「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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昼、6歳の女の子が、ご飯を食べずアトピー肌の薬を飲むことも拒否して、保育園の廊下で、うずくまっていました。これまでにも何度か見た光景。手足は痒みでかきむしって、ひどい状態です。昨日までの私はNちゃんの体をそっとなでて横を通り過ぎました。でも今日は、女の子と一緒に廊下に寝転んでみました。木の床がひんやりしていい気持ちでした。 女の子が顔を上げたので「冷たくて気持ちいいねぇ」と話をしました。「ご飯食べて、お薬飲もうか」と言うと、いやだと首を振りました。 皮膚を掻きむしって痛くても心を見てほしい・小さなその子どもさんの心の叫び。私にはよく分かりました。 私は薬に関して、女の子の意思を尊重させてもらいました。そして「まもチャンはおなかがすいたからご飯を食べてくるね」と言って傍を離れました。女の子はその後、園長先生のところで、アーンと口を開けて、薬を飲んでいました。
大人はいつも働きすぎです。 心を忘れて働くことを要求し続ける社会のあり方が浮かびます。そして私は、自分の心のために働きます。新しい発想を持ったプラスの社会は私から。 いつもいつも、私の心を大切にすることが、とっても大切なのです。
いつだって、うわべでものを言う人は、すぐにわかる。 大人は、自分が大切にしているものに時間を使う。 大人は、うわべや思いつきで事を済まそうとする。 うわべの言葉は思い付きよりも、うんと悲しい。でも、どちらも根底は同じだ。
自分の伝えたいことを真剣に受け取られているかどうか、すぐにわかる。 何も気が付かなければ笑って済むようなことも、分かるから傷になることもある。 どこまで成長しても、感じる心はいつも同じだ。悲しみを悲しみと感じていいと思う。悲しみや辛さはいやだ。
そして、人の素朴さ・素直さは好きだ。私も素朴さを持っている。 人として素朴さを引き出しあえる生き方ができればいい。 そして私は、自分に素直に生きればいい。
裸んぼうの私は、時々心に服を着ます。
今日は、保健部用の掲示板作り。保育士さんが使っているコルクボードのきれいなものが欲しかったのですが、小規模保育園は補助金が少ないからと言われたので、古いバインダーに紙を貼ったお手製です。試用開始は6月1日から。また少し動きやすくなりました。 (あれ?! 自分の環境を自分で作っているみたい)
私も成長しているのだよね。明日も私を生きよう。 先のことをすると、面白いよ。
BseballへGO!
2006年05月29日(月) |
ありのままに・細胞ちゃん |
昨日の野球で心地よい筋肉痛を持って仕事へ。 今日は頭シラミが発生していて、一日を通して、全園児さんの頭髪チェックをすることになりました。 明るいテラスに小さい椅子を並べてみんなが順番に座ります。タイトルは“シラミのチェック”ですが、頭髪を見ている間に語りかけてくる子どもさんの言葉は、シンプルで楽しいものでした。 一方、大人の世界は難しい。私に語られる言葉は、理解しつらい。語られる内容を聞き取ることに疲れている私なのです。 でも今は戸惑いを伝える練習をしているので、今日は私が心から理解できるまで、丁寧に尋ねてあげることを繰り返してきました。 戸惑っていることに気が付ける自分を持続させ、そして戸惑いを伝える練習です。
一日を終えて、今思う。「今日もフーフー言ってたなぁ・・・」 仕事をこなしてくることにエネルギーを使っているのなら、過去の生き方と同じこと。私の人生は過去のものとは違うよね。 「自分を楽しんで生きること」 そうだよね。丁寧に語る事を頑張っていたら、疲れるね。
私は自分に何を求めているのかな。 「なんまっていこうよ」 明日も、自分育てを楽しもう。 ありのままの自分を認めた分だけ、新しい細胞ちゃんが出来上がる。 そして、もう一度 Baseballの“あの場所”へGo!
2006年05月28日(日) |
成長するために出来ること |
今日もまた、新たな自分を発見しました。 私はまだまだ成長したい。自分を見ていると面白い。
野球も仕事も心の傷を癒した分は自然に出来ていく。 そして、これからの部分を見ていけると、より自然な形が続いていく。 私はいつも、自分の心に気が付ける大人になります。 きっと、まだまだ成長できると思えます。 自分への期待にワクワクする。 成長するって、こういうことなんだなぁ。 Baseball・憧れのピッチチャーマウント編 へGOしよう!
土曜日は子どもさんの人数が少ないせいか、園内全体がゆったりして見えた。 赤ちゃん4人とテラスで遊んでいたら、幼児クラスのお姉ちゃんやお兄ちゃんが遊びに来たので、小さい赤ちゃんを最優先しながら、お兄ちゃんやお姉ちゃんと一緒になって遊びました。赤ちゃんに語りかけるように、「やさしいお姉ちゃんやお兄ちゃんがいっぱいだね。みんなきっとやさしいお兄ちゃん達のようになれるよ」と語りかけているうちに、お子さん達の動きが止まって、あたりがしーんとなりました。気のせいか、お兄ちゃんやお姉ちゃんは、やさしくて、そしてちょっぴりお澄まししたような表情に見えました。年齢が違っても、やさしい空間を作って遊ぶことは出来るのだなぁ。
裁判の時の弁護士の言葉を読み返してみた。今は、私の記憶のほかに、傍聴席に居た方に協力を得て、みなが何を語ったのかをまとめている最中。 他の方の言葉をまとめてみると、どうやら私は、驚いたり巻き込まれたりすると大切な状況を見逃してしまうよう。・・・大丈夫大丈夫。心の傷を癒して、ついでにYugoしていこう。 それに、次の裁判への楽しみが又少し膨らんだ。きっと又、新しい発見があるだろう。 私の裁判は、社会一般にあるものとは違うものになると予想しちゃおう。
ここからは、昨日の日記の続きになるけれど、 くすっと笑いたくなる自分を大切にするためには、いつもニュートラルがいい。 毎日感じたことを整理してニュートラルで居るのがいい。 閉じこもって蓋をしている自分に気が付いたら、いつも、自分にごめんね。
私はもっともっと、私が成長していくのを見たい。こんな気づきも素敵だと思う。 楽しいことが常だとしたら、そこからもっと成長できる。
いつも自分と遊ぼうよね。
人って面白いのではないかな? 社会で傷ついた後には、再び傷つくのが恐くて、または自分を見られるのが恐くて、他人からはうんと遠いところで縮こまっていた私も、又少し、ゆったりを広げられるようになったのかな・それとも、又別の新しい好奇心が芽生えたのかなとか・・・。 過去は、いつもびくびくしていて、なんでもない振りをしたり、元気な私を取り繕いながら人と関わっていたけれど、今は、弱い自分を隠さずにいろんな人と触れ合ったり語り合ったりしてみたい。 体の真ん中から、どんな私もあっていいんだなぁという気持ちがふつふつと沸いてくる。 視野が広がったように見える自分がくすぐったい気がする。 一人で心の中でくすっと笑いたくなる自分を大切にしていたい。
育成会3期生の説明会
午前中は2期生の方が語っているのをお聞きしました。 3名の方の語りは、私にとって、とても新鮮でした。 私は自分が辛すぎたから、子どもと離れる方法をとりました。 でも、もしご両親が揃っておられるのなら、お子様にとっては、ご両親が共に生きておられるほうがいい。そして、大人が心を大切にして生きているそばで、自分の将来を思い描けるようになればいいと思います。 午後の部で、一人の女性から「お子さんに会いたいですか? いつでも会えるんですか?」という質問を受けました。 突然の質問に戸惑いつつ、心のままに「会いたいと思いますよ」と返事をしました。でも、胸に詰まるものを感じた私です。家へ帰って、久しぶりに過去の日記を見に行きました。
一番古い、2001年(リンクから入って見つけることができます)のもの。 子どもを愛せない自分を責めていた私の原点がありました。 今となっては、子どもを愛せないと思いすら、社会の評価の中で決め付けられてた結果に出来上がったものだということが分かります。 そして、私がこれからどんな人生を歩んでも、本気で自分と向き合うこととなった原点はあの時代にあり、「こんなに生き辛い・苦しい」「どうして子どもを愛せないの?」という自分への疑問から、プラスの私が始まっていることは事実です。さらに、過去を思ってうずくまっているのは、3年前に心を決めて家を出てきた私の生き方とは違うから・・・。 子どもは、親が自分を生きているのを見て、安心して自分を生きられる。 私は私の人生を生きることが、今の私に出来る、親としての責任・・・ということでいいかな。 もっともっと、自分を育てていこう。 もっともっと、自分を楽しませてみよう。おもしろいよ。
地球規模でまとまれば、地球上のみんなが家族ですよ。 地球の上で両手を広げて生きよう
時々、体がコチコチになっていたり、浅い息をして、息苦しいと思っているのに気が付く。 私は前からこんなだったのかな。
でも、自分に気が付ける自分でよかった。 原因と思われる会話のテープをもう一度聞いた。 テープの中の私はすっかり巻き込まれていたけれど、必死で自分を伝えていた。 会話を録音しておいて良かった。私は自分の為に録音したんだね。
心の傷は、「1つ楽になったから、OK」という考え方は違うんだね。 そして、傷を残した自分の心に蓋をすると、別の私になるんだなぁ。
能力の取り直し。 スタートとは違うと思うけれど、スタートな気分。
わたしも能力あるよね。
次回裁判用の書類を作った。 弁護士の質問や伝えられたことに、必ず答える必要があるのかなぁ。 この書類は私の個人情報。 私は自分の作った書類を利用して、私を守ってみよう。
小さな赤ちゃんをじっと見ていると、ゆっくりでも自分で動いていく。欲しいものがあったら自分で何とかしようとする。 たぶん、感じたままに動いている。 大人がおもちゃを持っていっても、いらないときには首を横に振って「いやいや」をする。
いらない時には「いやいや」を。 そうだよ。私も、小さな赤ちゃんだった頃、いやいやといっても良かったんだよ。 「No」を伝える始まりは、小さな私の「いやいや」からだったんだ。
ちいさなちいさな 意思表示
2006年05月14日(日) |
いつか一人になれたなら |
頭の片隅に裁判のことがあり、小さな場面を思い返し、自分が戸惑った理由を見ようとして、再び自分が分からなくなったり・・・。 ところが、一昨晩、法廷では気が付かなかったことを発見し、小さな発見をした事がうれしくて、本当にちょっぴりだけど、次の法廷が楽しみだなと思えました。・・・うれしいな。 それでも、純粋に心を通して見聞きしていると、すぐに社会の言葉に傷つけられてしまうから、小さく小さく語っていけるよう、毎日意識しています。
実は、私は自分を面白いと思うのです。 こんなに面白い私なのだから、もっと楽しませてあげたい。 でも、私の面白さは、社会ではすぐに巻き込まれてしまう。 そして、他者にも巻き込まれてしまう。
だから、私の心を基準にして、私を大切にしよう なにしろ、私は今、ここに生きているのだもの。
一人で生きたい、なー。 一人になりたい、なー。
(一人になれた分だけ一人で生きられるのか、一人で生きられた分だけ、一人になれるのか、それとも既に、一人で生きられた分だけ一人になれているのか、それとも、既にひとりになれた分だけ、一人で生きられているのか。私はいったい・・・)
「親や社会のルールに背いていいからね」。 楽しいことも戸惑いも、すべて、成長のブースターにしよう。 明日は仕事が待っているョ。
昨日の私、一日中、戸惑いの中で泳いでいた。 悲しいときには涙が出た。
私は泣くのはなぜだろう。 涙って何かな。
保育園の赤ちゃんは、お尻が汚れた時に泣く。びっくりした時や痛い時にも泣く。泣いて自分を訴える。 赤ちゃんが泣いて自分を訴えるのは、言葉を学ぶ前だから。
私も自分の気持ちを言葉に表せないときに、涙が流れてくるのかな。 私は一番小さな方法で、自分を訴えているのかな。
大人だって泣いてもいい。そして、今は言葉を知っている。 心に感じたことを言葉にして、自分を伝えていければいい。 心に感じたそのままを自分の言葉で語っていけるのが、今を生きる大人の私だろう。 疑問も戸惑いも、感じたままに語っていこうとすれば、もっと成長できるだろう。
力や権力に怖いと怯える私を卒業して、もっと楽しんでみたいな。 不安定な私を卒業して、“初めて”を楽しめる私を持続させよう。
「私の心が辛い時には、社会が決めたルールに背いてもいい」。
いつもいつも、分かるまで質問して、ゆっくりと語ってほしいとお願いして、私の心に浸透した言葉を、ゆったりと伝えていこう。
今日から又、一つ一つ、整理していこう。
・・・次回裁判は、6月9日13時20分・・・
「第1回口頭弁論」 名古屋簡易裁判所3号法廷。
席に座って、まず始めに、私の書類のミスを2箇所訂正しました。 その後、証拠書類の提出を求められたのですが、すぐには見つけられず、後日提出ということに・・・。 それから裁判官に、「今日は話し合いは無理なので、司法委員を交えて和解の話し合いをしては?」と勧められ、いいか悪いかが分からないので、とりあえず流れに乗る形で、別の部屋へ移りました。
和解を取り持つ司法委員は、「僕は調停委員を10年務めました」「実は、僕は今朝、あなたの和解の相談を頼まれたから、あなた達の事情は良く知らない」 「始めに、いざこざがあったの? お互いに歩み寄って、円満に解決しましょう」と仰いました。この言葉は、3月23日の調停の調停委員とほぼ同じです。私はちょっぴりがっかりしましたが、気持ちを言葉にすることが出来ず、とりあえず話をしてみることに。 司法委員は時計をちらちら見ながら私と話をした後に、“本命の話し合い”があるからと部屋を出て行かれ、続いて、相手の方と話をした後、再び私達の部屋へ戻ってこられました。 そして今度は、「裁判が終わったら、このことに関して誹謗中傷しないという約束」と、「支払う額は・・で、名目は解決金ということで、円満解決できます。どうですか?」と。 私は、他者のことを理由もなく中傷する事はありません。けれども、解決金という名目で、私にあった事実をうやむやにされてしまうのには、頷く事が出来ませんでした。 私がNoを伝えると、司法委員は「普通はここで和解するんだけど、意地になってるね。頑なだ」「けんかを売りたいわけじゃないでしょ」と言って、困ったような、おかしな表情をされました。 裁判所という場所で、そのような言葉を言ってもいいのかな。何よりも、司法委員は私のことを何も知らないのに、どうして和解を勧めるの? 社会が権力やお金で事実を隠してしまうのなら、目に見えない奥深いところで、マイナスは広がり続けてしまうのに。
和解の相談を断ったので、本裁判へ入ることになりました。 本裁判の日にちを決める為にもう一度3号法廷へ。2度目の椅子は、一度目の時よりも、幾らか心が楽でした。 ところが、弁護士さんや裁判官さんの言葉が難しくて・・・。私は怖かった・・・。 それでも私は、相手のペースを利用して戸惑って、私のペースを守ろうとしていました・・・。だから、何度でも質問をして、質問の意図を考えて、安易に返事をしてしまわないよう、十分に注意を払っていたのです。返事が延びてしまった分だけ、皆さんを待たせてしまったけれど、でも、今日のところはこれでいいのです。
ふ〜。ここまで出来た。歩いてこれた。 口頭弁論の第1回目とは、お互いの主張を確認して、和解できるかどうかを見るということかな?!それにしても、法廷の中は、専門用語が分かりにくい。法律の専門家さんも、私達素人に分かりやすい言葉を使って下さるといいのにな。
次の法廷は6月9日13時20分。 次回に向けて、またまた Go!
民事裁判・第一回口頭弁論が、二日後に近づきました。
社会のしくみや言葉に傷ついた、小さな過渡期でした。
伝えたいことはただ一つ、私の持っている事実のみ。
あさって、私自身の為に法廷に立つ。何が見えるかな。
今夜は、小さな私に「待っててね」と言いたい。
「待っててね」 名古屋簡易裁判所の外観を見てみよう。 アクセスはどうかな? 傍聴の手引きって何かな?
心の傷を癒す作業に利用している本『インナーチャイルド』を読んでいて、P267・7行目に書かれている、「あなたが乳児期の欲求を満たしていなかったり」という一行が心に止まりました。
私は、今、ここに居る私を、ありのままに愛します。 この体も、心も、髪の毛一本からつま先まで、私にとってかけがえのない、大切なもの。 肌に出来た小さなしわも、先の割れた爪も、全部、“私”です。
生まれてきてよかったねと、何度でも自分に伝えます。
明日も、すなおな“私”を楽しんでいきよう。 *やわらかさを育てよう*
お向かいの家に咲いていた「てっせん」。私の手よりも大きくてびっくりしました。
ベトナム研修生さんたちの寮へ遊びに行きました。ベトナムの女性は、いつ見ても、みんな素朴でかわいい。私は彼女達のかわいらしさが大好きです。 今日はベトナムの歌を歌っていただきました。聞くところによると、ベトナムにも歌舞伎があるそうで、何と歌っているのかはまったく分からないのだけど、リズミカルな調子に歌舞伎のイメージがわきました。 私も家でベトナムの歌を歌います。まだまだ、へたっぴちゃんですが、歌を歌うと発音の練習にもなり、歌った分だけは歌えるようになっているから・・・・不思議です。
今日訪問した会社の一部の方は、来年の夏にはベトナムへお帰りになる予定です。出来れば私も、彼女達と一緒に、ベトナムへ飛び立ちたい。 今年に入ってから、怪我をしたりパソコンが壊れたりして、貯金が底を付いているけれど、一年後の目標が現実になるように意識して生きていこう。
もう1つの近い未来へ行ってみよう!
テレビで、中国・チベットの農村地帯の生活や民族のことが放映されていました。 広い田んぼの苗は今も手植えで行われ、生活では古くからの伝統を重んじ季節の儀式を大切にしていると語られていて、見ているうちに、日本の考え方と似ているなと思いました。日本人は、私を含めて自分を過小評価しやすいのは、子どもの頃に、自分の感覚を否定され、一人を楽しむより前に集団で生きることを要求されてきたからですが、アジアの他の国でも、同じことが言えるのかな。 家庭も職場も、一人の人の集まりだから、そこに居る人がいつも足並みをそろえて進んでいこうとすると大変です。
そして私は自分であることを肯定して、人生を遊んで成長して生きよう。 先を見て生きるのは楽しいもの。先を見る私の変化していく様子も楽しいもの。 もっと心を安定させて、いろんな変化を楽しんで生きよう。
道路わきに植えられた花畑を見つけました。きれいで可愛すぎて、どうにもたまりませんでした。
おはなばたけ ひめきんぎょそう おにげし ひげなでしこ やぐるまぎく ネモフィラ なでしこ なでしこ(可憐すぎるので、別枠へ・・・)
3人の女性のお宅へ遊びに行きました。子どもさんの心に耳を傾けられ、ご自分を生きようとするお母さんの語りは、子どもを置いてきた私にとっても、興味深いものでした。3人のうち、お2人のお宅では、お父さんは心とは違うところを見ていらっしゃるようでしたが、大人は、子どもが小さいうちは、子どもの防波堤になって、動きを手伝っていくと、大人も成長していけるのですね。 社会の最小単位・家族。家族の中では一番力が強いお父さん。その次のお母さん。お父さんもお母さんも自分の心を大切にして生きていたら、そこで育つ子どもさんも自然に、自分の心を大切にし、人としてやさしく育っていかれるのです。 そして、心を大切にして生きる家族が集まって、心を大切に出来る社会へと広がって・・・日本という国が少しずつ、やさしい日本人の集まりになっていくといいな。
そして私は毎日毎日を大切にして、心の傷を癒していこう。
れんげ畑 ミツバチのお食事タイム
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