「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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学校に行く途中でバイクに乗った男の人が話しかけてきました。最初、道を尋ねられているのかと思ったので、「何ですか?」と繰り返しているうちに世間話だとわかり、(なぁ〜んだ)と思いました。 でも、その人はのろのろ運転をして話しかけてくるので、私は以前からしてみたかったことを試みました。それは、私の足でバイクにつかまって、バイクに自転車を引っ張ってもらうことです。これで自転車をこがなくてもすむのです。ホーチミン市へ来てからよく見かけるこのスタイルを、いつかしてみたいと思っていたのです。しかし、見ているより難しくて出来ませんでした。 彼は、ベトナムの電力会社に働いていると言いました。なるほど、ベトナムのマークの制服を着ています。私はベトナム語の職業紹介を一度で聞き取れた自分に、密かに歓声を上げ、習った単語の職場で働いている人が実際にいたことにワクワクしました。 次に彼は、「僕は電話に詳しいよ。だから電話番号を教えて」と言いました。私は笑えました。そしてその延長で番号を教えてしまいました。 でも、すぐ後に(あれ?)と思い、「でも、どうして電話に詳しいだけで番号を聞くの?!」と言ったら、「へへへ」と笑っていました。 私は右脳の発想で動いてしまったのです。でも、今回はそんな自分を知っていますから、前回よりは成長しているのです。と、Open にしておくのが好きな Mamo ちゃんでした。
学校ではテストが帰ってきました。本書きの息抜きに勉強していましたから、それなりの点数。出来た分だけ出来て、ミスった分だけミスって、答案の解説も楽しめたプラス満点のテスト結果でした。 授業は今日で二つ目のコースが終わり、明日から3週間の夏休みなのです。楽しかったせいか、Techerと目が合うとき、他にもクラスメイトは居たのに、マンツーマンで授業を受けているような気持ちがしていました。 本書きのまとめもようやく軌道に乗り始めたのか、私は今、過去を見る楽しみという好奇心の中にいます。 数年前の自分を傍観するときの気持ちを一言で言うと「私ってこんなだったんだ」という感じです。 私は、私が知っている以上に、私をしようと動いていたのですねぇ。
夕方は家の近くの食堂へ行きました。この食堂は行動範囲の中では一番安い食堂で、大盛りご飯とおかず1品で一食7000ドンからです。私はご飯を半分にしておかずを2種類にしてもらって10000くらいです。 安いところがお気に入りなので、帰るとき、いつも「ありがとうね」と言いますが、お店のおばちゃんは今日、私が帰るとき、肩を撫でてくれました。ベトナムの母の居るお店が又ひとつ増えて、喜んでいます。 今日も居心地のいい一日でした。
明日はテストなので、学校へ行ってきました。プチテストの問題に 「もし〜だったら」 という文法を使って文を作るものがありました。私は 「もし私が魚だったら、海の底で眠ることが出来ます」 と言いました。それから、「学校が終わったら、・・・をします」 の文章には 「よその国へ行って暮らしてみたいです」 と言いました。「どんな〜も〜です」 の時には、「私はどの国でも生きることが出来ます」 と言いました。 全部、Wonder な Mamo ちゃんです。この頃、授業時間にもベトナム語で遊べるようになっているのです。 実は、テストを受けるかどうかわからないけれど、難しいところは質問をして、使えるようにしてから帰ってきました。楽しかった・・・。
目が疲れて寝転んだベッドの上で、子ども達の手紙が目に留まり、手にとって封筒を開けてみました。 三女と次女の手紙のどちらにも、「会いに行きたい」という言葉がありました。その文字は日本でも読んだはずなのに、始めてみるような気持ちがしました。 その横に書かれた電話番号を見ているうちに、公衆電話に走っている自分が浮かびました。でも、今はまとめをしている途中ですから、浮かんだ自分は先送りです。
それにしても、私は自分の親に会いたいとは思わないのに、この子達は、彼女達を置いてきた私にさえ会いたいと書いています。親って何かなぁと改めて思いました。 たぶん、子どもの時代は、私自身がそうであったように、どんな親も、親は親なのです。そして、私は自分の親とは少し違うことをしています。 私は、自分の語ったことを形にすることは私自身の親としての責任です。こんな私はどこまで出来るのか、自分の可能性を知りたい気持ちもあるのです。それに、まだ苦しい自分もいますから…。 「どこまで出来るか、してみよ〜!」は、つい最近、壁に貼った言葉です。
こうして考えると、日本を離れる直前に届いた彼女達の手紙に、動くエネルギーを得ていたのですねぇ。手紙の中から、手のひらですくい上げたみたいです。
夜、屋上に洗濯物を取りに行きました。ひんやり冷たい空気が、私に夜空を眺めることを提案してくれました。 トタン屋根の上に座って空を見上げたら、白い雲の間から小さい星がひとつだけ見えました。遠くの方で、飛行機が低い位置で飛んでいました。空港の方角に向かっているからどこかからの到着便なのでしょう。飛行機の行く先を追っているうちに、「来ている自分」が浮かんできました。 私は今、ベトナムに来ている。そう、来ているのです。何のため?心の本を書くためです。 脳裏に、ここに至るまでの苦しかった頃の自分が浮かび、「いろいろあったなぁ。そして、ここまで来れたんだなぁ」と、心にあたたかいものがこみ上げてきました。 ベトナム滞在4ヶ月目を終える直前に、遅ればせながら、本当にベトナムに来ることが出来た自分を実感した夜でした。
寝る前に部屋のドアを開けたら、ゴキブリが入ってきてしまいました。ベトナムのゴキブリは、日本のものより二回りくらい大きくて、まるでカブトムシのように存在感があるのです。4畳半の狭い部屋にゴキブリと一緒なんて、夜中に暗闇を舞う姿を想像したら、どうしても出て行ってほしくなりました。 ということで、荷物を少しずつ移動させ時々悲鳴を上げながら、夜遅くに大掃除です。 10 分くらい後のことでしょうか。ふと見ると、ゴキブリが私にお尻を向けて、部屋から出て行こうとしていました。 「お願いだから振り向かないでね」。 後ろからそっと近づいて、床をパン!とたたいたらゴキブリは急いで部屋から出て行ってくれました。(急いだのか普通なのか分かりませんが) アリの大群より大変に緊迫感がありましたョ。だって…ゴキブリさんは飛びますから…。
道を歩いていたら、同じ服を着た方々がいて、その人々を見ているうちに、こんな言葉が浮かびました。 「この国の人も、日本と同じように、同じ色に染まることを要求されて生きているのではないかな」。 同時に、それまで気にしたことのなかった若い方々の服装や髪型。道を走るバイクについている飾り。ベトナムの皆さんが私に語ってくださる言葉も浮かんできました。 そして、私はこの国でも世界中にただ一人の私として生きる自分を生きようと、改めて思いました。実際にそんなふうに生きていると、どこにいても楽しいです。
こんな私は今日、「希望に満ちた将来」というベトナム語を見つけて喜んでいます…。
2008年06月20日(金) |
きっかけに出来ること |
2週間くらい前、面白い発見をしました。それは何かというと、今あるお金の中で楽しんでいる自分です。 子どものときから心に傷を抱えていた私は、ある時からお金や物よりも大切なものを探し始めました。その流れで今ベトナムにいますが、日本に居た頃は、安定した収入の中でお金よりも心が大切だと言っていたのです。ですから、収入がなくなることは考えられませんでしたし、そのものが途絶える状況には不安がありました。それに、途絶えることで不安になるのは収入のある中でのみ生きてきたからだと思っていましたが、こちらで生活するようになってから、お金と命が直接つながる心の傷を発見し癒やすことが出来たのです。これは、私にとって大きな発見となりましたから、このときの心の開放感が傷の深さに比例していたことを、改めて書き添えます。 ベトナムという国は、経済的には日本より後を歩いているせいか、時々金銭的に悲しい思いをすることがあります。でも、そのおかげで、おそらく日本で暮らすのみよりは早い時期に、私の根幹に近い部分を見ることが出来ましたから、今は開放感の中で自分を遊ばせています。
2008年06月18日(水) |
Open the door |
ある程度まとまった文章を読んでいるうちに、自分は家族の誰もが内緒にしてきた数々の秘密から開放されたかったのだと気が付きました。重たい秘密から一刻も早く開放してあげたい。そして、これからそれが出来ていくのですから、私の本は、本当に、自分のための本になりそうです。
ベトナムの人に、独りで生きているというと、寂しいねぇとか大変だねと言われます。そのたびに、一人は寂しいって誰が決めたのかなぁ〜と思います。 孤独の世界も楽しいのです。一人でいても誰かといても、私に私独自の世界があることは同じだから、そこに他者がいる時といない時があるのみなのです。集団の中で、自分を感じている自分を見るとき、自分を生きている感覚を楽しむことが出来ます。そして、時には、人々と会話を楽しみたい私も居るのです。
それにしても、 「孤独」 という言葉はマイナスのイメージがあるのは何故かなぁと、「孤」 と 「独」 の漢字源を調べてみたら、「孤」 には 「みなしご」 とか 「一人だけ離される」 の意味が、そして、「独」 には、 「他が動いても独りでその状態を守るさま」 の意味がありました。 ということは、「孤」 という字の中にマイナスのイメージが入っているのですねぇ。私は、世の中の漢字がすべて、プラスのイメージになったらいいなあと思いました。
今日は、性の虐待を受けた自分をまとめました。 時々、巻き込まれて辛くなりましたから、そんなときは外の景色を眺めて能力を意識しなおして、自分を見守りながら進めました。 そんな中、面白い自分を発見しました。それは、自分より力のある何かに守られたいと感じている自分です。でも、一人で生きているのに守られたいと感じる自分は不思議です。すると今度は、“見守られたい自分”にたどり着きました。 小さな子どもが、ちょっと遊んでは戻ってくる。だんだん距離が伸びていってそのうちにお母さんの見えないところでも遊べるようになっている。そんなイメージが私の中に広がりました。そして、自分を見守ることなら、私にも出来るのです。そんな自分に安心しました。 ありのままの自分から、発見が発見を呼び、次の楽につながって。今私は、明日の自分にもワクワクしています。
2008年06月14日(土) |
In the futuer . tương lai |
今日は、朝7時 40 分からまとめをはじめたのですが、お昼ごはんと休憩をはさんで、気が付いたら夕方5時になっていました。時計を見てびっくりしましたが、一日続いた理由はすぐにわかりました。それは何かというと、数日前から自分の中に、「こんな形にするといいのかなぁ」 と方向性が見えてきて、散歩に出ても、頭の中にアイデアが浮かぶようになってきて、こんな自分にワクワクしながらまとめを進めているからです。 私は近い未来、ライターになるのかエッセイストになるのかわかりませんが、今は、書いている自分が楽しいのです。
首が疲れたとき、何をしたと思いますか?私はついに、部屋の中でも壁投げが出来るようになりました。壁につけたポイントめがけてボール投げをしたのです。
Tương lai Mamo muôn tăc gia.
この頃まとめが楽しいので、もう学校には行かないでおこうかなぁと迷いつつ、今日も学校に行きました。 始めは、学費を払っている分は学ぼうという気持ちで行っていたのです。でも私は、高いお金を払っていても楽しくなければ行きません。どうして行くのかなぁと自分に問うたら面白い発見をしました。 私には、学校に行きたくても行けなかった過去。行きたくないのに行かなければならなかった過去。 勉強したくないのにさせられた過去。勉強したいのに止められた過去が入り混じっています。それに、学校にいい思い出はありません。 ところが今、授業で自由に発言する自分が面白いのです。少し前「わからなくて出来ません」と伝えた内容は、今はなくなり、「むつかしいなぁ…」とつぶやくと「どこ?」と問い返して説明を繰り返してくれる。最初のうち、シーンとしていた教室内で、Teacher に質問する人も増えて…。 感じたままに伝えることが出来て、わからない私もわかる私も受け入れられて、行っても行かなくてもよくて、それはいつも私の意志で決められる。何より私は、誰かに受け入れられるためではなくて自分のために行っている。こんな自分がうれしくて、自然に、過去のトラウマを取りに行っていたのです。 ちょうど今、まとめの方で、娘が学校に行かないことをし始めた頃の日記を読んでいるのですが、あの頃は今の感覚を知りませんでしたから、自分の心に気が付かないまま子どもの気持ちを受け入れようとすることに一生懸命でした。そして、今は自分の経験から感じたことを元に見守ることができる。心を基準にしてよかった。自由な心は自分を肯定することから生まれるのだと、心に感じます。
今日はひとつ発見をしました。それは、過去5年間のまとめを始めて以降、時に別の人格であった自分と語り合ってきた事実を大切にしてきたことが、今日になって、「私に複数の人格が居たのは、自分が壊れるほど傷つけられたからだ」というところへたどり着いたことです。 このことは、5年前の私も頭ではわかっていたけれど、これまで道理がわかったに過ぎなかったことを、今日、心に実感したのです。 こうしてみると、今を知っている私は私の一部分で、実際には、まだ日陰に入っている私がたくさんあることも感じさせられます。 こんな気づきが楽しくて、もっと自分を意識して過去を見たくなりました。
2003 年6月9日は新しい私の出発の日でした。あの日からまる5年が過ぎ、私探しの旅は6年目に入り、家を出る前から数えると6年5ヶ月目になります。 そんな私の数日前の淋しさは、子ども達に会いたさからでした。でもね、すぐに分かったのです。 私は、淋しさや憂いの中で生きたら、将来彼女達と向き合うことが出来にくくなるのです。物理的には今でも子どもに会うことはできそうですが、心を基準にする私には思いつきません。と、書いた私は、自分の未来をプラスに導いてあげられたのですねぇ。 6年目の私も、明日を見て、過去より楽な自分を楽しみ、どこまでできるか、自分を試していくのです。 私の未来が広がるよう、出来ることをしながら新しい自分を育てます。こんな自分を見るのは面白いのです。
朝6時半にパソコンを開いて、時々お茶を飲みながらまとめをしました。今はメモ書きを整理しているのですが、ノートの端っこに書かれた一言に、当時分からなかった自分が見えて興味深いです。それに、今日の気付きは明日の自分につながると思うと、まるで、過去に残した小さな点を集めているようでした。 15 時ごろ、プールに行きたくなって外に出ました。 この頃は日中暑さが増しているのですぐに汗が噴出します。途中の公園で自転車を止めたら、目の前に、腕を回しても手が届かないくらいの大きな木がありました。地面には、はみ出た根っこが蛇のようにうねっています。 その根っこを見ているうちに、木の肌に頬をつけてみたくなり、木肌の感触を私の細胞の一つ一つに沁みこませました。 再び自転車に乗り、上を見上げたら、木の葉の間から太陽の光が差し込んでいました。
なんだか淋しい。感情が膨らんで心が痛いよ。気分転換の散歩に出たのに、誰か私に話かけてくれないかなと思ってる。淋しいってどういうことだろう。 淋しいときにやさしくされるとうれしい。安心したり体の力が抜けたりする。やさしくされて力が抜けるのは、それまでは力を入れて生きていたということだ。やさしさは、淋しい人がいると発揮されるんだ。だから、憂いという言葉がつながるんだ。 今の私はどうなんだろう。何故、淋しいんだろう。太陽は遠すぎて手が届かない気さえする。自分は一人を楽しんでいるのか、そうすることを余儀なくされているのか、分からなくなった。
淋しいって、どういうことだろう。 淋しいを辞書で引くと、心が満たされていない状態と書かれていた。そのとおりだと思う。枯渇して死んでしまいそうな自分。満たされていないよ。 でも、何に満たされていないの?今私は自分で自分を暖めてあげることが出来るのに。ということは、これはチャイルドの叫びなの。子どもの頃、放っておかれたから、心に残っていた淋しさがあふれ出た。 道を歩く人々は、私の不足部分を満たしてくれる親とは違う。代理の親とも違う。私は自分で自分を満たしてあげよう。
何をすれば楽しいだろう。今日は3つ目の日記をまとめるのが楽しくて、時間を忘れた。他に何をしたら楽しいだろう。この間はベトナム語の世界地図を見て遊んだ。私は楽しみを探すことが出来る。大きな能力を持っているョ。私は自分を愛する方法を探しているんだ。
夜、ベトナムの友人から、田舎へ遊びに行こうとメールが届いた。私には大切な仕事があるから、明日の自分のために、お断りした。
今日は、代理の Teacher で、殆ど、Teacherと私達との会話形式でした。 質問の答えを真剣に考えるクラスメイトに、「答えは何でもいいの。ベトナム語を話すことをしているのだから、答えは1でも2でも3でもいいのよ」と伝えているのを聞いて、うなずきました。最後まで楽しかったです。
昨晩、ベトナムの友人に聞いた夜市に行ってきました。場所は家から歩いて 15 分くらいのところで、車がやっと通れるくらいの広さに、夜7時ごろから出店が並び、夜中の2時過ぎまで賑わっているそうです。私が行った時には、まだ準備段階で、テントや品物が道にあふれていました。開店を待ちながら歩いてみると、出店の端から端までゆっくり歩いて 20 分くらいでした。品物は衣料品が殆どで、途中に Pho のお店がありました。 準備の出来たところからお客さんが集まり始め、私も白いTシャツを2枚買いました。
エアコンの調子が悪いので、もう一度大家さんにお願いしました。今日は部屋の中で修理です。午後2時に始まって、終わったのは夕方5時過ぎでした。私の部屋のエアコンは、形の識別が出来ないくらいに古いのですが、日本で捨てられたものだと教えてくれました。日本で使えないと思われるものも、実際にはまだ利用できるものがあるのですよね。 日本人の私は、3時間もかけて修理してくれたベトナムの人を前に、少し恥ずかしくなりました。
久しぶりの授業。今日は、「私は何人兄弟です」の練習をしました。日本語だと簡単ですよ〜。でもベトナム語になると…。それでも、耳を済ませて聞いているうちに、日本の言い方に似ているなぁと思えるようになりました。ですが、すぐに言えるかというと、そうでもないのですねぇ〜。 だから、わかりやすいように、ノートの端に手の指の絵を書いておきました。
午後はまとめと昼寝をしました。
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