「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年09月30日(日) お空のたいよう

 先週に引き続き、野球が雨で中止になり、家の中でのんびりしました。
この頃、女の子のやさしさが気持ちいい。私も女の子なのだけど、自分以外の女の子の自然なやさしさが心にしっとり気持ちいい。ころんと寝転んで触れ合ったりお腹の底から笑ったり、最後まで楽しかった。子どものように無邪気に笑って、裸んぼうの私がそこにいました。
 過去を降ろして新しい世界で生まれた私だから、私のすること全てが生まれて初めてのことみたい。そしてそこに 愛 を感じました。

 心の傷が癒えた分だけ、自然に愛を感じられる。至福の時という言葉がありますが、こんなときにも使えるのかな。
 
 私の心にも、太陽のような愛があるかな。
私は私に愛をするということをしているから、私の心にも愛がある。自分に愛をすることの出来た分だけ、そこにある愛を自然に感じることが出来る。私はそう思います。

愛は、いつも自然にそこにある。まるで、お空にある太陽みたいです。


2007年09月29日(土) 知りたいきもち

 ずーっと雨。パソコンとお話して過ごしました。
 夕方、傘を差して散歩。気になる本があったので、本屋さんへ行った。気になる本と言っても、チラッと見たテレビの画面に映ったエッセイストの、女性の名前のみというアバウトな記憶の中で、本は見つけられなかった。
 探しものをしながら、文章の書き方を見た。文章ってどのようでもいいのだな。縦書きは収まりがいいように見える。私も縦書きで書いてみようかな。
 もし私の書いたものが書店に並ぶとしたら、どのコーナーになるのかな。小説家でないことは確かだから、たぶん始めはエッセイかな。それから本題に入ってノンフィクション。私の人生の始まりから書くとすると、歴史?にはなりません…。哲学のコーナーに並べる本を書いてみるのもいいな。
そっか。一番最初はお手々で売るのだから、手のひらに並ぶんだ。

 散歩をしながら、いろいろなことに思いを巡らせた。時の話題で、就職活動の真っ最中。活動と実績が伴わず、今日はちょっと疲れた。こんなに働かないことをする日が続くのは初めて。
今まで、「働かなくちゃならない」で生きてきたのだなぁとしみじみ思う。
 先日整形外科で、“13日間の原体験”をしてから、私の中が少し変わった。変化の続きを見たい気がしてる。そうそう。私は自分を見たい。


 久方2丁目の交差点を曲がった時、あることがひらめいた。もう一度病院に就職すれば、分からなかった部分を見ることが出来る。そうなんだ。あの頃の自分をつなげることが出来るんだ。当時の病院とそこにいた私が、ヤマダ電機にいくつも並んだテレビの大画面のように浮かんだ。突然の大画面。心に電気が走った。
 原体験できる場所へ行けば、あの頃を知ってる私に出会える。ワクワクする。

知りたい知りたい。自分のことを知りたい。
過去の、あの私とこの私と、それからこっちの私がひとつになる瞬間。

「近づいてる」

そんな気がした小雨の夕暮れ。


2007年09月27日(木) いいよ

 自転車で散策していると、たいてい一回は「自由だなぁ」と感じます。体が自然の中で開放されているような気持ち。地球というお風呂に入っているみたい。心が開放されているからだと思います。
 最近、力の抜けた自分を感じることが続いています。この開放感がたまりません。本来私はこのような感覚で生きているはず。今までが大変だったのだなぁ。

 9月に入って2週間弱働いた場所でのことを、短編文章にしようとしています。いろいろな発見があって面白い。これからの自分に役立つこときまりです。

 今日は面接に2件行って、午後はかぼちゃのサラダを作りました。スーパーのお惣菜と同じくらいにおいしすぎて困りました。そして又料理。やっぱり楽しい。いろいろなアイデアが浮かんでくる。そして私はこんな自分に懐かしさを感じているのです。

過去に出来なかったことを今の自分に。あと半年。うんうん。
もっと楽しんでいいよ。


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2007年09月26日(水) 靴の喜び

  朝から勉強。
 ノートに並んだ字がきれいに見える。自分で作ったアイテムを眺めて喜んでる。小さな喜び。自分の体と心を使って作ったものは自分のもの、と『エミール』の著者ルソーも語っている。汗水たらさず楽しく作った時の心が入っている。だから私は、机に並んだ自分の道具を愛してる。

 午後、にんにく味噌を作った。ごま油で炒めたにんにくがたっぷり入った味噌。本当は夏の間に食べるものだったのかな。でも、寒い冬に備えて食べるのもいいと思う。料理をしているうちにやっぱり楽しくなってきた。ルンルン気分でまな板を叩いてた。
 
 誰も居ない家で料理や洗濯している。過去にもあった風景だ。あの頃、私は人のことばかり見てた。今は、洗濯ばさみをつまみながら自分の未来を見ている。そして、あの時こんなふうだったら、とは今はもう思わない。
 子どもたちのことが浮かんだ。会いたいなーと思ってる自分を感じる。もし会えたら、その時も私は自分を見ているだろう。今よりもっとやさしく見ているだろう。

 夕方バイクで走っていたら、パチンコ屋さんが目に入った。先週、パチンコというものを経験してから、スロットとかパチンコという文字が視野に入るようになった。こんな日は、たぶん遊びに行ってもいいのだ。けれど私はクルミ割りをしたかった。くるみは割ると食べられるから。

 先日、玄関には靴がきれいに並んでいるものだという話を聞いた。そんなイメージは無かったので、へぇーっと感心した。面白そうなので玄関を掃除して、自分の靴を並べてみた。ごみが無くなってかかとのそろった靴が気持ちよかった。
 数時間後、ふと見ると、私の靴のほかにRoommateの靴が二つ並んでた。何時もきれいにそろってる女の子の靴ともう独りの男の子のスリッパ。並んだ靴がかわいらしく見えて、ほんわかやさしかった。靴が喜んでいるみたいに見えて、クスッと笑えた。
いくつになっても、このやさしさを大切にしよう。

 靴たち


2007年09月25日(火) 14606 時間の愛

 家の近くの企業へ面接に行きました。
「ファシリテイター育成についての文章が書けますか?」と尋ねられました。「はい」と返事をしたら、「じゃ、今から文章を作って」と言われて、慌てました。慌てて頭が真っ白に。これでは書けないということになり、一端席を離れてトイレにこもりました。再び座って思いつくことを書いているうちに楽しくなってきて、わずかな時間を楽しみました。久しぶりに「してみたい仕事」と感じた自分を見ました。

 4382 回の愛を、1回につき 20 分くらいとして時間にすると、87640 分。時間にすると…。87640 分を3倍して 262920 分。これを時間にして 43820 時間。これを3分の1にして、14606 時間。少ないように感じますが、あっているかな。14606 時間を日にちにすると何日になるのかな。

 感じたままに生きると、どんな結果も自分がしてきたことだと確かにわかる。自分のしてきたことを肌に心に感じられることは私にとって大きいのです。そしてそれでも、この意識を忘れることがある。だから、意識することが大切です。恐る恐る開けた扉の向こうには、いつも自由があります。今日は私はもっと、広い目で地球を見て生きていける予感がした日です。

 ヴェトナム語の本にきれいに見出しをつけた。これで少しわかりやすくなりました。
今日は中秋の名月。月がとてもきれいでした。


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2007年09月24日(月) Ito

 昨日は魚釣りに行きました。
 今回は針を獲られてばかりで釣りさお作りに忙しかった。しかしこれが楽しかった。少しもつれた糸もていねいに解くと元通りになり、その先に作ったまん丸は、針と糸の取り外しがしやすいように工夫した結び方。こんな小さな作業を楽しんでいる自分は素敵でした。ハゼ釣に行って針作りを楽しんだ私です。他に地球やビニールごみを釣ったり。それと、カキを一個釣りましたヨ。
 さて、その収穫は…。
私は9匹。一緒に行った心友は29匹釣っていました。
ドンコハゼも何匹か釣りました。ドンコハゼは食糧に入らないそうなのですが、よく見ると、黒くてつるつるの体に小さくて丸いおめめが二つ。背びれを広げるとうちわのような形をしていて、かわいらしかった。
 家に帰ってカキを食べてみたらおいしかった。
魚も網焼き、おしょうゆをちょっぴり垂らして食べたらおいしかった。骨をカリカリかじって、すぐ傍から私の骨が強くなるような気がしました。きっと、なっていますよ。
 10月くらいになると、投げつりが出来るそうなのです。もう1回行きますよ。今度は、釣りをしに行きます。


 今日は一日家でゆっくり。自分の行動を見ていると、どんなことも実際には感じたものを基準に動いているのがわかります。感じたものが心地よい場合は、すんなりと自分の中に入ってくる。でも、自分の心に相容れないものの場合、その時していることそのものを止めて違うことを始めている。当然、感じたものは奥にしまってしまう。感じて動く流れは瞬時なのだなぁ。こんな私は面白いので、その直前の何を相容れなかったのかを見てみたりしました。当然、心に受けた過去の傷とLinkして、こんなことをしている自分が愛おしくなりました。

 Mamoちゃん、もう大丈夫だよ。十分自分にやさしいよ。

 こんな風にていねいに自分を見ていたら、間違えたりマイナスにはいっていくことを避けられる。
今の時間を使ってもっと自分を知りたい。自分探しは楽しい、と感じられる自分も又、いとかわいや。

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2007年09月23日(日) 4383 回の愛

 この頃、愛の不足と性のつながりに思いを馳せる。
赤ちゃんの時の不足部分を補おうとしている自分。不足していたものを自分に与えてあげようとするとき、赤ちゃんは自分の感じたものをそのまま求めることで生きていられるのだから、求めることが可能かどうかは別にして、いつも欲していいのです。いつでも欲していいということを自分に許可してあげられることに、この上ない喜びを感じます。赤ちゃんは愛がなければ死んでしまうのだから。
 そして、性の楽しみは例えばパチンコや野球と同じ、自立した大人の遊びの1つだから、もしも私に心を語るパートナーが出来たなら、それぞれが楽しめる状況になるまでの待ちを自分に与えてあげることが出来る。
 過去に、求められた時にNoと言えなかった自分も、Noと言われて混乱した自分も、愛に飢えて死んでしまいそうだった私の出来事でした。そして今は、どちらも大丈夫にな自分が育ち、さらに待ちの楽しみを味わうことも出来るようになっている。 
 私はこんな区別が出来る自分を愛しています。愛をする自分を自分で育てているみたい。


 夜、布団に寝たときの私は赤ちゃんみたいでした。
心も身体も今は大人。そこに安らぎがあって、自然のままに手足を伸ばして、だから指の関節の曲がるところは自然に曲がっていて、まるでベットに寝ている赤ちゃんの手足がかわいらしく丸まっているように、私の指もまんまるくなっていました。指の先まで力が抜けていたのです。
 赤ちゃんの、うんと最初の時期、私はいつもこんな風に安らかに眠っていたのだでしょう。だからきっと今、私は一種の原体験をしているのです。
 そして私は今、このやすらぎの感覚を心に全身にしみこませたい。そうしていられる自分に対する心地よさを感じ続けたい。

そして、この安らぎを持っている私が私として生きているようになりたい。
そう、やさしく安らぐ Mamo ちゃんになりたいのです。

 そこで計算してみました。赤ちゃんの頃に感じたかった安らぎを今日のような形で今まで出来なかった分だけ・ほんとうに生きてきた年数分だけ感じたいとするなら、回数にしてあと何回試みることになるでしょう。
 1年としてあと364 回。12 年分するとしたら、うるう年を入れて4383 回。1回は済んだから、あと 4382回布団に寝転がって安らぎを感じ続ける。そして、大人の私は、毎日自分が意識した分だけこのやさしさを感じることが出来るから、実際の数はもっと少なくなるでしょう。
自分に心からの満足を与えてあげられらる喜び。やっぱりワクワクしてきました。
そして、自分に愛をすることを楽しめる人生、私の先にある“私の死”が、自分への愛に包まれてあることを思わせます。



丸まった指を感じながら、「あーもう、私は眠るんだ。気持ちいいョ」。
こうして私は、やさしい朝を迎えていました。


2007年09月22日(土) パチンコという遊び

 パチンコをしに行ってみた。大きな音楽とパチンコのじゃらじゃらの音に耐えられるかと思いましが、入ってゲームを始めたら耳に付かなくなりました。ゲーム機には天才バカボンのレレレおじさんがほうきを持って待っていて、玉の動きとサッサのタイミングとうまくあえば、ポイントになるところまで転がって、そうすると辺りの玉が玉がジャラジャラ出てきました。私はレレレおじさんと会話。「おじさん、玉を運んでっ」。ほうきの様子をひたすら眺めていました。
 しばらくすると、機械の穴がパカパカ開きっぱなしになって、呆然。銀色の玉が後から後から出てきて、ピンクの箱があっという間にいっぱいになりました。からくりはわからないまま、箱の中の玉を使ってゲームを続けるかどうか迷ったけれど、目が疲れて、それから、「勝ったものを持って帰りたい」がありゲームは終了。カウンターのお姉さんは、なにやら言って、私に現金に変えるカードをくれました。それを四角い窓に入れたら、代わりにお金が出てきました。出資は600円で、2500円勝ちました。
 何時も感じていたことですが、料金交換所の向こうとこっち。この外界と内界が四角い小さな窓のカーテンで仕切られているのは何故なのかな。

 お店の外に出たら、耳に膜が張ったみたいになっていました。たぶん話す声が大きくなっていたでしょう。それに身体が冷えていた。それから、やっぱり首と目が疲れていました。大きな音とゲームの空間の中で夢中のなると、身体の悲鳴に鈍感になるみたい。
 でも、面白かった。
 レレレおじさんのお店は禁煙でした。パチンコってマイナスのイメージだけを持っていたけれど、嵌らず上手に遊べるのなら、これもいいのだなぁ。今度は箱の中いっぱいにあった玉が全部なくなるまでしたみたい。負けたときにどんな気持ちになるのか、自分を見てみたい。
 それから、あのカーテンの向こうに誰が座っているのか見てみたいです。


2007年09月21日(金) 目ざめ

何を感じてもいいという安心感。理由の分からない安心感。

どうしようもなく力が抜けて、もういいんだよ・ほんとうにもういいんだよと、

私の全てがくったりやわらかくなる。

この、力の抜けた感じをもっと感じていたい。

赤ちゃんの頃、一番初めはこんな風にやさしく息をしていたのだろうな。

だからきっと、ずーっと前からこの安心感を望んでた。

やさしく生きる人間として大切な感覚のような気がする。

いつまでも、意図的に安心を感じて自分をFreeにさせてあげる。

安心出来る自分が居て、ありのままを感じることが出来るということを、心にしっとり感じる。

私は今、自分に、母の愛に包まれているような安心を与えてあげているみたい。

ずっと昔、私も赤ちゃんだった。ただそこに生きる赤ちゃんだった。

そっか、理由が分かったね。

もっともっと、私の感覚を目覚めさせたい。


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2007年09月20日(木) ひも解いて

 部屋の掃除。使わないものを処分したり整理したりするのが楽しいです。ふと、ヴェトナムへ行くときのことが浮かびました。そうそう、少しずつ荷物を減らしておけばいいのです。
 それから料理の時間。かぼちゃを丸ごとチンして熱々が冷めたら皮をむいて、かぼちゃのペーストの出来上がり。実はかぼちゃのサラダの舌触りが好きなのです。今日は私の顔くらいもある大きなかぼちゃが全部ペーストになりました。 
 夕ご飯用に、ぬか付けにしておいた秋刀魚を焼きました。秋刀魚のぬか付けは北海道で知った保存食。やっぱり、私の心の別の扉が開いて、今までと違うことが出来るようになってきてる。うんうん、そんな気がします。
 この頃、料理が面白い。昔から好きだったような気がします。
そして、成長したのだね。ほんとにね。よかったね。

 今日も大切なものを見た。大切な大切な自分。
私が私の心を感じて生きていくためなら、世の中で大切と言われているものを全て、私の外に放します。

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2007年09月19日(水) 楽しいこと

 就職活動。履歴書と職務経歴書をWordで作ってみました。手書きよりも楽で、字体も整っているからきれいに見えます。気に入りました。
 このお気に入りを白い封筒に入れて郵送しました。それから、ヴェトナムに会社を出している企業にも面接依頼を出してみました。私を使って欲しいなー。

社会保険事務所から、昨日問い合わせしたことの正式回答が送られてきました。早いですね。中には私の生きてきた足跡。昨日聞き漏らしたのか、名前の知らない職場が2箇所になっていました。どうしてかなぁと思いつつ、これを元にして自分の過去をたどることが出来るのだなぁと思いつつ、生きてきた証を感じて封筒に戻しました。

 ところで昨日は、ヴェトナム人通訳の女性と一緒に電車に乗りました。知りたい事があったから楽しかった。そして、この女性とも心を語り合うことが出来るのだと思うと、再び喜びが沸いてきました。心の架け橋は国境を自由に行き来するのです。
 夜、ヴェトナム人の友人Dちゃん(ヴェトナム独り旅に登場しているDちゃんですョ)から電話がかかってきたので話をしました。2ヶ月ぶりくらいで懐かしかった。彼女は最初は何時も英語。そして今日は電話の向こうで「今からヴェトナム語で話すよ。いい?」と聞いてくれました。

もちろん。語る私も、新しい単語を使ってみました。

久しぶりに電話してるよ。
夕ご飯何を食べたの?
今?今はパソコン見てたよ。

この言葉は自然に出てきたの。ふふっ。楽しかった。

 そしてそろばん。今日も40までいけた。この頃は20の位から計算を始めていたけれど、やっぱり初心者ですから、一から始めて球ころがしを楽しむことにしました。この球さばきが楽しい。まるで、1ヶ月位前からそろばんを知っていたみたいです。

楽しいことをいっぱいしよう。

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2007年09月18日(火) プレゼント

 社会保険事務所に電話して、私の年金はどうなっているか確かめてみました。
 働いてきた場所で年金を納めた記録が、おそらく全部残っていました。そして、知らない名前の就職先もありました。最初は、間違って記録されているのかと思いましたが、少し考えてみると記憶のない時期とほぼ一致しました。気になることをしてみたら、今まで心の奥のほうにあった過去の扉が開いた。自然の流れです。

 何かをしている時、恥ずかしいとか大丈夫かなという気持ちは、自分を見ていたらうんと小さくなると知りました。
 9月12日の日記の中で「今は自分を愛することをしている」と書きましたが、今日はその気持ちを12日の日よりもさらに自分の心に感じられた。だから、心が喜んでいます。素直に嬉しい。
 私は今日、自分にプレゼントをしたい。何をプレゼントしようかな。宇宙中をプレゼント。昨日よりもさらにやさしい心をプレゼント。


2007年09月16日(日) 時間

 雨で野球が中止になり、変わりに心友が遊びにいらして、楽しいときを過ごしました。
 一人の女性と心の傷を抱える自分たちについて語りあいました。
 私たちはお互いに、藁とかしゃにむにという言葉を使いました。本当に始めは、ただただ楽になりたいばかりの私でした。久しぶりに語った過去に、懐かしさが沸きました。
 これから先の話もしました。心の傷を癒やすには、傷ついた分の年数だけの月日が必要かどうか。私はマイナスの世界に37年間生きていました。プラスの人生を歩き始めて5年目に入りました。今は41歳です。私の心の傷が癒えて楽になるのにはあと32年かかるのかどうか。
 きっと大丈夫。だって、心の傷を癒やしてきた5年の歳月は、それまでの5年の何百倍も自分を見つめていられるから。
今は過去の何百倍も、自分を守り育ててあげられるから。

 あとで、惑星の話や数字の話をしました。水星が私たちの目に見えない理由、知っちゃった。1メートルの定義は、地球一周4万キロメートルを4万分の1にした数だって、知っちゃった…。アメリカ大陸まで1万キロメートルだって、知っちゃった。
一日 10 時間歩いて何日でアメリカ大陸に着くのか計算したけど忘れちゃった。

 世の中には私の知らないことがたくさんあるのですねぇ。何かを知るということは楽しいことです。

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2007年09月15日(土)

 育成会の日。
 開始少し前、トイレに行って部屋に戻ると一人の女性が立っていました。
女性は4年前にGobamcanの中で出会った心友でした。私はその女性がそこに居ることに心から驚きました。まるで現在と過去の時間を越えてワープしてきたよう。会が始まった後も不思議な感覚がしばらく抜けませんでした。
 けれども、嬉しかった。話をしたくなって女性の傍に行きました。女性と語る自分を眺めてみると、新しい人に対していい答えを探していない、感じたままを語る私でした。私は4年前より、傷を癒やしたぶんだけ楽に生きているみたい。
 会の中では、話の流れでセクハラを受け傷付いた場所での原体験の話をしました。語る機会を経たことが嬉しかった。
私の言葉に心を傾けてくださった方へ、心から、ありがとう。
そして、心を語れる場所を大切にしている私へ、4年余りここに生きてよかったね。

うん!


2007年09月14日(金) はいチーズ!

 今日は初めての当直の日、の予定でした。でも、ひとつ出来事がありました。怒りに気が付かぬまま通り越して、涙が出た。でも自分の大切にしている未来を覚えてた。だから、すぐに次の動きに変わりました。
 夜になって、その出来事を思い返してみると、やっぱり残念さや悲しみがありました。
机の前に座っている自分。うつむいて肩を落としていました。

そんな自分に言いました。
「閉じこもっているともったいないよ。動こうよ」

 私の地図。私は私の地図を持っています。
大切なのは何時も未来。大切にしている未来をこれからも大切にします。

 そしてそろばん。今日も30 まで。またまた指さばきが早くなってきたから、面白いですねぇ。何があってもそろばんをしている自分が面白いよねぇ〜。私はいつでも、こんな自分を写真に撮りたくなります。

はい、チーズ。カシャッ!
 


2007年09月13日(木) すこしずつ

 以前出したヴェトナムの心友から来たメールを、ようやく日本語に訳し終えました。今回は副詞が多くて、訳すのに難しかった。出来た日本語があっているのか、心のことを書いていただけに丁寧に見直したいところです。
 外国の方と語るとき、語彙の少なさから誤解が生まれることのないよう、より丁寧にシンプルにしていく必要があると自覚しています。丁寧にする練習が出来るのです。

 そしてそろばん。もう、20 の数までは大丈夫。今は21から始められるように成長しましたよ。少しずつ成長するのですね。


2007年09月12日(水)

 感涙する出来事があった。ひとつ、気持ちを言葉にした。生まれてはじめての感覚だった。この感覚を感じることが出来る私。全てのものの美しさに涙が出た。

 夕方の公園で、つい今心に感じ得たものを思い返した。そこには 愛とやさしさ があったのだ。改めてそのあたたかさを振り返った。

 私は今、自分に愛をするということをしている。その周囲に 愛 がある。
そこに生きた私自身を実感してもう一度目が潤んだ。それから、おそらく鼻が赤いであろう自分を想像して、今度は笑えた。

 名古屋へ来てから今日まで同じ言葉を使ってきた。昨日までの言葉を今日の自分のものと比較するなら、昨日までの言葉は過去に近く、今日の言葉はより未来に添っている。心がそう感じている。だから、夕方の涙は今日のものを感じ得るくらいに成長してきた自分へのうれしい気持ちが含まれていた。

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2007年09月10日(月) 楽しみの続き

 昨日釣ったハゼで、たまねぎとレモンを使ってハゼのマリネを作りました。
 ハゼは片栗粉をつけて油でカリッと揚げました。新聞紙の上に乗っかったたくさんの揚げ魚。そういえばこんな風に毎日料理をしていた時代がありましたね…。
 楽しさ続きでジャガイモをチンしてビーフコロッケの種も作りました。電子レンジの活躍でなんて簡単なことでしょう。
 テーブルの上に食材のストックが並びました。楽しんだ証拠です。

 そして今日もそろばん。しているうちに指が球に触れてどこがどうだったのかわからなくなり、80 の数まで出来たのにそろばんそのものが動いて分からなくなり。それでも 100 まで出来ること2回。しかし、2回とも答えが違っているではありませんか。確かめるのに時間がかかるので、又明日のお楽しみ。

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2007年09月09日(日) 楽しい自分

 藤前干潟へ魚釣りに行きました。勘釣りという釣り方で、ハゼをつりました。
糸に錘をつけてさおを海へ投げたら、ハゼがえさに気が付きやすいよう、えさを水の底に這わせ、さおをクイックイッと引いてえさを揺らします。ハゼがパクンと食べに来たら、その振動がさおを伝って私の腕まで伝わってきます。この振動がたまらないのですが、そこから一呼吸入れて一気に引いたら、ハゼがくっついて上がってきます。
 焦ってさおを引くと、えさだけ持っていかれたり、せっかく釣れたハゼが空中で落ちてしまいます。
 途中で地球を2回釣りました。地球は重くてとても一人では引き上げられませんでした。

 つりの間、時々、つりをしている自分を見ることを意識しました。

今釣りをしている。釣りをするということをして楽しんでいるかな? うんうん、面白がっている。餌だけ食べられた。ちょっと残念。でもすぐに次のえさを付けたよ。食い逃げが続くと、ちょっぴりしょんぼり…。そして釣れたら、にっこり。
 いろんな楽しみ方をしている私がいました。

 ということで、10 匹釣るという目標を意識して、13 匹釣りました。去年も楽しかった。そして今年も楽しかった。勘釣りというのが楽しかった。

 休日はあっという間に過ぎました。楽しかった。


2007年09月07日(金) むずむず

 又、そろばん。今日は1から66までの足し算ができましたョ。最初のうちはどうしても頭で考えてしまっていたけれど、しているうちに少しずつ手が動くようになってきました。
 そして、私の指が、そろばんをするときの形のようなものを学び始めているのを感じます。こうして書いていると…あ〜、手がむずむずしてきます。こんなに楽しい遊びをどうして今まで知らなかったのでしょう…。そして、今知ったからこそ、こんなに楽しめているのだと思います。しかも、楽しむの材料は勉強の中で一番苦手だった“すうじ”なのです。
 過去は楽しくない算数から逃げ出したくてむずむずしていたけれど、今は楽しくてむずむずしている。素敵なことです。

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2007年09月06日(木) 広がり

 又、そろばんで遊んでしまいました。1から順に足していって、でも23を足すところで引っかかるのです。本当は足し算というのはどうやってするのだろうと調べてみると、私の計算の仕方は一般にあふれているもののようでした。でもそろばんにすると引っかかる。そして、引っかかったけれど面白かった。数字に興味を持てている自分が嬉しいのです。

 それから、ヴェトナム語を勉強しました。単語を勉強するという前に、紙の上にきれいに書くということが楽しい。これ、まるで文字を書いて遊ぶということを再体験しているような気持ちです。今の私の好奇心が過去の不足部分を自然に補う形になっているようです。

 勉強することの楽しさ。机の上で学ぶのも楽しかったのだなぁ。始めて知った気分。昨日に引き続き、私の中の新しい部分が広がっているのです。

 



2007年09月05日(水) 新しい世界

 心友たちとそろばんをしました。そろばんが出来ると、桁の多い計算も楽に出来るようになると言うからすごい! 算数の世界を知らない私には神秘的にすら見えました。
 ということで私もしてみました。なんと、3桁×5桁の計算ですよ。何回も間違えたけれどほんとうに遊んでる感覚でした。そろばんがこんなに楽しいものとは知らなかった。
 My plan の中にそろばんも入れちゃおうかな…。うーん、こんなに遊んでばかりだと、毎日が楽しすぎます。
でも、楽しいことは困らないから、いいか。

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2007年09月03日(月) ていねいに

 昼休みに1年生のさんすうをしてみました。
一桁のたしざん。これくらいなら私でもすぐに出来るのだなぁ。でも、答えを書いている私が急いで書こうとしていないかに注意を払いました。
ゆっくり書こうとしていたら、数字を書くということが面白くなってきました。これは、本題から外れているのでしょうか…。楽しければいいのだから大丈夫なのです。

 ルソー著書『emile』を読んでいたら、丁寧に語るということを意識したくなりました。
丁寧に語るために、自分を丁寧に生きること、そして他者の語る言葉を丁寧に聞いていくことを意識しています。

続けていくと大丈夫なのです。


2007年09月02日(日) 心の成長

 「丁寧にする」ということを実感しました。私が今していることは全て自分のためにしているから、私は私のために、もっと丁寧に動いてあげます。以前空手の館長からお聞きした言葉ですが、「基礎が違っていたら、後になって又もとの位置まで戻ってやり直すことになる」。
 丁寧に1つずつすることで、少しずつ素直に先に進める。私の今感じているものと Link しました。

 今までよりもさらに丁寧にするということをするために、今と近い未来に必要なことを最優先して、それ以外のことは小さな小さな点にとどめることをすることにします。といってもすぐに広がりがちだから、優先順位の順にリストを作り、机の前に大きくぶら下げました。
 机の前の壁には私の目標設定なるものが貼ってあります。私は5月初旬、その目標設定に、 「8月下旬、ヴェトナム紀行が出来上がって居る」と書いていました。以来、何時も意識出来ていたのではないけれど、目標にあげていたことが出来ていた、ということに小さな喜びを感じました。
 私は今自分の人生を、なりたい自分を意識して意図的に歩いているのだと思えます。 そして、私が成長したいという気持ちで世の中を見るとき、小さなヒントは心に素直に浸透し自分を見つめるきっかけになるのですね。

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