「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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この頃、職場の女の子から「Mamoちゃん素敵ね」と伝えられることが重なっています。 以前は、誰と居てもいつも何処かで緊張していて、素敵といわれても心のどこかで、(そんなはずはないだろう)と疑っている私でした。それから、本当は悲しいのに平気な振りをしたり、本当は嫌なのに笑っていたり、大変な大変な自分でした。自分でも分からない自分の事を、他者に向けて語るなんて、大変なことでした。 でも今私は、自分の心の扉を以前よりもたくさん開けている。長い時間空けていられる。 そしてこんな私を素敵ねと言っていただけることも、新しい生き方をしている私を認めら歓迎されているようで、嬉しいのです。 何より、以前よりも楽に語っている自分が嬉しいのです。
**〜Tôi muốn đi phòng đá cầu〜 **
休日。午前中、ベトナム語や算数の勉強をしました。 算数は大きな数の足し算引き算と九九をしました。算数には規則性があるというのを聞いたことがありますが、九九の5の段以外にも規則性があることを知り、うれしくなりました。そして、数字は大の苦手だった自分が楽しんでいるのが面白かった。考えている経過が楽しいのです。 依然見たDVD『インドの衝撃』の中にも、算数の計算について、面白い取り組みをしていました。答えを教えるのではなく、それぞれのひらめきを大切にし、ひとつの問題を丁寧に考える経過を楽しむというインドの授業。算数は楽しみの中で力になるそうです。DVDに写っていた学校では、テストは1つの教科で3時間です。答えがあっていなくても、答えが出るまでの過程が興味深ければ点数になるというのです。私もインド方式に習って算数も楽しみの一つになりそうです。この楽しみを自分で自分に伝えてあげる。私は私自身の算数の先生になります。算数を楽しむ方法を手伝う先生です。
それから、この頃Gobamcanではベトナム語がちょっぴりブームなのです。ベトナム語は心にやさしい言葉です。そして日本語も心にやさしい言葉です。英語もドイツ語も、同じ。やさしい言葉はやさしい心から発せられます。 やさしさは、自分の今を生きていることの自信によって、自然に発せられるみたい。やさしさも素直さも、先を見て今を生きる私から沸き起こってくるのです。
夜、空を見上げたら、星がきれいでした。オリオン座のペテルギウスのやや北よりに光る星はふたご座のポルックスという星のようです。…合ってるかな??
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
自分が歓迎された経験を思い起こして書き出そうと思いつきました。4年前から向こうの過去のことは思い出そうと出来ませんでしたが、心の勉強を始めてからのことは、書いているうちに、永遠に続くことに気が付きました。否定されなかったということは歓迎されていたと捉えることもできて、私はこれまでたくさんの人に歓迎されていました。 そして、いつでも自分を歓迎してあげられるのは、私自身です。こんな風に感じるとき、私は心から安心します。自分を愛してあげられるのも、私自身です。
今日は、解離性同一障害のDVD『DEAR〜傷つくもの達…。』を見ました。これは、ドキュメンタリーを元に舞台公演用に作られたものです。 DVDのパッケージに書かれているのは、「/日本ではこの障害がまだ事実として受け入れられていません。虐待を受け別の人格を作り出す子供達。薬では治らないとされているのに投薬治療のみを続ける医師、副作用で苦しむ患者、それを支えることが出来ない今の精神医療の現状。このような悪循環があるにも関わらず、それさえ気が付かない患者や家族が大勢居ます。/」です。
以前から知っているビリーミリガンという外人ではなく、同じ日本人としてみるものは叉違う感情がわきました。病院でのやりとりや人格の交代の場面があり途中で2回ギブアップし、現実を意識しなおしてから、最後まで見ました。なるほど、パッケージに書かれているように医者の言葉のおかしさ・社会のおかしさが表現されていました。私の日々感じていることを、同じような経験をしている方が表現していることについては、私の思いも深まりました。苦しい自分を感じられるとき、社会のおかしさに気が付けるのだと思います。 ただ、私は自分のことを障害という捉え方はしていませんでした。苦しいときには本当に苦しかったけれど、「障害」と言ってしまったら自分がかわいそうな気持ちがしていました。それから、意図的に人格を作り出したのではないので、この表現にも違和感があるのです。
そういえば昨日朝、こんなことが…。 私は食べたご飯の食器をテーブルに置いたままコーヒーを入れ、食器を洗い忘れて部屋に上がりました。30分ほど後に、カウンターの上にぽつんと残った食器に気付いて「あら〜」と、一人笑えました。その後出勤する車の中で、忘れた行為を笑えた自分を思い出して、嬉しくなりました。 一年位前の私はおそらく、テーブルに残ったお皿を見たら、時間が飛んでいた頃の自分に戻り、「今度はいったい何をしてしまったのだろう」と自問して「正しくしなさい」と言い聞かせる私だったのです。かわいそうなことをしていましたなぁ。間違えることもあるのにね。(そして、忘れものは小さい方がいいのです)
今日は、園長さんと、一昨日の子育て支援の感想を交えて、久しぶりに会話をとりました。 私は園長さんを時々自分の母親にしてしまいます。園長さんと同じことを語ろうとしてしまうのです。だから自分の持っているものを意識して語ります。意識していても違う部分にうなずいている自分も居るから、うんと意識してちょうどいいのです。 今日もまた、自分の意見を言葉にしようと意識しました。それと、最近、他者に私を語ると、私という人を理解していただけることを知ったので、自分が伝わる経過を楽しめることが増えてきました。こんな時、相手の反応は私の中でとても小さく終わります。
どんなことにも時期があるのです。 まずはその時それをしてもいいのかを吟味することが大切なのです。 そして「こうかな?」とひらめいたことは、しばらく自分でしてみればいいのです。してみると、どうであるかが分かるのです。してみることで分かるのです。すると、次が浮かぶのです。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
昼頃、キッチンの窓の外に、ジョウビタキのオスがやってきました。山吹色の身体の背中に白い模様をつけていました。顔はよく分からなかったけれど、かわいかったのです。ちなみに、名古屋へ来て一番先に、[「かわいい」と感じた鳥は、ジョウビタキのメスでした。それはインターネットの画面の中で白くて真ん丸い目をしていて、くすぐったくなるくらいにかわいくて、いつまでも飽きずに見ていたのを覚えています。 夕方、久しぶりにベトナムのお友達のところへ遊びに行きました。久しぶりで懐かしく感じました。ベトナムの女性はきれいな黒髪を伸ばしている方が多いです。別のベトナム人の友人の話では、ベトナム人の女性は美容院に行く習慣がないそうです。きれいな黒髪、素敵でした。私も今は髪の毛が長いです。 それから、今日はベトナムの旧正月(tết)だそうです。Chúc mưng năm mơi(あけましておめでとう)の練習が出来ましたよ。 それと、ベトナム産のココナッツのアメを頂きました。これが、口に入れてみると、とても硬かった。頭の中で、(食べ終わったら「私はアメが大好きです」をベトナム語で言おう)と計画を練りました。早く食べ終わろうとして奥歯で噛み砕いていたら、アメの中に何か硬いものが当たりました。(やけに硬いなぁ。ココナッツの実?!まるで歯が抜けたみたい)と思っていたら、本当に差し歯が抜けていた…。 あ〜びっくり。自分の出来事に笑えました。隣に居た人も笑っていました。研修生さんは、「Mamoちゃん、もっとアメを持って帰ってください」と言って袋に入れて渡して下さいました。後で思い出しても笑えました。
「したかったことがたくさんあったんだなぁ」 子どもの頃の純粋に楽しい想像も、親たちの争いや乱暴な言葉にかき消されて消されていたことを改めて実感しました。 私たち日本人が、本当にしたいことがあきらめたり、途中で出来なくなる理由のひとつに、集団にいることをよしとする風潮があります。例えばその場所が誰の目にも乱暴に映る場合は明らかに見分けが付くけれど、ボランティアや癒やしのスペースなど、一般常識の中で一見素敵に見える場所では、そのマイナスは見えにくいのです。学校や職場でも同じことが言えるのです。 私にも、皆と同じであることを基準にさせられた為に、出来なかったことがたくさんあります。赤ちゃんの頃から数えてみたら、その数は300万回以上になるでしょう。 そして私は、その傷を抱えたまま子どもを生み育てようとしました。子どもの泣き声に怯えてうずくまりました。育児雑誌や情報誌は、何が基準か分からない私を混乱させました。母の自分が苦しくて、周囲についていけない自分に泣きました。 4年前から、自分を大切にすることをしてきました。そして今の自分がいます。 今思うことは、私は子どもを生む前から、周囲についていけない自分に泣いていたということ。それから、母親になった私が本当にしたかったのは、小さな赤ちゃんをやさしく抱いていたかったのだということです。 そして、今は、私は心から笑っています。だから、私は私の基準でいい。これでいいのです。私は今の自分と明日の自分と自分をつなぐ“モデム”なのです。
ジョウビタキのオス
育成会 心の傷を癒やせた分だけ、ワンダーな自分になるということばに、「もっともっと、好奇心たっぷりの自分を感じ続けたい」。という欲求が心の底からわきあがってきました。
午前の部と午後の部で、朝日新聞に投稿した裁判に関する記事を見ていただき、語りあいました。自分を見つめ丁寧に生きることが、社会の変化のきっかけになれば、それはそれでうれしいです。 裁判のことは、あの後自分のページが増えた分だけ、過去の事になっています。けれども何かのたびに思い出すのは、裁判をしている間、大切にしていた言葉。
“「権力を恐れず、自由に学び議論せよ。」(アメリカジャーナリスト ウォルター・クロンカルト氏の言葉)”
そして、最近気に入っているのは、07年1月11日付け朝日新聞の「モノサシ探し・文化の現場」から、チョイスした言葉。 “「現代のタブーには、二つある。 一つは、権力が抑えるタブー。 二つ目は自らが常識・良識と思っているから自縄自爆担っているタブー。 一つ目を打ち破るには、「勇気」があればいい。 二つ目を打ち破るには、「疑う知性」と「懐疑心」。”
私はいつも自分よりも強いものを恐れて怯えて生きていました。本当は人は皆同じでした。社会は、一般常識からすると底辺に居る私たちの心の声を受取って下さったら、自然に変わっていくものだと痛感します。 ただ、一般社会の多くの方々は、私たちの言葉に耳を傾けて下さることは少ない。だから、いつも私は私です。
今日もまた、心の底にあるものを自分のこの手で救い上げる気持ちで育成会に参加しました。
ちなみに、本日の朝日新聞2面、「ひと」に、ご自身を性同一性障害と認めておられる方の性転換手術をしている医師の記事が載っていました。私は、病院で働いていたものとして・人として、あふれる情報のまずさと社会のおかしさと、さらに現代の医療のあり方と人の心のギャップに大きな違和感を感じました。
そして、私は私です。
2007年02月16日(金) |
人として持続すること |
私と他者との関係は、そこに居る人によって自分は親になったり子どもになったり、年上になったり年下になったり。そんな中で、いつも同じなのは、私は一人の人であるということです。 私は今40歳ですが、自分を信頼できると、心から安心します。周囲に自分を信頼して生きる大人がいると、より安心します。自分もそんな風になりたいとか、素直な生き方がしたいとか、自分がこれから向かう人生の先に、明るくてやさしいものを感じました。私のプラスの人生の見本はいつも何処かにあり、私がプラスの視点で世の中を見たぶんだけ、心に浸透してくれるのです。 私達の親や社会の大人の「人生は大変だ」というのは違っています。本当は人生は楽しいものなのだと、自分の未来も明るく想像できるものなのです。 ファシリテイターは以前、「人生は技術だ」とおっしゃいました。私はいろいろな人から、人生をやさしく築きあげる技術を学びたい。そして、自分で自分を育ててあげるのです。
昨夜、姉に書いた手紙を、以前のと読み比べました。 まるで、違う人が書いたような文章に、昔の自分を思い出しました。 ずっと昔、私を見ていた姉が、「なんかさっきと違う人みたい」と言ったことがありました。その時私は、自分の事情に気が付いていなかったけれど、姉の言葉に、自分をどうしたらいいのか分からなくなりました。「しまった」と思っている自分も居ました。 そして今回は、自分で「何か違う思考で書いてるみたい」。 でも、すぐに「いいのだ」と感じられました。どんな自分も、一日に2万回浮かぶ思考の1つ。そして過去の傷から解き放たれていく私の人としての思考です。
もう、全く違う思考を感じても、驚かずに受け入れられることが増えて続いてきたなぁ。「私はロボットではなかったのだなぁ」なんて、今頃実感しています。 私も一人の人です…。そうだったんだなぁ。改めて、うれしい。
休日の就職活動。ある保育園へ面接に行きました。今日うかがったところは個人で経営している無認可保育園で、今の職場とは違う雰囲気をしていました。私よりもお若い感じの副園長さんに「失礼ですが、子育てをした事がありますか?」と尋ねられました。一瞬返事に迷いましたが、私はもう、子どものことについては自分を隠してあげなくても大丈夫。ありのままの自分を簡単に語りました。語れている自分に安心しました。今の保育園を辞める理由も、一年前に新しい世界に入った当初の私のいくつかの戸惑いと、一年間に学ばせていただいたたくさんのことと、そして今は楽しませていただいている多くのことを、そのまま語りました。 私たちは、いくつかの条件について話し合った後、私の履歴書の中から、心の話になりました。今は「AC」という言葉もすぐに理解していただける時代になったようで、私の大切にしているものや取り組みについても、耳を傾けてくださっているのがわかり、私も気持ちよく語ることが出来ました。 ただ、働く上での条件はそぐわないことが分かったので、一週間後の面接結果を待ちつつ、次を探し続けることにします。数日前に書類を送った教員の仕事は、不採用の通知が来ました。書類で終わりと言わずに、ぜひ私を見ていただきたかったなぁ。私も学校に行ってみたかったなぁ。と言うのが正直な気持ちです。そして、次です。
姉に手紙を書きました。書き上げた自分の文章を読んで、今まで姉との間に長い距離を作っていた自分を実感しました。「やっと、妹になれた」。そんな気がしました。ただし、私一人の思いです。
私もファシリテイターになろう。まずは自分のファシリテイター。
午前中、本の続きを作りました。題名も中身も改訂して一応出来上がり。タイトルは『フワーニャとナンマルーニャ』。絵本になった。 色を塗ってみようかなぁ。本屋に持って行ったらどうなるのかなぁ。 自費出版の場合は、自分で買い取って店頭に出すと聞いたことがある。絵本はどうやって作るのでしょうか。
午後、ベトナム人の心友とドライブをしたので、絵本を読んで頂きました。ベトナム人の女性に分かるようなら、言葉の並べ方としては安心できるのです。 ところが、私が驚いたのは、彼女が私の文章をすらすらと読んだこと。よく勉強されていて、ベトナム人研修生の通訳をされているせいか、彼女の語る日本語もやさしくて、こちらの方に感心してしまいました。 ちなみに彼女は日本に来て丸4年だそう。私と同じ月日を名古屋で過ごしていたのですね。皆で話をしているうちに、私も4年前の事を思い出しました。 始めて彼女にお会いした時、私は「24歳という年で外国に来て、自分の目標を持って生きている女性」を拝見して、「すごいなぁ」と感心していたのです。それに、いつもやさしい声をしていました。今の数倍も自分がわからなかった私にとって、彼女は小さな目標になりましたから、お会いできるのを楽しみにしていたのです。そのうちに、私もこの女性のように、外国に行って自分を語りたいという思いに至り、行き先は自然にベトナムになり、外国に行ったら、日本の事も語りたいと思い始め、新聞を読むのが楽しくなり…。
帰りには日本とベトナムの家庭環境の違いを語り合いました。 ベトナムの夫婦の関係は日本と似ているそうです。 それから、女性のファッションの話になりました。彼女は、「日本の女性はお化粧やヘアスタイルに時間をかけている」と語ってくださいました。私も同感です。それに、あまりにお化粧をしてしまったら、せっかくのみずみずしいお肌がかわいそうです。そこで私たちは、「フワーニャがかわいそうだよ」と言って笑いました。(ナンマルーニャもね。) そんな彼女も3月には関東へ引越していかれるそう。遠くても近くても、心を語り合えるのなら、宇宙に行っても心友です。
そして私は、やさしい自分が好きです。それから、もっといろんなことを勉強したい。
道の真ん中に巨大カタツムリ発見! 菜の花畑
わたげちゃん、かわいらしくて、たまりませんでした。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
東区に所在している、ある福祉学校の代替教員募集に履歴書を郵送しました。今日応募した場所に就職すると、学校の先生を体験することができそうです。それからインターネット上で、就職活動。これまでは、就職先を探す時、「自分を生かせる場所を…」と望んできたけれど、今は持っているものを利用できる程度がいいなあと感じてます。
午後は一人で本つくりを楽しみました。やさしいアイデアが浮かんできて、ワクワクしてきました。ところが、夕方になって、ワクワクの延長で動いた・その延長で、小さな失敗もしました。自分の能力を忘れると、社会に巻き込まれるのです。自分の心を大切にして、社会の情報を吟味し自分の心で選択できる、やさしい大人に成長したいです。 夜になって視点を変えてみたら、違うアイデアも浮かんできて…。一人で遊ぶのも、本当に面白い。一人で遊ぶのも面白い。
書きかけの本(既に、“本”と呼んでいる…)が叉少し進みました。この頃は就職活動をしたり他の事をしたりする中で、時には身近な方に読んでいただいて、私とは違う視点のアイデアを頂いています。最も、ご意見を伺った全ての方の全ての意見を利用させていただくのは難しいのですが、どなたのご意見も、新しい事を進めようとしている私にとっては、うれしいのです。それに、アイデアと言っても、「ここはこんな風に…」というのは少ないのですが、肯定されていることで、私自身の中に眠っているアイデアの発掘を手伝ってくださっているのです。そして、興味をお示しにならない方もいらっしゃいます。それもいいです。私は、新しい事を進める私に興味を持って下さる方に私を語っていくと、より楽に成長して、よりやさしい大人になれるのです。 今、書いているものは、そのうち本当に本になる。こんな小さな点をいくつも作って、そのうちのいくつかが実現すると面白いだろうなぁ。そして、将来が、うーんと先のことでもいいのですよねぇ。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
休日。就職活動をしました。 午前中は派遣会社へ。今は派遣会社がたくさんあります。派遣会社のしくみを知りたい気持ちも手伝って、栄まで登録に行きました。私の出かけた会社は5階建てのビルの中が全て派遣会社になっていて、まるで大きな企業のオフィスの中に入りこんだような気分でした。派遣依頼の登録は無料で出来るので、(就職を斡旋するという仕事はそんなに効率がいいのかな}と、仕組みが分からない分、不思議でした。 会社の女性の話は興味深いものでした。「今は外国に行く若者が多くて、ひとつの会社に定着せず外国で好きなことをして、お金がなくなったら働きに戻っていらっしゃる。派遣会社は、自由に生きたい若者のいい就職先なのだ」と。女性も看護師で助産師の免許を持っておられるとのこと。助産師をしていた方がきれいなオフィスの中におられる理由は何か分からなかったけれど、どんな仕事もいい。私も自分の将来が浮かびました。
午後は職安へ行きました。保育園の募集が2件ありました。去年までは狭き門だったのに、時勢が変わってきたようです。それと、ある学院の介護の授業の代替教員を募集していました。介護の実務を、看護師の視線でノウハウをお伝えできるようです。こちらは面白そうです。
次の職場を探すに辺り、自分が今の職場を止めることになった経緯を振り返る機会に恵まれています。派遣会社の方も職安の方も「なかなか入れない場所に、せっかく入れたのに、一年で止めるのはどうしてなの?」と尋ねて下さいました。そうですよね。そして、私は次なのです。
職場の近くで知り合った男性に、あなたの事を知りたいと伝えられました。こういうのは過去にもありましたが、以前の私はその方に対して、一人の人として興味を持つ余裕はありませんでした。ところが今回の私は、少し違っていました。私は、この言葉が女性からのものならば、そのまま肯定しただろうと感じたのです。 偶然ですが、私は、最近「男女の違い」を検証していました。たとえば「男っていうのは…」という方もいらっしゃいます。この言葉を自分の中でイメージするのは初めてですが、そのような視線で見てみると、世の中にご自分を語って下さる男性はとても少なく、語って下さったとしても頑固さを感じてしまう言葉を使われる方が多いです。数日前の政治家のように、わざわざご自分を悪者にしてしまうような発言をされる方もいらっしゃいます。つまり、「男って…」という言葉を利用させて頂くと、このところ感じていたいくつかの疑問は、すんなり解決してしまうのです。この小さな結論は、私にとって意外な展開でもありました。 そして次に、その「男性」を、「頑固でおかしい」と否定してばかりいたら、もしかするとすぐそこにある大切なことを見逃すかもしれないと思えたのです。それに、私がいつも、男性を「男性という固定観念」の中で見ているとしたら、私自身の生き方として悲しいと感じました。そしてプラスの視線で見ていると、いろいろなことを発見できることに気が付きました。 それから、先日、実際に自分の捉えた視点を元に動いてみました。すると、起きた出来事に拘っていた自分に気付き、「現実はいつも流れていて、大切なのは未来なのだ(過去を見つめた上での未来です)」と実感することに繋がりました。やはり、いつもニュートラルでいることが何よりも大切なのです。ちなみに、ニュートラルで居ることは、プラスで居ることよりも大切です。なぜなら、プラスであるというイメージを持っている中で反対のことが起きてしまったとき、自分で描いたイメージの分だけ戸惑うからです。それに、ニュートラルというのはほんのり柔らかなプラスなのです。 では、女性はどうでしょうか。最近では、女性がバスの運転手さんや駅員さんをされていたり、いろんな発言をされているのを拝見します。それでも私は、心の面では「女性=受身」のイメージを持っていると感じています。男性も女性も、「女性は受身である」というイメージを持っているように感じるのです。 そして私も、過去は、弱いことが男性に愛される条件のように感じ、依存を繰り返していました。元夫と結婚した理由のひとつには、「この人なら私を守ってくれる」がありました。今でも時に、他者の意見を鵜呑みにしていたり、自分を伝えるのを忘れているときがあります。ですから私も、女性として「女性とはね」とまとめてみて、自分を「女性という固定観念」から外してあげると、今後もゆったりフワフワ生きることが出来そうです。そして、私は女性として、「女性の素敵さ」を語っていきたいです。
話は戻りますが、人はもともと、一人の人です。そして私は今、自分には過去とは違う関わり方を知っています。自分に丁寧に生きる私は、どなたとも、プラスの視線で語り合うことができるだろうと感じています。 私はいつも、プラスの視線で自分を見て、自分を肯定した視線で社会を見て、私の見たこと感じたことを、やさしい言葉で表現していると、赤ちゃんも子どもも大人も、男も女も外国人も、皆それぞれに育ちあえる素敵な社会になるのです。 ということで、私は自分の今後の展開が楽しみなのです。そして、こんな私の心の片隅には、過去にあった別の情景が浮かびます。ずーっと昔、男性の前で包丁を振り回した私が居ました。そして、あの時の自分はどうなったのかと自分に問いかけても、今は分からない。だから、これからも、やさしい細胞を育てる自分を意識して、今後の自分を楽しみにします。
姉から手紙の返事が届きました。手紙によると、姉は昨年実家を出ていました。そして実家にいた頃を振り返って、「あの頃は、きつかった」と。手紙に向かって「あの家を出れてよかったね」という思いがわきました。それから、「きつかった」と書いている姉の文字を何度か読みかえしました。「きつかった」は九州の方言です。こちらの言葉では「しんどい」と同じ意味なのかな。 本当に、私たちはきつかった。姉も私も、そしておそらく、弟もきつかったのだと思います。便箋を封筒に戻した後、私の心は「会いたいね」と言いました。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
2007年02月05日(月) |
なんまる人生のわた毛 |
頑張ってたんだなぁ。たぶん、名古屋へ着てからずっと、頑張っていた。過去より小さな頑張りだったけれど、小さくても、頑張ってた。家を出てきたことの成果を出さなければという思考を抱えていたのだ。
頑張らなくてもよかったのにね。気が付いたから止めた。いいよ。もう大丈夫。それにこの頃は現実に楽しみを見つける自分が広がっている。いずれにせよ、私は成長しているんだ。そして私の視点は、今までよりさらに大きく広がっている。 私はどこに行っても、「私として生きていける」。一人になって生きていけるんだ。 頑張らずに生きるとはどういうことか。感覚として分かるような、少し違うような・・・。「こういうことです」と説明できる? たぶん、私という人間は、心も体も1つずつだから、私の心に添って、ひとつずつすることだろう。 私がこんな風に語るのは、私自身が自分の事を一つずつ進めている自分に安堵を感じるからだ。楽しんでいるときには頑張りは不必要なのだ。そうだ。私はなんまる星人だったんだ。今までと同じように、自分を大切にして、なんまっていこう。そうすれば、そのうちに、自分がなんまっていることすら感じずにフワフワ綿毛のように生きる私になるのだから。綿毛は風に吹かれて飛んでいき、あちらこちらで自分を育てる。
先日育成会で、殺人を犯した人の話を聞いた。社会的な罪を犯した人は、おそらく刑に服した後も社会から非難の視線を浴びることがあるのだろう。でも、その方が、自分が罪を犯した根底を見つめ心の傷を癒やしていたら、他者の評価とは関係のない生き方をするのだろう。それに、心の傷を癒やした人は、どんなに自分を大切にすることだろう。どれほどやさしい目をしていることだろう。 私もそのような生き方がしたい。そして、おそらく可能だ。そして私の書いていることは今の日本にない生き方で、これから広がる生き方でもあるのだ。私の中で止まっていた空間も、本日、現実にとけあって動き出した。
ところで、昨日履歴書を出した会社は今日中にお断りの連絡が来た。なるほど、こんなふうにすぐに連絡が来るものなのだな。分かりやすくていい。 いろいろと見ているうちに、「収入があればいいのだから看護師をしてもいいのでは?」という思いも沸いてきた。それと、就職が決まれば次のことが出来る。早く落ち着きたいという気持ちがある。これは焦りだろうか? いや、就職が決まれば、ベトナム旅行の手配が出来るという思いがあるのだ。ついつい先の楽しみが浮かぶのだ。そして、順序を飛び抜かしていては、することを間違える。ひとつずつ丁寧にしていこう。
うん、頑張らずに生きるコツは、なんまるSeijinを生きることだ。
休日
就職活動の一日。 名古屋へ着てからしてみたかった仕事を全部してきて、それも終わりに近づいていて、でも、次に何がしたいのか定まらないまましばらく経過していました。そんな中ぼんやりと、「本を書くのだから出版社で働いてみよう」とか、「書くのは慣れているから、これからは言葉で自分を表現できるよう、そちらの細胞を育てよう」と思ったり。そして今日パソコンに向かいました。 出版社というのは入り口が狭いらしく、私も就職難の気分を味わうことができましたが、広告企画業界というようなところに履歴書を出しました。私がその会社を選んだ理由は、会社案内の欄に「情報に力を与える仕事をします」・「独自の提案力」・「コミュニティ能力が高まります」と書かれていたからです。型に嵌らず私の意見を取り入れて下さるのかなぁ、社会に私の感じている何かを発信することが出来るのかなぁ、言葉で自分を表現することが、仕事を通して練習できるのだから一石二鳥になのかなぁと、未来を想定するイメージが沸いたのです。特に3つ目の、“言葉で自分を表現すること”は、今一番関心を持っていることなのです。このところ、自分を表現する力の小ささがマイナスを生むことを実感したからです。ちなみに私は、今まで「営業は向かない人」と自分を決めていました。けれども「向く」とか「向かない」という表現は違います。それから、セールスや営業を経験するのも自分にないものを育てることが出来るのでしょう。広告業界に出す履歴書の履歴の欄に、これまで働いてきた病院の名前が並んでいて、取得資格は准看護師免許です。違った空気を面白く感じました。 次に、ベトナム人研修生さんに対するベトナム語通訳の派遣仕事を見つけました。期間は保育園を退職してから少し後の4月過ぎから。これは面白そうなので、こちらも応募しておきました。私の知ってるベトナム語、○○個くらいなのにね・・・。 ということで、今日は2件です。結果が楽しみ。
それと、ベトナムでの求人募集のページがあるのです。当然ですが、見ていると行きたくなります。今は日本企業がベトナムへ進出していますから、ベトナム在住の方々に向けても求人募集は出ています。たとえば今日契約をすれば、すぐにベトナムへ行くことも出来るのです。そして私の頭には、「貯金に不安があるのなら、あちらで働くというのがあってもいいんじゃないかな」と浮かびます。でも、それでは私の優先順位が違ってしまうように感じるのです。 私は、これからの人生はきっと、何をしていてもプラスに生きていけるけれど、自分の為に、丁寧に歩いていきたいのです。理由は、過去と同じ苦しみに戻ったり同じ間違いをするのでは、自分がかわいそうだから。私の原点はいつも、あの苦しかった時代なのです。そして自分の為に、これまでと違う生き方をしたいのです。それに、どこに居てもプラスがあるのですから。
夜遅くになって、選挙に行きました。星がきれいでした。星を見ながら、このところの自分を思い返しました。一つ一つ楽しく生きていたけれど、「もう大丈夫かな?」と自分の心を確認すると、ある一場面は止まったままでいるのがわかりました。今は私自身が安心できる裏づけと能力を集めているところなのです。少しずつしていけば大丈夫。それにしても、すっかり入り込んでしまうことは少なくなってきたから、私もずいぶん成長しましたよ。
ひなた
日向はいつも日向だ。 昔は日陰に居たけれど、今はいつも日向を作っている。自分のための日向だ。ぽかぽかして気持ちがいい。 自然に人が寄ってくる。みんな、温まりたいのだ。
時々、台風がやってくる。 日向のような格好をした台風もある。 そんな時、自分の心を大切にしていたら、台風は「場所を間違えた」と言って、去っていく。
日向はいつも、そこにある。 何処にある? ほら、すぐそこにある。 日向を見つけるのは自分だ。 そして、もっと広い世界を知ろうとするのも自分だ。
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