「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日は子育て支援センターへ。 この頃は、規定の開始時間前から来られる方も居て、みなさん楽しみにされているのだなぁと感じます。 それに開園当初に比べると、センターの中で顔見知りのお母さん同士も増えてきて、和やかなペースが出来上がっているように感じられます。 お母さん同士はお話をしておられ、私は傍に来た小さなお子さんと遊んだり、時々、お母さん方と語り合い、保育士さんはご自分の持っている歌や手遊びを披露しています。この何気ない空気が、限られた世界で子どもさんと過ごしているお母様方には、リフレッシュタイムになっているようです。過去の自分を振り返れば、その気持ちは、十分理解できました。社会には、こんな空間があってもいいのかもしれません。 そして、この中にやさしい日本語が飛び交えば、やさしい空間が出来上がるのだなぁ、なんていうことも想像しています。
夕方には、他の保育士さんと会議室で雑談をしました。心の勉強を始めて、自分が無いことが分かってからは、意図的に自分を語ることをやめていました。今日は過去と同じ事をしたのかそれとも自分が軽くなったのか。 分からないけれど、新しい生き方を求めている私。新しい方法で、社会と関わっていきます。 私の新しい生き方は、そこに居る自分を感じて生きること。 明日もゆったりをつなげよう。
Baseball Go!
今日は、今週の週計画にある、グループでのカンパ活動をお断りしました。 昼間、赤ちゃんクラスの保育の打ち合わせがあり、若い保育士さんに何か困ったことがないかと聞かれました。私はいつも、伝えることがないのですが、他の保育士さんが語っているのを見ていたら、私は何も浮かんでこないのだけれど、いいのかなぁ?と疑問がわきました。でも、困ったことは困ったときに尋ねて出来る範囲で動いているから、何も無くてもいいのでしょう。それに、あっても無くても、どっちもいいのです。 打ち合わせの後、パートの保育士さんから、「私はある人の言葉にいつも傷ついていて、苦しくてやめようかと思うよ。でも、ある人の言葉に傷いているということを、当人以外の人に言ってもいいのかどうか分からない。伝えられた人も、他の人の事を言われても困るんじゃない? でも私は苦しいからやめたくなるよ。Mamoちゃんはどう思う?」と尋ねられました。私は「ここに居るのがつらかったら、仕事をするのに大変ですよね」と伝えました。保育士さんは「そうだよね」と一言いいました。 夕方、大型バギーで散歩へ行きました。いつものように保育士さんの後ろを歩いている自分が、いつもとは違って見えました。いつもと同じ景色を見ているのは私。その私は、いつも前を歩いている保育士さんの歩幅が基準ではなく、自分の感性を基準にして、自分の足並で歩いていました。私と保育士さんの距離は縮んだり離れたり、右と左に分かれたりしました。 いつもと同じ道を歩いている私の目に、バギーに乗っている4人の赤ちゃん達の様子がいつもに増して、はっきりと感じられました。 「私は、今、ここに存在しているんだな」と、嬉しくなりました。
「われ、ここに在り」
Baseball へGo!
2006年10月29日(日) |
生きている・それだけで。 |
休日。 集めた新聞の切抜きがずいぶんたまってきたので、整理して保管しなおしました。 過去のものを読み直してみると、同じ記事でも、前回読んだときとは違う感じを持ちます。「何でこんなの置いてるの?」と笑えるものもあります。きっと、その時持っていたものの中で選んだものなんですよねぇ。 それにしても、世の中にはたくさんの情報があります。新聞を読んで、「へぇ〜」と感心する時、何ともたまりません。もしかしたら、知らなかったことを知ることの喜びかな。そうかな…。うん、きっとそう。素敵素敵…。 残した記事は、私のこれからの人生に役に立つと思われるものです。 いつか本を書くときに、使えるといいな。
午後は、春日井市のMさんご夫婦のお宅へ遊びに行きました。 そして、プラスもマイナスも他者に広がる。プラスの自分が居れば、プラスが広がって、自分にも他者にも心地いいと語り合いました。 プラスはプラスを引き出して互いに成長し合える。ということは、人間は他の存在と互いに影響しあって生きている、と言うことになるのかな…。
それから、二つ目に、「生きているのだから」という言葉が出ました。 本来そこに居るだけでいいはずなのに、大人はいつも、何かにせかされるように生きています。 生きているだけでいいのにね。生きている・それがいいのにね。
『赤ちゃんはどこから?』の本には、「女の子の体は、何年もかけてゆっくりと変わっていく」と書かれています。(男の子も同じかな。) ということは、過去の自分に「やさしい性」を語ってあげている私も、自分の中にあるやさしさが、心に浸透し、そして細く長く持続し、やがて“私自身のやさしさ”に育つまで、この取り組みにたくさんの時間を使ってあげてもいいのでしょう。 そして、心に浸透した分だけやさしくなれるのだから、今は毎日、過去の私に分かるやさしい言葉を選んであげながら、サクサクと自分を変えていくのがいいです。 今、私はこんな風に感じています。 私はどの時点から肯定される必要があったのか。 それは、私が胎児として、この世に存在したときからです。 私の体のどの部分も、私の命のためにある、きれいで大切なものです。 大切に大切にします。
ところで、一昨日10月24日の、保育士さんとの出来事は、後から振り返ってみると、何とも自然で心地よいものでした。 交わした言葉を振り返ってみるたびに、心がフワフワしてまるで地面に足が付いていないような感覚になり、「大切にしたい」という気持ちになります。こんな気持ちを表す言葉を捜していて、ある方のHPに書かれている「至福の時空」という言葉にたどり着きました。 私は、一般社会の方との関わりの中で、素敵な時空を味わえた事を嬉しく思います。 自分の苦しさを知った頃からずっと探していた「お金や物には変えられないもの」とは、こんなところにありました。 肯定しあえる環境があれば、人は育ちあうことが出来るのですね。
明日も、自分をつなげて生きます。
持続とは、小さな“次”を重ねていくことのようです。 自分の“今”を丁寧に生きていると、自分も自然にまとまってくるもののようです。
自分は繋がっているのだから、過去のチャイルドも繋がっています。 そして、丁寧に見つめていけば、もっと繋がってくるはずです。
お休み。 野球へ行く前に、庭に出て遊びました。今は、放りっ放しだったトマトの受粉を丁寧にしたおかげで8個のトマトがなっています。これから寒くなるけれど、どれくらいまで育ってくれるか楽しみです。 それから、ルコウソウの種を少しだけ回収しました。今年のルコウソウは、去年の種が自然に芽を出した分があり、庭の広範囲に広がっています。これから広がったところで種を落とすでしょうから、来年は又違った場所から出てきそうです。 ちなみに、ルコウソウの種は朝顔のような殻に入っています。殻ごと採って手のひらに載せて、“ふぅ〜”っと吹いたら皮だけ飛んでいき、種が残ります。 種が飛んでいかないように、やさしく“ふぅ〜”っと吹いてあげるのが、みそなのです。
野球から帰った夜、帰宅途中で買ってきたものを無造作に冷蔵庫に入れ、テレビのスイッチをぱちんと付けました。それから、じゅうたんの上に足を投げ出し、テレビの野球中継を気にしながら、うどんのおつゆをすすりました。 こんな自分の動きを見ながら、「これは私なんだ」と自分に確認している自分が居ることに、「あれ?」と感じました。
運動して疲れた体を投げ出すようにして食事をしている自分。 私は今まで、こんな自分を別の自分と見ていたに違いない。私とはいつも同じではなくて、いろいろな動きをしているのだ、こんな私も私なのだ。私は今までと違う見方で自分を見れるようになってきたのかもしれない。 これからも、野球のボールをキャッチしに行くように、自分を知りに行きましょう。
Baseball へ行ってみよう。
休日。 小牧市のお友達のところへ遊びに行きました。お友達のお宅で少し話をした後、一緒にバッティングセンターへ行きました。お友達は野球を始めて日にちが浅いのですが、力強くパワフルなボールを飛ばしていました。 小牧市を後にして、春日井市のお友達のお宅にもお邪魔しました。二人で肩を並べて話をしました。久しぶりにお会いして、何とも柔らかい不思議な空間を味わわせていただきました。又いつか、お話できればいいな。 帰りに、守山市の小幡緑地へ寄って、以前から登ってみたいと思っている木を確認してきました。今年の6月に来た時には葉が茂っていたせいか、太くて大きな木に見えたのですが、今日は葉っぱが落ちて前回よりも登りやすくみえました。それでも、周囲の木の中では一番高い。そして、やっぱりてっぺんまで登ってみたい。 ルームメイトにロープを借りて、今年中に登ってみようっと。
夜、自分に正しい性のお話を伝えてあげるというアイデアを実行しました。 『赤ちゃんはどこから来たの?』の本を縮小コピーして小さな本を作り、自分にプレゼントしました。この取り組みは、以前からしたかったことの1つ。ようやく実行にいたりました。自分育ての1つです。
持続とは、小さなプラスの積み重ねです。ほんの少し・小指の先くらいでいい。私は今日から、改めて、明日につなげることを意識します。
噴水の虹
休日。 知多市で、一面にコスモスが咲いている場所を見つけました。「コスモスカーニバル会場」と案内がありました。 コスモスの中には、花びらの直径が11センチもあるものがあって、きれいでした。コスモスの脇に、緑色の葉が植えてあり、みずみずしくておいしそうだったので、かじってみました。味はイタドリに似ていたけれど、後味の悪さが残ったので、道中の無人八百屋さんで買ったイチジクで口直しをしました。 それから、稲狩りの終わった田んぼに行って、イナゴが居ないか探してみました。 1匹2匹はすぐに目に付きました。目の前でピョンと飛んだイナゴは、私のイメージの中で、すぐに“骨=カルシウム”に変わりました。早速袋を持ってきて、イナゴを追いかけました。 途中から、ヌスビトハギが服のあちこちにくっついて、イナゴどころではなくなりましたが、それでも、全部で18匹。 イナゴ捕りは小さな願望だったので、ちょっと嬉しかったです。 捕まえたイナゴの中に、交尾をしているイナゴも居ました。昆虫の交尾を見るのは初めて。全ての生き物は、子孫を残すために交尾をするのですよね。 でも、見ているうちに「もうすぐ食べられてしまうのに」と、かわいそうになっちゃった。
Baseball へ行ってみよう。
今日も楽しいことがたくさんありました。 特に、新しく感じたことがたくさん。
一つ目、このところ、以前の職場のお友達とメールで語り合っていたのですが、その方が、「自分は今、子育てをしているけれど、本当は親に甘えたかった・今でも甘えたいのだと気付いた」というメールをいただいたこと。どなたかが自分の何かに気付かれる瞬間は素敵に見えます。私は彼女の足を引っ張らずに済んだのかな。少しお手伝いが出来たのかな?と感じられました。 二つ目は、ベトナム人のお友達から、彼女のお腹に、新しい命が宿ったとお聞きしたこと。 三つ目は、積極的にするということを実感できたこと。
そして四つ目は、今日のメイン。 皆と一緒に野球をしている自分の心が、Gobamcanチームが出来た頃に比べると、成長したと実感できたこと。そして私の成長は、私が当時の自分を見つめ変えていこうとして動けていた結果だな、と感じられること。
先を見ていこ。明日もやさしくすることをしよう。
Baseball へ行ってみよう。
2006年10月14日(土) |
性を受け入れていくこと |
10月10日にあった、性同一性障害のドラマ『私が私であるために』を見ました。 ドラマの中で、医者は、生き延びるための方法を模索している彼女達に、「あなたはホルモンの以上からくる病気であり、性転換手術をするのがいい」と伝えました。根底を見つめる方法が知らされていない為に、体の働きを、心を通して見られない社会であることが残念でした。 それから、当事者の一人は、既に性転換手術をしていました。性転換手術をしていない友人の事を「…でも、あの子はまだ男なんだ」と言い、主人公も、性転換手術をする決意をし、家族は同意しました。 私は、自分の体の動きを他の力で変えられない。自分の持っているものを作り変えてしまうのは、自分の体を、つまり自分自身を否定するのと同じではないかと。心に否定があったら、体の働きも崩れてしまうように感じられてなりませんでした。 当事者を演じている方から、 「なりたい自分になるために」「わたしがわたしになれたなら」「私がほんとうの私になれたなら」 という言葉を聞きました。 捉え方の違いはあるけれど、 私も、なりたい私になるために、出来ることを楽しんでいこう。
藤前干潟へ釣りに行きました。 干潮で潮が引いた干潟に下りるとトビハゼがぴょんぴょんとんでいました。すばしっこいですが、つかまえてみたらハゼと同じ顔かたちをしていました。それと、今日は少しですが、しじみ貝が採れました。 ところで、魚果は(と言うらしい)…この間は2匹も釣れたのに、今日はゼロ匹。「当たりがよくなかったねぇ(と言うらしい)…」。 最後にきれいな夕焼けを見て、お友達の釣ったハゼと蜆を持って家に帰りました。 ハゼさばきも3回目ともなると、遊びの余裕が増してきました。 切る前にひっくり返してみたら、ハゼの胸鰭は吸盤になっていて、壁にくっつくことが出来るそう。それに、ひれ呼吸をすると、透明の胸鰭が丸く膨らんで風船みたいになりました。切り落とした後のお頭が動いているのを手に持って眺めたり、何分動いているのかと時間を計っていたのに、時間を計っているのを忘れてほかしてしまいました。 ハゼってかわいい顔をしていますが、家で飼うことも出来るのです。でも、今日は頭を切ってしまったから、飼えません。トビハゼやハゼはベトナムにも居て、ハゼは食用に使われているそうです。
明日は仕事。 嘘やごまかしは、どんな小さなものも、取り繕うとした分だけ、その空気が伝わってきて悲しいです。私はいつも自分に正直に生よう。
「きれいなひつじ雲」
運動会
子どもさんたちはいつもよりも輝いて見えました。皆さん足が速いです。一生懸命は知っている姿を見ていたら、私も走りたくなりました。 そして私はムカデ競争へ出ましたよ。
それにしても、応援しすぎて声がかれてしまった。
一番面白かったのはテント張りです。トラックから下ろした長い鉄のパイプは重かった…。しかし、この棒がここで、いや、こっちがこっちでと動いているのが面白くて…。 骨組みを完成させて、屋根に白い布をかぶせたら、本当にテントになり、いつも素振りをしているホームグランドに、みるみるうちに白いテントが並びました。
育成会 早めに出かけて草や虫さんの写真をとろうとしましたが、風邪が強くて被写体がじっとしていてくれませんでした。でも、お散歩は気持ちがいいから好きです。時間ぎりぎりまで自然を楽しんでいました。
午後の部では新しい方がこられたので、初めの頃に聞いた話をもう一度聞くことが出来ました。それから、若い方の言葉はいつも新鮮です。 ついついいろんなことにエネルギーを使っている私。 今までのものはおいておいて、別の考え方を取り入れて生きよう。 大人の私も、素直に純粋に、ありのままを生きようと感じました。
お休み ルームメイトと一緒に、家の敷地内に植えられているキウイを支えるための支柱を作る・お手伝いをしました。買い物に行きながら言葉遊びをしたり、お店のトラックを借りて荷物を運んだので、トラックに乗ったりして楽しかったのです。 Baseball へ行ってみよう。
私たちはいつも、心で語っているのだな。 その人のその時の、心の状態が、その時の言葉になるのだな。 人の心はいつも一定ではなく、常にいろいろなことを感じているのだな。 だから、例えばひとつの言葉で、その人を決めるのは違うのだな。
私も、いろいろなことを感じるのだな。 だから、私の見ている私は、私の一面なのだな。
心で捉え、心で語ることを意識していれば、自分に心地いい会話を続けられるのだな。 いつもどんな時も、自分に心地いい言葉を選ぶことを続けられたら、 「心で語る、やさしい日本語を使える私」を持続できて、誰の目にも見える、私の人間性になるのかな。
Baseball へ行ってみよう。
仕事 園長から、「来年の旅行の積み立てをしますか?」と聞かれました。 私は、「うーん…しません」と答えました。すると園長は、じぃーっと横目で私を見て、やれやれ…という表情をして、「一緒に行きたいんです」と言いました。 園長の言葉に嫌な気持ちはしませんでした。 けれど、私にとって、嫌な気持ちがしなかったことと積み立てをするかどうかは別のものなので、「考えておきます」と伝えました。 園長はもう一度、今度は手振りを入れて、「私たちは、あなたと一緒に旅行に行きたいんですうっ」と言いました。 私はくすくすと笑って、その場を離れました。
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