「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年11月30日(金) いのちの音

 大きな声や音の中でも自分を感じたくて、静かさを意識することにしてみました。出勤前、部屋の中で練習してみました。聞こえるのは時計の針が動く音と、ストーブの音。それから、私の鼻から出る息の音。
 自分の息の音。この、自分の鼻から出入りする空気のかすかな音が怖かった子どもの頃のことを思い出しました。


 実際に職場に着いたら、することがたくさんあって、それどころではありませんでした。だから、夜もう一度、いろいろな音に耳を傾けてみました。 私の周りにはいろんな音があるのですね。面白いです。
そして、子どもの頃に恐れていたものを楽しめる自分が、何よりも嬉しいのです。生きていた。生き延びてこれたのだから…。
私の、やさしい時を繋げるための大きな能力になりました。

 小さな取り組みが過去の自分を見るきっかけになって、私は今、心から喜んでいます。

 


2007年11月29日(木)

 今日は、午後から、台風にような出来事の中で息がつまり、患者さんが出入りする診察室で立ちんぼうになったまま動けなくなりました。
 派遣の看護師さんもアルバイトの医師も患者さんも見てる。アルバイトの先生もん?という顔をして私を見ました。仕事が出来てない。
 「あ〜、ここももう駄目だな」と浮かんできて、ついに涙まで浮かんできて、マスクをしているから赤い鼻は見えないことが幸いでした。
 でも、そんな自分が見えたから…。しばらくしているうちに、私は覚えることがたくさんすぎて、いっぱいいっぱいなんだとわかるようになりました。 そこがわかったら、少し安心して動けるようになりました。今の自分を伝えればいいような気がしてきたのです。それから、いつもいっぱい抱えようとする自分に気が付けたのです。

 あとから事務の女の子の説明を聞いて、私が忘れものをしていたことが分かりました。それは小さい連絡漏れでしたが、私はまちがえてはいけないのです。女の子の言葉を素直に聞こうとしている自分が不思議でした。
 
 家に帰ってから、傷ついている自分を思い返して自分をみつめました。今日はこんなことがあったんだ・それで自分は傷ついたんだと自分に感じさせてあげることは、今の私が私として生きるために最も必要なことなのです。無いものに、あるいは目を逸らして忘れさせて今を過ごしたら、独りを生きる時間が遠のくからです。

 それにしても、分かったこと。
始めて就職した場所で、私はきっと今日のようにして、時を失くしていたのだなぁと。
“わからない”がいっぱいだった過去。でも今日私は、動けなくなった自分を感じられたのです。
 否定されていいはずはないけれど、こんなに深い傷に出会う機会を得たんだなぁ。

今夜も自分が見えてよかったね。


2007年11月28日(水) おやすみMamo

 このごろ、頑張りすぎている自分を知り、今朝は仕事に行く気持ちが針の先ほどくらいに小さかったのです。ところが、「こんなときでも私を意識していったら楽しそうだ」という気持ちになりました。そうしたら、あれれ。患者さんと会話を楽しむ自分が浮かんできて、とうとう仕事に行きました。
 仕事が始まってみたら、私のステップにつながる新しい発見がありました。楽しむことを楽しみにして仕事に行ったから分かったのですね。
 夕方、名古屋駅方面の街路樹のイルミネーションを見ました。青色と白色のLEDのコントラストがきれい。もう、本格的な冬が来たのだなぁ。そしてもうすぐこの年も終わるのだなぁ。

 夜、布団の上に寝転がって丸くなって、母親に体をなでてもらっている自分をイメージしました。お母さんの横で安心して寝ている赤ちゃんみたいでした。
 私には、あたたかさを感じさせてあげることが大切。あたたかさ・あたたかさ。

 それから、新しいことを1つ自分に伝えました。それは、今という時をやさしく積み重ねていくこと。いっぱいとかすぐにとか、なくてもいい。やさしい点があればいいです。

静かな安心の中で、おやすみなさいねぇ。


2007年11月25日(日)

 今朝は、ヴェトナムのお友達から電話がかかってきたので、朝からヴェトナム語でした。そのあと稲武へ紅葉を見がてら、研修生さんたちの寮へ遊びに行きました。
久しぶりだったので、懐かしくて嬉しかった。相変わらずやさしい笑顔の皆さんと勉強したてのヴェトナム語で会話が出来たことは楽しくてうれしかった。
 この頃毎晩、ヴェトナム人のお友達と会話していること・毎日勉強していること・それから、将来はヴェトナム語で心を語りたいことを、ヴェトナム語で語りました。自分の生活を、日本語を語るように、語れた分だけは自然にヴェトナム語で語れてた。私の話をうんうんとうなずきながら聞いてくださったお友達。ありがとう。
 
 しばらく会わないうちに、結婚されて日本に戻ってきた方も居ました。研修生さんたちもヴェトナムへ帰国した方を含めてそれぞれ、人生のドラマがあるのですね。

 私も、自分のしたことは人生の一部として自分に残る。毎日ていねいに自分の心を見て、少しずつでもいいから過去を整理していきたい。それで、毎日なりたい自分になれる自分を意識しています。
 今大切にしたいものがあって、それはこの数ヶ月続いていて、今はいつでもその部分を掘り下げたいと感じています。優先すべきは今感じているものの Why を見ていくことだと、心に感じる今日この頃。自分の人生が広がるから。


2007年11月24日(土) おはなしおはなし

 自転車初出勤。
いつもより30分早めに家を出て、殆ど下り坂の行き道を、シューっと滑って軽やかに進みました。自転車で15分。時間にしたら、短いくらいの距離で、職場の近くまで来たときには、体が温まっていました。そして、ここから寄り道。
 30分早く出たのには、理由があったのです。寒空と仲良くし始めた私の初めての試み。子どもの頃寒さに泣いていた自分が居るから、目的地近くのマクドまで着いたら、あったかいところでコーヒーを飲む。
そうです。今朝はマクドでモーニングの予定を立てたのですョ。

 仕事は忙しかったけれど、心は軽く静かに仕事をこなした日。こんな自分が面白かった。
そして午後も、自転車独り遊び。図書館に行って、また、ヴェトナム語の教材を借りてきました。こんな時、やっぱり嬉しいのです。

 ほら貝池の近くを走っていたら、赤く染まった街路樹の下に落ち葉のじゅうたんがありました。傍に行って落ち葉を踏んで遊びたい気持ちがしましたが、日が暮れると寒くなって、体が冷えてしまうかもしれないから、買い物先へ走りました。

 ペダルをこぎながら、天白区の自然とお話しました。
天白さん、今年からしばしのお別れかもしれないよ。なぜなら、来年の今頃私はベトナムに居るかもしれないから。だから、今のあなた達をたっぷり感じていたいよ。落ち葉は赤くてかわいいね。私の生きている名古屋にも、愛があるよ。


 買い物先からの帰り道、まんまるい大きな月を見ました。今日は透き通ってきれいなお月様。
ご飯を食べたあと、もう一度月を見たくなって夜道の散歩に出かけました。住宅街の中なのに、きれいな星も見えました。冷たい風も気持ちよかったです。

 お散歩から帰ってお風呂に入ったら、お湯につかっている部分はあったかくて、お湯から出ている顔に当たる冷たい空気が気持ちよかった。頭の半分をお湯につけて、お湯と空気のさかいめのなんとも言えないくすぐったさ(…分かりますか?)にプルプルしながら、天井の先にある星を思い出しました。夜の散歩が楽しかった。又行きたい。
生きているから、又行けます。
今年は寒さと仲良くしたい気持ち。こんな私は不思議だなぁ…。


2007年11月23日(金) プリティーウーマン

 久しぶりの、あたたかめなお天気の日。
内海海岸へ遊びに行きました。海に反射した太陽の光が今までにないくらいに広範囲に広がって、ダイヤモンドみたいにまぶしかった。
 少しのツブ貝と食べたい分だけのカキを採って遊びました。採れたてのカキを口に入れたら、塩加減が程よくて、おいしかった。
 冬の寒空を、トンビが、夏と同じように鳴きながら舞っていました。海の生き物は冷たい水の中でも大丈夫なのだなぁ。毛皮はないのにネ。

 
 お風呂上りに鏡を見ました。私の顔。プリティウーマン。

今からもっと成長してプリティーウーマンのようになりたい。
今だって、なりたい自分になろうとした分だけは、楽しい。
 今の環境を利用して、もっと自分を育てます。
なぜなら、私は成長したいからです。

こんな私って、面白いんじゃないかな。
鏡に映る自分を見て思う。
私が私の目を見て笑ってる。

生きることって、楽しい。



2007年11月21日(水) 150%の好奇心

 仕事は半日で終わり、毎月恒例の勉強会がありました。私は初参加です。勉強会は違う知識が入ってきて面白かった。
 会のあとに薬品会社の方から薬の効果などの話もあり、お弁当を頂きました。お弁当は製薬会社さんから頂くらしく、オードブルのように大きかった。大切な栄養素なのでおいしく頂きました。それからボールペンを頂いて、でもボールペンは先月も頂いたのです。
 病院ではよく、製薬会社の方からペンやメモ用紙を頂きます。そんなに早くなくなるものではないので、机の引き出しにたくさん余っています。あのペンをヴェトナムで出会った子どもさんたちに渡せたら、彼らは何をして遊ぶかな。

 

150パーセントの好奇心。

あるものとないものについて話す機会がありました。私は、150%の好奇心があれば、今はないものをこれから掴んでいくことが出来ると言いました。
私にも、生きていくのに足りないものがたくさんありました。傷の深さに比例しているように、足りないものばかりでした。
 そして今は、心の傷が癒えたぶんだけ、引き出しが増えました。
 知らないことがあるとする。というより、今知っていることは今知らないことに比べたら針の先ほどの小ささ。そして、150パーセントの好奇心を持っている私だから、いろんなことを知ろうとすることが出来る。

150%の好奇心。思わず出た言葉だったけれど、私の宝物のような言葉になりました。

毎日のように、私にとって大きな気付きがあって、今夜もまた嬉しい。
いつも私が主体でいいのだなぁ。どんな時も。


2007年11月20日(火) しゅらしゅら

 今朝は、自転車で行こうと準備して、さあ出発と外に出たら、空模様が怪しかったのです。どうしようかと悩んでいるうちに時間が過ぎて、ついにバイクで出発しました。職場に着いたら晴れてきて、はららぁ〜。
 病院は患者さんが少なくて、ゆったりと仕事をしました。アンゴラの靴下を履いている看護婦さんが居て、気持ちよさそうだったので、お手手ですりすりして遊びました。女の子と遊んで、ストローク。こんな風にアイデアを浮かべられるのは、私の心が昨日よりも又少し先に進んで、ゆったりしていたからなのです。
 
 
 夜、お風呂につかって、浴槽の壁についた小さなあぶくを指でなぞってみました。そうしたら、なぞられて離れたあぶくは皆、壁伝いに上に上がってきて、水面まで来たらきれいに並んでシュラシュラと消えていったのです。面白いから壁中のアブクをなぞって遊びました。なぞったところから順番に水面まで浮かんでは並び、並んだ順番に消えていく様子がかわいらしかった。よーく耳を澄ませたら、アブクが消えていくシュラシュラの音がかすかに聞こえてきました。これもまたかわいらしかった。そういえば名古屋へ来た頃、プールに通ってアブクで遊んだのです。アブクって面白い…。

明日は自転車通勤が楽しみ。早く明日になぁ〜れ。

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2007年11月18日(日) 未来

 自分の心に添って、楽しいことがいっぱいありました。
シーズン最後の野球で、3年間のうちに一番したかったことが出来ました。
それから、自立した女性になれるよう自分自身を導いている自分を見ました。
それから、ヴェトナム人の男の子と、ヴェトナムと日本の心の架け橋になれるねと語り合いました。
そのあと、私のヴェトナム人教師 Tちゃんと、今を語りあいました。

未来を見て今を語った日曜日でした。


2007年11月17日(土) 持続

 今日も自分を見てきた日。
とても忙しくて、水分も取れず座ることも出来ず動き回りました。体はきっと疲れてた。
そして心は…。「こんな日もあるね」と割り切って軽く動く私が居ました。我慢ではなく、辛抱の気持ちでいられたみたい。昨日満たされた自分の延長で、楽に働いていた自分を実感しました。
 仕事が終わってから飲み物を数本買って午前の分も飲みました。おいしい水分でした。

 午後は育成会。ある方の、自分と対話するという言葉を聞き、心に浸透しました。私も、 私の気持ちを知っているのは私。私の心の声を大切にします。いつも自分を整理して、よりていねいに語れる私を育てます。

 いろんな方の話をきくことが出来て、有意義な時間でした。


2007年11月16日(金) よかったよかった。

 今日は少し時間があったので、処置台を拭いたりそうじをして楽しみました。ステンレスがきれいになって、自分の顔が写って面白かったです。それから疲れる前にこまめに水分を摂ってあげて、座れるときには座ってあげて、自分を大切に出来る方法を探しながら、仕事を楽しみました。



 それと、オウム返しを利用してみました。利用した後は少し疲れました。疲れたのは、少し戦ってしまったから。

 でもね。
私は逃げなかった。
痛みを感じる自分を大切にして、先の自分のために自分を伝えてあげられた。
新人だからとか、分からないことが多いからという理由で小さくなっていた自分を助けてあげられた。
社会にある上下関係に、NOが言えた。
動きの中で学んだことは「人として対である」ということ。

自分の現実の中で自分にインプットしてあげられたんだ。

やっと出来た。よかったね。
よかったよかった。


2007年11月13日(火) らったった♪

夜のお散歩と空手がつながって、だから今日も空手に行きました。
道場で感じたままに動いていた私。そうしたら…。

 思わぬところでトラウマが取れて。それも、そうしている私を感じてた。私は私を感じていたのデス。

すごいすごい。出来たできた。今夜はいつもの何倍も嬉しいのです。

明日も楽しもう。

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2007年11月11日(日) 安心と楽しみ

 午前中パソコンとお友達。インターネット録音が出来るようにしようとしているのです。しかし今日も、録音した音の再生ができませんでした。どうして音が出ないのだろうねぇ。
 パソコンに飽きたあと、ルソー著書 『Emile』 を読みました。『Emile』 の中には感官という言葉が何度も出てくるのですが、今は、「人の体は触覚で守られている」というような辺りを読んでいます。ルソー君の言葉は持っているものを大切にしている私の心に響き、共感を覚えます。
 それと、ルソー君は、夜の遊びをたくさんするほうがいいと書いていました。人が暗闇を恐れるのは、見えない世界で想像して恐怖心が増すからだと。私自身が過去に刷り込まれた事実と同じです。
 子どもの頃、遠くに見える電柱や影すら怖くて大変でした。大人になってからは部屋の電気の紐が私を襲いに来ると怯えました。
 私も自然な暗闇の楽しさを知ってみたい。今度、夜の散歩に行ってみます。楽しみ楽しみ。

 夕方は Gobamcan の人々と会いました。人が集まればそこはひとつの集団になります。そして私の感じたものを大切にしていると、人々の話も自分に興味のあるところに参加しようとすることが出来るのですねぇ。 これでいい。感じたものを基準に動くとこういうことになるのです。

 夜、鏡で唇を眺めました。くちびるってつややか。自分の指で触ってみたら、つるつるプリプリしてくすぐったくて気持ちよかった。唇って敏感なんだなぁ。
 赤ちゃんの頃いろんなものを口に触れてその感覚を楽しんでいたかなぁ。40 年くらい前の自分にそれが出来ていたとは感じられない分、今の私に出来る方法で、感覚を楽しんでいます。こんな自分に安心。
そして、今日も一日楽しかったねぇ。


2007年11月10日(土) 感覚

 今日も忙しモード。病院という場所はどうしていつも人がいっぱいなのでしょう。皆さん怪我と病気に注意しましょう。
 そして私は、忙しくても自分のすることを大切にしました。ていねいにしようとする自分を見たあとのある瞬間、「あ〜これでいいんだ」と、心に明かりが灯りました。
 産休で休んでいる看護師さんが、赤ちゃんを連れてやってきました。小さな赤ちゃんを抱いたお母さん。お母さんは看護師さん。目を逸らしたくなっている私に、「私にもこんなときがあったね」と言葉をかけました。何が間違っていたのかなと自分に問うている私と根底を知っている私がもうすぐ同じになるからね。こんな自分を知っているから大丈夫。

 昼間お笑い系のテレビを見ていたら、画面の中の言葉と職場で聞く言葉が重なりました。世間の人々の語源は、ここからきているのか…と納得しつつ、面白くて笑えました。でも、私は使わないようにしたい日本語なのでした。
 特にこの頃、ヴェトナム人Tさんと毎日電話で会話しているから、ゆっくりていねいに単語を並べて語れるように意識しています。私の言葉が少しでも早くなると、もう少しゆっくりお願いしますと伝えてくれます。そして私がヴェトナム語を習うときも同じ。お互いに早くなりすぎているのがわかって、2人で笑うことがあります。こんな時、ほんとに面白いです。
 いつも、世の中に私を当てはめるのではなくて、私の心に私を添わせて生きるのがいいのですねぇ。

 夜のお風呂の時間。人肌程度のぬるめのお湯が、最高に気持ちよかった。私がもし赤ちゃんだったら、これより熱いお湯には入れない。ぬるさを楽しんだバスタイムでした。
 ご飯の時間には、口の中でいろんな感触。鶏肉って、こんな感じだったんだとまたまた楽しかった。そのものの舌触りを楽しんで、心もお腹も喜びました。食事が終わっても、口の中に感じた鶏肉の感覚を忘れたくなかったから、思い出して楽しんだ。ある日の夕食でした。
 今日はどうしてこんなに、感官な日だったのでしょう…。不思議な一日なのでした。


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2007年11月09日(金) オウム鳥

 今日は、リストカットをしている子どもを見かけました。世の中には、変わろうとしているところと、変わらずに保たれているところがある。そして、この子たちが居るということは、世の中はやっぱりマイナスなのです。心を大切にされているほうがいいです。

 午後、注射をしていたら、こんな会話がありました。
「かんのさん、これ忘れてたやろ」
私から離れた場所で、付ける必要のあるものを付けるのを忘れていました。
「あ〜すみません。ちょっと手が離せない…。付けておいて貰えますか?」
「いやだ」

 マイナスの言葉に出会ったときは言われたことをそのまま返せばいいと聞いている。でもいつも、言葉のオウム返しが間に合いません。私、頭が悪いのかな。
 家に帰って、嫌だと言われたときの自分を思い起こしていたら、子どもの頃の自分に出会いました。
 子どもの頃、私はいつも黙って、沈黙の子どもをしていた。人々の言葉なんて少しも分からなかった。
 でも今は、あの頃とは違うはず。黙っていたら、嫌だという気持ちが伝わらない。自分を守らなくちゃ。

 だんだん、オウム返しをしてみる機会を待ちたくなりました。
ほんとうは、こんなの変です。オウム返しをする機会なんて現れないほうがいいに決まっています。でも、もしもその時が来たら、勇気と自信を持って、してみたい。


 帰りに、看護師さんがリストカットの子は精神科に行ってるのかなと私に尋ねました。
知ってるけど知らない。でも、私はあの子たちの気持ちが分かるから。

 そして、前回の日曜日から毎日、ヴェトナム人のお友達と電話で会話の勉強をしています。楽しくてやさしい時間です。次に新しい会話が使えるように、毎日勉強しています。面白い。
 オウムってジョウビタキよりもうんと大きな鳥だったはず。ヴェトナム語を話すオウムちゃんになろうかな。

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2007年11月07日(水) 視界

 昨日の食事会。私の歓迎会も入っていました。私は「毎朝皆さんに歓迎されているのに、改めて歓迎してもらってありがとうございます」と伝えました。
 でも、実際には自由を否定される空気を感じることが続いているから、少し嘘が入ってる。そして、歓迎されていることもあるから、本当も入ってる。それから、みなの前で歓迎されている方を語れたことは、私の能力だと思います。
 ちなみに、一緒に働く人の中には今回の食事会に声のかかっていない人もいて、私たちはその人の背中を見ながら出発しました。複雑な心境でした。そのせいでしょうか。食事はおいしかったけれど、残された人の姿が私の心に残っていた分、楽しさが小さかった。声のかからない人がいるのはなぜかな。
 
 今日は、患者さんとの会話の中で私のほうが間違えた表現をして患者さんが驚いた…という出来事がありました。間違えたことがすぐに分かったので謝ってそのまま話をしました。肯定の中で自分を語れた時には面白い。生きてる感じがします。


2007年11月05日(月) しゃぼん

 今日も一日、ほぼ静かな人。静かな人は楽です。
私にも、話したいとき・黙っていたいときがあってもいいのだということを、私は今、自分に伝えているところです。静かな自分を見守れるようになったということかな。
 仕事中にも自分の世界があっていいのですね。自分のことをていねいにしていて、尋ねられたら答える。語り合う。あちこちに、私の小さな世界が浮かんで遊んでいるのかな。
 などと思い浮かべていたら、ふわふわのシャボン玉の中に入った私の世界が処置室のあちこちでぽわんぽわんと浮いているイメージが浮かんできました。いっぱいのシャボンの点が、やがて面になるのかな。ほんとうにそうなら、私はいつも自分のシャボンを大切にします。

 昨晩、ヴェトナム人のお友達と話をして、今日もまた電話がありました。彼女はソフトバンク携帯を買ったから無料で話が出来ると喜んでいました。毎日電話をかけて話をしたいという彼女の提案に私も共感しました。日本語の勉強と私のヴェトナム語の勉強のため。少しの時間でもネイティブなヴェトナム語を知ることが出来たら、嬉しいのです。

 明日は、食事会。気になる食事の代金はすべて院長が払うと聞きました。私は自分の食事代を院長が全部はらう人がいていいのかどうか、わかりません。でも、行ってみてこようかな。


2007年11月04日(日) Ma・んまるい。

 夕方電車に乗ったら、ヴェトナム人の女の子が2人で乗ってきました。
うわぁ〜と感激。話しかけてみたい話しかけてみたい。でも、距離的に少し遠いのです。そのうちに人がたくさん乗ってきて、女の子は見えなくなりました。でもやっぱり話してみたい。ついに立ち上がって私は言葉をかけました。いきなりですが、ネイティブなヴェトナム語。赤池に住んでいると言っていました。私の降りる駅が近づいたので、少しで終わりになりました。でも、話が出来てよかったね。


 自分に足りているものと、自分に不足しているものを、今の私が知っていて、不足しているものを満たしてあげるように動けている自分を嬉しく思います。人々と語りあってみたいことはたくさんあって、そして自分の中にそっと暖めておきたいこともたくさんあって、こうして生きている私を感じられることも嬉しい。

 私は今、まんまるい地球の上の方に立って、まんまるい地球を見ているような気持ちです。

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2007年11月02日(金) Ma を mo って Mamo

 今日は新しいことの2回目の日。装具の業者の方がいらしたので、患者さんの居ないときに、靴の履き方などを聞きました。
 靴を履くときは、かかとにあわせて足を慣らし、足の甲で紐をしっかり結んで足を固定するのだそうです。つま先が泳いでいてもいいのですねぇ。知っていたような知らなかったような。そして新しいことを知ったような気持ちです。
 楽しかった。なぜでしょう…。それは、自分の興味のあることを語り合っていたからです。そして興味を持っていたのは、野球のスタイルが浮かんでいたからです。きっと、自分を生きるとはこういうことでしょう。

 そういえば、派遣の看護師さんに菅野さんはていねいですねぇと言われました。ガーゼの当て方やテープの張り方などがていねいに見えるそうです。これは、おそらく以前皮膚科に働いて頃に学んだ技だと思うけれど、ていねいにするのは好き。
 そして、今日はもうひとつ、ていねいを追加しました。それは、とっさの質問をするときにも、尋ねる方の動きを待ってから尋ねるということです。 病院といっても、急いでしなければならないことはほんとうに少しなのだから、これでいいと思うのです。
 人々の会話の中に入るとき、「話しかけてもいい?」と尋ねたら、はいどうぞとか何ですか?と返事が返ってきました。尋ねたいその方がこちらを向いていることを確認してから尋ねられることは、私の安心の元になりました。この方法、楽ちん。こんな方法を利用して、私の言葉に耳を傾けられる体験を積み重ねていこうと思います。
 そういえば、間を持つのが普通になったら、患者さんとの会話の中にも間が持てるようになっていました。こうして、だんだん、どなたと話をしてもていねいに語り会える自分が育っていくのかな。間を持って、のMaをmoってのMamoになりましょうね。
 
 ところで今日は先生に伝えたいことがありました。それは…。
 今月の給料明細を見たら、皆勤手当てが含まれていたのです。途中入社で皆勤手当てはないものと思っていたから嬉しかった。こんなに喜んでいるのは、ヴェトナム行きの資金が手当ての分だけ増えたからなのです。
「途中から働いたのに皆勤手当がついていました。先生ありがとう」と伝えたら、「いえいえ、頑張ってね」と言っていました。(はい。なんまります…。)

 夜、ベランダから空を見上げると、小さな星がたくさん見えました。じーっと眺めているうちに体がウズウズしてきて、ついに完全防備の寒さ対策をして、夜の天白公園まで星を見に行きました。ほぼ真っ暗な空にちいさく輝く星たち。あの星だけオレンジ色に見えて…。星の本が欲しい。
Hoshiの本がHoshiです。


2007年11月01日(木) 視線

 病気で休んでいた看護婦さんの復帰祝いに、昼休みに皆で食事に行こうという話がありました。
私も出てくださいと言われ、とりあえず参加してみようかなという気持ちになりました。今はその話題に花が咲いていて他にも皆で何かを食べに行ったりすることが多いらしく私には興味のない話で、こんなとき、私はつまらないのです。他にも話はありますが、どれも上辺やマスコミの情報の中のもので、やっぱりつまらないのです。
 だから、院長の診察の準備をして待っている患者さんと話をします。季節の話やその方の歩いてこられた道などを聞いてる方が楽しいです。
 それでも今日は総合して楽しいとは感じられなかった。夜、つまらなかったのはなぜかなぁと整理していたら、皆さんの様子を眺めている時の自分に淋しさや過去の見方をかぶせた孤立感のようなものがあったと分かりました。
 どこで何をしていてもどこで何が出来ても、それが自分自身でなければつまらない…と感じる自分に成長したのですね。よかったよかった。

 それから、おとといの出来事から、私の中に、温床という言葉が浮かんでいます。最近のニュースの一コマも浮かびます。今まで在ったもの。世の中に今まであったもの。何が大切なのかな。私は私を感じることが一番大切。今日もまた、自分が分かってよかったね。

昼休みには、自分のしたいことをいっぱいしました。こっちは一番楽しい。今日も好きなことが出来てよかったね。
   


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