「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年04月28日(金) まりの麩

 季節の楽しみを二つ味わいました。一つ目はよもぎの葉の香り。特に葉の上の方にあるやわらかい葉は、よもぎ特有の香りが手に持っているだけで伝わってきました。うれしいうれしい。
二つ目。玄関先に植えられているキウイの木にピンク色のつぼみが付いていました。キウイのつぼみは上品なお吸い物に浮かんでいる“鞠の麩”のよう。見ているとくすぐったくなるくらいにかわいいのです。うちにはキウイの木が3本ありますが、今回つぼみをつけたのは2本。残りの一本につぼみが付けば、来年は実がなるかもしれないそうです。実が付けばうれしいけれど、今はそれよりも鞠の麩がかわいくてかわいくてたまりません…。


 感じたままに動いていると、とても楽。いつもいつも、素直にありのままに生きよう。

Baseballへ行ってみよう!



2006年04月27日(木) プラスのつながり

 今の世の中は、起きた出来事に追われるか、事実に蓋をして見えなくしてしまうことが多い。だから、その時はうまくいったとしても、時期が過ぎると又同じ出来事の処理に追われている。
 保育園でも同じことが言える。出来事の処理に忙しい。
小さな子どもは、みな、大人のしていることを見て真似て、大人に近づいている。
だから、私たち大人は、丁寧に生きていけばいい。丁寧さは自分に向けてあげる、本当にそれだけでいい。そして、小さなお子さんは丁寧に生きる大人の社会を見ていられればいいのだから、いたってシンプルだ。それに加えて自分への楽しみも加わるから、プラスは自然に繋がっていく。

 子育て支援センターのサークルでお母さん方から質問を受けた。社会の間違った価値観の中で苦しんでいる姿だった。
私は、お伝えしたいことは持っていても、私の考えは園の考えとは違っていて、私が自分の思いを伝えたら結果的には園の方針を否定することになる。私は仕事としてそこに居ると思うと、自然に言葉は小さくなった。

これからはこのような質問を受けることが増えるのだろう。
私は自分に何が出来るかな。自分がそこに居ることの意味は。社会の方針に沿ってそこに居たら、過去と同じことだろう。

私も私の感じたことを大切にして、丁寧に生きていこう。


2006年04月26日(水) 安定

 頭に浮かんでくる思いを書いていたら…。
ひとつ書いて、すぐに次の思考が浮かんできて、浮かんだ事を書くとまた次に浮かんできて、いくつかのことを書いているうちに、あれ?と思いました。きりがありません…。
私はいつも、自分に浮かんだ一瞬の思考をひとつひとつを大きく広げているようでした。
 思考は2万回浮かぶそうですから、浮かんだ思考を全部広げていたら、頭の中が大変で、自分が何をしているのかが分からなくなってしまいます。
それに、考えている間はそこに止まっていますから、考えることに忙しくて、“する”をする事から離れてしまうのです。
プラスのことを1つすると、自然に次のプラスが浮かんでくるのだから、いつもいつも先のことをしていくといい…
と、知っているのだから、もう一度楽しんでいこう。 



「保育園」
 保育園の廊下を歩いていたら、6歳の子どもさんがそばへ来ました。私の膝にあがって胸の中にすっぽり納まるように座り、顔をペタッとくっつけてきました。それからは目が合うたびに子どもさんの数が増えてきて、体の反対側には二人のお子さんが「まだ行っちゃだめ」と言って首にしがみついたまま。この空間は好きだけれど、優先順位がありました。
「又くるね」と言うと「いつ?」と。確かではないことをうっかり言ってしまった自分を反省しながら「明日来るね」と伝えました。

私は約束を守りたい。明日も保育士さんの動きの妨げにならないよう意識しながら仕事を楽しみます。

 今の社会は、大人も子どもも、心が満たされていないように見えます。そして私も、今はまだ過去の不足部分を補いながら、プラスに生きている心友を見本にしつつ、自分を育てている最中。感じるままをそのままに感じて動き、プラスの自分をもっと安定させていこう。


2006年04月25日(火) 真実

 出勤前に接触事故を起こしました。
側道から大通りに入った時にしっかり確認しなかった私の過失です。
ぶつかった瞬間、言葉が出ませんでしたが、体は大丈夫。相手の男性と警察へ行き、事故処理をしました。
 夕方仕事を終えて、車を板金屋さんへ持って行きました。
お店の方に「私の過失なんです」と言うと、「いさぎよく謝るから偉いよ」と。過失を認めることは珍しいことなのかな。でも、事実の通りだから、他の言葉は見つからないくらいです。
お店の方は保険の仕組みを細かく説明してくれました。説明によると、事故の状況にかかわらず、保険を使うと等級が減っていくそうです。私の等級は減りました。でも、仕方がありません。そして、丁寧に生きる意識があると痛切に感じました。
 事故の直後は驚いている自分のお世話で精一杯だったので、お店から相手の方に連絡をした時に改めて、「今朝はごめんなさいね」とお伝えしました。そして体の具合をお尋ねしたら、「大丈夫です。あなたは?」と言ってくださいました。自分を認めていくと、間違えた側にさえ、やさしい言葉が返ってくるのですね。
 

「職場」
 給料日、怪我をして2週間も休んだのに、給料は減ってませんでした。
園長に尋ねると、基本給は最初に出してもらった金額の間違いでいくらかUPし、さらに「保育園では市からの傷病手当の権利があるから」と。
基本給の件はいいけれど、傷病手当が1週間、しかも有給で当てられた事に驚いてしまいました。
入職してすぐに配布された20枚の有給。2週間も休んだのに減らない給料。
枝の先の方とはいえ、私は今は、市の職員。過去に大きな病院に勤めたこともあったけれど、こんなに待遇のいい場所は初めてです。自分が勤めている職場だけど、こんな待遇を受けてもいいのかな。これは資格があることとは別の問題ではないのかな。
私よりもたくさん働いても、少ししかもらえない人は居るはずなのに。
一瞬、頭にベトナムの女性たちの顔が浮かんだ。やはり、何かが変だと思う。


BaseballへGO!


2006年04月24日(月) 私に

 自分を生きることに必死になると、やさしい生き方とは少し違ってくるみたい。
私に耳を澄ませて、ありのままに動いていく。
私の望むものはたいてい社会や親に要求されてきたものとはちがうもの。
だから、意図的に動こうとすると、力が入って力んでしまう。
何が出来ても、心を忘れたら出来るということが自分にとってマイナスになる。

野球も仕事もゆったりがいい。
これまで出来なかったことを、ゆったりと、私にやらせてあげる。
丁寧に丁寧に、私に伝えてあげる。
もっと自分を遊ばせてあげよう。

新しい試みのために、ひとつ、宛名書きをした。
新しいことをしているとうれしくて、背中がくすぐったくなる。生きることって面白い。

ほんの少し足を伸ばして Baseball へ行ってみよう。


2006年04月23日(日) 羽ばたいて

 休日。今日はうれしいことが3つありました。
1つ目は久しぶりに部屋の掃除が出来たこと。以前から、掃除やたんすの中をきれいにするのが好きでしたが、以前のは“きれいにしすぎ”だったかな。今日は足の怪我をして以の掃除機だったので、とても気持ちがよかった。
2つ目は、パソコンのEXCELで家計簿を作りあげたこと。関数の入力が難しいと思っていたけれど、ようやく私なりのシンプルなものが出来上がりました。自分で作りあげたものはうれしい。今日から毎日貯金箱をあけるのが楽しみです。
3つ目は久しぶりの公園で運動が出来たこと。少しずつ再開している Batting と Pitching に加えて今日は軽く走ってみました。今はまだ、足を地面につけたときの振動が骨に響いて痛みます。でも、日に日に回復しているのを感じられて、何よりも、Batting も Pitching も、怪我をする前よりも力が抜けている自分を感じられてうれしいのです。
怪我はしないほうがいいけれど、適度な充電期間だったのかなぁ。
夜は久しぶりにテレビで野球を見ました。ピッチャーの動きを研究して、上手に投げられるようになりたいな。


 本日2006年4月23日の朝日新聞朝刊に、「世界の中の日本」というタイトルの記事が載っていました。内容は、正義の戦争をしたアメリカのこと、戦後50年アメリカのあとを追ってきたと言われている日本のこと、そしてこの頃注目されている中国や韓国のことが書かれていました。
記事の内容から日本という国は、経済発展を望んでいる多くの国の目標になれる位置にあるようでした。
けれども、私はまだ、自分の国について知らないことがたくさん。そして心を忘れている今の社会を思えば、例えばベトナム人の女性に、日本はこんなに素敵な国よとお伝えすることが難しい。ベトナムの女性たちを見ていると、日本人の会社は乱暴でごめんなさいねという気持ちにさえなってしまいます。
 ちなみに、日本の女性が22歳から60歳まで38年間を正社員で働き続けると、2億5,700万円の賃金を得ることになるそうです。
どれだけたくさんのお金を得ることが出来ても、心を忘れて生きていたら、お金がなくなった時に自分も一緒に消えてしまいます。お金を基準にしている社会に自分の基準を合わせたら、私がどこに居るのかさえ分からなくなってしまいます。

だから、こんな感じでいいのではないかな。
社会が変わっていくのを待っているよりも、私が育っていけるように生きるほうが早くて楽。
私の中にはもっともっと素敵な何かがあるよね。たくさんの引き出しを開けて、自分にあるものを見つけてみたい。
自分を愛するって、こういうことかな。
一人でゆったり生きよう。成長のためのブースターはいつも私のそばにあるよね。
いつも大きく羽ばたいて、自分を愛する日本人になろう。


2006年04月21日(金) 服薬のお手伝い

 お昼前、アレルギー体質のH君が、いつものように、専用のお茶が入った水筒と2種類のお薬を持ってやってきました。
H君に「何のお薬を飲んでいるの?」と聞いてみると、H君はわからないと言いました。H君は今年6歳になるそうです。私は、H君の返事を聞いて、H君は毎日薬を飲んでいる自分の体のことを知ることが出来るといいなあと思いました。そしていつもは名前を言って口をアーンと開けて待っているH君ですが、今日は自分でお茶を注ぎ、薬を取り、最後に自分の名前と一緒に私の名前を伝えてくれました。
 私は自分の子どもに強いアレルギーはありませんでしたが、毎日同じように服薬をお手伝いするコマを、自分の体と長いスタンスで向き合っていけるように手伝っていけるといいなと思います。そして私は、いつもどこでも、自分がそこにいることのプラスを意識していられるよう、周囲に流されず、私の心を大切にして、此処に生きています。


2006年04月20日(木) 視線

 子育て支援センターで地域の赤ちゃんとお母さんが集まる会のお手伝いをしました。
 1歳半の男の子がハイハイで滑り台を上下して、両方の手の平がペタペタいう感覚を楽しんでいました。
しばらくすると、ある一転を見上げて立ち止まりました。何かを探すように静止したその視線の先の壁には、太陽を浴びたカーテンから不思議な光が出ていました。私の目に映った光は、風は吹いていないけれど、私の体の小さな動きでゆれました。男の子の目には、どのように映っているのかなぁと思いました。私が男の子との傍に行こうとしたとき、男の子は光に向かって歩き始めました。いつも、好奇心を持って眺めるその先に、私達が生きていくために必要なものがあると思います。


2006年04月18日(火) 心で捉えて

 今日は転んで膝をすりむいた男の子が連れられてやってきました。擦り傷は小指の先ほどの小ささです。
二人で傷口を洗いに行きましたが、処置が終わっても、男の子は黙って立ったまま帰っていきません。しばらく後、私たちは二人で傷口に薬を塗ることにしました。
彼の視線の先には、保育園愛用の漢方薬。私は綿棒の先に漢方薬を少し付けて、彼の傷にちょんちょんと当てました。すると男の子は「またね」と言って帰っていきました。
実はこの漢方薬は、塗った後にガーゼで保護する事と書かれてあるのです。傍で見ていた保育士さんが私に「あの薬の使い方は違うよ」と言いました。そう、違います。私は「そうですね。」と言いました。頭には「またね」と言って帰っていった彼の表情が浮かびました。それから(傷口は自分で治っていくのだから、時にはこんな使い方も許されるのではないかなー)と思いました。彼が自分の傷が治っていくのを楽しみに出来るように話をしたいなぁと思いました。
 昼休み、今日は保育園へ就職して初めて、園の会議室で休み時間を過ごしてみました。
タイムスケジュールの関係から保育士さん達の休み時間はさまざまです。今日は食事をしながら会議をする人と本当に休憩している人がいました。私は部屋の隅の畳に足を伸ばし、四隅に纏められた荷物と並んでお弁当を食べました。休憩室が狭いのです。そこへ保育に使う道具と個人の荷物が詰まっているのです。そこに居る自分もひとつの荷物のようです。食べている傍を通る職員さんは「ごめんねぇ」と言い、私は「荷物と化している」と言いました。
窓からは隣の家が見え、家と家の隙間から空が覗いています。向こうに広がる空をもう少し見たい気持ちに駆られました。足の怪我が治ったらまた外の景色の中で休憩を取ろうと思います。
それにしても、保育園の中の大人は皆さん忙しそう。私も仕事はありますが、皆さんとのペースが違うようです。私の動きがとてもスローに見え、名前を呼ばれて「はぁーい」と返事をしている私自身を「私ほんとに仕事してるかなぁ。大丈夫かなぁ」と思います。いつもこのような返事のせいか、今日は「一番声を掛け易い」と言われました。
保育士さんが忙しいとき、私も手伝いをします。「Mamoさん、仕事お願いします。あれとこれと・・・」と書類が届きます。今日も書類の作成を1つ頼まれて、帰るまでに出来るかわかりませが出来るところまで作ってみようと思って始めたら、いつの間にか面白くなって、全部出来上がりました。
出来た書類を持っていくと、別の保育士さんが「早いねぇ」と言いました。私には早さ遅さの基準はありませんが、楽しんで、早く出来た。面白いと思いました。
次には何が出来るのか楽しみになりました。
 昨日から朝の時間帯に保育日誌を持って各クラスを巡回しています。保育士さんの書いた当日の子どもさんたちの様子を読んで、私の日誌に記入して歩くのです。この時間が、保育士さんと私とのつながりの始まりのような気がします。
でも今はまだ痛む足を引きずりながら、「このクラスの担任さんは誰だっけ?」・「あれ?このお子さんはこのクラスだったの?」と、右往左往している私です。
責任者の方から「保育日誌はどう?」と尋ねられました。「うーん、まだ二日目なので、なんとも言えません」軌道に乗るまでにはもう少し掛りそうです。
社会で働く私。社会の動きを、私の心を通して捉えていこう。成長する場所は、いつも、小さな変化を繰り返している。今はその過程の中に居る。同じところに止まることを止めて、私の自分の心のままに、新しいことに取り組んでこう。


2006年04月14日(金) 菜園

 昨日の午後、庭にトマトときゅうりの苗を植えました。小さなスコップで土を掘り起こすと、ミミズが二匹出てきました。ミミズが住んでいるのは土が元気な証拠です。ミミズをやさしく地面に戻してそっと土をかぶせ、苗を植えた場所にはお水をたっぷり注ぎました。そして今日は、苗のそばに、3本の支柱をしました。去年までは、夏に訪れる台風の前に慌てて支柱をしていましたが、今年はいつもよりも早めに、そして丁寧に支柱つくりをしました。丁寧に作った分だけ、きれいに出来上がった菜園を見て、嬉しくなりました。
どんな形の野菜ができるか、楽しみだな。


2006年04月11日(火) 好奇心

 今日はベトナムの研修生さん達の日本語教室へ行ってきました。
皆さんは日本語で自己紹介を、私も後から、ベトナム語で私の紹介をさせて頂きました。ちなみに、この頃は、やさしく丁寧なベトナム語を話せるように、意識しています。
授業の中で、一人の方がテレサテンさんの歌を歌ってくださったのですが、こちらはホントに澄んだ歌声で、びっくり。まるで歌手のようでした。きれいな声を聞きながら、彼女もご自分の好奇心で、素敵な歌声を育てていかれたのかなぁと思いました。
 それから、「969,696,969,669」の数を読む練習をしました。研修生さんは、最初はうまく言えませんでしたが、練習しているうちにみるみる上手になって来て、うまく言えるようになった表情がとても嬉しそうでした。そして、私もベトナム語で挑戦。最初はうまく言えなかったけれど、何度かやっているうちに、いつの間にか言えるようになっているから、う〜ん、不思議不思議・・・。

 明日は仕事へ行ってみよう。
私に出来る事があれば、いいなぁ‥。 


2006年04月09日(日) 自分育て

 今日はベトナムの女の子達のところへ行きました。台所に集まっておしゃべりしながら料理を作って、それから皆さんと一緒に食事をしながら話をしました。一緒に食事して話をしているだけなのですが、素敵な国際交流の場所ではないかな・・。
それにしても、皆さんの名前一つ一つも丁寧に聞いてみると、すこーしずつ音が違うのです。私は皆さんと同じように言っているつもりなのですが、私の口元をジーッと見ていて、きれいに言えるまで何度も何度も伝えて下さるのです。
そして、上手に言えた時には、「うれしいんだなぁ、これが…。」
しばらく続けていると、口の中の筋肉が疲れてくるのですが、ホントにホントに面白い。

 ところで、研修生さんは普段夜遅くまで仕事をされているようですが、中には朝5時に起きて日本語の勉強をしている方もいらっしゃいます。お会いするたびに日本語が上手になっていて、日本語が上手になっている分だけ、心も落ち着いていらっしゃるようにも見えました。彼女の嬉しそうな表情を見て、どこからでも自分を育てようとすると、育っていけるのだなと実感しました。

 社会には、自分育ての見本がいっぱい。
私も、もっともっと自分を育てていきます。
いつもいつも、これからこれから、いつもいつも、楽しみ楽しみ。
私はいつも、今の自分を大切にします。


2006年04月07日(金) 言葉

 あたたかい一日。
コーヒーを片手にキッチンの窓を開けて日向ぼっこをしていたら、春の陽気に心も体もとろけてしまいそうでした。ほんとに気持ちのいいひと時で、ついでに右足にも栄養が行き渡るように、お日様であたたかくなった手で右足を包んで暖めて、気のせいかな…、また少し回復したような気がしました。

 ルームメイトと“言葉”について語り合いました。いつも自分を丁寧に語ろうと取り組んでいるけれど、それでも急いでいるときには早口になったり、間違った想像の世界で生きている時には、自分でも嫌になるくらいに、マイナスの言葉が出てくるもの。

でも、私の心のあり方で言葉も代わってくるから不思議だな。
私が私の心を通して語る言葉は、自然にやわらかくなっているのだから、面白いな。
この心地よさ、好きだな。
こんなにもソフトで心地よいから、いつまでも続けていられるのだろうな。
もっともっと、たくさんたくさん取り組んでいこう。

いいなぁ。もっともっと、やさしくなろう。


2006年04月06日(木) 自分探し

 私は今日、自分を語り、自分を知り、心の底から安心しました。
自分が苦しい事を知ってから今日まで、心を見つめ自分を知ろうとしてきた事を、良かったと思う。

自分が持っているものを、プラスもマイナスも含めて、そのまま肯定し、
マイナスをプラスに変えていく作業に取り組んでいこう。
進めていこうとする自分なら、まだまだ、今よりもやさしく育っていける。

私はまた、自分探しが好きになった。
いつもいつも、自分の心の探求だ。

やさしい自分探しをしよう。


2006年04月04日(火) 視点

 小さな事に巻き込まれて、自分を見失っていました。

まだまだ不安定な私なのに、小さなずれから目を逸らし出来た部分だけを見ている間は、自分の人生をマイナスに引っ張っていたのだと実感しました。今は、自分をプラスに導いていけるのは自分なのだと強く思います。
そして、私は、自分の心に正直に生き、もっともっと自分を育ててみたい。
だから、もっともっと丁寧にこつこつ自分を見つめ、ありのままの自分から眼を逸らさずに生きていきます。

そして、あっちにもこっちにもある新しい世界を、自分の心で広げていこう。

 


2006年04月03日(月) 自分にやさしく

 今日も昨日に続いて朝5時半に眼が覚めました。運動量が少ないので睡眠も少しでいいのかもしれません。けれども今日は病院へ行く日だったので、早くにご飯を食べて、朝一番に病院へ行きました。
 病院の中はご年配の方がたくさん待っていらして、椅子が空いていなかったので杖を支えにして立っていました。すると、鼻に酸素チューブを付けたご老人が席を立って椅子を勧めて下さいました。私はその場で名前を呼ばれたので、椅子をお借りする事はありませんでしたが、私よりも手足が自由になる方は、私を見て手伝ってくださったので、移動しながら「ありがとう」という言葉が自然に出ていました。
 右足の具合は、二日くらい前から、痛みが引いた分だけ動きが大きくなっていて、ギプスと足が擦れて当たって赤くなっていたので、ギプスを半分にしてみたいとお願いしました。
それに、私の感覚では、ギプスの先から見えている親指が楽に動かせるようになったから大丈夫かも・・と思っていたのだけれど、裸になった足を動かすと少し痛みがあったので、もう一度ギプスのお洋服を着せて、ゆったりのんびり過ごします。


一番やさしく動けるように、自分を楽しもう。
自分を大切にした分だけ早く治るからね。


2006年04月02日(日) 丁寧にやさしく

 今日は5時半に起きて、久しぶりにベトナム語を勉強しました。最近は勉強できた単語がかなり増えてきたので、今は自分の為に、分かりやすい単語帳を作っている最中です。単語帳用に買ってきたノートは高校時代に使っていたような英語練習帳。一枚一枚にたて線を引き、ベトナム語の単語を並べていきます。ベトナム語は発音記号によって、全く違う意味のものになるので、小さな記号がすぐに分かるように、大きくきれいな字で書きます。
1ページ目に線を引き、そしてページをめくって又線を引き、同じ作業を一枚ずつ進めているうちに、自然に積み重なっていく様子が面白いと思いました。
どんなことも、丁寧に1つずつ進めていくと、進めた分だけは出来上がっていくのです。

 夜はベトナム研修生の女性たちの寮へ遊びに行きました。
ベトナム研修生さんのいる場所はいつもやさしい空気が溢れていて、話をしながらベトナム語の勉強が出来るので、うれしい楽しい時間です。

いつも、自分に、ていねいにやさしく生きよう


2006年04月01日(土) 孤独なひととき

育成会

「自分を見つめるときは孤独になって」という話が出ました。
社会では,
孤独というと寂しさを思われがちですが、私は、孤独な時間を作って自分を見つめるのが好きです。
それでも時々、社会の波に流されて、そして心の傷に巻き込まれて、気が付かない間に周囲と比較している自分もいます。
今考えれば、社会はマイナスだと感じていながら、どこかで、マイナスの現実から眼を逸らしたままバーチャルな世界を探していたみたい。そして、理想を追いかけるのは終わりです。今夜は、部屋にある貼り紙を全て剥がし、そして新たな能力を取り込んで・・・。
今日から又、振り出しに戻り、自分の心をていねいに見つめます。

私の人生は自分の動いた分だけが自分のプラスになり、自分の人生になるのだから、
私が毎日を丁寧に丁寧に、自分の為に生きていると、作り上げていけるのです。


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