「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年08月31日(金) 未来

 昨日、つぶて海岸へ遊びに行きました。又、つぶ貝をたくさん採ってきました。それから採れたてのカキをその場で食べました。身が小さくても中身が濃くておいしかった。海の傍に住んでいたら毎日食べに行きたくなりそうです。
 
 この頃は野菜を自分で作ったり貝を拾ってきたり、ある時はヨモギを採ってきたり、私はもうずいぶん、自分の食べ物を自分で探していけるようになってきました。自分で生きているという感覚がします。

 生きるということは、自分の未来を意識して意図的に何かをするということかな。それが楽しみの延長ならいい。
そういえば楽しみの延長でヴェトナムに行く自分を描いたのだから、今見えている未来を大切にします。
 それで、私はこれから何をするか。半年後にヴェトナムにいける状況を続ける自分をする。自分のためにそうするのです。

 心の傷を癒やすと、自分の周囲にプラスの環境を作ってあげられるみたい。このまま楽な自分を育てて、もっと広い世界へ羽ばたきたい。
なりたい自分になれるよう…。

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2007年08月29日(水) 風景

 午前中、就職が決まっている病院へオリエンテーションに行ってきた。
この雰囲気・病院という場所。そこにある風景に円錐型のピラミッドが浮かんだ。心の隅に懐かしさ。
でも、この懐かしさを私は今は必要としていない。
この世界に馴染もうとした私はもう、変わった。

何が変わったのかな。
考え方・捉え方・人生・自分。
人は成長するのだ。

そして、大切にしたいものは何時も同じだった。自分自身。
どこに居てもこれでいいのだ。


いろんなことを説明してくれる婦長さん。
聞ける分だけ聞けた。私は又一年生。そして私のペースでいいのだから。

そこに居る自分を見ているのが面白かった。
いつも、自分を見ている私。
やっぱり、私は変わった。
少し大人になれたんだ。



 夕方自転車で散策した。どんな風に走っても坂道の多いこの辺り。どう通れば坂道を避けられるかと道を探して走った旅だった。
 近くに咲いている百日紅の花。ピンクと白と赤い色のコントラストがきれいだ。
名古屋へ来る前、百日紅はあまり好きな花ではなかった。でも今は、やさしくて素敵な色に見える。見る景色も心に添って変わるということの証明です。私の人生はプラスに生きることの実験をしているようだ。


2007年08月27日(月) 手法

 近くの保育園へ面接の日。
 実は病院に就職が決まっている。だから、断ろうかどうしようかと迷った。自分が何故、そうしたがっているのかを書き出してみたら、行っても行かなくてもどちらもOKの自分が居た。
 どちらもOKならば、動くということをするのは自然の流れだった。
 
 いつものように自分を語った。心の傷を癒やして生きている自分を伝えるのは、今では私の自己PRの定番だ。
 聞いてくださっている3人の幹部は私の話にうなずいた。誰も皆、生き辛い社会であることを知っているのだ。


 したいことがある。その為に動く。そこは人生の通過点のひとつだけれど、出来るだけ早めに通りたい通過点。
 その扉を開ける時期を半年後に決めた。これから私は、自分の決めた基準に添って生きるのだ。
 こうした書き方をすると、えらく意気込みの入ったようなものに受け取れる。けれども実際には、半年を楽しもう。その一言だ。人生は楽しむために在る。楽しく生きたい。

 心友と、本を書くということについて語り合った。私の文章は、辛さを書くには慣れている。そしてプラスの表現は下手なのだ。
 今日までの5年間弱、文章については自分なりに吟味してきた。一様に“私は”を入れてみたり、代名詞を使わない書き方を意識してみたりいくつかのことを試してきた。
 “私は”を入れ続けた時期の日記は、当時でさえ、違和感を覚えながらTryしていただけに、今では表に上げることすら恥ずかしい。“ですます調”は読む側はやさしくあるけれど、場合によっては回りくどい。
 そして今書いている書き方はメリハリがあるけれど、強さがある、と感じるのは私の偏見か。

 先日は本屋に行って、文章の書き方なるものを立ち読みしてきた。しかし、文章を書くときに大切なのは文法ではないのだ。マニュアルではないのだ。心を書くということをテーマにした解説本は、どこかにあるだろうか。

 という風に、今日のところはまさに、感じるそのままに書いてみた。ルソーの手法を少しばかり真似て書いていみたのだ。
 なるほど。文章に抑揚があるように感じる。違う視点で楽ちんである。そして今ここに書いたようなことを、これからどこまでやさしく表現できるようになるのか。

“心を通して書く”ということを楽しもう。

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2007年08月25日(土) 心に能力

 今日GobamcanのRoommate達との会話中で、私に対するファシリテイターの言葉を、他のRoommateに対するものに比べてきついなぁと感じる一場面がありました。それが、そんな風に感じた自分を紐解いてみると、私はつらいと感じる前には、ある内容に対してのファシリテイターの言葉が私と語り合ったときの言葉と違っていると感じていて、違うと感じたことに対する自分の戸惑いが、私の思考の中で、きついなぁという言葉に代わり、その言葉を自分に伝えていたのです。最初の小さな戸惑いを、マイナスの思考の中で大きくする私なのだなぁと実感しました。
 そして、何かを言葉にするときには、その時の状況や人々の在りかたによって、表現方法は変わるのですね。いつも型に嵌った捉え方をしやすい私です。今後の課題です。こんな自分の発見はこれから成長できる部分として楽しみです。そうしたら又、成長できるのです。

 それから今日は算数の勉強を楽しみました。答えの分からないのは私だけでしたが、皆がわかっていて私がわからないという状況の中で、私は、答えを引き出す私を見守られているように心地よかった。そして、答えが出たのです。それも41年間知らなかったことを知りました。楽しくて嬉しかった出来事です。よく考えてみると、その時の私には出来なければいけないとか分からない自分を恥ずかしがる発想は浮かびませんでした。こんな変化も素敵なのです。
 
 一昨日の晩、考えてばかりいる自分に気が付いた後、プラスを積み重ねるということを意識しています。考えるより動くが易し。部屋の中を見渡してみても、昨日したことは、今日、すでに出来たこととして私の前に在りました。動いた分だけ積み重なる。これからヴェトナムへ行くまでに、いったいどれだけのものが積み重なるのか楽しみです。そして心も、見つめた分だけ積み重なる。この頃は本当に自分の内面の変化が嬉しくてたまりません。数日前からの日記を読み返してみたら、プラスを続けた自分のありのままが書かれていました。した分だけは積み重なることの実証。
 自分の気持ちをひとつひとつ確認し自分を信頼して動けていることが嬉しい。いつも正直に生きたい私です。

 私の人生のいい面も悪い面も含めて、心を見つめる人々の考える材料になれば、私の命もより生かされるのだなぁ。こんな風に感じ始めて一年余り。こうして自分の存在を喜べることも私の大きな能力なのです。いつも、能力能力。感じたままをここに書けることも能力。今を生きる私の大きな能力です。

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2007年08月24日(金) 丁寧に

 図書館に行きました。図書館は冷房が効いているから、暑い日にはいい場所です。ちょっとした道具を持って、私も涼みに行ったのです。
 館内で過去の新聞がおいてあるのを見つけました。中日新聞は辞典のように分厚い本になって置かれていました。朝日新聞もあったから、私の書いた野球のお話もここに置かれているのだと考えると、ちょっと嬉しかったです。
 ということは、過去の新聞を見たいときには図書館に来ればみることが出来るということ。便利ですね。

 ところで、本と言えば、ヴェトナム語の教材にはたいていカタカナでルビが打っているのですが、ルビがあると見辛いです。それでこの頃、修正ペンで消す作業をしています。この作業は、最初はルビが消えればいいという程度でした。ところが、出来上がってページを見直してみると、丁寧に線が引けるとページ全体がきれいに仕上がっているのです。丁寧にするとはこういうことなのだと、自分でもびっくりしました。丁寧にしたら気持ちがいいです。

 一日を通して自分の出来たところを認めていたら、自然に自分自身へのストロークになっていました。これでいいの。今日もプラスが積み重なった。よかったね。

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2007年08月23日(木) 静かな喜び

 この頃、自分と他者の距離が近くなった気持ちがしています。日々の模索の中で、人を恐れる気持ちが小さくなったことを静かに喜んでいます。 
私は“人”・他者も“人”。
人と人同士なんだなぁと実感します。

 それで今は、社会に出てもっと楽しんでみたいなあという気持ちがわいています。“自分”と“他者”を知ってみたいです。
 まるで、小さな赤ちゃんに無意識に存在する欲求を体験したがっているみたい。そして今はその気持ちを言葉にしているみたい。
 私は大人の自分の能力を使って心の傷を癒やし、自分と人との違いを知った。そして今は、私としてもう1つ先の、私から始まる世界に視線を広げようとしている。既に足を伸ばしている。その1つが、ヴェトナムという場所なのだと思います。これらのことは全て、心の傷を癒やした私から始まっていると実感します。
 そして、誰にもプラスは内在する。そんなことも心の隅において、世の中を楽しんでみたいです。

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2007年08月22日(水)

 日中はヴェトナム語のテープを聞きながらパソコンをしていました。机にいる時間が長いせいか、机の前にある自分の写真が視界に入ります。姉によく似ています。
 自分の写真を見て姉が浮かぶのはなぜかというと、看護師になった自分の過去を癒やす作業をしているからです。
 姉のようになりたいと願って看護師になったと感じていたけれど、本当は当時の私に将来を選択する余地はありませんでした。親がマイナスの感情の中で広げたレールに載せられたということです。

 でも今は違う生き方をしています。この変化がいいです。
 20年前の私は、40歳の私は心の傷をいやしたぶんだけ楽になっているとは想像もしませんでした。ということは、これから先もどんな方向へ進むかわからないということです。それなら、楽しいことをいっぱいしておきます。楽しいことはどんな小さなことも、私の細胞のひとつになって、自分の身になっていくからです。

 ヴェトナムMamo紀行がほぼ出来上がったので、HPに載せようとしています。登場人物の一人である心友Bちゃんとの会話を書いているので、彼女に了解を得るためにメールを書きました。私は心を基準にして文章にし書いていることを説明するために、心の傷のこと・チャイルドを癒やす作業をしていることを書きました。ヴェトナム人の彼女にどんな風に伝わるか、楽しみです。
 それと、別の心友にお聞きした言葉をHPに載せました。私はこれから国を越えて、心の傷を癒やす自分を語っていこうとしています。

今日も暑かった。そして空がきれいでした。外国に続く空。


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2007年08月20日(月) ありのままということ

 暑さのせいか、バイクさんが力をなくしてエンジンがかかりませんでした。セルはあるけれど正しい使い方を知らないまま使ったら壊れてしまいそうなので止めました。知識を持っていそうな方に尋ねて様子を見ました。エンジンがかからなかったおかげで散歩が出来ました。歩くのも身体にいい。自然を見る事が心にいいのです。 夕方には空に薄く延びた雲がオレンジ色に染まってきれいでしたよ。
 夜には台所でびっくりすることがありました。それは、8月15日に常滑海岸で獲ってきたイワガキが想像以上に大きかったこと。本当に驚いた。そしておいしかった。自分でとったものだからおいしさも格別でした。


“ありのまま”ってどういうことかな。
私は自分をよく見せようとしているのかな。よく見せたいという気持ちとは違う。よく見せる必要はないと分かっているから、それとは違う。

 高校を卒業して就職のために大阪へ出てきたとき、私は自分のことが何も出来ない自然の法則に従って身体だけがかろうじて大人になった人間でした。だから、きっと仕事をするのは大変だったのです。 
 しかし、一年くらいたった頃には、私は周囲からひょうきんで身軽いさっぱりした人という印象を持たれていました。いつの間にか、頼りにされる人にもなっていて。始めのうちは受け入れられたことで自分をOKにしました。でも、しばらくしたら自分の内部とのギャップが息苦しくてたまらなくなりました。その頃は息苦しさの原因は分かりませんでしたから、「そうじゃない。私はそうじゃないよ。助けて。」でした。
そして、本当の自分なんて分からなかった。

 何かを感じても感じたその時にそのまま表すことができなかった私。それで、1つの思考を状況や自分の心に関係なく同じように演じさせられてきて。心からそう感じてしているのではなくそうせざるを得ない環境で生き延びるためにそうしてきたのだから、生き延びてきた・演じさせられてきたその通りです。感じたままでいいのだから、感じるということに、大人だから子どもだからはありませんよね。年齢や性別も別のところ。

 感じたものをそのまま感じられる自分を生きたいな。そして語りたい。私は今、病院職に戻ろうとしていのですが、仕事をする自分をイメージする時、自分の中にピンと糸が張り詰めるのを感じます。糸は張っていてもいいのかもしれないけれど、今はまだ、その糸は頑張りに近いです。自由なようで自由とは違うようで。
 そして好奇心もあります。行った場所で、わりと楽しめることが多い。小さな石ころの中に面白いものを探したい気持ちがある。子どもの頃一人遊びをしていたから、楽しみを見つけることに慣れているのかな。
ということは、どこに居ても楽しめる私がいるということです。
だから、きっと大丈夫。どこで働いているとか何をしているかよりも、そこに居る自分がどうであるか、こちらが大切なのです。


2007年08月19日(日) 心ここにあり

 リビングに居たら、ファシリテイターとRoommateの話が始まりました。それは、「ここは違っているよ」という、いわゆるある出来事に対しての間違いを伝えるというもので、愉快な会話とは少し違っていました。私は自分のために意図的に二人を見ました。
 一般社会では、話し合いは決裂に向かいやすく、これまで私の経験したものの殆どはマイナスの結末を意味していました。特に男性同士のこのような状況には爆発的な暴力がありました。だからはじめは少し恐かった。見ていてもいいと分かっていても、心に緊張感が走りました。
 でも今日見たものは私の経験したものとは違っていました。そして次のことを学びました。話し合いとは、先を見て次の自分たちのために成されること。人と人の意見の違いとはある物事に対してのある部分のみ意見が違うのだということ。何かを知りたいとき、そのことをよく知っている人の話に心を傾け進めていくと次の成長に繋がること。
 父親と息子さんの会話・男性と男性の会話を拝見できる環境に、自分が生きていることに喜びを感じました。

 その後、家に集まった心友たちと日本語の勉強をしました。ひとつの単語に対して複数の意見が出され、どれもOKである。とても楽しかった。学ぶことは楽しいです。
 そして独りで学ぶことも。今私はヴェトナム語の単語帳を作っているのですが、文字を丁寧に書くことを楽しんでいます。文字だって早くきれいに書くことを強制させられたら、書く楽しみからは離れていきます。エンピツを持つこと・ペンのすべり具合・この字を書くときにはこのペンがいいとかこっちの紙はすべりがいいとか、書くということそのものを楽しんでいる私です。子どもの頃にできなかったどんな小さなことも、それが出来たら私の能力です。

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紫式部(Gobamcan庭)
きゅうりさん(自家製)。毎日丁寧にお水をあげていますョ。
ランタナ(大高公園)…ヴェトナムにもある花です。実がなっているのをはじめて見ました。
8月15日のセントレア


2007年08月18日(土) 感じるままに

 育成会。みんなが私を歓迎していました。
 本・『インナーチャイルド』の中の、「当然の責任を負わない」の意味を語り合いました。
当然の責任と言えば、私にとって、自分を生きるということが、私にある、私自身に対する当然の責任です。その方法は、自分をそのまま表現することです。
 帰りに数人の方とHUGをしたら、身体に力が入っていた自分に気が付きました。いつもありのままの私でいいのだよね。「大丈夫だよ、私ちゃん」。何かにつけ、頑張れ頑張れで生きてきた自分をもっと解放してあげます。

 帰りに、広小路祭りに行ってみました。大太鼓を見ていたら小さな男の子が太鼓の拍子に合わせてダンスしていました。彼の身体はリズムに合わせて自然に動いていて、太鼓を打つお兄さんも喜んでいました。好奇心のまま動く彼に惹かれて一緒に踊りたいきもちになりましたが、私の参加で男の子の楽しみを小さくしてしまう予想もして、傍で観ていることをしました。今度同じような機会があったら、私もリズムに乗ってみたいです。
 そういえば、ヴェトナムの女の子達はダンスが上手で、私も一緒に踊ったことがありました。あの時も好奇心だったのだなぁ。

 それから、父親とお祭りに来ている自分を見て楽しみました。大人の男の人と楽しんでいる自分も見ました。あたらしい事を自分に体験させてあげました。よかったよかった。


2007年08月17日(金) ことば遊び

 この頃、ヴェトナムへ行った時の写真をHPに載せようとしています。枚数が多いので時間がかかります。でも、見ていると懐かしい。カメラのシャッターを押したときの気持ちを思い出します。又行きたい。ヴェトナムへ行くというより本を書きたいです。
 今までいろいろと書いているけれど、その文章の中で言いたいことは何かを意識して書けるようになりたい。余分なことを省いて誰にも伝わるやさしい文章が書ける私を育てます。
 今日はヴェトナム人のお友達二人に会いました。お二人とも日本語の勉強を熱心にしておられました。私はヴェトナム語を勉強したいので、会話は日本語とベトナム語です。
 お友達のうちの一人は男の子でした。私の尋ねたことに丁寧に答えてくださって、私も繰り返して尋ねることが出来ました。のんびり語っている自分が嬉しかった。というより、覚えた単語や文章を使って話してみたかったから。それから教科書にある一般的な会話とは違う、今の気持ちをヴェトナム語で言葉にしたかったから。結果的にのんびり楽しんでいる私だったのです。そして又、新しい単語や表現方法を知りました。遊びながら勉強しています。この流れが面白いです。
 それから、お二人の意見が私の意見と違っていても、違うということを丁寧に答えると相手の方に伝わりやすいことを確認しました。日本人の使っている言葉は乱暴だなぁと改めて感じます。私も以前は一般的にあふれる乱暴な言葉を当たり前にして生きてきたけれど…。
生まれた国や言葉が違っても語り合うことが出来ることを確認しました。楽しかった。又遊びたい。


 


2007年08月15日(水) 大切なもの

 セントレアへヴェトナム研修生さんの見送りに行きました。3年経ったのだなぁとしみじみ感じます。一人の女の子は、Mamoちゃん、最初はヴェトナム語ぜんぜん話せなかったのに、今は上手です。一人で勉強してすごいねと言いました。私の成長を3年前と比較して認められたのは始めてです。
 なんとなく遊んでいるうちにこんな風になったのだな〜と。子どもは遊びながら学ぶというのは本当のことですね。
 見送りの回数も重なり、はじめは帰っていかれる方を見送るのみの私でしたが、この頃は、その扉に立つ自分をイメージ出来るようになりました。そして自分がヴェトナムへ行ったなら、今回帰っていかれた方々と再び、心の関係が広がっていくと想像します。私も半年後、一年分の荷物を持って、ヴェトナムへ行けたらいいな。

 セントレアの帰りには、常滑海岸で遊びました。今日は心友5人と一緒でした。
ウミウシという生き物を見ました。ウミウシは私の手のひらの上で、寒天の固まりかけのような身体でクニャクニャ動き、時々牛のように角を出しました。身体には青とオレンジの蛍光色の点々があり、きれいでした。この点々は暗闇でも光るものかを確かめたくて、ウミウシの身体を手で覆ってみたけれど、暗いところでは、点々は見えませんでした。

 人と遊ぶことがこんなに楽しいと知らなかった。一日中ずーっと楽しかった。今日は今までで一番楽しい海水浴でした。
 新しい世界を、これからも大切にしたいです。


2007年08月13日(月) 好奇心

 朝起きて、ご飯の前にヴェトナム単語を勉強し、朝ご飯を食べた後は庭に出てトマトの受粉をし、カブト虫君たちのお世話をして、気温が上がる前の早い時間に公園へ運動をしに行きました。1時間くらいしたら暑さが増してきたので家に帰り、シャワーを浴びて職安へ。
 職安では、家の近くの保育園看護師の募集を見つけたので、応募しました。それから、派遣会社で見つけたクリニックの説明を聞きに、中区まで出かけました。
 思いつくままにトントンとしたい事をして、ひとつ終わって帰るときには次の発想が浮かんで楽しんでいる自分を嬉しく眺めました。いつも先の事を見ていたら、こんなふうに浮かんでくるものを基準にして歩いていけるのですね。
 それから、今日もまた一日通して、ヴェトナムテープを聞いて歩いていました。バイクの上でも電車の中でも出来ることをしていられるので楽しいです。聞こえてくるものを聴解しようと意識できる時間が長くなったように感じます。あとどれくらいで、聞いたものに答えられるようになってくるのかな。楽しみ。
 ヴェトナム語のテープは、いろいろと模索しているうちに集まった材料の中で一番聞き取りやすく、以前から欲しかったものなので、今のところ一番のお気に入りになっています。もっと楽しく勉強できる方法ないかなぁと探していたから、欲しいものを見つけられたのかもしれません。まるで、自分で自分に1つの船頭さんを見つけてあげたみたい。これで机の上に本が広がる状況を終わりに出来そう。
 そういえば、今日行った派遣会社で、「どんな本を書くのですか?」と尋ねられました。私の書くものは、自分の生き方です。そしてそれは、単に私の生きてきた道とは違います。私が生まれてから今日まで、ずっと、大切にし続けて、そしてこれからも大切にしていくであろうものを、書くのです。私は今、ものでもお金でもない大切なものを誰もが読める文章にするということを意識して、自分で自分を導いているみたい。自分の未来を想像すると心が弾みます。
 

 家の中では、Roommate達のやさしい声が聞こえてきます。寝転がって寄り添っている姿は、ほんとうにやさしい。まるで、小さな小鳥がそーっと寄り添って触れ合って遊んでいるみたいです。


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2007年08月10日(金) 発見 2

 今日も、整形外科へ面接に行きました。院長・婦長さん・事務長さんを前に座って話をお聞きしました。
 途中で、話に興味がなくなりはじめたのが分かりました。それでも黙って聞いている私を見て、本当の自分とは違うと感じました。その後、自分の感じていることを尋ねたりうなずいたり、自分を表現しました。それから、皆さんの答えを聞いてその場でイメージして独り言を言ったりしました。院長や婦長さんの答えと私のイメージが一致したら、喜びました。その後、婦長さんや事務長さんと目が合ったときの私は、にっこり笑っていました。婦長さんも事務長さんも微笑みました。

私は微笑み婦長さんも院長も微笑んだ。その場所で、「自分がそこに居ること」を心に感じとりました。過去とは違った私でした。

 ある場所や決められた何かに束縛されない空間は楽です。自由があることとその人の可能性を引き出すことは、深い関係があると感じます。私はある一定の場所に所属したり、皆と同じことをするということが苦手です。自分の世界を大切にして、自分を楽しんで生きたい。自分を楽しんでいるうちに、自然に私自身の可能性を引き出していけるのだと感じます。そして、自分の世界を大切に出来る私は、他者との空間を心から楽しめるのです。


2007年08月09日(木) 発見

 今日は、外科病院へ面接に行きました。
婦長さんと事務長さんは私の履歴書を見て、「ずいぶん現場を離れているから、一からやり直しね」と仰いました。位置からやり直しにしてもらえることに安心しました。

 面接している部屋の前を、10人くらいの看護実習生さんが通りました。研修医の指定病院になっているから研修医と一緒に居ることが多いとお聞きしました。
 「緊急事態にすぐに対処できる機敏さを取り戻せますか?」と尋ねられました。なんとも言えずに黙っていたら、「ま、外科系で働いてきてるし、いろんなことに興味を持って意欲的なようだから、大丈夫ね」と私の代わりに答えてくださいました。
(いつも、たいてい、やれてきたんだよね。してきたんだよね。これからは、心を基準にした私として、出来ていきたいね)と心の中に独り言。 
 
 婦長さんから、「病院の中で、外来と5階を行ったりきたりするのは大丈夫ですか?」と尋ねられました。階段を行き来することなら、きっと私も大丈夫。「即戦力になるかどうかは別にして、上と下を上がったり降りたりするのは大丈夫です」と伝えました。婦長さんと事務長さんは顔を見合わせてくすっと笑っていました。
 軽く語っている自分を見て、最初の不安は小さくなりました。私はきっと、大丈夫です。もし就職したら、階段の上り下りから楽しんで、次のこともしてみます。
 履歴書の長所の欄には、スペースがはみ出るくらいの私のプラスを書いたので、旅した外国の話や野球の話題もありました。婦長さんは私の肩の辺りをじっと見ました。(大きいでしょ?!)

 大丈夫な自分を発見出来た面接でした。だからきっと、大丈夫。

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2007年08月08日(水) 小さな楽しみ

 私は今、失業保険を利用しながら、自由な時間を楽しんでいます。
そして、今の状況には経済的な不安定さがあるので、落ち着きの無さを感じることもあります。気が付いたときに、「大丈夫だよ。今を楽しんでいいよ」と自分に伝えています。
 これまでは、役割を持つことで安定していたのだから、今ここで、あたらしい体験を練習している気持ちです。
 社会に認められたからとか、何かが出来ている自分だからとか、外側からの評価とは違うものがあり、私は今、自分の中に、自分にとって最も大切なものを感じては、安心を積み重ねて楽しんでいます。
 
 


2007年08月06日(月) 独り遊び

 バイクで常滑海岸へ遊びに行きました。朝8時20分ごろに家を出て、海岸に着いたのは10時前でした。
 潮は満ちている時間で、何時も遊んでいる岩場も海水に隠れていました。その海の中に、シュノーケルを付けて潜りました。波に揺られながら海の中をのぞいてみたら、海水は昨年よりもきれいで、岩場の奥までよく見えました。魚達は私の居るのに気が付いていないのか、私の顔のすぐ傍を小さな魚がチョロチョロ。顔から10センチくらい先の目の前でじーっと、見つめられてしまいました。かわいいおめめ。たまりませんでした。
 そして後ろを見ると、今度は水中で体長50センチくらいに見える灰色の魚達が、岩に付いているわかめのようなものを、真ん丸い口をパクパクさせて食べていました。岸のすぐ傍でこんなに大きな魚の食事風景に出会ったのは初めて。小さな感激がありました。
 岩にはつぶ貝やサザエの子どもがいました。海水の中でヤドカリが散歩していたり、カキの貝の中に殻ごと入って食事をしていたり、面白かった。
 1時間くらい遊んで、Getしたつぶ貝とカキを持って家に帰りました。

海の独り遊び、楽しかった。


2007年08月05日(日) 1歳の誕生日 “感じたままに”

 昨日は、私の誕生日でした。
新しい父親は私に、「1歳だね」と言いました。41歳だから、40歳の次の1歳。1歳の私の誕生。

 今年の誕生日は、41回繰り返しやってきた8月4日の中で一番嬉しかった。なぜなら、41年前の今日、私は生まれたからです。ほんとうに、私は私として、生まれたのです。(毎年同じことを感じています)。

 もう、「生きてていいの?」と問い続けた時代は過ぎ、「生きていてよかった」という時代も過ぎつつ、今は、「生きて、何をしようかな」と語りかけながら、生きています。
 私はここに存在し、何かが出来るのです。だから、「何をしようかな、何がしたいかな」なのです。
 それで、私は今何がしたいでしょうか。私は、「感じたままに生きること」の喜びを心に体験させてあげたい。私は私に愛をすることで、感じたままに生きる喜びを体験することが出来るのです。

 ということで、今日は1歳の私に、カスタードプリンを作ってあげようとしましたが、一番最初のカラメルソース作りが成功しませんでした。
 カラメルソースはよく失敗します。たぶん、火加減次第なのだろうなぁ。
 それでも、実はプリンを作る心になれたことが、私にとっての成長の現れなのです。それも自分のために作りたいのですから、私の素敵な能力になりました。

1歳の誕生日。よかった。

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2007年08月04日(土) 自然

育成会
 一人の青年と女性の空間の話をお聞きしました。心のある関係では、人々は男女である前に一人の人であることを実感します。
 男性女性に関係なく、人が真摯に自分を見つめ成長される姿は素敵。それから、人の素直さを観ることが出来ると安心します。私も、素直に生きてもいいのだなぁと、自分のしていることを確認することが出来ます。
 そして私は、愛を感じ続けられる自分を大切にします。

 ところで、育成会の終わりに、ナナフシを見ました。生まれてはじめて見た感動の代物でした。地球には、人間から観ると不思議に感じる生き物がたくさんいるのですねぇ。
 でもあちらから観ると、私たちも不思議に見えるのでしょうねぇ。というより、ナナフシさんには私が一人の人間だということはわからないのかなぁ。伝えておけばよかったな。又何処かで会いたいな。



2007年08月03日(金) こそばゆい

 就職活動の為に職安へ。
 今日は台風の影響で風が強くて、バイクの上で息が出来なくなること数回。風の抵抗にあって、右を向いたら左を向くのが大変でした。途中で合羽を着たら、カッパが風にあおられて私の背中でパタパタと急がしそうに歌いました。機織り機のようで、特別な面白さがありました。
 港区の保育園に面接に行ってみる事にしたので、履歴書を書いて照明写真を撮りに行きました。4年前までは、自分の写った写真を見るのは嫌いでした。でも今は、ちょっとしたお気に入りです。自分の顔や身体を見たり、自分の動いた形跡を観るのが楽しいです。自分を見るのが楽しいということかなー。こんな私は面白いです。

 午後、知人の家のカブト虫の幼虫を見せていただきました。小さくてかわいかった。そーっと手のひらに乗せてみたら、私の手の中でクニャクニャと動いてこそばゆかった。かわいかったなー。

 自分の感じたままに動いていると、心がピンポン球のように弾んでいるのが分かります。
ポヨンポヨンとリズミカルに弾んでいます。
やさしく弾む心で人のやさしさや愛をすなおに受取れる自分を大切にしたい。
こんな私もこそばゆい。


2007年08月02日(木) 自分

 昨日初出勤してみたら、休憩は30分弱で面接で聞いた内容と違っていました。新しいことを知るのは楽しかったから続けることも出来たかもしれないけれど、自分のために事実をうやむやにせず、退職しました。  
 あっという間に仕事が途切れたことで少し焦りました。でも、焦っても焦らなくても時間は過ぎていくからね…。同じ時間を楽しく過ごすことにしました。きっと今までなら、焦っている自分に自分で気がつけないくらいに焦りに嵌っていたのだろうと自分を振り返ります。

 職安へ行ったら。又また、保育園看護師さんの仕事を見つけました。でも港区なので遠いのだよねぇ。それから今は病院の科の中で違うことをしてみたい気持ちもあって、以前よりも広い選択肢を持ってワクワクしている自分を興味深く見ています。きっと私は今、自分自身に「してみてごらん」と言ってあげているのです。

 午後、映画『天使のくれた時間』を観ました。改めて、私という“個”を感じた映画でした。映画も、心の様子によって見えるものが違ってくる。違う見方が出来る私を観ているのが楽しいです。

 庭のきゅうりの2本目が大きくなって、3本目も食べられるようになりました。きゅうりは、トマトやオクラを始めて食べたときよりも嬉しい。3つとも自分で作ったものなのに、どうしてかな?


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