「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年03月30日(金) 生き方

 前の職場の送別会に行ってきました。退職者の私たちは一言ずつ。私は、「一年前よりも成長している自分だから、看護師に戻っても違う動きが出来ると想像しています」と語りました。
 それから、お酒の席で心のことは語る気持ちは小さかったので、密かに楽しいことを探しました。20代の女の子数人が写真を撮っていたので、仲間に入れてもらいました。傍で見て居た保育士さんが、「Mamoちゃんがその中に居るなんて」と言いました。大丈夫。楽しいこと探しをしたのです。
 主任さんが席の近くに来て、私に「新しい風をありがとう」と言いました。職場でも自分を生きた私。「新しい風だったんだ…」と心に独り言。
 保育園で考えさせられてきたのは、「集団に居る」というもの。あるグループに所属する私。ある場所で生きる私。集団って何かな。個って何だろう。
 海で生まれ、いつも何かにつかまって生きて、どちらか一方の手では掴んだものを開いて確かめるのが難しかった。今は、両手が開いている。そして心のドアが開いている。私は自分で掴んだものを自分の両手で開いて吟味することが出来る。

 私は、広い海を自由に泳ぐ「私」が好きです。


 テレビでは、連日ボランティアの報道を見ます。もしも今、名古屋で大災害が起きたら…。私はボランティアの方達のしていることが自分で出来る自分を育てていけば、大丈夫かな。


2007年03月29日(木) 未来

 セントレア空港まで、ベトナム研修生さんたちの帰国の見送りに行きました。
 手荷物チェックの前で、皆さんと一緒に居たら、ベトナム人に、ベトナム人だと間違われて、とっても早いベトナム語で話しかけられました。皆さんくすくす笑っていました。私がベトナム語で「私は日本人なのです」と伝えました。こんな間違いは嬉しいのです。その後、(こんな時こそベトナム語。ベトナム語出て来い出て来い!)と思ったけれど、頭の切り替えが間に合いませんでした。“ベトナム語出て来い出て来い”をベトナム語でつぶやけたら大丈夫なんだなぁ。
 今日は、(私もいつか大きな荷物を持ってここに居るかもしれない)と、自分の未来を想像しました。なので、荷物チェックの様子を見ているのが面白かった。それにしても、時の経つのは早いもの。私も楽しもうっと。

 行きがけに潮干狩りをした海岸に寄りました。小さなつぶ貝がたくさん居ました。今日は赤潮が浮いていました。春は来て、その次は夏です。海に潜りたぁい。

Gobamcanのミモザ Gobamcanのつるにち草
海浜海岸 赤潮。赤く見えるのは、プランクトンの死骸だそうです。


2007年03月27日(火) やさしい点

 看護職に入るのを躊躇している自分。理由は、病院の中に入ることは、今の自分が捉えているよく生きるということから離れていくように感じていたから。それと、新しい部分を広げて生きたい自分がいるから。そんなわけで今日も再び違うところを探してみたけれど、今日も見事に断られました。これから勉強する私なので、能力給はうんと安いはずですから、私の生活費を計算して、「これくらいあれば大丈夫なので、勉強させてください」とお願いしても、それでも断られました。こんなにたくさん仕事が載っているのに、初心者歓迎というところでさえ、多少の経験が要るという。入り口の狭さに泣きそうになりました。そして、新しい自分として「散々探したし、もういいか」と一旦は看護職に動いても、心が「嫌だ」と言っていて、今日一日の間にも、何度も足が止まりました。
 派遣会社の男性と話したとき、「どうして看護師をしないの?」と聞かれました。新しい自分を広げたいことを話して、「どこに尋ねても初心者なりの経験者を求めらえてしまいます。経験者になるには初心者が入れる入り口がなければ、多少の経験者にもなれないです。私も経験者になりたいんです。どこに入り口があるの?」と言ったら、「うーん、そう言われるとそうですね」とおっしゃいました。世の中の仕組みはおかしい。即戦力を求めらばかりでは、若葉マークの私達は可能性あふれる自分をアピールすることすら難しいです。

 ということで、「もういいかなぁ」と本気で思えた頃、看護師の仕事というだけで自分に何かがのしかかっているのを感じました。理由には、人の命に関わるからとか、間違えてはいけない世界だからとかいろいろと浮かびました。でも、どんな仕事も広い意味で人の命にかかわっています。それにどんな仕事も基本的には丁寧にするもので、間違いはあっても少なくすむというのが前提なのです。
 20代の頃、何度か点滴を間違えたり違う人の採血をしたりしました。それらの患者さんが全て高齢の方だったせいか、全部うやむやになりました。夜中に亡くなっていた患者さんに朝まで気が付かなかったこともありました。丁寧に巡視をしなかった私の、大きなミスでした。(免許はなくなるだろう)と覚悟したこの時も、何事もなかったかのように時間は過ぎていました。というより、病院にとっては、何もなかったのです。
 
 過去を整理しつつ、私はこれらの罪の意識を背負ったままここまで来たんだなぁと。それにやっぱり、きれいなように見えて嘘がいっぱいの世界が嫌なんだなぁと。
 でも、世の中のどこを見ても、その奥には何かが隠されているように見える。どこも同じです。それから、私は生きていくためにウサギを取りにいく必要があるのです。でもそれは生きる分だけあればいい。だから看護師をしても何をしても、自分の心を基準にして切り捨てたり貼り付けて利用したり、どんな風にも出来るもの。病院の仕事をしても割り切っていいものなのですね。なんだか、楽しみになってきました。明日派遣会社に電話しようっと。

 自分を探していたら、ベトナムへ行く・本を書くということはスーッと小さな点になっていました。自分を楽しむその先に、小さく、点としてあるのが見える。やさしい点になっています。今を生きていると心が安心します。

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2007年03月26日(月) “した”分だけ。

 朝から就職活動。職安へ行きました。数々の面接を経て、医療部門へ入ってみました。再び訪問看護。少し前に医療報酬制度が変わったこともあり、看護師をすると経済的には安定します。でも、やはり私がやさしく生きることが大切。まだまだ選択肢はあると感じています。

 退職のための書類を持って、保育園へ行ってきました。「ここの職員とは違う自分」。不思議な感じがしました。
実は1ヶ月位前、止めると言った頃の自分を引きずっていたことに気が付き、いくつかの心の傷を癒やしました。そして去る3月13日、残りの日数を好奇心いっぱいの自分を持続させることで、残されたトラウマを取りさる事を思いつきました。この取り組みは、これまでの就職先ではいつも何かの傷を抱え込んで止めてきた自分に気が付いたから。そして、残りわずか10日の間に、新しい生き方で今を生きる自分の心の為に、出来ることの一つでした。結果的には、このアイデアをそれほど意識する間もなく、楽しいものでした。
 その間に、新しい看護師さんが来ました。保育士さんと看護師の職種の違いについて、「大丈夫かなぁ?」と言われる彼女に、いつの間にか、こんなことを語っていました。
「自分の思いついたことを、“する・してみる” ということを大切にしていれば大丈夫よ。職種が違い視点も違うから、提案したことが実らないこともあるのは事実だけれど、“する”ということをすることがとても大きいと思うの。そして、あなたの今後の人生に大きなプラスになると思うのよ」。あとで、「するということを語れる自分」を実感して笑えた自分。今となっては懐かしくもあります。してきた分のことは、自然に伝えていけるのですね。私も、するということをしてきた自分を持って、次の自分を育てます。


2007年03月25日(日) 生きかた探し

 この頃、私の周囲の人々がワクワク楽しそうに生きていて、見ている私も楽しいです。人生は楽しむためにあるんだなぁと改めて感じます。そういう私は、早く就職を決めたい。
 職場というのは、心の比率としては小さなものだけれど、一日の大半を過ごす空間としては、その比重は大きいです。だから自分をより肯定されやすく勤務体制的にも楽な場所を選ぶのがいい。世の中にそれほどあるとは思えないけれど、それでも、名古屋へ着てからの私は仕事を変える度に自分の生き方に近い場所へと到達しているのです。この結果があるから、真実を大切にして動いてきた自分を信じています。
 そして、新しい私の心を生かせる職場を探したい。こういうのを向上心というのかな。一つ出来たから、又次の一つ。小さくても、私を広げていけるはずなのです。

 生きるということは、自分を楽しむこと。私は自分を楽しんでいるときに、生きている実感がします。いつも自分が基準でいいんだなぁ。

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2007年03月24日(土)

 卒園式。園児さんは、私が就職したたった一年前と比較しても、皆さん大きくなっています。子どもって心も身体も成長するのですねぇ。
そして私も一年間以上働き成長してきた場所からの卒園式。
 式の最中に自分の一年が思い出され、泣けてきました。一年と一ヶ月間、時々おろおろしたけれど、それでも基本的には、面接を受けたときのニュートラルな自分を一年間持続させて成長を続けられました。ですから私の涙の理由は、この一年成長してきた自分に送ったエールの涙でした。
 自分が成長するためには、そのものを素直に見つめる視線があればいい。素直に生きることが、この頃の私の基本です。

 園児さんが退場した後、退職する私も、皆に囲まれ紙ふぶきをかけられました。保育士さんの中の一人は、真っ赤な目をして「これからも、Mamoちゃんらしく生きて」。もう一人は、「Mamoちゃんの存在大きかった。顔見るとホッとした」。どちらも私よりも年上の女性。歓迎されている自分に、どう答えていいのか分からなくて、「ありがとう」と言うのが精一杯でした。
 その後もう一人は、私の胸でしゃくりあげて泣いて…。真っ赤な顔をして自分を語る保育士さんたち。そこにある自分の存在。再び戸惑っている自分でした。
 日本の一般社会において、自分を大切にして生きる事は、自分勝手と受取られることが多い。だから私はここにおいても何処かで小さく身構えていたのです。その私が、ここで歓迎されているという実感。「2万回の思考」の話を思い起こせば、たぶんここに、私の存在そのものを否定している人は居なかったのです。そして、成人してから後、私が想像するよりも多く、私の存在は歓迎され受け入れられてきたのかもしれません。

 園長さんの、式の言葉に、「この保育園は皆さんに育てられている」というのがありました。そう。私も自分で自分を育ててあげられました。
 今日まで勤めたこの職場は、自分の心を育ててきた新しい私として、興味を持ち視線を延ばした場所でした。興味の中には、子どもを見ている環境ならば他の職場とは違う空気があるだろうという思いもありました。私の想像は当たりました。毎日たくさんの気付きがあり、自分の心の作業に利用しました。
 そして、別の部分で働き辛さも感じたから、止めることにしました。働き辛さの根底は、一般社会にある組織ゆえのものでした。ちなみに、組織であることが弊害になるのは、日本という国全体の視点や物事の捉え方がおかしいからです。それでも私は自分を語れたのです。今私は、語る自分を持ってこの世界に飛び込むことが出来た自分がいたことを嬉しく感じています。
 どこまでも自分として成長して生きたい。これからどの職場に行っても、私のスタンスは同じです。

 それから、かしこまった子どもさんたちを見て、久しぶりに自分の子どもたちの事を思い出しました。ずいぶん長い間、私の思考に沸いてこなかったなぁと、まずこんな自分にびっくり。でも、忘れてしまったという次元とは違います。私は、まず自分を生きることが先。そして、自分を生きたいから。だから、子ども達にはいつも、「待っていてね」なのです。
 ちなみに今日は、沸いてきた子ども達への思いを言葉にしたくなりました。私の場合は、子どもの事を言葉にすることそれ自体がマイナスになりますか? いいえ、救いを求めているのとは違うから、だからきっと大丈夫。それでも、成長途中の部分としては、自分の中で比重の大きい分野です。だから私は、こんな私の心を肯定される人にのみ、慎重に自分を語ります。
 「いつも自分の心を語っていこうね」。どんな時も成長のきっかけになりますね。

 新しい仕事探し。今度は何が出来るのかな。外国に広がるような仕事に就きたいな…。
 
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2007年03月22日(木) 摘みあげた心

 最後の保健部会。新しい看護師さん2名と一緒に出席しました。
 来年度の保健活動について、何をするかの検討会がありました。
でも、発言する人はなく皆さんうつむいて部屋が静まり返っていました。理由は分かりました。うがいも手洗いも大人が続ける環境があって始めて、子どもが取り組める。これは、保健職での暗黙の了解で、皆さんはこの現実を知っているけれど、言葉に出せずに時が過ぎているのです。
 私は最後の保健部会で、自分の感じてきたことを提案したくなりました。
そこで、一年間の感想を踏まえて、「こどもさんが何かを継続するにはその環境が必要であること。一年を通して続けていける取り組みとして、自分を知り自分の心と身体を大切にして生きることをテーマにしてみては?うがいや手洗いの前に、一貫して伝えやすいかもしれません。そして私達の知識を利用していただける事になる。それから、子どもさんに伝えようとすることで大人も一緒に素敵に成長できる。心のことは死ぬ瞬間まで勉強できそうですョ」と提案しました。
 話し終えた後、横に座っていた新しい看護師さんは、「よく分かる。私が引き継ぎますね」と言ってくださいました。私は一瞬、彼女がマシュマロに見えました。発言してみてよかったなぁと感じました。
 会議が終わってから、幾人かの保健職の方から声をかけられました。
なんだか、皆さん暖かかった。人って、こんなに近かったのか…と改めて感じました。きっと、これまでの私が、いつも一線を引く私だったのです。
 新しい看護師さんは私に、「止めるの持ったないね」と言いました。それからもう一人の看護師さんからは、「Mamoちゃんは何をしている人なの?」と尋ねられました。
 どちらの言葉も納得できました。一年は一年。済んだことは済んだこと。次は次。そして私は、私の心の声を大切にして、自分を遊ばせて生きていく人です。保健部会も一年間楽しかったな。


2007年03月20日(火) 伝えるということ

 仕事。保健の残務を終えて、保育士さんのお手伝い。いつもよりもさらにサクサクと仕事をしました。子育て支援も終わりを向かえ、女性として語り合った事を思い出し懐かしく感じました。支援センター最後の今日は、「うちの家は先祖代々続く11代目なんで、次は男の子がほしいと言われていて」と語るお母さんとの会話でした。人の命を男女に分けて望むことの重たさを語り合いました。それから新しい価値観は私達から始まるのですよねと。今日も、仕事の中で、自分の大切にしていることを語れてよかった。それから、私に心を語ってくださった方にはいつも、ありがとうと言いたい気持ちです。
 先に書いた女性とは、その後、「波風を立てないようにしてしまう日本の社会」について語り合いました。特に、子どもはいつも自分を語るもの。子どもは、大人がどんな言葉を使っても、その大人が自分の言葉を丁寧に聞いているかどうかを心に感じ取るもの。これは私自身が、親としても子どもとしても実感してきたことなのです。どんな時も、素直にそのままを語り合うほうがやさしくて楽しい。私ももっとやさしく語り合える女性に育とう。


 夜、リビングでベトナム語のDVDを見ました。他のメンバーと一緒に見るのは初めて。一人で見ているときとは違う面白さがありました。遊びの中で学んでいくことを思うと、教育とか勉強という言葉はなくても大丈夫だなぁと実感します。
新しい自分を大切にしようっと。


2007年03月19日(月) 点の取り組み

 仕事。退職までの残務をほぼ終えてしまった今日。園内で私に出来るお手伝い、新園の内覧会の招待状をつめる作業など。一年間働く中で、新園に関することのすべてを遠慮させていただいた私。その間の自分の心を振り返りながら少し複雑な気持ちを感じつつ詰めました。そして、自分の心を基準にして動いたことを大切にしようと改めて思いました。
 先日小さな問題に挙げられた06年度の保健の纏め文章が印刷され配布されました。読み返してみると、「あらまぁ、もう少しシンプルにしたら?」と言いたくなる文章です。恥ずかしさも感じました。それでも一応、私の大切にしていることはそこに書かれてありました。この場所・この社会で心を基準にして生きた私の言葉が、小さな“点”として残され、数年間複数の他者の目に触れられる機会をいただいたことを嬉しく思いました。

 そして今週に入ってからの私は、残りの日数を「会話する自分」を楽しんでいます。言葉を選んで語っている自分が面白いです。

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2007年03月18日(日) 格差社会

 夕方、ベトナム人のお友達の寮へベトナム語の勉強に行きました。
電話をかけて、「今から行くね」と約束して行きました。2時間くらいの間、半分ずつ時間を区切って、日本語とベトナム語の勉強をしました。楽しい時間はあっという間でした。

 最近の朝日新聞には、日本だけでなくアジア諸国での「格差社会」についての記事が続けて載せられています。どこの国でも、大富豪のすぐ傍で、その日の食事に困る方々が生きているのですね。
 日本でも、経済の専門家は社会の格差を減らす取り組みを考えておられるようです。でも私は、今年の春闘の結果を見て、社会の視点はどこだろうかと疑問がわきます。貧しさから抜け出したいときに、お金をたくさん持っている方の意見を聞いていたら、貧しさの原因から視点がずれてしまいます。ある困難から抜け出したいときには、困難の中に居る人の心の声に耳を傾けられたら、そのものの根底が見えて解決に向かいやすいのではないかな。
 社会が何かを望むとき、その中の、声なき声を大切にすれば、やさしい社会が出来るのです。そしてそれは、自分を知っている事から始まるのです。なぜなら、自分にやさしく出来ることが、他者へのやさしさに繋がるから。

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2007年03月17日(土) 心の鐘

 育成会。
 今日という日は、私の心の壁に鐘が触れたような一日でした。
3月16日付け中日新聞の『いじめと生きる4部「科学的」に考える(心が傷つけば脳にも傷がつく)』では、自分が子どもの頃から感じてきたものがついに科学的な根拠を持って照明されたことに小さな喜びを感じました。そして反対に、脳が壊れてしまう程に傷つけられていた自分を再び直視することの恐さと長年ひそかに持っていた疑問を「やっぱりそうだったのか…」と心に安堵するような感覚が入り混じり、胸の奥に痛みも感じました。
 それから少しの間、今は遠い過去の親に対して、「あなた達が私の脳を壊し穴を開け、簡単な計算も国語も分からず独り言をいい続ける私を作ったのに、そうである私をさらにいぶかって…」との新たな怒りも感じずにはいられませんでした。
そして最後は、それでも私は自分で自分の穴を埋めていく方法を知っている。だから大丈夫なんだという安堵を感じました。
 もしも私が、4年前にこの研究結果を聞いていたら、私は完全に自分を失い過去の親に対する怒りを実際に行動に移していたことでしょう。
そして、薬で治りますか?答えは「いいえ」です。過去、私の抱えていた問題は薬を飲んで一時的には治まりました。けれども、子どもを愛せない自分を責める自分の辛さは変わりませんでした。自分を責める母親の私は子どもをも責めました。この生き辛さを持っている以上、私たちは本当に健康な人になるのは難しいのです。

そして今、私は…。たぶん大丈夫。大丈夫なのです。


2007年03月16日(金) いいこと探し

 カウントダウン中の職場で、自分にいいこと探しをしています。と言っても、お願いしたけれど実現されなかったところを自分で整えたり、子どもさんと遊んだりサクサクと動くという程度。こんな小さな事を楽しめる自分がいいのです。だって、仕事ですから。
 昼休み、外を歩く人を眺めながら、「今までは、世の中の全てが私を否定しているという考え方を持っていたのだなぁ」と感じました。なんだか、プラスの自分もマイナスの自分も、お互いに薄い紙一枚の向こう側にいるよう。
  
 それから、この頃、生まれてすぐの自分から苦しさを感じ始めた頃の自分までの間の、ぽっかりと開いていた穴が、少しずつ埋まっているように感じています。自分を肯定した分だけ楽に埋まってくれるようです。
 あるがままの自分を認めてあげることは、何よりも大切。今の自分こそ頭の先からつま先まで、かけがえのない大切な自分。一時間前も一分前も、一秒前も同じです。
こんな風に感じられる自分に安心するのは、きっと、私が今書いていることは、楽になるためとか成長するためという理由とは少し違う、もっと深い部分・私の存在そのものを感じているからでしょう。生きていることそのものがOKであるよと言っているのと同じなのでしょう。
2年位前、「自分に責任を持てる生き方をしていたら、他者の言葉は問題外」という言葉を聞きました。私は今、その言葉の意味が分かります。自分を信頼できていたら、他者の言葉と自分の言葉を区別できる私を持続できる」のです。自分の感じたものを大切にして生きていられるのです。
 肯定と無償の愛は、近い存在のようです。

 ただ今40歳。私はこれからも、視野を広げて、広い世界を見て生きたいです。世の中は、自分が思っている以上に広くて大きいはずなのです。..Bốn..
 


2007年03月15日(木) 新しいやさしさ

 先週から、新しく就職される二人の看護師さんが交代で実習に来ていらっしゃいます。私は「緊急のことは少ないから、一つずつ丁寧に進められますよ」と伝えました。
 「どうしてここを辞めるの?」と質問されました。そうですよね。辞める理由は気になりますよね。そして私はプラスを伝えたい。だから、「新しい世界を知って、今度は他を見てみたいからですよ」と答えました。今日こられた方は、保育士の免許も持っていらして、始めて入った乳児クラスで、赤ちゃんの傍にとても自然に座っていました。赤ちゃんは遊んでくれる人が分かるみたいです。
 
 今は、卒園式と来年度の準備で大忙しです。そういえば、私が来たときもこんな風にバタバタしていました。一年間働いてきたのだなぁと改めて感じます。
もうすぐ卒園式。卒園児さんへの寄せ書きに一言コメントを入れました。
「いちねんかん、あそんでくれて、ありがとうね」を20個。..Ba ngày..

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2007年03月14日(水) ここ笑み

 楽しんでいいんなだぁ。
心穏やかで、そして軽く弾むような気持ち。
基本的に自分を信頼していれば、見たものをプラスに広げることが出来る。
出来ていることがある自分を知っているから、これから出来ることも見つめていける。
 社会に馴染むことから離れ、“個”としての私を大切にしているから感じられる安心感。そして新しい世界。
 
 これからも、やさしい自分を育てるために、私は今、何をすればいいだろう。今浮かんでいるアイデアは、やさしく丁寧に語っていくこと。
言葉は、自分を伝えるための一番分かりやすい方法だから。そして実践しやすいから。
誰にも分かる日本語を使って、シンプルにやさしく語っていこう。
ホワッとやさしい私を育ててあげよう。..Hai ngày..

**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày chơi nhé〜**(野球のページへ寄って下さいねぇ~…これはOKですョ)  
それから、
Nêu có gip, Các ban, Xin mơi chơi tôi nhé!(皆さん、機会があったら遊んでね~…こちらはあっているかな?不明ですョ) 
Hên gap lai! 

追記 入力の都合上、発音記号を振っていないものがあります。


2007年03月13日(火) カウントダウン

 朝、車のタイヤがパンクしていたので、朝からタイヤ交換をするために少し早く起きました。そうしたら、すごい。15分くらいで出来てしまった…。後で考えてみたら、確かにそのくらいで出来るものなのだけれど、出勤前だというのに、心に余裕を持って慌てずのんびりタイヤをはずしている自分がうれしかった。なんでも楽しいですね。

 仕事。
先日討議された今年度の保健の統括の文章に、私の名前入りの文章を原文のまま使っていただけることになりました。ただ、園の方で一言入れさせて欲しいという条件が付いていました。実は、私の心は既に次に向かっていたのですが、削除せずに利用していただけるのであれば…と再び視点がそちらへ行きました。
 園の方で付け加えたい言葉は、あってもいいものと思えたので、それを私の言葉で作成し改めて提出させていただきました。伝えてみると何かが起こるのですねぇ。
 退職まであと、12日。私は退職するその日までワクワクしたいのです。
最後の日、「ありがとうございました」と言って職場を去って行きたいのです。‥Một ngày‥



2007年03月12日(月)

 午後、面接へ行きました。
今度は、介護ヘルパーの臨時講師です。いくつか質問していただいたので、それに答えるべく、私を語る機会を頂きました。質問の中に、「受講者さんから、介護ヘルパーの資格はなくなるんですか?と尋ねられたら何と答えますか?」というものがありました。こんな質問は大好きです。私は「社会には、無くなると言われているのに無くならないもの、無くせないものがあること・大切だとされているけれど大切ではない・邪魔になるものがあること・基準にされているけれど基準になっていないものがたくさんあること。それから、私達は1つに資格にとらわれずに新しい世界を広げていくことが出来ること」を語りました。世間の情報に流されずに生きる私の話はとどまるところを知らずに広がり続けました。ちなみに私の語ったことは全て、私の人生という実話なのです。
 楽しい面接でしたが、今度こそ採用していただけるといいな。

 夜、小さな戸惑いを伝える練習が出来ました。伝えた直後の結果は、私の想像したものとは違っていました。途中で相手の言葉に怒りが沸いてきました。怒りをアンカーしつつ、他者の言葉に戸惑った自分をもう一度伝えました。
 そこへ、思考は一日2万回浮かぶと言われる言葉がすっと心に入ってきました。「そうか。2万回のうちの1つを口にしているに過ぎないんだった。私も同じだったんだ。そして私は浮かんだ思考を言葉にしていないけれど、思考が浮かぶというシステムは同じだったんだ」。
 途端に、それまであった怒りは小さくなり、反対にうれしくなりました。それから、「今まで、いつもいつも、怒りに巻き込まれる自分を繰り返していたんだなぁ」と改めて実感しました。自然に顔はニコニコ顔。こんなに大切な状況に気が付けるなんて、本当に何があってもそこからです。「気付かせてくれてありがとう」。
  
 後で、2万回を感じたことによってあんなに力が抜けたのは何故かを検証してみました。
そうしたら、その理由は、心に感じた安心感のためでした。
「私もその方も、2万回の思考を持っている。それぞれの“人”。“人”である」ということが分かる安心感。そして、浮かんだものは浮かんだものとして、いい。こんな思考の中で、怒りと戸惑いで怯えていた私の全身から、すーっと力が抜けていったのです。
 今、私は自分にやさしく出来る私です。自分を大切にする自分を育てています。これからも、自分を守ることが出来る自分を信じてあげられれば大丈夫。
「私は私。私、大丈夫なんだよ。」。


2007年03月11日(日) 生きるということ

 日曜日。ベトナム語のDVDの編集をしながら勉強しました。少し前、1つの疑問に対していろんな種類の教材を引っ張っていたら、机の上がすぐに埋もれて帰って勉強し辛いことに気が付きました。だから今は、固定したものともっぱら、インターネットを活用しています。ちなみに、インターネットの中にも、無料の日越電子辞書があります。普通の辞書で引くよりも検索時間がうんと早くなるのです。
 最近、ベトナム語は英語よりも簡単かもしれないと感じています。なぜなら、スペルの同じ単語にアクセントを変えるだけですぐに3つの言葉を知ることが出来るからです。それが、アクセントのあるものと無いものが類似するものだったり、または全く違うものになったり、いろんなことに感心しています。何かを知っていくのってこんなに楽しかったのですねぇ。

 昼前には、Roommateと用事を兼ねてドライブをしました。途中で車に変な音がしていることに気が付いたので、降りて車の周囲を見てみましたが、異常は分かりませんでした。車から降りた時、慌てず落ち着いて行動している自分が眺めている自分がいましたよ。こんな自分に気付けることが嬉しいです。
 ドライブの間に、時間の話をしました。一日24時間のうち、8時間は仕事時間・8時間は睡眠時間・残りの8時間は自分の事をする時間です。考えてみると、朝起きてから職場へ着くまでに、既に3時間経っているのです。明日から朝の時間ももっと大切にしようという思いが自然にわきました。
 そして、何をしていても、全て自分のためにしています。寝るのも起きるのも、ご飯を食べるのも、全て自分のためにしています。歯を磨いているときもクルマを運転しているときもいつも自分の何かを考えています。だから、やっぱり、いつも自分の為に生きている私なのです。そして、いつも何かが出来ている私なのです。

 死んでいたら。
あの時もあの時も、自分が死んでいたら、今このとき、自分が24時間使って生きていることに気が付けないままでした。
私は、「生きていてよかった」と、死ぬまで思うと…思う。


2007年03月10日(土) すくすく

 今日は、園長に、昨日の職員会議で伝えた補足として、「私の文章の一部を削除される場合は、私の名前を文章の責任者から外してください」とお願いしました。伝えた後、「今までは、逃げてることが多かったなぁ」と感じました。そして、「今の自分を持続させよう」と。ちなみに、今回の場合、昨日までの状態では出来たとは言わないそう。今日のところまで伝えて始めて「出来た」と言うそうです。何故かな?
 午後、Roommateと遊びました。この頃の出来事から、心の傷を癒やす前と後、使用前と使用後を語り合いました。たいていの私達の返事は「そうなんだ」「そっかぁ」「そうそう」。いつもやさしい空間です。
 そして、この短期間にベトナム語の一センテンスがとても上手になっている彼女。本当にびっくりしてしまいました。と言っても、理由は分かります。興味を持つと自然に上手になるのですねぇ。
 この頃女の子と遊ぶのが楽しいです。子どもの頃には経験できなかったことの1つ。いろんなことをさせてあげて、狭い箱から抜け出して生きる自由な自分を育ててあげるのです。

 夕方、通訳の女性とお会いしました。彼女は私に、日記に載せていたベトナム語の新しい表現を伝えてくださいました。説明を聞いてみると、なるほど、私の伝えたいことが伝わる言葉でした。日記を読んでくださっている方の中に私のベトナム語を見本にしている方がいらっしゃったら、ごめんなさいね。ちなみに二日前、中日と朝日の両新聞で「ベトナムから来日している研修生さんが企業側の乱暴さを訴える裁判を起こした」記事を読みました。中日新聞の見出しには「虐待」の文字。経済大国日本では経済的に弱いものを利用してひどいことをする人がいるのです。
そして私は、言葉の分からない外国で自らの裁判を起こすべく動いた女性達の“勇気”に感心させられました。私達はいつでも、自分よりも強いというイメージの中で怯えます。でも、権力に負けず自分を伝えることは、不当な扱いを受けて傷ついた心が楽になるきっかけになるのですから、裁判を起こした女性達の今後の人生に大きなプラスになることだろうと想像しました。 日本人の私は昨日の会議で、大人は子どもに伝わる言葉を選ぶといいという内容の事を語ったのですが、例えば日本語を知らない外国の方に日本語が伝わらないとするなら、言葉を間違えているのです。日本語をたくさん知っている日本人が外国の方に伝わるやさしい言葉を使っていくとその人自身もやさしく成長できるのです。

 それから、保育園恒例(だそうです。)文集に、心の傷を癒やしている自分を書きました。他の方のページを読もうとしましたが、私の心に響くものは見つかりにくく、途中で断念しました。
私と同じ意見が世界中にたった一人でも、それは私の意見です。
私と同じ意見を持つたった一人の人は、私です。(これ、いいかな)
私は世界にたった一人の私です。


2007年03月09日(金) 小さな卒業

 職員会議で、今年度の保健の取り組みを纏めた記事について検討されました。
内容は大きく分けて二つ。二つとも、昨年の3月から一年間一貫して続けてきたことでした。けれども、実は就職当初に「こうしよう」と意識したのではなく、一年を振り返って始めて、一貫して同じことを伝えていた自分に気が付いて、「あら、そうだったんだ」と少し驚いたくらいのものでした。もちろん私は、この事実を「心の楽さから自然に続けれらていたものだ」と嬉しく受けとめました。そして今回、一年間のまとめとして、自分が大切にしているものと、そのことを社会に惑わされず一貫して語ってきた自分を認め、公の文章にした、という次第なのです。
 しかし、このうちの1つは、幹部から削除して欲しいと伝えられました。理由は分かりつらいもので、私には園の方針から外れるからだと感じられました。そして、私の大切にしてきたものを消されるのでは残念な気持ちが残ります。なので、しばらくの間、小さな議論になりました。その間、「私のどこを伝えればいいか」と吟味している余裕は無く、思いつくことを語っていました。
 それでも私は、「新しい場所で、何が出来るかを探して一年間持続させ丁寧に取り組んできたこと」・「いつも学ばせていただく立場にあったこと」。通常ご両親の為に作られるという文集を、「自分の為に纏めたこと」。それから、いくつか取り組んできた健康教育については、「私の内容が伝わらないとするなら、大人の私が言葉を間違えていると捉えていること・出来具合がどうであるかなどの事後調査のようなものをするのは避けたかったこと」。「うがいも手洗いも、まず、全ての大人が続けている環境が必要であると実感したこと」。そして私自身は自分のしてきたことの中から、「次へ繋がる内容を残したいこと」。だから「私の文章が全ての方に理解されたいという考えは無いこと」・「評価を求めていないこと」。最後に「多くのことを学ばせていただいた一年であった。その気持ちをこの紙一枚に濃縮して書かせて頂きました。なので、これをこのまま残してもらいたいです」と伝えました。
 けれども、状況は変わらずでした。最後は、私は「載せられない部分は削除していただいてもいいけれど、残せる文章の中の言葉は変更しないで下さい」と伝えました。伝えている間中、心臓はドキドキ。手が震えているのが分かりました。

 夜になって思い返したみたら…。
昼間、会議室に座っていたのは、創立30年の、多くの子どもさんを預かっている保育園という場所で、園長さん始め幹部の保育士さん4人と給食室の方2人と保育士さん12人の前で、自分を伝えようとしている新しい私でした。それは「私の心を消さないで!」という叫びにも近い形でしたが、どんな形でも、自分を伝えようとしている新しい私だったのです。そして、手が震えても語れるものがあった私なのです。子どもを虐める自分自身に怯えていた私は、泣いて暮らしたあの日の自分を卒業できるかもしれません。過去の自分を思えば…、私は今日の自分に小さなHugを送りたい気持ちなのです。

さて、これからどうなるのかな…。


2007年03月08日(木) 広がり

 外は冷たい空気。でも、近所のお宅の木蓮はもう花びらを散らせていて、街路樹のはなみずきも薄いピンクの花を満開にしています。かわいらしいですね。そして私の心はか〜るく弾む小さなピンポンだまのよう。きっと、薄いピンク色をしています。
 世界は広くて、宇宙は無限大で、私達の可能性も永遠に続いていく。世界は私が知っている分の何兆倍も広いのです。私は自分を信じる自分を大切にします。好奇心に満ちていると、年を重ねても死ぬ瞬間まで何かを探して輝きます。きっと私の人生も、プラスに思い描いたように広がっていくことでしょう。

春ですね〜。

**〜Tôi muốn đi phòng đá cầu〜 **


2007年03月07日(水) 自分のために続く道

「自分のために生きるということ」

 一般社会の人は、人のためとか子どものためとか、親のためとか言います。でも、私はいつも、自分のために生きています。
 私がもし、会社のため、子どものため、誰かのために何かをしていたら、
私はその人に認めてもらわなければ、自分が成り立たなくなるでしょう。
人生の終盤になって、誰かのために何かが出来なくなったとき、自分は空っぽのままだったらどうしましょうか?誰かのために何かが出来ない自分に焦るでしょう。「○○の為にしてやったのに」という言葉は、一見無力な自分に対する焦りの中から出てくるような気がします。この言葉は、罪です。

 私は自分のために生きようとしています。だから社会に反しています。でも、これがいいと思っています。


2007年03月06日(火) 心の広がり

 子育て支援
保育士さんが、お母さん方に何か質問をして話を広げたいと考えていました。私にも「子どもさんの長所は何ですか?にしようか。何がいい?」と尋ねてくださったので、「私なら、お母さん自身の素敵なところは何ですか?がいいと思う」と提案しました。すると保育士さんは、「エー。それは難しい。私もすぐに答えられない。Mamoちゃんの長所は何?」と。私は「素直なことです」と答えました。保育士さんは「なるほど」とおっしゃいました。しかし、一般的には自分のいいところを語るのは恥ずかしいそうです。
 私は、お母さんも赤ちゃんも、私も他の人も、そこに居ることが、すでに素敵なことだと思うのです。それと、自分の素敵なところも小さな点です。皆が自分の素敵なところを語れるといいな。そしてこれから成長するところも語れるといいな。つまり、ありのままを語れる自分がいいのです。
 それから、保育士さんは今日、「やっぱり看護婦さんがいると心強いよ。専門の知識は無いもの」と言って下さいました。私はうれしかったので、「ありがとうございます」と伝えました。
 お母さん方には、支援での会話とその後に頂いた感想に返事を書いたものをプリントアウトして持っていきました。私からの返事の中には、他の方と語り合ったことも書き添えておきました。これには理由がありました。皆さんと個別に語り合った内容を書いておくことで、おそらく皆さんが心の奥に感じていると思われる共通の話題にそれぞれの方が触れることになり、お母さん方が子どもさんを見るのではなくご自身を見つめようとする女性のグループが出来れば…という考えのもとなのです。
 退職まであと19日なのです。今年度のまとめ作業は残っていますが、心の傷を癒やした私の、新しい心で語ったものを纏めて終了かな。今は、一般の女性に向けて自分を語れたことを心から嬉しく思い、心はほんのりぽかぽかです。
 作って持っていった資料は皆さんが持ち帰ってくださり、全部なくなりました。売り切れというのは嬉しいものですね。
 このプリントについては、思わず「ありがとう」と言ってくださる保育士さんもいて、お礼を言われたことにちょっとびっくり。でも、ありがとうを伝えられるのは嬉しいので、私も「ありがとうと言ってくれて、ありがとうございます」とお礼を言いました。

 午後は、私の後に入ってくる新しい看護師さんに、引継ぎをしました。自分のしてきたことをお伝えしつつ、一年間ここで働いてきたんだなぁと、しみじみ…。一年前ワクワクたっぷりで就職したことを思い出し、懐かしく感じました。そして、新しいことに不安はつき物なのですね。私は今、私の後にいらした二人の看護師さんに、私の感じてきたことの何をどのように伝えていくと、お二人が楽しく仕事を始められるかなぁと思いをめぐらせています。そして、楽しんだ自分を語ればいいのだなぁと感じています。


2007年03月04日(日) フワフワの好奇心

 包丁の事があって、自分の中にある痛みを深く実感して、昨晩私は今まで気が付かなかった自分をたくさん知りました。大人の私が感じるあらゆる恐さの根底には、子どもの頃にいつも付きまとっていた自分の終わりを感じさせるような恐さが深く刻み込まれていました。「深いなぁ」とため息が出ました。そして、自分を見つめて癒やしていくことで、心のベールがはがれていくことも感じられて安心しました。
 私は今、鋭い刃先があの場所にあったことで、もしかするうんと先になっていたかもしれない心の傷を癒やしてあげられたと感じています。毎日毎日、今のことが出来ても、心に傷を残したままでは、生き延びているのと同じなのです。自分を楽しみ、自分の可能性を引き出しつづける生き方からは外れていることがわかります。
 大切なのは自分の存在価値や社会の評価ではなく、自分をふんわりフワフワ遊ばせてあげる、自分にやさしい心です。

 ところで最近、ベトナム語がブームです。金髪の小さな男の子もベトナム語を話しています。私もいつも心のどこかで口ずさんでいる感じです。
 私は野球のフォームもベトナム語も、新しいことをするには少しオーバーなリアクションをしてみたり、心友と何回も表現しあってみたりします。こうすることで自分に分かりやすく伝えているのだと思いますが、面白いです。
 この事について、あるRooommateとこんなことを語り合いました。「私達は子どもの頃、息を殺して静かにしていることを要求されてきたのだから、子どもの頃に出来なかったことを大人の自分に体験させてあげているのだよね」。毎日毎日、自分の好奇心の中で、自分を楽しませてあげるのです。

 野球の帰りに、けがをしたTeammateを搬送して春日井市まで行きました。彼を送り届けた帰りにきれいに咲き誇ったミモザの木と出会いました。まるで、「みてみて!」と言っているようでした。道の向こうの川に視線を落とすと、カモと大きなアオサギがいました。自然はいいですねぇ。

**〜Tôi muốn đi phòng đá cầu〜 **


何処かにカモが見つかるかもよ。


2007年03月03日(土)

 育成会。
 ある女性は「しているつもりよりも、焦っている自分を知っているほうが、はるかにいい」と纏めてくださいました。流れの中で、私は、巻き込まれた自分に焦っていることを少し語りました。別の育成会の主催者さんは、「少しずつでいいんだよ」と言いました。そうですよね。いつもひとつずつだものね。
 私達はたいてい、子どもの頃に「泣いてはいけない」と教えられます。泣いちゃいけない怒っちゃいけない。ニコニコして大人の基準の通りに動く子どもであることを要求されていたのです。
でも、これは違います。心の傷を癒やす作業以外でも、私達は大人も男性も、泣いたり悲しんだりしてもいいはず。泣けてくるほど悲しい自分に気が付けるから心が楽になっていくのだと思います。
 私は、自分の悲しみや怒りを感じている自分を認め、心に感じられるとき、真に自分と向き合っているという感じがします。そして、心が安心します。

 育成会の後、ある男性を介してある男性とお会いしました。
その方の年齢は、65歳を過ぎています。彼は、世の中のおかしさを、年金の話や石油価格を例にして語ってくださいました。
他の話題も含めて要約すると、「日本という国は、人の心に大切な部分は少しも見せられていないのだよ。」。私は「日本という国は生きつらいです」と伝えました。
 本当に、日本という国はおかしいことがいっぱい。それから、政治家や大企業の中には、日本の末端に生きる私達に隠されているものがあることを知ると、悲しみを感じます。
そして私は、自分のスタンスを大切にしてやさしくふんわり生きていきます。日本という国からするととても小さな自分を、暖めて生きたいと思います。


2007年03月02日(金) かべの中

 昨日朝、キッチンに降りたら、流しの前の棚にさびた包丁が棚から10センチくらい飛び出して置かれていた。さびて使えない包丁の刃先はこっちを向いていて、まるで私に向かってるように見えた。包丁には恐い経験がたくさんある。傷口から血が拭いて出てきているという思考にとらわれた。私はひどくフラッシュバックした。恐かった。目を開けていたいのに、眠くて眠くてたまらなかった。アンカーして切り替えても切り替えても、恐さが襲ってきた。自分の目が上に下にきょろきょろしてるのがわかった。心に「アーもう駄目だ…。」の声が浮かんだ。
 そこにある思考が沸いた。「待って。こんな自分が分かってる。」。私は自分が分かってるんだ。だから、まだ暴れていないんだ。過去とは違うと実感した小さな変化が、自分への救いのように感じられた。それに自分がフラッシュバックすることの原因は分かっているから、巻き込まれて入り込まないように意識していれば大丈夫かもしれないと、先にある光が見えてきた。私は現実を見れるように、仕事に出かけた。
 夜、やっぱり駄目だった。キッチンに入れなかった。もう一度外に出て、外食をして部屋に戻り本読みをして心を落ち着けた。そうしたら、20歳くらいのことが浮かんできた。怒りを抱えて乱暴な自分だった。今度は私が他者に包丁を向けていた。二つの傷を癒やした。少し落ち着いた。
 その後、これからの事を考えた。チャイルドを癒やしたというのに、尖った刃先が浮かぶとどうしても恐い。恐さが来て暴れてしまう自分では、チャイルドを引き出せない。
 トラウマは、もう一度その場所に行って楽しむことで癒やせることもあるのだ。それならまず、キッチンに入れるようになるまでの能力を蓄える為に、現実を生きよう。順番が逆だけれど、今出来ることをする。今のことをしよう。そうすれば、自分の抱えているこの大きな傷を癒やせるはず。そう決めて布団に入った。布団の中でも、さびた刃先が何回もちらついた。それでもたぶん、じきに眠った。きっと、自分はどうするかを決められたからだろう。

 今朝、確認の為にさびた刃先を思い浮かべてみた。背中がむずむずして暴れたい気持ちが少し。刃先が浮かんで恐かった。まるで刃先依存になったみたいだ。でも、昨日と同じになるのは嫌。今を生きたかった。
 台所を後回しにしても、今のことが出来ていれば大丈夫のはずだと、能力を意識して家を出た。コンビニでパンを買って食べた。昼間は丁寧に仕事をした。それでも昼休みには頭に刃先が浮かんだ。恐さがあるけど大丈夫。昨日の朝より、昨日の夜より、そして今朝より、少し小さくなっている。それから今は、今日の昼間よりも小さくなっている。もうすぐ大丈夫になる。この調子で進めば、このことをきっかけにして心の傷を癒やせるはず。
 それから、同じものを見ても、大丈夫な人も居る。もうじき私も、包丁を見ても平気な自分になれるはず。未来に興味がわいた。

 それにしても、どうしてあの場所にあのような形でおいてあったんだろう。だれがしていてもいい。責めるようなものとは別の視点で、自分に起きた、この点の理由を知りたい気持ちがある。しかし、それを知っても意味がないそうだ。仕方がない。

明日も今の事をしよう。明日は今日よりも楽になるだろう。
心がさびてしまわぬよう、自分にやさしく生きよう。


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