「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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中休み最後の休日。いいお天気の中、ミモザの木に止まっていた毛虫を見つけました。 きれいな原色の身体をした毛虫。本当にきれいで、まるでどこかの国からやってきたみたいでした。触りたかったけれど、毒があるそうなので触れませんでした。 それから、カブト虫君の卵を、やっと二つ見つけました。やった…。たまごの実物は私のイメージとは違ってしっとり落ち着いた白色をしていました。メスのカブト虫の一匹は弱っていました。命の終わりが近づいてきたのです。最後は自然に返してあげたいと思い庭の木に乗せたら、あっという間にありんこが遣ってきて、カブト虫さんの身体にたかりました。どんな気持ちで居たのか分からないけれど、なんだかかわいそうに見えました。だから仲間の居る箱に戻してあげました。あと何日かでいのちの時間が終わります。
生き物を飼って、その成長から死までを見届けるのは初めてです。 私たちは生きているけれど、死に向かっているのだなぁと改めて感じます。庭のきゅうりは私に食べられるために生きているから、大きくなったら私の口の中へ入ります。カブト虫は次の子孫を残す役目を果たすために生きてきたのかな。 私も死に向かって生きているけれど、カブト虫と違うところは考える能力が在るということ。そして心があるということ。私の命がよりやさしい形で次の世代に続くよう、自分を大切にすることにします。 やさしく素直に生きていると、私の心にプラスのやさしさが自然に浸透します。 染み渡るように自然に吸収されていきます。まるで、心のスポンジみたい。 どれだけやさしく生きられるか、やってみよう。
明日から、新しい仕事が始まります。心から嬉しい。 白衣をしわにならないようにたたんで、明日の準備をしてから布団に入ります。本当に楽しみです。どうしてかな?
アオイラガの幼虫 カブト虫の卵
新しい白衣のすそ上げをしてアイロンをかけました。 アイロンの後ろから、伸ばされて消えていくしわを見ているうちに、自分の周りだけ時間がゆっくり流れているように感じました。 それから、以前、天白公園にも幸せがあるとお話になった青年を思い出しましたが、アイロンの時間にも、至福の時空がありました。どこにも楽はあって、それを感じられるかどうかは自分次第。人生は楽しむためにあるのです。もっと自分を楽しませてあげることにします。
それにしても、白衣を持ってこんなに喜んでいるのです。初めての気持ちかもしれません。なぜこんなに喜びを感じるのかな。不思議です。
それから、カブト虫のたまごちゃんを待っているのですが…。わからない。それらしきものを探せません。うーん。どうなっているのでしょう。
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近くの小学校などで夏祭りをしているので、夜になると盆踊りの音楽が聞こえてきます。去年は戸笠小学校のお祭りに行って踊りました。確か、以前の職場の同僚に声をかけていただいて、誰か分からずに慌てた私が居ました。もし今年同じことが起きたら、慌てず騒がず「そのうち思い出すでしょう」と言いますから、去年よりも成長しているのですね。 庭のきゅうりを収穫しました。採れたてのきゅうりはイボイボがとがっていて痛かった。花がくっついたままのきゅうり。トマトが出来たときよりもうれしいなぁ。 来年はきっと日本に居ないから、こうして考えるとやっぱりうれしいなぁ。 すると、できるのだなぁ。
午後は野球に行きました。今日も素敵な発見がありました。私がずれるとき、たいていは自分以外の人を見ているときです。自分は自分でいいのにね。それで、この気付きが次に繋がるから不思議です。 新聞などで世の中を見ていると、子どもの純粋さは大人に利用されやすいことを実感します。でも、自分の心に耳を済ませて生きていると、すぐに分かる。そして、これも“点”のひとつです。私は自分にいいことを見つけた分だけ成長できるのです。
私は私。いつも私を大切に。もっともっと優先順位を大切に。 いつも自分が基準です。
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休みの日。救命救急の講習会の予定だったけれど、気温の変化に追いつかず気味。旅の疲れも残っていたのかな。明日の野球までエネルギーを保持しておきたくて、家でのんびりしました。 暑さと仲良くするために栄養を取り入れようということで、久しぶりにカレーを作りました。なすびやかぼちゃを入れた夏野菜カレーを作りました。辛いのは苦手なので、カレーのルーはバーモントカレーの甘口。最後にチョコレートを入れて、「Mamo流とろとろ甘口カレー」になりました。 庭のきゅうりは今、合計で7本。去年は苗が小さいうちにしおれてしまったけれど今年は豊作。チョウチョさんの協力が大きいのです。 夕方Roommate達が買い物に出かけ、私は家に残りました。皆が出かけた後、私独り。家の中に、シーンと静かな音が聞こえました。 その空間の中に、それまで人が居たことの残り香のようなものが残っているように感じました。でも実際にはそこに誰も居ないのですから、私は私の持っている記憶の中から、つい今しがたまで人の寄り添っていた空間を取り出して遊んでいたのかもしれません。 その後、独りでお風呂に入ったりご飯を食べたりしました。なんだか楽しかった。 私は今日、他者と居る空間と独りの空間の両方を遊んだのです。
自転車旅行の出来事を纏めてみたら、小さな発見がいくつかありました。 心を基準にして生きることを実践しているのだなぁと感じます。どんなことも捉え方。
自分に素直がいいです。
夕べは早くに布団に入ったのに、暑さのせいか旅の疲れのせいか寝付けませんでした。それでも今日もいつもと同じように起きて気温が低いうちに出来ることをしましたョ。
午後は、就職予定のクリニックへ説明を聞きに伺いました。職員さんの紹介と施設の案内などをお聞きして、30分ほどで終わりました。たくさん聞いたのですが、たくさん忘れています。忘れたことは尋ねればいいのだから大丈夫です。 婦長さんに「頑張っていろんなことを覚えてね」と伝えられました。はい。楽しんで仕事をして、覚えられる分だけ覚えます。 白衣は水色。寸法直しをするために家に持ち帰ってきました。 実は、もう一度白衣を着て働ける自分が嬉しい。何より、こわごわ入っていくのでなく楽しんでいる自分が嬉しいのです。新しい環境を楽しめる予感がしています。
それから、久しぶりに、移動の際にヴェトナム語のテープを耳に流して過ごしました。通常の速さでも聞き取れる単語が増えてきたのかな。 文通相手の女性には先日、心の勉強をしていると伝えました。「心がわかるの?」と返事が来ました。
国を越えて心を語れることに喜びを感じています。少しずつ前に進んでいるのです。小さな喜びが繋がっています。
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バイクの前面に、篭をつけました。 バイクで遊べるようになってから、いつかどこかに遠出してみたかったのです。旅が楽しかったら、20代の頃の自分を知ることが出来るでしょう。 ちょこっと鳥羽まで行ってきまーす。
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カブト虫の家をきれいにして庭の野菜を点検して。 昨年失敗したきゅうりの花、今年は実をつけました。 私よりも先にチョウチョが花粉を運んでくれたみたいです。 カブト虫君たちはつがいの二組になりました。 交尾して卵を産むまでを見たいので、環境を工夫しながら待っています。
ものの見方や考え方はいろいろだけど、スケールは大きいほうがいいです。 目の前のものをこなすことでよければ何時も出来てる。 私はいつも、先を見ていたい。 宇宙を見ていたい。 無限大って、こういうことかな。
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昨日仕事が終わりました。終わった。Fu-…という心境。
出来たことはあったかなと探してみると、あったあった、見つけた分だけあった。
最後の10日間に、何度も興味深い発見をしました。
怒ってる私 泣きたい私 遊んでる私 語ってる私 歩もうとする私
内面で、いろいろなことが起きている私。 いつものように、いろいろなんだなぁとしみじみ。 一番興味深かったのは、一瞬怒って、その後“今”を楽しんでいた私 。 切り替えなくちゃ、や プラスを見よ と意識する前に、自然に遊びに出かけてた。 「あ、心が楽だとこんな形になるんだ…」と、後からの実感です。
今日、又少し落ち着いて、ここに書くことを見つけられたのは、小学生の頃いじめられていたチャイルドに言いたかったことを言わせてあげられたから。 「言えてよかったね。」。 言えてよかったねと言っているのは、大人の私。 私は今は、自分で自分を擁護することが出来ます。
もう一回。給料日がある。 「くよくよしても仕方がない。あとは時間が解決する」という言葉を聞きました。 なりたい自分になろう。あとは時間と、私の歩む力が私の手をとり、こっちに行こうと誘います。
ということで、今日は午前中、救命救急の講習会に行きました。よく見かけるAED器具を使えるようになりたかったから。講習を受けてみると、ガイダンスにしたがって動くので意外と簡単。小学生も使える救命器具、いいです。 午後は育成会へ。今日もまた発見ありき。
穏やかな一日。 訪問先で、「そこらじゅうが痛いよ」と伝えられました。私の力が強すぎたのでしょう。ごめんなさいと謝罪して、今日一日待機していますから痛みが増したら連絡を下さいと伝えました。夕方まで連絡はありませんでした。治まったのかな。よかった。 エーリッヒフロムの著書『愛するということ』の中に、その事を知るためには、その事を修練する必要があると書かれています。真に自分を成長させるために必要なことだと感じます。何よりも大切なのは自分を知ることなのですね。
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2007年07月16日(月) |
自分のために出来ていること |
朝起きて、ご飯を食べてカブト虫君のお世話をして、庭を見て素振りをしてから仕事に行きました。いろいろとすることがあって、私は今、動いているんだなぁと心に感じます。小さな出来事が繋がって一日が出来上がるのだなあと、今の自分を見て感じます。 そして、心のことは、これだけ出来ましたと見せておけるものとは違うのだと実感しています。 機械や物のように、一度出来上がったら誰かが変えるまでは同じ形をしてそこにあるものと、その時々でどんな風にでも変化する人の心と、全く違うのですね。 心は変化するからこそ、いつも自分のすること語ることに意識を向ける必要があるのですね。 自分の状況はいつも、自分で作っているのだから、私は自分にやさしい状況が広がるように丁寧に生きよう。
仕事はあと4日行ったら終わり。一日一軒の訪問のみで、後は事務所に居ます。 心にあったものは毎日少しずつ小さくなっているような気がします。一つ一つの点は、いつも“点”だということを意識して、残り4日を楽しめる状況を自分に作ってあげます。
自分の道を歩こう。人生はいろいろある。楽しい事がいっぱいある。
2007年07月15日(日) |
自分のために出来ること |
社会には自分のために出来ることがたくさん。カブト虫君たちの小さな卵を見つけたり、洗面所に飛んできた小さな虫を手のひらに捕らえようとしたり(あれ?虫ばかり…)。 トマトが上手に育つよう、余分な草を引っこ抜いたり。 私にはこんなに素敵な毎日がありました。 午後、久しぶりに自転車に乗ってサイクリングをしました。 家の近くの坂道を途中まで上った辺りで、「疲れたぁ」。如何してこんなに疲れるの?とよく見たら、タイヤの空気が少なかった。せっかく登った坂道を降りて戻るのを躊躇しました。でもやっぱり戻って準備を整えて改めて出発しました。動いた分だけ前に進む自転車もいいです。
一昨日面接に行きました。その会社は、健診業務を主に扱っている病院。注射や検査の介助はあるけれど、薬を処方したり病気の患者さんを手伝うことは殆どないそうです。これからいくつか回ってみて、より働きやすい場所を見つけます。
いつも、心のどこかで、“ここ”が解決したら次へ行くって決めていました。でも、逃げるばかりの自分を卒業しようとしてとそこにとどまっていても、自分に何も出来なければそこに居る自分がかわいそう。自分の内面的な出来事だって、今すぐ全てを解決するのは違うみたい。完璧を求めて動けなかったのかな。 そっか。又自分に、頑張れ頑張れって言ってたのね。ごめんね自分。 今出来にくいことをしようとすることにエネルギーを使うより、今出来ることをしていく方が自分にやさしくて現実的。なんまる星人を忘れてた。 ただ、変えていきたい自分がいます。自分の中に、なりたい自分があります。私はいつもその途中。なりたい自分を見ていこ。
稲武の研修生さんの寮へ遊びに行きました。久しぶりのドライブは楽しかった。 稲武の寮の付近では、豊田市で起きたダウンバーストのために、山の大きな木が突風で折れて倒れている箇所がありました。寮のすぐ前にある胡桃の木も木の真ん中当たりから立てに二つに割れていました。胡桃の実はどうなるのかな。自然の中で倒れても、そこから生きる方法を探すかな。
私は久しぶりに皆さんに会えてよかった。研修生さんのご兄弟も遊びにいらしたので、ヴェトナム語で自己紹介をしました。私は予想外のことだったので緊張してしどろもどろ気味。でも半分くらいは通じたみたいです。 寮の庭で育てているヴェトナムの野菜を頂きました。家に帰って4人のRoommateと分けたら、女の子は野菜の茎を見て名前を当ててました。それぞれ見ているところが違って興味深かったです。
カブト虫のBuちゃんの子孫を残してみたいと考えているのですが、血縁内の交尾では身体が小さくなっていくと聞いたので、いい案を探していました。そうしたら昨日、稲武で大きなカブト虫のつがいを見つけました。Buちゃんよりも大きい、異母兄弟です。 つがいのセットを二つ作って、あとは自然に帰してあげようかなーと考えていますが…。
それから、Gobamcanの名前の由来を聞きました。 Go Do Can
「行く・する・出来る」
心に感じるものを意識して動いた一日。 感じることは次の動きをするためのステップなのだなぁ。 子どもの頃、歌を歌い続けたり数を数え続けたりしていたのは、何も感じないようにするためでした。動けなくて当たり前だったと、今改めて感じます。 いいとか悪いとかではなく、今この瞬間に感じたものが、私の心で捉えた事実なのです。人間は頭が基準ではなく心が基準の方がいい。こっちが本当ですから。
そして、今私は自分を信頼しています。自分の状況を作るのは自分なのです。
自分を観察していたら、感じたものを瞬時に否定している自分に気が付きます。 感じたままでいいのにね。 それで私は昨晩、もう1つ練習していけばいいことを見つけました。日常で練習が出来るところがいいです。
子どもの頃はいつも見たくないものを見せられ続けてきたのですねぇ。 見たくないのに見なくてはならないのだから、見たいと思おうとする自分を作らされても仕方が無かったのですね。
仕事はあと10日。 私の持っているものを大切にして、その時出来ることを見つけてチョンチョンと仕事をしていこう。
赤ちゃんの頃、自分はどんなだったかなぁ。赤ちゃんの頃の自分を思い出したい。 何かのたびに父親の事を思い出そうとするけれど、あまりにも記憶が少ない。 それと、今の自分の動きを見ていると、記憶が少ないのは当時の自分が救われたと感じた部分だけを自分の記憶に残して、その部分を最後の頼みのようにして生きてきた自分が居るからだということに繋がります。 そして、見えるようになったところが見えるのだということも。 7月7日土曜日に半分見た映画『シックス・センス』についてのRoommateからの解説の中で「見たいものだけが見える」という言葉がありました。 見たいもの・見ようとしたものだけが見える。自分に納得します。 完璧な大人は居ないという人がいます。 私は今、自分に完璧を求めてるかな? 過去よりはずっと、今を認められるようになったから、私も成長してるんだなぁ。
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朝バイクに乗ったら急に、今の問題に縛られたら野球やヴェトナム語が出来ないなぁという気持ちが浮かんできました。例えば法の力を借りるとしても同じ。本当にそうなのです。 それで、今日私はどうしたいかと私に問うたら、次の動きをしたいと言いました。今日、上司は事務所に来ないまま連絡も取れませんでしたが、次に繋がる動きをしました。
全く別の話ですが、昨日、訪問先である出来事から、男性に「悲しいときは泣いてもいいんですよ」と伝えたら、彼は涙を流し、傍に居た奥さんも目を赤くされました。 大人も子どもも、何歳になっても、泣いてもいいです。というのは、すぐに泣く私への言い訳かもしれません。でも私は、泣いて逃げる自分を卒業し始めましたョ…。本当に。こんな成長を感じられることが嬉しい。 私は可能性を引き出せる大人になりたい。自分と向き合うのがいい。私は、自分を見つめるという素敵な技術を持っています。
私って意外と面白いのじゃないかな。興味深い人です…。
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昨晩、通告文章を受けましたが、今日もいつもと同じように時間を使いました。 そうしていながら、私は今よりトラウマを残さずにやめていく方法を探して自分を見ています。 もし私が、自分のしたいことをして辞めていけるなら、自分を生き今を生きる私の能力になるでしょう。 もし万一、法の力を借りることになったら、私は又ありのままの自分を語るでしょう。それからおそらくセクハラの話が出るでしょう。その時私は、私とその方との、その後の時空を語らせていただくことで“心の傷を癒やして楽になる”ということを実体験を基に伝えるきっかけを得るのかもしれません。 そして今は自分がどうしたいのかまとまらないまま。 通告の文章はひどいもので、ワースト書物No.1。 でも、私、出来たことはたくさんあるから。
現在の職場の退職が決まったときから1ヶ月で出来ることを探していて、なかなか見つからないままでした。でも、自分をよく考えてみると、わいてくるものを止める必要も無いのではないのではないかと感じました。私は、その時の私に出来ることをしていけばいいのです。 退職日が決まって以来、準備したけれど止めていたものを、伝えられるだけ伝える方向へ切り替えて準備することにしました。 と言っても、訪問日は限られているから出来た分だけができた分なのです。
この頃、バイクが面白い。 バイクって、アクセルを回したぶんだけ進む。 ブィーンとまわせばブィーンと進む。少しふかせば少し進む。 下り坂は勢いよくて、上り坂は亀みたい。 それでも、ふかした分だけ進む。 でこぼこの道では足を踏ん張る。それからお尻をちょっとだけ浮かす。 自然に身体が低くなる。まるでレーサーみたいになる。 でも、安全運転。 昔バイクに乗っていた。今のほうが安全運転。今のほうがずっと、自分にやさしい。
人生は、歩いていくのがいい。 波が過ぎ去るのを待ってるのもいい。 でも、私はやっぱり歩いていきたい。 自分の足で、自分から歩いて進んでいきたい。
と、日記を書いた後、職場から、業務態度不良につき給料半額減給の通達が来た。これからどうしようかな…。
職場で受けた契約変更通達に対して、承諾できないという内容の文章を送り、今日も一日、これまでどおりに仕事をしました。
トラウマを残さないために自分に出来ることは何かと問うてみると、背中を向けずに向き合うことだと言います。でも、お金が主流となった考え方の中には入っていけません。 職場で一日共に居る人と向かい合わないのは、自分のせいかと自分に問います。このとき私の心は、そうでありそうではないと言います。向き合うのが怖い私もいるからです。 でも、視点の違う人々に対して、エネルギーを使って向き合おうとすると、大人の方法とは違ってきます。だから私は自分の心と丁寧に向き合い、現実を丁寧に見極めて、心を切り替えて、次の自分に繋げるのです。
昼間のうちに、名古屋に住むヴェトナム語通訳の女性にメールを送っていたら、夜になって連絡を頂くことができました。彼女はヴェトナム語を学びたい私の手伝いを快く引き受けてくださいました。これからネイティブなヴェトナム語を学ぶことが出来そう。楽しみにしています。
常滑海岸に遊びに行きました。 最初につぶ貝を採って、その後、海水で遊んで、それからアサリ採りをして、もう一度海水で遊んで、最後に魚釣りをしました。魚釣りは久しぶりなので、針の付け方から復習しました。錘をつけて投げ釣りというのをしました。ゴカイを針先に上手に付けれるようになって、遠くの方までまっすぐに投げられるようになって、少し進歩したかな。魚は釣れませんでしたが、この小さな進歩が嬉しいのです。
それから、今日はカニをたくさん採りました。カニはすばしっこくて捕まえられない印象がありましたが、今日のカニさんはのんびり屋さんばかりで、全部で12匹も採れましたよ。 一日のうちに何種類もの遊びをして、いつもの6倍遊んだことになりました。すごい。 今日はGobamcanの心友と近くに住んでいらっしゃる10代の男の子も海に来ていたので、違う楽しみ方も出来ました。
私は広い海を見ていると安心します。それから海の水に触れていると、自然の中に溶け込んで何時も変わらずそこにある大きなものに、守られているように感じます。何時も同じですが、羊水に浮かんで遊んでいる私のよう。そして、私の感じているものは、きっと愛です。海も好き。又行きたい。
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