「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEXpastwill


2006年06月30日(金) 裁判準備 2  

  本日も弁論準備
 
 もしも、社会の仕組みのおかしさを伝えられる場所が無いのなら…。
人々が自分を訴えられずに泣き寝入りしてしまう理由は、伝えられる場所が無いことも理由の1つではないかな。もしも私が伝える場所が無いことを理由に、正しさを伝えることを止めてしまったら、尻切れトンボのようで自分がかわいそうだ。だから、今ある法律の中で、出来ることがあるのではないか、とも思う。

 そして、私はどこへ向かっているのかな。何の為に裁判をしようとしているのかな。
自分にやさしく生きたいと思う。
正しさを主張しようとする私に、人を責める心があったら、私の行き方とは違ってくる。
それから大きな見方も出来る。でも、今は心が追いつかずに疲れる。
どんな私も、心から沸いてくるものでなければ、自分がかわいそうでもある。
だから、私のペースで進んでいこう。
心が語れる場所でのみ、自分を語っていこう。
そのうちに、答えは自然に心に沸いてくるでしょう。


2006年06月29日(木) 親の心

 園長と保育の話をしていたら、「Mamoちゃんは自分の子どもさんを育てているでしょう?」と尋ねられました。
私は名古屋へ来てから、職場で自分に子どもが居ることを語ったのは一番初めの場所で一度だけ。その時、自分を語ったことで傷ついてしまったので、以降は、語ることをやめていました。でも今日は、「いいえ」と言うのが躊躇われ、「はい」と返事をしてしまいました。
 園長は「そうだよね。そうだと思っていたけど、でも、Mamoちゃんの話を聞いていると、始めて子どもを見るような話し方だから」と。
私は、「私は自分の子どもを育てていた頃は、雑誌の情報や教科書の中から拾ったものを、心のある子どもに当てはめて、どうして出来ないんだろうと嘆いていました。離婚して自分を見つめてみたら、自分の中に過去とは全く違うものがあることを感じ始め、過去にしてきた“子育て”は全て間違っていたと気付きました。じゃ、自分はどんな風に育てられたんだろうと自分を振り返って、間違った見方をしていた自分に何度も気が付かされます。今は、過去とは全く違うものを大切にしています。だから、私はいつも一年生なんです」と返事をしました。
園長は「Mamoちゃんの感じているものを他の保育士さんにも伝えてあげてほしい」と言われました。
 私は…職場で話をしていると、たいてい、同じような言葉を伝えられます。
そして今日は、たくさんの園児さんと関わっておられる園長から、同じような事を伝えられ、何と答えていいのか分からずに困ってしまいました。

 後になって、流れの中で子どものことを語ってしまった自分に焦りました。焦ったのは社会の評価を気にした自分です。
でも、もういいと思う。これが私の真実だから。

明日は裁判。
やはりちょっぴり緊張しています。
そして、緊張している自分から目を逸らすと、心の中の時計が止まります。
だから、どんな自分もいいよね。
そして、私を大切にしよう。


 


2006年06月27日(火) 人として生まれること


 子育て支援。0歳児の赤ちゃんとお母さん10組が来られた。毎回、たくさんのおもちゃが用意されるところは、私の思いとは違っている。ところが今日は、おもちゃの中に、軍手の指先にひまわりのお顔がついたものを見つけた。自分の指に嵌めて、ひまわりがにっこり笑って私を見ているのを想像したら、嬉しくなった。
 そばにいる赤ちゃんにひまわりのお顔を見せてみたくなった。4ヶ月の女の子。私は顔を近づけて「今からお唄を歌わせてね」と言った。そして「お花が笑った」を、ゆ〜っくり歌いながら、一つ一つのひまわりを動かしてみた。女の子はひまわりを目で追っていた。次には、ひまわりをおとうさん・おかあさんに見立てて、替え歌を作って歌ってみた。女の子がどんな気持ちかは分からない。けれども私は、ゆっくり歌っている自分と、体の芯にあたたかさを感じられることが嬉しかった。いつの間にか、辺りがしんとしていた。

 午後、0・1歳混合の赤ちゃん組の保育に入った。
力が強くて何かのきっかけで噛み付いてしまう女の子とお友達の髪を引っぱる男の子二人を含めて、赤ちゃん5人と私。私は子ども達が集団で遊んでいるときの本当の空気を知りたかった。そして、痛い思いや悲しい思いをするのは避けたかった。女の子はは私を自分の世界に入れてくれた。男の子と他のお子様は、基本的にはひとり遊び。時々男女の子どもさんが近づいても、私が女の子の動きに言葉をかけると、女の子は自然に離れていった。
私は「この中では、女の子の心が満たされていれば、この流れは続くかもしれない」と感じた。私もそのお子さんと遊んでいるのが面白かった。他のお子さんは時々振り向いて私を見た。私が笑うと又向こうへ行って一人で遊んでいた。2時間、そのまま時が流れた。

 その後は、はいはい赤ちゃん3人と私一人。
3人の赤ちゃんが、どこへ向かい、何をするのかを見たくて、おもちゃを全部片付けてみた。みな、好きなところへ行って、それぞれのことをしているようにみえた。
大人は、子どもが安心して遊んでいられるよう、見守っていることでいいのだ。
 今日は保育園へ就職してからの小さな疑問が解けた日。
人間はなぜ、他の哺乳類に比べて未熟な状態で生まれてくるのか。私たちが、手伝いを必要とする段階で生まれてくるのは、心を持っているからだ。人間は、人として、自分に心があることを感じ取るために、せめて生まれたばかりのまっさらな心のうちに、やさしく自然な、この感覚を丁寧に伝え続けられる必要がある。損な気がする。
 帰りに、保育士さんに「まもちゃん、この一週間で感じた事を教えて」と尋ねられた。私は「今日子育て支援でね…」と感じたばかりの思いを伝えた。保育士さんは、「地域のお母さんに、子育てのすばらしさを伝えていきたいね」と言った。私は心の中で成長途中の自分を思った。私もこれから。私は自分に歌をうたってあげるよ。


 裁判所から、相手方の準備書面が届いた。あさって金曜日、前回と同じ部屋で同じ人たちと向かい合って座る。
準備書面には、事実と、そして、事実とは違うことが書かれていた。
今は、ちょっぴり緊張している。


2006年06月26日(月) 自分が変わろう

 「自分が変わろう」と思うと、何故か心がほっとします。不思議。どうしてかな。
いつも自分以外の何かのせいにして生きていた自分から、変わっていけることの喜びかな。人生の楽しみが広がることの嬉しさかな。
ほっとする理由は分からないけれど、私は、変わっていく自分が面白い。
今の自分を見ていると、人は先を見て生きていくことがいいと、伝えていくことさえ出来そうな気がします。そして、自分自身にも、私はこれからも自分を構築するように生きられるのだと想像することができます。
 そんな私、保育園で赤ちゃんを見ながら、思うことがあります。
「私は今、人生を楽しいと思えるようになってきたところ。あなたは、今、見えるもの、触れるもの、ぜんぶぜんぶ、楽しいの? 何もかもが、そのままの形で見えているの? もしも本当に、そうだったら、あなたって、すごいよ」

 赤ちゃんの世界をのぞいてみたいなぁと、つくづく思います。真っ白な世界ってどんなものか。ニュートラルな世界ってどんなものか。生き方見本は小さな子どもにあるのではないかな。

 そして私自身は…。
「いったい私は、自分をどうしたいの?」「自分に何を求めているの?」と自問していたのは3ヶ月前。それ以前に、ここへ来て一番苦しかった3ヶ月間。あの頃からすると、「わたしは今、どうすればいいのか」・「自分に何をしてあげればいいのか」を見つけられたような気持ちがしています。

 自分を変えてあげることができるのは、私だけなのです。
「自分が変わろう」は、過去のように、相手に合わせて自分を変えるのとは違います。
シンプルな自分に生まれ変わるということ。
とても素敵・とっても好きな言葉です。

 一年後、今のような思いを、本に書いていけたらいいな。
そして、もう、ずいぶん「一人に近づいた」かな…。
だったらさらに、うれしいな。と、いいつつ、そう決めるにはまだ早い…。
もっと、安定したいな。
…ううん。違うよ。「出来たらいいな」は終わりにして、出来るように生きていこう。


2006年06月25日(日) 心の傷を癒そう

 夕方、家の庭で、F君と歌を歌って遊びました。
心に、「過去に出来なかったことを自分にさせてあげる」がありました。
 子どもの頃にできなかったことを、今、自分に体験させてあげている。
考えてみれば、過去はこんなに自由を感じながら生きていたことは無かったから、今生きていること自体が、過去に出来なかった生き方を自分にさせてあげているのと同じではないかな。

私には弟が居ますが、過去には弟とこんなに自由な気持ちで遊んだ記憶はありませんでした。それに、こんなに楽しく歌を歌ったことも。私はこの体験を利用して、心の傷を癒やします。
こうして、日常と照らし合わせて、過去の自分を見つめることができる、と言うことを嬉しく思います。
毎日の生活に、自分を喜ばせてあげる材料はたくさんあるから、もっともっと楽しもう。


Baseball へ行こう!


2006年06月23日(金) 死んで土に返る

 ある女性が腫瘍を抱えた体だと知らされた。彼女がこの世界から居なくなってしまうかもしれない。そう思うと悲しみが湧いてきた。どうしてあの子なんだろう。他の誰かならいいのかな。ううん。誰と変わっても同じだよ。どうして人は死ぬのかな。命って何?
 人はいつか死ぬ。死ぬために生きている。ううん、死に向かって歩いてる。もしも彼女が死んだら、彼女は土に返る。命の時間が終わる。私も、死に向かって歩いてる。私の死んだら土に返りたい。でも、死ぬのは恐い。
なぜ?人は死について、どこで学んでいくのかな。
遊びの中で、生き物は死んでゆくということを学ぶものなのかな。
 子どものとき、飼っていた犬や十姉妹が幾度も死んでいった。大人は私に死をやさしく教えてくれることは無かった。大人は、私の心に、死を痛みや苦しみとして植え付けた。今考えれば、あの頃死んだ犬達もみな土に返っていったのだ。土に返れてよかったのだ。私は今日始めて、彼らの死を受け入れられて気がする。
 死に怯えたチャイルド。
さっと出てきて、すっとどこかへ隠れていく。どうしてすぐに、暗いところへ隠れてしまうのかな。そっか。様子を見に出て来たんだ。そっか。でももう少し時間が必要だなぁ。


2006年06月21日(水) 生きている・それだけで

 今週に入ってから、自分を感じられることが多くて嬉しい。
もっともっと、自分を感じ続けたい。私は私のスタンスを大切にする。

ずっとずっと、苦しい一心で生きていたのだと思っていた。
でも、今は、少し違う思いがわいている。
私は、人として生きることをあきらめずに居た。自分を生きることをあきらめず、自分を探し続けてきた。
だから、今、ここで、自分が生きているという感覚を感じられているのだと思う。

命は尊い。私の命だけではない。誰の命も尊い。
死ななくて良かったと心から思う。
生きているだけでいい。人って、そういうものだ。

決めた。これからは、私は自分の心のオアシスになる。
何があっても大丈夫だよ。だって、生きているから。
そう思うだけで、楽しい。


2006年06月20日(火) 自分で見た夕日

 夕方、ベトナム人の心友Dちゃんと、藤前干潟へ遊びに行きました。
空はうす曇りで太陽には薄い雲がかかっていましたが、濃いオレンジ色の夕日が、山の向こうに沈んでいくのがよく分かりました。
私たちが居る間、小牧から来たと思われる飛行機が何度も通りました。
Dちゃんは、「あれはベトナムへ行っているのかな」と呟いたので、私は「たぶんDちゃんは乗っていないと思うよ」と言いました。
 Dちゃんは、「日本で働いたお金を持って帰って、お父さんやお母さんに恩返しをする」と言いました。私の心には「それは違うんだよ」という言葉が浮かびました。誰もみな、親や他者のために生きていては、自分を生きることは出来ません。私は少し間をおいて、「人間は自分で生まれてくるよ。私もDちゃんもね」と話をしました。

 その後、二人で岸辺に座って、歌を歌ったり静かに海を眺めたり、日本語とベトナム語が書かれたお互いのノートを見たりして、あっという間に時間が過ぎました。

 彼女は今年の7月、ベトナムへ帰ります。私は来年の夏、ベトナムへ行く予定でいます。
私が「ベトナムでもお友達でいてね」と言ったら、Dちゃんは笑っていました。
でも、笑い事とは別にして、私はDちゃんにある、凛とした静けさが好きなのです。そして、いつも自分を持っているように感じられて、一緒に居ても楽なのです。
そして、私のベトナム語の始まりは、「この女性とベトナム語で話をしてみたい」と感じたときから。
だから、自然に「お友達になってくれてありがとう」が浮かぶのです。
ちなみに、Dちゃんがベトナムへ帰国する日、私は仕事があるので、お見送りにいけません、ちょっぴり残念。そして、又会えるから、いいのです。


2006年06月19日(月) 私・∞

 知らないことがあるということがうれしい。
もっともっと、違う世界を感じたい。
もっともっと、私自身を感じたい。
私の中には、もっともっと がいっぱいだ。

私の人生は宇宙みたいに無限大。


2006年06月18日(日) 未来のために出来ること

「未来に目を向けて」
もっともっと成長したいな。
今よりももっと未来に繋がる生き方をしたい。私に何をしてあげようかな…。身近なところから見つめなおそう。

健康な体をつなげよう。
体にやさしい運動を取り入れて、栄養のバランスを考えよう。
体に入った食べ物が全て、私の栄養になるように、いつも心で食事をしよう。
このような事は、本来子どもの頃に親から学んでいけることのはず。でも、今私は自分で自分の体をいたわれる。そして、大人の私はチャイルドを癒していくと、より自然な私に成長できる。

 それから、来年はベトナムに行き、本書きを始める予定だから、読みやすくシンプルな文章を書くことを、もう一度意識しよう。
もっともっと、本当の自分を探し、毎日を自分のために丁寧に生きよう。
Baseball へ行ってみよう


庭のルコウソウ トマト かんのんちくの花(めずらしい)
泰山木・その後1 (焼けたパイナップル)泰山木・その後2


2006年06月17日(土) 正しさを、やさしく

 育成会。

 人々がご自分の心と向き合っておられる姿は美しいです。生きるとはこういうことだと、心の底からうなずきました。

 午後の部で、Cさんが 「自分と対話して」とを語られました。私も、今よりももっと自分に心を傾けて、自分自身と語り合いたいです。
そして、もっともっと、変わりたい。私の心と未来は、私自身が取り組んだ分だけ、望むところへ近づいていけるのだから、今、心にある課題を見据えて、楽しく取り組んでいきます。課題探しも楽しいもの。日常の小さな出来事を利用して、自分探しを楽しみます。
いつもいつも、お金や物ではない大切なものを、一番大切にしていきたい。
何だか…貪欲に、心を求めているような気がします。


 夜、「Wild engels」というドイツ映画を見ました。3人の女性が悪得警官と軍人に立ち向かい、自分の命を架けて、隠された秘密を探し出していくというもの。女性は3人とも、自分の手で自分を支えられる体と、考える力をもち、正しさを伝えていました。
 裁判を控えた今、自分の正しさを伝えることの素敵さを改めて実感しました。
 私も、いつも正しさを伝えられる女性でありたい。そして、よりやさしく伝えることが出来ればいい。自分の中に、過去に受けた傷の怒りをもったままで居ては、やさしく伝えることから遠ざかる。だから、何よりも先に、心の傷を癒そうと心の奥底で思うのです。


2006年06月14日(水) ひらがな

 お休み。
 家の外で遊んでいたら、マダラカマキリが飛んできた。長い触角の先まで白いまだら模様が入っていて、力強くてかっこよかった。

 夜、久しぶりにファシリッコに参加した。自分を認め、自分に一番やさしく生きていると、何があってもそこプラスに考えていけるのだと実感した。
 途中から、Gobamcanで最年少の少年が本読みに初参加し、私は彼が丁寧に文章を読んでいくことのお手伝いをさせていただけた。少年は分からない漢字を私たちに尋ねてくれた。私たちはそれぞれの方法で、楽しく手伝いあった。
そして私は、少年が他のルームメイトのヒントを元に答えを見つけた時、心の底から感動した。
「ここに、他者を基準にし、否定しやすい社会とは全く違う社会がある。人は、自分を育てていくことで、他者の育ちを手伝っていけるのだ」

 一人感動を味わったあと、少年が本を読んでいるのを聞き、子どもはこんな風に文字をたどりながら、「本を読む」ということを学んでいくのだと思った。
そして子どもの頃の私も、本来、周りの大人に見守られながら、本を読める大人に育つことが出来るはずだったと実感した。

 ファシリッコを終えたあと、部屋に戻り、もう一度ゆっくり本を読んだ。本に書かれたひとつの単語を読んでいく前に、そこにある「ひらがな」を読んだ。

「追記」
しかし…、こんなに充実した一日の終わりに、またまた言葉を間違えた。ううん、言葉は心から出てくるのだから、少し前から心を間違えていた。
私は今でもミスをする。こんな自分も認めて、自分を育てていこう。
まだらかまきり  これらは何でしょう??








2006年06月12日(月) テーマ

「乳児期の頃に今の強さがあったら」
赤ちゃんは小さくて弱い。生きていくには大人の手助けが必要だ。

小さくて弱かった私の、存在感。そして、私は本当に、弱かったのかな。
…小さな私が、生まれ、そこで生きていたということが、どんなに大きなことであったか。
…小さな私は、生まれたままのそのままでよかったんだよね。
 そして、今、ここに生きていること・それ自体がどんなに素敵なことか。
私はいつも、今、生きているそのままの私でいいんだね。
 
 
 夜、ルームメイトから、「Mamoちゃんは最近言葉について意識していることって何?」と尋ねられた。この頃は裁判に関することが多かったので、すぐには答えが見つからなかった。
そして後でもう一度、自分を振り返ってみた。
そういえば、少し前に、「私の言葉は彼らに伝わりにくいのだな」と感じたことがあった。ルームメイトと話をしていて、そのシンプルさに惹かれたことがあった。そして彼ら彼女達と、もっと近くで心で話がしたかった。
ベトナムの女性と心を語りたい・小さな子ども達に、その小さくて無限に素敵な世界をのぞかせてもらいたい。心と心で語りあいたい。
これも小さな好奇心だね。
好奇心って不思議だな。知らないうちに自分が育つ。
もっともっと好奇心を育ててみよう。

 いつもプラスの社会に生きたいな。
そして、いつもプラスの社会を求めすぎることは私のエゴだな。なぜなら私は人を社会を変えようとしていることになるのだから。
私に変えていけるのは、私の心と自分の未来。

自分を、変えていこう。
4年目の私の心のテーマは「自分が変わろう」。


「仕事」
仕事は今日も楽しかったな。ブラジル人のお母さんと語る時には、いつもよりさらに丁寧に語ろうとする自分が面白かった。


2006年06月11日(日) 自分のことが好きな大人

 今日はベトナム研修生さんたちの寮へ遊びに行ってきました。中には、日本へ来て2ヶ月の女の子達もいて、「寂しい」と泣きながら、私の胸元にぴったりとくっついていました。私を「お母さん」と呼んで下さることがうれしいです。そして、皆さん子どものように素直です。私はその素朴さを大切にしたいと思える自分を大切にします。

日本人Mamoは、来日したベトナム人女性の、在日中のお母さん。なんだか面白い…。
日本の母Mamoは、感じたものを大切にして生きる大人。日本の母Mamoは、いつも自分にやさしくて、自分を大切にしているのが好きな大人です。


「裁判について」
 今はまだ、裁判に出た後は疲れます。でも、それも今はいい。なぜならこんなに奥深いレベルで自分を知ることができるから。もっともっといろんな自分を発見したい。
私の前に大きく立ちはだかっているように見えていた弁護士は、私の中でうんと小さくなりました。次回は6月30日。楽しみだな。

 今更ですが、人生は自分で切り開いていくものだなぁと実感します。
私はもっともっと、自分の中に眠っている可能性を引き出してみたい。
日常の小さなことに巻き込まれていたら、自分がもったいない。
今日から再び、新しい自分の為に、今の自分をみつめていこうと決めました。
私はプラスに生きる大人を基準にして、そして私を大切にして今を楽しみます。
いつもいつも好奇心を使って自分を成長させていこう。やっぱりそれがいいよ。うんうん。
どんな私になれるかなぁ?楽しみ楽しみ。

庭のキウイ・ただいま14個。かわいいょ。 胡桃の実 胡桃の実 守山区小幡緑地公園のポプラ小幡公園のさくらんぼ・甘くておいしかったなぁ


2006年06月10日(土) 今思うこと

 今日になって、弁護士と向かい合っていた時の自分の気持ちに気が付いた。事実法廷に居た時間、私は自分の現実を通過することで精一杯だったみたい。一晩過ぎてからでも、自分の心に気が付いてよかった。
過去は、いつも生き延びることで精一杯。そして今も、こなすことで精一杯。あったことはあったことだよね。これから変えていけばいいよ。
人は、今の能力に応じて、現実と対峙できるのだから、私はまだまだ、自分の心を感じられるように自分を意識することで精一杯なのだよね。
 例えば裁判に行く度に、フーフー言っている私、出来ているのかどうかが分からないから、社会の小さな言葉に疲れる。
もっと大人になれば、こんなにフーフー言わずに済むのかな。
心が成長した大人は、マイナスの社会にいても辛いと感じずに、いつも楽しんでいられるのかな。
成長した大人は、悲しみや辛さを感じても、悲しみや辛さに巻き込まれるずに済むのかな。何があっても、どんなことも自分の中で整理していけるものなのかな

 夕方、通訳の女性と心の話をした。女性は自分の子どもの頃の様子を語られた。大人のおかしさを知っておられる語りだった。生まれた国が違う人と心を語り合えるようになっていることをうれしく思った。私もありのままの自分を語っていこう.それが人として成長し、時には他者とともに成長し合えることにつながる。


2006年06月09日(金) 裁判準備 1

 裁判準備 (裁判の争点を絞るもの)
 5号法廷・審尋室  楕円形のテーブルを囲んで、会社の社長と弁護士・裁判官・書記官・司法委員の5人と私

 前回約束した書類にあわせて、新しく作っていった書類を提出。その後弁護士から続けて3つの質問を受けました。
けれども弁護士の3つの質問は、「今日裁判準備の場所で答える必要があるのかどうか」が分かりませんでした。
私から「質問がたくさん来て、すぐに考えて答えられません」とお伝えすると、弁護士は「お言葉ですが、あなたは…」。
 すでに、心がいっぱいいっぱいの私。
「すみません、これ以上は答えられません。私の伝えたい事と事実は、全部ここに(提出した書類)書いているとおりなんです」
「あの、今日のこの時間は、私は弁護士さんに質問をされて、答えるための時間ですか?私は全部の質問にすぐに答えなければならないの?」
二つ目の言葉をテーブルの真ん中に向かって尋ねると、裁判官は弁護士に 「原告の主張はここに書いているとおりだから、そちらも意見があれば文書で提出すればいいんじゃないですか?」と伝え、そして私に、「あなた<私>は答えたくなければ答えなくてもいいですよ」と伝えてくださいました。
弁護士は、前回と同じように恐い顔をして私を見ました。私は今日も恐かった。けれども今日は「恐い顔をされると恐い」と発言して、弁護士と目が合わないように裁判官の方に体を傾けていました。

 争点は、「会社側の解雇か私側の自己都合か」というところ。
弁護士は「あなたは体調を崩していたと聞いています。自分でお辞めになると言われた。こちらは解雇はしていません」と言って、私のほうを見ました。
…そうです。私は自分でやめると言いました。でも、あなたの言っているのとは違う。それに、今ここで伝えられる事とは違うはずなのに…。
目に涙がたまってしまったそのままの顔で「私は…のはずです」と言って、弁護士の横に座っておられる所長さんの顔を見てしまいました。
裁判官はもう一度、弁護士に向かって「ですから、そちらの主張があれば、又書面で提出してください」と。

 その後、裁判官から和解の相談を進められました。
裁判官は私に「これまでいろいろとあったんでしょ?でも、もう終わったこととしてみては?これからは、今後の問題として、和解を考えてみたら?」
その後は、前回の司法委員と同じ。
「あなたは就職したときに、誓約書にサインをしたでしょ?誓約書には、訪問先であった出来事を他言しないというのがあったでしょ?その約束は、通常あなたが会社をやめても守り続けなくてはならないでしょ?あなたの主張した金額を相手方は支払う意志があるから、お互いに譲り合って、誓約書を守るという条文を交わしてはどうですか?」

私には意味が分かりませんでした。  
会社と私の間の誓約書が大切だと言われるのなら、私は誓約書に会社の情報を守るという書面を提出したけれど、会社は私に「あなたの個人情報を守り大切にします」という約束をして頂いてはいないのに?「和解」って何なかな。
仮に、この裁判は私と所長さんとの問題なのだから、私と所長さんとで文章を考えて、二人の合意の文章を入れて頂けるのならいいけれど、きっと永遠に遠い話・または逆に少し先の話になるでしょう…。私には過去の会社の誓約書を守ることを優先して、私にあった事実をないものにすることは出来ません。
 私は、私の主張がすべて通り、条文に、私は解雇されましたという文章が入るのなら和解する事を考えますと伝えましたが、受けいれらる様子はありませんでした。
裁判官は司法委員に「もう一度ゆっくり話を聞いてあげてください」とお願いしましたが、おそらく語ってみても同じこと。私は裁判官の言葉をお断りしました。
裁判官は「裁判を起こしてもあなたの主張が通るとは限らないよ」と語りました。
それは分かっているけれど、私の主張が認められるかもしれないのだから。
 ちなみに、この裁判は3審制らしいので、私は不服申し立てが2回出来ると思うのです。あきらめずに自分を伝えていけば、きっと、「あなたは正しいよ」と認められる人に出会うことが出来るかもしれないのです。



 ところで今日は、名古屋へ来た私の3年目の誕生日。
3年前の今日、私は、死にそうな自分を抱えて、記憶もまばらにここへ来た。
3歳のMamo。ピヨピヨ。
3年目の今年は、1年目と2年目の3倍うれしい。うれしい理由はどこかで語る機会があればいいですが又後ほど…。
夜、ゲンジ蛍を見ました。少しだけ緑がかった黄色の光を放って、ふわふわと飛んでいました。かわいかった。
3歳の自分へのプレゼント。
4年目もほんのりやわらかく生きようよね。


2006年06月08日(木) 裁判前日

明日は裁判。

前回、司法委員と和解の話をした部屋で、相手方の弁護士と裁判官と、そして私。
ううん。
前回和解の話をした部屋で、私と、相手方の弁護士と、そして裁判官。

恐いかな。ちょっとだけ。
大丈夫かな。きっと大丈夫。
動いてきた・ありのままを伝えればいいだけだから、今までよりも、もっと、大丈夫。



2006年06月07日(水) 目に映るもの

 裁判準備
 法務局に電話をして、供託通知書について尋ねた。
初めて聞く言葉の意味や利用法を知るのは面白かった。その延長線上で、6月9日の争点絞りをイメージした。
 ある人から、支払われなくなるかもしれない給料は、支払われて当然のものだと伝えられた。よく考えてみればそのとおりだ。そして相手は「支払おうとしたんだよ。先方が受け取りを拒否したんだよ」と主張していることにもなる。
私は、供託通知書に書かれた内容について戸惑った。そして、自分がこれ以上動揺しないように、事実を“何でもないこと”と置き換えてしまったんだ。
…昨日の日記を書き直したいな。でも、私は自分を信じられる。私の大切にしてきたものを信じられる。この心を信じられる。この部屋も、この家も、この空間も。
何があっても、これまで成長してくることができたように、これからも成長できる。私はそう思う。
だから、成長過程もそのまま残しておこう。


「仕事」
昨日から始まった子育て支援センター、訪れたお子さんは3人だったけれど、私は小さな世界に入れて、遊んでもらった。楽しかった。
午後からのひよこ組みでは、今日も新入園の女の子がカルガモの赤ちゃんのようだった。そのお子さんを始め、そばで遊んでいるお子様達を見ながら、「あなた達はたくさんのものを見られるといいな」と思った。そして私は大人として、「この子ども達に私の知っていることをたくさん伝えたい」と思った。
外国のこと、宇宙のこと、お花のこと。そして、一番大切な、心のこと。私が生きるということは、世界中の子ども達にプラスを伝えて生きていきる事に繋がるのだ。私は、私自身に、もっとたくさんの世界を見せたい。いろんなことを経験すればいいと思う。宇宙は広い。私も広い。

 夕方、会社を出ようとしたら、子育て支援センターの担当の方から「Mamoちゃんがいる事でとても助かってる。これからもよろしくね」と伝えられた。私も楽しませて頂いてる。だから、「私もMさんと一緒に楽しみたいです」とお伝えした。私の中で、何か、違うものが見えている。


2006年06月06日(火) 一致

 裁判準備 6月9日
6月9日の裁判は、弁論準備と言って「争点を絞る」ことをするらしく、非公開で、原則として他の方は入ることが出来ないそう。

第1回口頭弁論からほぼ1ヶ月目。
今日、相手方の弁護士から、供託通知書というのが来た。「給料の支払いを拒否していますよ」というもののようで、場合によっては、賃金は全額抹消されるようですが、詳しいことはまだわからない。

賃金が抹消されることについては、特別こだわりは無く、「別にいいかなぁ」と思う。
それでも、自分に力が入っていることは、自分で分かる。
だから、私の心を語れる場所でのみ、丁寧に私を語っていこう。
私は自分の為に、あと4日で何が出来るかな。

 仕事
今日は19時から総会があり、帰宅は22時だった。少々お疲れ。
けれども、総会の内容も昼間の業務も、勉強になる場面や楽しい場面がたくさんあった。
自分を生きれば、仕事も楽に出来るよ。

今日は、自分の中で、これまで感じられなかったものが一致した。


2006年06月04日(日) 裸んぼうの心

以前、「裸んぼうの心でいたら、心が傷つく」と言ったことがある。
今は少し違うのだと思う。心に負っている傷が小さいほど、傷つきにくく、傷ついても切り替えが早く、次の動きをとりやすい。

新しい自分を大切にしよう。いつも次の事をしてみるのがいいと思う。

BaseballへGo!


「いすの木」の花 別名…インベーダー 庭のキウイ 別名…ガメラ クニフォファプニラ…だと思う
いい香りの泰山木 泰山木から生まれそうなパイナップル…かわいぃ。 別名…マシュマロ。


2006年06月03日(土) 見据えること

 今は、この3年間の事が、いろいろと頭に浮かぶ。
おかしいよと訴えた時期・訴えることに疲れた時期、そして、伝えることをやめた時期。
いつからか、自分を伝えることをやめたのは、私に自分がなかったから。そして違う自分を生きたから。

これから、
自分の感じた戸惑いをすっかり無いものにしてきた自分を責めないことを大切にして、自分を守りながら、自分を見つめることをしたい。
最初の1年間は、いいとしましょう。
その次の2年間、自分の心にあったことを、心で捉えてみつめていこう。少し時間がかかるかもしれない。それから心が痛むかもしれない。でも、いい。それは、私がロボットではなく、人間だからだもの。

感じたものを否定したら、私は違う私になる。
ここを通過すれば違う私が待っているよ。丁寧に取り組んでいこう。

私って、いったい何なのかな。いつも自分を基準にしておこう。
夢物語のような仮説をはずして、自分を見据えていこう。
ようやく、自分の人生に現実味を帯びてきた。
今はこのあたり。これもいいと思う。


2006年06月02日(金) Mamoちゃん育て

 仕事。
保育士は次の日曜日のバザーに向けて、休みを返上して準備をしています。私も,時間があってなおかつ運動をしたいときには、ちょっとだけお手伝いをします。(体育館のような場所で、荷作りをしながら体を動かすのです)
いつもと違うことをすると、心が躍ります。
 
 自分のために働いて、プラスをたっぷり吸収して、自分の能力に加えていこう。

 Mamoちゃん育てを楽しもう。


2006年06月01日(木) 心のふた

 2,006年6月1日付け朝日新聞に、「過労によるうつ病などで労災を受けた人は127人、うち自殺者は40人だ」と書かれていました。
私は、実際には、表された数字の何万倍の人が、心の傷をもったまま働いていて、そして毎日、過労させられていることの心の傷を追いながら生きていると思います。
文中には、「若者はサポートが無いまま即戦力としての働きを求められ、不適応を起こす例が目立つ」と事も書かれていました。
私の職場も同じです。通り一遍の方法を伝えられたら、後は、即戦力として動けて当然だとみなされる。早さや一度で出来ることを求められる職場で、自分を維持して仕事をするには、今はまだ、大きなエネルギーが要るのです。
 そして、「不適応」。自分の心を大切にして、人として生きようとすると、社会一般では不適応という言葉に当てはめられてしまうのです。
ちなみに、私の場合は意図的に「安易に適応しないこと」をしています。
どこにいても、私の心を大切にして生きることを続けて生きたいのです。けれども、時々疲れる。
「行きたくないなぁ」と思う自分を感じながら出勤することもあります。
もっとも以前は、「行きたくない」ではなくて、「行く力が無い。へとへとだ。辛くて行くことが出来ない」だったから、少し成長できたかな。 けれども、どこまで成長しても、心が疲れたり、仕事にいけない気持ちになっても仕方がないのではないかな。もしも行かないことを変だと言われたら、変だと言われた自分を助けることに大変で、仕事に行けなくなった自分を探してあげることが難しくなります。

でも今日は又、自分の心の奥の気持ちに気が付いた。
名古屋へ着てから今までこんなにも心に蓋をしていたんだなぁ。
そして、ようやくこの地点まで着たとも言えるかなぁ。
動いた分だけ、私の能力になるのですね。

感じるままに感じてあげた方が楽。私は、自分を自由にしてあげます。ゆっくりと自分の手で、心を開ける場所でのみ、心のうちを言葉にしよう。
心で物事を捉えたら、うわべの言葉は全部はずしていけるよ。


Mamo |MAILHomePage

My追加