私が今いるのは、大人の集団だ。(子どもさんも居るが関わりは少ない。)どんな自分も受け入れられようとするのは傷ついた私のすることだ。それも一時のことなら許されよう。たとえ三億人の中の一人にそのことを求めることだって大変だ。自分の為に止めたほうが懸命だ。
 私は私を信じている。私を肯定されても否定されても、私は私だ。
 私の信じているものは、私の感性だ。私は自分の感性を信じている。
過去は感性はつぶされたまま頭ばかりが働いた。今は頭を使うと疲れる自分に育っている。私は感性のある自分を知ったんだ。
 私は私の感性に添って書きたい。もう、ペンの先に自分を閉じ込めた時代は終わった。
 この夜、心の中でこんな言葉を聞いた。
「Mamoちゃん、自由に書いていいよ」。
あー、ついにこの時がやってきた。私の感性に添って、感じるままに書くことが出来る。


2008年08月17日(日) あるもの

 パソコンが動かない日曜日。雨降り前の空模様だが、思い切って外出モードに切り替えた。
 バータンハイ通りをしばらく行くと、バイクのみんなが道に止まっている。何かあるのかと思ったら、みんな合羽を着始めていた。向こうの空は灰色のレベルだ。準備の早さに感心しながら、現地の人の知恵を見習うのは私の知恵だ。合羽を着て走り始めて数分も経たないうちに豪雨が襲ってきた。
 通りはあっという間に水がたまり、雨しぶきが飛んでくる。こんな雨の中、私はどこへ行くの?!しかし帰ってもパソコンが使えない。見れば、雨で頭を洗うおじさんも居る。雨の日に外でもいい。今日は外の日だ。
 しかし道には迷わず動きたい。目的地を、前回断念したビンタイン市場に決めてゆっくり走った。
 途中2回左折したら、ビンタイン市場に着いた。でも今日は中には入らない。珍しいものを見ても買って確かめることもしない。市場の周りをぐるりと回ってホーチミン市5区の町並みを観察した。実は、今度はこのあたりに住んでみようかと思っているのだが、市場の回りは野菜くずなどが散らばっている。ということは、大きなねずみが多いだろうと改めて思う。
 帰りは川沿いを走った。この道もそのまま行くと知った通りに出る予定だが、ふと見ると、川の向こうにさっき見たばかりの景色が見える。いつの間にか違う道に入り込んだのだ。
 3回に分けて道を尋ねた。道の名前を聞いているつもりだが、少しも通じない。こんな場合、自分の尋ねたこと以外のことを聞こうとするとさらに路頭に迷う。「家の方向に近づいていればいいか」 と分かるところだけチョイスした。
 3回目の男の人は、「三つ目の十字路を左に曲がると小道がある。でも小道は行かないで、大きな道をまっすぐに行くと着くよ」と教えてくれた。「今度は合ってる気がする」。お礼を言って走ると、本当にその道に着き、庭のエリアに入った時の安心感は今までの「お尋ね人」に関するトラウマを解消した。
 市場に寄ってお昼ご飯を買い、次に自転車に乗ったままのスタイルで牛乳を買ったら、牛乳屋さんは牛乳を自転車のかごに入れてくれた。水溜りの道をそろそろ走ってようやく家に着いて、ちょっとした小旅行の満足感を味わった。
 ところが、自転車を駐輪して荷物を持ったら、買ったばかりのご飯がない。少ない荷物をひっくり返しても、ないものはない。お金を払った後、かごに入れたところまでは覚えているから…。「持っていかれたんだ!」
 ついに私にもこんなことが起きたんだと、今の今まで自分にはあり得ないと思っていた自分を感じながら、市場の様子を回想すると、普段より人が少ない市場にずぶぬれの自分は油断していたことに気がついた。
 財布と携帯を確認するのは癖になっているけれど、わずか10分の間にお弁当を確かめるのは怠ったのだ。
 しかし、原因は分かっても自分のために何かしたい。お昼ごはんもない。もしかしたら買った場所に忘れてきたのかもしれない。私は再び市場に向かって自転車をこいだ。牛乳屋さんでお店のおじさんと目が合った。私の心の中には「誰が持っていったの?」があるままだ。おじさんを見たまま視線をそらせずにいたら、おじさんは立って家の中に入っていった。それから、ご飯を買ったところに行って、お姉さんに聞いてみた。「さっき買ったごはん、忘れていませんでしたか?」お姉さんも知る由はなし。私は食べたかったものをもう一度買った。「カバンの下に入れてね」とお姉さん。本当にその通りだ。私はお弁当をカバンの中に閉まった。
牛乳屋さんの前を通ったら、おじさんの代わりにおばさんがいた。ここで何度か炭酸を買ったことがあるから、おばさんは私が外国人だと知っている。「ちょっと待って」と言って、ペンと紙を持って来てくれた。「かくかくしかじか。私はご飯を置き忘れていないか探しに来たんです。おじさんに聞きたいんです」
 おじさんはどこへ行ったか分からない。おばさんは商品の間を見て探してくれたがご飯は出てこない。私のほうも戻ってくるという予想はない。しかし自分に出来ることをしてあげたかった。おばさんにお礼を言って、帰ってきた。気持ちは、2回分の値段で食事をしたと思えていた。
 そういえば今日、ヘドロの前に洗濯物を干す人々の家の前を通った。ひどい臭いに、「自分はここには住めない」と思った。この国は日本とは違う。だから治安が悪くていいとは思わないがスリが横行することにも納得する。物がなくなっても、体が残っている。健康な体があることはひとつの能力だ。
 家に帰ったらパソコンが目に入った。電化製品でなくてよかった。財布も携帯電話も自転車も、今まで離れず手元に残っている。今のアパート暮らしも3ヶ月過ぎ、この場所に慣れてきた私に、「気を引き締めて・メリハリをと付けて」と声をかけてくれたんだ。知らない誰かさんにお弁当をご馳走した気分になった。


2008年08月16日(土) 湯加減

 夕方、学校の友人に紹介してもらったアパートを見に行った。今は外国のご夫婦が住んでいるから6畳広さの部屋の中に生活道具はそのままだ。私が二人寝れるくらいのベッドが壁に沿って置かれていた。ご夫婦は、冷蔵庫や洗濯機など必要なら売りますと言った。私の住まいの条件はインターネット回線があることだ。聞くと、「回線はあるが、自分で設置したから譲るのに約100ドルだ」と言う。そんなまさか。ベトナム生活で飛行機代以外に100ドルもかかるものに触れることがあるなんて、想像もしないから驚いた。その他の家具も譲ってくれるという値段は、この半年の間にすっかり遠のいたドル値だ。汚れたヘルメットをかぶったまま質問していても、やっぱり日本人だからかなと思いつつ、尋ねるのをやめた。
 その物を買わなければ、立地場所と広さとクーラートイレシャワー付きで、11000円は安いだろう。シンク台は欲しいが、あれば調理器具がほしくなり自然と物が増えるから、逆に無くてもいい。シャワールームは今のところより広いし、市が管理している飲み水に近い水道線を自由に使えるらしい。(そんなものがあったのね)
 しかし、ネックになることが二つあった。私は今まで冷蔵庫とお湯のない生活をしたことがないのだ。ないない尽くしだが、冷蔵庫のない生活がどんなものかイメージが沸いてこない。それでも外に行けば物は買えるし何とかなるということにしてみた。しかし、冷たい水でシャワーを浴びるのはどうかというと、びっくりしてかわいそうになったお尻のイメージが浮かんでくる。条件の2つ目が確定した。安さより安堵感だ。それでも、一呼吸おくことにして、「月曜日に返事をします」と伝えて家に戻った。
 夜、お湯シャワーで喜んだ体でベッドに飛び込んだら、アパートのご夫婦から電話がかかってきた。
「インターネット回線買いますか?」。考えてみれば、Wifi があってもいい場所だから、回線はいらないかもしれないと一応聞いてみた。「Wifi 出来る場所?」「Wifi も準備できますが、もっと高いですよ」 
私のほうは、数時間前に別の友人から聞いた情報を思い出した。「Wifi を自分で付けた時、始めに20万ドンくらいだったよ」。
 どちらがどうかと自問する間もなく 20 万ドンを選んだ。真実は自分に問えばいい。私の生活に近いほうだ。
 電話を切った後、ある外国の友人の言葉を思い出した。
 「みんないい加減なんだから、いちいち本当のことなんか言うことないよ。」
 黒い箱の中で真正直に生きて辛くなっていた自分を思い出した。今だって時々、真面目にしすぎてしんどくなる。何が大切か、今を楽しむことだ。楽しんで書いた本なら、読む楽しみも大きい。
 私も時々、いい加減に出会う。そんな時は、ちょうどいい加減に対処できる自分を楽しもう。
何しろ私は、今、裕福と保護のある国から離れて生きているのだから。


2008年08月14日(木) いい感じ

 昨晩は、22時には眠っていたはずなのに、5時に合わせた時計は夢の中で止めたらしい。目が覚めた時は7時になっていた。それに、咽喉より手前の辺りが痛くて頭も重い。どうやら鼻の奥にばい菌が集まってしまったようだ。今日は散歩は中止だ。寝すぎてマッタリした頭で 「朝晩冷えるからなぁ」 とつぶやき、布団の上で小さな子どものようにごろごろした。
 それからBinh miを買いに出て、ついでに新聞を買った。中を開くと、あったあった。小さ2ミリくらいの小さな字で何ページにもわたって、貸し部屋コーナーが並んでいる。辞書を引き引きしばらく見入り、単語が分かってくるうちに、自分で電話をしてみたくなった。好奇心が湧き出したのだ。
 夜には、家探しを頼んでいた友人から電話が入った。大学の近くで160万ドン。日本円にすると 11000 円弱だが、設備はトイレシャワーのみらしい。今の家より5000円くらい安いが、こちらの貸し家は、「ない」と言ったら本当に何もない。物を買い揃えるのはひっかかる。手元の新聞を眺めながら話を聞いた。

 以前は 「環境を整えてあげること」を知らなかったから、何があってもそこにとどまろうとした。今は毎日、自分にいい道を探してつなげている。こんな私、いい感じだ。

 


2008年08月13日(水) 奥行き

 今日は、昨日の公園とは反対の方向へ歩いた。1時間歩いてUターン。途中、市場によって、朝ごはんと Bun の麺を買った。ポットとスープのもとがあれば、家で麺類が食べられるのだ。

 そういえば、昨日子ども達から手紙が来た。3つの手紙の束を取り出して中をのぞくと、紙切れが一枚。開くとそこに、長男の言葉が数行並んでいた。
「あの子だ」。
自分の感じたものを心に感じ取る前に、いや、感動している自分を自分の背中から見る前に涙が出て、部屋の中をうろうろした。泣いている自分を見て、「あれ?もう泣いてる」 と思ったから、泣いている自分は見えたのか…。
 それにしても、私から返事を出してどれくらい経ったのか。時の経つのは早いと実感。しかし、焦りはない。私のまとめは、昨日よりも中身が濃くなっている。きっと、奥行きが増したのだ。


2008年08月12日(火) 推敲

 6時過ぎから池のある公園まで歩いてみた。車も人も屋台も少ない道を「この道こんなに広かったんだ」と感心しながら歩いた。空気は日中よりもきれいでマスクも必要ない。私の予想は当たったのだ。
 公園に着いたのは、家を出てから50分後。体は半分満足していた。毎日2時間歩く計画だが、これでは行って帰ることになるなぁと、翌朝のことを思案した。しかし、着いてみれば、家のそばの公園より数倍広くて気持ちいい。ちょっとした森の中を歩いている気分にもなる。「明日のことは明日でいいか」と腰を下ろしたら、年配の男性に声をかけられた。しかし数回聞いても言葉が分からない。どうやら私の頭は、今、日本語モードらしい。
「すみませんが、あなたの言葉が分かりません。私は日本人です」と言うと男性は、「なるほど…」という表情をして、バトミントンのラケットを出した。
 久しぶりの全身運動、体は喜んだ。年配の男性は腰をかがめることが出来なかったが、両手に持った二つのラケットで上手に羽を打った。
「カフェに行けますか?」と聞かれたが、体を動かした後はまとめ作業だ。 「明日も来ますか?」と聞かれたが、明日の気持ちは明日になったら分かるのだ。バトミントンをした。それでいいじゃないかと思う。

 日中は、部屋にこもった。途中で雨が降って、屋上に洗濯物を取りに走ったが、部屋に戻ったときには雨がやんでいた。時間にすれば2分くらい。これで2回目だ。道路に雨の切れ目を見えることもあって面白い。(それなのに、毎回屋上に走る!)。

 インターネットで新しい言葉を知った。「推敲」だ。
文章を吟味し練り直すことを 「推敲」 と言うらしい。「文章を書く際に、じっくり練り直してよりふさわしい字句を選ぶこと」だそう。「添削」や 「校正」とは違う言葉を捜していたから、嬉しかった。私のしていることはこれだ。


2008年08月10日(日) 興味

 昨晩は、布団に入ったあと、浮かんできたものを書きたくてもう一度パソコンを開いた。頭を使ったせいか、再び横になった後もしばらく目がさえて、打ったばかりの文章の先を、心の中に探した。「考えるということ」は頭でするけれど、浮かんでくるのはその時の心に添ったものだ。
 今朝は、完成箱に並んだ引き出しを当時生きていた順番につなげてみた。この作業は今までのひとつ先のことだ。何のために本を書くのかを問うた時、ひとつの引き出しの中に、「使いたい部分」が上がってきたことも興味深かった。
 昼過ぎ、チョロン周辺へ行きたくなって外に出た。以前はバスを使ったが、今日は自転車だ。日曜日とあって車は少ないけれど、それゆえかバイクは左右から、隼のように通り過ぎていく。おまけに、地図上では通れるはずの道が行き止まりになっていた。ベトナムではあちこちで道路改良工事が行われているから、道の変更はやむを得ない。しかし私は、道路名の標識を読むのに目を使う。まとめに差し支えてはいけないと、途中で引き返した。
 帰りに、初めて立ち寄る大衆食堂で、野菜たっぷりのおかずを買えた。
健康な体を維持しようとできるのは、大きな能力なのだ。

 最近は、まとめをしながらオリンピックを見ている。こちらはもちろん、ベトナム語で、アナウンサーの視点も違うところが興味深い。


2008年08月07日(木) 温かいもの

 昨夜は夜中に2回、トイレに行きたくて目が覚めた。今朝は6時過ぎ起床。腹筋50回と、傍の空き地で素振り。アパートの管理人さんがカフェでベトナム語のプライベートレッスンを受けてたので、吹きさらしの窓から覗いて挨拶した。そういえば、私はしばらく学校に行っていない。しかし、特別困らずに生きていることを実感しているではないか。鼻歌がこぼれて手に持ったバットをバトンのようにクルクル回した。
 気温は低めで肌寒かったので、朝食に温かいコーヒーを飲んだら体が喜んだ。私の体は、温めてあげたら喜ぶのだ。
 10 時過ぎ、自転車で散歩に出て 12 時過ぎに帰ってきた。途中、適当なところで昼ごはんと思いつつ、大衆食堂では野菜を並べたお店になかなか出会わないのが現状だ。仕方がないので、家に向かって通った道を再び戻って、覚えのある店でお弁当を買った。お弁当のご飯はいつも、私の食事の2回分。だから、今日は夕ご飯の分も足りるのだ。
 ところで、散歩に出るとき、理想は「1時間くらい」だが、いつも、あっという間に2時間くらい経っている。不思議だ。


2008年08月04日(月) 42年目の目線

 ほぼ一日まとめ。昼に麺類を食べに行こうと外に出て、入りたいと思うお店が見つからず、スーパーへ行った。都会暮らしは田舎よりもストレスを感じる。Dong naiで撮った写真を見ると、口元が緩む。しかし私の中にはもうひとつの思いがあって、それは、心使いを受けることの感じ方の違いだ。人々・特に私よりも若い方が私の為に動いてくださる時、私の心は複雑になる。便利さを買うかどうかの選択もある。だから、今は本書きをする自分に一番いいことを自分と相談中なのだ。

 ところで、今日は私の生まれた日。私は42歳になった。鏡に映る自分は始め、30歳くらいに見えた。それからしばらくすると35歳くらいに見えてきた。何歳かなぁと自分に問うと、私は42歳だ。でも何歳もいい。年齢も国籍も性別も、生きていくうえでは単なる偶然だ。
 今日も、時々パソコンの動きが遅くなったので、その間に『Emile』を読んだ。ベトナムで『Emile』を読む機会を自然に得るとは…。つまり、都会にもいいことはあるのだ。ものは考えようだなぁ〜。


2008年08月03日(日) 人の手のある風景

 昨夕から、Dong nai省のお友達の家へ泊まりに行った。
バスを一回乗り換えて、ぎゅうぎゅう詰めで斜めにしか座れないスタイルのまま Dong nai 川を越えて、全部で4時間。下車後に食べた Bun bo は今迄で一番おいしく感じた。
 その晩は蚊帳の中で眠りに入る。ラッパのエコーを声を聞きながら一晩過ごし、朝は市場の音で目が覚めて薪をくべてお湯を沸かす。朝食前に庭のパパイヤをちぎって食べ、昼はマンゴの木に登り、ちぎった草と捥ぎたてカボスジュースで昼ごはん。冷蔵庫や洗濯機の変わりに、全部が人の手で動いてる。懐かしさにホッとしたり、珍しさに悲鳴を上げたり、ホーチミンという町の小ささを感じたり。
住んでみたい場所のひとつになったが、住めるかどうかは未定だ。

ホーチミン市
 大雨後、家の前で大渋滞。止まっているのは動かなくなったバイク。この日、バイクにぶつかって転んだ。

ドンナイ省
 引越し先候補のお部屋
毛布かと思ったら鳥さんでした。卵を暖めています。その数は10個くらい
 上のものとは違う鳥だけど、お散歩風景
食肉用の牛。近寄っても大丈夫。私も草に見えたのかな。
カラスアゲハ。大きさは日本のものと同じくらい。生息地は東アジアだそう。
“オオトカゲ”泣き声も姿もすごい!全長…私の足くらいの大きさ。泣き声は、ラッパにエコーをかけたみたい。たんすの奥から聞こえるその声に「今の何?」と尋ねずには居られない。白いのは卵。飼っていないけれど、住んでいるそう。すごい!友人のご家族は私の歓声に歓声をあげておられるようでしたが、私は本当に、ワニを見ているような気分でした。 
ホーチミン市一番の大きな公園。国道を走ると必ず視界に入る巨大な顔。


2008年08月01日(金) やさしい時間

 10時頃、家のすぐそばの Ky hoa 公園に行って遊んだ。この公園は、結婚式場を兼ねて整備されているから、自然好きな私には少し物足りないが、それでも、ぶらぶらしているとかわいらしい生き物に出会える。
 昨日は、ヤモリを3倍くらいの大きさににして首の回りが太くなっているトカゲ?と目があって思わず歓声を上げた。相手のほうはびっくりしたようで、瞬く間に木の間に隠れてしまったが、その姿は本当に、襟巻きトカゲのようだった。
 今日は、きれいなチョウを2種類見た。ホーチミンに来て今日までに見たチョウの数は7種類。どれも、羽の部分に光沢のある斑点を付けている。一見、日本で見るヒョウモンマダラの様態とよく似ている。
 以前から気になっていた鳥も至近距離で見た。小鳥は地面に降りて草を突っついてたが、大きさは十姉妹くらいで、色はすずめと同じようだが、よく見ると尾のあたりは紺色をしている。私が近づいても逃げていかないから、私は 30 センチくらいの距離に座って観察させてもらった。捕まえてみようかとも思ったけれど、彼らから見ると強くて大きい人間の私は、彼らの邪魔をしないようにそーっと見守るところからお友達にしてもらえるのだ。
 しばらくすると飛んでいったが、その飛び方は地面に沿うように飛ぶセキレイに似ていた。飛んでいく後姿を見ながら、ここにやさしい時間があったことを実感した。

 本日、ホーチミン市は夕方4時過ぎから集中豪雨になった。町の中心の一部の道路では、バイクがつかるくらいに水が溜まり、町はエンジンの止まったバイクとそれをふかす排気ガスのにおいであふれた。
 


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