「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年07月31日(木) まとめ

 100%まとめモードだったのに、パソコンは超スロー。10時頃まで待っていたけれど、落ち着きがなくなったので切り替えて公園へ行った。
 持って行ったのは教科書と過去のメモ書きと、2冊の本『インナーチャイルド』・『エミール』。したいことが全部出来るように準備して行ったのだ。
 池の前に座って最初に広げたのは、ベトナム語の教科書。でもそれは5分で終わった。それから、過去のメモ書きに4年前の自分を確認するうちに、一番ややこしい組の引き出しのまとめてみたくなった。
しかし朝からパソコンが動かない日は、たいていお昼過ぎまで調子が悪い。しばらく遊んでから家に戻った。ちなみに、パソコンスローの原因は、ベトナム在住2年の方からの情報では、電力の節電のために周期的にこのような形で調整するらしいのだ。 
 自宅に着いたら、時間はちょうどお昼時。食事を済ませて早速パソコンを開いたが、午前中より少し早くなった程度。仕方がないので、『エミール』を読みながら回転を待った。『エミール』の世界はいつも面白い。待ち時間を忘れるくらいに吸い込まれた。
 今日も一日、まとめをした。私はおそらく、今、まとめをする自分に依存しているのだろう。


2008年07月30日(水) かたち

 昨晩、寝付けない布団の中で自分を見ていたら、私の中から「一日も早くに、自分をまとめてあげたい」が出てきて、ごく自然に作業の再開へとつながりました。
望んでいるのは 「一日も早く」 ですが、心はのんびりしています。優先したい気持ちがもっと大きくなって、一番したいことをしているからだと思います。
 明日で7月も終わりです。私の予定では7月中に引き出しを完成することとしていて、今日までに3人残りました。でも、振り返ってみれば2日間のお休み以外はすることを進めていられたのです。それに、したいところから広げていったので、進め方もあっていたみたい。今日は、形になった結果を見て、その面白さを味わいました。
 残った3つの引き出しは、その一つ一つさえまとまりがありません。これからどれだけ出来るか、楽しみにしています。


2008年07月29日(火) 選んであげるということ

 研修生さんだったお友達から連絡が来て、「一緒に住みませんか?家を見に来ませんか?」と誘っていただいたので、遊びに行きました。彼女の家は大学のそばからバスに乗って約1時間。ホーチミン市で一番大きな公園のすぐそばにありました。
 家では妹さんも待っていてくださったので、3人でご飯を食べました。
 遊びに行ってわかったことは、都心から離れると都会にあるものはなくなるということです。さらに、家賃の安さを求めると電化製品はなくなりますから、優先順位によっては、便利さをお金で買うということもひとつの方法だと思いました。
 一日に何度か、先週から気になっていることが顔を出しました。その度に自分を見て、吟味して動くことを練習しています。こちらも、自分にいい方法を選んであげることのひとつです。


2008年07月27日(日) 財産

 日本の情報だが、7月27日付け産経新聞インターネット配信の『15年間DVを受けた末、夫を殺害してしまった女性の事件』を読んだ。被告女性の子どもさんは性的虐待も受けていたそうだ。
 裁判での被告人質問の内容は、読み進むに連れ、その悲惨さと反比例した社会の視点の浅さを感じざるを得ないものになっていった。
 自分を守りきれず人を殺してしまうということ。6年前まで、私にもその可能性はあった。そして、これからも、自分の心の傷を思うとき他者を傷つける可能性はゼロだとは言い切れない。
しかし今、心の傷を癒やす方法を知っていることは大きな財産だと感じている。


2008年07月26日(土) 楽しみたいという気持ち

 眠った分だけ眠れた朝。今日は外に出ようと決めて準備をしました。行き先は、昨日に引き続き公園です。でも、今日はいつもとは違う初めての公園へ行きました。車が多くて平日のようでしたが、バイクの皆さんには追い越して頂けることを願って、のんびり走りました。
 公園には池がありました。水のある場所は心が落ち着きます。今はホーチミン市の中心に住んでいますが、私は今、引越しをしたいのです。
次は、車や人の少ない変わりに自然に囲まれた静かな場所へ行きたいなぁ、という思いが、池を見てさらに大きくなった Mamo ちゃんでした。
 
 最近、チャイルドが出てきてくれることが続いて、喜んでいます。たぶん、今までよりも、能力を実感できていることやフラッシュバックした自分に気付けるようになったことが今の自分に育った要因だと思いますが、その時々で癒やすチャンスを拾えるよう、心を大切にしています。
 まとめを始めてからの私の発見は、ときに驚きに値するものもあり、「本を作ること」を単にひとつの目標として捉えていた数ヶ月前を思い起こしては、意識の違いに感心しています。やはり、この作業は私に必要なことだったのです。
 一昨日と昨日はまとめを休みましたが、その間にも浮かんだことをメモすることをして、その延長でまとめを開きそうになりました。でも、そんなときにも心に注意を向けてみると…。心の声は「まだ早いよ。もうひとつ仕事が残っているよ」と言いましたから、そんな自分に寄り添って、今日一日も自分を待ってあげました。
 その理由は、そのことが「出来る」ということと「楽しめる」ということは違うから。私は自分のしていることを楽しみたいのです。

池の傍に、“鳥小屋??”  陸のイソギンチャクみたいでした。
大空に羽ばたくところです。
 カメラを持って待っていたら、ベンチまで来てくれました。


2008年07月24日(木) 心のお昼寝

 昨晩は、たぶんハウスキーパーの女性が部屋をノックしてきましたが、私は自分を大切にして、答えずに過ごしました。先週、二人目のキーパーさんが住み込みで就職なさって、今まで働いていた女性は、来週にはここを出て行かされるらしいのです。新しい女性の仕事の丁寧さはホテル並みに思えるくらいですが、こんなに急な話もベトナムでは仕方のないことなのでしょうか。
 今朝は6時過ぎに起きました。今日は、「まとめの扉を開かないということをする」日なのです。行きたいところはないけれど、家にいるのも変化がありません。ベトナムに居るんだからベトナム語でも勉強してこようかということで学校に行きました。
 クラスに新しい子が二人入っていました。話をして面白かったし授業も楽しくて、吸い取られていたのは、現実を楽しむ余裕だったと気付きました。
 学校帰りはいつもとは違う市場まで足を運び、午後は簡単な料理を作って洗濯をして掃除をしました。「何もしないってどういうことだっけ」と思う自分を見て、「私はいつも何かをしているんだ」と気付きましたが、きっと今は生きるための最小限のことをしているはずです。
 お昼ごはんを食べた後、したいままをしていたら、日中に3回も昼寝をして、最後は夜になっていて、「私ってこんなに寝れるんだ。疲れていたのかな」と自分を振り返りました。
 そういえば、難しい文章を読み解く練習をしているうちに考えるということが止まらなくなり、そんな自分は、理由のわからない「なぜなぜ?」を探し続けた子どもの頃と同じになっていたのです。もっとも今は、くるくる巻きの自分に気付いて修正できるようになったから、切り替えられる分だけは大人になっているのです。 
 自分にゆったり生きるには、心はいつもお昼寝モードがちょうどいいのかもしれません。やっぱり私は疲れていたのです。

   昨日、Air-mail を出しました。差出人は4人の子どもの母です。
A4サイズの紙が2枚で、11500ドン。


2008年07月23日(水) とき

 5時前、夢の中で、昨日あった出来事を思い出して目が覚めました。すればいいことをしているのに心が痛む理由を探したら、私はいつも、自分を「勝ち組」に入れていたことに気が付きました。心の傷を癒やし始めて、した分だけ出来るということを知りましたが、その満足感はいつの間にか、「勝ち組」という枠の中に自分を入れる形になっていたのです。だから、起きた事を悔やむ私に巻き込まれていたのです。そんな私も 「結果もここにあるからこれでいいんだ」 と思えたら、自分に寄り添って私のペースでいこうという気持ちになりました。
 「遅れたなぁ」と思っていたけれど、この気持ちが自分への否定になるのなら、自分自身と比較することも無意味です。将来、過去になった“とき”を見て、あの時少し遅れたよと言えたら、それでいいと思います。
 自らをせかした自分を発見するとき、いつも思い出すのは、昔バイト先の救急病院で見たやけどの少女です。痛みに泣きながら、破けた腕の皮膚にもう片方の手で一生懸命水をかけていた少女の耐えようとする姿が私の心に残ったままなのです。
自分を理解することさえ、一生懸命になったら自分がかわいそう。出来た分が出来た分でいいのです。 
 


2008年07月22日(火) 未来

 少し前に、いつの間にか重りになっていた部分に気が付いて、それをはずそうとしたら、重りは、私の気持ちに後押しされたように、それ自身からも自然に外れてくれました。外れた重りを少し離れたところから眺めたら、それは、今まで自分自身でまとわり付けていたときとは違って、これからの私にとって大切なものだと感じられました。同時にその開放感も味わって、物事は、自分の心や捉え方次第でどのようにも変わるということを実感しました。
 学校が始まりましたが、今日は行かずにまとめをして、ついに30個近くの引き出しが整いました。並んだ引き出しを見てようやく、「これをどうやってつなげていこうかなぁ」というところを視野に入れられるようになり、「なんでもひとつずつ」の事例を体験したようでした。
 多くの気付きは、私独自のもので、これを本という形として残せるかもしれないことにも喜びを感じられるようになりました。
 まとめの間に、時々、6月の出来事を思い出しました。それで、その後1ヶ月を楽しんだ私は、私だったのだろうかと新たな疑問もわきましたが、きっと私なのです。何があっても、MamoちゃんはMamoちゃんだから。


2008年07月20日(日) ずれ

 日曜日。昨日夕方、重りを付けて自転車をこいだので、足が筋肉痛になりました。
 午前中は、メールの返事を書いたり日記を整理したり、でも、落ち着きのない自分を感じて、つまり「今日も気分が乗らないんだ」と思いました。
 そんな自分を整理して、午後からはまとめをしました。引き出しはだいぶ整ってきたので、根底の傷を抱えると捉えていた人格の大きな引き出しを作り、そちらを少し整理しました。
 それから、6月始めの出来事に関連して、ベトナムへ来てからの自分に問題があったのではないかと思い、そちらを思い返していたら、いくつかのずれを発見しました。
私は今を生きていたけれど、小さな自分を見落としていたのです。


2008年07月19日(土) 癒やすということ・開く扉

 今朝、興味深いことがありました。
いつものように体操に行こうとしていたのですが、「行きたくない」と感じている自分に気が付いたので、その声に耳を済ませたら、チャイルドが出てきました。その子は、小学校の夏休み、ラジオ体操のために叩かれて起こされて、行きたくないのに行かされたチャイルドでした。
 その子に「行きたくないときはいかなくてもいいよ」と話したら、話している自分自身も安心し、そしてチャイルドもそこに居て、「外に行ってみようか」ということになったのです。今朝の空気は吸う私の目は、実際には見えないけれど、穏やかだと思いました。

 日中は、昨日までの疲れのためか、PC を開いても何もする気が起きませんでした。まとめを始めてから初めての、何もしたくない気持ちです。「まぁいいか」とベッドの上で、ごろごろしながらベトナムや日本のニュースを見て過ごしているうちに、今までの「しゃにむに」は、社会の情報に興味を持つ隙間がなかったとわかりました。

 夕方になって、ひとつくらいは形になることをしておきたくなって、長女に書いた手紙の返事をコピーしをしに、自転車に乗りました。
 すると、走りはじめて間もなく、こんなことがあったのです。
 自転車をこぐ私は周りに興味のない自分を感じたので、「Mamo ちゃん、でてきてごらん。おもしろいよ」と言いました。
そうしたら、Mamo ちゃんが出てきて、でもMamoちゃんは怯えてうずくまっていて、「恐かった恐かった」と言いました。
Mamoちゃんは何回も「恐かった」と言いましたが、私も Mamo ちゃんがそう言った分だけ「恐かったね恐かったね」と言いました。それから「もう大丈夫だよ」と伝えました。やがて、Mamo ちゃんは消えて居なくなりました。
しばらくしてもう一度「Mamo ちゃん、面白いから出てきてごらん」と言ったら、又出てきて、今度は違うことを言いました。私も最初のときと同じように話をしました。
こんなことを繰り返しているうちに、風景を見ている私自身が楽しくなってきて、看板を見たり人の動きを見たり、自転車の旅を楽しむようになりました。
 用を済ませた帰り、今度は Mamo ちゃんは自分から出てきてくれました。そして、1ヶ月前のあの時のことを、「あんなことが恐かった」「このときはこうだった」「どうしたらいいかわからなかった」と、合計4人のMamoちゃんが話をしてくれました。
私はただ Mamo ちゃんの言葉を繰り返し、Mamoちゃん自身の言葉がその次の言葉を引き出せるように心を傾けていました。
ひとつの出来事に何人もチャイルドが居ると思うので、あと何人居るのかな、と語る私は誰かというと、Mamoちゃんです。
 そしてこれで終わりではないことは分かるから、コツコツ丁寧に続けていきます。


2008年07月18日(金) 新生

 約1ヶ月前の6月10日、ある出来事がありました。それは、この6年間の人生の中で一番のアクシデントでした。コツコツ癒やして落ちたはずのマイナスが再び押し寄せ、癒やした空間に育ててきた愛は消えてなくなり、自分は死んでしまったと思いました。緊張して体に力が入り、呼吸は浅くなりました。
 それでも、それまでと同じ日常をこなそうとしました。しゃにむに「まとめ」をして、そうしていれば乗り切れることを無意識に願っていました。
でも、それは振り返ってみれば、傷ついた心を感じられないまま押し込んで、「平気」 をしようとする私だったのです。だから自分を余計に混乱させ、その延長で6年間続いたページは閉じる結果を招きそうになりました。
 昨晩は、狭い部屋の中を、「これからどうしたらいいんだろう」と道に迷った末、2時間くらい寝ました。朝になったら、頭には繰り返し同じ歌を歌う自分が居たので、 「あー、自分はこんな状態になったんだ」 と自覚しました。歌の歌詞は、成人した頃のある時期好きだったもの。私は頭の中の自分と一緒に歌いました。心がちぎれそうなのは、閉じかけたページを思ってか出来事を思ってか。自分を探してみると、それは、自分を傷つけたことへの悲しみでした。それが解って安心したのか、「これからどうしようか」 を考えられるようになりました。
 「この心の痛みを置き去りにしたら本当にだめになる。今日は何もせず、自分を感じることをしよう」 と決めました。もう、本は出来ないかもしれないとも思いましたが、仮に本が出来たとしても、今を置き去りにした本なら私にとっては無意味だから、「出来ても出来なくてもどっちもいいよ」 と、傷ついた自分に言いました。
 そうしたら、1ヶ月前の悲しみが沸いてきました。ベトナムは地獄で、この国の誰とも口を利きたくないと思いました。
「私はこんなに苦しかったんだ。自分を置き去りにしてたんだ」。
 感じるままに自分を預け、泣いたり怒ったりしたあと、「Mamoちゃんごめんね」 と謝ってあげたら、一人分の肩の力が抜けました。
誰とも口を利きたくない自分に、「話したくなるまで誰とも口を聞かなくてもいいよ」 と言ったら安心して、一人分か二人分かの肩の力が抜けました。
 そのあと、このトラウマをどうすれば取れるかを考えました。起きてしまったことは変えられない。変えられるのは私のこれからだけです。
 浮かんだのは、この出来事もまとめて本にすることでした。そのためには1冊目の本が必要です。
「1冊目が出来たら今のことも書ける」 。私はベッドから立ち上がって、パソコンを開きました。
 でも、デスクトップに並んだ引き出しの行き場所は変わるかもしれません。どうしたらいいのだろうを探したら、本 『インナーチャイルド』 を見つけたので、本を開いて自分を安心させてあげました。
 数行読んだら 「すれば解るかもしれない」 という思いが浮かんできたので、本を閉じて「何が出来るかしてみよう」を始めました。
 時々、泣きたくなって、そんなとき「泣いてもいいけど手を動かそうか」と自分に言っていました。
 
 昼すぎ、洗剤を買いに外へ出ました。そうしたら、バイクタクシーの手招きや車の騒音に怒りが沸いて仕方がありません。自分は、本当は怒ってるんだと思いました。それでも、昨日よりも力を抜いて歩いているのに気が付き、自分は1ヶ月間することを怠ってきたのだと解りました。

 家に帰った時、「こわいよぉ」 とFBしている自分になっていました。アンカーしたあと、それは弟に体を触られているところを見ていた人格 「なつき」 のチャイルドが出てきました。
長い間置いてきぼりにしてきた 「なつき」 のチャイルドに、「こわかったね」 と言葉をかけました。
 机に座ろうとしたけれど体がこわばっている気がしたので、ベッドに寝転がりました。そうしたら、頭に歌が流れてきて、今度は軍艦マーチのような行進曲でした。もう一度一緒に歌ってみようとリズムを取っていたら、歌の間から 「たすけてたすけて」 という声が入ってくるようになりました。その声はしばらく続くうちに、ある一定のリズムになり、昔居た、歌う人格 「Samu」 が出てきたので、私の子ども時代は、「たすけて」と繰り返しているうちにそれがリズムになって歌になったのだと解りました。
「Samu」は、男の子のような女の子のような姿です。その子は 「たすけて」と繰り返すので、「どうしたの?」 と尋ねたら、「胸が痛い」 と言いました。
「胸が痛いんだね」 と言ったら 「うん」 と言い、もう一度 「どうしたの?」 と尋ねたら消えました。
その子は歌っていたけれど、本当は 「胸が痛い」 と言いたいチャイルドだったんだと思いました。
 私も落ち着いたので、パソコンを開いて、「よしお」 というアルコール依存のおじさん人格のことをまとめました。「よしお」 は、母から受ける性の虐待に負けないよう作られた人格のようでした。
 途中で又、悲しくなり、もう一度ベッドに寝転んで深呼吸をしました。悲しみは今度は、あの日、大切にしていたものをなくしたことへの悲しみでした。
 その時、最近の自分の言葉を思い返しました。
「今まで生きてきたから、これからだって生きていける」。そう。私はたぶん生きていけるのです。そして、今までと同じくらいかそれより少しいい程度に生きていける。生きるだけなら誰にも出来るのです。そこをどう生きるかが問題だったのです。自分は道を間違えていたと再び実感しました。
 それなら、今の私も、昨日までのことは昨日までのことで、今からどう生きるかなのです。
 再びいすに座ったとき、家を出て来る前の自分を思い出しました。あの時、子ども達に自分を伝えることのできる自分が居たから、今があるのです。
だから、ここに書いたことは、その次を見る私の 「したこと」 でした。
そして、今していることは2冊目の本を書くための 「する」 です。


2008年07月16日(水) 見えてきたよ!

 吸い込まれるようにまとめをして、うれしい気付きの一日を追え、「寝る前にもう一行」 とまとめをしていたら、ある事実に気が付きました。
今まで、自分の一部だから否定しにくいと思っていたマイナスの人格を、否定しにくいと思うことこそが過去の捉え方だと気が付いたのです。
 人格を知ってからの経過に視線を移して、長かった6年間のことが浮かび、体に戦慄が走りました。
 「ついに、こんなことが出来たんだ!」 私は彼女を断ち切れる。
この喜びを誰かに。私のことを知っている誰かに伝えたいと、心は躍りました。
 それから、その思いを自分に向けて、こんなふうに言ったのです。

「もう大丈夫だよ!見えてきたよ!」


2008年07月15日(火)

 もう少し早い時間に作業を始めたいと思い、5時半に起きました。それから、足の運動をしたかったので重りをつけて、30分かけて気になっていた市場に行ってきました。帰ったら7時半。そのまま机に座りました。
 10 時半ごろ、首が疲れてベッドに寝転び、天井を見上げ、昨日から気になっていることを引き出したら、“点”という言葉が浮かびました。
今も、点だと解ったら、体の力が抜けていき、これから続く私の道を形は違っても大切にしようと思えてきて、それから再び、体の力が抜けていくのを感じたのです。
「あーたぶん、これでいいんだ。無理をしていたんだね。もう、自由になろうよ」と、浮かんだ言葉に、心はうなずきました。
 頭に、腰につけていた重りが外れる風景も浮かびました。
重りは外側から外れたのか、自分ではずしたのか。自分で外して、そして自然に外れたと思いました。重りは呪縛です。
 しばらくして、再び「すること」を引き出しました。
これも、“点”だなぁと思いつつ。


2008年07月14日(月) いのち

 気になることがあって、気にはなっているけど「する」ということをしました。この頃、歩いて外出するときには、お手伝いの女の子も一緒に行きたいと言い、私も気分転換と勉強をかねて二人散歩をすることが続いていたのですが、今日はそれを遠慮させてもらって、一人で歩きました。 
 夜、長女の手紙に返事を書きました。長女の命をお腹に感じたときのことを思い出しました。今日の私は、手紙に答えられる自分であることに、安堵しました。


2008年07月13日(日) Sunday

 昨日の朝は、朝ごはんの変わりに食べようと思っていたアイスクリームがなくなっていました。節約生活の中の贅沢を持っていかれて、ショックが大きかったので、管理人さんにメールをしました。管理人さんは、午前中にアイスクリームを持ってきてくれました。でも、それを頂いても、これからの私の心の安心にはつながらなかったので、 「冷蔵庫に、日本語とベトナム語で張り紙をしてもらえますか?」 とお願いしてみたら、肯定してくださいました。私は、私のアイデアを受け入れていただけたことにお礼を言いました。
 日中は、部屋のガラスの修理やさんが来ることになっていたのですが、業者の方は 17 時になっても来ませんでした。それで再び管理人さんにお尋ねしたら、夕方には行きますと言いました。「 “ベトナムの夕方” は何時なんだろう」 と思っているところに管理人さんの友人が修理に来ました。

 今日は日曜日ですが、私の一日はいつも同じでした。公園の前で野菜を買って、壁投げをしてご飯を食べて、仕事に入りました。
 まとめの方は、その内容に惹かれてあっという間に時間が過ぎ、ベッドにもぐりこむこともなく、気が付いたら夕方になっていました。
 
 このベトナムという国に生きる私。今私は、小さな出来事がいくつもある毎日の中で、戸惑いを置き去りにしていた自分に気が付きました。
本を書くことは優先順位のトップですが、毎日自分の心をその時々で丁寧に向き合い整理することは、それよりも大切だと認識した日曜日でした。


2008年07月11日(金) 肯定♪

 朝の市場で買った野菜を、やかんで野菜をゆでてみました。私のやかんは中に電気を通す管が入っている特殊な形で、中が汚れたら洗うのが面倒だと思っていたけど、してみると面白かった…。それに何ヶ月かぶりに食べた茹でたての野菜、感激しました。
 
 まとめは、ひとつの引き出しをたどっていたら、再び新しい日記を発見しました。そのまま読んでいたけれど、 戸惑いと 「今まで知らなかったのはなぜだろう…」 があったので、集中できず、いったん P.C を閉じました。
 でも、解らなかった理由を探しても、そこに留まっているうちはきっと解らないのです。今は原因を探すよりもそのことをどうするか考えたほうがいいと思えて、もう一度 P.C を開いたら、今度は「今日、新しいページに出会ったんだ」と、ワクワクしてきました。
 こんな時、以前なら戸惑った自分を否定していました。否定からは否定が生まれやすいです。戸惑った自分を見るということをして、アイデアが浮かんできた自分を嬉しく思いました。
 「する」 ということをしているとき、心は軽く、すがすがしい気持ちです。
今、どうするかを考えることは、今を生きていることだと、してきた分だけわかってきた今日この頃です。

 ところで…まとめとは別のことですが、夜うれしいことがありました。 内容は日本に帰るまでは書けませんが、こちらも、続けると出来るようになるんだと実感した出来事だったのです。
きっと、私は自分をありのままに認めると、いいことがあるのです。
私は自分を肯定するのが好きです♪


2008年07月10日(木) 一日のまとめ

 昨晩10時頃には眠っていたので、今日は6時前に目が覚めました。ちなみに、毎日バイクの音で目が覚めるので、目覚まし時計は要りません。 この頃、朝の運動が気に入っています。公園の空気も気持ちいいです。公園内に壁投げ出来るスペースを見つけて、素振りと壁投げを交互にしています。 でも、バットを振ったときに「ブン!」と音がなりませんから、まだまだ。筋肉が付くのはこれからです。
 朝ご飯は路上の屋台でフォーを食べました。ベトナムの人は、朝からお肉を食べていますが、私の体にはさっぱりした麺類がちょうどいいです。
 家に帰って、パソコンを開いたら再び超スロー回線で、つながりを待っているうちに、あっという間に1時間が過ぎていて焦りました。
待っている間にも本につながる何かをしようということで、私は具体的にどの時期に本を仕上げたいのかと、年間カレンダーを作りました。
 そして、今作っている引き出しが今月中に出来上がることを目標にすることにしました。新しい目標が出来て、気持ちが新たになりました。
 それなのに、過去のものを読んでいるうちにその出来事の中に入って自分を探していたり、読むのが辛くなったり、キーボードを打ってはいるけど楽しくありません。
「あ〜あ。つまんない」とベッドに寝転んだとき、自分を完全に知ろうとしている自分に気が付きました。完璧を求めたら疲れて興味が沸かなくなっても当たり前なのでした。
 そんな中でも毎日小さな発見をして、重なる発見が確信になるよう動いていると思えています。変化は小さくても変化なのです。

 夕方は、縄跳びをしに行きました。ホテルのガラス戸に自分を写して30分くらい飛びました。途中でホテルの方が来て、ビデオの早送りのような速さで縄跳びをする真似をしたので、笑えました。

 家に帰って、ご飯を食べて、シャワーの前に軽く運動して、寝る前にもう一回パソコンを開いてまとめをして、今日もまとめの一日が終わりました。


2008年07月06日(日) Do 3

 今日は朝早くに雷雨が来て雨音で目が覚めました。ちなみに、私の部屋は、雨がたくさん降ると床に雨水がたまるのです。雨水は天井から降ってくるようでも窓から侵入するようでもないので、タイルの目地から染み出してくるのでしょうか。床の下にも部屋があるのですが…。とにかく不思議です。

 今日は日曜日です。この辺りは、日曜日は電圧が上がるのか、パソコン本体に熱がこもって、動きが遅ーくなり、文字変換さえままならなくなります。それを、ただ待っていると嫌になるので、その間テレビを見たり勉強したり、軽く運動してみたりします。部屋の中でもすることを探せるのでいいのですが、集中力に欠けるのです。 
 そんな中、「まとめること」「傍観すること」を意識しなおして、一日を過ごしました。

 ところで今日は、改めて決めたことがあります。私は本を書き上げた後にしたいことを決めました。そのことが出来るように、やはり、本書きを最優先することにしたのです。
 体のために運動を取り入れて。「運動・栄養・本書き」、この3つのことをする自分をすることにしました。


2008年07月05日(土) Jerry

 午後、研修生さんだったお友達が遊びに来ました。本の話になって、「どれくらいの本?」と尋ねて下さったので、「これくらいかなぁ」とシュミレーションしたのは、B5サイズの600ページでした。
 他に、紙の質の話や出来上がってからのことにも広がって、点が近くなったのを実感しました。


 最近、言葉の勉強を兼ねて、テレビをよく見ます。
 見るテレビはラブストーリーのドラマと、子どもさん向けの番組が多いです。ドラマは内容よりも普段の会話の中で使える言葉が出てくるので面白いのです。子どもさん向けは、言葉が分かりやすいので好きなのです。
 それで、今日は「Tom&Jerry」を見ました。
Tomは猫でJerryはネズミです。猫はネズミを捕まえようとしますが、ネズミは体は小さいのに、頭を使って逆にいたずらするのです。「ネズミが猫に噛み付いたっ。あべこべだ猫じゃらし」と、歌の歌詞にもあるように、どっちが誘っているのか分かりません。
 そのネズミJerryの奮闘振りとしっぺ返しにあうTomの間の抜けた(ごめんなさい)お顔を見ているうちに、私の中にチャイルドを癒やす時のイメージが浮かんできたのです。私は今、プラスの知恵を使って生きていますから、その私の中にいるチャイルドも自分よりも大きな大人をやっつけられるのです。こんな自分が頼もしくなって、とうとう1時間、2匹のやり取りを見てしまいました。
 テレビがこんなに面白かったなんて、初めてかもしれません。


2008年07月04日(金) Mame

 朝一番、バットを握ったら手のひらの “まめ” が破れてしまいました。洗って清潔にしたほうがいいのでいったん家に帰り壁投げをしに出ました。ところが、いつもの場所に車が止まっていて、壁が使えませんでした。端っこのほうで投げていましたが、ついに球がそれて排泄物のにおいのする辺りへ入っていきました。はぁ〜。球は汚れずに済みましたが、汚れてしまうと嫌なので、壁投げも止めました。
 そこへ氷やさんが現れました。壁の端っこの倉庫に氷をたくさん収納していて、それをバイクに積んで方々へ売りにいくようです。
 感心したのは、倉庫の中はトタン貼りで特別冷却されているのではないのに氷が解けないことです。運動は出来なかったけれど、面白いものを見せてもらったので、満足して家に帰りました。

 午後はまとめに入りました。この頃はパソコンのデスクトップに並んだ 「心の引き出し」 を見て喜んでいます。
 それから、今日も新しい発見をしました。それは人格についている名前のことです。今まで、それぞれの名前の由来を気にしたことはありませんでしたが、今日、一人の人格の名前は、実際にその当時人に呼ばれていた名前だったことを思い出したのです。
 さらに、夕方には、同じ日に6つの引き出しに分けられた日記を見つけて、悲鳴をあげました。能力を意識しなおしてもう一度デスクに向かいましたが、読んでいるうちに混乱してきてベッドにもぐりこみました。しかし、こんなことも心の傷を知るきっかけになりました。
 水脹れの“まめ” はつぶれましたが、“まとめ” は進みましたから、“まとめ” をするには自分を“こまめ”に見るといい、というのは私の “まめ” 知識です。“まとめ”の “と”を取ると “まめ” になるのですね…。そういえば、私は毎朝 “豆乳”を飲んでいます。

 ちなみに、辞書を広げてみたら、食べる“マメ”はカタカナで、水脹れの“まめ”とまじめの“まめ”はひらがななのでした。文章で遊んでいるうちに豆知識も増えました。


2008年07月03日(木) Choose

 今日は、朝起きてすぐに、公園へ素振りに行きました。久しぶりなので、手にマメが出来ています。つぶれると痛いので、温存できるように大切にしています。
 しかし、バットが重たくて…。それから、腰の筋肉も使うのでちょうどいい加減で止めました。(というより、出来ませんでした。)
 素振りを止めた後、空手の形の練習をしました。体が喜んだのがわかりました。

 午後、同じ大学に通う日本人の女性3人と食事に行きました。久しぶりにレストランというところに入り、最初は自分の来る場所ではないようで落ち着きませんでした。
 お店の中は清潔で、お料理は大衆食堂よりもきれいでおいしかったけれど、料理がなくなってお腹が満たされると同時に話題も尽いたような雰囲気を感じました。二人の方とは初対面でしたので、心の本を書いてると言うと「ふーん」と返事を頂いて次の話題に移りましたから、皆さんの関心と私のそれは違うことがわかりました。
 食事の後、皆さんはカフェに、私は家に向かいました。私もコーヒーが飲みたくなったので、ベンタイン市場のバスターミナルでカフェを買いました。帰り道に考えたのは、「こうして、自分にいいものをチョイスしていけばいい」ということでした。

いつもよりもたくさん食べたので、夕ご飯は入りませんでした。


2008年07月02日(水) 散策

 今朝は素振りをした後、近くの公園に行ってみました。入り口には行商の人が集まっていて、中に入ると、運動をしにきた人々が、所狭しとグループになり、ダンスをしたりバトミントンをしたり、それから、足で羽を飛ばして遊んでいたり(名前がわかりません)。私も、明日は公園に来て素振りをしようと思いました。
 公園を一周した後、周辺の道を散策しました。歩いているうちに、いつも入り口不明のグランドの入り口を見つけました。今まで、朝は学校方面に向かっていましたから、今日は新しい世界を発見したのです。

 朝食を食べて、さてまとめを・・とパソコンを開いたのに、お目目が活字を受け付けてくれませんでした。一日は長いのです。朝からこれでは…ということで、思い切って自転車の旅に出かけました。

 私は夏休みですが、町はいつもと同じように動いています。朝の公園の心地よさが残っていたせいか、バイクの騒音やクラクションが耳に付きました。
 ベトナムの渋滞の原因のほとんどは、事故や交通アクシデントではなくて一番先に行きたい人が集まったものです。そんな中、私は頭に本の世界を広げながら気の向くままにハンドルを握りました。

 途中でコピーやさんを見つけたので、ベトナムの方のようにお店の外から大きな声で「いくらですか」と聞きました。でも言葉が通じず、お店の方は困り顔。私は苦笑いしながら、もう一度ベトナム流に、自転車のまま中まで入り、紙を一枚指差して「いくらですか?」 と聞きました。値段は大学の近くのお店よりも安かったです。今後の活動の目安にしました。

 午後はまとめをしました。今日も感じたままに動いて、プラスが広がりました。


2008年07月01日(火) みち

 夕方、シャワーを浴びていたら、玄関になにやら物音がしました。
それは、長女から届いた2通の手紙でした。
日本とベトナムで未知の世界の道が広がったのです。私はうれしいです。

 うれしいお客さま。
2ヶ月くらい前から一緒に住んでいるヤモリ。キュンキュンと鳴きますョ。
 大学で見つけた虫。名前がわかりません。


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