「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年01月31日(水) 自分育て

 昨日、「自分の為に」という言葉を聞きました。「自分の為に」という文字の前で、自分を見つめました。これまで、自分を辛さから開放してあげたくて、しゃにむに心の傷を癒やしてきて、その過程でさまざまな出来事に出会い、その度自分を見つめ、おそらくその度、成長してきました。

そして、我、ここに在り。

改めて、「誰のために?」と自分に問うてみたら、確かに「自分の為」でした。しかし、これは「自分のためにこうしよう」と思い続けてきたのとは違って、結果、「自分のためになっていた」ということのよう。私は自分自身のこの気付きに小さく感動しました。
 その後、「まだまだ知らないことがたくさんある」ということを実感しました。「知らないことがあるということを知っている自分がいい。「物事に興味を持てる自分」の前提のように感じています。そして、いつもゆったりがいいです。自分の完璧さをはずした分だけ楽な自分を生き楽しめる。そして他者に完璧を求める自分を変えていけるのです。さらに自分を許してあげた分だけ素直にもなれるのです。素直な自分は素直に自分の現実を見つめ、過去の傷付いた心から自分を開放させてあげられるのです。私が自分の好奇心を突いてあげた分だけ、自分を育ててあげられるのです。

 大人は「大人」という枠に自分を閉じ込めやすいです。大人は昔、子どもでした。それも、純粋に全てのものに好奇心を持つ子どもだったのです。 


 ところで、今年の夏、ベトナムへ行こうと計画していました。そして今は、当初の計画より先延ばしにしようと考えています。理由は金銭的なものです。
 実は、先延ばしが浮かんだすぐ後、これまで取り組んできた自分が無くなってしまうようで恐かった。3年間いつも、何があっても、この目標を意識して成長してきた過程があるからだと思います。今は、「行きたい=行く」で動いてきた自分は卒業していたけれど、小さくあった子どもの事があっという間に膨らんで、心は揺れ動いていました。 
 そして今は、全てのことは、私の中の小さな点なのだと捉えています。だから、もう大丈夫。そして、行けた時が行けた時。これからも少しずつ成長していく私です。

私は自分育てが好きです。


「語り」
 昔々の20代の頃、昔々の友人はこんな事を語りました。「人って、自分の考えを人に語るときにはある程度、気持ちは決まっていて、でも、ほんの少し後押しして欲しい時なのだよね」。
 一年位前、ある女性が私にこんなことを語りました。「人は、自分の中にある程度の考えを持っていて、その事を語るときには、確認が欲しいとき・認められたいときなのだ。誰かに何かをしてほしいとか、答えが欲しいのとは違う。肯定されたいのだ」。私はこの二つのどちらの考えにも共感していました。そして今は、次のように感じます。
「私はたいてい自分の考えを元に一人で動くことが出来る。そして私は自分の考えに迷いや疑問があるとき、少し表現してみたくなる。そして、私はアイデアを求めているとき、アイデアを求めていると他者に表現することが出来る。」そして否定から生まれるのは否定であり、肯定から生まれるのはよりやさしい肯定だ。

私は、自分を楽に語れる場所で、私の心を語ります。


2007年01月30日(火) 1℃

 私は今も、他者の言葉に傷き巻き込まれることがあります。言葉は浮かんでくる思考の一部。そして、その方の心から発せられたもの。なぜなら、人はどんな自分も、その時感じたもの中で動き、続いて語っているから。そして私も、感じたものの中で動き他者の語りを受け取っています。裸ん坊の私の心は、その時々でいろいろな感じ方をします。
 大人はよく、「言葉を大切にして」と言います。言葉を大切にしてと語る大人も、時々言葉を間違えます。子どもは、大人が自分から目をそらしているとき、すぐにわかります。私も過去、言葉を間違えている自分に気が付かずに語り続けていました。そして今は、間違えたことをそのまま受け止め謝罪しようと意識する練習をしている私です。ちなみに今日、ある出来事について「あやまったよ」と伝えられた出来事がありました。私にはその意識はなく視点の違いに驚きました。きっと、その時の私は自分を整理するのに精一杯だったのでしょう。
 ずっと以前は、気が付かなかった自分を責めていましたが、今日の私の心は、「そうだったの?!」。私も少しずつ成長しているのです。

 心の傷を癒やしていくと、強い言葉から自分を守ることが出来るようになります。それはある日突然に出来るようになるのとは違い、少しずつ一度ずつ、一℃ずつ、自分をMamoっていけるようになるのです。これがプラスの積み重ねに繋がるのです。
世の中を、心を通してみていたら、いろいろなことが見えてくる。プラスもマイナスも見えてくる。それまで日向だと感じていた場所は、日陰の部分もあると分かってくる。一℃の差って、こんなことかな?と感じます。こんな変化が面白いです。マイナスの社会にプラスを探し、自分の成長を楽しむことが出来ると、面白いのです。

 私はいつも心で語ります。自分の心をそのまま語る大人がたくさんになればいい。そして、プラスは私から。


2007年01月29日(月) Gaze


自分を信じる
自分を信頼する
自分の為に

信じる
信頼する
真実
本質

Feel?

自分のためにしてきた。


2007年01月21日(日) 私が私に出来ること

日曜日。
 ベトナム人のお友達から手紙が来たので、返事を書きました。まだ下書きですが、楽しんでいます。
それと、就職活動をしています。でも、3月にベトナムへ行った後の事が不透明なので、少し動き辛い。それに、退職を控えて環境が変わることの不安定さが手伝って、少し不安定な私です。
「こんな時はどうしますか?」と自分に問うと、「出来る事をすればいいよ」と答えが返ってきました。
それならと、自分が安定するよう行動計画を立てノートに書きました。不確かなものは後にして、出来ることを進め確かなものを集めて、集めたものを次に動くことの土台にすればいいのかな。

 ということで、3月に渡越した時、ベトナムに居るお友達に会えるよう、手紙を書きました。朝には、日本に居るお友達にも書いたので、2通です。手紙には私の書けるベトナム語を少し入れて、それから大切なことは丁寧な日本語で。一晩寝かせて熟成させて、もう一度読み直してから、ポストへ入れるのです。



** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **


2007年01月20日(土) なんまるく生きること

育成会。
 午前中、教育再生委員長の義家さんの出ている番組の録画DVDを見て皆で語り合いました。私は、暴力や乱暴な言葉は心に痛くて嫌です。叩かれたり蹴られたりすると痛いし、暴力を受けている人を見てしまったら、私の心も痛みます。私は、いつもやさしい社会が好きです。


 昼休み、ある方に「本を書くとき、子どもさんが読むことを念頭に入れて書くの?」と尋ねられました。きっと、いつかどこかで書くのでしょう。その時私は、親として何を書くのかな。尋ねていただいたことで、やさしくやわらかい文章を書ける自分を大切にしようと改めて実感しました。

 午後は、「生きるということ」について語り合いました。皆で強力なマイナスを打ち破くことの大変さを語り合っているうちに過去の自分が重なり、同じ思いを持ちました。
 痛くないと感じている場所は本当は痛かったと知ったのは、自分で固定観念の世界を出てからのことでした。だから、出てみようとすることがいい。なんまる星人になろうとすることがいいのです。
途中、会の女性からは、「マイナスから抜け出すとき、自分がとても好きとかいう思いがあったのですか?」と尋ねられました。今、「抜け出すことがいい」と言っている私は、あの頃は、ひたすら傷の重たさにつぶれて、まるで瀕死の状態で、「抜け出さざるを得なかった」というのが当時の真実です。
そして、自分が好きになれたのは、自分が楽になってから。否定された場所から抜け出して傷を癒やせた分だけ、自分を好きになれました。そして、ある日、別の自分だった自分を知った時には、自分自身の存在が心に重く感じることもありました。でも、最近では、自分を否定する自分もずいぶん小さくなり、今は、好きというより「私は今ここにあるんだな」という感じです。

 この何日か、いろんな質問をされることが重なりました。それぞれの方の視点の違いに感心したり、尋ねていただくことで私の中にあるものを確認できたり、新たな発見が出来たことをうれしく感じています。
 


2007年01月18日(木) Hunt

 「細胞」のお話を保育士さんに読んでいただいて、感想を聞いてみました。いくつかの単語や表現方法などで、同じ女性から見た視点で共感する部分がありました。それから、視点が違うものもあり、「なるほど」と感心する部分もありました。
 人には心があり心で感じたものを、表現して他者に伝えようとする生き物で、その表現方法はさまざまです。全く横道に外れますが、そして当然のことなのですが、例えば赤ちゃんは始め、お腹がすいたら唇をムニュムニュさせてお乳が飲みたいと訴えるけれど、赤ちゃんは「私は今から唇をムニュムニュと合わせることをしよう」と思ってしているとは捉えにくく、飲みたいという欲求がそのしぐさとして現れているのですねぇ。
 本題に戻りますが、自分の感じているものを言葉で語るのも書いて表現するのも、心に添って浮かんでは消える一瞬の思考を、その時語った・その時記した。そして次があるということなのでしょう。時の流れと共に変化する思考を、どこでどのように生かすかで違ってくるから面白いです。細胞の話を書き始めた当初、自分の中の「改めて実感した体の細部の役割・生きる力のあること・すごいよ・この感動を言葉にしてみたいんだ」という衝動にも似た心持ちから、今は「よりやさしく伝わりやすく語る方法があるかな?」と自分の中にあるやさしさを探求している自分が面白いです。自分のやさしさを探しだそうとしている自分はくすぐったく心地よいもの。私は「生きている」という感じがします。

 最近は昼休みの公園でウグイスを見かけます。小さいけれど、飛んでいくのは早くて、飛んでいった先を見失い、あきらめて、すずめと遊んでいます。
 子どもの頃には、つっぱり棒をして半分かぶせたかごの中に米粒を置いて、棒には糸を付けた仕掛け網を作り、すずめが米粒を食べに入ってきたら紐を引っ張ってかごをかぶせ、すずめを捕まえて遊んでいました。考えてみれば、誰が思いついた遊びなのか分からないけれど、よく捕まえられたなぁと感心します。子どもの発想ってすごいものです。私も、子どもだったのです。

そこで一言。
すずめさん、まん丸おめめで何を見ているの?小さなお顔におおきなおめめ。かわいいね。チョンチョン歩いてかわいいね。飛んでる姿も可愛いね。仲間に入れてくれてありがとう。楽しい昼休みになりました。


2007年01月16日(火) やさしくていねいに

 子育て支援。今日は0〜1歳児のお子さん。
今日は、支援にいらっしゃったお母さんの女性から、「子どもさんは居ますか?」と尋ねられました。私はほんの少し迷い、そして、これまでの保育園での流れを思い返してから、「居ました。でも 離婚したので、今は居ません」と答えました。
 女性はそれ以上尋ねてきませんでした。私はそこで始めて「地域の方に訪ねられる」ということを実感しました。実は、心の準備がなかったので少し戸惑ったのです。でも、園の中では子どもが居る人なのに、地域に出ると子どもがいない人と言うのは変だもの。それに、いつも同じ事を語っていたい。だからこれでいいのです。

 それと、仕事中に不思議な感覚の自分を見ました。以前とは違う自分です。今、私が見ている、“子どもさんと遊んでいる私”は、小さな子どもさんに対して意識しすぎて構える自分ではなく、ごく自然に楽しい自分です。自分の変化を心に感じられた時には、鼻歌を歌うような気持ちがしました。

 家に帰ってパソコンを開けると、昨日ベトナム人のお友達に出したメールの返事が届いていました。最後に「Mamoさんベトナム語が上手になりましたね…例えば・・・(と、ここからは私達に共通する少さなGUGでした)」と書いていました。小さなGUGの面白さも手伝ってか、あたたかい気持ちになり、「丁寧に動いてよかったね」と自分に伝えました。
そして、今の自分もきっと過去の積み重ね・未来への通り道なのです。


 今、簡単なお話をひとつ書いています。「細胞」のお話です。
 細胞は次の細胞の為に生まれ変わるのです。これを“死”という言い方で表現することもあります。
でも、やはり次の自分の為に生まれ変わる。私は自分にある細胞をやさしく育てています。


2007年01月15日(月) 認めるやさしさ

 1月14日付けの朝日新聞に、ホワイトカラー・エグゼンプションの対象になる労働者は全体の0.4%だと載っていました。「あらまぁ、大変・・・」。先週土曜日の13日、ベトナム人のお友達と語り合ったとき、私は「対象者は全体の2割だそう」と伝えていたのです。そこで、自分の言葉の根源になった記事を探しましたが見つからず、私の見間違いかもしれないと、お友達に正しいものを伝えました。小さなことですが、間違えたのは私。気が付いた事を修正している自分は、丁寧に生きる自分を育てているようで嬉しく感じました。
 ちなみに、私は自分の間違いを認めたり謝ったりする自分がいいです。そして、自分を認められず、他に害をもたらしてしまう自分も居ます。でもやはり、そのままの自分を認めていくと自分が楽。大切な自分のために、素直な自分を育てます。
 以前、「間違えたときには自分よりもまず相手に謝罪して」と聞いたことがあります。どうかな・・・。間違えたのは間違える自分が居たということです。私は、間違えた自分と向き合い、自分に「間違えたね」と言えることで新しい考えが浮かび、例えば心からの謝罪に繋がるように感じます。
 子ども達にしてしまった事も、間違えた自分を認めた分だけ楽に見ることが出来る。だからやはり、自分に「ごめんね」が先みたい。そして、どんな形でも、心は伝わるのです。

 ところで、私は今、昨日14日の新聞の中で感じた二つの疑問を楽しんでいます。一つ目は、「死後の腎臓提供者が昨年では100人を越えた」という記事です。移植コーディネーターは「臓器移植は権利の1つ」と捉えている、とありました。臓器移植は本人の意思というと分かりますが、「権利の1つ」とはどういう意味かなを脳の何処かで考えています。でも、まだ分からない。
 二つ目は、連載されている「育児ファイル」です。「母性は本能でないことは、今や定説です」とありました。
本当かな・・・? 自分の中でじっくりと考えを纏めてみたい。そして纏めたものを言葉にしてやさしく語れるようになりたいのです。


 夜、「脳のどこを使おうか」と考えをめぐらせているうちに、子どもの頃、能面のように無表情だった自分の様子が浮かびました。そして大人になってからも、心の勉強をする以前には能面のまま生きていた私。やさしい刺激は皆無だったのだなぁと実感します。

 赤ちゃんはよい刺激も悪い刺激も、受け入れます。心にやさしい刺激がたくさんあれば、やさしい刺激を受取りやすい脳に成長したことでしょう。 
そして今、私は、…自分の顔は見えませんから、私はどんな表情をしていますか?おそらく、楽しいときには楽しいお目目を、怒ったときには怒ったお目目を。
感情を持った一人の人。いつもやさしい目をして生きる自分を育てます。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **


2007年01月14日(日) ありのままにしたためて

今日は知立市にある、ベトナム研修生さんの寮へ遊びに行きました。インターフォンを鳴らすと、可愛い声と懐かしいお目目が、ちょこんと顔を出しました。
 その後、研修生さんの寮から自転車をこいで、会社まで行ってみました。約20分の道のりは坂を下りて上って…。「冷たい冬や雨の日は大変」という彼女達の言葉に納得しました。
 途中で、ヨモギを摘みました。まだ1月だというのに、土の肥えた場所には青々と茂っていました。そして、まだ1月ですから、その葉の柔らかいこと。次の芽が出るように上の芽だけを頂きました。天道虫も毛虫もいました。こんなに寒いのに不思議です。温暖化のせい?それとも、今は、越冬てんとうや、越冬毛虫が居るのかな?

 ベトナム語で少し話をしてみました。頭には、この春下見に行く予定のベトナムで、現地の方とベトナム語で話をしている自分が浮かんでいました。テープを超スローにして一単語ずつ話している私です。 もちろん、ベトナム以外のどこに行っても、私のすることは同じです。

小さな時を進めていける自分を大切にしています。


新宝緑地公園から見た天白川
スイカズラの実(おそらく)
えっとうてんとう
 菜の花  ○○○ばたけ




2007年01月13日(土) ナチュラルカラー

 ベトナム人の女性と、ドライブをしました。女性から、このところのニュースになっているホワイトカラーエグゼンプションについて、「Mamoさんは反対ですか?賛成ですか?」と尋ねられました。
「ホワイトカラーエグゼンプション」というのは、ある一定の収入を持つ労働者に限り、労働時間の規定をはずし残業代をなしにしようというもので、「働きたい人は何時間でも働いてよいですよ」という内容が含まれています。これは、政府がイギリスの雇用形態を真似て取り入れたもので、日本はこの改正に伴って、パート雇用の方の保険加入を義務つけるなど、非正社員の雇用条件がよくなることも告げられています。
 私はこの法案について、ある一定の収入を得ている人は、以前からその収入を得るために時間を使って働いていたであろうこと。いつからかは定かでないのですが、社会の流れとして残業を減らそうという言葉はあったけれど、企業とは、1つ出来たらさらにもう1つ・そしてもう1つと、際限なく結果を求められるのが常であり、現実的には、残業廃止という言葉からは程遠かったこと。何より、残業を減らす為に仕事の量を減らす取り組みはなされていなかったこと。そして、今回、仮に企業側が能力型の賃金形式を取り入れたと仮定して、労働者が収入の裕福よりも心の休養を取りたいと考えても、企業から求められるものが減るとは考えにくく、結果、サービス残業が増えると想像できること。
つまりこの法案は、心を忘れて働き疲れて病に倒れる人を増やすと想像できると語りました。朝日新聞によると、政府の定める一定の収入基準を満たす労働者は全体の2割だそうです。2割というと少ないです。それでも私は、わずか2割の方々にとって、その方が楽に働けるようになるとは想像しがたい。そして、してみることで何かが分かり、プラスも見つかるのかもしれないというのが私の意見です。
 お友達は、「ベトナムでは、サービス残業はありえません。働いた分はどんなに少しでも給料として受取ります。もし賃金をもらいすぎたくなければ、働かないようにします。日本の人たちは大変です」と言いました。本当にその通りです。私も、職場の方々を見ていると、皆さんはいつ自分を休めているのだろうと疑問がわくのです。

 その後私達は、赤ちゃんも子どもも男も女も、筋肉や体の大きさの力関係はあるけれど、本当は、人は皆等しくて、会社もこれと同じであるといいのにね」という話をしました。
 
 私からは、「ベトナムでは、心の問題や、または精神病院などに対する社会の見方はどうですか?」と尋ねてみました。ベトナムでは、精神病や分裂病と言われる人々が居て、その方々に対する偏見は大きいようです。私のように自分がわからない人々は、精神分裂病(日本では、今は言葉は違いますが)と言われているそうです。
偏見や卑下は、当事者の心に傷を重ねます。日本の過去と同じだなぁと、少し残念な気持ちもしました。

誰も皆、ナチュラルカラーがいいのです。


2007年01月08日(月) 自立

「自立塾」(NHK教育 ETV特集06年12月23日放送 録画DVD)を見ました。モザイクのかかった塾生は心から動いているとは感じられず、「動かされている・させられている」ように感じました。
 毎朝予定の時間に起きられず、ルールとなっている時間に遅刻する男性が居ました。問い詰められて語り始めましたが、男性はひどくどもっていました。男性が、どもりながら、それでも語ろうとする様子に、心が少し痛みました。こんなにしてまでここに来る理由は何なのかと、心の中で「もういいよ。十分だよ」と画面に向かって語っていました。

 以前書いたことがあるのですが、バブルが崩壊してから後の時代を表現するのに就職氷河期という言葉があり、25歳から35歳までの男女はこの時代に社会に出てひどい就職難に苦しんだそうです。(朝日新聞では今年07年に入ってから、「ロストジェネレーション」と題されて連載されています)。
テレビの中の一人の男性も、50社受けて1社も受からなかったと語っていました。私には就職氷河期はありません。とても驚きました。男性は、かろうじて就職出来た会社で次々に来るノルマが耐えられず、自宅に引きこもるようになったというお話でした。ひどい社会だとため息が出ました。この男性や他の男女を働けなくしてしまったのは誰なのだろう、「就職氷河期」という時代を作って若い人を苦しめたのは、本当は誰なのだろうと疑問は沸き続けました。
 テレビに出ていた自立塾の目標は、「働けるようになること」のようで、サポートする方々は、塾生が就職できるまでは見捨てないという方針を持っているそうです。
人々は働くことを目的にするのは何故でしょうか。社会のいう自立とは、「働けるようになること」で、それが常識なのだとしたら…。

「それは違うよ。仕事は生きるためにするんだよ。そんな風に生きたら自分が死んでしまうよ。」。テレビを見ながら、いくつもいくつも誰にともなく言葉をかけていました。
 今夜私の心にわいた言葉は、かつて自分にかけていた言葉でもありました。何処かに働きやすい職場はないかと仕事を変わり続けてきた私。今回の職場も残すところ2ヶ月。私は今、これまで動いてきた分の考える材料を持っています。そして、仕事を続けることよりも自分の心を大切にすることを優先して生きた自分もよかった感じています。

ニートと言われている人々は、働かないのではなく、働けないのだと、私は思います。
そして私は、自分自身の心の自立を手伝い続けます。素直でやわらかな女性を思い描いて、自分育てをしています。


2007年01月07日(日) ひとつ・ひとり・いっしょ

 朝一番、車やさんへ行き、車の調子を見てもらいました。エンジンが古くていけないです。新しいオイルを入れてくださったので、よく気にかけて点検してあげようっと。ちなみに昨日はガソリンスタンドで車のタイヤのAirを補充しました。車のタイヤの空気も自転車と同じように入れるのです。スタンドのお兄さんは親切に入れて下さろうとしたのですが、お願いして入れさせてもらいました。
 帰りに、姉へ手紙を出しました。どこのポストに入れても同じなのだけど、家から一番近いポストを選んで入れました。
午後は、たまっていた新聞記事をScanして整理しました。前から気になっていたことが出来ていくのは嬉しいですね。
夕方は部屋の中でボール遊びを…。これが以外に面白くて、Myブームになりそうです。

 夜、図書館で借りていた「からだ」の絵本を見ました。もともとは、保育園の子どもさんと話をするときに使えたらと思って借りたものですが、人の体って本当に全て使うためにあるのだなぁと感心しました。
 2月の子育て支援で担当になっている時間に、私たちの体がどれほど神秘的なものかを語ることが出来たらいいな。どなたも持っているからだのお話・・・。ワクワクしてきました。

 看護婦さんをしていた自分。保育園で働いている自分。
きっと、今ここで私自身が心から楽しみながら、体のこと病気のこと・生きる力があることを語れた分だけ、看護婦として生きていた私と、心を大切にする私がひとつになる、そんな気がしています。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **


2007年01月06日(土) あるもの

育成会

 午後の部で、ルソーの著作『エミール』をもとに語り合いました。
ルソーは、子どもにとって、自然が教師なのだと語っています。私は彼の244年前の言葉に心から共感します。自然という見本は、人間の手よりもうんと大きくて無限大です。そして私たちは、その果てしなく偉大なものに、とけ込み寄り添い利用させてもらえたら、いつもやさしく成長し、やさしくいのちを閉じていくのだ、と確信しています。
 少し話はそれますが、始めに見たDVD『保育園が足りない』の中では、夜中の3時にお迎えが来るお子さんが居たり、都心のビルの屋上に、保育園が建てられていました。空は幾分近くなったかもしれないけれど、感覚で生きている小さな子どもさんがプラスチック製の変化のないおもちゃの中で生かされていることに大きな疑問を感じました。今、保育園の需要が追いつかないほどの勢いで女性が社会に進出し始めたのは何故なのか。社会が求めているのは、人の心からはかけ離れ、自然な生き方とは逆のもののように感じられてなりませんでした。
 職場で子どもさんの動きを見ていると、お金やものよりも大切なものがすぐ傍にあることに気付かされます。社会に、子どもや母親に対する小さくて狭い基準や評価がなければ、親は、子どもの成長を見るのは何よりも素敵なもののはずなのです。私は今、大切なものを知らない大人に育てられた子どもさんが・私の子どもが苦しんでいたのだと分かります。
 今朝のテレビ放送で、学校でのいじめが原因で自殺された子どもさんのお母さん・二人のご様子が映っていました。一人のお母さんは、「子どもが、いじめられてることを私に言えずにいたということは、私も加害者の一人なんです。だからいつも子どもに謝っています。そして、今生きているたくさんの子どもさんにも、こんな社会にしたのは自分達の責任だと、ごめんねと謝り続けたい気持ちでいます。今は学校により多くの情報を提示してもらえるよう、二度と同じことが起こらぬよう社会に働きかけています/」と語っていらっしゃいました。私が過去、子どもの心に気が付くことができなかったのは、自分自身に心があることを知らなかったからです。そして、今ここに記していける自分を大切にしています。

 午後の部の終わりに、ある方から、Mamoちゃんの日記を利用させてもらっていると言葉をかけていただきました。私は嬉しかった。毎晩自分を見つめているのは、過去に生きていた乱暴な私ではなく、丁寧にやさしく自分を生きようとする私。その、今の私を、ご自身の成長の為に利用して下さっているように感じられ、その場で鼻が赤くなってしまいました。そして今は、ちょっぴりこそばゆい気持ちがしています。 今、私がこの二つの目で見ているのは、遠い昔に過ぎた過去ではなく、これから広がる未来。

いつも、未来を見て今を生きていれば、大丈夫。


2007年01月02日(火) 自分にプラス

 今日はGobamcanに野球メンバーの一人が初練習を兼ねて遊びに来てくださったので、おなべを囲んで話をしました。今日も叉いつもと少し違う雰囲気の中で、いつもと同じくらいに中身の濃い楽しいひと時でした。
 そういえば、私は過去、人と関わったあとには、いつも疲れを感じていました。特に女性と1対1で対面で語りあう時には、話の途中で緊張している自分を感じて話をするどころではなくなっていたり、それは大変なものでした。こんな時、本来の自分を忘れていたことも多いだろうと想像します。
 本来の自分を意識することは、私の変わらぬ課題です。これからもやさしく成長していくために、大切なテーマなのです。 

 ところで、日中も少し話をしたのですが、本日の朝日新聞には、昨日に続き『ロストジェネレーョンと言われている若い世代』の人々の生き方の一面が載っていました。昨年の「団塊の世代」といわれる方々を見る視点から変わって、今までとは少し違うところを見ようとしているようにも感じています。ですが、新聞の記事は、記事を選んだ方の主観で載せられるのです。そしてたくさんの情報の中のひとつ・「点」。点を集めることは自分の為にプラスです。


 長い冬休みが終わり、明日から仕事です。この冬休みは、名古屋へ来て最も、一人遊びを楽しむことが出来た休みでした。とにもかくにも楽しかったのです。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **



2007年01月01日(月) Chúc mưng Năm mơi !

 新しい年が始まりました。
2007年は、プラスの自分を育ててきた私にとって、これまでより少し大きめのステップを踏む、意味のある年になる予定です。

 年の初めの今日、ステップアップの中の小さなステップアップを兼ねて、死の準備の為の書類を1つ作りました。書類は、私が死亡した後の処理をお願いするものです。実は、この書類は姉に向けて郵送する予定なので、郵送するに当たり、何年かぶりに手紙を書きました。何を伝えようかと言葉を捜しているうちに、子どもの頃の事を思い出しました。私は子どもの頃にも、今日と同じように姉を脳裏に浮かべた遺書を書いていました。当時は、辛さの中で書いたものですが、今は自分のやさしい未来の為に書いています。過去と同じ事を全く違う視点でしている自分は、生きているんだなぁとしみじみ感じました。昔々、姉の恐さに怯えていたのには、母の暴力に怯えていた私がいたからでした。

 夜、06年12月10日に放映された「自殺者3万人」の録画DVDを観ました。自殺未遂をされた当事者や夫に先立たれた妻の女性の語りを聞きながら、司会の方がいくつかの質問をしていらっしゃいました。その質問の内容は、私の視点とは違っていました。それでも、それぞれの心の状態が根底にあることを前提にして、そして、生き辛い世の中がそこにあることは分かりました。私はマイナスの社会にプラスを探せる自分を意識します。

 年の初めの朝日新聞の一面には、『ロストジェネレーション』という見出しで、バブル最盛期に生まれバブル崩壊で就職難の時期に社会に出た若者(25歳から35歳だそうです)の生き方が載せられていました。紙面に載っていた方々は、「社会とはこんなもんだ」と現代社会に見切りを付け、会社や世間を当てにせず自分の生き方を大切にしているという内容でした。私には、彼女達の生き方は、軽くあっさりしているように見え、又は、冷静さとあきらめに似た気持ちが混ざりあっているようにも感じられました。どちらにしても、人の生き方はさまざま。自分が自分を楽しむことが大切なのです。私も今年一年、昨年と同じくらいかそれ以上に、私を大切にして生きます。
 ちなみに昨年の夏ごろ、私は自分の為に、「自分が変わろう」というテーマを持ちました。2007年の年の初めのテーマは、「持続」です。持続のカウントは今日で2個目なのです。とりあえず8個つなげてみよう。8個たまったら、ドレミファソラシド〜♪だから。

 HPを少し修正しました。新しく入れたものは、過去に書いていたものなので、読み返してみると違和感を感じる部分があります。でも、これも私の足跡なのです。


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