「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年11月30日(木) やさしく自立するために

 今日もまた、予定が1つ済みました。今日の予定は、保健部会で、決められたテーマを発表するというもの。
テーマは耳鼻科に関する小さなものでしたが、1ヶ月前に、担当に決まったときから、資料作成の時間が限られていることはわかっていたので、「出来ることを楽しもう」と意識していました。
そして、作った資料は、耳鼻科を知らない私にも語れるようなやさしいことのみ。
それから、発表の始めには、保育士さんや看護師さんに、「一緒に勉強してください」とお願いしてから、始めました。

 夜、自分の将来の、もう少し先まで、予定を思い描いてみました。
今、私は40歳。41歳の夏頃にはベトナムへ行き、そこから本を書き始めます。そして、10年後の50歳頃、私は大学へ行きます。
その後は、どうなるかな…。

これまでよりも、もう1つ先の予定を立てられたことが、うれしいです。
それから、素直な自分が面白いです。

自立した女性は、自分の未来を自分で作っていきます。
その為に、自分の中に居る、小さな女の子に寄り添い、語り合い、彼女がその時、したかったことをさせてあげます。
そして、今、自分がしていることを、自分の背中から見て、自分が何を感じているかを知り、今の自分にも、したいことをさせてあげます。
明日も。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **



2006年11月27日(月) いいこと探し

 今日は全身の筋肉痛と右足くるぶしの下が痛いです。原因は昨日の野球の試合。たくさん走ったという意識はないのだけど…。最近の運動不足を実感しています。昼休みには車の中で本を読みました。

 午後、赤ちゃん5人を一人で見守りました。かみつきのあるお子さんが3人いたのですが、動きの激しい赤ちゃんに寄り添う形をとり、本を何冊か読んで、私の傍に来てくれたお子さんのまねっこをしているうちに、静かな時間が過ぎていました。
11月最後の週。いくつかの期限付きの予定があって、自分を忘れると、焦りが出てきます。
優先順位を考えて、ひとつずつ、出来る分だけ進めていこう。出来た分が出来た分。
 

「視点」
 今は、地球全体が、マイナスの固定観念のかたまりです。
でも、世の中はマイナスだと嘆き続けているのでは、私の生き方とは違います。
視点を変えて、いいとこ探しをすることにしました。

自分にいいこと探し。
自分のいいとこ探し。


2006年11月26日(日) 現実

 この頃、世間の話題がきっかけとなって、小学校の頃の自分を思い出しています。
小学校中学年の頃から、他の姉弟と違って、汚い格好をして、黙り込み、勉強も出来ず、クラスの給食の残り物を何とかして持ち帰ろうとする私は、クラスの目だった男女から、格好のいじめの的でした。
自分がいつも、何をされているのか、事の意味は分からないままでした。
 同じ時期、母子家庭で貧しいために、クラスの給食費を盗んでしまったお友達がいました。その子は、母親から裁縫用の定規で全身をたたかれ、青あざだらけの体で登校してきました。私は子ども心に全身のあざを見ているのが辛かったのを覚えています。
子どもというものは、どんなにしても、自分の環境を自分で作ることは難しい。その時の自分に出来ることをして、生き延びるのしかなかったのだと感じます。
 そして、私自身、おとなになった今でも、時に、社会の小さなGUGに巻き込まれるのは、あの頃の傷を持ったまま生きているのだと自覚しています。

 小学校の頃というのは、私の記憶の中で最も、思い出すのには厳しい時代です。
でも、私の心の傷を癒やせるのは、私です。
それに、見えた分は、癒やしていけるということだろうと捉えています。
過去を見据えて、今を生きよう。


ところで、今日は今シーズン最後の野球がありました。詳細は** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **でね。


2006年11月25日(土) 国境

 今日は午後から、小原村にある四季桜まつりへ、桜と紅葉を見に行きました。
桜は薄ピンクの小さい花びらが可憐に見えて、赤いもみじはしっとりと落ち着いた色で、辺りいったいが、素朴でやさしく見えました。
帰りに、四季桜まつりの会場の近くにあるベトナム研修生さんの寮へ遊びに行きました。お邪魔するのはずいぶん久しぶりなのに、研修生さんは、私の顔も名前も覚えていてくださいました。
私のほうは、偶然にも、しばらく休んでいたベトナム語を3日前から再開していたこともあり、思い出したベトナム語を語ってみたり、歌など歌ってみました。何度も感じることですが、違う国の言葉で語り合えるのは嬉しいですし、研修生さんたちの心に、より近くなったような気がするのです。
 違う国の言葉といえば、研修生さん達も、仕事をしながら日本語の勉強をしているそうです。一緒に勉強できれば、嬉しいのだけどなぁ。

 地球は広くて、知らない国はたくさんありますね。いろんな国の言葉を知ってみたいです。
国境って、本当に必要なのかな…。


2006年11月24日(金) 感じ方

 今日は、11月1日に職場の指示で受けた研修会の報告書を書きました。
私の受けた研修会の題目は、「頭部外傷について」で、講義は頭部CTのスライドを見ながら、病名や症状を聞き、その症例がどうなるか?というものでした。
私はDr.の説明を聞きながら、少し変だなと感じていました。なぜならば、今ここで頭部のCTを勉強した事を持ち帰っても、保育園という現場で利用する機会があるのだろうかと、疑問だったのです。それよりも、怪我をしたときの病院受診の判断基準や、ご両親へ説明できる病気のこととか、もっと現実的なことを知りたいというのが、私の正直な気持ちでした。
なので、研修会報告書を書く際には、私自身がわかりやすく語れる部分のみを書き、感想の欄には、私の正直な気持ちを書かせて頂きました。

 午後の職員会議では、12月初旬に開かれる園児さんの絵画展の為に、園児さんの書いた絵を選別する作業がありました。
みなさん、それぞれ、園児さんが書かれた絵について、いろいろな思いを語っておられました。
私は絵を見ながら、この一枚の絵も、この時の気持ち・「ある一時に浮かんだ思考の1つ」なのだなぁと感じていました。
そして、私も子どもの頃、こんな風に絵を描いていただろうかと…と想像しました。ずっと昔の自分の事はわからないけれど、私も園児さんと同じように、絵を描くのも好きです。

そういう私の、会議の間に頭に描いた絵は…。
丸い地球の周りに、私と、虫がたくさん並んでいる絵。


2006年11月23日(木) 声を挙げるとき

祝日。
寒い朝。予定していたカブト虫のお家を掃除しました。
それから、HPを修正。ブラウザに表示できなくなっている原因が少ーしわかり、わかったところをいじっているつもりがまたまたおかしくなってしまったり…。
目が疲れる前に止めているので、進みも少しずつなのです。
午後は電車に乗ってあちこち。私は車の運転も好きですが、電車に乗るのも好きです。運動目的に歩くのが好きです。

 昨晩、インターネットでフィンランドの教育方法を見ていたら、フィンランドでは「子どものときから、徹底した個人主義」と書かれていました。
私も今は、個を大切にして生きています。
この頃の新聞には、「○○の会」という言葉が目に付き、仲間を募る心って何かなぁと自分に問いました。
ひとつのものを同じ視点で見れる人たちが集まり、仲間と仲間となるのでしょう。
小さな力でも、集えばたくさんになるから、世の中のおかしさを訴えるとき、たくさんの人が集うと、集った分の力でおかしさを訴えることが出来るのでしょう。
 日本でも、時々、国の決めたことに対する反対集会というのが、開かれているのを見ることがあります。メーデーというのはその代表のようなものなのでしょう。
人数の規模はさまざまなのだろうけれど、知人の話によると、現在外国で見るような大きなデモは、日本では、60年安保以来無くなってしまったそうです。

 ネットで見つけたHP、「ネット発声を挙げよう」によると、デモ行進をするには、警察に申請して許可がいるそうで、警察の許可を頂けばデモが出来るということに少しびっくりしました。警察は市民の安全を守るのが仕事なので、危険を防ぐために許可を頂くというのはわかりますが、私は自分のこととして捉えた場合、自分の“No”を伝えるときに、他者の許可が要るというところまで、つなげられませんでした。それに、私自身の経験から、先に記述した反対集会などに募っている人々は本当に100人が皆、心から望んでそこに居るのかな?という疑問も感じます。


 声を挙げるとは、どういうことかな…。
もしも私がデモをするのなら、私は一人でします。
そして、私は自分の言葉で、より丁寧に伝えたい。
そして、このように感じられる自分を意識していたい。

でも…一人で、デモをしても、デモっていうのかな。


2006年11月21日(火) 希望

 子育て支援。
 今日は、一人のお母さんが、「赤ちゃんを抱く時期は過ぎたのに腰が痛くて大変。整体のいいところを知らない?」と質問してくださいました。私は自分で体を楽にしたい人なので、「整体院は知らないけれど、自分で自分の体を作る方法なら知っていますよ」と伝えました。
「どんな風に?」と聞いて下さったので、体操や筋トレのこと、そして、自分の体を自分で作っていくことがいいですよと伝えました。女性は、「最近忙しいから自分の体にまで目が向かない」と言いました。私は「忙しいと、ついつい体に力が入ってしまいますよね」と返事をしました。

 それと、主任さんから、来年2月、看護師からの講座を1時間半の時間で計画しているのでMamoちゃんお願いと伝えられました。決められたテーマには、病院や薬関係のお話がありました。私は今は、医療の場所から意図的に離れた人なので、病院関連の話を進んでする気持ちにはなりませんでした。テーマを変えてもいいと許可を頂いたので、私の考え方を取り入れ、なおかつ、皆さんが興味をもたれていて、そして、3月に退職する私として、1時間半1回分で済む、何かが語れればいいなぁと思いをめぐらせています。

 午後は園児健康診断があり、日が暮れるまで、近医の医師や看護婦さんと一緒に園中をうろうろしました。途中で、用意していた問診表がわからなくなったり赤ちゃんがあちこちで泣き出したり、小さなハプニングがありました。
2時間の診察を終えたあと、赤ちゃんクラスの若い保育士さんに、「いつものんびりしているMamoちゃんがてきぱき書類をめくって動いてたからびっくりした」と話しかけられました。私は、ずっと昔に病院で忙しく動いていた自分を思い出して、一人で笑えました。
今日はきっと、問診表が見当たらなくて、慌ててめくっていたのでしょう。
でも、もう、あの忙しい世界に埋もれることはありません。…と、言いたい…。

 
 今日付けの朝日新聞には、過労で倒れた人は昨年度で330人で、過去最高の人数になったと書かれていました。そのうち、157人は亡くなられたそうです。
自分のために働いているのに、なぜ、仕事で辛い思いを味わい、大切な命をなくさなければならないのでしょうか。
偶然ですが、仕事中の私の耳には「○○君、この日プライベートみたいだけど、仕事に出てきて。いつも仕事優先して」という声が入ってきました。
伝えられていた保育士君は、私に「Mamoちゃん、僕はこの頃、いつも、胃やお腹にガスがたまっていて気持ち悪いんだよ」と言いました。他のクラスの保育士さんは口唇ヘルペスが治らず、上の唇に移っていて、「これって、やっぱりストレスだよねぇ」と言いました。
新聞の記事と偶然重なったに過ぎないけれど、毎日のようにある光景です。
 そういう私も、悶々としたものを抱えたまま、心に「仕事だから」と言い聞かせ、職場へ向かうことがあります。こんな時には、むなしさを感じます。そして、行ってみると、楽しい発見もあるから、何ともいえない心境です。

 厚生労働省は、残業代を賃上げしようという案を立てているらしいです。それから、就業規則を職場が自由に変更できるようにルールを作ろうとしているとも。世の中は変わっていくのかな。


2006年11月20日(月) 違うということ

 午前中に3歳児クラスでうがいのお話をしました。
作っていった資料を持参しましたが、流れの中で進めればいいと捉えていました。
始めに、私が髪の毛を二つに結んでいるのを見て、一人の女の子が、「私と同じ」と言いました。「そうだね」と言うと、数人の、髪の毛を結んだお子さんが「私も…」と言いました。教室を見渡した時、髪の短いお子さんの視線が目に留まり、この会話はいいかな?と疑問がわきました。そして、私とクラスの皆さんに同じものを探そうというひらめきが沸きました。
私とクラスの皆さんに同じものは、偶然ですが、体です。2つのお目目と1つのお鼻と…。最後はお尻の穴まで行き、遊んでいた子どもさんが「鼻の穴もだよ」と言い、気付いたら、皆で遊んでいました。
それからようやくうがいのお話を…。不思議と、皆さんじっとして、話を聞いていました。
最後に「お話を聞いてくれてありがとう」と言ったら、前回、「短かったぁ。つまんなぁ〜い」と言ったお子さんが、「面白くて楽しかった」と伝えてくれました。私も成長したのかな。
次回は、私と皆さんで違うものを探してもいいかもしれません。

 午後、赤ちゃんクラスのパートの方と話をしました。
パートさんは「自分は普通の人が面白いと笑ってる会話を聞いても面白いと思えなくて、皆が笑ってる会話の中に入っていけない。でも、誰かと話をしたがっている自分も居て、会話に入っていないことが寂しかったりする」と。よく聞くと、会話の中身は、他者の欠点を笑いに利用するブラックユーモア的なものでした。それなら、私も不参加です。
そして、先週育成会で語り合った内容とLinkしました。私は、集団から意図的に孤立している私自身の話をし、「私は一般社会の話題の殆どに、参加出来ないんですよ」と語りました。
 退職することを伝えたら、理由を聞かれました。私は「私の能力をプラスに利用してくれるところを探しているんです」と伝えました。


** 〜Tôi muốn đi Baseball〜 **


2006年11月19日(日) 真実

 昨日の育成会。
午前中、時のテーマとして、いじめの問題と教育改革があがりました。
いじめを理由に自殺する子どもさん・いじめられて学校に行けない子どもさんたちと、ニートと言われている人々。そして、社会に疲れ自殺されていく大人。みな、根底がリンクしました。
 過去、私の子どものうち、娘二人は、学校に行けませんでした。あの頃は、学校に行けなくても当たり前の社会だということを知らない私でした。
私が、親として、学校に行かれない娘の心が分からなかったのは、自分自身が疲れを殺して頑張っている自分に気付いていない大人であったからです。
 今、私は、ときに社会の言葉に傷つき、仕事に行かれなくなります。
休むことがいいということではありませんが、大人の私が疲れて動けない社会なのだから、大人よりも力のない子どもが動けなくても当然だと感じています。

 本当に日本の世の中はおかしいことがたくさん。そして、世の中のおかしさを知っている私に何が出来るか…。
私はいつも、自分を一番大切にします。
新しい情報に目を向けつつ、社会を見据え吟味して、自分の心に添って動くのです。それから、自分の語る言葉を大切にします。

ところで、HPのアドレスを変更しました。まだ修正途中なので、開けない部分がありますが、ご了承ください。

新アドレスは「いつかひとりになれたなら」です。 

** 〜Tôi muốn đi Baseball〜 **


2006年11月12日(日) チャイルド

 今、私の心は、喜びと安堵感で満たされています。
理由は、過去に完ぺき主義にさせられた、幼稚園の頃のチャイルドに出会えたから。
 
私は幼稚園の頃、かぎっ子でした。園から帰ると、机の上に、カルピスとひらがな練習のプリントがありました。母が帰ってくると、留守番中に練習したひらがなプリントのことで、何かがあったようで、完ぺきさを押し付けられたことの始まりだと自覚しました。
おとなの私はチャイルドに手紙を書きました。「できるところまででいいんだよ」「いやになったらやめてもいいんだよ」と。それから、手紙を書き終えた後、こんな風に感じました。
「つかれた」や「いやだ・やめたい」を感じてもよかったのだと。

完璧を求める自分を知っていても、こんなチャイルドが居たとは気が付かなかった。
それから、字も、心で書けるのだなと実感しました。
どんなことも、こころ始まり なのですね。


 ところで、昨日から、ホームページが不調なので、URLを変更しています。
変更先はこちら 「いつかひとりになれたなら」 です。
そして、野球はこちら、** 〜Tôi muốn đi Baseball〜 **です。


 


2006年11月10日(金) 自然さん、仲間に入れて

 昨日、干草の布団の上で、太陽を布団にして昼寝をしました。
実は外出途中で気持ちが悪くなった為、草の上に寝転んだのですが、ぽかぽかのお日様が心地よくて、気持ちよかった。
眠ってしまう前には、猫や犬などの動物がお日様の下でじっとしている様子が思い浮かんでいました。動物だって調子の悪いときがあるはず。そんな時、彼らはきっと自分のからだの中のおかしさがなくなるまで、そこでじっとしていているのだと思います。
私も、それでいいです。太陽はカルシウムを作るし、なにより、自分のからだに心を向けていることがいい。
いつもいつも、自然 がいいです。

まるで自然と一体化しているみたい。
私は地球上に居る生き物の中の1つ。だからトカゲと遊べるんだなぁ…。
 
「自然さん、仲間に入れてくれてありがとう」


2006年11月04日(土) シンプルにニュートラル

育成会。
 午後の部で、「存在」について語り合いました。
今回は資料が多くて中身も難しいから、どこか一部を利用して…という気持ちは持っていたのですが、皆で読み始めてから、私の想像以上に語り合うには難しいのだと分かり、少々あせりました。
しかし、いつもニュートラル。「流れで行ってみよう」という気持ちになり、その後は、皆さんが語ってくださったものと、ニュートラルの自分の心に浮かんできたものとをあわせて、繋がったなぁと感じました。
けれども、おそらく教材というものは、シンプルにした分だけ、伝えやすく伝わりやすく、分かりやすければ分かりやすいほど、自分に置き換えやすくて、語り合いやすいのだと実感します。

次へのステップにしよう


2006年11月01日(水) 表現すること

 今日は、1歳の赤ちゃんが、下痢があって病院へ行ったけれど、感染症を確かめるための検査をされずに原因不明のまま登園してこられました。クラスの主任さんから、そのお子さんのノートに、「Mamoちゃんから“集団生活に影響するから検査をして”というコメントを書いて、看護師Mamoと名前を入れて」と指示を受けました。
ところが私は、指示されたことを書こうとしても言葉が浮かびませんでした。なぜなら、そのお子さんは、診察を受けた結果に検査をされずに登園してこられたので、責任があるとすれば医師のほうではないかと疑問が沸いたのです。そして、書けるとするなら…と考えて、問題になっている感染症の病状や経過の説明を書きました。
 午後は、保健職の研修へ。乳児の頭部外傷の勉強をしてきました。
よちよち歩きの赤ちゃんであっても、就学前の活発なお子さんであっても何をしていても、予測の付く怪我はありません。よりリスクの少ない配置と、事故が起きてしまった後の動き方が大切だなぁと実感します。

 夕方、欲しい本を求めて本屋さんへ行きました。
目当ての本はありませんでしたが、先日テレビで見た「太田総理」や「格差社会」についての本があり、興味を引きました。
 
 家に帰ってから、『赤ちゃんはどこから』の一説をもう一度読みました。
子どもは本来、自分のからだが大人のからだに変化していく感覚を、自分で感じ受け入れながらおとなに育つ必要があります。
私も、今、少しずつベールを溶かしているところです。
そして、もう1つ、今はいつも、過去とはちょっぴり違う心の変化を、感じて伝える練習をしているところです。


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