「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年03月31日(金) 裁判所のクモ

 名古屋簡易裁判所へ行ってきました。
裁判所の中はどちらかというと静かに静まり返っていて、白い壁にはクモが這っていました。
クモは足が十本ですね。傍にあった通気構から遊びに来たのだろうけれど、白くて冷たい壁に貼り付いていても、お腹が空いたらえさを探しに行くのかな。
餌にたどり着くまでには程遠そうだから、帰りにお外に返してあげようと思っていたけれど、自分で所用を足せたことの嬉しさのせいか、すっかり忘れて帰ってきてしまいました。


 右足ちゃんは、経過良好と見えて、ギプスから出た親指の先を上に向けてあげても、それほど痛みを感じないようになってきました。でもおかげで今日は、杖を付かずに普通に歩きすぎて、両膝と腰が痛くなってしまいました。大事にしてあげると回復が早いと分かっているのに、ついついいつものように動いてしまうので、いけません。もうしばらくは慎重に慎重に・・・。
 シャワーは今夜で3回目ですが、こちらも上手になりましたョ。
何しろ、湯上りのバスタオルを浴室に持ち込むのを忘れなくなりましたから・・・。

「今思うこと」
ニュースでは、当然有罪になると思われる人が無罪になっていて、囲まれて隠されて見えない世界の大きさや、古くからのしきたりにあるマイナスの世界を感じます。
けれども、私は、マイナスの中にある小さなプラスを見つけていけるよう、自分を見つめて生きていきます。


2006年03月28日(火) 基準

 ギプスの足が楽ちんで嬉しい朝。雨がやむのを待って、病院へギプスチェックに行ってきました。
診察室に入ると、昨日の看護婦さんに「どう?」に尋ねられ、「すっごく楽です」と答えました。
もう一人の看護婦さんは「顔がニコニコしてるから分かるよ。撒いてよかったね」と言いました。
看護婦さんと話をしていたら、医師がやってきてもう一度「どう?」と。
私は「昨日までとは比較にならないくらい楽ちんです」と言うと、「そっか。じゃ、やっぱり、どこかおかしかったんだな。撒いて正解だったんだねぇ」と。
(先生、その言葉はちょっと変ですよ)と思いつつ、でも、撒いて正解だったから、自分の感覚を基準に動けてよかったなぁと思いました。
医師は最後に、「痛くないからと言って、足を付いて歩き回らないでね」と言いました。そうですよね。足の代わりに杖を付いて、自分を楽しみます。

ところで、ギプス足にビニールをかぶせてシャワーを浴びました。これが、大変に辛かった。
ギプスが濡れないように、浴槽の上に足を上げて、体はお風呂用の椅子に座って、体にかかった水が足に流れていかないように体を少しねじりながら・・・・。今日のお風呂タイムは過去最短。明日はもっと上手に入れるよ・・・。

Baseballへ行ってみよう


2006年03月27日(月) ギプスちゃん

 今日は、仕事が終わってから病院へ行き、ギプスを撒いてもらう予定にしていました。
職場では、ギプスの足では乳児クラスに入れないように思えたので、園長と主任さんに足の具合を説明して、「早く治したいのでギプスを撒く事になると思うのですが、明日から乳児クラスに入れるかどうかが分からないのです。でも私はできれば出勤して私に出来る仕事をやらせて頂ければと考えています」と伝えました。実は主任さんとは、入職後の引継ぎの中でいくつかの書類作りを約束をしていたので、今回の怪我は不可抗力とはいえ、主任さんとの約束が先延ばしになってしまった自分が残念でした。足が治ってから自由に動けるようになれば、いくらでもやっていく事が出来ますが、約束を先延ばしにしてしまったのは私だから、「迷惑をかけてすみません。もう少し待っていてください」と謝罪しました。すると主任さんは「ゆっくり休んでね」と言って下さいました。
園長と主任は結論として、「階段の登り降りが大変そう。出来ればゆっくり休んでもらって完治してから来てもらいたい」と仰いました。
私には筋トレになるからいいのだけれど、でも、病院へ行くまでは確実な返事が出来ません。「又連絡させて頂きます」と伝えてから、退社しました。
 病院では、医師は、「家でじっと寝ておけばいいよ。僕が同じような怪我をしたら、ひたすら足を使わないようにして頑張るなぁ」と。そうなのです。大きな怪我ではないから、ゆっくり静かに動いていれば大丈夫なはずなのです。
でも、それよりも痛くないように歩くのが大変。それに人間って足を浮かせなければ歩けないのです。足を上げたときに何かのはずみで起こる痛みには泣きそうです。
だから、やはりギプスを撒いてもらうことにしました。
ベッドに足を上げて生ぬるいギプスが足に巻かれていくのを見て、これで痛みをカバーしなくても楽に歩けるようになると思うとホッとしました。
 松葉杖を付いて外に出たら、不安定な歩きとは逆に、ますます心がホッとしました。バッグの中には14日間の診断書。診断書が出ていても、状態がよければいつでも仕事にいけるという話だから、とりあえずギプス歩きに慣らして、そこから考えていくことにしようっと。

 ちなみにギプスを巻くのは2度目で、1度目は小学校3年生の冬の事でした。雪道で転んで右肩の骨を骨折しました。ギプスが取れるまでお風呂に入れなかったので、もともと不潔にさせられていた私の体は、最後には悪臭を放っていて、傍に居るお友達が困っていたのを覚えています。
私の親は怪我をして痛い私の心に共感し、「痛いね」と肩をさすってはくれませんでした。
でも、私は今は、自分の心に耳を傾け、自分のぬくもりで痛い部分を温める事が出来るのです。

私って凄いなぁ。ギプス生活を楽しもうっと。


2006年03月26日(日) ベンチでBaseball・ん

 稲永球場へ野球に行きました。でも、私は足が痛いのでベンチでヴィデオ係です。
今日はヒットが出て、得点を4点もゲット出来ました。すごいですね。私はヴィデオの画面を見ながら自分にシュミレーションをしていました。私の場合、いつも居る場所とは違う目線で試合を見ていられたことは、私自身の今後の動きに大きく繋がりそうです。試合に出られないのは残念ですが、今をきっかけに野球を目で勉強していく自分を思うと、新たな目が発掘されそうで嬉しくなります。こんな時にも自分育てを楽しむのです。BaseballへGo!

 試合の後、干潟へ行き海に居る鳥を見ながらお弁当を食べました。鳥がたくさん。そして遠くの方には、なんと、キリンがたくさん居ましたよ。びっくり・・・。えさは何かしら・・・。

 街路樹もすっかり春。道の端っこに小さな花が咲いているのを見つけると嬉しくなります。

キリンを見つけよう
コブシ(ピンク色がかわいい) コブシハクモクレンヒメオドリコソウ オオイヌノフグリ


2006年03月25日(土) み・・Mamoろう

 今日は保育園の卒園式なので、私は午後から出勤しました。
月曜日からは新しいクラスでの保育が始まるので、午後は新しいクラスの担任さんと一緒に部屋の大掃除をして部屋作りをしました。
 私は今年一年、午前中は保健業務を主とし、午後からは乳児クラスを兼任することになりました。乳児クラスの保育士さんは私の他に3名で、そのうちの一人は男性。彼は、子どもの育ちを手伝う男性になるのですね。
 自己紹介の時、Tちゃんという若い保育士さんが「どうしてMamoさんなんですか?子ども達を守るから?」と尋ねてくれました。これまで何度か自己紹介をしましたが、「守る」と解釈して頂いたのは初めてです。なるほど、守るのMamoちゃんもいいかもしれません。
いつも自分の心をMamoって生きていて、自分を見守りあたためながら生きていて、小さな子どもさん達を見守れるMamoちゃんを意識して・・・Mamoがいっぱいなのですよ。


 ところで足が痛いです。
 昨日、先日とは違う病院へ行ってもう一度レントゲンを撮ってもらったら親指の付け根の辺りの3箇所に小さなひびが入っていました。だから・・やっぱり痛いのです。病院の医師は「ギプス巻くかどうかの瀬戸際。足を使わなければいいよ。そんなの無理だねぇ。・・固定バンドだけでも痛みはなくなるから、バンドをして様子を見てもいいよ。どうする?!」と。
痛いからギプスを撒けば楽だろうなと思いつつ、ギプスを撒いたら松葉杖になるし、生活が不便になるからなぁ。そう思って固定バンドだけを頂いて帰ってきました。しかし、痛いものは痛いからやっぱり不便さはあるのです。
でも、靴を履いたりテープで固定すれば痛みがなくなるのですが、基本的に痛いから、残念な事ですが、明日の野球は
ビデオ係りを楽しむ自分を「み・・Mamoろう」。


2006年03月23日(木) 右足ちゃんの捻挫だねん

 3月21日夕方、天白川沿いの公園で遊んでいて右の足背を捻挫しました。
痛かった・・・。あまりに痛くて足を地面へ付くことも出来なかったので、一緒に遊んでいた心友の助けを借りて帰宅し病院へ行くのを手伝ってもらいました。
レントゲンの前、医師は診察の時に私の足の一番腫れているところを指で押して「此処が痛いの?」と聞いたので、私はびっくり。「いたぁい!」と悲鳴を上げて、(見ればわかるじゃないですかぁ〜)と思いました。そして診察の最後に「足に注射をしましょう」と言われて、もう一度びっくり。捻挫だけでも痛いのに足に針を刺すなんて・・それに怪我をしていたいのは分かっているから、あとは痛みと仲良くして過ごせばいいのです。ということで医師との何度かの押し問答の末、注射はなくなりました。 
 と言いつつ、これがけっこう痛い・・。私の部屋は2階なので、下に降りるには小さな決心が要りますよ。
 昨日は仕事を休んで半日ずっと足を上に上げて寝て過ごしていました。ところがベッドの中でどこか落ち着きませんでした。よく考えてみると、転んで痛かった瞬間の「痛いっ!」が心に残ったままだったのです。グキッとなった瞬間は痛くて泣きたいくらいだったのだけど、その後の動きの中で痛かった自分を置いてきていたのです。
大人だって痛いときには痛いから、まずは「足ちゃん、痛かったねぇ」です。不思議なもので、自分の心を知った後は、より一層痛みと仲良くしたい自分でした。
 さて、この足ちゃん、日曜日の野球までに治ってくれるでしょうか。今のところ、かかとや足の外側を付いてなら歩けるようになりました。今は右足ちゃんを一番大切にして、ゆっくりと歩きましょう。

ところで今日はアピタで車椅子に乗って買い物をしました。
車椅子に乗るのは初めての事ですが、普段とは違う視線で眺める景色は興味深いものでした。カステラ焼きの匂いは普段よりも速く鼻に届き、同じくらいの背丈の子どもさんとはニコニコと笑いあいました。
怪我をしたのは不便だけれど、いつもと違う事を経験できるのは面白いものです。



2006年03月20日(月) くすぐったさ

 今日は、1歳7ヶ月のT君が、30cmくらいのジャンプ台からイチニのサン!でジャンプして遊んでいました。
三日前の金曜日には床から僅か3cmくらい浮いて喜んでいたのに、子どもの成長は凄い。・・私のピッチイングもこんな感じに出来るかなぁ。
それにしても、着地に成功した時のT君の表情の満足そうなこと。着地した後、横目でチラッと私を見て、まるで「エヘン!」と言っているよう。私が「また、出来たねぇ」と言うと何やら返事をくれて又また何度でもチャレンジするのです。
 小さな子どもさんはこうやって遊びの中で認められ、心を満たしながら、自分を実現させられる大人に成長していくのでしょう。

 会議室では、一人の保育士が、「卒園式で保育士が歌う歌の練習時間が無い。皆が揃わない」と声を上げていました。楽譜を見てみたら、私も少しだけ知っている歌。傍に居た保育士さんに「一緒にうたってみたい」とお願いして2人で一緒に歌ってみました。歌も面白い。・・・何処かの山にでも出かけて子どもみたいに大きな声で歌ってみたいな。

 ところで今日は、主任さんに「Mamoさんはホントに毎日楽しんで仕事をしてくれているから、見ていて嬉しいわぁ」と言われました。
確かに毎日楽しい・・。子どもの世界を覗かせてもらえる瞬間がたまりません。
そして大人の世界でも、古い印刷機が稼動する時の飛び上がりそうな大きな音とか、給食室の様子とか、面白い事をたくさん発見します。
だから心から楽しいのだけれど、改めて伝えられて、背中がくすぐったい気持ちがしました。


2006年03月19日(日) 固定観念

 この一年くらいの間に、出会った幾人かのお母様方に対して、「母親も、お母さんである前に一人の人だから、辛い時には子どもさんから離れてもいい。離れたいと思っても、仕方が無いと思う」と語った事がありました。
子どもは自分が安心するまでお母さんの傍に居たいものだろうと思います。でも、お母さんも自分が辛すぎたら、例え我が子であっても、傍で見守り愛するまでにはいかれない。
そしてありのままを「それもありだよ」と認められる自分になれるなら、例えば私のように、本当に子どもと離れてしまわなくても、真に自分を愛して子どもを愛する大人に成長できるきっかけになるのではないかと思います。
そして、子どもの側も自然に自分の世界を広げて、親から巣立っていくのでしょう。

 親は自分の行動の結果として、我が子が健康に育っていかれるよう責任を持ち、いつでも子どもを愛する事が出来ればいい。
でも、社会に小さな評価があるために、母親が母親となった自分を楽しめずに(おそらく父親も)苦しいのだとしたら・・・。
私は、「親は子どもを愛するものだ・親とはこうでなければならない」という固定観念が、社会から消えていけばいいと、心から思います。


2006年03月18日(土) 眺め

育成会
 義務教育はどれくらい必要かという話をしました。
私の経験によると、どうやら「やってみよう〜」の延長で「できちゃった、やれちゃった」と繋がるようなので、育っていくとか成長するという言葉さえ、結果としてあるように思えました。さらに、学ぶという事を“教育”という言葉でくくって義務付ける必要すらないのではないかとも考えました。
つまり、義務教育は必要なく、興味を持った瞬間に、いつもそこからスタートでいいのだということになりました。

「向き合うという事」
 2年前、何も感じられなかった心が何かを感じるようになったとき、「感じる事が傷みや悲しみになる」と考えていました。
そんな時には、本当に小さな怒りや不安がとてつもなく大きなものに思えて怖かった。
けれども今考えてみると、私が本来の心を取り戻す為には、私は「痛みや悲しみを感じる自分」に出会った時、その時の自分に、自分の言葉で「感じてもいいんだよ」と伝え、胸の内であたためて癒やしていく作業を、何度も何度も繰り返し続けてくる必要があり、この過程がとても大切だったのだなと思います。
 例えば自分が苦しい時、私が世間一般にある「癒やし」に向いてしまうのだとしたら、私は永遠に自分の本当の心を知った自分と向き合うことは出来なかったことでしょう。

 私はこれからも人として感じる事の出来る自分の道を大切にして歩き続けます。そして時々通ってきた道を振り返って、やさしく眺めたい。
今は、自分の前に自分で道しるべを付けて歩いているみたい。


2006年03月17日(金) 大切なもの

 今日は、午前中に5歳のお子さんと一緒に眼科へ行きました。待ち時間や検査などで1時間半かかりましたが、○ちゃんは病院の中で、自分で小さな遊びを見つけて待っていました。
 お子さんの目は異常なかったのですが、帰りに、点眼をした時の綿花を持ち帰りたいと言いました。 
気持ちは分かりましたが、薬が付いているから保育園には持ち帰らないほうがいいみたい。お子さんに私の思いを伝えると、その子は「いやだ。目が痛いから持っとく」と言いました。私は少し考えてから、今度は「保育園の玄関まで来たらMamoが大切に預かっておいて、○ちゃんは目が痛くなったらMamoのところへくるという事にしよう」と提案してみました。
すると、此処から先に、私にとっては意外な展開が待っていました。
○ちゃんは、私の言葉を聞いたあと、独り言のように「いい、いらない。嫌いやだ。やっぱりいるいる」と呟いた後、今度は私から離れた椅子へ座って、黙って遠くを眺めていました。そして、しばらくしてから私のところへ戻ってきて「じゃ、いい。やっぱりもう要らない」と言って、目の前のゴミ箱にポイッと捨ててしまったのです。
「え?そんなのでいいの?」
帰り道、○ちゃんは私の小さな驚きをよそに私に近道を教えてくれながら、楽しそうに走って帰りました。 
小さな子どもさんが、私の目の前で、自分の心の葛藤をことばで表現して、そして、自分で結論を出して終了した。・・・子どもって・・・不思議だなぁ。この不思議さがたまらない。


 午後一番、会議がありました。
私は病院へ行っていたので、お昼の休憩と会議が重なりました。保育園では、食事をしながら話し合いをする事が定着しているので、主任さんは私に、「ご飯を食べながら会議を聞いていていいよ」と言いました。
 でも、会議と休憩は別のものです。私は一時間ゆっくり休憩を取りたいので、「会議の後で休みます」とお伝えしました。
 職員会議に出るのは3回目ですが、会議の内容は、「子どもさんの今の状態をどのようにしていくか」というようなものと、保護者さんに当てて出されるお便りの内容に付いて。そして今は来週末に予定されている卒園式に付いての論議が繰り広げられています。
 私自身は、卒園式やいろんなイベントは何の為にあるのかなと考えつつ、私の心を整理し、自分を大切にして、動いています。


2006年03月16日(木) 心の予想図

 4歳児クラスのお子様と保育士さんと一緒に近くの公園へ遠足に行きました。公園までは大人の足で歩いて10分程度なのですが、子どもさんの歩幅はさまざま・・。列の一番後ろで私の前を歩いていた二人の子どもさんは「雲だ!ゴミだ!花だぁ!」とあっちキョロキョロこっちキョロキョロ。
でも、その歩き方が、まるで自分を見ているみたいでした。

 午後、女の子が「お腹が痛い」と言って保育士さんと一緒にやってきました。早速お腹を触らせてもらったところ、どうやら大丈夫みたい。顔色もいいし、どうしたのかな?
 実はその子どもさんは私が就職して初日に指を怪我して病院へ付き添いしたお子様で、子どもさんのお母さんは私と同じ看護婦さんです。私と子どもさんは椅子に座って、「あの時痛かったね」と話をして、それから指の爪を二人で切って子どもさんは自分で部屋へ戻って行きました。
あとで、クラスの保育士さんが「あの子はよくお腹を痛がるの。今日は、たぶんお昼寝から起きた時に嫌な事があったんだと思う」と言いました。
 その後、主任さんが私に「爪を切って話をすれば切り替えられるパターンって多いかもしれない。Mamoちゃん、これからこうしていきたいとか、他に必要なものとかあれば、私たちに言ってね」と言いました。

私は、私の心にある未来予想図が又少し、大きくなったような気がして、嬉しく思いました。


2006年03月15日(水) 耳を澄ませば

 今日はマニュアルを2つ完成しました。
私は今、保育園の中で自分で計画を立て、ほぼ自分の立てた計画に沿って動いていますが、過去にはこんな風に自分のペースで仕事をした事はありませんでした。だから今の動きはとても楽。そして出来上がったマニュアルを見て、次は何をやってみようかなと想像をめぐらせています。

 先日、ルームメイトと言葉の話をしました。
社会にはマイナスの言葉が溢れています。私も子どもの頃には、乱暴な言葉の中で育ってきて、大人になってからも自分の言葉の乱暴さや、逆に自分が世間の乱暴な言葉で傷ついている事を知らずに生きていました。
そして今は、いつも、自分をシンプルにやさしく語っていけるよう生きていきます。


「今思うこと」
この頃は、自分の中に自分だけの世界があって楽しい。
自分だけの世界は、今はとっても小さいけれど、でも、とっても楽しい。
こんな世界があったんだなぁ。
もっともっと、自分が主体の世界へ飛び出したい。
けれども、ただ生きるだけでなく、もっと私の心を大切にして生きよう。
・・・今よりも、もっと自分を大切にできる方法があるかな。
そうだね。いつも、自分の心に耳を澄ませて、プラスを見つけて生きていこう。


(Baseball編へGo・・・



2006年03月14日(火) 広い世界

 朝10時、マイクを持った保育士さんが、園の階段を「給食室から火が出ました!火事です!火事です!」と叫びながら駆け上がってきました。一瞬驚いたのですが、よく見ると、避難訓練のよう。面白いと思いましたが、でも、自分は何をしたらいいのかが分かりません。園長さんのところへ行って、「火事なんですが、私は何をすればいいかが分からないのですが」と尋ねると、「どこにいてもいいですが、もし良ければ園庭に出てみて下さい」というお話でした。
早速外に出てみると、庭には1歳からのお子様が、教室から保育士さんに連れられて裸足のまま集まっていました。どうやら火事の時には教室の窓を閉めて電気を消して、お子様を誘導して庭に集合するようです。庭に集まった皆さんの様子は、寒空に体を震わせているお子様や、靴が無いと騒いでいるお子様や、中には本当に火事だと思ったらしく、「怖い怖い」と泣いているお子さんも居ました。小さな子どもさんがたくさん居る場所で火事が起きたら大変なのですね。でも、緊急事態はいつ起きてもおかしくないのですから、入職早々に貴重な体験が出来たなぁと思いました。

 午後、一週間前に目元に怪我をして治療した女の子の傷口を診させていただきました。お家で貼ってきたアンパンマンの絆創膏をはがすと、傷口はすっかり治っていたので、女の子と保育士さんと3人で鏡の前に行き、「治ったね。良かったね」と話をしました。傷跡は気にならない程度ですが、日焼が気になるようなら傷の上に紙テープを貼っておいたり、サンスクリーンを塗っておけば大丈夫なので、園での治療は今日で終わりになりました。
 後で保育士さんが、「○ちゃんと鏡の前に行って2人で傷口を見ていましたね。そのほうがいいんですねぇ」と言いました。私は「○ちゃんのお顔の事なので○ちゃんと一緒に見たかったんです」と話をしました。話をしていたら、クラスの男の子が「何してるの?」と尋ねてきて、保育士さんは「Mamoちゃんと私はお友達だから仲良くしているんだよ」と言って肩をくっつけてきました。私も、「Mamoちゃんと…ちゃんは仲良しさんなのよぉ」と言って2人でハグしました。そうしたら、お友達が何人かくっついてきて、狭い廊下で皆で団子のようになってハグハグして遊びました。

なんだか・・・面白い世界です。こういうの、どういうのかなぁ・・。


2006年03月13日(月) 育ち

 今日は職員研修や保護者会に使われるマニュアル作りをしました。
緊急の場合や病気の話を、難しい単語や専門用語は使わずに、一目で分かる言葉を使っていくのですが、時には「これで、お子様にも伝わるかな?」と想像して楽しみました。
自分を伝えるのに大切な言葉を仕事の中で学んでいけるので、まるで遊びながら学んでいるよう。私は今、職場で自分を育てているのです。

 昼休みに公園の前に車を止めて休んでいたら、公園の遊具で筋トレをしている青年が居ました。それから、青年の周囲でお山を後ろ向きに上がり降りしているご年配の男性を見かけしました。
私も今は、生活の中にスポーツを取り入れて、自分の体・筋肉を育てていますが、自分の体が育っていくのを見ているのも楽しいものです。

どこにいても誰と居ても、自分の心に沿って動いた分だけ、自分を生きる事が出来るのだなぁと、心から思います。
これからも、いつもいつもその瞬間の自分の気持ちに向き合って。いつも自分と向き合っていれば、こんなに重みのある自分を感じていられるから。


2006年03月12日(日) 大切なもの

 今日はベトナム研修生の方と遊びながら、日本語の勉強をしてきました。

私は、やさしいものが好きです。
心にある大切なものを見続けていられる生き方をしていこうと心から思いました。
自分が大切だと感じたものを、一番大切にして 生きていこう。


2006年03月09日(木) 視点

 今日は怪我をするお子様もなく、私は買い物へ行ったり頼まれていたトイレの倉庫の鍵の取り付けをやりました。鍵の取り付けは工具箱を引っ張り出して打ちやすそうな釘を探して、使いやすそうな金具が扉の形に合うかどうかを確かめて・・。
取り付けている途中でお子さまが遊びに来たり、小さな釘を落として探し回ったり、あっという間に時間が過ぎました。


 夕方、壁投げと素振りをしました。
素振りは、私の独りよがりかもしれませんが、右っちゃんは腰をクリンと回転させて打てる回数が増えてきて、クリンが出来た時にはバットを振る音にも力強さを感じます。この感覚を、左っちゃんにも心と体で伝えてあげればいいのです。
 それから、公園にF君が居たのでF君はミットを持って座り、私はピッチングの練習をしました。F君の話によると、私のピッチングは、球を投げきった後の右足の動きが止まっていて、右足が出ない分だけ、パワーが落ちているのだそう。自分では見逃していた点を指摘していただいて、助かりました。
 F君が帰った後、一人で壁投げをしてみました。
なるほど、そういえばイメージトレーニングする時に、腰を肘を使うことばかりを意識していて、投げ終わった後のフォームを見る事を忘れていた事に気が付きました。
そして、じっと自分の動きに耳を傾けてみると、体に力が入った自分が。
でも、大丈夫。力が入る自分を確認できたのだから、これから変えていけばいい。
それに、私は昨年一年間一人でコツコツと素振りをやってきたのだから、ピッチングも素振りと同じように、ボールと空と仲良くして遊んでいけばいい。

自分で掴んだものはいつも、私の心に生きています。ね。


2006年03月08日(水) 遊び

 午前中、足の裏にトゲが刺さった5才のMhちゃんのところへ行きました。
Mhちゃんは保母さんにとげを取ってもらったのだけど、どうやらトゲがまだ残っているというお話。
私は黙って座っているMhちゃんに傷口を見せてもらった後、しばらくはMhちゃんのそばで、小さな声でお話をしながらMhちゃんが動き始めるのを待っていました。でも、Mhちゃんは黙ってうつむいたままで、医務室までたどり着けません。
「このままの動きではいけないなぁ。どうすればいいかな」
しばらくして、私はMhちゃんと約束をしました。
「Mhちゃんと約束をしてもいい?Mamoちゃんは、Mhちゃんが痛かった分だけ、Mhちゃんと一緒に遊ぶ。いい?」
Mhちゃんはほんの少し首を傾けて、しばらくすると私と手をつないで治療をする部屋まで上がってくれました。
 足の裏のトゲは私一人では難しかったので、保母さんにMhちゃんを抱いていただいて、私はMhちゃんの足の裏のトゲを取りました。Mhちゃんは少し泣きましたが、その後一緒に足の裏に薬を塗って、処置は終わりになりました。
その後は、私はMhちゃんと一緒に園庭へ行き、靴箱の傍で日向ぼっこをしていました。そこでMhちゃんは、私に保育園のお友達を紹介してくれたり、それから、Mhちゃんの周りに集まった数人のお友達が集まって、私の名前を呼んでくれたり、そうして遊んでいるうちにMhちゃんはぴょんと私の膝から降りて、向こうへ遊びに行ってしまいました。気が付くと一時間以上が経過していて、少々慌ててしまいました。
でも、私も保育園の看護婦さん一年生ですから、いろいろとやってみれば良いのです。

「追加」
 朝一番、1歳児のアヒル組みさんのお部屋へ行きました。
ベビーバスに落ちていた1本の髪の毛。

「だれの髪?誰のひげ?」

一本の髪の毛で遊ぶこと20分。子どもって楽しい事はいつまででもやっていられるのですねぇ・・。こんなもので遊び続けていいのかと思うくらい、子どもの世界は遊びでいっぱいのようです。


2006年03月07日(火) うれしいな・おもしろいな

 風邪菌を貰って熱が出たので、仕事を二日間休んでいました。
喉は焼け付くようで体中が痛かったけれど、「体がばい菌と戦ってるんだなぁ」と思うと熱を出している自分の体が頼もしくもありました。そのせいかな・・。風邪菌のピークを越えた瞬間を自分で感じられたような気がしました。
それにしても、体って凄いです。眠るつもりはないのに、いつのまにか眠って、眼が覚めたら水分を取って、此処を冷やすと気持ちいいとか、りんごを摩り下ろして食べたいとか・・・。私の体は私の意思とは離れたところで私の体を守っているみたい。昨晩から12時間通して寝続けて、本日午後からは少し動きたくなりました。でも何となく力が出ないので、ばい菌と戦って消費した分の体力を取り戻す為に少し多めに食事をしました。
もう大丈夫。明日は仕事に行こうと思います。

「今思うこと」
 カルガモの赤ちゃんは一番最初に見たものをお母さんだと思い込むと言われていますが、人間の私も同じですね。私は今まで、一番最初に見たもの、一番最初に聞いたこと、一番最初に教えられた事を基準にして生きていて、今だって時には間違えてしまいます。
でも、本当は違いますよね。
世の中は私が教わってきたよりもうんと広くて大きいもの。いつだってプラスを探していけばいいもの。いつもいつもそこから考えていけばいいのだもの。
 そして今は、今の自分を此処に書けている事がうれしいな。間違える自分に気が付けた事が嬉しいな。自分を積み重ねていけることもまた嬉しいな。
そして、もっともっと広い世界へ出て行きたいな。もっともっと自分の心を探求したいな。

私って面白いな。


2006年03月05日(日) 開幕

野球開幕
1試合目。センターを守りました。
が、空を緩やかにカーブして飛んできた球センターフライを、何処かから飛んでくる「センター!」という声を聞きながら、捕り損ねてしまいました。
残念ですが、これが実力なので仕方がありません。それに、いつも次があるから大丈夫。
攻撃は、一打席目4ボールで一塁まで行き、次の打者の球で2塁まで行きましたが、やむなくアウト。2打席目はセンター前まで飛ばしましたが、球をあげてしまったので、私の取れなかったセンターフライをあっさり取られてアウトです。
でも、心から面白かった。こんなに全身で野球を楽しんだのは初めての事です。
野次や中傷のないやさしい空間で心から楽しめた事を嬉しく思います。



「独り言」
生まれたての赤ちゃん。
赤ちゃんは“あたたかさ”とか“やわらかさ”とか、自分にやさしいものは全部、知っているのだな。
生まれたままの姿っていいな。

私もいつも生まれたままの心がいいな。
私も、私にやさしい事は全部、私の心が知っているのだな。


2006年03月04日(土) 眠りから目覚めた時

 育成会。
 睡眠の話が出たので、自分の過去を思い出しました。
 私は過去、昼間でも3秒程度で眠りに付いていました。
睡眠不足で眠たい時もありましたが、殆どは現実が耐えられないとキャッチした時や、現実から過去に起因する何らかの辛さを感じた時に、いわゆるトランス状態として眠ってしまうか、又は、こちらは別の形ですが、トランスは無いまま別の人格に入れ替わるかのどちらかだったと思います。
 トランス状態の時には外見には眠っているように見られるようでしたが、頭の中では当時別人格として別れていた幾人かの私の間で、“今ある現実をどうするか”という相談や会議のようなものがなされていました。私には眠っている時間がどれくらいなのか分かりませんでしたが、実際には私が感じているよりもうんと短い時間だったのだろうと思います。そして最終的には、その会議で成立した内容を実行出来る人格が表に出ていたと思います。
 ところが、去年の夏、自分の部屋でいつものように、どうしようもない睡魔に襲われ、両手を投げ出した状態でうつぶせになって眠ってしまった自分が見えた事がありました。その時私は、寝ている自分を見ながら、起きたいと思ったらどうなるのだろうと考えました。そして少ししてから、自分の右手を動かしてみようと意識しました。少しずつ少しずつ、自分の右手の指を、小指から順番に動かしてみたら、微かにでしたが自分で自分の指先を動かす事が出来ました。次に右手を挙げてみようとしました。けれども右手は挙げられませんでしたので、肘を挙げてみようと、強く強く意識しました。
どうなったか。右の肘を自分で上げられたのです。その後は上がった右肘をもっと上げて、自分の頭のてっぺんに手先を持ってきて、そのまま後ろ頭を撫で、顔を撫で、そうして徐々に、自分の上半身の思うところを起こしあげて、最後に静かに目を開けました。
私はこの事を、今夜始めて公に語っているのですが、この日の出来事はその日のうちに、私が自分自身の大きな階段を1つ登った満足感を全身で感じる材料になりました。
そして又、ずいぶん後になってから気が付いたのですが、この日以来長い間の私のパターンとなっていた“眠りに入る”という現象からは一気に脱していたのです。

 逆にもう片方の、トランスにならない状態で人格が変わってしまうときには、自分では気が付く事が出来ていませんでした。そして今でも、後になってから「自分をなくしていた」と気が付かされる事があるのですが、心の傷を癒やし、自分を大切に出来る時間が増えるほどに別の自分も、“本当の私”にやさしく自然に交わっていくであろうと確信しています。

 さらにもう1つ、本当に睡眠をとりたい時、私は自然にスーッとその場所に溶け込むように眠ってしまうようです。こちらはねむたいから寝るのですが、本当にどうしようもない心地よさ。自分がそこに居る事に心から安心していて、まるで暖かい毛布にくるまれた赤ちゃんのように可愛らしく横たわっているみたい・・・。


2006年03月02日(木) 心・ふわふわ

 今日は、私の名前を「Mamo」と呼んでいただくように職員さんやお子さまにお願いしました。だから私は今日からこの保育園でもどこでも、Mamoちゃんです。Mamoちゃんはいつも自分を見つめ、自分の心を一番大切にするのです。
 日中は保育園の各部屋にある救急箱の点検をしました。お子さん達は小さな傷が耐えないようで、どこのクラスもバンドエイドが切れていたので、点検を終えてからバンドエイドの買出しへ行きました。ちなみに帰りは重りを付けた足でダッシュをして帰ってきたので、保母さんには「そんなに急がなくても大丈夫だったんだよ。自転車を貸してあげればよかったねぇ」と言われました。
(私のほうこそ、運動したかったので助かりました・・・。)

 夕方戸笠公園へ行くと小学生高学年と思われる少年とお父さんがノックの練習をしていたので、後ろで球拾いをさせていただきました。右に左に飛んでくる球を拾いに走って、まるで野球をしているみたいでした。
 親子さんが先に帰った後、一人でグランドを走りました。まるで空を飛んでいるようでどんどん上に上って行ってしまいそうなくらい足が軽く思えました。
見上げると空には“二日月”が光っていて、見ているうちに「まるでブランコみたい。あそこに座って、こげたらいいなぁ」という思いが沸きました。


「独り言」
今日も楽しい一日だったなぁ。 
他の方の言葉はすっと私に入ってきて、どうしようもなく緩やか。
自分の世界が一日中ニコニコ・ワクワクしていると、足が浮いていってしまいそうな、不思議な感覚がします。

世界中の人はみな、私の事が好きなのに違いない。
私を見る人はみな、私を歓迎しているに違いない。
私に触れる人はみな、私を大切に思っているに違いない。
いろんなことを全てプラスに受け取る事が出来たら、
毎日見るもの全てにプラスの想像をしていられたら、いつもいつも楽しいことで頭がいっぱいになるのです。


2006年03月01日(水) 初めての保育園

初めての保育園

 保育園の仕事一年生の始まり。
私が教室に入ると、たくさんの子ども達は不思議そうな表情をして私を見ました。大きなクラスのお子さんは「かんごふさん?どうして此処に居るの?」と聞きました。私は皆さんに、「けがをしたり、いたいところがあったら、おしえてね」とお願いしました。
 昼休みは気分を入れ替える為に外へ出て、車の中で午前中の動きをまとめてから職場に戻りました。
 午後はオリエンテーションを含めて看護的な事務仕事の内容を聞きました。
集計をしていたら、女の子が小指をドアに挟んでやってきたので挟んだ指を見せてもらうと、内出血して少し腫れていました。たくさんの子どもさんが「大丈夫?」とやってきて、辺りが少し騒がしくなりました。
 私自身は、女の子に「いたい?」と尋ねている時、私の頭に自分の書いた論文の内容が浮びました。
「そうだ。私は大人の都合ではなくて、怪我をしたこの子の心に合わせて動いていくんだ」。私は彼女にこれからの事を伝えてから、2人で出かける準備をして、病院受診の付き添いをさせて頂きました。幸い、女の子の指に骨折はなく私たちは安心して園に戻りました。
 園の説明によると、アレルギーのお子様が何人か居らっしゃるようです。私たち大人は禁忌の食材を誤食しないよう見守る事がとても大切なようです。たくさんのお子さんに囲まれていても、命に関わることだけは把握して、お子さんが安全に過ごされるお手伝いをしようと思いました。

私は、
“保育園の仕事・いちねんせい”
“保育園という場所で私の心を大切にして働く一年生”。それから、過去とは違う心を持つ大人として、
“子どもさんの育っていかれるのを手伝わせて頂く・いちねんせい”
今日は何回名前を尋ねられたかなぁ。
「わたしは、かんのです。かぁ・ん〜・の」。
新しい世界を楽しめる予感がして、嬉しい。いつもプラスを探していこうっと。

 夜、プロ野球を見ました。ピッチャーはどこかで話に聞いているとおり、マウンドに立って後ろを振り返って、時には牽制球を投げたりしていました。ちなみに変化球の投げわけはボールの持ち方や、手首の回転でするようです。私も変化球を投げ分けてみたい。でもその前に、まずはストレートがしっかり投げられるまでになる事が目標です。
攻撃では、福留さんという選手はヒットを打った時に、球をバットに乗せてから、自分の思う所へ運んだように見えました。凄いです。私もあんなふうになりたい!
保育園で子どもさんに遊んでいただいたせいか、体が自然の中を走り回りたいと言っているようです。開幕まであと4日。楽しみ倍増中。


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